はてなキーワード: 憧憬とは
元気で活発で、よく気遣いができてよく動く。
お酒も楽しくよく飲む。
趣味の集まりの中では先輩である年下の彼女に、俺は懐いていた。慕っていた。憧れていた。
ある飲み会で、いつもどおりひとり喫煙所に向かう彼女を視界にとらえ、気づいたら追いかけていた。
俺はタバコを吸わない。でも彼女がひとりで喫煙所に向かうと、いつも俺は、つい追いかけてしまう。
純粋な憧憬だと思ってた。なにかと周りの目が気になる俺と違って、天真爛漫でだれにでも分け隔てなく自然体で接する彼女を、俺は尊敬していた。
彼女だけに打ち明けられる俺の弱い部分の話をしていた。
彼女は優しく聞いてくれた。
気持ちが良かった。
不意に彼女に手を握られた。
俺は慌てて手を振り払った。うろたえるばかりだった。
「いつもわたしのこと視線で追ってるじゃないですか。増田さん、遊んだりしなさそうに見えるのに、よくわからないから直接たしかめようと思ったんです」
彼女はまるでいつもどおりだった。
「増田さんって、よく独身女ひっかけて遊んだりしているんですか?」
彼女はまるでいつもどおりだった。
いつもどおりの、元気で、活発で、天真爛漫そうな可愛らしいかんばせなのに、その瞬間から明確に、色っぽくてしどけないようなそんなふうに見えるようになった。
心臓が痛かった。
「あれ、思い違いでしたかね。わたし、ちょっとくらいなら遊んであげてもいいかと思ったのに。」
彼女がこんなこと、言うはずがない。
俺もなにか言わなくてはと思うのに、言葉が出なかった。
「わたしのこと、なんとも思ってないんですか?」
「人として好きだった。それだけ。でも今は、わからない」
満足そうに微笑む彼女を見ていると、長いこと忘れて過ごした劣情が足元から這い上がってくるようだった。
その後、俺は飲み会を中座した。妻のことを思い出すと怖くなったから。
終電には少し早い電車に揺られながらスマホを確認すると、彼女からラインが。
びっくりさせてごめんなさい、と。
妻とは1年以上ご無沙汰だった。俺はしたかったけど、妻は俺を拒絶する。
たまにお願いを受け入れてくれてもマグロだった。
ここ最近は外でしてきてほしいと言われているし、情けなさ、惨めさを感じるのが嫌になって俺からも誘っていない。
彼女は魅力的だ。遊んでいいと言っていた。
俺は彼女の誘惑に身を任せていいんだろうか。
でも彼女の意外な一面を見てしまったから、なんだか事が終わればポイ捨てされそうな不安がすでにある。
まだなにも起こっていないのに、ワクワクしてドキドキして不安になって、俺は変だ。
俺はどうすればいいんだろう。彼女のことばかり考える。
そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。
増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。
それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。
まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。
さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。
だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。
でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。
新聞社に使役されていたプレスライダーである。プレスは報道の意味で事件現場で報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送のトラックに書いてあるあの「PRESS」だ。
元々、速報性が重視される新聞社で取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者は取材の時に鳩を連れて行った。現場で記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上に帰着する。
伝書鳩は1960年代、昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。
ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年、昭和40年頃なのだ。
これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所や会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。
プレスバイクは原稿や写真フィルムを受け取って現場から新聞社、若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。
そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である。
こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画のモチーフになるし、憧れを産む。
という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピードの象徴から遊離していく。
族車バイクはパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。
プレスライダーは渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。
プレスライダーは上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。
すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。
族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。
プレスライダーは仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。
だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。
今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁の御料車や総理大臣車以外はやっていない。
プレスバイクも新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント(三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反)警察はPRESS旗と社旗を認めると取締りしなかった。
暴走族の前身はカミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニDの赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。
これが1980年頃から「硬派」の文脈が右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代の全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車で軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線が確立されていた。
ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである。
故に既存のプレスバイクの社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜が自然な流れで合わさる形となった。
前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである。
この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。
同様の理由でタンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。
こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰で1980年代になると衰退して報道の現場から消えて行ってしまう。
置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線と自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車+バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。
それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係でレース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞をバイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである。
ただこれはレースが日曜しかやってないから臨時バイトの面が強い。
もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NYの自転車メッセンジャー便のバイク版だ。
こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバーの違法操業のところが多かった。
中にはちゃんと法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送→検査会社と進化して自治体の出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。
これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG
量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定のレース車区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。
これは日本では御殿場の富士スピードウェイと筑波サーキットでレースが開催されていた。
特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。
このレースの前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。
族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである。
更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面に東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。
因みにあの出っ歯は貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。
そんなヤワな造りのものが走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯を踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである。出っ歯も手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードである。ハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。
で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー。
これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である。
恋愛関係というにはあまりに複雑だったし、長く一緒に居すぎたから恋愛感情以外の気持ちも大きすぎて、適切な関係を表す言葉がなかった。夫婦くらいお互いのことを知っていて、友達くらい遠い関係だった。あれだけ激しく求めった肉体関係を断った後でも、二人の関係性はお互いのことが好きっていう前提に成り立っていたから、多分これが終わったのは失恋でいいんだと思う。
長い間一緒に居たから嫌いなところもいっぱい見つけた。俺は人の良いところを見つけるのが上手いとか、そんな立派な人間じゃないから彼女の嫌いなところが気になっていつも一人でイラついていた。彼女もそれに気づいていたけれど、俺はどんなにイラついても彼女のことが好きだったし彼女のことが大切だったから、彼女もそれを受け入れていた。たまに長く付き合った恋人や夫婦が恋愛感情は冷めたけど友達として好きだからと言っているパターンがあるけど、俺たちの場合はそういう冷めた関係性と恋愛感情が何故か別々に交じり合わずに共存していたと思う。
手も触れ合わずに過ごす関係が心地よかったとも思えない。恋愛を超えた人間的な尊敬による関係を装っていても、俺たちの間には人間的な、あまりに人間的な感情が渦巻いていた。疑念、不安、執着、愛情、恐怖、嫌悪、憧憬、恐怖、嫉妬、性欲、支配欲、全部がそこにはあった。理性では制御できない感情の渦の中で俺たちはぐるぐるとずっと回っていた。俺たちは一緒に居るだけでずっと傷つけあっていた。彼女は優しいから最後まで言わなかったけれど、多分俺のことを好きな気持ちと同じくらい嫌いだったと思う。俺も彼女のことが好きな気持ちと同じくらい嫌いだったことを言ったことはないけど、彼女もそれは知っていたと思う。言葉にしなくても声を聞くだけで気持ちがわかるような関係というのは、とても残酷にお互いを傷つけあうことになる。
だから多分俺がフラれたのは、俺にとっても良いことだったんだと思う。ここまではフラれた直後にもう理解していた。彼女と話している間に俺が泣かなかったのは、彼女のためにも俺のためにもこれが最善の結論であると理解していたからだ。でも話を聞いてから俺の中に生まれた感情が何なのかずっとわからなかった。ここまで書いてようやく気付いた。俺は恋を失ったのではなくて、彼女と一緒に自分の何かを失ったのだ。彼女とミラーリングしていた、彼女の中のもう一人の自分を失くした。多分これはもうどうやっても見つけられないものだ。俺は昨日までの自分から何かを欠いたまま、欠いたことに折り合いをつけて生きていかなきゃいけない。
人間は誰もしも人として大事な何かをこぼれ落としながら生きていくのだと思う。思えば、俺だって人生の中で大切な何かを失くしたのは何も今回が初めてじゃない。でも失くしたものを数えるのはいつの間にか止めてしまっていて、もう何を失くしたのかもきっと全部覚えていない。だから数日か数か月か数年かわからないけれど、この喪失感もいつか思い出になり、記憶になり、いつかは忘れてしまうのだと思う。今はただその時が待ち遠しい。
関東に出る前、地元だった地方工業都市の旧来オタク系コミュニティはズタズタだった。
狭くて薄暗いラジコン屋。店内で話すだけに睨んでくるエアガン屋。電気がいつも半分しか点いていないTRPGコーナー(文具屋のプラモコーナーのさらに奥)。PC屋の隅っこの暖簾の奥のエロゲコーナー。レジのねーちゃんが初恋だった個人
経営のゲーム屋。地元のオタク臭のする場所のどれもこれもが、なんだか近寄りがたく、なにか卓越した技能を持つか、誰かの紹介無しには入り難い。そんな場所ばかりだった。
例外はアニメイトくらいか。あの誰でもウェルカムな明るさはいろんな意味で眩かった。
そしてアニメイトに一歩遅れてやってきたインターネット普及。当時は衛星放送が無ければレンタルが来るまで見れなかったアニメもP2Pという今思えばろくでもないアレのおかげでリアルタイム気味に楽しめるようになったし(後のネット配
信はまさに福音であった)、定価販売ではないエアガンの存在はすごい衝撃だった。
あと同人誌!存在はエロゲ雑誌なんかで知ってはいたが、実際に手に取れるようになったあの感動!通販だとメロンブックスの無地の箱はうれしい!
入手した同人誌からはるか遠き聖地、コミケへの憧憬を募らせた。何が欲しいという訳では無かったけれど。
こういった物質的情報的なアクセスの活性化は俺のような消費するだけのオタクには福音であったが、同時に旧来のコミュニティはそれらに追いやられる、あるいは経営悪化によって存在感を失っていた。
それから結構な歳月が経ち、俺は色々あって地元に戻った。長男だし。
改めて見てみると、そこには新たなコミュニティが芽生えていた。インターネットの強力な直射光に焙られて存在感を失ったように見えたコミュニティは、その環境変化に適応し新たな形を築いたり、新たな芽生えが発生していた。
これは盆正月の里帰りにも感じていたが、ネット配信の普及はライトなP2P層をほぼ駆逐した。面倒な時間もかけず、ちょっとした月額でどうにかなるなら多くは月額を選んだ。アニメ以外も視聴できるので家族からお金も出やすい。
映画館が減り、レンタルビデオも消えつつある現在、地元でもお手軽に映画を見ることができる手段でもある。
アニメイトは移転こそしたが元気だ。店舗面積こそ減ったが女性向け同人で賑わっていた。
ラジコン屋はインターネット通販によって焦土と化したように思われたが、生き残った店舗が郊外へ小さいながらレース場付きの新店舗を作り、大きく明るくなった店舗は周辺地域の需要を総取りしている。残存者利益という感じ。
ちゃんと運営のいるサバイバルゲームフィールドも出来ていた。昔はグループが地主と交渉して管理していたなぁ。
土建屋の中の行動力ある趣味人が余った土地(元農地や資材置き場)を転用して開いている感じ。関東のフィールドを参考にして整備した、見劣りしないと豪語するだけのことはある出来だ。
フィールドにありがちな常連問題はありそうだが、まあ関東でもそれは一緒だしそういうものである。
個人ゲーム店はほとんどが消え去ったが、行きつけだった店はカードゲームやTRPGのプレイスペースを売りにあれこれイベントを開き、地域のイベント中心の一つとなった。初恋だったレジのねーちゃんまだレジのねーちゃん、いや、もう奥さんだった。左手の薬指の指輪がまぶしい。ゲオごときには潰されませんよ、と語る逞しさは歳月を経た今でも魅了を失っていない。幸せであってほしい。
その他、俺にはよくわからないがボードゲーム店なんてものもできていた。コロナも耐え抜きしっかりと地域に根を張っているようだ。
他方、PC屋は周辺企業のサポート業務がメインとなってしまい、店としての機能はほとんど失われてしまった。マウスみたいなちょっとした周辺機器くらいは今でも細々と売っているが。
TVゲーム系コミュニティもネット対戦の普及で細切れと化した。ゲーセンはかなり最近まで粘っていたがコロナでついに倒れた。今はファミレスなんかで集まってゲーム、はあっても専門の場所みたいなものはもう見当たらない。これも時代か。
ある程度の濃淡は有れど、地方都市にもオタク的な趣味は根付き、生きている。自分が中学生くらいだったころを思い出すと隔世の思い。
東京の人間から見れば稚拙な都市部の模倣であろうが、それでも有るのだ。我が故郷にはなんでもある(何にもない)。東京には何もない(なんでもある)。
町山氏の鳥葬発言に対するブクマカの発言レベルが酷い、とても酷い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TomoMachi/status/1562794180383911937
gryphon リプライや引用リツで、安倍氏に対してではなく「鳥葬という異民族の異文化への偏見・差別ではないか」という指摘があり、ハッとした。
chakatan 彼らリベラルの言う多様性って欧米内の少数派にしか適用されないんだな。アジア、アフリカの文化は未だに遅れた野蛮な文化と思ってそう。
mcnurphy これ、鳥葬というマイノリティ文化に対するヘイトでしょ。小田嶋隆氏もそうだったが、宝島文化圏にあった人達がポリコレリベラル纏っても地金が出てしまうんだよな(従軍いやん婦とか)
町山氏の発言が下品なのは言うまでもないけれど、こうしたブクマカの発言も『文化的多様性』を誤った形で認識しているとしか思えない。
まず前提として、鳥葬に対して日本じゃ「怖い」「無惨」「打ち棄てられた死体」といったネガティブなイメージの方がベーシックだろう。
人によっては異文化への憧憬や厨二的なカッコ良さを感じることはあるかもしれないが(正直俺もロマンは感じる)、だからといって自分の家族の葬り方に鳥葬を提案されたら99%以上の人は「はぁ?」となるのは間違いない。
異文化として肯定的に捉えることはできても、日本では生前から特別本人が望んでいたという場合でもない限り、鳥葬は明らかに真っ当ではない葬り方だ。
そして、だからこそ、そうした文化的背景を踏まえれば、その文化圏内にいる人に対して鳥葬という言葉を使うことは、チベットなどの鳥葬文化の人々に対しての侮辱にはならないハズなのだ。
考えてもみてほしい。
例えば日本人の貴方は、誰かが厳格なキリスト教徒に対して「お前が死んだら来るべき日に復活できないように火葬にしてやるぜェ!!」と罵倒している場面に出くわしたとして「テメェは今、火葬文化のオレ達日本人を侮辱したァ!!」とキレるだろうか?
貴方がどうかは知らないが、普通に考えたら大多数の日本人はそんな風にキレたりしない。
それがなぜかと言えば、厳格なキリスト教文化圏では火葬が禁忌とされていることを、自分達とは異なる文化圏として認識し、そして尊重しているからだ。
その文化が何を尊ぶかだけでなく、何を"忌み"とするかも尊重するのが、本当の多様性だと俺は思う。
今回の町山氏の鳥葬発言に対してマイノリティ差別などと的外れな批判をしている人たちはそこを勘違いしているとしか思えない。
さあ分かったら、薄っぺらなポリコレポイント稼ぎとしか思えない発言にハッとするのではなく、俺の書いたこの増田にハッとしてくれ。
公開中の映画の関連エピソードをやっていて、本編ではなかったけど。
内容としては幼少期のルフィとウタのエピソードで、所謂ボーイミーツガールな話。
テンプレ的な話ではあったけれど、特に印象の残った場面があった。
それは、ウタがルフィに「海賊になって何がしたいの?」と尋ねる場面だ。
そこでルフィは答える。
「俺は世界中を冒険したい。いろんな場所に行って、いろんな奴らに会って、いろんな食いものを食べたいんだ!」
そう目を輝かせて語るその姿に、思わず泣きそうになった。
俺が好きだったワンピースの魅力が、この場面に凝縮されているように感じられたから。
見知らぬ世界への憧憬、新たな出会いへの期待、未知なる体験に寄せる希望。
そういった思いや気持ちを、少年ルフィは表情で雄弁にこれでもかと語る。
実に楽しそうに。
実に生き生きと。
俺が昔、子供の頃に感じたワンピースの面白さっていうのはここにあったんじゃないかと思うんだ。
未知なるものに対して恐怖を示すんじゃなくて、未知なるものだからこそ楽しもうぜ!とするその姿勢に。
生きることへのワクワク。
なんだか長らく忘れていた感覚を、今日たまたま観たワンピースで思い出した。
この作品は、やっぱり凄いのかもしれない。
人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉の配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。
高校に入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎の道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。
会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春とかいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。
ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せが存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである。
歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せに終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。
17歳の秋に、初めて翡翠の水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。
太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。
ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。
物体が永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから。
( 続・過保護水着は良くないと思うぞ )
そんな中でオレは、たった一人、膝をついて震えている。
新しい水着は選択肢が増えるだけとの触れ込みだが、近いうちに席巻するだろう。やがてジェンダーレス水着の一色に染まると思う。考えてみてくれ。水着は、悩みをもつクラスメイトのために作られたんだ。恥ずかしいからという理由でジェンダーレス水着を選択する仲間のために、キミに何が出来る?
時代が進むほどにブルカ化していくスクール水着を見て、うすら寒いものを感じていた。
オレの考えた通り、新開発の製品にはジェンダーレス・長袖で紫外線カットのお題目の裏側に、生徒の「肌を見せたくない恥ずかしい気持ち」を保護したいという優しい動機が隠れていた。
想像だにしなかったのは、かつて肌を晒すことをためらっていた子どもたちの多くが大人になった今も、
「あの頃にジェンダーレス水着があれば、水泳の授業もラクだったのに」
恥ずかしめたクラスメイトへの怒りや、からかってきた友だちへの憎しみを、露わにしているアカウントは殆ど見つけられなかった。
もし仲間はずれにみえる誰かを抑圧する同調圧力に屈したせいで、恥ずかしさが生まれてるならば。迎合するのは多様性に逆行してるぞ。被害の実態にメスを入れる勇気のある論者は、しかしどこにもいなかった。
「コンプレックスを持っていてもいいんだよ」と、怯える誰かに、対応するための手段を与える。
一見優しく見えるけれど、そこには加害者側を責めずに被害者にばかりコストを負わせる社会の歪みがある。
プールサイドから見守る監視カメラにつないだ人工知能が警告する。そんなソリューションもあり得たはずなのに。
みんなが、まなざしの被害を自己責任として受け入れるつもりなら、もう何を言っても無駄だろう。子どもたちが望むならジェンダーレス・ネックゲイターだって投入されるだろうさ。男女関係なく、うなじを隠せるカバー。時代のアップデートは止められないのだから、このまま世迷いごとをつぶやく有象無象としてネットのノイズに埋もれよう。ふと、ある意見が目に留まった。
体毛を気にしてる人、太ってる人も安心だね。
注意深くみると、そんなニュアンスのことを言ってる連中がチラホラいた。
てめえら、自分が何をしてるのか、解ってないだろ… 😡
モテなかった。
元嫁からはお前とのセックスは嫌いだから二度とヤりたくないと言われて別れた。本当に悔しかった。
ただ、金はあった。
するとどうだ、あれだけ天使や女神のように感じていた女が、下品な声を上げてよがるではないか。女は男以上に性に貪欲で浅ましくなりうる存在だったのか。
街を行く女が全て汚らしいものに見え始めた。どんなに綺麗なお澄ましも、夜になれば股ぐらを湿らせて男に媚びるのだから仕方ない。
汚い!汚い!汚い!
そんなものを買う俺は地獄の残飯を貪る腐った豚だ!このまま裁きにあえばいい!
陰茎を吸わせながら、膣に突っ込んだ鍵型の指を慣れた風に優しく搔き出している途中、俺は涙を堪えていた。
その帰りに立呑に行った。
横にいた女がめちゃくちゃに飲む俺を心配して声をかけてきた。昔の俺なら緊張で声が上ずっていただろう。けれど、汚物が豚である俺に話しかけてきただけだ。どうでもいい。
気が付いたらホテルにいた。
さっき別の女を抱いていたホテルだ。
俺はまた、陰茎を吸わせながら、膣に突っ込んだ鍵型の指を慣れた風に優しく搔き出し、今度は―――。
こんなことばかりになった。
まだたまに女は買う。確認のためだ。
異性に対する憧憬とは少年にのみ許されうる幻想であり、我々良識者たる大人はその乳臭い夢から目覚めることを求められはしないものの、目覚めなければ社会の一員の本当の大人とはみなされない。その本当の大人とは、目覚めた地獄で鼻歌を歌いながらスキップすらできる存在であるが、いつの日か、また、子供の頃にみんなで歌っていた楽しい歌を口ずさめたらいいなと思う。
真面目に人殺しをしようとすればあの形にはならないはずでしょう。
ヒト型にはノイズが多すぎる。
ククリやカラシニコフやバイラクタルTB2には、その形の向こう側の殺意のイデアに触れたような気にさせてくれる何かがある。
ロボットものは兵器があのような体たらくだから、なぜその殺し方なのか、お前の殺意はその程度かとなる。
(追記)
戦争で勝つことが目的なら人を殺すより負傷させるほうがいい。1人戦えなくなるだけでなく、傷病兵を運んだり救護したり食糧を与えたりしないといけないので、1人分+αの戦力を奪える。殺意なんかいらない。
これはあるね。
敢えて殺傷力を弱めた地雷だとか、特定の遺伝的グループだけに発病するウィルスだとかね。
ただ命を数値で計る領域に行くとそれはヒトが抱えられる殺意からは取りこぼれた何かになるよねって気がして、
そのへんに自分のフィクションを楽しめるNot for meのラインがあるように思う。
日本刀の美しさみたいなものもまた殺意の領分を超えた別の領域にある気がするなぁ。
端的に言えば命を刈り取る形みたいなものへの憧憬が自分の根底にあるかも。
「カエシ」がついてたりね。
セックスボランティアとセックスが出来なかった人はガッカリしただろうな。
用事が出来て遅れるとか言い出した時点で察しないといけないんだろうけれど、
でもそれならそれでもっと早くストレートにやっぱりやめますって言ってくれれば、
それはそれで仕方ないと思えることなのに、
直前になってどうしてややこしいことを言い始めるの?って気持ちになると思う。
グダりだした時点で気持ちを察することが出来るだろうし、
あるいはそのグダりからセックスへと持ち込むようなコミュ力もあるんだろう。
でも、セックスボランティアに頼らないといけないような人はそういうふうな器用なことが出来ないんだよ。
生真面目で自分は人との約束は破ったことがないとかいう人のほうが多いんだよ、モテナイ男って。
だから人から約束を破られると本当に本当に傷つくしガッカリするんだ。
だったら風俗いけよ、とかそういうことではないんだ。
お金の絡まないセックス、ほんとうの意味でのセックスにより近いもの、
そういったものへの憧憬と渇望の極限状態がセックスボランティアの人にセックスを頼むという行動なんだよ。
もうあとがないって状態なんだよ。おれは一生、風俗以外のセックスをすることがない、っていう諦めのなかに見えた一筋のか細い光明なのよ。
そりゃね、風俗と何が違うんだ?ってセックスに恵まれて生きてきた種族には理解できないよ。
それをわかってほしい。そしてセックスさせてくれ。
わたしは20年くらい前に小劇場に出るような劇団員をやっていた
お友達劇団だったので演劇のクオリティは高くはないけど、みんなでわいわいやるのが楽しかった
座長のワンマン劇団といっても過言ではなく、彼女のための劇団だった
その監督は他にも何人も女がいるらしく「今度の舞台に何番目かの恋人と来るらしい」と通達があった
私は知っている声優さんだったけど、監督も声優さんも一般人には特に有名ではなかったので騒がれることはなかった
当時はTwitterもなかったし
声優さんの他にも監督に恋人は何人もいて、うちの座長と監督との関係をしっている他の何番目かの恋人から嫌がらせを受けることもあったらしい
座長が話すその監督のエピソードはなんとなく可愛らしく、嫌々付き合っているという感じはなかった
その監督自体才能がある人だから話を聞いたら面白かったりするのだろう
高圧的な態度の人って恋人と一緒の時は甘えん坊だったりするからそっち系の人なのかなと思った
監督と関係を持ったことで、小さな劇団のチラシに一言その監督のコメントがついた
なんとなく箔がついた
有名監督から注目されている劇団、のような印象がチラシから読み取れた
それだけで、動員に違いがあったりはしない
20年前でその状態で今までそのスタイルでずっとやってきたならそれこそ監督が関係を持った女優はめちゃくちゃたくさんいるんだろうなと思う
とはいえ思い出は20年前なので、その後監督もエスカレートしていったのかもしれない
ネットニュースで読む限りは悪行の内容はなかなか生々しい
あまり騒ぎ過ぎてくれるな、と思っている女優さんもいるんじゃないかな
【追記】
anond:20231001232459 社会人5年目の話を書いた
【追記ここまで】
anond:20190809203213 を書いた者。近況をダラダラと書いてみる。
新卒で入社した会社で働いて今3年目。今年の春から4年目になる。
手取り収入は新卒の時と比べて6万円増えた。月々使える金が6万円増えるって冷静に考えるとすごいな。出費は変わらず15万円ぐらいだから月20万円以上貯まっていく。投資とかした方がいいのかな。暇な時に調べてみる。
フレックスタイム制だから相変わらずセルフプレミアムフライデーとかしてる。あとリモートワークが以前より推奨されるようになって更に働きやすくなった。
業務も相変わらずのんびり楽しくやってる。成果さえ出してれば何も言われない環境。周りには業務時間中にゲームをやってる人がいるぐらい緩い。その人は自分以上の成果を出してる人なので尊敬や憧憬こそすれ不満に思うことはない。優秀な人のおかげで会社が成り立って、自分みたいなエンジョイ勢が生きていけるわけだし。
根っからのインドア派でスマホとデスクトップPCとネットがあれば幸せに暮らせるんだけど、最近は他の趣味を開拓したくなってきた。年20万円ぐらいの予算で楽しめるオススメの趣味があったら教えて欲しい。仕事柄人間関係が広がりにくいので人と関わる趣味だと尚嬉しい。
近況としてはこんなところ。
自分自身もきっとそう見られてるんだろうけど、今まで俺が出会った「ディレクター」という肩書きのヤツは、本当に唾棄すべき奴ばかりだった。中身がなくて、薄っぺらくて、口だけで、悪い時はその口さえ営業に劣り、聞き齧った数年前の業界知識をひけらかし、ちょっと名の知れたマーケッターなりクリエイターなりのセミナーに参加しただけで自分も同じ土俵に立っていると錯覚し、目の前の顧客を見ず、ユーザーを見ず、会社の偉い人だけにはニヤケ面でヘコヘコし、しかも内心では、イチ会社員に過ぎない立場にかかわらず、自分こそが会社を回しているかのような尊大すぎる自尊心を持ち、モデルや歌手やフォトグラファーに甚だ馴れ馴れしい態度で接し、要件定義もできずに言われたことをデザイナーに丸投げし、じゃあせめて何かあったときの責任くらいは取ってくれるかというと、それさえ下流の作業工程の人間に丸投げするという、まあ本当に、ほんっっとーにクソみたいな奴らばっかりだった。何回もこの「ディレクター」という肩書きにウンザリし、自己嫌悪し、自家中毒で吐きそうになりながら、結局まだここにいるのは、俺の目指す、俺が本当になりたい人物像を体現しうる職種が、ディレクターだけだからなんだろうな。
つまり、たくさんの案件をちゃんとこなしてきた人間としての深みがあり、人の話をよく聞き、だけど無理な案件を引いてきた営業には言うべきことを言い、最新の業界情報を一生懸命勉強して振り落とされないように努力し、セミナーではなく現場で四苦八苦し、その気になれば自分で手を動かしてデザインを作ったりコードを書いたりできて、顧客の気持ちに寄り添い、ユーザーにいい体験をしてほしいというギヴァーとしての精神に満ち溢れ、会社の偉い人をうまく転がしながら現場の意見をちゃんと通してくれて、だけどあくまで会社員として組織のために自分があると思っていて、モデルや歌い手やフォトグラファーの仕事に敬意を払い、斬新で、かつあくまで顧客の課題を解決することが大前提のアイデアに基づく要件定義ができて、チームのメンバーがなるべく早く家に帰れるように奮闘し、なにか問題があれば何の他意も打算もなく「自分が責任者です」と頭を下げられるという、そういう人間。もう一回だけ、そういうディレクターになれるように、頑張ってみようかなぁ。