はてなキーワード: 慰問とは
ねーよ。
本人の人柄や行動が立派でも、女系になっただけで皇室に手のひら返して敬意を捨てるって?
そんな薄情なクズはごく一部だろ。
結局女性宮家反対派の根拠って「昔からそうだから」以外に何もないの?
法的/社会的な位置付けも仕事の内容も服装も住んでるところも変わったのにそっちはスルーなの? ダブスタやん。
伝統を変えたら断絶するってなら、戦後に象徴天皇になった時点でもう断絶してるだろ。
つか「2000年間男系だった」って、「2000年間男尊女卑社会だった」ってだけじゃん。ただの恥じゃん。
時代を考えれば仕方ないんだろうが、今改めない理由にはならんよね。
直虎うんぬんも話にならん。なんで封建時代の家制度前提の話を持ち出してんだよ。
「外から嫁が入ってもストーリーは途切れないが、婿が入ると途切れる」ってどういう理屈なのか論理立てて説明できるのかよ。
まあ国民の総意に基づくんだから、国民の多数が抵抗感があるなら認めなくてもいいとは思うけど。
実際のところどうなんだろうなー。
万世一系なんて気にしている人が多いとは思えないし、とりあえず親子関係さえあればいいやって人が大多数じゃないの?
そもそも論を言うなら血筋をありがたがるなんてのは前近代的な恥ずかしいことだし、人は生まれながらに平等という人権思想にも反している。
とはいえ慰問に喜ぶ人もいるし、結婚や出産の話題があれば何だかんだで明るくなるから、そのへんはまあ目くじら立てず棚に上げてるのが今の天皇制でしょ。
マクロスデルタ、頑張ってるのは伝わってくるけどいまひとつ話が魅力に乏しい感じあるのなんでだろうって呟き。
日常の破壊はあったけれども。楽園のような場所が破壊されてもあまり感情移入できないし思い出にひたってもくれなかったし、戻る為に?か海が赤くなったりとか海猫が浮かんでたりとかそういうのもなかったし…分かり合うために敵をガチの敵にしないため?
世界の謎には一応まだ期待してる。敵の本拠地やら船やらはすごく好き。仁王立ちは当然好き。遺跡うんぬんには期待してる。
あと宇宙であまり戦ってないのもSFっぽくなくなってる一因ではあるとは思う後半に期待。
脇キャラは出番の少なさ故に逆に個性あって描写も絞られているけど、メイン3人が何が譲れなくて何を一番大切にしている人なのか今ひとつ共感できてない。
…とはいえ話が面白ければそれはっていうのもあるから今のところ保留。
強いて言うなら、ミラージュさんは実力コンプレックスもちならマックスと比べられたからって理由付け入れた方が楽しいのにって思う。
あとカナメさんが縁の下支えすぎ問題。人足りてないの?ワルキューレが慰問っていうよりは完全に人員扱いだったのも驚いた。
■歌エネルギーっぽい。
7と似た設定だなって思ってます。長々と時間使ってじわじわと話入れてった7と比べるのも如何な物かと思うのである程度は流すとして。
強制ゾンビ設定なのにいまひとつ怖くないのなんでだろう。最初から対抗手段があるからだろうか。
歌で異文化交流がシリーズテーマだから、戦場鼓舞の歌って基本的にシリーズで否定的に描かれている印象がある。歌が好きだから、戦争への「使用」を拒む。歌は異界との繋がりとして描かれて、味方以上に敵に向けられる。…って考え出したら、ワルキューレの歌に対する考えがよく分からなくなってきた。治癒を伴うとはいえ、応援歌の側面が今回は強い。というか異文化交流以前に、敵に対してあまり主人公陣が興味もってない印象がある。いっそフレイヤの幼馴染とか過去話とか入れといて欲しかった。
あと今回対抗手段に立てられていく過程すっ飛ばしてるからアイドル格好してる説得力が薄いね…。
…あと、シリーズ共通の「バルキリー」があるのに「ワルキューレ」と名づけたのは、気持ちは分かるにしてもどうかと思う。
でも(広義の)演劇界の豊かさには、知的階級もそうでない階級も同様に必要だと思うんだが。
社会問題に関心があって貢献してるような役者が本当に少ない。アイスバケツチャレンジも、ライムを齧るセルフィーも、バカがバカにしていたが、社会問題に関心がないほうがよほどバカだと思う。
最近は浜崎あゆみの刑務所への慰問なんかも話題になってるが、自発的に小児病棟を訪れるヒーロー(を演じた役者)達なんかと頻度も、自発的かどうかも、比べ物にならない。
日本には「知的階級」がもはや演劇界に割ける人員がいないほど少ない、というのも感じるが、どんな層にも広範な知識が必要というのを身に迫って感じている人がどれだけいるのだろうか。
キングの小説に出てくる殺人ピエロ、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ウェイン・ゲイシーは父親から常に完璧を求められ、少しのミスでも罵倒され続けた。
それでも彼は父を愛しており、父が求める完璧なアメリカ人になれば自分を認めてくれるだろうと思い、幾たびの挫折を乗り越え必死に努力して成功した。
福祉施設などを慰問し、子供たちの人気者になり、地元の名士としての地位を確立する。
だが父が自らの事を認めぬままに死んだとき、彼の精神は破綻し、33人の少年を殺害し、アメリカの歴史にシリアルキラーとして不朽の名を刻むことになる。
前置きはさておき、家族と30云年つきあってきてさすがに疲れた。
ここ数年間、精神科やアルコールの手を借りてまでどうにかしようとしてきたが多分もう無理だ。
近いうちに何も言わずに引っ越し、電話番号も変え、名前も変えようと思う(こういう時に外国人みたいな変わった名前であるというのは許可がおりやすくてラッキーだ)。
うちの両親が悪人なのか?と聞かれればいささか戸惑う。
彼と彼女は一個人としては極めて優秀な能力をもった人間であり、社会的地位も年収も僕とはくらべものにならない。
そしてこのタイプの人間の多くに見られるように(ワタミが典型例)自分自身の相対化というものがなく、自分ができることは他者もできるものであり、そうでないのは努力や精神力がたりないから、という風に考えている。
そして子供の立場からすると最悪なことだが、起きた出来事=その人間の人格として考える、「状況だのなんだのいうのは甘え、自分の人生はすべて自分で責任を負うべき」という思想がある。
「部屋が汚い」→なんでこんな当たり前のこともできないのか。お前らは狂っている
といった具合に。
こういう親とずっといると子供も同じ思想に染まってしまうが、すでに罵倒され続け自尊心というものを奪われているので、ゲイシーのような一部の強者を除けば両親のマネをして成り上がろうとするも失敗する=自分の存在意義の全否定になる為にたいていの場合、努力するのが怖くなり、逃げてしまう→俺は両親があたりまえにできたこともできない屑という風になり自尊心のデフレスパイラルに陥ることになる。そしてそれをみた両親はまともに努力もできない屑と見て(以下略
僕と兄はずっとこの状態だった。
必死に努力しようとしても怖くて仕方がなくなり、手がつかず「それでもあんな両親みたく立派になるんだ」などと愛情を抱いていた。
兄は勉強で頑張ろうとしたが、失敗し、ネトウヨになり、両親の代わりに関係ない在日に対して憎しみをぶちまけ続けた。
その後はヤのつく自由業になって成功し、今度は「金こそすべて」という価値観に逃避した。
そして生まれた子供に対して「こいつは俺が完璧に育てる。最高の教育を受けさせて海外で働けるような完璧な人間にする」と、かつて自分自身が親にされたのと同様の事をやろうとしている。
僕は普通に働いていたが、数年前から不眠症、アルコール依存、鬱を発症し、精神科やらカウンセラーのお世話になった。
そこで、起きた出来事=自分自身の人格な考え方(典型的なアル中やうつ病の人間の発想らしい)を指摘され、初めて自分自身のゆがみに気づき、修正していくようになり、だいぶ回復した。
なんだかんだでこの数年間で学んだのは「人間は結局全てを背負う事なんてできないし、色んな状況で成り立っている。そしてすべてが自分の責任という発想は宿命論を呼び込んで物事に対する選択肢を奪い、改善の余地もなくし、他者や自分自身を許そうという発想も出てこない」というごくごく一般的なことだった。
まあ先の例でいうなら
「部屋が汚い」→「俺は屑だからできない」
「部屋が汚い」→「動線の確保はできているか?ごみ箱を増やしては?本は電子化。ルンバ購入して楽しよう」
といった具合に変化したわけだ。
で、先日そのことを両親に伝えたところ「いろいろつらい思いをさせてすまなかった」・・・などということはなく「お前は自分自身で責任を負わず、親に責任転嫁しようとしている。そういう甘ったれた考えだから、アル中や鬱なんかになる」「精神科医なんてのは責任をそらして甘やかすのが仕事。お前はそれに洗脳されている」などと言われた。
特に「お前は6歳の頃、勉強をやれと言って課題を与えてもやらなかった。俺はそれが信じられなかった。そういう無頼な生き方が現状を招いたのにそれを他人のせいにしようとしている。うちは普通の家庭なのにおまえらだけが異常だった。普通の子供なら親にやれと言われたことはやる。我々は普通の子供が欲しかった」と言われたときに家族を捨てることを決意した。
僕と兄が育ったのは普通の家庭ではなくたった一つの事で六歳のガキんちょに異常者のスティグマを張るような家庭であることにようやく気付いた。
子供のころから特別に優秀な人間になって両親に認められたら幸せになると思っていたが、結局僕の幸せは「家族と関わらず、静かに日々の生活を送ること」なのだろう。
収入が下がるのは痛いがこのままこれを続けると遅かれ早かれロード・オブ・ジョン・ウェイン・ゲイシーに乗っかる予感がする。
長々と駄文にお付き合いさせてごめんなさい。
結局一言でまとめるとこういう事になる。
「我々は一見して家族のようであったが、残念ながら異なる惑星の住人だった」
追記1
部屋の掃除のたとえが誤解を招いたようですいません。
両親とは就職して以来、近所ですが別居です。
追記2
反響がとても大きくて驚いています。おそらく僕の文章云々ではなく、家族との関係に悩まされている人が想像以上に多いのだろうと思います。
釣りだとおっしゃってる方もいらっしゃいますが、本当に釣り宣言でもできたらどれだけ楽かと思いますw
ジョン・ウェイン・ゲイシーの例は自身の投影というよりも、自尊心を奪われた人間の行動の一つの極北として記しました。
自尊心を傷つけられ続けた人間に残る憎しみというのは消すことができないし、それは兄やゲイシーのようにまったく無関係な人間に向けられるか、僕のように自分自身に向けられるかの場合がほとんどであるように思います。
残念ながら自分を傷つけた人間に返して、謝罪なりされて許してハッピーエンド、といなるのはなかなか難しいのではないでしょうか。
あと、ブコメ欄で舞城王太郎の「奈津川家サーガ」に触れていた方がいらっしゃいましたが、僕自身がうちの家庭や自分は普通ではないのではないか?
と疑念を抱いたのが、この本の元ネタになった村上春樹が翻訳した「心臓を貫かれて」だったりします。
内容はこれまた殺人犯ゲイリー・ギルモアの家庭について弟がしるしたもので虐待を受けた親がそれを子供にそのままぶつけ、子供たちは自分自身にぶつけるもの、無関係な人間を殺したり、みんな一様におかしくなっていく様を記したもので我が家に似ている部分が多々あり非常に衝撃でした。
まあ三十年以上問題がある家族と過ごした身としていえることは「対話による解決は難しいだろうし、まず逃げ出すことを考えた方がいい。」ということでしょうか。
時間が解決することもあればしないこともありますが、こういう生活は常に毒を飲み続ける生活に似ていますし、どんな人間でも毒に対する耐性には限界があります。
そしてその貯めこんだ毒は自分自身のみならず、周りにも向けられるものでもあるのです。
僕は自分自身が家族をつくったとして、その毒が子供や伴侶に向けられ、その子供が家庭をつくってさらに毒の拡大再生産をするような事態に一番怯えています。
表題の「家族を捨てることにした。」というのはそういう意味では今ある家族のみではなく、将来家族を作るという選択肢を放棄するという意味でもあります。
さて最後に暖かいご意見をいただいた方も厳しいご意見の方も、ろくでもない我が家の家庭事情にお付き合いいただいた全ての方に感謝を。
ありがとうございました。
「このページは戦時の強制連行・強制労働についての調査研究を紹介します(竹内)」とのこと
ラバウルヘは軍隊「慰安婦」も連行されていた。全北茂朱郡出身の朴さんはソウルの「職業紹介所」に売られ、野戦病院での洗濯や看護をした。三年働けば借金を返還できるという「慰問団」への参加を持ちかけられ、釜山・下関を経て、ラバウルに連行され、性の奴隷にされた(証言・FAS翻訳史料)。ほかには、「紡績工場への就労」という言葉でだまされ、下関、広島を経てラバウルヘと連行され、二〇人の女性たちと教会に設営された「慰安所」で性奴隷を強要されたケースもある(『ハッキリ通信三』日本の戦後責任をハッキリさせる会、一五~一六頁)。
兵士の証言には、一九四二年ころラバウルには約一〇〇人の慰安婦がいた、一九四三年には大連からラバウルヘと「ウラル丸」で約六〇〇人の女性(韓国、台湾、中国)が連行されたというものある。その実態の詳細は不明であるが、多くの女性がラバウルなどで性奴隷とされていったとみられる。