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はてなキーワード: 慰問とは

2021-06-16

anond:20210616184132

台湾には提供したじゃん

それともなんだ

台湾北朝鮮とで、人種で人の命の重さが違うのか?

311のとき北朝鮮日本にやさしい言葉をかけたのに日本は恩を仇で返すンだな

建前のきれいごとすら出来ないとか与党政治家小学生かよ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C#%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2

北朝鮮朝鮮赤十字会は14日、日本赤十字社の近衞忠煇社長に「貴国の東北部地方で発生した前例のない地震津波により、多くの人命被害物質的損失があったという不幸な便りに接し、朝鮮民主主義人民共和国赤十字会の名であなた被害者、その家族に深い同情と慰問を伝える」とお見舞いの電文を送った。北朝鮮東日本大震災について公式コメント

25日には朝鮮総連許宗萬責任副議長日本赤十字社を訪れ、北朝鮮から送られた義援金10ドルを近衞忠煇社長に手渡した。朝鮮中央通信は、北朝鮮が今回の震災支援として金正日総書記名義で日本赤十字社に10ドルを、在日同胞在日朝鮮人)には50万ドル義捐金を送ると報じている[54]。また、朝鮮総連は、被災した在日朝鮮人のために「総連中央緊急対策委員会」を設置、安否情報収集支援に乗り出している[55]。

2021-06-01

五輪開催の是非が議論俎上に上らなさすぎるんだが

五輪に反対する前提の論調ニュースや、意見表明は幾らでも見るのだけれど「五輪が開催可能なのか?」「やるとするなら、どうあるべきか?」って議論が為されないまま、粛々と運用方法けが決まっているように思う。

五輪反対の人たちにとっては本意ではないのは当然だと思うが、賛成派にとっても議論が尽くされていない気がするのは不安だと思うんだが、どうなんだろう?

開催するとしたら、どんなふうに行われるのか?って情報に、国民はついていけているんだろうか?

五輪を開催してもいいのか?というテーマで考える時に着目すべきは、やはり感染拡大に繋がるのか?ということ

五輪感染拡大に繋がるのか?医療をひっ迫させるか?

良く反対派が口にする「十数万人の外国人が移動して感染拡大させる」「東京五輪変異株が生まれる」という不安がある、それが事実であるならば五輪開催なんて言語道断なのだが、実際のところはそうはなりそうにない。

と言う感じなので、後の問題は、海外から観客を入れるかどうか?が焦点であったと思う。個人的には、これがどうなるかで賛否を決めようと考えていた。

海外から観客を迎えるなら、当然のことだが反対だ。


だが、3月20日に迎えないと決めた後も、迎える事に決めたという報道もなく、むしろ外国人向けアプリの開発を縮小したなど観客を迎え入れない方向で修正が進んでいる。

となれば、重症化しやす高齢者へのワクチン接種は7月に終わる見込みであるということなので、万一の際も医療をひっ迫させる要因は相当部分が消えたという事でもある。

現在の主力のワクチンファイザーは、接種後の再発症率は1%未満とも、1年後のワクチン有効率も97%ともいわれるので、海外の観客を受け入れるのであれば国民の60%くらいはワクチン接種済みであってほしいが

海外から観客を受け入れないのであれば、仮に選手2万人入ってきても陽性になる可能性があるのは200人以下だし、十分に隔離対応可能だ。国内での感染拡大に対応した高齢者への接種推進で十分だろう。


国内の観客を制限付きで受け入れるだけならば、プロ野球Jリーグと大きな差がない。1日で10万人が試合会場に向けて移動するにしても、1日300万人から出勤してくる東京の移動人数からしたら誤差でしかない。

観客に対して陰性証明を求める、という案も検討中らしいが、実現するとしたら、プロ野球サッカーよりも厳しい条件になるので、ますます問題がない。

またパブリックビューイングもやらないということらしいので、人数は相当に制限を受ける事になる。毎日300万人がウイルスを運んで流入してくる東京からすれば、なんということもない条件って事になる。


海外から観客を受け入れないのであれば、五輪理由感染拡大なんてしないし、五輪理由で各国の変異株が感染拡大することもないとしか現状の情報からは考えられない。

いずれ出勤による移動で、東京変異株なり大阪変異株が生まれない保証はもちろんない。300万人がウイルスの運び手なんだから、何だって起こる。

五輪反対派に私が望むたった一つの

それは海外から観客を迎えないという事を確認するとか議論を深める事なんだが、そういう行動が為されている様には見えない。

昨日も、共産党小池が「選手村と名前を替えれば居酒屋でも酒類提供できるのか」と批判をしてたが、これこそ反対派の方が怒ってしかるべき馬鹿批判だと思う。

ワクチン接種済みの選手が、宿舎で酒を飲むことが問題だとすれば、ワクチン接種がまだの我々日本人が自宅で酒を飲むことも禁止すべきと言う事になるが、それがお前の主張ですか?と言いたい。

この手の質が低い批判をしても、共産党支持層が喜ぶだけで国民には何も得るものがない。

枝野LGBT法案に対して、「五輪開催前に成立させるのが、五輪の本旨にかなう」と、五輪開催前提でいるようだし、パフォーマンスにすぎないのかもしれないが

とは言え、小池がアホな事を言ってる一方で、運用する側の与党官僚から、「海外から観客を入れない」というような重要な決定が粛々となされ、与野党での議論もないという現状には

どうなるのかって不安に思いつつ日々見守ってる国民としては、失望する想いですよ。やっぱり立憲共産党には政権担当能力がないのかなと。

2021-04-06

anond:20210406135255

20分前に出社してみんなの机を拭いてからお茶を用意

お昼も忘れずにお茶を出して3時にはおやつを配る

夏の慰問旅行では持てない男子社員性的奉仕をするように

2021-01-13

anond:20210113045733

>1番大変だし優先すべきは医療現場自粛に協力しなければいけないということは頭では理解しているし、実際に、行政に求められている水準に基づいて自粛はしている。

緊急事態宣言中に舞台俳優の仲間と計画して来月から慰問をするとか。病院介護施設アクリル板を持ち込むやりとりをしたり。Lalalandとか観たと思うけど、受け身じゃごはん食べて行けないよ!がんばって!

2020-09-17

anond:20200916235627

それは分からんなあ。俺は議員仕事内容に詳しいわけじゃないし、その人にとってどこまでが適切で働きやす職場であるかは、本人や周囲の人々、理解者や支持者がみんなで決めるもんだ。別に絶対なっちゃダメだとか言うわけじゃない。でも不自由な人は大抵の場合身体的都合と業務内容を考慮したら自ら辞退を考えるラインというのがあるもんだろう。なにか障害者に対する社会的な機運が高まっている状況なら全然あり得るだろうが、普通合理的に考えたら本人も手を挙げないし周囲も勧めない。もちろん俺が想定してるのは介助なしに動けないレベルの重度の障害者であって、問題なく遊説とか慰問とかサミット参加とかできて立派に弁舌を振るえる類の障害者まで含めてるわけじゃないぞ。足が不自由車椅子くらいなら全然後者障害者とは言わないが、重い病気職務継続できなくなったら首相をやめることは普通によくあるだろ。それと同じことを言ってんの。

2020-08-18

やっぱ世界不公平

数日前に長崎の高3が産まれの差とか書いてバズってた

昨日日テレ番組EXILEMATSUの紹介が流れてた

凝り性でなんでも極めちゃう実家造園業金持ち小学生の頃はファミコンソフト1000本。20代も遊び歩いてた。でも結婚して子供出来たら生活変えて少年院慰問もしてます

なんかテンプレな『同窓会で昔虐めてた奴が謝ってきた』系じゃん。歌は歌えないしダンスも半端、演技は下手だけど劇団w そして今は真面目になりましたアピール

でも、こういうのに金集まるんだよね。結局実家が裕福なのが全て。たぶんコイツに泣かされた奴はたくさん居るだろうし、コイツは今後適当に生きても適度に仕事も入るだろうし、ノータリン底辺信者も多いだろう

どんなに努力してもこういう適当なのが一番いいとこ掻っ攫うだよね。成功者努力してる!とか言うけどコイツ努力とかレモンサワーの一気呑みと炭水化物食べない程度だろ?もう少し演技の努力しろよ。劇団w

なにより、こんな世間知らずな親ガチャSSR少年院慰問とか聞いてる子供たちが不憫すぎる。ただ昔はワル自慢&親バカ聞かされるんだろ。再犯率ヤバそう

2020-07-03

anond:20200703185350

たとえば

1945年8月15日できっぱり「戦前的な価値観」は消滅たかと言えば

そんなことはなく、教育勅語軍人勅諭を叩き込まれ復員軍人

戦後もしばらくあちこち職場軍隊価値観実践していた

明治元年できれいさっぱり武士の習慣は滅んだわけでもなく

私的個人的ちょんまげを結い続ける人や

維新以前の教育方針ほとんど変わりない教育方針

武道道場やら朱子学を教える私塾などを運営する人は大量にいた

鎌倉幕府ができた瞬間に平安貴族死滅したわけでもなく

京都公家にはその後も平安時代と変わらん感覚人間大勢いた

わかるかなあ?

1989年1月8日でいきなり世の中ぜんぶリセットされたわけじゃないんだよ

地方で当時40代以上のおっさんばかりの職場なら

平成10年ごろまでは職場精神空気は「昭和価値観」そのまんまで

そこから昭和の気風というものがおおむね類推できる(全部ではないが)

たまーに一部のネタウヨ

終戦時に小学生だった世代より俺らの方が戦前戦中を知ってる」

とか偉そうにドヤ顔するけど

そういうのは大抵、大東亜戦争の意義がどうのとか大本営真意はどうのとか

大局の話ばっかりで、軍隊内のイジメ上下関係軋轢、銃後の食糧

慰問袋を作ってた人たちの日常勤労動員させられてた人たちの日常

そこでの苦楽(単にひもじかったとか疲労したとか、物資が不足して

病気がろくに治療できなかったとかの肉体的に辛かった経験

とかの細かい実感的デテールはすっぽり抜け落ちてる

終戦時に小学生なら少なくとも親兄弟就職後の数年歳上の世代から

書物によらない直接に耳で聞いた知識としてその辺がたっぷり身に染みてる

平成元年に18歳でも

平成生まれ正真正銘アニメで見た知識だけで語ってる奴よりは

昭和職場がわかってるつもりだぜ

ことに地方高卒就職した身とあっちゃね

2020-04-17

労働者慰問愚痴を言う人

「近頃のワーカー慰問は……」

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-01-09

オーストラリア火災はどう防ぐか

「スコモ」とは何かご存知だろうか。スコット・モリソン豪首相あだ名である。今回の大規模火災によって、スコモは恐らく歴代でも稀に見る無能首相として名を残してしまうだろう。

まず、今回の火災は前もって推測されていたのにスコモ政権無視したことが一点。元環境大臣などが、今夏の激烈な山火事の予想とその対策を進言していたがスコモはそれを無視してしまたことが報道され国民はスコモへの不信を募らせた。

その後火災が起きている間スコモがハワイバカンスを楽しんでいたことが一点。最初隠蔽されかけたが結果として世界に知れ渡った。スコモ本人は、場当たり的な対応をするために自分が居るわけではないと反論したが、諸外国への支援要請など彼の立場でできる事はいくらでもある為多くの国民は納得しなかった。慌てて慰問に訪れたスコモが現地の女性握手を拒絶され叱責を受ける姿が報道されたが、あれは多くの国民の心に響いたのではないだろうか。

また、イランミサイル発射後、即座にアメリカへの協力声明正式な書面の画像付きでツイートしたスコモに対して、「国民他国の争いに利用する事には即座に対応し、危機的な火事無視か」と批判が起きた。

今回の火災の中心であるニューサウスウェールズ州首相レジクリアンは、クリスマスまでは#KoalaKillerというハッシュタグとともに強く批判されていたが、スコモがやらかしたせいで批判の多くがそちらに移った。

とにかくスコモはすぐに豪首相の座を降ろされるだろうし、与党自由党から労働党に変わるだろう。

さて、今後は山火事対策もっと真剣に考えるんだろうけど、どうしたら良いんだろうね。スコモ無能っつってもオーストラリア広すぎだし。山火事といえばカナダも例年苦しんでるからお互いノウハウを共有したらええんちゃうの。知らんけど。っていうか上にペラペラ書いたの全部適当から。騙されたやつバーカ。

2019-10-24

天皇制廃止案 草案

自分自身積極的天皇制廃止論者ではないが、思考実験として天皇制廃止する具体案を考えてみる。

やること

日本国憲法第1条から天皇という文言を消す。

やらないこと

天皇という文化廃止しない。

具体的内容

天皇のこれから

・『公益社団法人 天皇家』を作り、皇居を含めた皇室財産天皇家に移管する。

・国は天皇家より皇居土地を100年契約で借り上げ、その場所皇居自然公園皇室歴史博物館を建てる。

皇居地代を使って、天皇家は新嘗祭などの祭事や全国の慰問活動を続ける(事もできる)。

皇居地価23兆円、これは2019年の(宮内庁皇室費)約130億円の1700年ぶんに相当する。

10円玉仏教のお寺(平等院鳳凰堂)が刻まれてるように、菊の紋など国の所々に残る神道的な要素も文化として受け入れ、排除はしない。

天皇制の代わり

・今まで天皇が行っていた国事行為(署名や押印、儀礼外交)を行う大統領職を設置する。

・初代大統領は特例として天皇が務める。

大統領任期は8年とする。再任は禁止

・二代目以降の大統領は、参議院議員立候補者の中から国民が直接投票で決める。

大統領立候補する参議院議員所属政党から離党しなければならない。

大統領就任した者は従来の天皇と同様に政治的発言は慎むことが求められる。

大統領署名や押印を拒否した場合大統領罷免されすみやかに選挙を行う。

内閣総理大臣任期を2期8年までと憲法制限する。

Q and A

Q なぜ天皇という文化を残すのか。なぜ優遇し続けるのか。

A 政治と適切に分離できれば無くす理由はなく、日本にとって貴重な文化から

Q せっかく天皇制廃止したのになぜ大統領制を設けるのか。

A 天皇制喪失により総理大臣権力権威の両方が集中するのを防ぎたいから。

Q なぜ初代大統領天皇にするのか。最初から投票制にするべきではないのか。

A 天皇制日本国と大統領制の日本国が連続した国家である事を表すための特例。同じ国家から条約も守り続けるし、歴史継承する。

権威デメリット

anond:20191024062803

愛子ちゃん小学校いじめられた件で、加害者児童家族が無事かどうか気になる。

自分の子どもがいじめっ子になったら親は辛いだろうが、この件ではそれに加えて、

皇族という究極の権威危害を加えたわけだから加害者家族や親類は想像を絶する

苦しみに苛まれたのではないだろうか。宮内庁はその後加害者家族フォローをしたに違いないが、

ともあれ皇室に究極の権威が伴うせいで、加害者家族は1の罪に対して1000の苦しみを味わうことになった。

 

皇族被災地慰問すれば被災者が大喜びするから皇室にはメリットがあると言う人がいるが、

逆に皇室の威光が市民に甚大なダメージを与えてしま可能性を想定しているのだろうか。

2019-07-09

コスプレとKIMONO、叶姉妹真木よう子、あるいは文化の盗用とは?

コスプレ VS KIMONO(補正下着

ちょっと古い話題だけどさ、アメリカタレントがKIMONOと言う名前で補整下着販売しようとして流石に批判喰らって引っ込めた件あったじゃん?

流石の京都市もブチギレ、みたいなやつ

https://www.huffingtonpost.jp/entry/kyoto-letter-to-kim-kardashian_jp_5d16adf2e4b07f6ca57d66d1

この時「これが文化の盗用か」みたいな反応を結構見たわけよ。

これはどういうことかというと、前は外国人日本人に対して文化の盗用でしょそれと言われてもイマイチピンとこなかったわけよ。

例えば、コスプレ的な形で、日本人になりきるようなイメージで扮装している人、例えば京都舞妓体験とかああい話題の話。

これを日本人ではなく、外国人文化の盗用である批判して、一方で日本人からの反応は「別にいいじゃん。なんでそう言うこと言うの?。わからない」って反応が多かったわけ。

この時、文化の盗用とは何か、と言う事が理解できなかった人が、その文脈理解したと言う話みたいね

でもさ、この二つ、本質的に何が違うと思う?

叶姉妹 VS 真木よう子

さらに古い話題だけどさ、真木よう子氏が商用出版社の人々と組んでコミケに出ようとして、批判が集まった件あったじゃん?

https://biz-journal.jp/2017/09/post_20435.html

(ただしソースサイゾー

だけど、似たような形で出てきたのに叶姉妹があるわけよ。

小林幸子氏は、ファンがいるならばどこまでも、刑務所慰問からコミケブラジルまでどこにでも行く人なので、ちょっと文脈が違うと思う)

真木よう子氏も漫画とか好きなようだったし、叶姉妹のアレは明らかにガチっぽい感じがある。

ただ、ガンダムが登場して40年、当時の大学生還暦を迎えている事を考えるとオタクなんて珍しくもない。

しかし、この二人、明らかに対応が分かれた。

何が違うと思う?

何が違うか

まぁ、何かが違うかは明らかなんだけども、でも上手く言語化できない。

ここら辺、ブランディング成功失敗にも関わっていて、何か冷静に分析されたものがありそうなんだけど何かないかな。

愛があるかないか、と言う話で整理するのはいいけど、愛という言葉は幅が広くて便利だけど曖昧で、何かもうちょっと良い分析というか取材がないかしら。

と言うのを、時前のグッズにKIMONOと言うブランドを付けようとしたアメリカタレントが、叶姉妹劣化版みたいだな、と思った所から徒然と連想した。

2019-03-17

anond:20190316220403

三浦さんなら政治家に媚び売るときの服で慰問すればみんな喜びそう

2019-03-15

マクロスフロンティア劇場版を見た(後)

anond:20190315022042 の続き。

劇場版マクロスFサヨナラノツバサ

ストーリー

本当にTVからガラッと変わった。途中まで、ギャラクシー侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前髪型クーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島まさかここまで有能であったとは。TVから反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島死ぬけど。

そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカシェリル役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルメインヒロインに固定された。

劇場版役割と設定が整理されストーリー単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリルシェリルに惹かれるアルトスターダムを駆け上がるランカから終盤への流れ(シェリル行方不明ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!

ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリルアルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーロウイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。

ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルト恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。

バルキリー

冒頭のバジュラの巣の攻略大気圏内でのマクロスクォーターサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーセオリー様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロス様式美否定するような非常に地味ないぶし銀描写がよかった。

三角関係!決着!

TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、

思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!

ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……

初見ときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリル脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトシェリルのことを愛している設定でTV世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。

そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。

サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリアからまり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しいGet it on光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーロウ」、そしてエンディングお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまたことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティ教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。

それから見ていて気になったのがライブ演出演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワークカメラ歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田PCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分ライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。

そしてもう一つ気になったライブアルカトラズ刑務所での「星間飛行からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカリー星間飛行を聞きたいのならばCDPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロス伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。

増田理解としてはマクロスメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大人間奇跡を起こすことができる。そのリアリティSFをコアに持つマクロスメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。

この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶTV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れたゼントラーディ部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説ライブである。このライブ演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘Get it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)

蛇足マクロス7のこと

増田マクロス7のサウンドブースター演出違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器ビーム兵器バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道マクロスフォーマットストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまたことも同様。作品テーマとして武力否定ラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。


最後になぜ増田シェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。


次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。

2018-12-16

忠臣蔵反体制

https://togetter.com/li/1298767

忠臣蔵の人気が衰えたのを良いことだと思っている人は少なくない。

これ、300年経って幕府の思いが実現したってことともいえるw

赤穂事件が起きた当時、庶民喝采したけど幕府は「治安を乱すゆゆしき事件だ!」と怒り、それで赤穂浪士たちは切腹させられた。

四十七士がやったことは直属の上司への忠義を尽くすことであっても、幕府に対しては反逆行為だったわけね、だからこそ庶民は「今どき見上げた武士だ」と喜んだわけ。

当時の武士はすでに保身的なサラリーマン化してたのに、庶民の方こそが忠義を重んじる古くさい価値観美徳だと思ってたわけだ。

仮名手本忠臣蔵登場人物が、史実とは異なり室町時代出来事にされてるのも、幕府がこの事件美談として広めるのを嫌ったせい。

から戦時中とか四十七士が忠君の模範みたいにもてはやされたかといえば、そんなことはなく、陸海軍の偉い人たちは慰問忠臣蔵講談とかやるのを嫌ったという。

宮仕えの人間組織上層に逆らっても直属の上司のために戦うってパターン、よく考えたら、パトレイバーでも攻殻機動隊でもこれに近いことやってる。

そう考えると、忠臣蔵って今も形を変えて存続してるのかも知れない

2018-07-12

anond:20180712221543

とりあえずトイドローンにお手製の爆弾をつけて(全然強力でなくていい)慰問先とかを狙って

天皇を爆撃すればネオ麦茶くらいには歴史に名を残せると思う。

2018-07-04

anond:20180704170702

なかなか難易度高いだろうな

災害慰問セキュリティ甘くなってるタイミングとかじゃないと狙えないんじゃないか

2018-03-23

天皇制必要ない

最近ちきりんという人が天皇制は素晴らしいという記事を続けて書いていて、多少納得する点もあるけど、ここであえて反対の論陣を張ってみようと思う。

天皇制はいらないという理由は以下の通り。

身分制度肯定

まあこれは全ての君主制に言えるけど、

まれた時から一部の人が何らかの特殊ステータスを持っているというのは

今の日本平等民主主義人権擁護原則にそぐわないよねという話。

性差別的な継承制度

歴史的女性天皇がいたにも関わらず現在ルールでは女性天皇になれないし、

女系ダメというのも歴史的文脈以外の合理的理由づけはない。

女系男系君主としての資質に差が出るのか?

国の「象徴」が性差別イデオロギー生産し続けるのはどうなのと。

天皇制非人道性

皇族は各種基本的人権保障されていないため、言いたいことも言えず

まりにも責任の大きい仕事をしなくてはならない。

今の日本平等民主主義人権擁護原則にそぐわないよねという話。

さらに、日本独自の状況として皇位継承者とその妻は子供を産めというプレッシャーも相当なもの

皇妃と皇太子妃に期待されている素質は文字通り「産む機械」となること。

精神を病む人が続出するのも頷ける。

将来の天皇資質

今上天皇君主としての資質国民に寄り添う姿勢歴史的にも世界的にも最高レベルなのは疑いない。

だが将来にも渡って彼のような国民から支持される天皇及び皇族が出てくるのか?

歴史的精神を病んだ王族は多く、日本はすでに皇太子妃がダウン。

これから皇族の子供たちは現代社会監視プレッシャーに耐えられるのか?多分無理。

摂政を置いてもいいがそれで国民の支持が得られるのか。

皇室外交意味がない

日本民主主義国、他の君主制国家も大体民主主義

間接的とはい国民意思政策決定されるのに、王室同士で付き合う意味が本当にあるのか?

1913年にはロシア皇帝イギリス国王ドイツ皇帝の娘の結婚式に一緒に出席して仲良くしていたが

全く意味はなかった。ちなみに彼らはいとこ同士である。100年前の半独裁国家でさえこれ。

日本皇室世界で支持されている?まとめサイト以外のソースplz

歴史的価値をどう評価するか

ちきりん氏はとにかく歴史けが正統性の源であり、

それゆえ昔から続いているものを変更するなんてありえないという主張だが、

そもそも現状の天皇制自体明治憲法戦後体制ミックスで作られたもの

それ以前の歴史を見れば極めて異質な制度になっている。

女性天皇複数いたのもそうだし、過去天皇はみな仏教徒で、好き勝手引退し、好き勝手継承者を選んでいた。

もし昔の天皇が今と同じように後継者問題に悩まされていたら女系だってなんだってありだったろう。

政治的にも親政院政、なんかよくわからんが偉い人、神聖不可侵大元帥コロコロ変わっている。

女系男系議論にも関わってくる話だが、天皇制正統性歴史的文脈だけから来るものではない。

天皇現在地位国民の総意に由来するもので、天皇がどのように職務を務めるかという点が今の国民天皇制への支持の大きなポイント

その点を今の天皇は非常にうまくやっている。平成になって天皇廃止論が鳴りを潜めたのも現在天皇国民に近づこうという姿勢があるから

阿呆天皇になったらいくら歴史があってもだれも支持しない。

逆に言えば今の天皇職務をうまく果たせる人なら役割を果たせる。

天皇制以外の元首可能

ちきりん氏は「『民主的な、差別のない方法天皇を選ぶ』なんてことをしたら、誰もそんなもの価値を認めなくなる。」と書いているが、

実際そうとは言い切れない。いい例がカナダ総督(ガヴァナジェネラル

カナダ総督憲法君主役割をはたしていて、任期は五年、実務上は首相が選ぶわけだが、

現在は元宇宙飛行士女性フランス語話者、その前は英語話者の高名な学者

その前は元ハイチ難民フランス語話者黒人女性ニュースキャスター

その前は中国系女性が任命されている。

民主的な、差別のない方法天皇を選ぶ」を地で行っているわけだが、

価値が認められなくなるどころか逆に多様性とその理念から幅広く支持されている。

歴史こそすべて!英国王室最高!ならカナダもそうできた。

まあ日本カナダでは歴史社会も全く違うわけで、いきなりカナダ風人選を日本に持ってくると

向井千秋滝川クリステル、CWニコルのような人選となり支持されるとは思えないが

無党派である程度業績と知名度のある人を

日本人の代表」として天皇が今やっている職務外交被災者慰問等を

任期を区切ってやってもらうというのは十分可能ではないか

さら現代価値観に配慮した人選、世界活躍した人の人選は他国からの人気も天皇以上に十分期待できる。

2018-01-08

明日予言(外れる事を願って)

日韓合意破棄は回避見通し 韓国、首相の慰問求める案も

 韓国の康京和(カンギョンファ)外相は9日午後2時から慰安婦問題の最終的で不可逆的な解決をうたった2015年の日韓合意をどう扱うかについて、一部を説明する。同国外交省が8日発表した。文在寅(ムンジェイン)大統領未来志向日韓関係を強調していることに配慮合意の破棄や再交渉求めない見通しだ。

 日韓関係筋によれば、合意を維持したうえで、「日本政府責任を痛感している」などと記す合意精神に基づいた履行を日本側に要請する可能性が高い。安倍晋三首相らに対し、元慰安婦らを慰労するための訪問手紙の送付など、「誠実な履行」を求める形で事実上の追加措置を求める案が浮上しているという。

 外交省の措置は、文大統領が10日に年頭の記者会見を行う前に、懸案を整理しておく狙いがある。

 日本外務省金杉憲治アジア大洋州局長は8日、ソウル韓国外交省の金容吉(キムヨンギル東北アジア局長会談したが、韓国政府の新たな方針については聞かされていないとした。金杉氏は「合意の着実な実施を求める」と改めて記者団に強調した。

 日韓合意を巡っては、韓国外相直属の検証チームが昨年末に「合意は不均衡」とする検証結果を発表。文大統領は「この合意では問題解決されない」との声明を出し、今月4日に元慰安婦らに謝罪した。日本側は「合意の維持以外、受け入れられない」とする立場韓国側に伝えている。(ソウル牧野愛博)

引用の太字部分は朝日新聞の願望だけど、これ、外れると思う。つまり合意破棄、もしくは、破棄と明言しないまでも実質的な破棄宣言が発表される事になると予言する(外れる事を願って)。

理由は、朝日新聞韓国における情報源基本的韓国保守勢力依存しているという点にある。

具体的には、自由韓国党(パククネ元大統領が在籍していた党)の幹部朝鮮日報といった保守系メディア

まり朝日新聞韓国カテゴリの「○○とみられる」「××の見通し」は大体が韓国保守の願望に基づくものと思っておいていい。

さて、ムンジェイ政権どんな政権かというと、保守勢力の根絶のためになりふり構わない政策バンバン打ち出している真っ最中

おそらく、韓国未来永劫日本と友好関係を結べなくするための決定的な一撃を、明日お見舞いしてくると思う。

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170604031618

いやいや何を勝手主語を大きくしてんだよ。

私たち臣民って何言ってんの? 頭戦前なの?

慰問とかやってるから俺は天皇制を受け入れてるが、やらないならぶっちゃけ税金無駄だし廃止でいいよ。

祭祀なんてやってること自体ほとんどの人間が知らねーし意義を感じてないだろ。

宮内庁活動紹介でも一番下だからな。

本題の口出しがどうかって話は、まあ今回の程度ならいいんじゃないの。

もう年だし引退したいわーってのは大抵の人間共感するしな。

自分仕事ことなのに口を出すな意見も言うな外部の有識者が決めた通りに行動しろってのはなんぼなんでも非人道的すぎるわ。

憲法問題とかに口出し始めたらさすがにどうかと思うけどさ。

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