はてなキーワード: 感染ルートとは
第一声がそんなことはないだった。
3月上旬、いや中旬までの誰がどこでどんなルートで執念深く終えた時期ならばともかく今このような状況でできているとも思えない。
タクシー運転手が屋形船で……そんな道筋を執念深く追っている状況ではなくなったからだ。
正直なところ劇場から感染者が出ていないと私は思えない。出ているかもしれない。出ていてもおかしくない。もはや誰にもわからないのではないかと思う。
検査キットが足りない、保健所に電話がつながらない、そんなニュースを見る中で劇場での感染者は報告されていません。これは断言していい事なのだろうか。
毎日流れてくる情報には今や人数しかない。今日は何人。50人で多いと思っていた日から、もう3桁が当たり前になってしまった。男女比も年齢層も感染ルートも明記されていない。クラスターと呼ばれる集団的な感染があると、特集の様に報道される。このクラスターが劇場で発生したというニュースは確かに見ていない。ただ、それだけだ。
正直なところ、この後に及んで感染した人の行動経路の中に劇場が含まれてた人が0なはずがないと思ってしまう。が、そこで感染したとしても劇場だと断言する術はない。
ニュースでは専門家っぽい人が結果から逆算した推論を話す。あの時こうしていれば、この対策をしたおかげで、これは結果論だ。そしてあの記事も結果論のまとめだと思う。
その上でわたしは3月は全公演中止でもよかったのではないかと結果論を綴りたい。
劇場側は対策をした、しかし1番の安全策は公演を行わない事、である。
密を避ける。ソーシャルディスタンス。そんなことを守るにはそもそも劇場を開けなければいいと思ってしまう。
舞台が好きだ。エンターテイメントが好きだ。だからこそ、保守的に走ってもよかったと思ってしまう。
楽しみにしていた舞台があった。チケット代は既に支払っており、遠征に備え宿だけは抑えていた。足は詳しい予定が決まってから、まだ用意はしていなかった。そしてその舞台は幕が開かなかった。
まず最初。初日とされていた日が延期になった。初日のチケットは抑えていて、シフトも有給を取っていた。突然何もない休みとなってしまい友達とご飯を食べに行って残念だと話し込んだ。そして次の初日になりそうな日のチケットを慌てて探し、宿も取り直した。職場で新たな初日となった日に有給を申請した。この時、職場では全員マスクをしていて、遠征中気をつけてと何度も言われた。
そして、また公演延期が伸びた。慌てて有給を次の初日になる日に伸ばした。別のもう一つ行きたかった舞台と被りそうで、どっちに行こうなんて思いながら変更を申請した。
そして、また公演延期が伸びた。友達からは初日どうするという連絡で毎日明け暮れた。宿はキャンセルが相次いでいるからギリギリでも取れると思い、取り直さなかった。
そして、また公演延期が伸びた。再開の目処が3日後とか。本当に小刻みに初日となる日がズレていった。チケットを探すのも、シフトの申請を出すのにも疲れていていた。職場には休日も遠出を避ける旨のメールがきて、有給の申請の際目を瞑るからと言われた。
そして、また公演延期が伸びた。再開する。様々な対策を取る予定だと書かれたHPを見たその半日後には延期のニュースがあがる。
やるの?と何度も聞かれた。やるなら行きたいそう思っていた執念にも近い想いだけでずっと動いた。
初日は絶対観る!初日明けの平日も観たい!新人公演もある!中日前までには何回観ておきたい!
予定していた観劇がどんどんずれて、それでも初日は観たいと自分の予定もぐちゃぐちゃだった。
この頃、世間は賛否両論で他にもその日のうちに再開と中止が二転したり、公演当日の○時間前に中止が発表されたり、様々な舞台がいろんな対応をしていた。
それを見ながら、普段から舞台を観ない人もたくさんの意見が飛び交っていて、保守的な私は間違った対応をしないで欲しいと、これ以上叩かれたくない、そればかり考えていた。
その公演は今、幕が開かないまま延期となっている。
次もしも初日の日がまた決まったとして、確実に行きたいか、あの執念はもうないかもしれない。
エンターテイメントを好きになった上で、それ以外のことでエンターテイメントを嫌いなることが1番怖かった。
他人の感想で、隣の席の人の態度で、劇場であったこんなことで、チケットのトラブルで、そういうことを極力避けてエンターテイメントをまっすぐ観れるようにしてきた。
でもこの事態ではそうも行かず、様々なことをみた。
いろんな事をした。そして、疲れてしまった。
一つの記事でこんなブログを2000字も書くほどには疲れてしまっている。
ある役者の方の記事を読んだ際、稽古に集中する事でどこか現実的に捉えていなかった、とあった。
わたしも舞台を観にいくに付随することに必死で現実的に捉えていなかった。でも、結果として舞台は行われなくてよかった、と思う。
全ては結果論であり、今は劇場で確認できるほどの集団感染が起きなくてよかったと思う。
それしかない。様々な対策を取って幕を開けようとしてくれた劇場は素晴らしいと思うが、出なかったことは不幸中の幸いであり、行わなかった英断が最も素晴らしいと思う。
あの時、正解の対応はわからない。未曾有の事態に対し、逆算の推論で褒めちぎらなくともエンターテイメントは素晴らしい。そう思っている。
エントリーがあったんで、次エントリーナンバー2、ヒト免疫不全ウイルス(略称HIV)な。
【HIV(ヒト免疫不全ウイルス)】
・感染力(R0) ★★★☆☆
・潜伏期間 ★★★★★
・致死までの時間 ★☆☆☆☆
・致死率 ★★☆☆☆
・総合:星2.6
人体を構成している細胞の中で、体ん中の病原菌・ウイルス・異常な細胞を感知して排除する種類のをざっくり免疫細胞と呼ぶが、
この免疫細胞を破壊・無力化して他の合併症を引き起こすウイルス。
感染経路はコンドームを利用しない性的接触等による粘膜感染、輸血や未洗浄注射器の共用等による血液感染、
感染ルートがかなり限定的なこと、暴露前・暴露後の予防内服薬が存在している(2018年)ことからルート評価は低いが、
潜伏期間が驚異の5〜10年単位であること、初期の急性発症が新型コロナやインフルもかくやと思わせるほどの絵に描いたが如き「風邪っぽさ」で
罹患に気づかせるのが遅いため、感染力(R0)はやや高めの評価。
根治は未だできないながらも、発症してからも一生薬を飲み続け、その副作用や日常のいろんな不便と付き合い続けることで、
70歳80歳まで生き続けることが可能になっているので、致死までの期間と致死率は星低め。
なお、全くの無治療状態を前提とすると、感染後余命(潜伏期間コミの余命)は平均9〜10年、発症後で数えると0.5〜1.5年。
先に狂犬病の「死の7日間」っぷりを見ちゃったのでアレだけど、これだって十分短いよな。
いろんな有名人を殺したウイルスとしても知られている。輸血用血液が汚染されててアシモフが死んだことを思い出しては凹む。
番付としては真ん中より下。
ピーキーだし雑魚とは絶対呼べないが、エントリー時のランク1は盛りすぎでは…。
【人類へのヒント】
・思い当たる節がある人は検査しよう。保健所に電話して予約できるよ。匿名で、無料でできるよ。
地元で人に見られたら…と思うなら、隣の県とかなんなら東京とかの保健所でもできるよ。
ただし、昨今の新型コロナ騒ぎになってからは、電話してからじゃないと受け付けてもらえない可能性があるよ。
・輸血汚染があったから献血の際に検査はしてるけど、検査目的の献血おるから検査結果は本人に通達されないようになったよ。
・陽性が判明したとしても、今はいい薬があるよ。
休校の延長するしないで、今の休校前より状況悪い!再開ありえない!って声がネットでは多いし、自分もそう思ってたけど、それって割と近々終息していくことを前提としてる気がする。例えばGWまで、って、GWには今より良くなってると期待してる発言だよね。
政府はここからもっと長期に渡って感染拡大、状況は悪化していくとみてるんじゃない?だとすれば、今再開しなければもう再開できる瞬間はもっと長い期間、下手すれば学年が変わるまでおとずれない。経済活動も、今非常事態宣言だー、仕事も自粛だー、ってなっても、仕事しなくなったところで感染が増えるパターンを考えるともっとギリギリまで耐えないとと考えているのでは。だって日本の非常事態宣言は、軍を持つわけではないのだから実行力にかける部分がある。罰金とか武力行使とか、憲法やら法律的にも無理なんでしょう多分。
嘘か真かわからないにしろ、中国が見た目上落ち着いてるのをみると、武漢並の閉鎖と消毒、それを1、2ヶ月期間決めてやるような感じの思いっきりでやるしかないんじゃないかなぁ。徐々に感染ルートはもう厳しいと思う。
一か月後、あなたは死んでいるか、今わの際をさまよっているかも知れない、ということをわかっているだろうか?
今、発症している人達は、まだ海外旅行や水商売のように一次、二次の感染ルートでたどれたかもしれない、しかし、二週間後にはどうなっているだろう?
現時点でも、既により多くの見えない感染源が市中にばらまかれていることを理解してほしい。
無症状の感染者から飛沫や接触により感染するリスクがあるのはもう明らかになっている。
あなたが買い物をしたコンビニの店員、お昼を食べたレストランの調理係が感染者かどうかはもうわからない。
もしかしたらその買い物カゴをあなたの前に使った人は、咳を受けた手や、ふと垂れてきた鼻水を拭いた手でそのカゴを握ったかもしれない。
高齢か、基礎疾患があるか、はガチャの確率のパラメーターに過ぎない。
零コンマ数パーセントの確率でも重症化する可能性はある。満員電車なら乗客のうち数人、ちょっとした都会の中学なら学校内で一人二人はヒットするぐらいの確率だ。
それでも、あなたはまだ幸運かもしれない、しかし、あなたの友達や家族が数か月以内に突然あなたの人生から退場してしまうかもしれない。
コロナ「ばらまく」男性捜査へ 飲食店の従業員感染 愛知県警(時事通信) - Yahoo!ニュース
ついに威力業務妨害等の容疑で捜査が始まるらしい。ところでブコメでは傷害罪に問うべきという意見も多かったと思う。
ブコメでも出た性感染症の事例(昭和25(あ)1441)を見れば確かに傷害罪は成立しうるとも見える。
ただ個人的には今回の件と同一視できるのかという疑問もある。刑法に関してド素人中のド素人である自分が語っても仕方ないのだが、詳しい人がいたら意見をください。
(1) 因果関係
基本的に刑法では「その行為がなければその結果が生じないであろう」(コンディチオ公式)という条件関係が成り立たねばならないとされている。もちろん単純にこの公式が成り立てば因果関係が成立するというわけではない。例えばAが交通事故を起こして傷つけた相手Bが救急車に運ばれている最中に地震が起きてBが倒壊したビルに下敷きになり死亡した場合にAがBの死まで刑事責任を負うというのは考えにくい。まあ、このあたりは相当因果関係説やら客観的帰属論やらの領分だろうと思うので重要だろうが今回は無視する。
ところで、性感染症の事例ではこの公式は比較的容易に確かめやすい。飛沫感染や接触感染するわけでもなくほぼ性的行為やその類似行為をした場合に感染すると分かる。対象も絞れるしそこから性感染症の持ち主を同定するのも必ずしも難しいわけではない。要するに「その性的行為がなければ感染は起こらなかっただろう」というのがほぼほぼ分かると言ってよい。
一方で、新型コロナの場合はそうとも限らない。飛沫感染では可能性を絞り切れない。もちろん現状濃厚接触者の絞り込みはできていると言えなくもないが、もしかしたら自覚症状のない感染者と接触していた恐れがないとも言えない。実際今回は直接接客していない店員の感染が認められたという。すると結局「被告人の利益」ということで無罪推定原則の対象になるかもしれない。
一応関連して疫学的因果関係(疫学的条件関係)という考えもある。疫学的証明や病理学的証明により合理的疑いを超える確実な事実を認定するという考えで今回の件でも使えなくもないかもしれない。ただ、これが採用された判決の多くはさつま揚げ中毒事件のような広義の公害事件である。また千葉大チフス事件のようなものもあるが、こちらは医師が赤痢菌やチフス菌を食品に添付したり注射で投与したりしたというとんでもない事件なので、今回のように感染者個人が濃厚接触を試みるといった程度の話に援用できるかは微妙な気もする。
では、今回の女性のように、「故意に感染させるつもりがなかった」場合はどうなるのか。鈴木弁護士は、「過失と認定するのは難しく、感染させる可能性を認識しつつ認容していたら『未必の故意』があったと判断されるケースが多いのでは」と述べ、傷害罪が適用される可能性が高いと指摘した。
次の論点に行く前にここを押さえておきたい。要するに性感染症の場合に感染の認識があるのに感染リスクのある行為を行った時点で未必の故意が認められ傷害罪が適用されるだろうということが書かれている。では、少し話は変わるがインフルエンザの場合はどうだろうか?感染のリスクがある行為を行っただけで傷害罪となるだろうか?とすれば、インフルエンザに罹っているにも関わらず出勤するような行為は傷害罪に当たるのではないかという話が浮上する。だが、これは一般には認められないだろう。性感染症の感染リスクのある行為は性的行為でありしかも一般にそうした行為を行えばほぼ確実に感染するであろうという認識(実際にそうかはさておき)が存在する。例えば性感染症者と性行為をしたと判明した時と同僚がインフルエンザと判明した時を比べてみればいい。前者の方が感染しているかもと思うだろう。それなりにお気楽な気持ちで通勤してくるインフルエンザ患者がいる(しそれを許容ないし強要する会社がある)のはそういう理由である。つまり感染リスクといっても程度に差があり、性感染症の場合は結果の発生を認容しているだろうから未必の故意が認められインフルエンザのような場合は結果の発生を認容しているとまでは見ていないだろうから未必の故意が認められないということになるのではないか。しかし、だとしてもまだ問題がある。
素人考えだが実はこちらの方が問題なのではないかと思っている。刑法には過失傷罪の規定がある。これは逆に傷害に該当する行為を特定する際に過失傷害のことを念頭に置いておかなければならないという意味ではないか。言い換えれば、故意を伴う特定の行為を傷害罪と認定した場合、故意はなくとも過失を伴う同様の行為をしても過失傷害として刑罰を与えなければならないということになるのではないか。例えば今回の新型コロナの事例では移す故意を持って濃厚接触した男性を傷害罪とした場合にインフルエンザを移す過失を犯した人も過失傷害で罰さなければならないという帰結になりはしないかということである。
自分が性病に感染していることに気付いていない場合には、理論的には過失傷害罪の成否も検討されますが、感染に気付くべきだったという注意義務の違反(過失)というものはなかなか観念しにくく、また立証の困難さを考えても現実にこれを処罰することは難しいと思われます。
まず性感染症の場合に過失傷害を想定するのは難しい。これは以上と(2)で引用した文に沿えば、(a)感染に気付くべきという注意義務が考えづらく(b)感染を認識した上で感染リスクのある行為(性的行為)をした場合には過失ではなく未必の故意があると認められる、という2点にまとめられる。しかしこれは性感染症の特質ゆえではないか。
例えばインフルエンザの場合を考えてみよう。インフルエンザの場合は大抵熱が出る。特に冬であれば少なくともこの時点で風邪かインフルエンザかという発想になるし、熱が高ければインフルエンザかもしれないと感付くだろう。つまり(a)感染に気付くべきという注意義務が想起されにくくとも感染の認識自体は朧気なりとも持っていることが多い。感染の認識をしやすいとも言えるかもしれない。新型コロナの場合は逆に風邪に似ていて逆に感染の認識をしづらいかもしれないが…。一方で、(b)先ほど(2)で述べたように未必の故意までそうそう認められないだろう。しかし、これは性感染症では未必の故意が認められる範囲が過失として認定されるという可能性を排除しない。
そこで新型コロナやインフルエンザに過失傷害の問題が生じる。性感染症と違い未必の故意をそうそう認めず「移してやる」という意思があると立証できた場合のみを故意とするよう厳格に解釈しても結局過失傷害の範疇から逃れられない。インフルエンザや高熱の認識があるのに通勤してきた人間は恐らく過失を認められるのではないだろうか。特に咳エチケットを守らないようなのは他者への感染という結果を全く回避するつもりがないと言わざるをえない。こういった事情を法令解釈に読み込んでよいのかという意見はあるだろう。しかし裁判官も人間であるから同程度に説得力のある解釈が2つあればいたずらに社会不安を招くような解釈でない方を(因果関係論など他の理由をつけて)選択しやすいというのもまた事実である。
(4) 以上のような指摘を回避できるか
と言っても上手く構成すればここまで書いてきた問題を回避できるかもしれない。
第一に新型コロナのような新しい感染症とインフルエンザのような日常的に存在する感染症を分けることができればよい。例えば次のような文章は風邪やインフルエンザであっても傷害罪の可能性はあるという前提の元で書かれているが、因果関係の問題で現実に処罰は困難だろうとしている。
また、誰からうつされたかという点についても、よほどの閉鎖空間で、特殊な病気を持っているのが加害者しかありえないということであれば、特定の人からうつされたと証明することも可能かもしれません。
しかし、多くの人は日常生活を送る中で膨大な数の人と接触していますから、病気をうつされたとしても、誰からどのように感染したかは分かりません。
そのため、現実的にはただの風邪やインフルエンザといった感染症をうつしてしまったとしても、傷害罪として処罰されることはないと考えてよいでしょう。
私は(1)で、因果関係について性感染症とインフルエンザ・新型コロナの間に線を引いたわけだが、インフルエンザと新型コロナの間に線を引ければ今回の新型コロナ患者を傷害にしようと多くの人に問題は生じない。つまり新型コロナは濃厚接触者が現段階でもある程度把握できることが多くこの程度の蓋然性の高さであれば因果関係を認めてもよいだろう。一方もはやよくあるインフルエンザでは飛沫感染とはいえ絞り切れないから蓋然性が高いと立証するのは現実に困難だとさえ言えればよいわけである。とはいえ、新型インフルエンザが突然生じて感染した場合にはおおよそ感染ルートが特定されてしまうので過失傷害罪で罰せられる可能性は否定できなくなってしまうようにも思える。
第二に過失犯の成立が困難であれば問題がない。要するに故意による傷害罪が新型コロナやインフルエンザで認められても過失が認められる要件が厳しければ多くの人には特に問題が起こらない。1つには過失傷害が親告罪であることを利用し一般市民の善性を信じるというわけである。もう1つには実際に理論上過失犯が成立する条件が厳しければよい。過失論はよく分からないが大抵義務違反などを想定するはずなのでそのあたりで何かできたらいいんじゃないか的な話で、まあそこは詳しい人に任せる。
3/4(水) 21:13配信
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【北京=西見由章】中国の国家衛生健康委員会は4日、新型コロナウイルスの感染者では肺のほか脾臓(ひぞう)などのリンパ系器官、心臓や肝臓、腎臓、脳組織などにも異常がみられたとする病理診断の結果を公表した。一部の患者の生体組織診断や遺体の病理解剖を行い、新型肺炎の診療ガイドラインの改訂版に盛り込んだ。
肺では肺胞内の気体が減少・消失する現象がさまざまな程度で起こり、肺組織の出血や壊死(えし)もみられた。またリンパ系臓器の脾臓の顕著な縮小やリンパ節細胞の壊死も確認された。
このほか心筋細胞の壊死や肝臓の肥大、腎臓の異常、脳組織の充血・水腫などもみられたという。
診療ガイドラインの改訂版は、感染者の便や尿からウイルスが検出されたため、排泄(はいせつ)物によるエアロゾル(微粒子)の発生や接触感染に注意すべきだと指摘した。以前のガイドラインはウイルスの感染ルートとして、霧状に浮遊する粒子に混じったウイルスを吸引することによる「エアロゾル感染」の可能性があるとの見方を示していた。
すでに、子供が発症する率、重症化率は低いことが明らかになっている。
そこで、無症状の子供がキャリアになって、高齢者にウィルスを移す可能性があるから、休校の判断は正しいという意見がでてきた。
実際学校は感染が広がりやすいとは思う(人が集まるし、大人に比べれば子供の防疫意識は低い可能性が高い)。
同時に共働きが多いので、子供を祖父母に預けることで高齢者の罹患リスクを高めるのでは?とも感じた。
とくに実家が遠方の場合、無自覚なキャリアが日本中を移動することになる。
と、ここまで考えて、では一斉休校でなかった場合どうなるかを想像すると
休校判断はインフルエンザの基準と同等か、現実的にはより厳しく判断することになったと思う。
その場合、子供は無症状のウィルスキャリアの可能性が現段階より高まった状態で、上の行動をなぞって移動する可能性がある。
それはまずい。
1月からすでに中国で蔓延は始まっていて、日本にも入っていた。
日本では、インフルエンザや風邪(上気道感染)として処理されていた。
そもそも日本は基礎疾患ある高齢者多くて、風邪→肺炎→重篤化が日常茶飯事。
さらに、入院先でも、高齢化の影響で肺炎で死ぬ人増えてるよね程度の感覚しか、医療人は感じてなかった。
今、感染ルート不明な感染者(検査で確定した人)が増えてる理由は上記。
あくまで仮説だけど、かかっても抗体ができにくいとか、毒性の獲得が早いとか、特異な性質があるかも。
ここで、新型コロナによるオリンピック中止など生じると、特に経済的にまずい状況になるのは想像しやすい。
日本、特に東京は安全をアピールしたいという意向が政治的に優先されたとする。
ならば、検査の導入や、厳密なデータ収集は避けるという行政方針が打ち出されそう。公にせず。
新型コロナが、スペイン風邪みたいに強い毒性を獲得して、感染流行が続く日本で、セカンドウェーブが起きる。
スペイン風邪が約半年後にセカンドウェーブが起きたなら、日本では8月。
世界も、経済的なセンチメントなどで、オリンピック開催を世界の団結でウイルスに打ち勝つ事例にしようなどと考える。
2/5,政治主導の旗の下,憂国の志士達からなる対策会議は,14日間の隔離と称する行動制限を開始した。動かしやすく命知らずな災害救助隊を派遣し,慣れ親しんだトリアージで緊急性の高い患者を救助し,それ以外の乗員乗客も2/19に開放する。輝かしい戦果が予定されたのである。
2/11,とある感染症の専門家が,仲間とともに現地に入った。彼らは「空気感染やエロゾル感染経路を想定し、PAPRを持ち込」む,常識的に万全の準備をした。
しかし,そこは実際には「ベッドマップもラインリストもエピカーブも作れない世界」であり,「間接的接触感染の概念すら誰も理解してい」なかった。
このような状況で14日間行動制限を課したところで,行動制限開始以降に感染した者についての非感染は担保されない。したがって本来は,この時点からでも名ばかりではない隔離を開始し,「14日間」の終点を固定しなければならない。それには船内のリソースでは足りない。十分な空間のある地上の設備を用意したいし,「その際、国籍別の移送隔離は現実的な選択である。」
隔離の新たな始点を設定することは,それまでの隔離と称する行動制限の失敗を世に晒すことになる。外国人を無意味に身体拘束した点で外交問題となるか。いや,それ以上に,これを主導した愛国者達の名声を貶めるものとなりかねなかった。愛国者の輝かしい軌跡が2/5から始まっている以上,その終点は2/19しかありえない。
彼は「PCRの結果を要求する力が混沌事象の律速要素になっていることに驚き、その方針決定プロセスの解明は」彼「の職責ではないものの、少なくとも臨床疫学者の視点ではないと直感し」た。「我が国が移送手段を提供してでも国際共同オペレーションを実施」するというのは,もはや彼の「個人的な夢」に留めるほか無かったのである。
彼は,もはや「予防衛生的なニュアンス」が通用しないと悟り,「ミリタリーオペレーション」的な「感染制御」に舵を切ることにした。
じきに,具体的には2/19に,感染者が解放される。否,そもそも本船以外からも流入を阻止できているとは思われない。そうであれば,「新型インフルエンザの対策概念」を「何も変える必要はない」。市中感染は不可避であるという前提に立ち,「医療への過剰な期待や欲求」を捨て,感染拡大を抑制しピークを下げる戦略をとるべきなのである。なぁに,「大方の若者にとっては悪性の風邪程度に過ぎない。卵酒を飲み、体量のおばん茶でも飲みながら家で寝ていれば良いのだ。」
目標は定まった。感染の阻止ではなく抑制。2/19に下船する3000人の感染者予備軍において,感染者が一人でも少なくなるようにすべきなのだ。
2/13,彼はそこで見てきた光景を大衆に伝える役割を任された。しかし,第一に「厚労省の許しがないと全てを話すことはできない」。すなわち,愛国者の面目を潰すような,船内感染が止まっていないことをあからさまに述べてはならず,むしろ対策がうまく行っていると述べなければならない。実際のところ,トリアージそれ自体は必要なことでもあった。
彼は「厚生労働省が重症化リスクの高い高齢者らを優先的に下船させる方針を示したことについて「判断は正しい」と評価した。」
行動制限の効果は覿面である。新規の感染は,それ以前に比べれば大幅に減少している。スタッフにも多少の発症者が出ているが,想定の範疇だ。
2/18,珍入者が,船内での隔離が為されていないことを暴露した。なるほど御説によれば,いまからでも隔離を開始し,今から14日後に下船させよということなのだろう。もう1週間も前に捨てたアイデアである。
しかし,感染を防ぐ手立てが不十分な中,現場は感染を覚悟して頑張ってきた。すなわちスタッフ全員が感染者予備軍である。今からグリーンゾーンを形成しようとすればスタッフ全員を入れ替えなければならず,それはまったくもって非現実的である。「現場にいなかった者にはただのカオスに見えたのでしょう」が,船には「多くの意思決定プロセスがあります。」
また,隔離が現実的に行えないということは,船全体が培養シャーレと言って良い状態である。「どうやら船の中の感染率は5-6%のレベルにあり、武漢市内に匹敵するレベルにある。もちろん日本国内より遥かに高く、クルーでは更に感染率が高いだろう。」したがって「いかなる理由でも下船を躊躇すれば、全員を危険に晒す事になるであろう。全員下船を急がねばならない。」
下船を中止させかねない世論が突発的に生じてはならない。下船者が感染者予備軍であることを明かしてはならない。
2/19,感染者予備軍の下船が始まった。
本来であれば彼らは「自宅で自己検疫(self quarantine)を行うことが必要です。実際には、検温や不要不急の外出自粛、なるべく人に会わずに14日間を過ごすなどです。」
もっとも,自己検疫の推奨は2/5に始まった隔離と称する行動制限が無意味であったことを宣伝することに他ならない。つまり,下船者は完全に解放されなければならず,公に自己検疫を勧めるようなことはあってはならないのであった。
恐れることはない。3月の上旬頃には既に感染ルート不明の患者だらけになるのだから,愛国的措置が失敗であったことを証明する手立てはない。いや,仮にそれが失敗だと断じられたところで,失敗したのは2/11以降に関与したにもかかわらず正しい手を打てなかった専門家集団である。極初期においてトリアージと船舶自体の隔離が正しかった以上,愛国者の判断は間違いではない。
さいわい,諸外国は自己検疫ではなく自国で検疫を行うようだ。海外への感染拡大を防ぐべく,英語での発信を優先したのは間違いでは無かった。