はてなキーワード: 感情表現とは
物語の中には事実も虚構もあった。けれど、数学や歴史の教科書には事実しかなかった。
会話で自分を表現する方法を知らなかった私は、文章に頼ることにした。最初は散文的な詩しか書けなかった。
友人と競うように本を読み漁り、図書室にある本全てを理解しようとする勢いだった。
そんな友人は早稲田へ進学していった。
大学に入学すると文系だった私は他人の模倣で小説を書くようになった。世の中には感情表現豊かな美文が溢れていて、真似したいと思った。何なら、作品を生み出したいと思った。時には、破天荒な恋愛物語を。
狂しい程の人間関係や苦悩を描いた。
その頃漸く、難しいと思っていた新聞も読めるようになった。
社会では数字がメインで、何なら残業時間が全ての評価の指標だった。「私、本とか読まないんだよね。自己啓発書や漫画なら読むんだけど」と嘲笑う同僚、先輩。
文化や価値観の異なる人脈を得てからは、次第に活字から離れるようになった。それでも、図書館へ行きたい思いは常に抱えていた。
心躍るような英雄譚を、癒やしや共感を得られるような他人の人生を欲していた。
本なくしては、自分の生活は成り立たない。表現なしには生きていけない。なのに何故生きようとすればするほどに書籍から離れていくのだろう。
早稲田へ進学した友人は子供を生み地方の人間関係から疎遠になった。彼女の引き出した私の「本の虫」という性質は徐々に消えていく。今や、正しい日本語を使えているという自信すら無い。
それは彼女が側にいないからではなく元来の自分に戻っただけなのである。過去の残滓を拾い集めても、あの頃の輝きには届かない。
Vtuberのアバターに100個の細かな感情表現を求めてはないよ。
けど、全く動かない立ち絵より、表情をトラッキングして動くアバターの方があればより感情をくみ取りやすいと思う。
GIFで決まった表情パターンをつけてる人も見たことあるけど、あれは声(感情)と表情がほとんど乖離している印象だった。
もし動画内で声や会話の流れがなく、アバターの表情だけ見せられたら、さすがに「笑ってるな」と「無表情だな」ぐらいにしか分からないんじゃないかとは思う。
いつも見てるVtuberには普段から全く笑わず、アバターがほとんど動かない人がいるけど、たまーに笑ったりした時に動く表情に良さを感じることもある。
顔出ししてない日にコメントで「顔出してくれ」って顔出しを求められるのと、表情をトラッキングして動くアバターに求められてるものって同じじゃなかろうか。
これさ、男の性質のせいだと思われてるみたいだけど、日本とかアジアの一部地域の男がそうなだけじゃないの?
観測範囲の外人男、バトルは好きだけど人間関係大好きだしお喋りだし感情表現ハッキリするし、女より人間好きお喋り好きなんじゃないかみたいな奴多いぞ
言語能力の発達が遅くて、女の子は幼稚園小学校と話をさせるトレーニングが行われてるけど男は女に合わせた段階ではまだ同じことができないから
発達段階に応じた会話トレーニングをされなくて、そのまま受験勉強と仕事を課されるので取り残されてるだけだと思う
外国の高校生男子とよく話すけど、同年代の日本男子よりかなーーーりまともにコミュニケーションできるよ
日本高校男子が不貞腐れてゲームしながら「今ゲームしてるからうるさい」って言ってる横で海外男子は「ママはいつも忙しいから休んでいいんだよ、僕が家事するから」って言ってるし(同い年)
日本男子に話しかけてもゲームの話する以外はイキってるだけか無言(根はいい子)みたいなのばっかりだけど、海外男子は適度に他人に話題を振るし、話しかけるし、他人を気遣うし、人好きでお喋り好きだし、自己開示して意見を言えるし、根だけじゃなくて振る舞いもいい子
こんなのめっちゃ見るで?
若い男は喋んないのがカッコいいみたいな文化が日本にはあるのかな?シャイなだけならいいんだけど、他人に優しい振る舞いをして喋るのは女だけ、男はしないのがかっこいいみたいなのはなんか全然意味わからんし違うと思うで?
優しい振る舞いができなくて気が利かなくてお喋りする能力が低いだけや
別にああいう内容の質問をする事自体にどうこういうつもりは無い
ただあの質問に対して元日本兵の爺さんが「米兵を殺してスカッとした! もっと米兵を殺してやりたかった!」とか答えてたら、それを放送できたのか気になってる
ぶっちゃけそういう人も一定数居たとは思うし、でもそう思ってたとしても今の世の中では率直にそんな話を口にはできないよね
謝罪や後悔といった感情表現しかできない世間の圧力的な物があって、それを背景にした質問ではあると思うんだよな
質問の内容ではなく、質問した側とされた側の力関係がフェアじゃないと思うんだ
櫻井翔にその自覚は無いだろうし、その事に対して責任があるとは思わない
ただ大野智に「大麻使ってどんな気分でしたか?」って質問できるか? というとまあ無理だと思うんだ
なのに元日本兵の爺さんに対してはああいう質問できちゃう、それを放送できちゃう構造にアンフェアなところはあるよなと思う
世の中的にはアンフェアでも構わないという事になるんだろうけどね
同じ監督が手がけた「イブの時間」でもSF考証はかなりいい加減だぞ
その世界のアンドロイドは外見は人間そっくりだけどまだまだ反応が機械的で感情表現もほぼ皆無、また頭上に天使の輪のようなホログラムが必ず表示されているんだけど、実はその気になればもっと人間的な言動が可能だしホログラムもその気になればいつでも消せるけど、アンドロイド達は人間達に配慮して自主的に機械っぽく振る舞っているという設定で、あの世界のアンドロイドの安全基準どうなっとんねんとひたすらツッコミ入れながら見た記憶がある
しかも見た目人間そっくりなタイプが主流なのに、そんなアンドロイドを人間のように扱う行為を揶揄する空気があって、それがあたかも社会問題であるかのように扱われているのも変だろと
私は基本的にはまったく「怒る」ということはしないのだが、でも、教育上、「怒り」はある程度は必要だと思っている人間である。なぜなら言語やロジックが分からない人間に対しては非常に有効なコミュニケーションの手段だからだ。(今回の「怒る」は大声で怒鳴る怒りを指してる。) あと、自分の考えを纏めながら書いているので、少々読みにくい文章になるかもしれない。怒らず、ご容赦頂きたい。(私なりのジョークである。)
例えば、ある人間が危機的状況に陥いったとしよう。たとえば、小さい子どもが火の中に手を入れようとしたり、道路に飛び出しそうになったりしたとしよう。そのとき咄嗟に大声で「ダメ!」と言ったとしても、それはその危機的状況から救うための「怒り」である。また、こういう危機的状況の陥いるとき、本人はなにかに夢中(たとえば、ボール遊びに夢中で道路に飛び出しそうになったとか)で危機に気づいてなかったりする場合が多く、そういった子どもに、普通に話しかけても聞かないことも多い。なにかに没頭している子どもを気づかせるために「怒り」をつかうのだ。そうすると、子どもは静止する。
では「怒り」の相手が大人だとどうだろう?正直、子どもが相手よりかは、「怒り」の必要性がそこまでないと思う。なぜなら、相手は話せばわかるし、論理も通じる場合が多い。だから正直「怒り」が必要な場面があまり思い浮かばないことが多いだろう。アンガーマネジメントをしっかり行なうべき状況が多いように感じる。しかし、その怒る状況が思い浮かばないからといって、私は基本的に「怒り」は必要ないと言い切ってしまうのも恐ろしさを感じる。やはり、「怒るべき」ときに適切に怒るべきでなのだ。ある程度の感情表現は必要だと思うからだ。
また、しかしながら、大人であっても相手がやはり「言葉」や「論理」が全くつたわらない人間であって、または、相手を救う状況の「怒り」は存在するように私は思う。例えば、部下が客先でミスを犯したとしよう。それで上司が「なんてことをやったんだ!」みたいな「怒り」を表現したとしよう。そうすると、クライアントが「まぁまぁ、そんな部下もがんばってるんですよ」とフォローをする。そのような茶番だが、でも結果的に、部下を救っている。ただし、このような場合であっても「怒り」でなくても部下を救う手立ては他にもあっただろう。ただ、沢山ある選択肢の中で、「怒り」選んでいることは尊重するべきだ。
あと、「危機的状況」を救うための「怒り」もよくよく考えたら、工事現場のおっちゃんも怒鳴るのが多いように思うのは、おそらく本当にミスったら死に直結することが多いからだろう。論理的になぜ「ダメ」というのを説明して辞めてもらうより、直感的に「ダメなこと」を覚えてもらう、体に覚えこませる方法だ。論理的に考えさせると、手遅れパターンだ。その場合は、「怒り」は有効な手段である。その場合は、なぜダメかよりも、とりあえず、「ダメな行為」を覚えこませるために怒鳴るのだ。工事現場のおっちゃんの偏見が入っているが、しかし、工事現場以外にも、論理的に考えたら作業的に遅れる場合、「怒り」を表わすのは他の職業でもありうるように思うし、その時に優しい口調で諭したらたぶん、作業自体が遅れる場合、も多いにあるだろう。時間というのが大事で遅延に損害が発生るう現代において、こういうことは多いにありうることは想像に難くない。
とまあ、いくつか「怒り」のフォローをしてみた。ただ、始めにもいったが私はそこまで「怒り」を表現することは殆どない。そういう恵まれた状況だからというのもあるだろう。しかしながら、「怒り」という表現を排除するのもなんだか寂しい、ように感じるのである。喜怒哀楽は人間に備わっている表現だ。感情表現のない上司は、ハードボイルドさもあり、クールにも感じる。一方で、熱血な上司もまた、一つの個性をして否定したくないと私は考えているのである。
基地外ひとりに自分の人間性を否定されたからと言って、感情表現の練習(笑)に無駄な時間と労力を割く必要はない
あと一時的に否定されたからといって、長年の友人関係なんてそう簡単に終わらんよ
友人から家族が大変つらい目にあっている話を聞かされた。大変心配なことだ。そこですぐ「自分に何ができるだろう」と考えてる間に、少し間をおいて友人から出てきた言葉はこうだ
「あなたに話すべきじゃなかった。どうせ私がつらくても私には関係ないと思っているのだろう」「こんなに冷たい人とは思わなかった」
正しい行動はきっと「そうだね、つらいね」と同情することなのだろう。その言葉は出したが、淡々と表現したようで?「そう思ってるように感じられない」と言われてしまったのだ。長年の友人だと思って外面の良い対応をしなかったのが悪因か。諸事情があり、簡単に友人関係を切りたくない間柄なのだ。何か手を打たないといけない。
どう振舞うのが最適だったのだろう。オーバーリアクションで「なんて大変なんだ、どうしたものか。私に何かできることがあるだろうっっ!!!」とやるべきなのかな。ドラマを思い出してやれないことはなさそうだけど、どう考えても嘘っぽい。私がやられたら間違いなくしらける。
「つらい人の気持ちに寄りそう」ってのをよく聞くけど、寄り添うって何?っていつも思う。
そのつらい状況をどう解決できるかを考える方がよさそうだけど、「そうだね、つらいね」で何がよくなるのだろうか。気がまぎれる?やる気になる?
出来る人は天然でそれができるのかもしれないけど、何かが欠落している私?は心理学を学びなおして察知してのそれっぽい行動を身に着けるのがいいのかな。大学で行動心理学と出会って、だいぶ人の心中とsとに出てくるサインから読み取って人間っぽい対応ができるようになってきた。人間社会で生きるために必死に擬態する感じで、自分はいったい何なんだろう。ADHD?等も疑ってテストしたこともあるけど、違うって判定だった。理解しない・思わないのではなく、行動として表にでないのだ。
他の男と仲良くしてるのを見てムカついて冷たい言葉をかけるみたいなこと、しなきゃいいのに。
アスペは生活や自分に必要な限度でしか人間関係に関与しようとしないから、恋人、友達、家族、生活上必要な関わり、と決めて、その分についてしか、人と付き合うことに興味を持たないんだよ。
元々人間関係より現象に興味を持つ人種なんだから人を騙すとか浮気ってのはむしろ無意味に人間関係に巻き込まれるから絶対避けたいことなんだってば。弱いよね。人間関係で何か戦ったり得たりすることはできないんだよ。人間関係を格ゲーに例えると、遺伝子レベルで格ゲーが好きな人だらけの世界で、格ゲーに興味のない私たちが勝てるわけないんだし勝ち目もないんだよ
だから、嘘ついたり浮気したりしないし、もしそう見えたなら大体本人は困っていて、人の気持ちが読めない分立ち回りも下手くそで健常者みたいにうまく感情表現もできなくて助けて欲しいんだよ。まあ分かりにくいのは申し訳ないし、割り切れないのはわかるけどさ
自分と相手を困らせないために万が一を考えて一応そう説明したんだよ
付き合うって決めた人がいたら、その人としか男女関係を望まないんだから、そこは確信していていいって本人が丁寧に説明してるなら本当にそうなんだ。それなのに嫉妬するような状況にあるのなら、それは本人にはどうしようもないことで困ってるんだって。会社の人に迷惑をかけられないけど興味のない人に声をかけられて困るから相談しているとかだったりするわけ
それを勝手に見て、本心じゃないのについ嫉妬してイライラして、君を心配してないとか君に興味ないとか他の子がかわいいとか話したくないとか言うのはやめてほしいんだよ。
そんなことを人に言うべきじゃないから、そういうことを言う時点でアレなんだけど、それでも態度では違うことを示してくれている。そこに感謝や温情があるから関係を壊したくないので言うけど、本当にやめて欲しい
健常者同士ならそれでもうまくやってるのかもしれないね…わからないけど。でもどうかお願いだから違う方法で対処して欲しい
だからあなたに興味ないって言われてしまったらさ、アスペは納得しちゃうわけ。言葉を額面通りに受け取られて困ることは言わないでほしいんだよ
人が本心とは違うことを言うことはよくあるとわかっているけど、嫉妬しただけの可能性もあると分かっていても、「この人は自分に興味がないと発話した」事実に納得しちゃうんだよ
そうなってしまうとどうなるか?
別にそれが本心なら全然いい。それならお互いに特になんの問題もないからね。私に興味を持たない人がいて、私がそう理解をして、お互いに興味のある人や物事に取り組み建設的に人生を歩みましょうね。で済む話なんだよ。
費やした時間はあるけど損切りだね。分かったなら改善するだけ。切るならお互いに早ければ早いほどよい。
「自分に興味がないとあの時言った人」って心から、100%完全に納得してるんだよ。健常者は、多分そう言われても納得はしないんだろうね。心のどこかで「そうは言ってもあんなことしてくれてるし、本当は違うだろう」「きっと本心じゃないからあの言葉は嘘なんだ」と1%も言葉を信じていないことも全然あるんだと思う。だからそんなことを言われても関係が変わらなかったりする。でもアスペにとってはそういう言葉は認識や世界観を一変させてしまうものなんだよ。
もう次の日には、この人は「かつてこのような経緯があった。自分に興味がない人」で、この人は「私と仲良しの人」って思うことになってしまう。
ずっとアスペと仲良くしていたいなら、嘘はつかないでほしい。
事件記者のパーカーは、連続殺人犯のリッキーを正義感から助けたが、恩を仇で返され殺されかけた。
再び収監されたリッキーだったが、ある日刑務所を脱走して行方不明となる。リッキーからの報復を恐れ、警察に付き添われつつ逃避行したパーカーだったが、護衛に着いてくれたスッタッグ警部補に好感を持ちはじめ……。
すごく面白い訳じゃないけど、つまらなくもない。終盤、もしリッキーが復讐に訪れたら、その時パーカーはスタッグ警部補に何をしてもらいたいと願っていたのか、その胸の内を白状するところが、人間臭くてよかった。
柴からのプロポーズを受けて、結婚するのもいいかなと思った、秋山くん。だが、自分と柴がふわっふわしていて地に足が着いていない有り様を仲間達に指摘され、自分がしっかりしないと、と決意したのだった。
進路選択を機に我に返って現実を見る、というのはあるあるだけれども、世間に歩調を合わせて妥協するのではなく、「結婚する」という目標はブレないまま、それぞれ成長していくところがよかった。
柴と秋山くんだけでなく、柴の友人のじおんくんやちえちゃん、秋山くんの悪友達も彼らなりに考えて成長し、互いに影響を与え合っている様もいい。
そして、地方のヤンキーや底辺高校生達の人生を回すスピード感がリアル。彼らは都会の大卒がアラサーで悩むような事に、高校在学中に悩み決断するんだよなぁ。
BL漫画を描くような人が、こんな感じの市井の人々にスポットを当て、「ヤンキー」という形だけでなく彼らの暮らしぶりのリアルを肯定的に描くのは意外な感じがした。
第1巻の、かなり酷すぎる性的虐めからのまさかの展開の時点では想像もつかなかった、大団円。よかったわねぇ、皆……と近所のおばちゃんの気分でほろりとしてしまった。
記念すべき第80号。飛ぶ鳥落とす勢いの人気小説家、凪良ゆう先生の作品をコミカライズ! というスペシャルな感じがあるんだけど、寄稿者の人数が今月も少なく、大丈夫なの……? と一読者の私は若干心配になるのだった。朝田ねむい先生の『スリーピングデッド』が2話分一挙公開! さもなければ雑誌がもっと薄くなってしまったよね。私は電子派だから、リアルに本の厚みに一喜一憂は出来ないのだけれども。
ちなみに、『Canna』のテイストはエロ大人しめで、青年漫画に近い感じかな。変わった作風のものが多いと思う。じっくりストーリーを楽しみたい人向け。
ではでは、作品ごとに感想を書いていくぞ。順番は掲載順。文章量があからさまに思い入れに比例してて御免。
昨今はあまりにも小説が売れないが、ストーリーを作れるのはやっぱり小説家、ということで、小説のコミカライズがお盛ん。しかし小説のコミカライズを読む度に、大体原作の方が面白いなって思う。やっぱ、漫画には漫画の、小説には小説のやり方があるんじゃないかな。
という訳で、この作品もやっぱり原作読んだ方がいいんじゃないかなという感想。私自身は凪良ゆう先生の作風が好きだけど、『積み木の恋』は未読。原作の方が好きになれそうと思った。
凪良先生の良いところは感情表現とユーモアで、ユーモアの方は台詞に出がちなのでいいとして、感情表現は地の文に出がち。しかも行間を読ませるというよりは分析的な文章なので、漫画の余白とか空気感で表現はしづらいんじゃないかなと思う。
コミカライズ担当者がまずいという訳ではない。漫画化との相性がいい原作を選んだの? と疑問に思うだけ。
現在、他誌でも凪良ゆう先生の作品が漫画化されているんだけど、そちらは近々ドラマ化される『美しい彼』で、コミカルな台詞回しが多く、少女漫画のセオリーを綺麗に踏襲しつつたまに強烈な逸脱を見せる作風で、より漫画向きな感じがする。
すごく評判のいい作品なのだが、私はつい最近(4、5号前かな)から読み出したせいで、話がさっぱりわけわかめ。最近までは悪魔Jの過去話で、現在は主人公のマコトちゃんがなんか生首持ってJの家に来たところ。
まあ、よくわかんないけど、マコトとJのどろどろの愛を楽しむ漫画なの? 今回はやばやばエロ回。Cannaの漫画っておかしな性癖のエロはあまりない感じなんだけど、本作の今回は若干アブノーマルかなぁ。最中の台詞を読んで、それ奴隷商人痴皇(@『幽遊白書』)が言ってた台詞のやつじゃん、とツッコミを入れたりなど。
ストーカー?×恋愛の美味しい所だけ味わいたいグラスハート のおっさんずラブみたいな感じ。画風がサラリーマン向け雑誌みたいだが、エロはがっつり腐女子好み。エロシーン多め。「×」というよりは「VS」が似合う関係性のようにも思ったが、受けの人は粘着されて嬉しそう。まじかよ。
第1話を掲載した後数回休むってすごいな! と、これまで読んできた漫画雑誌といえば有名少年漫画・少女漫画雑誌くらいの私は思うのだが、Cannaにはよくあることなのかもしれない。
別にBLでなくてもよくないか? と思った。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
相変わらずタイトルの響きが最高だなあ、ベルガモットアンドサニーデイ! 声に出して読みたいタイトル。
働く大人女子向け漫画っぽいもだもだした恋愛もの。別にBLでなくてもよくないかという気がしないでもない。
オメガバースって、二次創作においては行きつく所まで行ったニッチな性癖感あるけど、オリジナルBLにおいてはネタの範疇に妊娠と出産も一応入る為に社会派の側面もあるよねー。ということで、これもうっすら社会派っぽい雰囲気のある作品。
とはいえ、大概のオメガバースはαとΩのやり過ぎエロとかΩの業の深さを楽しむものだとも思う。本作も社会派っぽい面はあくまでおまけかな。
イエーイ今回一番楽しみにしていましたイエーイ!! 2話ぶん一挙掲載にしても凄い分量がある。全部で80ページ越えだもんな。
ネタバレをしながら書くので、ネタバレ無しで読みたい人は読み飛ばしてください。
今年の8月末日に刊行された第一巻の続き。殺人事件に巻き込まれて理不尽な死を遂げた佐田が、マッドサイエンティスト間宮に拾われ理不尽にもゾンビにされ、これまた理不尽にも食人をして生きることになったのが、第一巻までのストーリー。
巻末辺りで、間宮が実は顔見知りだったことを佐田は思い出す、という謎めいた展開に。
今回は、佐田の記憶に結構ぼこぼこに抜けがあるのが判明しつつ、視点は佐田から間宮に移る。
これまでもっぱら佐田視点で物語が進み、佐田の人となりを読者は佐田の自己認識という形で知ってきた。ところが! 間宮の記憶に残っている佐田の人物像がとても意外。いや、表向きは佐田は昔から非の打ち所のない、ほどほど善良な人物だった。それを間宮はスクカー最底辺のひがみ根性から「偽善者」と決めつけていたのだけれど、あることがきっかけで、佐田の邪悪な一面を垣間見たのだ。
一巻までは、クレイジーな科学者間宮に翻弄されるごく普通の善良なスパダリ佐田、という構図だった。けれども一皮剥けば、間宮は科学的探求心に突き動かされていない時には案外まともな感性を持っているのに対し、佐田は無意識ながら自身の暴力性を発揮する隙を窺っているようにも見える。
理由も無しに暴力を振るわない間宮と、理由さえあれば嬉々として暴力を振る佐田。彼らは似ているようで根の部分は真逆。
佐田の仮面を剥がすと現れるのは、過去に間宮を虐めた奴らと同じような気性で、間宮が佐田に惹かれるのはストックホルム症候群のようなものに思える。お、これって同作者の『マイリトルインフェルノ』じゃん? 『マイリトルインフェルノ』のあとがきに、最初はいじめられっ子が悪魔の力を借りていじめっ子に復讐する話だったが暗くなりそうだからやめた、と書いてあったと記憶しているが、今回はそのテーマに再挑戦するということなのだろうか?
間宮と佐田の過去編にはBLなのに若干百合みを感じる。陰湿×陰湿だからかな。
感情を表情や言葉で表すのが大の苦手な間宮の、一巻までの言動の伏線は全部一巻内で回収(あーこいつ実は佐田のことかなり好きだな、と。)されたものだと思っていたが、そのなかでの特に重要な台詞や表情の一つ一つが、実は二人の過去(しかも佐田には綺麗さっぱり忘れられている)に掛かっていた、というのにはやられた。なんてすごい構成力なの……。
ここまで見てくると、間宮の佐田に対する一方的な想いが実にエモーショナルに感じられ、間宮の佐田に対する言動の一つ一つが愛らしく思えてくる。間宮が佐田の死顔を見、「……あまり変わってないな、キミは」と呟き佐田の頬を撫でるシーンにはちょっと涙が出てしまうな。一巻収録ぶんを未読な人には、変な人の変な行動にしか見えないかもしれないけど。いまだ紆余曲折の真っ最中にあり見た目にまで苦労の滲み出ている間宮が、昔のまま歪みなく順風満帆に大人になり夢も叶えた佐田に対し、羨望と嫉妬以上の眼差しを向ける、名シーンだ。
ところで、佐田が肝心の所をまるで覚えていなかったのは、何かの影響による障害にも読めるし、加害者と被害者の記憶のギャップにも読める。佐田は間宮を虐めた人ではないけれど、佐田の心根にはいじめっ子的な所があるというか。間宮が佐田のことで強烈に記憶している部分というのが、佐田にとっては他人に対する悪意を解放した部分である(佐田本人はスカッといい気分)であるから、そりゃ覚えている訳はないか。
間宮と佐田の過去と二人の関係性、そして間宮の佐田に対する想いは明らかとなった。だが、ゾンビ化が佐田に与えた影響という伏線はいまだ回収去れていない。これが今後どのようにストーリーに関係していくのか。ゾンビものの定石として佐田が人格を喪い人食いモンスター化し暴れ出すとかいう展開も予想出来る流れだし。
次回が待ち遠し過ぎる。
えっ、この漫画もう第5話なの? あらまあ! 時の経つのは早いなあぁ。そういえば、私が初めてCannaを買ったとき、ちょうどこの漫画が新連載として載っていたような記憶がある。
ハードっぽい作風と画風で、日本の漫画という由りは海外の、フランスとかの漫画っぽい雰囲気なのだが、やっぱりBLはBL。急速に恋が始まり、油液が飛んだ。(←何かの隠喩ではない。)ここまで一応事件はあったものの凄い急展開が起こった感はないのだけど、もう5話。一巻以降も続く感じかな。次号とかで終わったら、何だったのかよく分からない漫画になってしまうし。
娼館ものでかつ猫耳獣人ものという欲張りセット。連載が長く続いているのもあり、私にはさっぱりストーリーがわけわかめ。
この間まではなんか過去の話をしていなかったか? 攻めの人がどっか遠い所に行っちゃうような話では? と、前回までの話を把握していないまま今回を読んでも理解出来るはずもなく……。絵が綺麗。しかし、何故レディコミではなくBLなのだろう? という疑問もなくはなく。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
イエーイ、これもすごく楽しみにしていましたイエーイ!! だが、ストーリーはそんなに進まなかったので、ネタバレのしようがない。
前回までの色々が解決も進展も後退もせず。フィーは子供時代に犯した過ちがシャングリラに及ぶことを恐れて怯え続けれており、一方アポロといえば、輝く白さのホワイト労働のはずがまさかの自身の性質によって馴染むことが出来ずに進退を考える局面に差し掛かっていた。
アポロが試情夫として正規雇用されて依頼、なかなか接点を持てないふたりは、それぞれの悩みを一人で抱え込んだまま、ひたすら悶々とし続ける。
精神的に詰みそうになったタイミングで、運良く二人きりになれたとこまでで次回を待て!
なんとも言いようがない。ただ、座裏屋蘭丸先生の描く、男子達がより集まってあーだこーだ言い合うシーンは最高だなあ、ということくらい。
絵柄がすごく綺麗なのに、背景を真っ裸で歩くフィーの超遠目に映ったおちんが白抜き修正されてしまうのが、地味に悲しい。全身クローズアップ絵では脚とかで隠し切っているのになぁ。
別にBLでなくてもいい気がするのだが、BLじゃなかったらこのモフモフが観れなかったので、BLでよかった。
つむぎの狐Ver.の口元のふにゃふにゃさと狐らしいお手々の感じが癒し。だが今回は人間姿でこってりエロ回。モフモフしっぽガードがよかった。
この作品はかなり人気があるようで、Cannaの代表作といえばこれ、みたいな扱いをされているけど、私はあんまり好きじゃないんだよなぁ。BLなんだけど、少女漫画特有のねっちりさがあるところが、あまり好みではない。そういうのが良ければ少女漫画を読むよ。しかし世間ではこれが王道綺麗めBLなのかもしれない。知らんけど。
***
個人的に、「BLなのに百合みがある」は正直な感想でありつつ褒め言葉でもある(と言いながら、私はあまり百合は好き好んでは読まないのだが)のだけど、「BLでなくてもよくないか?」は明確にdisりとして使っている。
せっかくの増田。何もしがらみのない場所なので、そりゃ忌憚のない感想をかくさ。
では今日はこの辺で。
強烈な他人の才能に相対すると、畏怖の念を抱くのはもちろんだけど、自分の実力のなさにも衝撃を受ける
ごめん大仰に言いすぎた。俺の実力なんてのははなからカス程度だろうとの見積もりがあるので、自分の実力の無さにはそれほど衝撃は受けていませんでした。
でも本当にすごい人というのはこの世に存在するものでして、その衝撃たるや、同じ時期のこの日本に生まれ、彼の生み出す卓越したコンテンツを日本語で摂取することができて、私はこのコンテンツに触れるために生まれてきたんだなぁという、心の奥深く腹の底の底までを充填する納得かんに沈んでいるわけです。
なんかすごいものに相対するとなんかすごい以外の何も感想が出てこないってのが問題で、私の知能が元々低いので、なんかすごいみたいなとても交渉で語彙力の高い洗練された感情表現しか出てこないってのもあるけど、なんかすごいものを見たら、なんかすごい以外の感想はやっぱり出ないんだなーと思いました。
アニメ化もされて割と有名な作品だけど、それにしても社会一般での評価は良作止まりなんだよなぁ
俺からしてみたら今世紀最大の傑作って言っても過言じゃないくらいすごい作品なんだけど、ファッション感覚で消費されているような感じはちょっと寂しいです
までも、社会一般に浸透することなくエタってしまった作品に比べりゃ超弩級タイトルでもあるし、まあいいか
俺がこの作品のヤバさを頭の天辺から我慢汁の先までよーく味わって、理解できてるだけでいいという意見もありますよ?
あと好きすぎて多分この作品にことを他人と語ることしんどい感じもする
好きすぎて誰と喋ってもお前如きがこの作品の感想を語るんじゃねーよ!みたいなめんどくさいDV彼氏みたいな境遇に陥ってしまっている感覚もあります。
どうでもいいこととかは話題にできるけど、自分が極めて心身を研ぎ澄まして相対している概念とかを語るって、すげー難しいんだなというめんどくさい世の中は多分どうにもならないのでしょう
とにかくすげー作品がこの世にはあって、作者の脳みそを見てみたい気もするし、いくら作品が好きだからと言ってもそこまでやるような変態であってはほしくないと言った家族の声が散見されます。