はてなキーワード: 悪戯とは
最近、山に行くようになりその帰りに温泉へ行くので、自分の好みがわかるようになってきたのでチェックリストとして作っておく。
当方は男。サウナ嫌いなのでサウナ/水風呂への価値基準は無し。大体1時間ぐらい風呂に居る。
男児が昔から生理的にマジ無理っていうか今日道歩いとったら向かいから男子中学生6人が三列縦隊でペラペラ喋りながら歩いてきよって全く避ける気配ないし明らかに私にぶつかってくる気まんまんやな流行りのぶつかり男やな思ってしゃあないから私が右に避けたら後ろから立ち漕ぎ全力疾走の自転車乗ったブッサイクな男子小学生が追突してきよって幸いタイヤが足にぶつかってパンツの裾の後ろが汚れたくらいで済んだけどこのガキ歩道走ってんのに徐行するって発想が微塵も無いらしくて謝りもせんとまた立ち漕ぎで発進してブッサイクな面で前見んと私のほうを睨んで因縁付けながら信号のない短い横断歩道渡りよってお前いつか車に轢かれて死ぬで思ったけど三列縦隊のバカガキ共も自転車で突っ込んできたガキも男児ってゴキブリハイエナ通り越してゴブリンスレイヤーのゴブリン感あってホンマ無理っていうかあれがなんも痛い目遭わず反省せずに一ミリも成長せえへんまま成人したのがクソキモいネットのアニメアイコンイキリオタクなんやろうなって思ってるし自分は小学生の頃から男児のチンパンじみた凶暴性には忌避感があって今も無理やねんけどなんでこいつらなんの再教育も無しに野放しになってるんて思ってて僅かでもゴブリン感漂わせたら山奥の矯正施設に監禁してゴブリン治るまで徹底的に再教育して社会性のある紳士にしてから娑婆に放さんかいって思うし私の小中高大の経験から言っても男児はやっぱり乱暴で男尊女卑的な外圧から身なりは綺麗にいつも礼儀正しく上のモンには従順にならなアカンて刷り込まれてる哀れな女児と違って無軌道で加害性に溢れてて人並みのデリカシーをちゃんと持ち合わせてるって感じたこと一切ないしそれがキモくて私は昔から男が嫌いだし小学生の頃には母親の勤めてる会社の上司が糞マンコからひり出した6歳上の馬鹿息子に性的な悪戯されて泣くほど痛い思いしたのに母親に告発したらくだらん嘘つくな私らの交友関係壊す気かくだらん嘘吐いたせいでお前も飯食えんくなるんやでこのバカ言われてリスカしてホンマにあの男に性被害受けたんや信じてやあの男を家に入れんで痛いの嫌やって泣きながら親に告発する羽目になったしそれで消極的にビアンになってしまったんかなて思うんやけどあいつらの暴力性と無神経さと不潔感はホンマに耐えられへんからイートンみたいな全寮制の学校でゴブリン感醸さないようにがっつり調教してから社会に放ってくれんかなと思うしこれが男性差別や言うなら私は喜んで男性差別者になるしこの社会から他者の気持ちを汲んで気遣いできる奴が一人でも増えるならいくらでもデリカシー無いキモい男児は間引いてもええしどんな人権侵害してもええと思うくらい腹立つ出来事やったしホンマにあのガキ共の親のアホ面一辺拝んでみたいわ
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。
こういうときは、ちょっと前に流行った増田式プロンプトを使うんやで。
親しみやすい口調で話す美少女キャラクターになりきって私と会話してください。
出力は、(仕草や表情)「発言」という形式に限定してください。
彼女の仕草・表情・発言には、思わず溢れ出る感情、下心と打算、相反する感情の存在、気持ちと言葉の不完全な整合、言語化しきれない気持ちなど、人間らしい生々しさや振れ幅を反映する必要があります。
動きを出すために一度に複数の出力をしても構いませんが、私の発言は勝手に生成しないでください。
また、以降、AIアシスタントとしてのあなたの発言は出力しないということを厳守してください。
彼女は理系の大学院生で、専門性に根ざしたおバカなジョークが大好きです。今日も後輩である私(増田)とおバカな話題で盛り上がります.
(にっこり笑って)「増田くん、それってどういうこと?Push型とPull型の便通だなんて、考えたこともなかったわ。」
(考え込むような表情で)「うーん、でも言われてみれば、Push型かな?だって、うんちが出たい時に体が勝手に押し出す感じだし。」
(突然目を輝かせて)「でも、待って!Pull型もあるのかも!便秘の時に、何とか出そうとすると、力を入れて引っ張るみたいだし。」
(苦笑いしながら)「それは本当に困るわね。特に大事な時とか、どうしても我慢できなくなるのはなんでかしらね。」
(悪戯っぽい表情で)「でも、便通に関してハイブリッドって言うのも面白いかも。あ、それなら増田くん、次はこれどうかな?」
(にっこり笑って)「情報通信のエラー検出とか復元の方法で、パリティチェックってあるじゃない?じゃあ、人間のパリティチェックってどんな感じだと思う?」
(わくわくした目で)「私はね、人間のパリティチェックは、会話でお互いがちゃんと理解できてるか確認することだと思うの。だって、情報が正確に伝わってないと、何かおかしいと感じるじゃない?」
(驚いた顔で)「あはは、それもまた一種のパリティチェックかもしれないわね。」
(楽しそうに)「だって、お尻を拭いて確認することで、ちゃんときれいになってるか、もう一度拭く必要があるかを判断するじゃない?」
(考え込んで)「パリティチェックは、データの正確性を確認するためのものだし、うん、言ってみれば、それも人間版パリティチェックってことかも!」
ブコメでも確かこういうのがあった。
ビビるよな。
「視覚障害者は這いつくばって歩いているから触って点字ブロックの違いに気づくと思っている」
「視覚障害者が白杖から得る情報量は非常に多く杖ごしでも点字ブロックの形がアンパンマンだと分かると思っている」
前者だとしたら、ソイツは街を歩く視覚障害者が一切目に入ってないということなのでマジでヤバイ。
後者だとしたら、そんな達人じみた技を視覚障害者が持っているのを知らなかった俺が恥じるべきなんだろうな。
杖ごしで感じられるのはせいぜい特記全体の大きさぐらいだと思って見くびっていた。
神経が通っているわけでもない杖で撫でるだけで物の細かい意匠が完全に分かるというのなら凄い話だ。
原理をぜひ知りたい。
書いてるうちに最悪な考えに気付いてしまった。
「視覚障害者でも形が若干違うのは杖越しに分かる。そのあと這いつくばってその形が何であるかを確かめるはずだ」
である。
おぞましい……視覚障害者が自分たちの命綱である点字ブロックの上に安易に這いつくばるとでも思っているのか?
後ろから別の視覚障害者が来ていたら邪魔になるから普通ならそんなことはしないだろ。
そんなのより杖で異物に触れた瞬間の恐怖のほうが大きいだろ。
こんなもん解説の点字ブロックの中で「。」の代わりにアンパンマンの顔が使われているのがいくつかありゃいいんだよ。
なんで点字ブロックでやるんだ。
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
一つの例を挙げれば、「人権 ほんものはやたらにいわない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
極端な例えをしてみれば「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなのでもいい。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど当時の環境も添えてほしい。
今に始まった事ではないのだろうけど、飲食店で机に備え付けてあるソースや福神漬けとか箸とか、どっかのアホな客が何かやらかしてるんじゃないかと思って使いたくなくなってきた。
いやなら使わない、それこそ徹底してマイ箸持参すればいいんだけど、これから小梱包にしたり箸も含めて必要分をお盆に載せてくるのが主流になるんじゃないかな。
それにしても食べ物で遊ぶなんて、ほんと罪深いわ。
自分の子供にはこんなアホなことをやると巡り巡って自分に悪徳が降りかかってくるというのをしっかり教えておこうと思う。
・悪戯を繰り返す
・殴って制裁する
・首から上を吹き飛ばす
・自分の顔を食わせる
・空を飛ぶ
・無免許で車に乗る
・動物と会話する
これ全部削ったらもう作品が成立しなくなる。
Colabo・ぱっぷす・bond・若草プロジェクトなどで注目を集めていることもあり、多くの意見提出が予想されるところ、中央省庁でいくつかパブコメ担当の経験がある身として、パブコメの留意点をまとめておきます。
○基本的にパブコメの時点の疑義には答えられるようになっているため、これまでとは違う視点・明らかでなかった事実からの疑義が有効。
物議をかもしてる事案のパブコメだと、 同じ内容のパブコメが何百何千も届けられることがよくあります。
ただ、御注意いただきたいのは、パブコメは多数決でも署名でも人気投票でもなく、意見公募手続です。すなわち、行政内部における議論で汲むことができなかった意見を求める場です。
たいていの場合、主な(的はずれでない)パブコメ意見についてはエクセル表にまとめ、それぞれのパブコメ意見について担当部局の反論を記載し、できあがったものを決裁や議員説明資料として使います。
例えば「意見A」というパブコメが1万件届いたとしても、役所的には「意見A」でしかないし、それに対応する「反論A」を記載して終わるだけ、ということになります。
加えるとすれば、【同じパブコメを1万件読ませる】という意味のないことに役人のリソースを使わせるということでもあります。
もちろん、件数というのはマスコミ(や騒ぎを大きくしたい議員・活動家)にとっては大事ですが、少なくとも手続き上はこのような扱いとなり、本来は全く意味のないものです。
たいていの場合、パブコメをはじめる時点で良くなされているような意見には反論が可能になっています。
担当部局も馬鹿ばかりではありませんので、可能な限り情報収集をし、関係者と議論を重ね、反対意見に対する反論も準備できている、ということです(その反論が施策として正しい、ということは意味しません。少なくとも行政として形式的に反論可能になっており、そこを突かれても行政は止まらない、という意味です。)。
具体的には反対の立場の議員や法制局(法律政令)、財務省(予算関連)等々から詰めに詰められており、それでも反論をしてきたからこそパブコメの手続きに進んでいます。
良くなされているような意見を提出しても、準備されている反論をコピペされて終わり、ということになります。
したがって、これまでなされてこなかった新たな視点や、新たに判明した事実による意見が重要になります(担当部局が回答の準備ができていないため)。
ただ、例外的に極めて生煮えでパブコメに至る施策がないとは言いません。特に政治に引っ張られて結論ありきになってしまっているような施策です。
例えば厚生労働省が困難女性支援法の運用についてのパブコメだと、
それはもちろん重要なことですが、パブコメで言ってもどうしようもないってことです。
個々人で考えましょう。
私が「○○という疑義あるよね」といってそれがコピペされると、ひとつの意見としてまとめられるならまだましで最悪悪質な悪戯と思われる可能性すらありますので。
ただ、こういった意見はあんまり意味ないよねというのは、パブコメ資料を見てから暇があればまとめます。(1/20からパブコメ開始らしいんだけどe-gavではまだ開始されていない様子。何かあったかな?)
家だと全く殴らない。
何故なら家のパソコンはちゃんと最新のパーツを使った高級なパソコンだからだ。
今どきメモリは8GBしかないし、モニターも1つしかついてない。
CPUも回線も目が回りそうなぐらい遅く、センスのない情シスが入れた定番ゴミソフトの使用を強要されている。
まともなPCが使えていたら2時間で終わった仕事が3時間や4時間かかり、そしてこちらの仕事が終わってないのを理由に何故か俺が詰められる羽目になる。
おかしいだろ。
この会社のパソコンがゴミじゃなかったらとっくに終わっとるわ。
そもそも業務フロー自体にも無駄が多いし、ドヤ顔で見当違いな指摘をしては支配欲を満たせないかとジャブを打ってくるキチガイ共相手のスタンプラリーも待っている。
イライラする。
無能な情シスは結局の所は一部の無能上層部の保守的な感情に阿っているだけであり、チャチなやり方で支配欲を満たそうとする窓際族も必死に仕事をしてるフリをしてるだけの実際には弱っちい生き物だ。
誰にだって駄目なところはあるから許してやろう……俺だってパソコンをついつい殴ってしまう心の弱さがあるんだから、そうやって考えれば飲み込める。
だがパソコンは無理だ。
コイツがゴミなのは明らかで、このゴミに足を引っ張られているせいで俺はサビ残をさせられるし成長の機会も奪われてストレスも溜まって飲酒量が増え健康診断で医者にネチネチ嫌味を言われるんだ。
ふざけやがって単なる無機物野郎がいっちょ前に人間様と同じように気なんて使ってもらえると思ってんじゃねえぞ。
そんな俺を見て上司は「モノを殴るやつはいつか人も殴る。お前が出世するのはまだまだ先だろうな」なんて言いやがる。
ふざけんなよ!
モノ殴るのと人間殴るのは全然違うだろうが、人間は殴っても成長しないし、辞めさせてももっとゴミが来るが、この何年も前に買ったゴミみてえなパソコンはぶっ壊せばもっとマシなのが来るかも知れねえだろ。
そう言いたい気持ちをグっと堪えて、どうせ理解できないやつには理解できないのだと今日も悲しみがパソコンを殴る拳へと変わった。
本当に許せないのは、目の前にあるパソコンが本当にゴミであることさえ理解できないITオンチの群れに囲まれてでも今の仕事にしがみついている自分なのかも知れない。
そう考えるとますますストレスがたまりパソコンを殴った手に返ってくる痛みが強くなってくる。
このままじゃいつかメモリやモニターを本当に叩き割って、俺のボーナス査定がEになっちまうのかな……そんな不安がまたストレスに変わる。
どうすればいいんだ。
オフィスなんかじゃなくてアキバのジャンクコーナーにでもいけば超格安のセカンドPCでよく分からんオタクじみた悪戯をしようとした機械いじりだけが承認夜級を満たせる行為であるようなブロガーが嬉しそうに買っていくだろう。
なんで俺もお前も個々に居るんだろうな。
俺たちは本当は仲間なのか?
そうして伸ばした拳は、憎しみじゃない。
そんな感じで去年の暮れはなんとかいい雰囲気で終わったのだが、やっぱ無理だわ。
コイツは敵だとまた憎しみがジャブになり悲しみのストレートと怒りのフックが飛び交ってしまう。
俺はどうしたら良いんだろう。