はてなキーワード: 怪物とは
重要なのは循環していることではなく、相互にせめぎ合っている所だろ。
俺が推すのは「憧れは次の憧れを生む」「夢は夢を超えていく」だ。
憧れた夢の存在を追いかけるうちに、いつの間にか自分が相手を追い抜いてしまう。気づけば目の前には最前線の孤独な景色。その哀愁を振り払い、自分もまた自分をいつか打ち倒す次の憧れを生み出すために輝こう。この歌詞にはそんな誓いが歌われている。
輝かしいアイドルの世界への憧れを歌いながらも、その果てにあるのは己を育てた世界に貢献するため次世代の踏み台となる覚悟であるというのだ。自身の限界さえも超えた絶対的上昇意識、アイドルの飽くなき輝きの探求が込められた詩だ。
思えば前作においても、頂点を極めた神崎美月は己を超える怪物、星宮いちごを育て上げることに一切手を抜かなかったし、最強のバトンを託された星宮いちごとそれを追いかける大空あかりとの師弟関係にも躊躇は全くなかった。
憧れにより憧れを超えたものは、夢として夢に追い越されることを務めとする。
磨き抜かれたダイヤがより大きな原石を研ぐために己を削る、そうして鍔迫り合うたびに巻き上がる火花こそがアイドルの輝きなのか。
終わりなきデッドヒートの熱狂と悲哀、どこまでも伸びる高揚感の危うさ、太陽へと飛び立つイカロスのような無垢な憧れの光に魂まで灼かれそうになる。
皆で決めるゲーム音楽ベストから最近の強いの引っ張ってきてぶつけたろ!
そう思って調べてみたが、メジャー作品順に並んでるとしか思えないランキングを見て愕然としたOTL
もうここ数年はカービィ ポケモン ポケモン スプラ 常連 カービィ ポケモン リメイク ソシャゲ みたいな状態やん
なんだこの止まった世界は。
単発で突然現れる怪物は大体どれもレトロチューン風だしよお(ドーナツドドとかな)
んでまあ強いやつらってのは大体爆裂マネーで有名人を囲い込んで音源もリッチとかな。
たしかにコレは終わっとるわー。
もうゲーム音楽に「隠れた名作」ってのは存在しないんじゃないかなー。
ゲー音スレの発掘も『英単語ターゲットDS』の『Counter Strike』が最初で最後だった気がするし。
なんかもうゲーム業界も定番芸を引っ提げて売れ線共がセルフリメイクを無限に繰り返してるだけなんだな。
つうかそもそもさぁ!(急速反転)
ゲーム音楽に思い出補正以外の要素いるぅぅぅぅ!!!???????(アクセル全開)
『The Town Inside Me』だ!!!!
知らねえだろ?
うひょ~~~~~~~必要なのは小理屈じゃね~~~~~~~~1000回聴き込んで魂に焼き付いた残像の熱さだけだぜ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(吶喊)
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
第一章、第二章とホラー過ぎて怖かった。韓国映画なら祈祷師が呼ばれて悪魔祓いすることになりそう。
予告の映像だとクラス全体、学校全体が何か秘密を隠してる!それは何なんだ!ってスケールが大きそうな話に思えるけど、そんなことなく隠し事してるのは少年2人でこじんまりした物語だった。
で、問題のラストシーン。親と教師が探しにきた時は大雨だったのに、2人が脱出して出てきた時はめちゃめちゃ快晴。これだけなら台風一過かなと思うが、2人が出てきた場所は秘密基地がすぐ見える場所なのに近くにいるはずの親や教師の気配はない。最後は妄想・霊体で駆け回るのかなとも考えられる。火垂るの墓で最後に兄弟が駅をうろつくシーンみたいなことをしているのかなと。
ああそりゃ毒親だったろうよ
でもな、さんざん謝ったじゃん
さんざん頭下げたじゃん
なのにことあるごとに私のせいだ、
いつになったら許すんだよ、30代にもなってさぁ
大体、ガキはキツく叱らなきゃ言うことを聞かないだろ、その過程で多少の人格否定も必要だろ
毒親のやることはたくさんしてきたよ?でも、誰のお陰で学校通えた?飯を食えた?雨風しのげる建物の中で暮らせた?
昔を責めるよりむしろ感謝がほしいくらいだよ、でもお前の気がすまないからどうしょうもないな
で、何回頭下げてやればいい?何回お前がうまくいかなかった事を私のせいとしてやればいい?何回お前の精神が未熟なことを私が悪いと責められたらいい?
私が毒親ならお前は毒子、私以上の毒だよ
お前がガキ作ったら私と同じ事をするだろうな、なんなら私よりひどいことをするだろう
ガキのまま精神が成長しなかったお前ならな
なんでもかんでもこっちのせいにしてんじゃねえぞ、今で言うなら「子ガチャのハズレ枠」が
男女で枕を交わす――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だと、短絡的に結びつけるのはナンセンスである。
そこらで強引にナンパして、密室に連れ込むなら話は別だが、たとえばお笑い芸人、YouTuber、TikToker、ホスト、はてなブロガーなど、それなりの世界観を打ち出して、ファンを産み出せるようになると、一定の確率で、女性から性的アプローチを受ける。
というよりか、通常の現実界――学校や会社でも、『ハイスペイケメン』『スクールカーストの上層部』『尊敬されるポジション』といった、一定の条件をクリアすれば同じ事が起きる。
もちろんそこには、「寂しさを解消したい」「頭をバカにしたい」「あなたの人生に登場させて欲しい」などの想いも含まれる為、男が持つ性欲とは、少しばかし性質が異なるかもしれないが。
こうした事情を知ってか知らずか、とりま誰かを叩きたいのか、モンキーなのかダチョウなのかは判然としないが、なんでも一足飛びに、「性欲に負けた男が悪い」と鳴き叫ぶ者がいる。
ちなみに今回は、つい先日投稿した記事に対する、一部コメントへの反論だ。
https://anond.hatelabo.jp/20240317193948
普通に考えりゃ分かるはずだが、とある男女が出会い、真剣に向き合うつもりで絡んだが、総合的な相性が悪く、関係性が発展しない……といった事はいくらでもありえる。
そして、初っぱなは、不遇な環境でも、一所懸命に生きる尊い子に思えて、蓋を開けてみると、『自他境界線のぶっ壊れたバケモン』な事がある。
そうした地雷を完全に撤去して、安全なる恋の道だけを歩むには、身辺調査でもやって、親の離婚状況、精神病の罹患歴、知能指数、中卒か高卒か大卒か……など、優性思想的な判断基準でもって、審査せねばならなくなる。
とりわけ、病的にやべぇ奴の中には、異常な環境で育ったからこそ、表面的には立派な職業に就いていたり、情緒を安定させて見せたりと、『まともを偽装するスキル』を獲得していて、すぐには見抜けない事がある。
冗談抜きの話、思いやりに溢れた丁寧な文体が、少しずつポエム調になり、終いには、濁点や句読点の位置がずれ、謎のスペースが空いた怪文書に変わってゆく恐怖は、体験しないと分からないだろう。
そんなこんなで本件――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だけではない……について、分かりやすい例として、僕の実体験を箇条書きする。
※遠距離ゆえのノリが生じた
■実際に会うとタイプじゃなかった
表情、空気感、振る舞い……波長が合わない
■当然、性的にも乗り気になれない
しかし、女性が化粧直し、お洒落などをして、積極的になっている
そのうえで、2人は密室にいる訳だ
■じゃあどうするか?
雑に断り、傷をつけるのもよろしくない為、カウンターパンチ方式で枕を交わすのだ
たとえば、相手が5%近付いてきたら10%近寄る、10%触れてきたら20%触れる、20%のハグをしてきたら40%のハグを行う……といったやり方で、相手の初動に合わせて倍々ゲームで、『演技の喜び』『演技の行動』『演技の興奮』でリアクションし、その時間を乗り切ってゆく
この方針を貫く事で、「男の方が積極的だった」と思わせ、女のプライドを崩さずに済む
無論、タイプではなく快楽は薄いが、脳の老化を防ぎ、心の健康を保ち、アンチエイジングになるから、そこそこのWin-Winである。
横になりながら関係性の話をしたとき、付き合いに関しては、「友達としてなら大事にしたい系だけれど……」という流れで断った
僕は眠り落ちるモードだった為、受動レベル100%だったが、馬乗りになられてピリオドを打った
――とかなんとか、4年前に地雷を踏んだ僕だが、それから100人前後の視聴者さんと会い、ご飯をご馳走してもらったり、LINE通話配信でも、また別な100人以上と会話したりで、少なかれ経験を積んだ。
ストーカーとは、ある日突然に出現するパターンだけでなく、残念ながら、こちらの対応ミスにより、怪物へと育ててしまう事がある。
とくに女性のストーカーは、境界性パーソナリティ障害――見捨てられ不安が強く、「自己と他者」の境界線を引けないゆえに、妄想と暴走でぐちゃぐちゃになりやすい。
であるから、「絶対に付き合えないけれど、悩みぐらいは聞くよ」など、中途半端な優しさを発揮すると、危険なアメとムチ――親子に近い関係性になり、そこに執着が生まれてしまう。
そして僕が陥ったケースでは、「タイプじゃない」と断った後も、「壮絶な親子関係があった」「身内が自○してしまった」「日々、孤独だ」という、身の上話を聞かせられて、定期的に耳を傾けていた。
それというのも、僕の場合はまた特殊で、動画投稿/生配信をやり続けている為、マッチングアプリなどの出会いとは異なり、僕という存在を深く知ってくれる人が、会いに来てくれる率が高い。
その為、たとえタイプではないにしても、関わりを持ってくれる人には、なるべく幸せな気持ちでいて欲しい。
だからこそ、少々、異常が垣間見えていても、スパっと切り捨てるのではなく、「気持ちは分かるよ」「みんなぶっ壊れる時期があるよ」などと、浅はかながらも寄り添いを継続してしまい、泥沼化させてしまうのである。
――そんな訳で、長々しく書いたが、生きるって大変だ。
しかしながら、僕は社会不適合者歴も長く、とことん開き直って、楽しく暮らしている。
もっと言えば、高い好感度で売っている訳でも、安定を求めている訳でもない為、いつどこで、どんな嫌がらせを受けようと、どんな事を暴露されようと、どんな刃物で刺されようとも、すべてネタにして、熱量たっぷりの語りと文章で――すこぶる叫び続けるのみだ。
https://x.com/aoiken72/status/1769099051499221273
異論は認めるけど、小説は文章の読み書きが好きな人が書かないといけない。絵を描くのが嫌いな漫画家はいないでしょ。でも、何故が文章書きが嫌いなのに小説書こうとする人はいる印象。
別に小説を書いていけない人間なんていない。誰だって好きに書けばいい。そんなことはこいつだってわかってるはずなのにわざわざこんな言い方をする理由は単純で、小説を書いてる人間をさらに「文章の読み書きが好きな人間」と「そうでもないくせに小説書きは高尚な趣味だと思ってやってる人間」に差別化して、自分を前者に置きたいからだ。
何のことはない、この発言は、自分が今までやってきた「小説書き」というステータスが実は誰だって簡単に得られるものだと気づかれそうになったと思ったこいつが、既得権益(そんなものはないのにね)と特権(そんなものはないのにね)を守ろうとしてるだけのポジショントークに過ぎないんだよ。剥がれかけた化けの皮を元に戻そうとあがいた結果、むしろその下にいた自己意識の怪物が顔を現したってわけ。
創作者諸君。こいつを始め、インターネットで創作論を語ってる人間のいうことを聞かなくていい理由がここにある。創作論を語ってるやつは、自己顕示欲が肥大化した元創作者のなれの果てなのだ。本当に創作を愛しているやつは、名誉欲にとらわれていないやつは、自作を書くのに忙しくて創作論なんて語ってる暇はないのさ。それをしていないってことは、こいつの創作に対する愛はそんなもんだということだよ。本当に創作を愛しているあなたが、こんなやつに惑わされる必要はない。
文章を書くのが嫌いだっていいじゃないか。宮崎駿は絵を描いてるときいつも面倒くさくてたまらないって言ってるらしいぜ。自分の作品を面白いと信じ抜いて、最後まで完成させたやつが勝ちだ。PV数が思ったより少なくたって、ひどい感想が届いたって、別にいいじゃないか。あなたはその作品を完成させたのだから。少なくともあなただけは、その作品を愛しているのだから。ほかの誰もが見向きもしてくれなかったとしても、あなただけが、あなたの勝利を知っている。
創作は、現実のしがらみから逃れて、自由になるためにあるものだ。そこには誰にも認められない孤独と、自分だけに渡されるトロフィーがある。
大丈夫、あなたが創作をする権利は、誰にも奪えやしない。あなたがどんな人間だろうと、小説を書いてはいけない理由なんてどこにもないし、あなたの顔を見たこともないのにそれを決めつける人間はもれなくクズだ。
以上、自分の心の中の弱さを滅ぼすべく書き殴ったポエムだが、気まぐれにネットの海に放流してみる。誰かの支えになれるとうれしい。
「◯◯大学ラグビー部 お断り」とか「お相撲さん お断り」とか店の前に貼られたらあとで監督や親方にめっちゃ怒られると思うんだけど……。
えーっとね……『我田引水』って言葉があるんだけど、聞いたことない人も多いかな?
水源から引いてきた水をどの田んぼにどれぐらい流すかを農家の人は話し合って決めてたりするんだけど、たとえば自分の田んぼにばかり水を流したら他の田んぼは枯れちゃうでしょ?暴力を背景に強行することは出来るかも知れないけど、最後は村八分にされたら暗殺されてもおかしくないよね。だって他の人の畑が枯れちゃったらその人達は暮らしていけないもの。だから自分のことばかりじゃなくて、他人のことも考えなきゃ駄目だよ。って話の「自分の田んぼのことだけ考えて水を引く(他人の畑が枯れても構わない)」って部分を抜き出した言葉なんだけど。
食べ放題でお店が損しても関係ないって顔して食べるのなんてまさに「我田引水」だよね。
お店だって利益を出さなかったら土地代も払えないし、自分たちの食い扶持だって維持できないから。
食べ放題の値段設定も基本的には「普通の人が普通に食べて、それでお店が経営を回せるぐらいの価格」に設定されてるわけ。
ラガーマンが荒らしてくるのを前提にして高く設定したら、他のお客からしたら割高になっちゃうし、そうなると店も「ラガーマン共のせいでこんな値段になっちゃって申し訳ありません」って気持ちになるよね。
最初から「ラガーマンお断り」ってお店の前に貼ってもいいけど、それはそれで地域からラガーマンを追い出そうとしてるみたいでお互いに気分が良くないでしょ?
だから、ラガーマン達は食べ放題のお店に行くときは手加減しなきゃいけないんだよ。
自分たちが町から追い出されるべき怪物として扱われないようにするために「僕たち……人間……共存できる……ウホウホ」って態度で示さなきゃなの。
それが出来ないんだったら、「食べ放題、ラガーマン・力士お断り」って街中に貼られて、その結果として「ラガーマンって人の迷惑も考えずに食べ放題で暴飲暴食するんでしょ?モラルがなさそうだよねー」って評判が立って、大麻事案とかが起きた時に「食べ放題でお店のことも考えずに食べまくるような我田引水の人達だし、社会規範とかガン無視で大麻とか吸っててもおかしくないよねー」みたいになっちゃうわけ。
自分たちの身を守るため、社会と共存するためにも、手加減すべきときには手加減をするべきじゃないの?
これって当たり前のことだと思うんだけど?
”若手から「ご自身では反体制だと思っているかもしれないけど、もう業界においてはあなたも権威なんだから、正しい権威になってくれ」と言われて……。『怪物』で批判が起きた時に、そういう立場の人間がスルーしてはいけない、と突き上げを食らいました。”
これって、アホなことや毒舌((笑))で面白がられていたインターネット一般人(や木っ端タレント)がキリ番999999超えるとかフォロワー1000人超えるとかブクマ500超えるとかしてくると
【視点】お三方の鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィアの当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。
私はいわゆるクィアの当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちからの批判の声」とは全く違った感想を抱いている。
私は、この「怪物」という作品から、他の映画や作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。
あまり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。
それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議な勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。
だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ「普遍的な物語」として描きつつ、しかし当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。
今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側からは安易なカテゴライズの道具として使われがちでもある。
だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。
そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。
「怪物」という作品は、そこに安易な名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。
私はむしろ、この作品が、クィアやLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな、陳腐なものになってしまったのではないかとすら思っている。
そしてラストシーンについても付け加えておきたい。
鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分を肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。
そして、その後は描かれなくて正解だったろう。
その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己を肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。
私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。
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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html
DQN男は、かわいい子がいると見境なく発情し、攻撃的に接し、DV洗脳で性奴隷にしようとするケダモノだ。
だから、DQNとか見ると、露骨にかわいい子ばっか叩いて、さも嫉妬ブスの好感を得ようとしながら、異常性欲を満たそうとする。
逆に、性欲を感じない相手、ブスや腐女子なら、特に性格が悪くて屑な奴ほど持ち上げて、表向き女に甘い風に見せかける。
もちろん、飽きて邪魔になったら、どんな酷いやり方でもして捨てる。
風俗に売り渡す、外国に売り飛ばす、ヤク漬けにして廃人にする、樹海や海の底で始末するなんてのは、ヤクザと知り合いな奴なら平気でやる。
なんか凄そうなこと言ってたので興味湧いたけど、読んでるウチにびっくりしたわ……。
ある日天体部の見学へと誘われる。そこで待ちうけていたのは自らを「火者」だと名乗る生徒たちと、「光狩(ひかり)」と呼ばれる異形の怪物と共に戦ってほしいという勧誘だった。
うーん……まあこれはありがちなんだけど。
学生らしく1週間のスケジュールに沿って進行するゲームプレイが特徴で、月曜日に決定した訓練方針に従って能力値を上昇させ、土曜日には火者の仲間を誘って特訓。
ちょ……「タルタロス」までパクってるし……。
Fateもなんか盛り上がってるな―と思って調べてみたら、文豪ストレイドッグスのパクりすぎたし。
これを「伝説」と言い張るの凄いよ。