はてなキーワード: 思考とは
婚活すると、覚悟決めて独身やっていくしかねーって思えていい 条件の良い女奈良別だが、条件の悪い女は結婚するより独身のが幸福だ
婚活するとこれがよく分かる
自分もろくなスペックをしていないので、会える相手は基本的に以下
・ドブサイク
・アスペ
・35歳以上
・頭が悪い
単純に一緒にいるのが辛い
そして、間違いなく相手も同じ感じのことを考えてる
女はセックスが褒美にならないので、男よりさらにその傾向がある
あまり者同士でいびつにくっついても、まあろくなことにならんよね 不幸を産むだけ
私もそこそこ高齢で、運が良けりゃ子どもが産めるよネーな年齢なんだが、こういう相手と番って子どもが産まれるほうが悲劇だ(子ども自身にとって)
人によるが、少なくとも私個人に限って言えば結婚して幸福度が上がることはありえない
頑張って働いて、金ためて、健康に気をつけて、安楽死を制度化するっきゃねー!これ以外に自分が幸せを維持できる道はねー!!って覚悟決まったよ
将来苦しいことがあっても「結婚の道を選んておけば‥」っていう思考の逃げ道を塞げた
独りでやるしかない
あえてストレートに書くけどだらしなくブクブク太る女性とは別れた方がいいしパートナーにしない方がいい
自己管理がなっていなく、自制心がなくて自分に甘く自らを律する事が出来ない地雷女の証拠だから
さらに、もし太った理由を自分の生活や自己管理の話を除いてストレスなどの愚痴ばかり言うようなら常に自分がかわいく他責思考で生きてる人間ということ
将来そんな人と安心して家庭を築いていける?私なら無理
彼女さん、申し訳ないけど性格がどこかしら幼稚だったり、思考なんかで成熟出来ていない所があるんじゃないの
太っている女性は愛嬌ある人が多いなんて意見がたまにあるけど、愛嬌があるって言われる肥満女性の大抵はその幼稚な性格ゆえにコミュニティ内でもそういう「甘く見てもらえるコ」みたいなポジションに収まって責任感や大変な苦労を要する事柄に取り組んだ経験がないから顔つきがいつまで経っても幼いだけなんだよね
ほら出た異常者の思考
モテる方法を聞いているのに、モテるよりも人生のパートナーを作るほうがいいよ、そのためには「人間扱い」するのがいいよと言ってくるからである。
モテることすらできない人間が人生のパートナーって美少女が空から降ってくるのを期待するようなものでしょ
そんな自分としては、モテることより友達を作り人間関係を豊かにする方が大事だと思う。モテるテクニックで恋人を作っても意味あるのか?と思う。
・あがり症
・指先を素早く動かすのが苦手
・反射神経が悪い
発達障害によるものなのかどうかははっきり分かんないけど、無関係じゃないと思う。ゲーム好きなのに、下手過ぎて「ゲームが趣味です」って言えない…
FPSはすぐ落ちるか、スキルの使い所ぐちゃぐちゃでいつも味方に迷惑かけてるし、1vs1の対人ゲーも勝てないし、難易度はノーマルで限界…
論理的な思考力は高いのか、ゲーム内の回路とか、そういうギミックに対する理解度は抜群にいいんだけど…俺はカッコいいプレイングがしたいんだよ!
弱者男性が言いがちなことに対していちいち真面目に反論してみる企画
これは明らかに間違ってる
っていうか暴力的な男が好きなのは頭の悪い底辺DQN女だけであり、普通のまともな女は優しい男のほうが好きだろう
なお、ここでいう優しい男とは小さな変化によく気が付き、相手の気持ちにも敏感で、気遣いがスマートであることを意味する
相手の気持を察するのが苦手なうえ自己主張も苦手なコミュ障は優しい認定をされることはない
弱者男性の認知の歪みは、おそらく過去の経験と酸っぱい葡萄理論によって形作られたものだと思われる
すなわち、弱者男性は過去いじめられるか何かして「社会性のある普通に優しいまともな男」のことまでDQNの暴力的な男だと誤解するようになった
加えて、非モテ弱者男性は内心で女性を見下していながらセックスの相手を求めるという二律背反を抱えており、酸っぱい葡萄理論を無意識に適用した結果「彼氏のいる女はもれなく底辺DQN女」といった認識を形成した
こういうプロセスで、弱者男性は「優しい男はモテない」などという間違った考えを身に着けたのだと思われる
現実は優しい男の方がモテているし、彼女のいる男は大概彼女に対して無類の優しさや気遣いを発揮しているし、女を殴るような男に寄ってきているのは底辺DQN女か自己肯定感激低のメンヘラだけであるし、弱者男性は別に言うほど優しくない
「恋愛においてブサイクかどうかは関係ない、清潔感の有無が問題なのだ」といった言説を見た弱者男性が言いがちなことである
弱者男性は「清潔感というのは生まれ持ったステータスに他ならず自分のようなブサイクはどれだけ努力を重ねようが清潔感を身につけることはできないし恋愛はできない」等と盲信している
言うまでもなく清潔感の有無と顔面のレベルは全く関係のない概念である
イケメンであっても清潔感のない男はいるし、ブサイクであっても清潔感を身につけることで普通に恋愛を謳歌している人もいる
まず、恋人のいる男だって、坊主頭にして眉毛も全剃りすれば非モテ弱者男性と同程度の顔面レベルをしていることがわかる
ただ、普通の男は「どういった服装をしていると他人からの好感度が高まるか」ということについて小中高大の間にしっかり学んで把握しており、他人から見られても恥ずかしくない髪型、服装を選択するスキルが備わっていると言うだけの話なのだ
ただ、スキンケアを怠り肌が汚くて、眉毛も整えないから全体の印象としてアホ面になっていて、歯磨きが下手くそなのか歯も黄ばんで汚いし、髪の毛もろくに櫛で梳かさず、髪型はもみあげが伸びた気色悪い髪型をしていて、表情も暗くてのっぺりしていて、いい歳して英字のプリントされたシャツを身に着け、着合わせをろくに意識せずに使い古した真っ青なジーパンを身に着け、フケの付着した似合わない四角い眼鏡を装着しているから不気味な印象になっているってだけの話である
いま彼女を連れている人だって中学高校時代に似合わないファッションをしたりしてきちんと恥をかきながら「周りからどう見られるか、どう見られたいか」を学習して今の外見にたどり着いている
令和になっても「ただイケ」なんて死語を使うのは本当にみっともないことなので、そのあたりきちんと自覚すべきだろう
あくまで個人的な考えではあるが、二つのポイントがあると思っている。1つ目が「自分の目的のためだけに相手を扱わない」、2つ目が「相手が独立した他人であることに焦点を置く」ということである。
一つ目について、例えば、あなたが誰か女性に話しかけるとする。女性がその会話に応じてもいいかな、と思う場合には、そこには大抵、明確な目的意識はない。例えばちょっと時間を潰すとか、クラスメイトと仲良くしておこうとか、その程度のゆるい意識がある程度だろう(つまり、会話するという手段そのものが同時に目的でもある)。その結果としてお互いのことを知り、親密性が上がることはあるかもしれない。けれども、もしあなたが、その女性と交際する、というステータスを得るという自分自身の目的のためだけに手段として会話をしている、というのであれば、お互いの意図は噛み合わないことになる。あなたが自分の目的だけを強く推し進めるのであれば、その女性は、自分の意思は無視された、と感じるかもしれない。あなたが極端にも「交際というステータスを得られないのであれば、会話など意味がない」という態度を取るのであれば、彼女は、あなたの一方的な目的のためにコミュニケーションリソースを利用された、と感じるかもしれない。
あなたがもし自分が「非モテ」側だという自覚があるならば、まだ一度も話したことのない異性が、あなたを恋人候補として意識しているという可能性は極めて低い。だから、明らかにお互いが恋愛を目的としている、という確実なコンテクスト(例:婚活・マチアプ)がない限りは、まずは「特に目的もない会話をできるようになり、すること」というのが人間関係の第一歩になるはずだ。
もう少し関係性が深くなり、交際を意識するようになったら、今度は2つ目のポイントが重要だろう。これは要は「一般論的な、あるいは自分自身の願望を、ノータイムで相手に投影しない」ということだ。
例えば、女性は割り勘を嫌うから、という一般論を踏まえて、今日の食事は奢るよ、という態度をあなたが取ったとする。ところが、相手の女性は、自分とあなたはただの友達だし、奢られる理由はないから割り勘にしよう、と返してきた。ここで、意地でも奢りを貫こうとするならば、相手の女性は「わたし」ではなく「女性一般」を見ていると感じるだろう。あるいは、あなたは贈り物をもらうのが好きで、だから相手に贈り物をあげたら喜ぶだろうと考えて、何かを渡してあげる。しかし、相手の女性は人からものをもらうことを、「借りを作る」と考えて苦手に思う人間で、それを拒否してくるかもしれない。こういうときに、おかしい、ものをもらったら僕は喜ぶのだから、あなたも喜ぶはずだ、とあなたが突き通すなら、それは相手の個人としての人格・思考を無視していることになる。
いや、じゃあなんで奢り奢られ論争なんてもんがあるんだ、と思うかもしれない。そりゃまあ、例えば、多数派の異性がそう考えているであろう信念を一手目の根拠にする、というのは楽な戦略だろう。楽な戦略だから、多くの人がそれを推奨する。とはいえ、もしそこで相手が「私はNoだ」と言ってきたら、相手の主張を一旦真剣に受け入れる必要があるよ、というのがここで言わんとすることだ。
それから、相手の考えは「常識的に、察すべき」だと女性は言うじゃないか、という反論もあるかもしれないが、個人的にはお勧めしない。というのも、互いの欲望の言語化ではなく、察し能力のみに依拠するコミュニケーションは、早晩破綻しがちだ。結婚まで至ろうものなら、必要なのはすり合わせの連続である。セックスレスで揉める夫婦を見てほしい。「一般的な夫婦は経常的にセックスすべきだだし、自分もそう思っていた」「一般的な夫婦は出産を機にセックスは必要でなくなるし、自分もそう思っていた」両方、一般論としてどこかで聞いたことないだろうか。どちらも、「はっきり確認させていなかったけれど、相手も同じ信念を持っているだろう」と思い込んでそういうことを言ってしまう。けれども、どちらの信念を持つか、その違いがわかるのは、できれば早い方がいいに決まっている。
注意点としては、ここに書いてあることすら必ずしも「万人の正解」ではないということだ。これを書いている人間自身、基本的には「ある程度コミュニケーションが取れてから相手を恋愛対象として考える(一目惚れをしない)」という信念に基づいていて、その分のバイアスがある。世の中には、「感情的なつながりがない時だけ性的好意を持つ(フレイセクシャル)」という人種もいるらしい。そうしたら、人間関係を徐々に構築する戦略はうまくいかないかもしれない。要は、誰にでも100%うまくいく方法なんてない、ということである。ここまで長文を読ませておいて、と思われるかもしれないが、2つ目のポイントの本質はそこにある。すると必然的に試行錯誤が必要になるし、失敗にめげない胆力がカギになってくる。
相手はあなたと同じ、思考する人間である。しかし、その思考の様式、前提、ひとりひとり大きく異なっている。今、目の前の相手がどういう人間なのかをどれだけの解像度として知ろうと思えるか、そこで人間個人としてのコミュニケーションの深さが測られる。もちろん当然、それはあなただけが頑張るべきことではなくて、お互いが意識すべきこともである。あなたがもし、相手に蔑ろにされたと思う時には、怒っていい。自分を大切にすることもまた、相手を大切にするための一歩であるのだから。
主人に頼るしか無いから思考能力を奪う、マジで精神支配の奴隷化だからな。主人と不仲になったら金銭的な支援無くなるからご機嫌取るしか選択肢無くなるし。 anond:20240602144058
知らん人の思考をどうこう言ってもねえ
穴がガバガバ→チャートがガバガバの間にはちょっとした思考のジャンプが必要でそうそう一般化するようなものとは思えないのに今はもう皆普通に使ってる。
それに対して穴がガバガバという表現は昭和の頃から普通に使われていたぞドヤァ参ったかとしてホルホルしてるのはだいぶ頭がおかしいよな。
・他人を搾取して自分の利益にしないように、他人に貢献すること
・自分が世界にとって害悪な存在だと認識し、言葉や行動を改善すること
・これまでの人生が中身がない社会のガンである犯罪者だと知り、他人ではなく自分を見つめること
・クサマンなのでよく洗うこと
このあたりだろうか
あのね
社会ってね
死んだ人間の就労する場所とか、避難場所とか、遊技場とか、死んだ人間の人権ってみたことある?
そんなものはないんだよ
結果それが社会的に不要な動きをしてもそう判断された時に処分されるだけで
社会にいる人間を減らしてそちらにもっていく必要もないしむしろ行かれると困るから
そういうのは作らないんだ
でも生きた人間が生きていく上での都合でほかの人を殺すという事はある
自分に向ける殺意というのは人間が唯一自分の思考を現実のものにできる手段で
現実に起こりえるのにだれもその間、心の中とか想像したものに手出しをすることができない
宗教なんかで無理にでも「罪」って言うくらいしか否定のしようがない
逆にいうと手がつけられない個人のものだからそれについて権利を主張してみようって人もいる
けどね社会ってとにかく生きている人間が生きていくためにあるものだから
それ以外のものを作るという事はないんだよ
でも実際に自殺を罪にはしないって国がもう出てきてるよね
社会においての健康とか生きているの段階を引き上げた結果がそれなんだ
たとえば優秀な人だけが生きていければよりより国になるとしたら
下からどんどん人権を無くして生きている状態を保障されなくなり無視されて
生きているかどうか判別不能になっていく つまり結局終わりにさせられてしまう
同じように心が病気だったら体の病気と同じと扱う健康レベルとして扱って
末期患者は治療と選択肢の一つとして生きていくのを放棄できるって段階に
その線でいうなら実現可能なもののひとつの視野として自殺を認める事になったら
道連れにほかのつらい人たちの選択肢も奪うことになるんだ
もしそれを実現したいと思ったなら
アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネットの世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。
仕事の人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。
それは自分自身、仕事は自己とビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。
孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。
しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。
友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。
こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。
結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。
人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。
または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。
逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。
では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。
ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題をほとんど持たない。
何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、将来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものはさらさらできずじまい。
本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。
更に内向的な性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。
少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。
要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。
なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しいし有意義なんだろうと思う。
実際私自身も仕事の悩みやスキルアップのメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題を機械で解消してしまう。
だから、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライを他人に投げかけて時間を無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。
とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。
では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。
世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ。
きっと世界は自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。
今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。
閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。
そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題はAIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。
色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたものの解決できた人がいれば、この哀れで孤独な人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。