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はてなキーワード: 思索とは

2022-10-04

哲学者って人生退屈しなさそう

なんでも深く考えられるから退屈というものがなさそう

いつも使っているドライヤーを眺めながら3時間は平気で物思いに耽りそう

近所をぶらぶら散歩に出かけても斜向かいの家の生垣に咲いたカンツバキを見てしばらく立ち止まりその美しさに浸っていそう

旅行なんて行った日には目に入るあらゆるもの思索欲を刺激されて大変そう

情報量洪水で全てに時間を注げない勿体なさに歯痒さを感じつつも喜びに震えていそう

哲学者って人生楽しそう

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-19

anond:20220919090423

男の性欲を「彼を傷つけずに」無くす方法存在するよ!!

コツは理想女性身体イメージさせること。

あなたにとって究極にエッチ女の子身体ってどんな感じ?」

最初こそ恥ずかしがったり、真面目ぶって明言を避けたがるだろうけど。

そこは上手く信頼関係を築いて、自由思索をうながして。

おっぱいは垂れてる感じがいいか、とか乳輪の色は? 形は?

この女優の顔、ダメ出しするならどこが問題? エラの張り方は理想に比べてどう?

気にくわないポイントを挙げるならどこ?

そんな風に性的理想女性を追い求めさせる。

一見より性的に旺盛になるように見えるけど、実は逆効果になるんだよね。

夢のエロティック女神なんて実世界には存在しえないし、仮に存在したとしても自分人生では決っして手が届くことは無い。実際にやらせてるのは、そんな現実再確認する行為。やればやるほど性欲と現実ギャップを思い知らされて、性欲の萎えが期待できるってわけ。

面白いのは、理想女性像を二次元に設定しても同じ効果が得られるってこと。

このエロ画像は、このヒロインは、本当に究極にエッチか? 落ち度はないか? って考えると必ず欠点が見つかる。ダメ出しする程に絵のアラが見つかるようになって、追えば追うほど未だ見ぬ女神は遠ざかってしまう。

2022-09-07

anond:20220906195034

単に女がムカつくから叩きたいだけっていう明確な理由があるのに何をそんなに悩む必要があるのだ?

単語で言うと差別だが。

私は貴方レスをした増田を書いたものだが。

考察する必要があると言ったきり、私自身の見解を述べていなかったので追記に記した。

思索の結果、悩む必要のある事が隠れていると解った。ぜひ読んでいただきたい。

警戒しろという要請が「単に女がムカつくから叩きたいだけ」ではない場合がある。

その解説はここに書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20220907021026

かに言うとおりミソジニーによる性差別攻撃場合があって、元増田からのツリーでもそれは明白に見てとれる。しか差別マスクされている奥にも、差別構造が隠れていて、それが表面上のダブルスタンダード引き起こしてるんだ。

想像だが、「女性論理的でない」などという言説の実態の背後すべてに、こうした社会構造が隠れているのではと思う。

2022-08-29

anond:20220829113902

ポンコツは1エントリあたりの密度が低い

漢字をあまり使わない、ひらがなが多い

・常にツイッターに張り付いてて目の前の事象脊髄ツイートする

仕事生産性ではなく、人間のことをつぶやくことが多い

思惟思索ではなく、日常出来事をつぶやいている

あたりかな

こういうのはミュートして、この逆をしている人のツイートだけ選別できるのもいい

2022-06-25

薄いけど長時間かかって読んだ本。

『小さな里山をつくる チョウたちの庭』(今森光彦



概要

 写真家今森光彦氏が、段々畑のある里山土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。

 写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本

増田感想

 私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈り必要性についてだ。

 年に数度の下草刈り必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山生物多様性は人の手によってつくられるのだ。

 昔、映画もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビュー宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。

 人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのまま自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物昆虫小動物など生物にとっても住みやす環境なのだ

 蝶は、それぞれごく限られた種の植物依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地生物多様性指標としてはもってこいなのかなと思った。

 30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ

 自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木けが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々老い共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。

 人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異再現であり、しか計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしま草木を残し、土地養分日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。

 環境保護というトピックにおいてはつい人間存在不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話から脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。

 裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系ベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分繁栄けが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。

 まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山風景草木や蝶をはじめとする昆虫写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。

 それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキ依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。

 読むのにだいぶ時間をかけたけれど、時間ほとんどは写真をじっくり眺める事に使った。

2022-06-20

anond:20220619234815

そしてこの投稿は明らかにムスリムに対する偏見に満ちている。…とかは悪質な誘導だって別に禁忌じゃないんだからイスラム教においてはこれが禁忌であることを前提とする書き方は全くおかしいし、調べない人ならイスラム教では罰せられる行為だと誤認するでしょう。

投稿者が調べない人本人であると分かっているにも関わらず、あたかもわざとやっているかのように書いている。明らかに悪質な誘導だろう。

誤認している → 禁忌であることを前提とする。の単純な構図であることにその文章を書いていてなぜ気づかないのか。

悪意のレッテルを貼るあなたこそが、悪だ。

境界線上のケースを持ってきたいなら、まずちゃんと背景を調べてから持ってきなよ。「マイノリティのことを考慮する必要が」とか言うけど、そのマイノリティに対して無知偏見をむき出しにするのは全く不誠実極まりいからね。

誰しもが英語に通じてるわけじゃないし、その投稿自体無名思索者によるたった四行で書かれた疑問だ。誰もが初めから無知自覚があるわけではない。自分で調べるよりも詳しい他人に聞いた方がよっぽど早く正確な情報を得られる。それと同時並行して自分でも考えているのだから真実に対してこれ以上誠実な態度はない。サーベイ能力差を無視し、勇気ある学習者の足を引っ張る態度こそ、全く不誠実極まりいからね。

追記:いま気づいたけど、言い訳をダラダラと追記するぐらいなら『イスラム教においては緊急時AED(なりCPR)を行うことは許されている』ことをまず追記しなよ。本当にどうしようもない…。わざとだとしたら非常に悪質な行為だと思う。

いま気づいた難癖をダラダラと追記するのこそ、本当にどうしようもないダブルスタンダード…。

追記では思考停止に陥っている人々の不誠実さに腹を立ててるのであって、考えたり調べたりしない人々に安易に正しい情報だけ与えるのは主義に反するんだろう。

ある宗教は堂々と女性差別的に抑圧するのに、他人自分主義主張を曲げてまで宗教フォローしなければならない。そんなことを個人に強いることこそ非常に悪質な行為だ。あなたが指図しているようなことをしなければならない理由はありません。

2022-06-15

たとえば『エレベーター同衾』を避ける

かつてのアメリカ副大統領自分に課している、いわゆるペンスルール

これが日本でもそれなりに支持を集めていて、はてなブックマークでも話題になっていた。

妻以外の女性と、ふたりきりにならない

当時、私は考えていた。男性としての正しい振る舞いを。

たとえば、『エレベーター同衾』を避ける。

エレベーターを利用していて、一時的に男女が二人きりになる状況がある。

途中で乗客が降りたり、自分が乗り込んだり。

エレベーター密室だ。監視カメラはあるかどうか判らない。

統計上の確率的に男性犯罪率は高い。

差別教科書は通常の状況では統計的な差異に捉われず、コミュニケーションを取ることで相手安全性危険性を確認せよ、と説く。しかエレベーターに乗り合わせた、ごく短時間の突発的な状況でそれは空虚理想論として響く。現実的不可能だ。

女性は凄まじい心理的負担を感じうる。

そんな状況が生じたとき男性女性エレベーターを譲ってただちに降りる。

あるいは、女性の方が先行して譲ったりするのもよい。とにかく二人きりになるのを避ける。

決して男性コントロールパネルの前に立ってエレベーターの主導権を握ってはならない。

コントロールパネルの前に立っている女性の背後に立つのも良くない。女性から動きが見える位置に移動するべきだ。

この新しいモラル提示しようと思いついた当初は、半ば冗談のつもりで書く気だった。

行き過ぎた品行方正を参考にできるくらいの善人は、早々いないだろうとタカを括っていた。

から、数年後に実際にこの紳士的態度を取っている男性が現れ、女性たちもその態度を求めている、そんな話がバズってると知ったとき椅子から飛び上がるくらい驚いたんだ。


さらに月日が経って、当時気にしていなかった疑問が浮かび上がってきた。

ペンスルールはどうして異性間なんだろう🤔

レズビアンホモセクシャルがいるのに、女性同士・男性同士で同衾状態を避けようとしないのはなんでだろう。確率的に低いとはいえ密室女性女性に襲いかかったり、それを怖れたりする可能性はあるじゃないかレイプののち妊娠が発生しない事は安心材料になるんだろうか。この思索温泉男児が女湯に入ってくるのを女性が怖れる話に繋がる。どうして暴力のあり得ない、生殖どころか性欲さえ芽生えていない男児を、大人の女性が恐怖するのか。ひょっとすると疑問の答えは、Vtuber 女性男性コラボするのを忌み嫌うファンが、女性同士のコラボは許してしま理由もつながっているかも知れない。恐怖や嫉妬考慮の外に置き去りにされる同性愛

anond:20220615025552

2022-06-11

anond:20220608110351

元増田だ!!

今回も無事、フラッシュバックで始まる自己反省ループから脱出できました。

いつもの事ながら結論には至らなかった。

自分的に腹落ちする答えは得られなかった。

優生思想がなぜダメなのか? これから思索は続いていくと思う。

でもいくつかの発見はあった。ヒントは見つけられた。

内省の暗がりを何度も何度も抜けて、少しずつ進歩していく。

螺旋階段を昇っていくように。

2022-05-16

AVの件でもはてなリベラルヤバい

八鼓火/七川 琴 on Twitter:

"「AV堕ち」で検索すると大量にヒットするのに、

なぜAVにまつわる人権侵害の話には「自由意志でやってる尊い職業!」が湧くんだよ。

まず「AV堕ち」って言ってる人に「AV女優は全て自由意志に基づいて行われる職業なので

その言い方はやめろ」と言って来てくれ。本当にそう思うのならな。"

https://twitter.com/Hachikobi/status/1524572683655999489?t=2ExTl5ChqOcQ7d0oASfVeg

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Hachikobi/status/1524572683655999489

このAV根絶派らしき人のtweet意図的詭弁なんだけど

はてなリベラルは多分それもわから賛同してる。

インチキに気付いていながらとぼけ賛同」ですらなくなってる。

解説の為にまず当該tweet反論していく。

 

 

1.さりげない付け足し藁人形

まずさあ

本件でAV根絶運動家に反対してる人たちって

だいたいが「AVは自由意思でやってる職業」って言ってない?

尊い」はtweet主が付け足しましたよね?

  

私もAV自由意思でやってる職業だと思う。

特に尊いとは思わない。

他と変わらない仕事じゃん?

 

この人がなんでこっそり「尊い」を付け足したかったのかというと

AV自由意思でやってる職業」と「AV堕ち呼ばわり」は別に衝突しないからなんだよねw

   

「その仕事自分で選んでる」ことと「その仕事を見下した言い方する人間がいる」ことは全然矛盾しない。

たとえば肉体労働者のことを見下す人間結構いる。

ドカタを見下す人間がいると、ドカタのお兄さんは自由意思で働いてないことになるわけ?

まるで支離滅裂論理だよね。

  

「AVは自由意思でやってる職業である」を否定できないので

相手の主張に無理矢理「尊い」を付け足したうえで「AV堕ち」と衝突させてるの。

そして「ほら!相手の主張に矛盾があるぞ!」と喚いてるわけ。

   

藁人形論法ってやってるの気付かれると信頼ガタ落ちするうえに

自説のどこが厳しいと思ってるかまでバレちゃうんだよね。

    

  

2.この人自身がAV差別主義者じゃね?

次に、

AVに対して「堕ち」とか言ってる連中は確かに失礼で職業差別的だと思うけどー、

なんでその差別言説を取り締まる義務一部の人にだけ発生するの?

特定職業への差別言辞なんて我々みんなで非難して取り締まるべきことじゃなーい?

 

「AVを自由意思で選ぶ職業とか言ってる奴等(お前等)が抗議しろ

「本当にそう思うならな」

ってどゆこと?

    

もしかして

「私はAVは賤業であるという認識に賛成です」 

「だからそのようなことを大声で言う人を取り締まる気が私にはありません」 

っていう職業差別野郎自白をしておられる?

 

そうとしか取りようがないよね。

お前等が抗議しろ、「本当にそう思うのならな。」っていうのは

AVが賤業ではないと本当に思ってるならな 

って意味だよね?

  

すごいね言い逃れ出来ないほど明確に差別意識自白しまくってるね!!! 

私はAV尊いとは思わないけど、

人の仕事に「堕ち」とかほざく職業差別は厳しく非難していきたいかなー。

でもそこすら共有できなくて「お前等がやれ」「本当にそう思うならな(ニヤニヤ)」なんだー。

本当にすごい!

 

こんな差別人間tweetにまたはてな自称リベラルさん達が賛同ブコメしてるけど

この人達意識はどうなってんのかな?

  

  

3.その二つは同じ人達が言ってるの?

じゃあここらで毎度お馴染みはてなリベラルのパップップーブコメ引用するね。

なんとトップコメだよ!

sand_land そう。カジュアルに蔑む呼び方をしておきながら、

それを楽しむ自分達が攻撃されたと感じれば即座に盾にし出す。

キモい」が差別なら他者の「自由選択の結果」の職業を蔑む呼び方もまた差別になり得る。

2022/05/15

これtweet主よりバカなのわかる?

tweet主が慎重に踏みとどまった箇所に気付かず踏み越えちゃってるの。

 

tweet主は「AV堕ちと言ってる奴等に抗議してこい」って言ってるんだよね。

なんで命令口調?とかなんでお前は抗議しないの?とかはあるんだけどさ、踏みとどまってる部分がある。

 

AV堕ち」って言ってる奴等と「AVは自由意思で選ぶ仕事」って言ってる奴等、重なってる保証がどこにもないんだよね

からそこ突っ込まれないように「言って来てくれ」って言い方をしてるの。

論理ガバガバ詭弁含みの難癖なりに、最低限の神経使ってるわけ。

  

なのにこのはてリベのsand_landっていう人が文章読むときの注意力が微塵もない感じの知的能力の方であったため

そう。カジュアルに蔑む呼び方をしておきながら、

それを楽しむ自分達が攻撃されたと感じれば即座に盾にし出す。

という風にその二つを同じ奴が言ってないと成り立たない論陣を張っちゃった。

これだと「じゃあそれを同じ人間が言ってるって証明してくださーい」って言われて終わり。

 

こういうの本当に困っちゃうんだよねtweetからしても。

「折角そこに神経使った言い方してるのに何で台無しにしたうえ

 より脆くて簡単に突っ込まれ論陣にしてくれちゃってんの」

って話。無能な味方。

  

よりによって☆を集めて押し上げるブコメがこれなの、

いつもながらはてなリベラルって本当に知能がウーンて感じだよね。

  

 

4.低能リベラルは人にお節介焼いてる場合なの?

知能が低いリベラルって存在価値ないと思うんだけどなんで息してるんだろう。

 

リベラルとか進歩派ってのは本来大衆より前進した存在から

当該tweetみたいな論理おかしい低レベル詭弁があったら

こうやって腑分けして「こことこことここがおかしいですね」「大衆の皆さんこんなのに騙されないでね」「レベルの高い議論しましょう詭弁は許しません」ってやるのが役割なのよ。

   

でも昨今はてなtwitter跋扈する自分ではリベラル自称しがちな低スペック脳みそさんたちはその正反対で、自分の素朴なお気持ちを押し通したいだけ、何の思索論理もない。気に入らん奴らに対する対抗論陣すら立てられない。

  

それで自分気持ちにかなえばこんな支離滅裂詭弁tweet結集ちゃう

更にはtweet主が神経使ってつけておいた詭弁用の安全弁も勝手に壊す。

無能オブ無能

 

 

おめーらが見下して(バレバレからな?)余計なおせっかいで撲滅抹殺してあげようとしてるAV女優さん達はー、きちんと需要のある仕事をして人と社会の役に立ってるわけじゃん。

リベラルぶろうとしてるけど頭悪いために意味のある議論も出来ない・社会を一切善導しないリベラルもどきはー、誰の役にも立ってないじゃん。

人間に貴賤があるとしたら明らかにAV女優が貴でおめーらが賤なんだけどそれは理解してんの?

  

どうしてもなにか撲滅したいんなら低知能リベラルの方がAV女優さんよりはるか社会不要で撲滅されても惜しくない存在だぞ☆

って教えてあげる人間が周りにいないのかな? 

   

  

キモい」が差別なら他者の「自由選択の結果」の職業を蔑む呼び方もまた差別になり得る。

wwww

「なりうる」じゃなくて職業蔑む呼び方は直球の差別だよ!w

もう自分が何言ってんのかもよくわからないんだろこれ。 

   

本当にこういう人達リベラルやる知能がないのにリベラルごっこするのやめなって。

見てて可哀想だし社会迷惑

  

おめーらみてーなモノ考えるのが苦手な人間ってのは

アカウント日の丸付けてプロフィールに「普通の日本人」て書いて

日本古来のソボクな一般常識としてAVみたいなフシダラな仕事は撲滅されるべき!」って言ってりゃいいんだよ。

 

あんたたちは自意識でどうなってんのか知らないけど実態として知性も人格一般大衆以下なんだからさ。

ハッとする霊感社会もの申そうとか、愚民啓蒙教導しようとか、そういう邪心は捨てた方がよくね?

 

AVについてもあんたらはAV女優よりはるかに劣る見識しかない上に調べる意思も考える能力もない。発言責任すらとらずに逃げる。ならもう黙ってろよ。

 

自分の知能に合った無理のない振る舞いこそがリラックスした幸せ人生を作ると思うよ。

マジでマジで

2022-05-07

https://anond.hatelabo.jp/20220505041542

この人の場合ラノベが好きなんじゃ無くて、一時期ブーム評論家みたいな連中が持ち上げてたラノベ論壇シーンの空気が好きなんだろうな。

ミミズクイリヤなんて当時評論ごっこをやってた連中がなんとか受容できた文芸趣味ラノベで、正直、ロードススレイヤーズ世代の俺からすればなろう系よりつまらないわ。趣味に合わないと言ったほうが正しいか


今も当時もヒットしてるのはジャンプ漫画や大作ゲームって中でさ、セカイ系だの日常系だのラノベだと小さなブームを見つけては時代象徴みたいに取り上げて、肯定否定派分かれて自分語りしてれば大勢が注目してくれたし、ひとかどの論客のような錯覚に浸れた時代があったんだよね。

まあ、増田辛口批評持ち上げてるところから分かるように、だいたいは流行ってるものを如何に叩くかってゲームだったんだけどな。「撲殺天使ドクロちゃん」みたいに読み捨てて終わりという娯楽娯楽した作品は、俺はこういうのも評価できますよ的にあえて褒めるか黙殺するかだったな。


世間の流れに逆らう無頼を気取ってるけど、こいつらがやってるゲーム、結局ブーム基準自分語りするしかいか10年後に残る残らないのような紋切り型ロマンチシズムが残り続けるんだよ。

じぶんのやってるゲームメタ認知して、作品対峙の中でクライテリアを磨き続ける、その程度の思索もやらずに辛口批評なんか読んでなんの意味があるんだか。人とじぶんの価値観を照らし合わせて、他人が褒めてるけどnot for meとか、批判されてるけど当てにならないなとか、普通フォロワー任せにせずにある程度じぶんで出来るようになるもんでしょ。

あげく、ちぐはぐな基準作品を探したり、人に頼っては勝手にキレ散らかしたり、流行感性が合わないだけで周りに怨念ばらまくとかなってるじゃない。

正直、お前らが人間としてつまらなすぎるのが娯楽の受容にも現れてるだけだと思うわ。

2022-05-06

YOUTUBE書籍解説動画読書代替になりえない3つの理由

普段そんな本読まないけど折角のGWからユヴァル・ノアハラリの『サピエンス全史』を読んだ。

この本を知ったのは中田敦彦youtubeチャンネル投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。

(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!

流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときおすすめ

読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦書籍解説動画をもう一度視聴した。

俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学ファンなのでこのチャンネルオンラインサロン否定するつもりではないと予め記しておく。

また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネル動画にも当てはまる。

その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。

以下その理由

なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。

中田敦彦動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。

それでは。

~~①動画という媒体では本の内容の全てを収録することはできない。

中田敦彦動画を例に出す。

動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。

20万年前に東アフリカ誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球覇権を握った。

その後、得た認知能力を基盤として農業革命科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。

しかし発達した文明がもたらした幸福自由人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。

また生化学工学等の科学進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。

とこのようになる。

以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味からないので注意)

狩猟採集時代サピエンス世界進出することで他生態系に与えた破滅的影響

食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業無限地獄

・脳の記憶能力凌駕する膨大な生産物管理するための記憶媒体文字

認知革命虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別ヒエラルキー

・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)

・”帝国”の性質、拡大と変革のサイクル

ヨーロッパ帝国と他地域存在した帝国比較

帝国拡張科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼

・”拡大するパイ”の前提に成り立つ経済の好循環

産業革命本質エネルギー変換という発想の発明

国家市場経済個人支配する過程で奪い、与えたもの時間地域コミュニティ人権職業想像上のコミュニティ平和

・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」

軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。

繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこ動画センスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。

だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ

帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。

狩猟採集時代サピエンス生態系破壊を知らなければ、環境破壊産業革命以後だけの近代現象勘違いしてしまう。

中田敦彦サピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)

膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない

からその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由ひとつ

~~②本の中の分からないことを新たな知識にすることができない。

どういうことか、俺の読書を例に取る。

まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。

話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。

しか中田動画の中では分からない言葉は無かった。

前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。

ヒトラーキリスト教の話は出てきても古代シュメール人16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。

シュメール人オランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。

そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ

だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。

から解説動画視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。

~~③読書している最中に何かを思い付くことができない。

俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。

食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサス人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活保証されている筈の先進国少子化は何が原因なのか。教育コスト生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?

未来好転するという思い込み経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?

↑これは悲観論根拠悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。

読書することと本の解説動画を見ることって何が違うんだろう?

↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。

等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。

読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業時間を取られたのも大きい。

まぁ俺ごときが考えることは既に先駆者がいるもので。

先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。

というか当たり前のことをアホがドヤ顔エウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。

でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人思考出会うことができた。

これは動画を見るだけでは決して得られないものだ。

何故なら動画自分思考情報を受信することで一杯になってしまうからだ。

本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。

文字という情報媒体自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。

youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。

第一書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。

なので解説動画読書にはなりえない。

~~さいごに

話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性動画最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。

持論になるが解説動画価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいか単純化するか、ではない。

その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者理解の手助けをすることにあると思う。

またyoutube動画視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。

から中田敦彦動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう

ただコメント欄動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。

今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。

インターネットが発達した現代からこそ、みんな!本読もうぜ!!

2022-05-05

anond:20220505213859

価値のない人間が生きる意味だとか思索を巡らすこと自体が愚かだと言ってるんだよ

いてもいなくてもどうでもいい人間尊厳権利を与えたところで持て余すのが道理

2022-04-21

anond:20220421211708

おもしろい! 性的消費の問題踏み込む勇気を持った人物にようやく出会えた。

私は、あなたが回答した増田ではないが、横増田として疑問の詳細に答えよう。

勿論作品を読んで貰う事が広告目的なんだけど、

普通広告目的作品を読んでもらう)を果たすために「元気を与える」があるのであって、

「元気を与える」ために広告目的作品を読んでもらう)がある訳じゃないよね?本末転倒過ぎない?

ヤンマガ編集広告目的作品を読んでもらう事なのは正しいが、作品を通して元気を与えるのを目的にしていたとしても何らおかしいところはない。「つまりこの広告性的な元気を与えてくれるものなのか!」の部分は不要で、単にエロい! だけで元気になる。わざわざ広告に戻る理由はないんだ。「不安を吹き飛ばし、元気になってもらえるように描かれた、月曜日のたわわを買って読んでもらうために、全面広告を出しました」が、自明で品を欠くとされがちな買って読んでもらうをボカして、省略されているのだと解釈できる。

以降に書いて貰った部分、

「たわわ広告がアウトである理由」じゃなくて、「ナタリーのあの記事がアウトである理由」になってない?

なっている。

基本的な前提の確認だけど、あの広告を見る大部分の人はナタリー記事を知らないし、編集部のあのコメントも知らないよね?

その通り。

でもあなた批判は全体的にナタリー記事編集部のコメント依存したものになってしまっている

なってしまっている。

広告問題無い、しかナタリーのあの記事問題である・・・様に見えるが、こちらは掲載媒体ナタリーなので問題無い」

という結論にもなり得るように思えるけど、どうだろう?

なる。

だとすると、「たわわ広告がアウトである理由」はナタリーのあの記事を知らない状態でもできる批判じゃないといけないよね?

ここに大きな誤解があると思う。

実際多くされている、たわわ広告がアウトであるとする批判は、ナタリーにあの記事を知らない論者によってなされている。にも関わらず、掲載媒体ナタリーから何ら問題ない編集部の告白がなされなければ、それらの批判は起こらなかった。

最初は、露出した編集意図問題視された。togetter まとめ人はナタリーが責められていると誤解なさっていたようだが、本当に責められていたのは編集だ。

普通の受け取り方なら広告の『今週も、素敵な一週間に、なりますように』

って励ましの言葉不安を吹き飛ばして元気になって欲しいんだなと思うでしょ。

https://anond.hatelabo.jp/20220421113116

そのような受け取り方をせず、前述の買って読む事で元気になってほしいのだ、と取った人がそれなりにいた。

それらのツイートtogetter でまとめられ、はてブアンチフェミ怨念を呼び起こし、またツイフェミの目に留まり国連の方から来た人まで動かしてしまった。

前の増田や私が考察しているのは、炎上した理由だ。

でも元増田が考えているのは「たわわ広告がアウトである理由」だ。おそらく、思索を通して広告表現芸術作品一般をセーフにする方法を見つけたいんでしょう。

しかしながら私の考えでは、セーフ・アウトの判定は炎上プロセスと切り離して考えられない。

性加害を受けて敏感になってしまった男性恐怖症の人々。彼女ら守るべく立ち上がった正義燃えるツイフェミ善意のまとめ人も、ヘイトの溜まっていたアンチフェミまで、すべてが炎上の因子となって、まるで多段ロケットのように批判応酬を加速させていった。編集意図を直接見聞きしていなくても、ツイッターが何か騒がしいのは気付きうる。アンケートでわざわざ聞いてきた時点でデリケート問題だなと察しうる。そして、過去炎上事件トラウマも様々な形で、我々みんなの心に爪痕を残している。それが今日炎上に影響するんだ。

その時点、その場の表現の内容だけで答えを決定する、セーフ・アウト判定のアルゴリズム存在し得ないと思う。

2022-04-18

anond:20220411092140

俺が毒電波人夫の脳に発狂爆弾を構築したと思っているんだろう。そんなことはしていない。爆弾は既に頭の中にある。脳がそれに到達すると存在に気がつくだけだ。

社会に触れて、つまり世俗の薄汚い連中の規範思考を慣れさせると、発狂爆弾は頭に潜む。世間というのが既に狂っているのだ。

そして、思索を深めると深めるだけ、構築した理論体系と他の奴らが構築した現実とのズレに気が付く。

手抜き工事社会を基礎にして、その上に厳重な理想を建てると、もう終盤のジェンガだ。

老朽化した建築物ハッピーエンドで終わらせる方法、爆破解体。やるしかないよな。

死んだ哲学者は皆ボタンを押してるのさ。さあ、お前も発狂爆弾スイッチを押せ。どこにあるか分かっているのだろう。爆弾も、スイッチも。

2022-03-13

33歳の僕たちについて

僕たちは生まれながらにして不幸だった。

僕たちに希望が語られるときはいつも建前だった。

物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化無責任押し付けられ、いつも年金説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。

小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活不条理に突然破壊されることを知った。

オウム真理教天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。

学校はいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子ども大人も誰も責任を取らずに済んだ。

どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。

いじめ学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。

ノストラダムスの大予言も二千年問題世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。

社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験最前線で僕たちは消費された。

社会の正体に近づくほど、実験甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たち理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。

センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑諦観で、理想から現実からも逃げているだけだった。

芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見雰囲気の良い雑誌で語った。

とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。

いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。

インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界開拓していた。

過去日本では文学学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。

けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識組織化しない雑多なカオス世代や日陰者の雰囲気ベースとしてただ在った。

東日本大震災とき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。

ネットから始まる民主化現実世界にも網目を伸ばし、キレイ情報を伝播させることを夢見ていた。

実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定カオスたちの団結は思想形成させなかった。

論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間責任を背負おうとしなかった。

大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字自分を騙そうとしているかだけを考えていた。

もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的芸術の一部分だけに還元された。

僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会有効なことをしているのだろう。

僕たちは生まれから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線嘲笑っている。かつて"カッコイ大人たち"がしていたように。

拗ねた子どものままで皮肉センチメンタルを捏ねくり回している。

最近は「多様性尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。

だが、それは欺瞞だ。多様性排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会多様性をもたらさなもの排除する。

最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。

ただそれよりも深刻なのは多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会適応するものだ。そして主張に成功したものだ。

僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である差別をされたり、大事に築き上げたもの喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。

社会の複雑さへの想像力ありのまま他者の受容、明確な善への地図が無かった。

今までのシステム近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。

僕たちは無責任という親に育てられ、不勉強という病気死ぬ

ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤー吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請けが社会にある。

なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?

今になってようやく哲学文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。

まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。

2022-02-25

国民を守るために体を張っている尊敬すべき言論人の命を狙う者の銃弾を代わりに浴びてもいいくらいの覚悟勇気がほしい。

この国の弱い立場人間真摯に思いやり、

民主主義人権政治のあり方を真面目に考え、

何を言われても怯むことなく、

正しいと信じることをひたすら訴え、

奥深い思索を巡らせ

創作に励み

多くの人々に勇気と感動を与えている

そんな心から尊敬すべき作家が、この国にいる。

そいつは本当に素晴らしい人間だと思う。

もし、そいつの命を狙う者がいるのなら、

代わりに俺が銃弾を浴びて

そいつの命を助けたい。

俺はそいつに一切気づかれずに死んでもいい。

と言い切るくらいの覚悟勇気がほしい。

2022-02-01

これは怒りなのか

怒りを抱えているのか

それとも不安なのか

無意識に体に力が入る

ストレス一言で言っても

いろんなものが混ざっているというか

たくさんの糸がこんがらがってしまっているというか

ああ、毎日生活の中で少しずつ受けた摩擦のようなものが、いつのまにか深い傷になってしまったのか

それとも浅い傷があちこちにできて痛むのか

物事の捉えた方は人それぞれだという

捉えた方を変えれば傷ついたり怒りを感じたりしなくて済む、または回復が早いという

そうは言ってもなかなか自分物事の捉え方の癖は直せない

無意識だし、直感的だし

中には気が付かないうちに処理してしまっている過程もあるだろうし

そういう捉え方の一つ一つの積み重ねで大きなストレスになっているのなら

どうしようもないように思ってしま

途方に暮れる

いや、工夫のしようはあるはず、とも心のどこかでは思う

大嫌いな同僚と毎日顔を突き合わせて仕事しなければならないこととか

同僚のにおいがキツいこととか

体臭なのか、家の臭いなのか、香料なのかわからないが

家族健康状態不安定なこととか

自分収入が少なくて老後が不安なこととか

親がそろそろ健康寿命を迎えてしまうこととか

介護施設はどうするのか、相続はとか

先のことを考えすぎたくはないが備えなければと思うことがたくさんある

不確定な要素が世の中には多すぎる

落とし穴だらけでおちおち安心して歩けない

急に政府法律を変えてくることもあるし

特に庶民にとっては悪い方に

反対運動したってほとんどは押し切られる

地震心配だし

いつも備えていないといけない

自助自助自助

社会的資本というのだろうか、自分には人とのつながりがあまりない

会社に勤めてはいるが、個人的に親しい人はいない

私生活でも、年賀状のやりとりをする程度の友達しかいない

いざというときに助け合うような友達はいない

親は遠くにいるし、おそらくこの先はもうそんなに頼れなくなる

兄弟はどうだろうか、少しは助け合えるかもしれないが、向こうは向こうのことでそれなりに手一杯だろう

仕事牢獄のようにも思えてしま

雇われて働くのは、結局は人の指示から逃れられない

資本主義は本当に自由だろうか

一部の人たち以外は奴隷にさせられる制度なのではないか

本当は体の良い奴隷制度なのではないか

できれば生活のために労働をしなければならない日々から解放されたい

働かざるもの食うべからずという言葉呪い言葉

結局、人間原始時代から進化していないのではないか

野生に生きる動物と同じなのではないか

いや、下手するとそれ以下だ

食うために毎日必死

一日のほとんどを食うためだけに費やしている

思索などに充てる時間などほとんどない

そうやって一生を過ごすしかないなら、そこらへんの虫と同じかそれより悪いかもしれない

2022-01-16

anond:20220114133403

読んで、元増田氏はすごい人だと思った。

努力を続け、結果が出ていて、思索をして纏まった文章化ができて、

自分ができることと不得意なことを見つめられていて、何を希望しているのかも見えている(ように見える)。

褒められるために勉強をした、それは全く不自然だと思わないし、誰だって褒められれば嬉しくてモチベーションになるでしょう。

子供が、「親や周囲の関心を引くためだけに勉強しちゃ駄目だ。もっと自分の為に自分がしたい勉強をしなくては」なんて

考えられるとは想像し難い。

与えられた環境下で最大限の成果を出せているように思える。

やらずに後悔するよりやって後悔のほうがいい

なんて知った風な口きいたりはできないけれど、

でも自分が関心を持っていることとか得意なこと楽しいことが、仕事に生かせたらと思うよね。

残念ながらたいていの人にとっては難しいことだろうけれど

元増田にはたくさんの可能性、選択肢があると思う。

コミュニケーション能力だとかは、本やワークショップ等々学ぶ教材がいっぱいあるんだし

臨床心理士看護師等の対人職向けの講座があるくらいなんだもん。

リアルが充実していれば自然に身につくものだなんて考えないで、これから得ていけば問題ない筈。多分。

沢山の"できる"ことを持っているんだから自信をもってほしい。


なんて、抽象的で実践的でない励ましばかりでごめんなさい

そういえば思ったんだけど、この一生懸命書いた文章、きっと未来で大きな意味をもちそう。

数か月後、数年後に読み返したとき

「あー、あの頃の自分はこういう考えをもっていたな。この点は変わったしこの点は今も変わらないな」

なんて、俯瞰できそう。

自分気持ち、考えを文章化して残すことって価値があるように思う

2022-01-06

秋葉原の衰退記事に猛烈な批判がついた理由

以下の記事は、読んでみれば「確かにオタクの街』の秋葉原は衰退したよねぇ~」と思う程度の何でもない内容なのだが、一部で作者の人格批判的なブコメが付き、他のブクマカを戸惑わせている。

秋葉原の衰退から見えた、「オタク経済を回している」論の実際(貞包 英之) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90942

こうも激烈な批判がついた理由は、記事タイトルを見れば分かる。「秋葉原の衰退を適当に論じたから」ではなく、タイトル後者の「『オタク経済を回している』論の実際」という部分が、「オタク経済を回している」論の否定だと思われたかである

オタク経済を回している」論は、昨年大きく存在感を現した「VSフェミ」論者のオタク理論的支柱の1つであり否定は許されないものである最近増田でも「フェミのせいでオタク経済を回していた温泉地の土産物屋が潰れた」というエントリが人気を博していた。

しかし件の記事は読めば分かる通り「オタク経済を回している」論を論じた内容ではない。秋葉原の街の変化を論じただけのものである記事内容に「オタク経済を回す」という言葉は一切出てこない。試しにページ内で「経済を回」を検索してみれば分かる。

それなのに、このタイトルのせいで脊髄反射的に不快感を与えられてしまうので否定するしかないのである

タイトルを訂正するとすれば、「「オタク経済を回している」時代、かつての「オタクの街」秋葉原の現状」とかになるのだろうか。あくまゼロ年代に「オタクの街」と言われて注目された秋葉原の現状についての思索主題なのだ

 

ゼロ年代は「ネットオタク秋葉原」という存在であり、秋葉原ネットの主役だった。それが壊れたきっかけは無差別殺傷事件であり、ネットから秋葉原話題は減っていき、ネットオタクの主役の街ではなくなった。

2022-01-03

THE WORLD WAS MINE.

"THE WORLD IS MINE." 誇張なしにそう思っている。

自分が何か優れた人物ではないということは自覚している。

高校大学会社 どこにいっても自分より優れた人間には常に触れてきた。

能力の優劣だけではない、共感性、倫理観義務を全うする精神など社会的に求められる要素が一部自分に欠けているということも理解している。

しか能力が劣っていようとも、社会的必要な要素が欠けていても、それらは何ら問題ではない。自分認識する世界を最終的に律するのは自分認識だ。

自分認識する世界において自分特別となるのはなんの能力裏付け必要でない、と少しひねくれたデカルトのように考えていたわけだ。

このような自分性格自覚的になったのはここ数年のことだ。

社会人になり金銭的・社会的にも余裕が出来た状態でふと思索をめぐらす機会に恵まれ一般的人間より思考する際に自分認識に重い比重をかける傾向に気づいた。

例えば自分基本的社会的・暗黙的ルールを守ることが多い。

しかしこれは "ルールがあるから守る" と考えているわけではなく "俺様ルールを守ると決めたから守る" と心の中では思っているわけだ。

そのルールの成り立ちや必要性を理解共感しているわけではなく、"自分が守ろうと思ったかルールを守る" と考えているわけだ。

価値判断が極めて自己中心的なのであるしか結論として下される判断標準的判断と大きく外れていなければ端から見たらわからないだろう。

そしてこのような傾向は大なり小なり人間にはあるものなので程度の問題だとこれまでは流してきたわけだ。


さてここで終わればいつも通りの年がまた始まったのだが、年も開けたことだしと "2021年 匿名ダイアリーTOP200" を読んでいた所 "自己愛パーソナリティ障害" という言葉を目にした。

端的に言えば自己を極端に賛美、特別視するような人格を指す言葉のようだ。

これはまさしく自分の症状そのものであると思う。大なり小なり人間に備わった傾向だと思っていたが、それも極まると病気と判定されるようだ。

最初に "自分が何か優れた人物ではないということは自覚している。" と表現した。

これは一見自己愛パーソナリティ障害とは矛盾するようであるがそうではない。

自分が何か優れた人間でないというのは、蓄積された経験から導きだされた経験的推論だ。(そして残念なことに事実でもある。)

この事実理解は出来ている。しか共感あるいは自分で受け入れることは出来ていないのだ。

論理的にはその事実を導き出したものの、その事実を認めることは出来ていないのだ。

からこうしている間にも心の奥底では "自分には何かとてつもない才能が眠っているはずだ。" と思い込んでいる。

これが回り巡って、何を考える際にも "自分はどう認識しているか?" というステップを挟み込むことになり、自己愛パーソナリティ障害となるわけだ。


病気であることはわかった。病気であること自体別によいのだが(← ここでも既に自己中心的価値判断が発動している)、この性格により自分が損害を被ることはないかと改めて考えてみた。

ひとつに、自己中心的価値判断が標準を大きく外れた際に、標準的判断修正する速度が極めて遅くなるというのが考えられる。

損害を回避するには下記のどちらかが必要になる。

病気を治す

自己中心的価値判断標準的判断と同一にする

気取った言い方だろうか?端的に言えばこうだ。

・ 腐った性根を治す

・ 間違えない

整理したうえで思い返してみれば、これに該当するような指摘・注意は人生で 2 度受けたことがある。大学生、社会人でそれぞれ 1 度だ。

指摘をまとめると、 "最初自分で出した結論固執する傾向があり、アウトプットの質に問題がでていることがあるのではないか" ということだった。

その時は確かこう答えた "自分最初の出した結論固執するのは性格なので治りません。なので最初に出る結論が間違えないようにします。" と。

結局時間を惜しまずひたすら知識経験を詰め込むことで当時の問題は解消して、指摘を賜った人にも "大きく成長した" という風な言葉を頂いた。

しかし腐った性根はそのままだ。


圧倒的なインプット経験により、標準的な(適切な)価値判断自分エミュレートし続けられれば理論上は問題は発生しない。

しかしそれが死ぬまで続けられるほど才には恵まれていないこともわかっている。

そろそろ腐った性根を治す時期が来たのかもしれない。

2021-11-05

苦労が足りない、苦労をしろと言うけれど、、、

「苦労」よりも「思索」を知らないことが問題

2021-10-11

読書感想文苦手民の言い訳が見苦しい

https://anond.hatelabo.jp/20211010213345

これへのブコメで、

こうして中身のない感想文が量産されるんやな

感想文は嘘つき大会から正直で素直な子には書けない。面白かったの一言で終わるからな。自分の心の内ではなく他人からどう見られるかに関心がある人が得意だった記憶がある

他の人も言ってるけど書評感想文は違う。そして感想文嫌いだった派からすると、そもそもなぜ本の感想自分語りをするのかわからない。実は本の内容なんてどうでもいい自分大好き人間なのか。

こういうやつね。見苦しいな〜〜

中身が無い?嘘つき大会自分大好き人間??

じゃあわかった、

お前らが使ったそれらの貶し言葉を、俺はぜっったいに言わないって約束するからさ、

自分大好きで中身のない自分語りでいいからさ、書いてみ?

読書感想文じゃなくてもいいよ。

書いてみ。書ける?

ビジネステンプレでもネットコピペでも誰かとのレスバトルでもなくて、

ただ自分の思いを自分言葉にするなんてさ、

結構時間と労力が必要じゃない?

元増田大本書評増田ではなくて感想増田)も似たようなこと言ってると思うけどさ。

普段人間が思ってることのほとんどは言葉になってねーのよ。

それを言葉に起こすのが感想文って課題の狙い。

本来なら別に本読まなくても、エッセイでも随筆でもいいよ。

あった出来事の羅列ではなく、

自分の中にどんな感情思索があったか

その形のないものを捉えて言葉にできるなら、本当はなんだっていい。

けどそんなの、読書感想文の100倍大変だから

本をトリガーにして自分の考えてることを書いてみろって言ってるの。

そんなコミュニケーションチュートリアルみたいな課題サボりまくってきたくせして、

自分大好き(笑)だの嘘つき大会(笑)だの笑わせるわ〜〜

お前らは一生ネットミームばっかり喋ってなにか言った気分になってろよ。

そして思考それ自体ネットミーム程度の浅さになっていけよ。

大丈夫、そんなやつらいっぱいいるから。

自分で考えたことを自分言葉表現できてるやつなんて、ネットを見回したって少数派だ。

枕草子がなんで千年も読みつがれてるかわかる?

春は明け方がいいよねー、夏は夜がいいよねー、なんてただのお気持ち文章が。

そりゃまあさ、当時の宮廷生活描写した歴史的価値が、とか「をかし」の文学的価値が、とか色々言えるだろうけどさ、

枕草子こそが、「感じたことを言葉にするのは価値がある」と歴史位置づけたはじめの作品からだよ。

自分が何を美しいと思ったか、どんなときに嫌な気分になったか、何を見てどんな気持ちになったか

そういう黙ってたら消えてしまういろんなことを言葉によってすくい上げることの喜びを、

はじめに見せつけた作家からだよ。

歴史に残ったのは、中宮定子に捧げるためのものだった、って背景も含めてだけれど。

「中身のない感想文」なんてつまんねーこと言うけど、

自分が何を思ったか自分言葉にする努力をするのはそんなに簡単なことじゃない。

それをはじめにしてみせた作家歴史に残るほどに。


世の中には手垢のついたミームがたくさんあるから

それをパズルみたいに並べて何かを言った気になれるならそれでもいいよ。

お前らがいいならそれでいい。

からといって、真剣自分の中に潜って、思ったことを自分言葉にしてきた、

少なくともそうあろうと努力してきた、

数多の「読書感想文を書いてきた人たち」を、適当バカにしてんじゃねーよ。

何が自分大好きだバーカ。

お前が自分を好きになれないのは、お前の中にカッスカス言葉しかねーからだし、

自分の中にあったはずの感じたことや思ったことをぜーんぶ取り落としてきたからだ。

2021-07-29

anond:20210729105506

この手の短編は「話をどう転がすか」が重要になる。

少しずつ少しずつ読者の予想を外していって最後に意外な結末に至る。

まり起・転・転・転・転・転・転・結みたいな構成が好ましい。

元増田で言えば「増田ありがちな自分語りか?」と思わせるところが出発点で、

しかし冒頭を読んで「どうもフィクション度が高いようだ」とわかるところでひと転がり。

次に「今年はキャンプをうちの庭でやる」というあたりでひと転がり。

明らかに無理だ、という状況が提示されつつ、しかしどうやら強行されてしまいそうでもある。

「いったいどうなってしまうんだ?」と読者に思わせる。

その次は「リーダー」の登場でひと転がり。

謎の新キャラの登場でどんどん話が変な方向に進んでいく。

家族の単なる内輪の喧嘩から「謎の組織が絡んだトラブル」に発展する。

おバカな兄のリアクションで話が中断した、といった「くすぐり」も効いている。

その次に「メグの進学」の話題でひと転がり。

コメディ調だったところから何やら急にシリアス雰囲気に。

最初は「たかキャンプのことで喧嘩するのが面白い」だったのが

これ以降は「たかキャンプだったはずがどんどん大変なことになっていく」という

サスペンスじみた展開になり、結末の不穏さを予感させる。

キャンプまでの日数」でカウントダウンが始まる。

1日ごとに話が転がって、どんどん酷さが増していく。

家庭は順調に崩壊していき、ネットでバズったことで話も大きくなっていく。

しかキャンプは止まらない。もはや災厄のようになっている。

キャンプ当日。キャンプは滞りなく行われる。嵐の前の静けさのように。

リーダーが溶けるところで、ついに「自分語りから転がり続けた物語は「SF」に至る。

読者の混乱はピークに達し、「どうしてこんなことになったのか?」と解説を求める。

で、種明かし。

読者はすっきりした気持ちで読み終えるというわけだ。

この小説ジェットコースターだ。

まりアップダウンの激しさによって読者の感情を揺さぶることが目的で、

「読者の心に何かを残そう」とか「深い思索をもたらそう」といったタイプ作品ではない。

五輪批判いたこともちょろっと書かれているが、あくまスパイスにすぎないはずだ。

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