はてなキーワード: 忸怩とは
https://anond.hatelabo.jp/20191122114830
これを書いた増田だけど、ノクターンノベルズで全力で書いたエロ小説を大体1.5ヶ月で完結させたので、得られた知見を書いてみる。
・ノクターンノベルズでエロ小説を読んで、「これ俺ならもうちょっと上手く書けそう」と思った
・女の子が辛くも苦しくも痛くもならない触手ものがあんまりないなー、そういうの読みたいのにと思った
・全50部分でちょうど終わった。話数で言うと43話。
・「総合評価1000越えてないと読む気にならない」と言った人がいたので、基準として丁度いいし取り敢えず総合評価1000までは頑張ってみようと思った(結果、4週目くらいで総合評価1000は一応超えた)
・それ以降は好きなように書いた
・最終的に、総合評価は1,247pt、ブックマークに登録した人は483件になったみたい。ニッチな内容だと思ったけど、読んでくれる人がいてありがたい
・ブックマークは300くらいから伸びが悪くなった。多分ある程度長くなると一見でブックマークしてくれる人が減るんだと思う
・ただ、「エロ回を書いた時より非エロ回を書いた時の方がブクマが伸びる」というのはちょっと知見だと思った
・1日で1000伸びてる人とか、あれどうやったらそうなるんだろうなー
・超楽しかった
・エロとか非エロとか関係なく、自分が考えたキャラクターを、自分で動かすって遊びがこんなに楽しいとは思わなかった。創作してる人たちってこんなに楽しいことしてたのか、そりゃ徹夜もするよなーって感じ
・ただ、リソースはうっかりするとその辺の廃人ゲーよりとられる。時間もだけど、気づいたらプロット考えてるって感じで、思考リソースが物凄い持ってかれた。趣味どころか仕事にまで響きそうなのはちょっとやばかった
・完結していない小説なんて小説じゃない、って銀英10巻のあとがきで読んだので、とにかくちゃんと完結はさせようと思った
・ところが、エロを幾ら書いていても永遠に話が完結しない、ということに気づいた。話を完結させる為には絶対に非エロ部分が必要になる
・「エロを書いているだけでは話が完結しない」というのは衝撃であり、最大の知見だった。世の中のエロ書きの人たちは全てこの問題と戦っているんだ…と気づいた
・エロ小説の非エロ部分ってなんのためにあんの?とか思っていた昔の自分を殴りたい
・ただ、プロットというものを初めてちゃんと考えてみて、完結に向かわせてみたんだけど、後半非エロ部分がだいぶ増えてしまった点については忸怩たる思いがある。上手い人はちゃんとエロ主体で話を完結させられるんだと思う
・カスタムキャストでキャラクターのイメージ画像を作ったのは、何より自分の為に良かった。具体的なキャライメージがあるとないとではマジ全然違う
・中二がどうとか一切気にせず、設定は細かく細かく作り込んでおいたほうが話が作りやすくて絶対いいと思った
・自分の創作を発表するのって心臓を衆目に晒すようなもので、ただ「作品を書いて、皆の目に触れるところに発表する」というだけでとんでもなく勇気が要ることなんだな、ということが分かった。それを日常的に行っている創作者の人たちは本当に本当に尊敬する
・自分が作った世界をだいぶ好きになれたので、いつかこの世界での話をまた書きたい
以上です。一応リンク張っておく。
史上3人目だそうで、内閣不信任案を出すの出さないのが1年に一度は出る国からすると大統領制ってのはすげぇなぁと思ってしまう。
なにせ、こちとら桜を見る会だ。首相が率先して買収、さらには反社との繋がりまで疑われている。
大変重要事項である。しかも反社の定義はできないとか、ここまで暴力団対策をしてきた関係者は忸怩たるものがある。見過ごすわけにはいかない。
トランプ大統領の話と安倍首相の話を並べたのは例によって野党とマスコミ批判を書きたかったからである。
つーのもロシアンゲート以来トランプ政権はこの疑惑について対応をしてきたからだ。これは下院などで議論が行われてきたはずだ。
しかし、うちら日本人が日本で見るニュースはトランプ政権の実績ややろうとしていることが報じられる。つまり、政治の話が主になっている。
トランプ政権は移民政策をこうしようとしているとか、対外政策はこうなりそうだとか。報じられないこともあるだろうが、とりあえずシングルイシューではない。
これは大統領制と議院内閣制の違いなのかもしれないが、街頭演説をする野党議員もテレビも桜を見る会の話ばっかりだ。絶対今のうち知っておくべき内容があると思う。せいぜいが大学入試の問題くらいだ。近年に受験を受ける人には同情するしかない。
政権の見通しよりも、省庁の考えが優先されるので見るべきところが発散してしまい、番組的にまとめ辛いとは思うが、それをどうにかするのがプロってもんだろう。
いわゆるジェンダーロール「男らしさ」「女らしさ」…
現状社会において、これらをあっさり捨てることができるのは強者のみで、
弱者は捨てることは難しいんでは、って話。
ここで言う強者とはなんらかのスペックが通常より振り切れてる人間のこと。
年収がめっちゃ高いとかコミュ力が万能とか容姿が超美麗とかスポーツとかで実績を残した…とかまあ色々あるが。
言い換えるならば「ハイスペである、という能力的余裕があって、初めてジェンダーフリーを実現できる」というべきか。
ハイスペは既存の保守的な性役割なぞ気にせず生活を送りやすい。
しかしそういうハイスペではない、言っちゃ悪いが無能な人間はどうだろう。
既存の保守的な性役割を外れると、あっさりジリ貧に陥る可能性が高い。
結局、忸怩たる思いを抱えつつも性役割に沿って生きるか、の二択だ。
いや別にね、「弱者はジェンダーフリーなんて諦めてジェンダーロールに沿って生きろ」なんてこと言う気は無いし、
世の人間がみんなジェンダーフリーに生きられれば良いと思っておりますよ。
ただ、私が言いたいのは「男らしさ女らしさなんてくだらない!捨ててしまおう!」
と言われたとき、あっさり捨てられる人間と捨てられない人間に差がある。
だから弱者にとっては「男らしさ女らしさなんて捨てちゃおうよ!」なんて言われても、
「そりゃ強者の論理でしょ…強者だから簡単に捨てられるんでしょ…弱者は簡単に捨てられないよ…」という印象しか持てないと思うんですよね。
パン大入学式の祝辞は、パン大新入生も世の中の一員である以上無関係ではいられない、世の中にあるパンブラ差別的だったり都会のドスケベパンティー優位だったりする構造や先入観などについての話ではないでしょうか。パンティーが主張するほど際どい形状があるかはまた別の議論ですが、「なんのパンティーもない」とは言えないと考えます。
また繰り返しになりますが、パンティーとスキャンティーを求めるようなパンティストとは、無関係どころか論敵同士です。
>君はそうイってるが、パンティスト供はそうは言ってない。
そうイっているパンティストもイっていないパンティストも両方います。パンティーなどで目立つのはイっていない方なので、増田さんが怒りを感じるのは当然と思いますし、イっていない方をイかせるだけの力がない自分に忸怩たるものはあります。
元増田です。
東大入学式の祝辞は、東大新入生も世の中の一員である以上無関係ではいられない、世の中にある男女差別的だったり都会の金持ち家庭優位だったりする構造や先入観などについての話ではないでしょうか。上野が主張するほど強い差別があるかはまた別の議論ですが、「なんの関係もない」とは言えないと考えます。
また繰り返しになりますが、上野と表現規制を求めるようなフェミニストとは、無関係どころか論敵同士です。
>君はそう言ってるが、フェミニスト供はそうは言ってない。
そう言っているフェミニストも言っていないフェミニストも両方います。ツイッターなどで目立つのは言っていない方なので、増田さんが怒りを感じるのは当然と思いますし、言っていない方を止めるだけの力がない自分に忸怩たるものはあります。
つい先日はデレステ側からモバマスにちとせ・千夜・颯・凪が実装された。
このままいけばあとはあかり・あきら・りあむのデレステ実装をもって総選挙開始、といったところだろう。
だからこそ言いたい。第8回ではこの7人に投票してはいけない。
CV未実装の子担当Pに言いたい。この7人は君たちの担当の未来を奪う7人だ。
総選挙は単なる人気投票イベントなどはない。運営にとっては課金訴求力を見る重要な指針でもなりえるイベントなのだ。
この7人が50位圏内で相当な結果を残すということは、運営にとって7人実装の方針は正しかったということを示すことになる。
そうなればどうなるか。運営は今後も新キャラを投入し続け、CVを実装する行為を繰り返していくだろう。
CV未実装のキャラに対してイラストや文章のリソースを割くよりも、新キャラを創って実装したほうが早いし利益になるのだから。
そうなればどうなるか。CV未実装であと一歩、という子は目の前でいつまでも手柄をかっさらわれる苦しみを味わうことになるだろう。
ほたるにCVが実装されチャンスが舞い込んできた遊佐こずえ担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
昨年総合17位と19位にCVが実装されそのはざまの18位で忸怩たる思いを味わった佐城雪美担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
光と日菜子という目の上のたんこぶがとれてようやく挑戦権を手に入れたナターリア担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
だからこそ言いたい。第8回ではこの7人に投票してはいけない。
CV実装済みの子担当Pに言いたい。この7人は君たちの担当の仕事を奪う7人だ。
総選挙は課金訴求力を見る重要な指針でもなりえるイベントなのだ。それはCV実装済みの子であろうともかわらない。
この7人が50位圏内で相当な結果を残せば、運営はすぐにこの7人を再度イベントへ登用してくるだろう。
そうなればどうなるか。必然的に君たちの担当は後ろに回されることになる。
月末イベントを飾り、STARLIGHT MASTERシリーズのタイトルを飾れるはずだったのが後ろに回され、月中曲として終わる運命となる。
あるいはSSRが実装されるはずだったのが後ろに回され、出番は既存SRの再録だけで終わってしまうことになるだろう。
近年は総選挙成績上位者の報酬と化したCINDERELLA MASTER(ソロ)もそちら側が優先されることになるだろう。
そうなればどうなるか。ライブの出番やセリフ収録の仕事は減り、担当の中の人の仕事まで減ってしまう。
サプライズボイスでCV実装を得たものの、そこからソロもイベント上位も得られないキャラ担当P諸君、君たちは本当にそれでいいのか。
そして実質仕事がほぼアイマスしかない春瀬なつみを抱える龍崎薫担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
だからこそ言いたい。第8回ではこの7人に投票してはいけない。
CV実装済みで自分の担当は50位圏内だから大丈夫、とたかをくくっているPもいるだろう。
そんなPたちに言いたい。この7人は君たちの担当の票を奪う7人だ。
この7人が50位圏内で相当な結果を残すということは、自分の担当から票がそれだけこぼれ落ちて流出してしまったことを意味する。
圏内にいればさえいい、という思考なら言うことはないが、トップを狙うのであれば10万票単位がこぼれ落ちていくのは死活問題だろう。
ようやくシンデレラガールを狙える位置につけた佐久間まゆ担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
このまま一気にシンデレラガールをとりたい北条加蓮担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
3度目の正直で今度こそシンデレラガールをとらせたい本田未央担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
つい先日はデレステ側からモバマスにちとせ・千夜・颯・凪が実装された。
このままいけばあとはあかり・あきら・りあむのデレステ実装をもって総選挙開始、といったところだろう。
だからこそ言いたい。第8回ではこの7人に投票してはいけない。
CV未実装の子担当Pに言いたい。この7人は君たちの担当の未来を奪う7人だ。
総選挙は単なる人気投票イベントなどはない。運営にとっては課金訴求力を見る重要な指針でもなりえるイベントなのだ。
この7人が50位圏内で相当な結果を残すということは、運営にとって7人実装の方針は正しかったということを示すことになる。
そうなればどうなるか。運営は今後も新キャラを投入し続け、CVを実装する行為を繰り返していくだろう。
CV未実装のキャラに対してイラストや文章のリソースを割くよりも、新キャラを創って実装したほうが早いし利益になるのだから。
そうなればどうなるか。CV未実装であと一歩、という子は目の前でいつまでも手柄をかっさらわれる苦しみを味わうことになるだろう。
ほたるにCVが実装されチャンスが舞い込んできた遊佐こずえ担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
昨年総合17位と19位にCVが実装されそのはざまの18位で忸怩たる思いを味わった佐城雪美担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
光と日菜子という目の上のたんこぶがとれてようやく挑戦権を手に入れたナターリア担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
だからこそ言いたい。第8回ではこの7人に投票してはいけない。
CV実装済みの子担当Pに言いたい。この7人は君たちの担当の仕事を奪う7人だ。
総選挙は課金訴求力を見る重要な指針でもなりえるイベントなのだ。それはCV実装済みの子であろうともかわらない。
この7人が50位圏内で相当な結果を残せば、運営はすぐにこの7人を再度イベントへ登用してくるだろう。
そうなればどうなるか。必然的に君たちの担当は後ろに回されることになる。
月末イベントを飾り、STARLIGHT MASTERシリーズのタイトルを飾れるはずだったのが後ろに回され、月中曲として終わる運命となる。
あるいはSSRが実装されるはずだったのが後ろに回され、出番は既存SRの再録だけで終わってしまうことになるだろう。
近年は総選挙成績上位者の報酬と化したCINDERELLA MASTER(ソロ)もそちら側が優先されることになるだろう。
そうなればどうなるか。ライブの出番やセリフ収録の仕事は減り、担当の中の人の仕事まで減ってしまう。
サプライズボイスでCV実装を得たものの、そこからソロもイベント上位も得られないキャラ担当P諸君、君たちは本当にそれでいいのか。
そして実質仕事がほぼアイマスしかない春瀬なつみを抱える龍崎薫担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
だからこそ言いたい。第8回ではこの7人に投票してはいけない。
CV実装済みで自分の担当は50位圏内だから大丈夫、とたかをくくっているPもいるだろう。
そんなPたちに言いたい。この7人は君たちの担当の票を奪う7人だ。
この7人が50位圏内で相当な結果を残すということは、自分の担当から票がそれだけこぼれ落ちて流出してしまったことを意味する。
圏内にいればさえいい、という思考なら言うことはないが、トップを狙うのであれば10万票単位がこぼれ落ちていくのは死活問題だろう。
ようやくシンデレラガールを狙える位置につけた佐久間まゆ担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
このまま一気にシンデレラガールをとりたい北条加蓮担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
3度目の正直で今度こそシンデレラガールをとらせたい本田未央担当P、君たちは本当にそれでいいのか。
それ自体は、大切なことだと思うけど、言われるのを見聞きするたび、忸怩たる思いがする。
思春期に萩尾望都でギムナジウムの美少年同士のピュアな恋愛にはまり、女子校生活で女の子への疑似恋愛も経験(片思いだが)
そんな経緯から、ルームメイトのカミングアウトもするっと受け止めたし、そういう愛もあると思ってた。
色んな制度の問題も、いつか解決するといいね、位の薄い理解だったけど。
そんな私がある時配属されたのが外国人と日本人が半々くらいの職場。
かなり自由な職場で、LGBTが今ほど言われなかった当時でも、みんな普通にカミングアウトして、普通に受け入れていた。
何しろ私のチームだけでも、同性愛者が8人、20人中と思うと、かなりな割合だと思う。
だからか、LGBTに対する理解を深めてもらうワークショップを社外に向けて発信してたし、イベントで当然のようにカミングアウトする人たちも居た。
お客さんたちは本心どう思ってたか分からないけど、そういう場に集まる人たちは「理解ある自分」を演出したがるもので。
お客の中から初めてカミングアウトする、という人も出てきたりと、ちょっと不思議な空間であった。
多国籍企業だからこそできる、国際交流とか、環境問題とかも大事だと思うの。
短い任期の中で、印象に残ってるのはLGBT関連のイベントと、語弊をおそれず言うと「理解してくれるよね!」という押しつけのような熱さだったわけで。
で、表題にはいると、そんだけセクシャルマイノリティを擁護しようと躍起になってるのに、別のマイノリティ、V、つまりバージンはバカにされなきゃいけなかったわけ!?ということ。
特別言うことでもなかったし、黙ってたけど、すぐボロはでた。
当時は異性の裸を正視できなかった。
そんな私を見てみんな見抜いたらしい。
気づいても知らん顔するのが大人のマナー。
なのに、ちょいちょいバカにされ始めた。
最初はみんな私の恋愛を心配してくれてるのだとすら思おうとした。
でも、マッチョの水着姿を正視できない私を笑ったり、外国人のゲイの同僚に、男性性器の写真を見せられたり、罰ゲームで私の頬に不意打ちでキスする奴まででたり。
やっぱね、あれはさ、イジメだよね?(怒)
最終的には容姿までバカにされて、泣きながら上司に訴えて謝罪させたけど、その時の女性の同僚が冷たいこと。
って(涙)
夢だった仕事について、みんなのことも好きだったし(最初は)、絶対成功させたかったから、全力でがんばってたのに。
ねぇ、私なんかそんな悪いことした?
仕事の能力については誰も何も言わなかった(言われたら私立ち直れなかったろうし)
だから、そこを突いてきたの?
多様性を散々私を含めて、まだ十分な知識もないお客さんたちにまであんだけ押しつけておいて、で、私は受け入れてくれないの?
私がその仕事に就くためにどれだけ色んなもの犠牲にして勉強してきたか、みんな知ってたのに。
それで恋愛も後回しだった(モテなかったのもあるけどさ)のに。
高齢処女も、ある意味マイノリティだよね。特にそれでLGBTの人等みたいな社会的弊害はないけど言えずに苦しんでる人だってたくさん居るのは同じなはず。
みんなにとってはイジりだったかもしれないけど、私にとっては未だに心がえぐれる。
だって、私にとってあの仕事は何年もずっと夢見てた場所で、一生の思い出なのに、そんなことで汚された。
最後までみんなのこと信じようとしたけど、やっぱり無理だった。
そんな私みんなに嫌われたかな?って未だに思う。
二度と連絡も取らないけど。
そもそも、LGBTはよくてVはダメなの?どれだけ矛盾してんの?自分らの権利主張はものすごい推してきて、それで何もしてない私のことあんなにバカにしてきたよね?それで多様性とかよく言えるな。
もう3年も前の話。
今も絶賛Vですが何か?
おかげで、それまでずっと処女であることは特に気にしてなかったのに、気になるようになりました。ありがとう(怒)
もちろん少数派なのは分かってるけど、どうしてもあのときの記憶がよみがえる。
自分らばっかり主張しやがって、と。
一時、本気で思ったもん。
自分が処女であることをカミングアウトしてその擁護をするイベントを開こうかと。
さすがに止めたけど。
私は、あれは許せない。
今の風潮も、どうしても受け入れられない。
今の同僚がそうだとしても、良い人ならこれまで通りつき合うだけ。相談にも乗るし。
LGBTの友達はいるけど、守るならその子たちだけ。他は知らない。勝手にやって、という感じなのだ。
※※※
詳しく書くと、分かる人はすぐ分かるかもしれないので。(あと私を特定されかねないので)
思いの外反応をいただいて驚いた。
この件に関してはずっと胸にしまってきた。
私がみんなに嫌われてたから、
って、ずっと自分責めてたし、忘れようとずっとしてきた。
でも3年たった今、LGBTの運動みてて無性に腹が立っている自分に気づいた。
その怒りを初めて外に出せた。やっと。
ひどいこと言われてたんだ、ってコメントみて気づいた。
日本企業で同じことされたら、即通報してたけど、半分外国の独特の環境だったから私が間違ってるのかと思いこんでた。
何より、力不足なのに、その職場にいさせてもらってるという思いがあったから。
でも、よく考えたら、私はお客さんや他のスタッフからは感謝されることが何度もあった。ちゃんと私だって貢献できてたことにやっと気づいた。
私はあの場で怒って良かったんだよなあ。
でも、もう関係ない。私なりに仕事をやり遂げたことに気づけたから。
【中学受験】
動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。
小学校は東京郊外の私立に通った。いわゆる東京の私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針を実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスもひとつしかなかった。
私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいつしかその子に好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。
五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任の先生と相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生の一言だけで私は世界が広がった気がした。
学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家の一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由な校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。
好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家が第一志望となった。
塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生は塾長と奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。
塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。
大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段の学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったからお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリの偏差値をいつも取っていた。
そんなこんなで中学受験。第一志望の受験日は2月1日。受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼの学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任や塾長の言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。
手ごたえはあった。得意科目は算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク。
【大学受験】
東大を受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。
はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践したかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法を模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。
私が中学の頃に父は長年勤めた会社を早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費と生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験の意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。
幸い有数の進学校には通っていたので、目標を東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。
ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間だけが過ぎていった。
願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である。
余談だが、父は学生紛争で東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。
結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験は合格者平均を大きく下回っていた。二次試験の数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。
【大学受験2】
東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。
私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校も卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。
就職か浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。
浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。
後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強と試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校の教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。
この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議と二次試験の過去問も解けるようになった。
結果からいうと、私は当時の前期日程試験で不合格だったが、後期日程で理科一類に合格した。
前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要な試験が少なく、私の場合はほぼ英語と数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。
試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語が会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ちで試験を終えた。
結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分の体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。
こうして私の受験は終わった。
【最後に】
小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家に合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。
受験は競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較でしか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。
正月の受験生たちに、あけましておめでとう。
ツイッターをやっていると、よくわからないファボやリツイートがつくことがある。
自分はフォロワー数の多くない企業アカウントの中の人で、今年の夏、熱中症の注意喚起を呼びかけたツイートが、先月、だいぶ涼しくなってからリツイートされたことがあった。
私のツイートの内容は、今日も何回か救急車の音を聞いた、熱中症に気をつけるように、また熱中症だと思っていたら、脳梗塞の場合もあるので注意、というような内容であった。
なぜ、こんな涼しい日に?
と気になって、リツイート先を見に行く。会社のアカウントにアクセスしなかった時間は半日ほどである。にも関わらず、リツイートされているはずの自分のツイートは大量の他のリツイートや、本人のツイートに紛れて見えない。
プロフィールを見ると、「児童相談所に子供を拉致された」ということと、「集団ストーカーの被害を受けている」ことが書いてあった。
統合失調症にかかった親が、その症状による子供に対する暴言や暴力を通報されて、子供を保護されてしまったのだろうと分かる。
だが、本人には病識がなく、あくまでも自分を攻撃する勢力によって、子供を拉致されてしまったと思い込んでいる。児童相談所もその勢力の一つだと思っているようだった。
さらに、ツイッター上には似たような状態にある親が何人もおり、そういった親同士が繋がることによって、妄想を強化させ、病識から遠ざかってしまっている様子が伺え、朝から恐ろしいものを見る思いだった。
だいぶスクロールして、自分のツイートを見つけた。その上下には、「救急車」と「脳梗塞」というキーワードで拾ってきたであろう他のツイートが並んでいたが、正直なところ、どういう脈絡でそのキーワードを持ってきたのか分からなかった。
自分のツイートまで遡っただけだが、その人物の配偶者や親など、他の家族の影は見えず、孤独な状況に置かれている様子も伺える。
孤独な状況でSNSに頼り、妄想を増幅させている。SNSの問題点が浮かび上がっており、本人もそうだが、何よりも児童相談所に保護されているという子供が哀れだった。
ずっと胸の奥につかえるような居心地の悪さを感じて一日を過ごしたが、思い立って今度はグーグルの方で、どのようになっているのか検索してみた。
児童虐待を通報され、子供を児童相談所に保護されてしまった親に対して、「児童相談所の方が子供を拉致している」と吹聴して回る、社会的地位のある人々が存在し、お墨付きを与えている。そして、そういった親に対して、本を出したり、セミナーを開いたりしている。
彼らの動画や本を紹介している人の中には、イルミナティであるとか、宇宙人と思しき片仮名であるとか陰謀論で目にする言葉が脈絡もなく飛び出し、妄想性のある病に罹患していると思われる人も含まれていた。
だが、彼らの主張はあまりにも荒唐無稽である。子供が児童相談所に保護された時に生まれる親側の「自分は虐待などしていない」と言う否認感情を逆手に取り、悪いのは児童相談所の方であると吹聴している。その中には、上記のような明らかに妄想性の疾患のある患者も含まれている。
こういった主張をしている社会的地位のある人物は他にもいるようだったが、具体的に目についたのは二人、肩書はそれぞれ弁護士と医者である。
極右的な主張の持ち主であり、体罰の会の副会長をしている。日本国憲法が無効であるから、それに基づく教育基本法も無効であると主張する極端な人物である。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=bsVc_DCAxOw
ざっと調べてみたところ、反ワクチンで有名な医者のようである。ワクチンどころか、向精神薬を全否定し、さらには精神の病そのものさえ、無いと主張しているようである。
南出の方は極右的な人物であるが、内海の方にそういった思想的な傾向はあまり見られない。南出の動画はチャンネル桜だが、ふたりともIWJに取材されているページも見つかり、単に右翼左翼という問題ではないようだ。
二人とも、大した理由もないのに、児童相談所が子供を拉致する。目的は、児童を保護した時の一人あたり、30~40万円ほどの補助金が狙いである。児童相談所が拉致した後は、子供を薬漬けにすると主張している。
だが、常識的に考えて、補助金は保護した子供の食費を始めとする経費として、決して高い金額ではないだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20170816-00074094/
通報があったうち、実際に虐待であると認められたのは8割だが、保護する必要があると判断されたのは13%であったと記されている。保護はその緊急性を要する13%とみなされて行われているのであり、大した理由がないとは決して言えないであろう。
また、向精神薬の利用に関して、適切かどうかは、別の問題として適宜考えればいいことである。
最も重要なのは、このような主張に取り込まれてしまったのでは、虐待をしてしまったことの反省から遠ざけられてしまう。また妄想性の疾患を抱えた親に関しては治療が最優先であるはずである。
何よりもその一時保護を受けている子供の人権に関わる問題である。
だからと言って、見つけてしまったからには、そのまま通り過ぎる訳にもいかない。
忙しかったので、見つけてから二週間ほど時間が経ってしまったが、この間にもおかしな主張に取り込まれた親子がいたのかと思うと忸怩たる思いである。
個々のデータや事実関係の検証については、他の人にお任せしたいと思う。
実際に虐待を通報されたことのある経験を持つ人は少ないだろう。私もあのようなリツイートが飛んでこなければ検索することも無かった。
だが、例えば「児童相談所」で検索すると、「拉致」がサジェストされ、「児童相談所 拉致」と検索された結果は反証のない、バイアスに満ちたものになっている。
日大フェニックスの件、プレーのひどさと言ったら、当該選手は気でも違ったのか、クスリでもキメてんのか?というおかしな、そして危険度の大変高いプレーだったのは確かだが、ここまで蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは、アメフト好きとしても忸怩たる気持ちでいっぱいである。
いわゆる「体育会の病」のようなものについては、たとえば高校野球の不祥事がらみや体育会学生の私生活のはめはずしやら、バスケットボール協会の長年のアレでアレな感じやら、ついこないだのサッカー協会やらレスリング協会やら相撲協会やら、昔から今に至るまで枚挙にいとまがないわけで、それをいまさらこんな大事で日本中がギャースカ言うほとアメフトってみんな興味ありませんでしたでしょう?という感じではあるのだが。
ひとつには、これってまさに今の政権の政局とおんなじ感じの構図にはからずもなっちゃってるってのは少なくないんじゃないかなと思ったん。
ネトウヨの皆さんは置いておいて、安倍自民に消極的賛成だった自称穏健派・現実派の人たちあたりが、ボロ出まくりとはいえいまさら政権を叩くのも格好悪いし外聞悪いし評判も落ちるだろうけど、日大を叩いてる分には、社会の理不尽を叩くことはできるけど自分の立場や社会的な体裁は崩さずに社会悪を叩けるという感じにはなっているのかなーと思ったりな。
周りに言える人がないので吐き出してすっきりしたいだけ、、できるかな?
もうアラフォーなのに。
妻子もいるのに。
彼女も既婚なのに。
我ながら頭おかしいとは思う。
どうかしている。キモい。
でも、どうにもならない。エモい。
いや冷静にこの感情を解きほどいて認知行動療法的に解消していくことはできる、はず。
じゃあそうすればいいかというと戸惑いもある。
正直、この懐かしい不思議な感情をもう少し大事にしたい気持ちもある。なんか面白いし。
ちょっと悪い面を見れば治るかと思ったけど全くの逆効果なのよね。
顎とんがってねっすか? →シャープで素敵
何か言葉遣いたまに悪いよね→影響を受けやすいのか? よっしゃ俺色に染めたる! ってかたまに悪いってことは普段は良い訳で育ちの良さが伺える
でも他の人と楽しく話している姿を見るとジリジリと嫉妬で横隔膜が鉄板焼きになるし
彼女と目が合えば、緊張のあまりそっけない態度で目をそらしてしまうし
でも彼女と会えない時間はふわふわとした不安で他の何もがぼやけるし
彼女のこと以外が(若干)色あせて見える感じもちょっと新鮮だし
子供を見る目はいつもよりさらに引いた視点で見てしまっている気がする。後ろめたさのようなものか?
でもなぜが妻はいつもよりちょっと可愛く見える。少し昔の気持ちに戻ったような。
はぁーーーーーーーなんでこんなことになったんだろう? どこでマズった?
しんどそうだった時にフォローするつもりで飲みに行ったので変なスイッチ入ったのか?
それとも最近10代の頃の音楽を聴き直しているせいでなんか若返っちゃった?
はたまた日々の育児の忸怩たる思いとか妻のヒステリーから逃げたいだけなのか?
不倫とか浮気とかそういったのに憧れがある訳ではないと思うけど(性癖はNTRだけど)。
あ、でももし彼女が夫を捨ててでも選んでくれたらそん時は覚悟を決めるくらいの気持ちはある
実際どうなんだろ? どのくらい好きなんだ?
そりゃ当然ヤりましょってなったらやるやるってなるけど
強引に行くのはちょっと違う気もしている。セクハラって言われると怖いしね。会社もあるし。
どっちかっていうと会社サボってデートに行きたい感じ。一緒に水族館行ったり美術館行ったり、彼女の好きな映画みたり。
そんで手をつなげればワッショイだし、抱き合ってキスくらいできればもうそこであきらめて試合終了してもいいんじゃないか? って思える。次の試合に切り替えよう。
ともかくだ、最大の問題は最近彼女がヨソヨソしい気がしていること。
十中八九自意識過剰なだけだけど、自分から変な気が漏れていたらどうしよう。
さて、書いて少しは気が紛れたのだろうか?
なんか逆に動いた方がいい気がしてきた。
やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいいっていうよね?
のでここに書き留めておきます。
それに気づいたのは、突然、馳さんから「お前、明日デビュー戦な」と告げられたからである。
「あ、おいっすー分かりました」と軽く返答した。小さい頃から知っている馳のオジサンに。
先生にさんざんイヤーなお叱りを受けて、その後帰宅するんだが、
いつもと違う道を歩いて帰ろうと思い立った。Ingressをするためである。
あー全然ないわー、と思いながら道すがら、やっとポータルを見つけた。
あーこれ、東京ドームか。俺、明日ここでデビュー戦だったなあ。
え? 東京ドーム?
ここで事の重大さに気がついた。
ドロップキックもできない。
いくら馳のオジサンでも、こんなしょっぱい相手をどう料理もできないだろう。
後悔先に立たず。備えあれば憂いなし。
どうして俺は、こういうチャンスをモノにできない人生なのか。
いつプロレスデビューの話があってもおかしくないように鍛えておくべきではなかったのか。
プロレスが家業だからと、いつでも鍛えられると、甘えてはいなかっただろうか。
そんな忸怩たる思いで、俺はこのだらしない腹で、情けない体力で、
顔にペイントして、奇声を上げて、毒霧でも吹くか。グレート・ニタの要領で。
さすがに馳のオジサンも怒るかもしれんが、仕方ない。
やればできる、悲惨な結果になろうとも。何かやらなければならない。
なんとかしなければ。。。
というところで目が覚めました。寝汗びっしょりでした。
ときおり、ホッテントリなのにまったく読めない文章に出くわします。
(これ、文字通り読めない。日本語で書かれていることはわかるけどそれ以上はどうしても頭の中に流れ込まない文章)
こういうとき少なからず劣等感にさいなまれてましたが、最近は読めない文章は読む必要がないと判断処理するようになってすごく楽になりました。
難解な文章というとすぐに歴史的名著や有名な古典などともてはやされ、教養を身につけるためには読めないといけないなどと教えられて育ってきたのでホッテントリになるような文章なのにこれっぽっちも頭に入ってこないのは、おのれの読解力のなさゆえなのではないかと思い、忸怩たる思いに囚われたものでした。
でも、読まなくても理解できなくても平気なのです。なぜなら! それは無料の文章だからなのです。読んでも無料、読まなくても無料。むしろ無理して読み進めるための時間を短縮できた分こちらは得をしているのです!
死ね!読めない文章を書くやつとそれをホッテントリにする阿呆ブクマカども!
35、子宮筋腫あり、子宮内膜症あり、重度の貧血、ガリガリの瘦せ体質、妊娠するのは難しい可能性があるかも、というマイルドな所見をいただき、夫も年齢や激務から立つものも立たず、忸怩たる思いで排卵日を見送る・・・
周囲は子育て真っ盛り、子供は大好きだから、会うたびに動画や写真を見せてもらうのも嬉しいし可愛いなと思うけど、家に帰って一息ついたときに、隙間にふっと入ってくる感じ。仕事終わり、スーパーで夕飯の買い物をしているときに、かわいい盛りの子供をいとおしそうに抱っこする若いお母さんとか見るときの、胸がぎゅっと締め付けられて息苦しくなる感覚。
誰も悪くないし、だから毎日息をするようにしんどい。考えるのが嫌で本を読む。出かける。でもアクティブな趣味もないので近場の神社とか。どんな神様かと検索するとき、どこの神社に行こうかと検索するとき、縁結びとか安産とかを目の端で探してしまうあの感じ。
どこに行っても、何をしてても、誰と話しても、ずっと考えてる。
ゲシュタルトセラピーに興味が出てきた。もう、自分の頭を塗り替えてくれるものなら何でもいい。
今の自分の幸せさに目を向けて、等身大で生きていくことがなんでこんなに難しいんだ。
話し相手マジでほしい。大人になって、新しい友達を作る難しさをひしひしと感じてる。いやまあ学生時代からコミュ障だったけど。
「こんな○○の授業を受けたかった!」
「こんな風に教えてもらえば、もっと○○が好きになったのに…」
「学校で教えない○○」
…よく聞く言葉だ。こういう世の中の風潮を受けてか、文部科学省も「関心・意欲・態度」を評価せよ、学ぶ意欲をかき立てるような授業を、ということを言う。だがちょっと待って欲しい。本当に「そういう授業」を受けたら、学習意欲が高まり、学習効果は上がるのか?
PISA調査に見る日本の生徒の学力のユニークな点は、【「学力点」は高い/「学習意欲」は低い】…である。つまり『外国』の生徒は「やる気バリバリあるが、頭はそれほどよくない」。対して『日本』の生徒は「いやいや勉強やらされてて、テストの点だけはよい」というわけだ。これを見て、何でも「低い」ことが許せないお役所の方々は「もっと意欲を高めろ」と指示するわけ。だがこれらが逆相関している可能性について彼らは真剣に考えているのだろうか? つまり、【やる気は学力と反比例する】という可能性である。
これは、直感とは相違するので違和感があるかもしれない。やる気のある生徒が勉強できない、とはどういうことなのか? 東大などに行かれた偉い方々には、すとんと落ちないのだと思う。だが、データは正直だ。そして、現場の指導を通して感じる実感としても、上記の可能性は十分に考慮すべきだと考える。なぜなら「指導のリソースは有限」だからだ。
教員にはとにかく時間がないし、生徒も同じく時間に追われている。その中で、限られた授業時間で必要な指導を行う。もし、いまだに時間のリソースが十分にあるならば、「やる気のある子が自主学習や読書に取り組む」ことも、あるいは期待できるかもしれない。だが、部活と塾に追われ、空き時間をスマホでのコミュニケーションに追われる現代の生徒たちには、そういう余裕はない。ひたすらアウトプットを強いられてインプットする時間がない。つまり、「やる気の出る指導を受け、やる気を出す時間」はあっても「出たやる気で他を圧するほど学習に取り組む」余裕がないので、結果、「やる気は出ても学習成果は上がらない」ことになる。もし、短期的に「学習成果」をあげたければ、「やる気」とは無関係に、授業時間に絞って「詰め込み」をさせる方が効果的かもしれない。これが、「やる気」と「学力」が反比例する理由となる。つまり、時間などのリソースが定量だとすると、やる気に時間を割くほど学力は下がり、学力に時間を割くほどやる気が下がる。
実際、現場で指導して「受けたい授業」的な授業をしても、「そのおかげで」生徒の学力が上がったという実感は驚くほど薄い。強いて言えば、「教え込み」をしないにも関わらず生徒の「自主努力」によって、なんとか「教え込み」型の授業を受けている生徒からギリギリ離されない程度の成績を収めているな、という感じがある程度である。大変忸怩たる思いがある。
まあ、教員としては「面白い授業」をした方が楽しいのは楽しいのだ。だが生徒には負担をかけているという思いが否めない。もちろん、こういう苦労をした生徒の方が「将来伸びるだろう」という確信はある。だがその「将来」というのは、たとえば浪人したとき、あるいは大学に入ってからの伸びとかそういう意味になる。浪人をするほどの余裕がない家庭の多い公立高校で教えている限り、現役入学にこだわる生徒たちは、結局力を伸ばしきらないまま本人の行くべきレベルより低めの大学に入っていく。
まあこれは極端な話で、結局のところどちらかに振り切ることなく、どちらもそこそこにお茶を濁す感じで手を打っているのが現状だ。それで、生徒の評判はそれほど悪くない。だがもう少しうまいやり方もあるのではないかという気もして仕方がない。文部科学省の方々には、もう少しそのあたりを考えていただきたいものである。やる気も学力も魔法のように上げる方法というのは、残念ながらない…それが現実なのではないだろうか。
そうですあの東日本大震災が起きたとき辣腕を振るいに振るった(イヤミ)菅直人氏の選挙区です。
比例は立憲かなとは思ったものの、希望は排除発言やら小池さんの立ち振る舞いやらでとても票を入れるに値しなかった。
残るは自民と立憲民主。公明があれば穏健右派かつ自民監視役として入れていたかもしれない。
普段は消極的自民支持者である私ですが、誰に入れるのか、誰を評価するのかとなると安倍さんの背中を押す気持ちはちょっと…となった。個人的に世間で喧しい森友加計はまあそんなどうこうはなくて、稲田さんに国防を任せ続けた方がよほど国よりお友達なのかなってゲンナリしたところはあった。
共産党なんてここで語るに落ちるクソだし、安倍政権を許さないとか適当言うのもレッテル商売と足の引っ張り合いも大概にしろと思うし、就活を見据えた若者の気持ちもわかる。
一方でヤフーやツイッターのトレンドに上がる自民支持者の攻撃的な煽りツイートにもげんなりする所がかなり強くて、結局自民を支持してないとクソみたいな全体主義的な考えにも辟易してきていた。
改憲は必要かもしれないし、沖縄の人への負担や蔑ろ感は物凄いのだろうけど、中国への牽制は必要だと思う。竹島だって北方領土だって帰ってきてほしいよ。
ネットで見かける右の人たちを見ると、私は左翼と言われる部類なのかもしれない。
金融緩和はアリ、高齢者はやや負担が増えても子育て世代、子供への政策は強化されるべきだと思う。子供につけを残すななんて緊縮をやるのはクソ馬鹿だと思う。子供生まれなきゃ意味ないし。
なんならトランプ政権が誕生したとき、安倍さんは上手に動けたと思うし、それは長期政権故のメリットだったとも思う。
それでも今回は自民党に入れることはためらわれた。
これが菅さんじゃなければ即投票で終わったのだけれど、やはり菅さんに入れるのはすごく抵抗があった。
東日本大震災、あれだけの人が亡くなり、残された家族は絶望し、原発はメルトダウンを起こした。
だけれども、希望の党は排除したのだ。排除とは何か。ではリベラルは?寛容があって、失敗を許せる人、社会。
魂を捨てるような思いだった。
失敗をしたひとが、それを踏まえて動けるのか?菅さんは自分を鑑みれるほど若い人なのか?
糞と糞の比較かもしれない。それでも、自分が優しい社会であってほしいと思ったとき、そうするしかなかったのだ。
今、ツイッターで18区と検索すると、魔の区だ、とか頭のおかしい人が住んでいるとか、そんな文言が溢れている。
自民公明で過半数でも構わない。でも監視する人がいるんだぞと、相手の顔を伺って落としどころを決める与党になってほしいと思って投票した。