はてなキーワード: 念の為とは
数年前転職してきた(具体的な年数は記載しない。「a few years」の数年前)上司が飛んだ。もちろん形式上は通常の手続きでの自主退職だけど、引き継ぎなども特になくクロージングもなく「いなくなった」。
私もサラリーマン人生長いから、今まで「鳴り物入り」の同僚や上司が来て、淡々と去っていくのを見てきた。中でも今回の「飛び」は印象深かったから、個人や場所を特定されない話として残しておこうと思った。
推薦図書を全員にメールで送ってきた。結局ほとんど誰も読まなかったらしいけど、私は「上司の推薦図書=実質義務」だと思っているから、アマゾンの中古本と図書館で借りることで一冊(アマゾンでも高かった)除いて全部読んだら「本が好きらしいので」と5冊持ってきて結局「義務」が私だけ5冊増えた。想像つくとは思うけど結局「読まなかった人へのペナルティ」も「読んだ人へのアドバンテージ」も特に無かった。もちろんそのあたりも最初から想定していたので特段の感慨はない。
感想?「何冊かは『読む』本じゃないよね」ということ。
仕組みやシステムを構築する時、困ったり抜けを確認するために該当箇所に当たってチェックする本だなというのが感想。
就任後一ヶ月くらいで、私を呼んで分析用のデータの作成を指示してきた。
「網羅すべき内容は?」「全部」
「どのくらいの期間で?」「できるだけ早く。3日位で」
これを聞いた瞬間に感じた。
(ああ この方自分で読んでそして我々に推奨してきた本の中身を理解してない)と。
推奨図書のうち一冊には「なんでもそうだけど 内容を明確にして対処するのが一番大事だよね」的な書物があったんだけどな、ついでに自分の仕事人生の中で「全部」と言われたデータが役に立った例は古今東西あった例はないな…と思いながらデータを取りまとめる。
…想像通り3日で作ったデータは死蔵品と化して、最後まで日の目を見ることはなかった。
推薦図書の中に「全てのデータを取得してアウトプットして活用する」的な本もあった。
だけど上司のアウトプット=資料を殆ど見たことがない。強いて言うなら文字位置がガタガタなPowerPoint位と画像貼り付けノートとして使われてたEXCELくらいかな。
データ使いこなすと言うならまずはMicrosoft Officeを使いこなしてほしいかな、と思っていたけど流石に直接そう話すわけにもいかなかった。
予感はしていたのだけど「ここ(現業)は◯◯が低迷し…」から始まった瞬間、皆の顔が微妙に歪むのを観察していた。私も現職で数社経験しているから身にしみて知っているのだけど、私が努めてきたどこの職場でも「課題も問題もある。それは皆わかってる。でも別に好きでそうなってるわけじゃないし誰かがサボってそうなってるわけでもない」。そこまでの経緯や体制など色々な原因が横たわっているからそこを改善しないとどうにもならない。それをさも「怠惰」が原因であるかのように話をしてもどのプレイヤーも得をしない。
予想はつくと思うけど、その後も会議はたくさん招集された。だけど上司から出てくるのは「課題」「問題」「事象」。いや、上司に求められているのはその3つに横たわる「原因」を分析する能力なんだ。それら3つはもう全員が理解してる。だからすぐに「会議を開くこと。そして上司の話を聞くこと」が会議の目的と化した。そして上司は目的語が大きかった。業務を遂行するうえで、顧客のどの層を想定するかは割と大事なポイントなのだけど、常に上司の口からは「お客さん」というワードだけが出てきた。それとなく傷つけないように目的語を会議中に修正した事は何回かあったけど結局最後まで変わらなかったな。
私の嫌な予感は的中し、上司の話を聞き流す人が着実に増えていった。
その結果どうなったか?上司はコミュニケーションの機会そのものを自分で減らしていった。立場上忠実(にならざるを得ない)直属の部下のみを招集しての会議のみがやたらと増えた。直属の部下は上司との会議のすぐ後に他部署との会議や自分の業務を抱えて辛そうだった。そのなかで上司はいつも5時になるとすぐログアウト。そして退社するのがルーティンになっていた。
いいか悪いか、は別として、現職の経営層は管理職に「プレイングマネージャー」であることを望む傾向が強い。仮にプレイングマネージャーでなかったとしても、課題も問題もあるわけだから暇な訳が無い、だからポジションを募集して貴方が来たんでしょう?と思うのはごく当たり前のこと。だから「イマイチ何をしているのかわからないが毎日定時で退社する上司」が現職の職場で目立ち始めるのに時間はかからなかった。
私の現職の部署はやや職場の位置が特殊で、本社の中枢部分に数人のデスクがあり、分館みたいな所で私を含む大部分のスタッフが働いている。
そんな中で、上司は分館の会議室に脇目もふらず直行して会議だけ行い(内容は少し聞こえてくるのだけど、何かが決まっている雰囲気はあまり感じられなかった)会議が終わるととてつもない速さで分館からいなくなり、分館スタッフと話す事は殆どなくなった。
コミュニケーションを嫌がる(怖がる、かもしれない。少なくとも私にはそう見えた)ものだから、メールの返信もいつも一行から三行位。「ふわっとした」疑問形で返されることも多かったから、メールの案件が上司が介入した結果結論に到達せずに途中で止まってしまう事が多かった。
承認書類も途中で止まるようになった。上司の承認が止まるものだから業務も案件も滞る。その中で招集された会議で上司の承認待ち案件について「あの案件が停滞しているのは何故?」という発言が当の上司から出てくるというギャグみたいな状況に数度直面した。
でも両方とも魔法使いじゃない。外部業者やコンサルと打ち合わせを行うと、初回で外部業者が必要しているデータをそもそも持ち合わせていないことがわかり数回の打ち合わせで大半が立ち消えとなり、事前検証や打ち合わせの時間分の工数が消える結果となった。
おそらくは経営陣側が「上司の力量に一旦は任せてみよう」という判断になったのだと想像している。その一方でこうも思った「後日経営陣は確実に費用対効果を確認してくるだろう。まあ私が問われるわけじゃないからいいけど…」。
良くなかった。
基本的には与えられた条件の中で新たな費用を発生させないことを前提としているが、どうしても少額の費用(最近はサブスク的な月1000〜2000円とかの定期支払いが多い)が必要になる時があるが、そういう少額費用の決済が恐ろしく渋くなった。どれだけ費用対効果を説明する資料を作っても駄目。
その中で「稟議通過したこの件だけど、まだまだ足りないからもっともっと金を使うぞぉ」的な資料を見つけてしまいため息しか出なかったのをよく覚えている。
会社は数字でのリターンを求めてくる。でも部下とのコミュニケーション同様「ふわっとした」説明しかできなかったらしい。資料を作って見せるスキルもないからすっかり経営層から「マーク」されたらしい。
その結果、上司が分館に来て誰とも目を合わさないテーブル(デスクではなく)で黙々とノートPCと向かい合って「何か」をして、5時になると姿を消す姿を連日目にするようになった。
だけど一つだけやっておきたいことがあった。
着任後半年くらいしてから「現業の未来像をどうするか」でブレーン・ストーミング会議を行いたいと言われてメンバーが招集されたことがある。
結局はブレーン・ストーミングでもなんでもなかった。
「役員が”将来像”は『A』になると言っているから、皆『A』にするための方策を考えて」だった。
私は基本的に官僚スタッフなので、方向性として示された事をいかに実現させるかに頭を絞るのが職務だと捉えている。だがこの件は看過しているとまずいと考えて話をさせてもらった。「『A』はできない訳ではないのですが、会社の体制と対応そのものを変える必要があり現職の状況には沿っていないと考えます。恐らくなのですが『B』という考え方があり…」とホワイトボードを使って説明した。参加者全員が納得してくれ、上司も「まあいいでしょう」と話をして次の会議予定を設定した。
次の会議になった途端、上司が『A』の話をし始めた。私から「先日お話した『B』の話は役員にしていただけましたか?」と話したところ「役員は『A』と言っているから」の一点張り。結局この将来像は、微妙にどうなっているかわからない状態になっていた。
上司の退職が決まって10日後位のこと。この”将来像”とは別案件で当の役員が来ることになった。別案件とは書いたが、この別案件の作り込み方は”将来像”によって180度に近いくらい作り込みが変わってくる。私もそれで悩んで色々な絵図面を散々描いては直し、を繰り返してきた。
私が事前に”将来像”について役員に直接確認する必要があるよねという話をしていたので、自ずと役員を前にその話題に流れていくことになった。
『B』だった。
私が話した内容とほとんど一致していた。
誤解しないでほしいのは、別に自分の自慢をしたいわけじゃないということ。
少しだけ捕捉すると『A』は「0か1か」の案で、『B』は「濃淡をつける」案。
外部の方からするとどっちも似たようなものに見えるのだが、実際は業務の作り込みから顧客への応対からシステムから何もかもが違ってくる。
恐らくなのだが、役員が『B』で話したのを、上司が忖度して「役員の期待?に応えるためにはもっと厳しくしないと!『A』じゃないといけないだろう」と脳内変換したのではないかと推測している。
念の為だけど上司を責める気はまったくない。誤認や勝手な忖度は初めての案件の場合よくあること。問題はそこからどう修正するかであり、それを可能にするのがコミュニケーションだと思っている。
その会議には退職間近の上司も参加していてほとんど何も喋らなかったが、役員が『B』を笑顔で話している時に上司をちらりと見たところ、ずっと下を向いていた。
会議後、役員は次の会議に向かった。そして上司はそっと席を立った。その時、他部署の方が「◯年前にさっきの話を聞いていればこんなに時間かからなかったのに…」と言っていたのが全てを表していたと思う。
その日から10日間、上司はほとんど別館のテーブルノートPCをおいて「何か」を見ていた。手は殆ど動いていない。誰かと会話する時間は一日10分程度。それでも定例の直属部下とのミーティングは開催されるし、案件の会議には一応「出た」。そしてほとんど何も喋らなかった。
外部業者(ほとんど実現可能性のない案件を相談)から次の打ち合わせの打診がメールで入ってくると「◯◯が設定します」の一行メールで返信が入ってくる。当該◯◯さんに「どう進めます?」と聞くと「話聞いてそれで終わりだねー」と「せやな」で返すしか無い見解をいただき安心した。つまり上司が片っ端から声をかけてきた外部業者やコンサルトのルートはほぼすべてがクローズされるという結果となった。
やっと手が出るようになったのだが、他部署に関わることのため話の持って行き方をずっと考えていた。何とかうまく「敵に回さないよう」話ができた後、上司から話しかけてきて「やっぱりダメだよね◯◯部署。ところでXXのデータには当たってみた?」
‥いや違うんだと。◯◯が怠惰でやっていないのではなく、現職の業務体制で手が出ていないだけでそこに「悪」は存在しないんだと。そして私がやるべきなのは問題提起と提案まで。実務は◯◯に依頼しなくてはならないから、私がXXに当たる意義はほぼないんだと。何より私はただ一件の話をしているのではなく、背後に眠る数百件の類似ケースとその検証に手を回せない体制を改善しようとしているんだと。
純粋な親切心でそこまで言おうかなと迷ったが、意味も意義も無いのでやめた。
(退職メールではなく、普段から自分の口と文章と資料で経営陣とも部下ともコミュニケーションを怠らず「わかってもらう」努力を欠かさなければ結果が変わったかも…)と思いながら返信。
返信した30分後位に挨拶に来た。
聞いてみたところ、メールを出してすぐログアウトしたので返信は見ていないとのこと。
なので私の画面で返信をお見せした。
私の返信を要約すると「理論は大事。だけど現実とリンクさせないと殆ど無駄打ちに終わる」「コミュニケーション不在はやばい」となる。できるだけ親切に描いたつもりだった。
上司からの感想はなかった。「頑張ってください」の一言だけだった。
私も想定内だったので「ありがとうございます」と挨拶した。話を聞く限り返信を返したのは私だけのようだ。
恐ろしいのはここから。
上司が退室して10分後には「なんの支障もなく回る活発な職場」「上司がかつて通した稟議案件は(経営陣が追加コストを嫌気して)廃止になるかもしれないから準備をしておこう、と話すスタッフたち」の姿が。
…そう、最初からそんな人は「いなかった」んだよ。という扱い。
程度の問題ではあると思うんだけど、人間には承認欲求というごく当たり前の感情があるはず。これが怖くない人はいないと思う。
さっき見たやつは芸能人ではないんだけど、スポーツ選手のインスタ見てたらコメ欄で粘着しまくってる人がいた
選手のファン自体は若い人が殆どだと思うんだけど、そのアンチのプロフ見に行ったらどう低く見積もっても40歳は超えてそうなおっさんだった
フォロー欄がラーメン屋とグラビアアイドルばっかりで投稿もコンビニの菓子パン食べた❗とかそんなん
写真がなんか一人暮らしっぽくて、あんまり冴えてなさそうなおじさんなのかなって感じ
まともなアカウントでアンチなんかするわけないから当たり前ではあるんだけど
それでもおっさんとおばはんの率高すぎるだろ
ネットの誹謗中傷ってなんか学生とか若い人がやってるみたいに思われがちだけど意外と年齢層高いよね
いい年こいてやってるってパターンが多いように感じる
俺が家事や子の世話をしようとすると蛇蝎のごとく嫌がる癖に、俺が何もしないと周りや子供に吹き込み続けてた
他人の子を俺の子として育てさせても、ずっと周りに悪口吹聴しても、子供に俺のこと親と呼ばせなくても、なんか法律的には実子らしい
子供にもずっと悪口吹き込んでるから、別れる直前あたりは目も合わせてくれなかったよ
子供抱っこできたのは夜泣きして嫁が起きれなかった時だけで、起きたら激怒して赤ん坊奪ったじゃんよ
子供が口から離乳食プーしたのを拭ったら「触らないで!」とか俺の手を払ったやん
道路飛び出さんように手をひこうとしても怒ったよな
子供の話を俺が聞いてると、必ず話さえぎってたよな
でも「増田の子だと思ってた」こう言っとけば騙した事にすらならないらしい、おかしいだろ
面会と養育費は引き換えって判決だったから、面会する気全くないから安心して養育費も一切だしてない
たまたま同居してたけどな
しつこく連絡するの辞めて欲しいから警察に相談したら、なんか俺が悪いらしいな
急にガキにパパとか呼ばせて電話してきたんは笑ったわ
初めて言われたので新鮮でしたね
面会と引き換えなんだから、面会したくないし養育費も払わなくて良いだろ
もう勘弁してくれ
金曜に仕事でやらかしてな、やらかし方も自分のプライドをえらく傷つけるタイプの奴でな、その反動なのか今日はやたら完璧に過ごせた
朝は6時に起きて溜まっていた家事を順調にこなし、午前中のウチに図書館に行ってプロジェクト・ヘイル・メアリー上下巻を借りて帰ってきた。昼食後は映画を見ながらひたすら踏み台昇降をしつつスマホでテラフォーマーズを読み進め、運動でたっぷりと汗をかいた所にタップリのバスソルトを入れた風呂に入ることで発汗機能のメンテもバッチリだった。
そのあとちょっとだけ昼寝をして、気づいたら3時間が飛んでいた。
夢の中で俺はゾンビが溢れた街に籠城し、時にはドラゴンに襲われ、突然始まった過去編の中では中世ナーロッパの一般モブ農民としてのつらい日々に愚痴をこぼしていた。
念の為30分おきにかけていたスマホのアラームで起きたが、単純計算で5,6回ぐらいアラームが鳴っていたのに起きなかったことになる。
でも寝る直前に感じていた金曜のやらかしに対する後ろめたさは遠く記憶の彼方に消えていた。
なんとなく、なんか致命的なやらかしをして自己評価がゴミカスになっていたような気がするだけで、今はもうなんでたかが仕事の失敗1つをあんなに気に病んでいたのかと他人事のように遠く感じるものだ。
■知らないと言っているのに聞いてくる人
過去、今現在も「知らないよ」と返しても質問を止めない人がいる(いた)。
私が知らないよと返して、そっかで終わるならともかく、知らないよと言ってる事に対しても尚も質問を続けてくるのが謎だ。
例えばふるさと納税について聞かれた際、私はふるさと納税をした事も調べた事もないのでそれを告げても、
「申込の仕方ってどうすればいいのかな?」「制限ってあるの?」「〆切っていつか知ってる?」と言った感じ。
それについて「ネットで調べてみたら?」とか「自治体に問い合わせてみたら?」と返しても、
何故かそれはせずに知らないと言っている私に聞き続けてくる。
他にも、私が全く関与していない私が知る訳ないよねと言う内容の質問についても繰り返し聞かれる事もある。
ちなみに私は物知りで通ってる訳でも何でもない。
もっと詳しく話したら知ってる事もあるかもしれないから念の為追及してみようって事なのか、回答が欲しいのではなくコミュニケーション目的なのか、自分で問い合わせ先に聞けない理由や心情がある為一緒に調べて欲しいと言う展望なのか、知らないと言う事を理解出来ないのか、何も考えてなく質問しているだけなのか不思議だ…。
こういう人の心理って一体何なんだ
総合的に悪い人なら切ればいいだけだけど、いい人なんだよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231226163402
こんな的外れな書込久しぶりに見た
EVは欠陥というか元々現行の技術では解決出来ない欠点があるのは以前から分かっていたことで、それが解決されたわけでも無い
それでも売れていたのは、先物買いする意識高い人と補助金があったから。実用性が低いのは変わらないので既存の自動車に置き換わるには現状無理がある
これは予想でも意見でも無くただの物理的な事実。インフラ云々は数多いEVの欠点の一つに過ぎない
テスラはバッテリを必要量の倍積んで交互に休ませながら使う事で、寿命と航続距離の問題を無理矢理クリアしたが、その分バカでかく重く高くなった。そのデメリットをスーパーカーみたいなラッピングで誤魔化してヒットした。
正直商売として上手かったのは認める。
馬車の例えも的外れ。EVはあくまでも地球温暖化とか環境性能とかの(必ずしも事実に基づかない)一種のイメージによって後押しされただけで、ガソリン車より物理的に優れている訳でも無い
というか蓄電池はエネルギー密度が化石燃料に比べて遙かに低いので、ガソリン車より性能が良くなると言うことは無い。これもただの化学的事実
トヨタ云々も的外れ。PHVってのはメカニズムとしてBEVとほぼ変わらず、BEVの欠点をエンジンを積むことでカバーしている言ってみればBEVの上位互換製品。EV専業メーカーはノウハウの固まりである近世最大の発明の一つで
ある燃料エンジンを作れないのでEVで勝負を賭けていると言うだけ。トヨタはBEVを作ろうと思えばいつでも作れるし、EV専業メーカーにあってトヨタに無いノウハウなどは存在しない
しかもEVの最大の欠点をカバーする画期的技術である全固体電池はトヨタをリーダーとする日本メーカーが圧倒的に先行しているのを知らないのか全く無視している。
全固体電池はEVを一足飛びに実用レベルにする可能性を秘めており、その技術を確立してからEVを本格的に作ればいいだけ。同じ事はEV専業メーカーには出来無い
EVはインフラ以前に君が全く触れていない、充電に時間がかかるという欠点があり(そのブレイクスルー技術も日本メーカーが先行)それを解決する可能性があるとして研究されていただけ
背景にはEVと同じく原発がある。原発で安く電力を作って、副産物で水素も生成されるということで注目された原発ありきの技術。石油がいずれ枯渇すると言う事で研究が進められていた
後、キミはまさか反原発派じゃ無いよな? 反原発とEVは両立しないからな。EV最大のメリットであるノーエミッションと反原発も両立しないので、EVを夢の技術(笑)だと推しまくってるキミが
まあ100年後は核融合発電や衛星マイクロ波発電、長距離大容量非接触給電などが実現しているかもしれないし少なくとも今の交通社会とは全く変わっている可能性が高いが
キミは100年後のでもEVだのガソリンだの今の議論が続くみたいな貧困な知識と想像力しかないのは笑っちゃった
それで「未来が見えていると一目瞭然」とか言ってるんだからホントに凄い。もし的外れオリンピックがあればキミが全種目制覇のヒーローになるだろうから誇っていいよ
https://www.sankei.com/article/20240324-2PWOH4565RKCVKFLAV2GC5BQKQ/
確かに、内容はかなりアレなのだけど、ブコメを見ると、多くの人が「性自認」という概念を理解できているようで驚いた。
私は前に新書か何かで解説を読んだが、正直なところよくわからなかった。
そこで、性自認を理解した顔してる人たちも実はわかってないでしょと、わからせたい。
まず、性自認とは何か。先を読み進める前に一度自分の言葉で定義を考えてみてほしい。
多くの人は、「自分の性をどう認識しているか」という感じのことを考えたのではないか。
これは実際、一般的な説明でしばしば用いられる定義だと思う。少し大雑把すぎるかもしれないけれども、ここではこの定義を採用する。
まず「生物学的性別」と「性的指向」について思い出しておく。生物学的性別とはその名の通り遺伝子レベルでの性別で、性的指向とはどの性別を性的対象とする(もしくはしない)かである。ここで極めて重要な点だが、性自認は一般的な理解において、生物学的性別と性的指向とは独立にとりうるとされている。例えば、生物学的性別が男性で、性的指向が女性に向いている場合に、性自認は男性(ストレートの異性愛者)、女性(トランスジェンダーの同性愛者)の二つの場合がありうるということだ。
ここからが本題。性自認を生物学的性別や性的指向から切り離して定義することは、本当に可能だろうか(常に切り離せる必要はないが、独立に取りうるということは切り離せる場合があるということだ)。もし可能だとすれば、どのようにして自分の性自認を定めるのだろうか。例えば私の場合は、生物学的に男性で性的対象は女性だから、自分をストレートの男性と認識している。つまり、性自認として独立した認識があるわけではなく、単に演繹的に導いた結果だ。こう書くと、「トランスジェンダーのレズビアンである可能性を無意識下で排除したことこそが性自認が独立して存在しうる証左だ」という主張をする人もいるかもしれないが、しかしそのような排除は恐らく私がマジョリティの異性愛規範に染まっているからに過ぎない。要するに「常識」に盲目的に従ってしまっただけだ。もし誰かに「あなたはトランスジェンダーのレズビアンかもしれない」と言われたら、正直なところ私は反論する言葉を持たない(というか、区別する意味が分からないのでどっちでもいい)。まとめると、私にとって性自認というのは強いて答えようとすれば答えられるなんとなくの根拠しか持たないものだ。そして性自認という概念が個人の内的な経験によってのみ基礎づけられている以上、確固とした性自認の感覚を持たない私にはあやふやな理解しか持ち得ないのでないか。
そして私は、この事情はほとんどのストレートの人にとっても同じではないかと言いたい。自分がストレートの異性愛者かトランスジェンダーの同性愛者かを区別する確固とした根拠があるだろうか。念の為注意しておくと、そのような確固とした根拠があるはずがない、ということを言いたいのではない。トランスジェンダーの当事者にはそういった感覚(というよりも強い齟齬の感覚)があるということは知識としては知っており、それを否定するつもりはない。ただ私を含むマジョリティである、ストレートの人のほとんどは性自認という概念を捉えることができないことを認める必要があるのではないか。そして、もしよくわからないことを認めるのだとしたら、性自認を学校で教えることに対する反対意見に対し、知った顔で小馬鹿にした態度を取るのは、やめた方がいいのではないか(記事に対する批判自体を否定しているわけではない)。
そして最後に少し本音を言うと、このような個人の感覚のみに基礎を置く概念をもてはやすことはアイデンティティポリティクスの跋扈を許す危険な道なのではないか。
おまえ頭だいじょうぶか? 俺が全く言及すらしていない中国による日本占領という事態をお前が勝手に想定して、あたかも俺がそこでの非暴力抵抗主義を主張しているかのような論議をふっかけてきて、正気とは思えないぞ。
第一に、俺は中国による日本占領という事態には言及すらしていない。(そういうことはありえないと言っているのではなくて単に言及していないということ。念の為。)
第二に、俺は非暴力主義など主張していないし言及すらしていない。それどころか「俺が否定しているのは暴力(というか実力行使)ではない」と明確に述べている。これを非暴力主義だの暴力による抵抗の否定と取ったのか? 頭だいじょうぶか? 大丈夫じゃなさそうだな。
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:anond.hatelabo.jp/20240308100954
IT業界は先進的な企業が多いから、思想的にもリベラルで旧態然とした差別はかなり少ない。
などと、シリコンバレーの一部企業を見て幻想を持ってしまった可哀想な人が観測されたので、実際のところを記す。
IT業界の一部では、確かに異常なまでにポリコレ道を邁進する企業がいる。しかしそれをIT業界に当てはめるのは間違いである。
特に日本ではごく普通に性差別が残っており、多くの人がそれを(しぶしぶ)容認している状態である。
見方によっては九州の亭主関白のような地域に根ざした性差別であり、おかしいと思う人もいるものの慣習として残っている。
具体例を挙げよう。日本のIT業界には、女性しか参加できない勉強会が一般的に行われている。
これは「生理が齎すコード品質への影響」というような女性特有のものではなく、
例えば CTF for Girls という、セキュリティ関係のコミュニティは女性限定である。
なお念の為明記しておくが CTF for Boys のような男性限定コミュニティは存在しない。
他にもたくさんある。例えば Java 女子部というコミュニティがあり、ここも女性限定である。
男性がここで Java の勉強をすることは許されない。Java 男子部は存在しない。
他にも枚挙にいとまがなく、性別によって区切られた閉鎖的なコミュニティが一般的に存在するのである。
なおこういう状況を記すと、底の浅いブクマカが「アファーマティブ・アクションだから仕方ない」というブコメをすることが想定されるが、これはアファーマティブ・アクションではない。
アファーマティブ・アクションは格差是正を第一目標に置いた取り組みを指す。例えば大学入学者に黒人が少なく、人種に偏りができるため一時的に黒人を優遇するというような措置だ。
例えばだが、スタンフォード大学が性差別に対するアファーマティブ・アクションとして、スタンフォード女子大学を作るわけではない。
あくまで優遇するという措置であり、女性限定や黒人「限定」の大学を作るわけではないのである。
IT業界は先進的な企業が多いから、思想的にもリベラルで旧態然とした差別はかなり少ない。
などと、シリコンバレーの一部企業を見て幻想を持ってしまった可哀想な人が観測されたので、実際のところを記す。
IT業界の一部では、確かに異常なまでにポリコレ道を邁進する企業がいる。しかしそれをIT業界に当てはめるのは間違いである。
特に日本ではごく普通に性差別が残っており、多くの人がそれを(しぶしぶ)容認している状態である。
見方によっては九州の亭主関白のような地域に根ざした性差別であり、おかしいと思う人もいるものの慣習として残っている。
具体例を挙げよう。日本のIT業界には、女性しか参加できない勉強会が一般的に行われている。
これは「生理が齎すコード品質への影響」というような女性特有のものではなく、
例えば CTF for Girls という、セキュリティ関係のコミュニティは女性限定である。
なお念の為明記しておくが CTF for Boys のような男性限定コミュニティは存在しない。
他にもたくさんある。例えば Java 女子部というコミュニティがあり、ここも女性限定である。
男性がここで Java の勉強をすることは許されない。Java 男子部は存在しない。
他にも枚挙にいとまがなく、性別によって区切られた閉鎖的なコミュニティが一般的に存在するのである。
なおこういう状況を記すと、底の浅いブクマカが「アファーマティブ・アクションだから仕方ない」というブコメをすることが想定されるが、これはアファーマティブ・アクションではない。
アファーマティブ・アクションは格差是正を第一目標に置いた取り組みを指す。例えば大学入学者に黒人が少なく、人種に偏りができるため一時的に黒人を優遇するというような措置だ。
例えばだが、スタンフォード大学が性差別に対するアファーマティブ・アクションとして、スタンフォード女子大学を作るわけではない。
あくまで優遇するという措置であり、女性限定や黒人「限定」の大学を作るわけではないのである。
親戚の長寿のお祝いに、もうすぐ一族揃って一泊二日の旅行に行く。
その配偶者に留守中の犬の世話を頼めないかと、うちの親が自分に打診してきた。
本犬並びに彼を可愛がっている家族には申し訳ないが、こちらとしては、実家を出た後に突然飼われ始めた苦手な生き物でしかない。何年いようが恐怖の対象で愛着もない。
自分がこんなだし、配偶者自身も別に犬好きではないし、暇だったとしても私用の旅行中の義実家にわざわざ赴いてシッターをさせられる義理はない。
それに自宅から実家まで普通に距離もある。近所でも通り道でもなくアクセスも悪い。時間だって交通費だってかかるのだ。
仮に交通費に多少色付けてくれても割に合わないだろうし、その金額を出すならもうプロに頼んだ方が双方の為だ。
まあダメ元で念の為言ってるのは伝わってはきてた。で、マジでダメなのでシッターでも探してくれと断った。
対する返信は「注射してなくても見てくれるとこ探す」と来た。
親の片方が自然派反ワクどんどん拗らせてるのは知ってた。良くも悪くも強い思想は何もなかったもう片方も、それに染められつつあるのも。
しかし、野生動物もたまに徘徊してる程度の田舎の外飼いで?力が強くて若い頃には一度脱走もした中型犬を?一体いつからその状態で?
今回連絡を寄越したのは過激派ではない方の親だったので、話が通じることを願いながら、ワクチンは義務であること、そこらにいる野生動物が保菌者かもしれないこと、未接種で見てくれるシッターは多分いないことを伝えた。
過激派ではなくとも反発されたら意味がないので、親や犬を悪く言っていると取られかねない言葉はとりあえず全部飲み込んだ。でも過激派の方の親に隠れてでもやることはやってくれと念押しもした。
悩んで悩んで送信した頃には向こうはもう寝てたようで、今は未読のままだ。
つい先日も別件で親が危ないことをしていたのを咎めたばかりだった(その時も親の自尊心を傷付けずに危険性を伝えるには…と結構悩んだ)
こんなのが続くと心苦しいが、危ないことは看過できないのはわかってほしい。
親戚の長寿のお祝いに、もうすぐ一族揃って一泊二日の旅行に行く。
その配偶者に留守中の犬の世話を頼めないかと、うちの親が自分に打診してきた。
本犬並びに彼を可愛がっている家族には申し訳ないが、こちらとしては、実家を出た後に突然飼われ始めた苦手な生き物でしかない。何年いようが恐怖の対象で愛着もない。
自分がこんなだし、配偶者自身も別に犬好きではないし、暇だったとしても私用の旅行中の義実家にわざわざ赴いてシッターをさせられる義理はない。
それに自宅から実家まで普通に距離もある。近所でも通り道でもなくアクセスも悪い。時間だって交通費だってかかるのだ。
仮に交通費に多少色付けてくれても割に合わないだろうし、その金額を出すならもうプロに頼んだ方が双方の為だ。
まあダメ元で念の為言ってるのは伝わってはきてた。で、マジでダメなのでシッターでも探してくれと断った。
対する返信は「注射してなくても見てくれるとこ探す」と来た。
親の片方が自然派反ワクどんどん拗らせてるのは知ってた。良くも悪くも強い思想は何もなかったもう片方も、それに染められつつあるのも。
しかし、野生動物もたまに徘徊してる程度の田舎の外飼いで?力が強くて若い頃には一度脱走もした中型犬を?一体いつからその状態で?
今回連絡を寄越したのは過激派ではない方の親だったので、話が通じることを願いながら、ワクチンは義務であること、そこらにいる野生動物が保菌者かもしれないこと、未接種で見てくれるシッターは多分いないことを伝えた。
過激派ではなくとも反発されたら意味がないので、親や犬を悪く言っていると取られかねない言葉はとりあえず全部飲み込んだ。でも過激派の方の親に隠れてでもやることはやってくれと念押しもした。
悩んで悩んで送信した頃には向こうはもう寝てたようで、今は未読のままだ。
つい先日も別件で親が危ないことをしていたのを咎めたばかりだった(その時も親の自尊心を傷付けずに危険性を伝えるには…と結構悩んだ)
こんなのが続くと心苦しいが、危ないことは看過できないのはわかってほしい。
なんで独身女性のイメージって一向にアップデートされないんだろ
いつまでも独身女性というと、自立した女!バリキャリ!男なんて不要!というイメージで語る人ばかりだよね
恋愛や結婚をしたくないと積極的に思っている訳じゃなく、自分のスペックが低すぎるので無理だと諦めてるんだよ、全然違うんだよ
だって弱者男性は確かになんにも売り物が無いから一生市場参加できないってやつもいるのかもしれん。
でも弱者女性は若いうちは売り物って言うか武器があるから普通に市場に参加できるじゃん。
だから独身女性は「結婚しなくていいや」方針の人だと見なされがちってだけでしょ。
(今言ってる”弱者”は軽くない身体障碍とか知的障害とか発達障害とかの話はしてないぞ念の為。元増田もそういう人じゃないと思う。)
「若いうちに男がいるとこバンバン出掛けてって良さそうな男を捕まえる」って戦略をとると思う。
てかほとんどはそうだろ。
俺の姉も美大出て更に芸術系の専門出て全然実入りの無い舐めてる仕事ついてるオタクっぽい垢抜けない女で
20代のうちに6つ上の堅実な男捕まえて悠々やってるぞ。義兄には感謝しかねえ。
義兄は派手とかモテモテとかイケメンとかってタイプではないしなんかオタクっぽい(収入は高いし安定)。
俺の姉はメスとして競争力が強いタイプではないと思うし義兄が他の女と争われたようにも思えない、失礼だけど。
要するに若い女ってだけで義兄みたいな男なら全然捕まえられんじゃないの?
「でもそういう男は嫌」ってだけなんじゃないの?
別に嫌なのは尊重するし無理して結婚する必要全くないと思うけど、
選択肢が無かったわけじゃなくね?って話な。
男の弱者は多分ガチで選択ウィンドウ事態が発生しないわけじゃん。
「弱者だから独身なんです」って言えるのは弱者男性だけの特権だろ。
選択ウィンドウ出る側が出ない側からそんなものまで奪っちゃダメだろ。
・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカいキャラが苦手
ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941
ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有の文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。
件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。
(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質の人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質の人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)
本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。
「自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。
自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。
ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルのイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルのCVが決定しない」「担当アイドルのSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである。
※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。
そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。
といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である。結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクがいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。
念の為に予め言っておくがこれに揶揄の意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサーの自分としてはむしろコンテンツに真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校の文化祭だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。
正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタクの割合が高そうだという偏見が自分にはある。創作経験があるオタクの多寡。ミームや定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。
アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくまで自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)
何故かというと、それはアイドルマスターがリアルとフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。
例えばアイマスのライブには演者が自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元の人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタがキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分は解釈している。
それになんでも最初のアイマスであるゲームセンターのアーケード版の時点からフィクションがリアルに侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないかと不安になったアイドル達が実際にEメールを送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコの常套手段である「女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣な人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。
当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲームの動画を編集して制作した担当アイドルの自作MVを投稿したり、担当アイドルの二次創作小説・紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者とコメントで交流していていたニコマスという文化も、リアルとフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子の担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分は世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。
そしてそのリアルとフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマスの場合は商売っ気がやや強すぎる気もするが)。
代表的なものはやはり悪名高い「総選挙」システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルのCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。
そしてデレマスの総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実の人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルのプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実の選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手の担当アイドルに投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身のインフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然と自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである。自分もプロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由は理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象を俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象は現実にも存在し、例えば作品を宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)
シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステムを採用したイベントが存在する。とはいえミリマスの場合は提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディションと表現した方が近い。そして当然これも現実でCDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。
そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差が存在しないぶん比較的平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。
ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分の担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公で自分の担当アイドルがラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。
ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有の戦略として、特定の時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気を意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略が有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である。
(誤解の無いように書いておくと自分がアイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙系イベントはアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングなイベントもそう無い。自分がアイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである。商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)
今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイの範疇に収まる程度のものでしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側の人間でもないのに架空の版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。
これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営ももう時代にそぐわないと判断したのか今のアイマスは比較的カジュアルなスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから。
この記事で自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤーに責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルとフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマスの場合はシナリオ中の表現・描写・演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマを写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境音しか収録されていない事務所内の定点カメラの映像を六時間ぶっ続けでYoutubeで配信するなどがある。どれも意図は理解できるがどこか変態の所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。
ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端にしか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。
これは愚痴。結婚式をあげる際に同じ友達グループから呼んだり呼ばなかったりしてもいいものなのか、迷ったうえでの話。
つい最近、中学時代の友人6名で田舎に集まって2月恒例のプチ同窓会を開いた。この6人は中学当時からお絵かきと2次元コンテンツが好きなオタクちゃんの集まりだった。
ただ、オタ気質とはいえさすがに25にもなると人生の大きなイベントの予兆が出てきて、結婚に向けて同棲をしている子、スピード昇進で3年目にして会社の主任を任されている子、上京して転職に成功した子など、それぞれの道を互いに応援し合う関係性になっていた。
ただ、昔と変わらず漫画やアニメを見て関係性萌え語りや考察をツイートする日々を送る子もいた。
今までは、だからそれが何?本人が楽しいならよくて、他人がとやかく気にすること自体失礼、と思っていたが、今回の再会で痛感したのは、もうそろそろとにかく話が合わないという現実だった。
仕事のクレーマーもガミガミ上司エピソードも全部お焚き上げしよ!w 燃やすぞー!など言って集まったものの、蓋を開けたらその子の好きなVTuberや漫画、見たい動画、ハマってるボカロ曲etc…のオンパレードで、結局他の子が仕事を頑張った話も、友達がそろそろ結婚する人がどんなお相手なのかも聞けずじまいになってしまった。
その子は確かに中学時代から自分がしたい話をするタイプで、一人だけその「ジャンル」がわからない子がいたらやんわり帰ってほしそうにしたり、興味がなかったら人が話していても寝たり他のことをしたりする方ではあったから、そういう人なのもよく分かったうえでこれまで付き合っていた。今回も一人がとあるアイドルが好きなのを知っているはずなのに、そのアイドルの良さがわからない好きじゃないと堂々と言っていたし。(念の為申しぞえておくと、良いところがたくさんあるし、悪いやつじゃない。)
ただ、オタクらしいオタクと、好きなゲームやアニメはあるが他のことが人生の第一に来るタイプ(微オタ)は、学生時代はみんな結局似たような生活をしていたから話題の差がそこまで出なかっただけで、中学卒業から10年経つと流石に持たないものだなと気付かされてしまった寂しさがある。まあむしろ、あの頃は一緒にアニメや推しカプの話で盛り上がってたはずが、ありがちな仕事や結婚で変わってしまったのはこちら側ではあるので、話が合わないと思うのも向こうからしたら筋違いかもしれないけど。
でも、この配信者の関係性が〜と言われて知りもしない素人と素人の料理下手動画見せられたり、テンション高いアニメ声のめちゃくちゃアップテンポな曲聞かされたり、ちょっともう…キツかった、これが例えばミュージカル俳優とかならプロの研鑽の賜物だから見る値打ちあるのかもって思えたけど………………
オタク趣味とその子が自分の話しがちなのを混同してるのは自覚してる。でも、それはそれ、これはこれで分けがたい何かがあるようにも感じる。
共通の友だちが多いからこの話をするにできないけど、ここまで相性が微妙で、ちょっと言動的にん?と思うところがある子、結婚式呼ばなくてもいいかなぁ…。まとまって付き合いある友達だからその子も呼ばないと後々に響くかな。みんなドレスや着物で綺麗ななか、推しカプの考察とかされそうで怖いんだけど。