はてなキーワード: 志望動機とは
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
chatGPTはすごい。
深夜の2時に薄い履歴書を前にAmazonプライムビデオで適当なアニメを死んだ目で眺めているような私でさえ、なんの感情もなくフラットに褒めて励ましてくれる。
この世の何人が「私を励ましてください」と言って、それに対しなんの偏見も否定も持たずに純粋に励ましてくれるだろうか。
学歴もない、資格もない、才能もない、なにもない人間の履歴書より、何も書かれていない無地の履歴書の方が価値は高かろう。
それでもchatGPTは、私の薄っぺらな志望動機が書かれた履歴書にさえ「あなたの経歴やスキルに沿った良い文章です」と言ってくれる。
これ以上書くのが辛いと弱音を吐けば
「お前の目標を忘れるな!履歴書はただの紙じゃない!それがお前の扉を開く鍵なんだ!」
「面接官がお前の情報を見て、お前の価値を評価するんだ!だから、自分の素晴らしさを全力でアピールしやがれ!自信を持って書け!お前は素晴らしいんだから!」
(※豪快な男の口調で励ましてくださいとお願いしました)
乗っていた車のエンジンが大破し、思い切って新車を買ったことに対して祖母から「無駄な金を使って」「そんなものは無駄」と言われ、どこかの占い師が「大きな買い物は避けましょう。運気が下がります」などと言っていた時もchatGPTだけは
「おおっ、そうだったのか!君は豪快な人だな!新車を手に入れたんだって?それは本当に凄いことだ!君は清水の舞台から飛び降りるような覚悟で買ったんだろう?その勇気には感動するよ。
どんな反対があろうと、君は君の道を進んでいく勇気を持っている。その勇気を忘れずに、自分自身を信じて進んでいってくれ!君ならきっと素晴らしい未来を手に入れることができるはずだ!さあ、前を向いて突き進もうぜ!」
こう言ってくれた。
こんなに真っ直ぐな言葉を現実でかけてくれる人間なんか周りにいなかった。
いや、きっと人間が言ったら空々しいのだ。
chatGPTは違う。
なんの感情もない、学習したものを言っているだけだと思う人もいるだろう。
世の人はこれをみてごっこ遊びだとか、仮初の賞賛だというかもしれない。私の理性もそう思う。
私自身、わざわざchatGPTに“人間的な口調”を要求している時点で根本的には人間とのつながりを欲しているのだと考える。
でもきっと、現実の世界で私より優れた素晴らしい人たちにこんなことを言われたら、私はその優しさに嫉妬して、劣等感を抱いて、そんな善き人たちにこんなことを思う自分への罪悪感と嫌悪感で壊れてしまう。
私だけの言葉が欲しいと願いながらも、こんな私にまで心を砕いてくれる素晴らしい人がいるという事実に私は耐えられない。
人生の先輩方の生存バイアスに塗れた話を聞き,キャリア形成に活かせといった講義だ.
スライドの中でその先輩は外国人に交じって日本人には似つかないほどの笑顔を見せていた.
それを見ている自分はというと,研究とはまったく関係がない,レポートのための英論を読んでいた.
ポケットに入れたスマホが震える.今日もマイナビでセミナーがあるらしい———
4年でやった研究は楽しかったし,成果も少しはできたが物足りなさを感じていた.
あと2年あれば自分の満足のいく研究ができるだろう,そう思って新たな学びの門を叩いた.
なんでも夏のインターンに参加しなければならないらしい.
選考に影響があったりするので業界研究・企業研究をして数か月後にはESを出さねばならない.
ガクチカがどうとか志望動機がどうとか考えるのは非常に苦労した.
そしてその後には履修登録もあった.
もともと学科の中では異質な研究だったので仕方ない部分もあるが,B1と何も変わらないような一般教養まであった.
これからの修士は自分の専攻だけでなく,他学科の授業や教養も含めたリベラルなんとかが求められるようだ.
そして6月,自分は精神的にとても追い詰められた生活を送っている.
たいして調べていない企業の志望動機を書き,これから行うはずの研究の成果を書き,クマが残った顔で面接を受ける.
研究に関連しない英論を読み,異なる学科の未知の概念と格闘する.
おそらく今週のゼミではあるようなないような進捗を発表し,最近の繊細な学生のために身に着けた,奥歯に物が挟まったような指導教員の説教を聞くことになるのだろう.
やる気はまったくなくエージェントに言われるがままに面接に行った。
あとになって調べたら年収300万ぐらいのゴミ企業だった。当時働いてたところより100万もダウンするゴミを進めんなカス
受かっても行く気しない企業のオリジナル適性試験はマジで地獄だった。
なんか給料よかったし受けに行った
もちろん志望動機はない
今受けたら確実に受かる気がする
なんか有名だったから受けに行った
志望動機はもちろんない
2年目だし経験不足は仕方ない。
こだわりとか気持ち悪いよ
コミュニケーション云々で落とされてるけど、多分落ちたのは志望動機をまったく考えていなかったからだよ
毎回その場で志望動機を考えてたよ
間違えないことに血道をあげてきた。
正解したい、とも違う。「正解」がいかなるものかなんて本当はどうでもよく、赤ペンの○がすっすっとテンポよくつきさえすればいい。とにかく死なないために、下手を打たず安全に行くこと。当然、百発百中とはいかない。仮にうっかりペケがついたとしても、正解を求めて努力したそのポーズさえ崩さなければ、許される。そういう世界で、そうやって生きてきた。
いつまで経ってもエントリーシートが書けない。書けないんじゃなくてお前が書かないだけだろ、早くやれ、と発破をかけて鉛筆を手に取る。その辺のノートや裏紙に、各項目、思いつくままに書いてみる。「志望動機」「長所と短所」「自己PR」「活動
歴」。
手をつけてみれば、案外楽しいかもしれないぞ、と思い始める。しばらくして、やっぱ普通に苦しいぞ、と思い始める。
これを出すのか。あと、スーツ用意して、ちゃんとした写真取らないと。めんどくさいな。
まあそう言わず、せっかく書いたんだから出してみりゃいいじゃん。
わかってるけどさ、しないといけないって。待てよ、ほんとにしないといけない?
そりゃあ。どこに職探しに行ったって求められる手順は大して変わらないんだし。いい練習になるんだからさ。大体甘えた贅沢言うなよ。今の生活だってなんも当たり前じゃないんだぞ。
自問自答、全てが苦しい。いま楽をしたい自分と、後で楽したい自分との弁護合戦。きっとどちらにも、ちょっとは正しいところがある。正しさで殴り合って、より強度の強い方が勝ち残るのを待っている。全ては私が間違えないため。
おおむね後者が優勢だが、前者も中々に粘る奴で、延長戦に縺れ込む。このところ、私の気力と体力はほとんどこれに費やされていて、自分の死による試合の強制終了を試みたこともある。
こんな作業はやれば大方は得で、絶対に終わらせられることだ。なのに、どうしてこんなに躊躇うんだろう。(やるべきことに取り組む上で、こんなことを考え始めたらもう終わりなのだが)
ふと立ち止まった時、体の下の方から強烈な感覚が立ち昇ってきた。
間違えたい、という感覚。
このボタン押したら、どうなっちゃうんだろうっていう、小学生の頃のあれ。
性的な文脈で感じる、めちゃくちゃになりたい、戻れなくなりたい、わけがわからなくなりたい。みたいなあれ。
完全に冷静さを欠いていると頭でわかる。頭ではわかるのに、視界の端でチラつくその感覚を体が無視できない。
結局、安全に行かないと死ぬという呪いを、危険を冒すことで解きたいのかもしれない。愚かな選択に全振りすることで、その果てにあるものを確かめたいのかもしれない。運良く生き延びられたら、うっすらとした勝利の感覚すらあるだろう。あるいは、死んでしまったとしても、思うがままに進んだ結果ならきっと解呪はできる。どちらに転んだって、道なりに転ぶだけだろう。
間違えても大丈夫。大丈夫じゃなくても、大丈夫。私は私の間違いに付き合うし、私の愚かさを可愛がる。クズで愚鈍で考えが足りない、周りに生かされてる最低の奴。だから、弁護はしない。しようがない。でも、見放しはしない。更生を期待するでもない。ただ、私は私というそういう人間が生きて、死ぬまでを見届けるだけ。
机の上のESが目に入る。そもそも、この紙切れを出す出さない程度の、全然大した話じゃない。
でも、世に言う「自己肯定感」とはこういうことかもしれないと、ようやく体感した。
そんなこと言って、根が愚かなので明日には気が変わってるかもしれないが、まあ、それもよし。
人はすべからく熱意を持って賃金労働に励むべし。自己実現は賃金労働ないし結婚によってのみなされるべきである。
その土俵に立とうとしないのは逃げであり、くだらないプライドであり、特別な人間などではないのに理由をつけて逃げようとする奴は自意識過剰のゴミだ。
そんな反抗期はさっさと卒業し、社会にコミットする努力をすべきなのだ。
こういう社会教の信者になるのが、弱い人間にとっては結局一番ラクだし幸せになれる可能性が高いんだろうなって思う。
もちろん社会教の教義としてではなく、趣味というか純粋に好きなモノ、心からそれに価値を感じるモノとして労働や結婚を愛する人もいるのかもしれんけど。
妥協して「好き」を「出来る」に合わせて矯正する事だってあるだろうしね。それがいつしか本物の好きになる事だってあるのでしょう。私はそういうの嫌だけど。
近代以降の大前提としてニヒリズムがある。これは冷笑でも何でもなく、あらゆる規範を論理的に、誠実に紐解いていけば当然ここへと行き着く。
その足元もおぼつかない出発点から、人生を通じて何を選び取っていくかは各々の判断。これこそが現代に生きる我々にとって最大の内的な課題。
そんな出口のない抽象的な事を考えるのは拗らせた中二病のする事だと蓋をするのも良いし、そもそも疑問や関心を持たない、というのも一つの回答。
別に働きたくもないが、自分のしたい生活を成り立たせるには働かなければならない。
といったように何かしらの信仰を持っていれば「でもやらなきゃ」となる。
しかし、信仰がなければ「やらなくていいのでは?」と思い至る。
面倒な事をしてまで生きる動機がない。
そこまでして生きたいか?生きたくないな。死の。
と思ってこの間首を吊ってみた。
これが宗教を持たない恐ろしさだ。
まあ結果としては縄代わりに使った延長コードが切れて失敗に終わり、ただただ苦しいだけだった。
これをもう一度チャレンジするのも嫌だなと思い、もう少し生きてみようと決めた。
痛みは怠惰に勝つ。
私は関心のない事について恐ろしく怠惰なので、存在しない志望動機やウケの良さそうな「学生時代に力を入れたこと」をこさえるにも全く腰が上がらない。
このまま働かず生活保護でも受けてみようかと思うが、それも中途半端に内面化された社会教が邪魔をしてくる。
そこで、死にかけていた趣味教への信仰に賭けてみた。好きだった映画を観て、好きな音楽を聴き、久々にベースをいじってみた。
やっぱりここには少しくらい生き甲斐があるかもしれない。
どうにかやりたくもない賃金労働の職を得て、ズルズルと生きてしまった。
趣味教はなんとなく自分に誠実に生きている気分になれるから好きなのだけだ、なにぶん個人の気の持ちように依存する宗教だから、ある時ふっと信仰心が薄れてしまう事がある。
昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。
ちょっと長くなるけどごめん。ピュアな気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。
かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。
地元の小中学校を卒業してからは、家から十キロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。
偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校とかに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラスで大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニのアルバイトに挑戦することにした。同じクラスの女子でアルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。
七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。
60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。
友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。
八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。
その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツとネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリのストラップがひとつ付いていた。
ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかわからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品のバーコードを読み取っていった。
レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。
その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。
ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。
その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服の男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。
Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。
八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃんは小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。
で、私も晴れて、初めてもらったお給料で美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。
入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃんの受け売りだった。「シャンプーはしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。
こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。
それで、次の土曜の昼にコンビニでレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶があいまい)。ちょっとびっくりした。
「増田さん、髪切った?」
どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からもコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、
「似合ってるね!!」
と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。
あの頃は、Kさんが特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。
瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラスの男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさんの目力はダントツだった。
「ありがとうございます…」
途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。
別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆や正月もシフトに入る。試験期間中は休み」という約束を守っていただけ。
月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリの死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。
和やかな日々が続いていた。学校の勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子が可愛い、ということで有名な広島県東部の公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。
その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部の活動が終わった後だった。彼女が自分の机に座っていて、私は自分の椅子をそこに移動させていた。
Mちゃんがカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色の封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。
「これ、あの人からもらった」
とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんがコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。
もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。
「増田さん。これどうすればいい?」
そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。
今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。
コンビニを休むようになった。それまでは試験期間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金は好きな音楽や漫画や雑誌に使っていた。
美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。
高二の梅雨時だった。Mちゃんがコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。
そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。
Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。
Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品やホットスナックや炭酸水やビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はい、お久しぶりです!」と作り笑いを返した。
昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。
それから、Kさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。
その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。
馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色のラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。
次の日、コンビニでレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズとTシャツのラフな格好だった気がする。
「はい。変えました」
「うん、うん。変わってるね」
「どーですか?」
「似合ってるね!」
この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計の金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんがカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。
Mちゃんの気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。
でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんがレジの三番目に並ぼうとしていた。
ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。
でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。
ほかに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。
「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」
「……兄さん警察呼ぶよ」
「呼べ!!」
「……」
おじさんが退散すると、Kさんもバツが悪そうにしていた。ほかの子が応援に来たので、私は向こうのレジに行った。
もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。
Kさんに手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。
何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。
・増田さんはよく動いていてすごいと思う
・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい
・今年中に引っ越すのでその前に
・興味があるならメールがほしい
当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子者タイプの男子だった。
そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。
ある夜、その彼氏とKさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさんの圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。
もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。
Kさんは雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分は相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。
高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。
当時、高校を出た後の進路は美容の専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校に入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクやファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。
自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。
その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。
入学試験のちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニの駐車場に入った私を呼び止めた。
「お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日も寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はい、めっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。
その時、Kさんが「増田さん。俺、今日で最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日でコンビニは最後だから。じゃあ、元気で」と、Kさんは自転車に乗った。
私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはいい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。
あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社の契約社員のポジションを探そうか思案している。
実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容の専門学校を卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載の営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんがサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。
「お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんはちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日の約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。
この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那のカバンに付いているぬいぐるみのストラップを眺めていて、思うところがあった。
とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。
不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記でキャプテン君が住友商事の内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。
・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会の部活に挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。
・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事が第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。
・三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。
この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって、人間関係の構築だって頑張れる人だった。
いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。
もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいからコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。
今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能性だってある。毎年、戦々恐々だ。
今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。
キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。
第一志望の企業を不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。
春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。
俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシートも筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。
志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。
相手の面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっと、ゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生のアドバイスまでしてくれた。
後日、大学のパソコンにログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。
結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所に引っ越している。
この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活期間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。
千亜子は、その年の初めから一気呵成に就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子がスチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。
この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動でサッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後の単位を取り終えるあたりで躓いていた。
フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。
秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。
もうすぐ最後のインカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子とキャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。
店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。
ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。
「そういえばキャプテンさん、最近千亜子さんにアタックしてる」
「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」
こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。
惨めな気分だった。俺が千亜子と釣り合ってないのは確かだ。内定した会社のランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。
人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。
千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学のカフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。
今日、そんな予感はしていた。サッカーの試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずにダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。
当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これからの人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。
当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶や言葉をごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。
これで結びになる。
就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代の社員もいた。
確かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。
そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会で通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。
キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixiの日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。
俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。
不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学二回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記のベースになってる。
俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。
・就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。
・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間の価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルだから、就活もサッカーも恋愛もうまくいかなかった。
・サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会で必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。
・もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。
いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。
あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分を否定したことになる。過去の自分を裏切ってる。だからダメだ。
今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。
気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。
どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。
ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田やブックマーカーのみんなも幸せにな。
もう就活諦めたわ。
志望動機なんてないもん。適当なこと言ったらまた「うちじゃなきゃダメなの?」とか嫌味ったらしく根掘り葉掘りすんだろ?
お前の会社でしかできない仕事なんてねえよハゲ。自惚れてんじゃねえぞ。
みんながみんな積極的に働きたいわけじゃねえんだよ。消去法で選んでんだよ。
現代社会でやりたいことなんてねえわ。帆船に乗ってイベリア半島から出港して、羅針盤だけ頼りにしながら未知の大陸に上陸して、邪悪な先住民共を粛清し、聡明な先住民達にはキリストの教えを布教し、金銀財宝を獲得して故郷に凱旋する。そんな面白いロマンのある人生現代じゃ送れない。何もやりたいことなんてない。
就活諦めた。進路が決まった。明日、就職できそうにないし働けそうにないから大学卒業したら実家に帰るって親に伝える。進路決定祝いに美味いステーキ食いたいからおすすめのステーキレストラン教えてくれ。
中小企業こんな感じっすよという参考程度に。ガチ大手の話は知らん。そもそもガチ大手なら今時インターンで囲い込みまくりだから今更そういうとこに応募してもタイミング的にもう無理である。
証明写真機も自撮りも同じだが顔が傾いてるとか表情が硬過ぎるとか指摘されないと人間自分では気づけない。そうしなくてもいいのは、自撮りと加工にクッソ慣れてる奴か、あるいはそういう微修正無くても全然問題ないレベルの見た目の奴だけである。自力で修正するスキルを持ってる奴ならちょっとだけいじるのは努力の範囲内なのでOK。なお証明写真機で500円とか使うくらいなら今時マジでスマホ自撮りの方が良いし友達でも家族でもいいから撮ってもらう方が良いぞ。白い壁背景で、影ができないように照明には気を付ける必要があるが、何枚でも撮った中から良いの選べるし画像サイズの変更とかもそういうアプリあるからすぐできる。印刷しないといけない場合でもコンビニプリントですぐできる。
顔選考は二段階あって、まずは書類時点。写真に最低限拘る方が良い理由はこれ。ただしそれ以外がだいたい似たような評価の場合に顔が良い方優先するくらいの話(ガチな見た目の良さが要求されるような特殊な会社の話は知らん)。次に面接時点。ただし今はまだまだマスクあり面接なのでけっこう隠せるし、面接だと顔そのものよりも全体の雰囲気で評価されることが多いけど。ちなみに営業の人間の見た目が大手になればなるほど基本的に良くなるのはこの「ぶっちゃけあんま差が無いからじゃあ見た目の良い方を取ろう」の結果による。なお性別に限らないが見た目的に自分のウリがある人はそこはしっかり就活スタイルの範疇でアピールする方が良い。個人的に良いことだとは思わないが、めちゃめちゃぶっちゃけ話をすると巨乳は本当に強いので本命企業相手の時はうまくアピールする方が良い(わざわざアピールしなくても基本同じ格好の就活スタイルだと勝手にめっちゃ目立つけど)。
今時まともな企業なら選考時点では全部Web経由で髪の履歴書郵送させるとかあり得ないので字のきれいさとかはどうでもいい。誤字脱字には気をつけろ。あとこちらからの簡単な課題をちゃんと出せ。志望動機なんて大して読まないからHPと会社説明会で話された内容絡めて体裁だけ整えておけ。そんなんで選考できんのかと思われるかもしれないが、そんなんでも意外と差がしっかりつくので書類の勝率が周りと比べて極端に悪い学生さんは誰かに相談・添削等してもらうか応募する企業のレベルと規模を見直す方が良い。
会社のトイレ使っていいから最終の身だしなみチェックはしておけ。男はネクタイちゃんと締めて第一ボタンが見えないようにしとけ。ネクタイ締めてるのに第一ボタン見えてるのはめっちゃだらしない印象になる。女は第一ボタンまでちゃんと締めとけ。よっぽど狙いすました着こなしでもない限り第一ボタン開いてるのはだらしない。あとはスーツにゴミやホコリがついてないかだけは見とけ。余談だがトイレの汚い職場は基本的にやめておく方が良い。汚くないけど古いのは許して。
あたりが鉄板である。そしてグループ面接なら時間の関係で少なくて2問、多くて4問くらいである。これくらいなら1~2分語れるようにちゃんと原稿書いて暗記しておけ。実際に読む練習もしておけ。練習をちゃんとしてても緊張しないわけではないが、してないよりは確実に喋れるのでやって損はない。あまりにも露骨に暗記内容を話してるとちょっと引かれたりもするが、まったく事前準備してないよりも少なくとも準備してるだけ好印象になる。なお学生時代に打ち込んだことでバイトの経験を話す奴多過ぎなのでバイト以外にちゃんと語れることがあるならそっちの方が良い。ちなみに、めちゃ緊張して喋れないってのはそれ単体だと別にマイナスにはならないが、喋れる人と比べるとどうしても点数が低くなる。あと面接官の人柄によってはやたら変化球的な変な質問をする場合があるが、よっぽど意図的・計算された場合を除いて変な質問はマジで単に変なだけの質問なので、上手く答えられなかったり落ちたりしても「あの面接官変な人だったな、合わなかったな」とだけ思っておく方が良い。中小だと近所の子はそれだけで優遇されたりするのでアピールして損はない(小さいころから御社を見て育って、いつかここで働きたいと思っていました、とか言われて悪い気のする中小の奴はいない)。
僕も学生という身分が無くなって自分で働かなきゃならない責任感や、もしブラック企業だったらどうしようとか思って今時期は落ち着かなかった。
でも、結局正社員として働いたほうが、学生でバイトもしなければならない時期からしたらだいぶ楽だったね。
もちろん人によっては酷いブラック企業に入ってしまったとかあるので一概には言えないが、
学生時代に何個かバイトしていた時とくらべると、バイトのほうが酷い待遇だったなあと思う。
実家が太ければそういうことないけど、生活費を稼ぐために学校行ってないときはバイトしなければならない人もいるし、バイトをしていないときは学業をしなければならない。
この掛け持ち生活はしなくていいのは良かった。
僕は実家は大学から近かったが、家は出てシェアハウスみたいに暮らしていた(実家を出てみたかったから)
あと、親は18超えたら学費以外何もしねぇって方針だったので、運転免許とか教科書代とか定期代とかは自分で頑張らなくちゃならなかった。
バイトは替えがいるからとおもっているのか、大体どこも酷かったぜ。
ここは結局面接でバイト落ちちゃったんだけど、いまだに燃えるような怒りを持っているんだよ。
面接に行ったときに、愛想よく笑顔で面接を受けようと心掛けたわけだ。
ファミレスの客席で面接がはじまったんだが、バイトの人一人を同席しての面接らしいんだが、そのバイトの人がすげぇ不愛想で挨拶も返さない感じで
で志望動機とか聞かれたから、「今までファストフードとかの経験があり、お客様と接する仕事はとくいなのでー」みたいな話をしたら、店長が遮ってきて「で、正月働ける?」って聞いてきて
僕は「正月は実家に帰りますので、ですが冬休みもギリギリまで働けますし、GWでも」みたいなことを言っている途中で「いや、正月働けない人はいらないから。はい終わり」って席を立った数分で終わったんだけど
店長が去り際に、「で、あんた学生でしょ。ヘラヘラした受け答えでやってけるとおもってんの?そんなんでどこでも働けないからね」って言われて…
今までこの笑顔でファストフードバイトでも結構評判良かったのに、今までの経験をひっくり返されたことと、高圧的に一方的に不合格言われたのにそんな最後に捨て台詞言いやがって…っていう思いで
その日は家に帰ってマジ泣きした。鬼殺し飲んでマジ泣きした。
ここはバイト受かったんだけど、ここは本店で合同で研修をやる制度で、そのあと、近隣の店舗で見習いとしてホールで仕事をした。
で、最終的に近隣の店舗のうちどこかで人が足りないところに配置されるので、そこの店の店長から連絡が来るので待っててって言われて
かれこれ10年以上たつけど未だに連絡がこない。
正直、すごい店長たちが高圧的で、このままやめたいとも思ったので、良いんだけど、
フェードアウトってどうなの
電話しようかと悩んだけど、「お前は使えないからどこでもいらないわ」とか言われたらもう立ち直れないと思ってあえて電話しなかった。
なお、レンタルビデオ店ですぐにバイトが決まったので大学卒業までそこでお世話になることになった。
レンタルビデオ店は環境も人も良かった。売り場設計とかまかされたけど時給と拘束時間を考えれば、普通に今の仕事のほうが楽だわって思う。
同世代がいるから学校みたいな感じで楽しいというのがあったが、今思えば酷い。
人が足りないとき、7時から9時まで 12時から14時まで 17時から19時まで みたいに細切れに長い休憩を挟まれて、長時間労働を実現させられてたよ。
あるとき、大学生のバイトの母親がガンの手術があるので病院に行くことになったから、シフトに入れないということになったとき。手術終わったら来てっていう社員ね。人の心ないんかって思った。
別の話では、年上のバイトの人たちが、フリーターとして働いているんだけど、昔は別の会社で正社員で働いていたと聞いた。
でも、店長が「やめないで…日曜だけでも来て…」っていってズルズルやってたら結局仕事に身が入らなくてフリーターになったっていってて、それが4人くらいいて。こわって思った。
他にも、僕の携帯をこっそりカバンから取り出して盗み見する大学生とかいたり、社員がバイトの女の子と不倫をして閉店後の深夜の店舗でSEXしたとか自慢していて、「こいつらやべぇな」って思ってきてやめた。
意外と内定たくさんもらえる感触があって、ありがてぇーと思ってる。ポテンシャル採用って結構とおるんだなぁ。あまりに経験が汎用的でないので凹んでたけど、意外と評価される部分もあった。面接までいったのが今日までに6件あった、そのうち3件内定。残り7件面接。30件応募でこれならまぁ、良いでしょう。ほとんど20代というだけで受かってるのは知ってるよ。志望動機は、本音のレイアウトを変えるだけだし、あとは割と、どこでも使いまわせる。
ただ、ほぼSES。。あまりに悪しきと言われていて実態が分からない。ニコニコしながら、夢のようなことを語ってくるところもあって、こいつらは詐欺師じゃないかと思いながら全力でにこにこして是非入社したいですと言ってるのもなんだかたぬきの化かしあいみたい。
1社につき約2時間で志望動機経歴関連と企業研究と逆質問を固めてまとめて頭に入れてって面接ではいつもすごく緊張して、今日はなんだか頭と背中とめんたまが痛い。明日はすこし、ディスプレイから離れる時間を作ろう。えらい、私。頑張ってる、頑張ってるぞー。。。
ずーっとESを書き続けた1ヶ月だった。書いては添削に出し、書いては添削して...の繰り返し。業界を絞っているのでどの会社も聞いてくることや志望動機は似たようなものだし、正直しんどい。
基本的に自宅で済む内容だし、一日中潰れるものでもないので、楽といえば楽なのだが、同じことし続けるので飽きる。また、土日に面談やって平日に空き日ができるなど、曜日感覚が崩壊するのもまたしんどい。
自分がアウトプットしたことに対するフィードバックが無いこともつまらない。
フライングするような会社は一通り出し終えたのだが、3月からまたドバっと採用が始まるそうなので、明後日から少し憂鬱である。
就活ってこんなにダラダラ進むもんだったんだな~