はてなキーワード: 必然的とは
数学の必然性は実は人間の言語分析能力によるものなので、言語能力が異なる宇宙人とは、数学的語彙が共有できない可能性があるんですよね~
なぜ数学と言語能力が関係するんだ?と思う人は、以下のノーム・チョムスキーの有名な、無意味な二種の文を見ればわかってもらえるかもしれませんね~
・“Colorless green ideas sleep furiously.”(「無色の緑の考えが猛烈に眠る。」)
・“Furiously sleep ideas green colorless”(「猛烈に」「眠る」「アイデア」「緑色」「無色」)
前者は文法的には正しいが意味が無い文で、後者は文法的に正しくないから意味がない文、ということはわかっていただけるかと思います。
しかし、上記二種の文は、両方とも経験的には何も想起させないがゆえに、経験的には同様に意味の無い文です。
ということは、経験こそが認識の基礎、基底であると考える人にとっては、二種の文の違いを説明することができないのですよね~。
なぜならそのどちらも経験することができず、経験による理解が基底であると主張するのだから、経験的基底において違いのない(意味のなさ、指示対象が存在しないという点において同質という意味)上記二種の文の本質的差異(基底的差異)を指摘することができないのですね~
現代の言語哲学、そして現代論理学の基礎を作ってきた哲学者たちは、数学の必然性がどこから来るのかという問題について、
文の経験的理解よりも前に、文の文法的分析が先に行われる(そして数学的必然性は、文法分析に基づく理解そのものから正当化可能である)ことを示すことによって、
前経験的(アプリオリ)に論理や数学の必然性の正当化が可能であることを証明してきたんですね~
例えば上記二種の前者の文でいえば、経験できないにもかかわらず文法的に正しいことが理解できるのは、まず文法分析が先に行われ、その後意味の解釈に失敗するから無意味なのであって、その逆ではないのですね~
そして数学で扱われる文、例えば2+2=4は、なんらかの経験を前提せずとも、形式的な理解(つまり文法的理解)から正当化可能であるがゆえに必然的(=非偶然的、または前経験的)なのですね~
そして例えば上記二種の文とは別の有意味である文「無職の緑色のジャージを着た男性が猛烈に眠る」であったとしても、まず文法的理解が先に行われたあと、その意味解釈を行うことができるがゆえに有意味なのですね~
プログラミング言語だって、まずどれが変数で、その変数に何が割り当てられているかといったセマンティクスよりも先に、シンタックス的分析が行われますよね~
だから、数学の必然性は実は人間の前経験的な言語分析能力によるものなので、言語能力が異なる地球外生命体と遭遇した時、数学的語彙が共有できない可能性ももしかしたらあるのかもしれませんね~
なぜなら我々の理解する必然性とは、我々の言語分析能力に基づくものであって、よそから来た宇宙人にそれが期待される理由がないからですね~
愚痴らせてほしい。
当方、とある上場企業に勤めている。役職名はメーカー特有なので増田の皆さんも聞いたことないと思うが、一応は役員級である。トヨタ自動車などに比べれば小さい会社だが、トップが創業家という点では一致している。
歴代社長は全員創業家である。正月やお盆に親族が集まる時には、必然的に役員同士の飲み会と同じようなメンツになる。私も一応は社長と同じ苗字である。
それが突如、青天の霹靂のような事態になった。社長が交代するという。正式な記者発表はつい先日だった。自分以外の取締役の誰も知らされてなかった。いや、相談役や副社長、近しい家族などには相談していた。正式な社長指名会議の場では、まさにシャンシャン総会という具合だった……。
新しい社長は、地元の銀行出身の人だった。ものづくりのことは何も知らない。当然現場経験もない。銀行の役員だっただけあり、経済に明るいのはわかる。一度だけ見たことはあるが、大人物に見えるのは認める。コミュニケーション能力とか通り越して、政治力が凄そうだった。一緒に仕事したことないからよく知らないが。
さて、ほかの親族社員も自分と同じ意見だった。なんで、そんな大事なことを事前に話さなかったのかって。そういう意見が大勢を占めていた。
実際、社長がYesと言えば、ほかの役員は黙ってしたがう。そういう風土だったのは認めるよ。若かりし頃から実力のある人だった。一流の業界人だった。しかし、ほんっとうに一言も相談がなかった。創業家と血のつながりのない人を社長に据えて、会社や親族が心配にならないのだろうか。
あまりに憤っている。社長にとっての私たちは、そこまで信頼に値しない存在だったのか。さすがに馬鹿らしくなってくる。何十年も一緒に働いてきたのに、この仕打ちか。次のトップは、皆で話し合って決めるものだと思っていた。
90年代の空気を残したまま現代的なオープンワールドになりつつミニゲーム盛りだくさんの原作を膨らませて
90年代の雰囲気を現代のリアルなグラフィックでやるのは明らかに変なんだけど、その奇妙な味が個性的な魅力になっている
フォトリアルなグラフィックから必然的に生じるコスプレ感をギャグとして見せるバランス感覚が素晴らしい
カッコつけるだけじゃダメで、ゲームならではのユーモアに落とし込むのが正解だったんだよね
とにかくボリュームと作り込みが異常で欧米のオープンワールドに全然負けてない
大規模なAAAゲームでは日本のメーカーも全然負けてなくて、エルデンリングやティアキンは言うに及ばず龍が如く8もすごいし
「女の方が得だよな」でも実態は逆ですよね…男の自覚なき特権とは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/90239?dicbo=v2-52br3Wy
―男性である清田さんがそれに気付くことができたのはなぜですか。
僕自身もおおむね「標準」の男性として生きてきて、特権を無自覚に享受してきた側だと思います。
なのでまったく人ごとではないのですが、たまたま大学時代に始めた、恋愛の話を聞くユニット活動を続けてきたことが、ジェンダーの問題を考えるきっかけになったのは事実です。われわれのところに恋バナ(恋愛話)をしに来る人の95%が女性かつ異性愛者の人なので、必然的に「彼氏が」「夫が」という悩みをたくさん聞くことになります。
たとえば謝らない、話を聞かない、すぐ不機嫌になる…。
そこで、ハッとさせられました。
ハッとさせられる構文だけども
ここで出てくる「謝らない、話を聞かない、すぐ不機嫌になる」ってのはさ
女の側も普通にあるわけよ
ここで
私は不利益を被っている
私は不当に扱われている
って外に零せて
実際そのように思って暮らせるのが「女の方が得だよな」なんだよね
昨今はこのような事を吐露する男も増えたし
そうして、個になった時は、男の方が外聞の面でも生きやすいとは思うんだけど
「女の方が得だよな」って言われる背景は
寿退社って男は出来ないじゃん
立憲民主党
須藤元気議員 消費税廃止を訴えてる
素晴らしい議員に対して
立憲民主党は 離党は認めず
辞職を 求めている
これが野党 第1党とは 呆れ果てる pic.twitter.com/a5TMA2GwD2— 369不動 (@N4er5BANKPkQFQe) February 12, 2024
「須藤元気が消費税廃止を訴えたら立憲から辞職を求められた」ように書いてるが、実際には2020年の
https://mainichi.jp/articles/20200618/k00/00m/010/007000c
立憲は都知事選で、無所属の宇都宮健児氏の支援を既に決めている。一方、須藤氏は15日にツイッターで「立憲は宇都宮さん支持ですが、個人的に山本さんを応援しています」と表明。党からはツイートの取り下げを求められたが、須藤氏は17日に「離党する決意を固めました。都知事選を巡る意見の相違がきっかけですが、以前から消費税減税など経済政策について党とは意見の相違がありましたので必然的な帰結だと思います」と発信していた。
というできごと。
劇的に寒い。
冬の便座は温かいに越したことはない。その方がいいに決まっている。
学業や仕事から離脱し、わざわざ氷のように冷たい物体に尻をべったりと押し当てに行くなど意味が分からない。
拷問と何が違うというのだろう。
まあ、こんなに不平不満をもらしている手前、私の職場の便座が温かいわけがない。
拷問と何が違うというのだろう。
なぜわざわざ「スピリチュアルな」と形容しなければならないバイト先にいるかといえば、理由はいろいろある。
遡れば十年近く前、大学卒業直前に父が突然亡くなり、それがトリガーで鬱になったとか……それが原因で何年も正規雇用でまともに働けていないとか……父が亡くなってから母の認知症が進み、家族のことを全員忘れてしまったとか……そういうあれこれで私の鬱も何年経ってもなかなか寛解せず……
まあ、人生いろいろある。
いろいろあって私は「スピリチュアルな」「バイト」をしている。
この増田のトピックとしてはさほど重要な話ではないので、詳細は省く。「スピリチュアルな」「バイト」にわざわざ就く経緯の説明としては、こんなもんでいいだろう。
バイト先はスピリチュアルグッズや、怪しいけど合法の、薬っぽいものなどを通信販売している会社だ。
あんなもん、どこの会社の、どんな奴が売ってんだよ、と皆さんも人生でちょっとは思ったこと、ありませんか?
私もそう思っていました。私のような人間が経営の一端を担っています。スピリチュアル業界の未来が心配。
ここまで読んでいただけたなら大抵の人が理解していることと思うが、私はスピリチュアルグッズも、怪しいけど合法の薬っぽいものもまあ小馬鹿にしている。
なぜ大して好きでもない商品を販売する職場で働けているのか。理由は二点ある。
一点目は、給料が良いのだ。
ちょっとExcelとWordが使えて、ちょっと正しい日本語が扱えるというだけで、随分と歓迎されている。私のような経歴ではなかなか巡り合えない、好待遇のアルバイトだと思う。
二点目は、働いている人の善さだ。
ここで言う「人の善さ」とは、スピリチュアルらしく開運オーラを持つ人だとか、いつも笑顔で縁を引き寄せる人だとか、そんな話ではない。
うちの会社に限った話かもしれないが、スピリチュアルグッズを取り扱っている会社にしては社長も社員も、全くスピリチュアルに傾倒していない。
ここからは憶測と、ちょっとした悪口になるが(ここまでも大概だが)、おそらく販売する側が正気でいないと、正気じゃない人間にまともに売り込めないのだと思う。
正気じゃない商品を正気じゃない人に親切に売りつけるには、正気でいなければならない。
ビジネスの考え方ってこうじゃないとな、とも改めて思える。
少々話が逸れたが、本題に入る。
スピリチュアルなバイト先は給料も良く、人も善いというのに、トイレの便座が冷たい。
わざわざ温かいオフィスを離れ、冷たい便座に尻を押し当てに行きたくない。何度も冷たい便座に座りたくない。
おかげで乏尿になってしまった。乾燥していてよく水分は摂る癖に……膀胱炎になったらとんだお笑い種だ。
スピリチュアルに携わっているくせに乏尿だの膀胱炎だの、代謝が悪そうな人間になってるの、可笑しくないですか?そうでもないか。
だが、最近冷たい便座に座る回数が減った。シフトを減らされたのだ。
薄々予想はしていた。三人いたバイトのうち一人が解雇され、もう一人は週三、週二、週一と見かける回数が日に日に減っていき、ある日とうとういなくなった。
しかし、私はシフトを減らされるのみで、なぜか解雇されなかった。おまけに会社はバイトを二人解雇したと同時に、正社員を数名雇っていた。
そうして念願叶って冷たい便座に座る回数が減り、また、それに応じて給料も減ることになった。
後者は全くもって望んでいなかった。本当に。
給料が減れば必然的に精神は不安定になる。鬱の非正規雇用者というのは、そういう生き物だ。
でも、鬱だろうがなんだろうが、人間は案外しぶとい。私は運命と精神疾患者に厳しい世間に抗うため、副業を探すことにした。
今のバイト先と兼業できて、同業じゃない、スピリチュアルとは無関係の、いいバイト先を……
と思いながら面接を受け続け、なぜか今よりも胡散臭い気配が漂う会社で副業をすることが確定した。
なんでだよ。普通、なんかこう、こういうときは起死回生の展開があるはずだろ……
でも、私は「起死回生の展開」なぞ存在しないことを知っている。なぜなら、私の人生だからだ。私の人生に、そんな展開は都合よく訪れない。
会社のドアもまあボロく、「チェンソーマンに出てくるボロいドアに似てるな、貼り紙はないけど」というのが会社の第一印象だった。
だが、そんな印象に反して面接をしてくれた社長は優しく気さくで、なかなか楽しい気分で面接ができた。オフィスワーク経験も活かせそうだったので、内定の連絡には二つ返事で承諾した。
オフィスのドアに貼り紙はなかった。だが、面接のとき見えなかったオフィスの壁には、大量の紙が貼ってあった。
壁の紙にはおそらく慶弔用と思われる筆ペンで
「論理的思考で世界を回す!」「社会人として自立を意識」「ポジティブシンキングが良い結果を生む!」
などと書いてあった。もっと書いてあったが、全く覚える気がないので、これ以上思い出せない。
「社会の嘘」が書いてあるな、と思った。
スピ会社でも思ったが、この会社でも「ここで聞いたことはすべて信じないことにしよう」と思った。
だが、待遇が良く、人が善いのはスピ会社と同じだ。オフィスワーク経験も活かせている。
いいんだ、これで……
温かい……
そう、温かかったのだ。便座が、温かい!
待遇が良く、人が善く、どうしようもなく胡散臭く、オフィスに出勤する度に、名札が渾名で書いてあるタイプの居酒屋に来た気分になるけど、というかこの会社、トイレにすら「社会の嘘」の紙が貼ってあるけど、そんなことはどうでもいい。
便座が、温かいのだ!
私は心底感動した。
便座が冷たいスピリチュアルなバイト先と、便座が温かいキショい居酒屋みたいなバイト先。
どっちも別に好きではない。正直目くそ鼻くそだが、真冬に便座が温かいことは、とんでもないアドバンテージだ!
今の時期だけはお前を愛することにする!
夏になったらどうなるか知らんが!しばらくよろしくな!
未だに男は社会的強者としての役割、要するに「男らしさ」や甲斐性を持つべきだという思想が根強く残ってることに、どうにもならない気持ちになる。
社会が変わらないことについて嘆いているフェミニストの人達も、同じような気持ちを持っているのだろうか。
男は女に花束を渡すべきかどうかなんて、性的規範の最たるもののような気がする。
渡したい方が渡せばいいだけだし、花束についてはともかく、今の若い男性の過半数は「女性からアプローチしてほしい」と考えていることについてはどう思っているのだろうか。
この問題を解決する一点突破する方法があって、それははてなでもあまり評判のよろしくない男性の家庭進出、専業主夫を増やすことだと思う。
「専業主夫」とは、いまだに根強く残っている性的規範や性的役割の価値観を根底から覆す存在である。
まず男性が家事・育児を引き受けるということは、女性側が一家の大黒柱となることになるので、必然的に女性が社会的強者の役割を担うことになる。
結婚する前段階の恋愛においても、経済力を持っている女性側が告白やプロポーズなどのアプローチを「社会的強者」として担うことが求められる。
女性側がそれを拒否したら、男性は未婚を選ぶことになるので、ますます非婚少子化が進む。
社会は女性に対して、女性活躍の方向性の観点から「社会的強者」であることを要求するようになり、既存の性的規範は価値観レベルで解体されていくことになるのだ。
○ご飯
朝:メロンパン。昼:イカフライ。たこ焼き。夜:コロッケパン。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
・はじめに
SCA-自、紺野アスタといった18禁美少女ゲーム界隈で著名な面々で座組された全年齢向けノベルゲーム。
全世界的に発生した海面上昇により社会基盤が大きく変化してしまった近未来が舞台。
右足を失う大怪我をしながらも優秀な頭脳から、エリートとして将来を期待され都会の学校に通っていた斑鳩夏生が夢破れて田舎に帰ってくる、そこで祖母が残した美少女ヒューマノイドことアトリと出会うことから始まるラブストーリーだ。
10時間ほどの文量になるのでストーリーはほぼほぼ一本道で恋愛関係を結ぶヒロインもロボットのアトリだけ。
とはいえ、世話焼き幼馴染の水菜萌、借金取りの怪しいお姉さんキャサリン、ヤンチャな悪ガキながら聡いところもある凜々花といったサブヒロイン達の見所も欠かせない。
所謂悪友ポジションになる竜司も忘れちゃいけない王道な立ち位置だ。
そして何より、そんなキャラクタ小説然としたエピソード群が徐々に舞台の島を全体を巻き込んだ大きくも小さいストーリーが面白かった。
・アトリが可愛い
本作最初の魅力はなんといってもメーンヒロイン、アトリの可愛らしさだろう。
等身大美少女ロボットを青春時代に刷り込まれたという贔屓目を抜きにしても、アトリのエピソードが中心になるので必然的に好きになっていく。
家事手伝いが仕事のはずがドジな挙動を繰り返す、何気なく与えられた物を大切に使う、ロボットだから人間の感情がわからない(わかる)などなどの美少女ロボット暮らす際のエピソードが次から次へと楽しめる。
王道の味わいながら独自のそれも勿論あって、特に良かったのがアトリがママ味を発揮するところだ。
主人公の斑鳩夏生は片足が無く義足もとある事情からあまり上等なものでないため日常生活に難儀している。
さらに脚を失うキッカケになった事故をフラッシュバックし精神が安定しないと、色々と辛い状況だ。
そのため、ドジながらも世界が海に呑まれる前の高度な技術力で作られたアトリは非常に役に立ち頼れる存在だ。
アトリは夏生の失った足の代わりを自称し、彼を支えることになる。
そんな大枠のストーリーと文量の制約があるとはいえ、年下の幼さが残るアトリに力いっぱいバブバブする甘えん坊な主人公の登場はかなり早い。
開幕早々、アトリの膝や胸に甘えながら泣く主人公へのファーストインプレッションはさておきつつ、アトリのママっぷりは堂に入っており、物語を終始支える良いものだった。
あくまで機械でロボットなので、同じ機械で意志はない義足に嫉妬するくだりなんかもあって、この辺は小ネタ感はありつつもサイエンスフィクションらしさがある、そういう方向の面白さもあった。
辛い過去と変えられない現状があるとはいえ、中々に情けない面が早々に目立った主人公の夏生。
しかし、彼が甘えん坊でアトリに子供っぽくなるのは彼らの家となる船内のベッドでだけ。
丘の上では彼の頼れる有能っぷりが物語をグイグイと引っ張っていく。
夏生は高校生ながらにしてアカデミーと呼ばれる研究機関に身を置く超エリート。
片足が無い障害をアトリが補助する途端に、スムーズに有能ムーブを次々と重ね様々な問題を解決していく。
なにしろ海面上昇で社会基盤がゆるゆるな本作の世界では、様々な問題が山積みなのだ。
これを夏生がハイスピードに解決していく展開は非常に面白く、中盤の大きな見どころになっている。
衒学趣味に寄りすぎない科学技術の解説も面白く、アトリ以外の面々が夏生を人間として好きになっていくのもうなづける楽しいパートになっていた。
・島を救う小さくも大きいストーリー
そんな夏生の活躍はサブヒロインや親友キャラと言った名ありキャラクタ達の問題をどんどん解決していく。
そして次第に島全体を巻き込んだ大きな計画が立ち上がる。
ここも面白いのだけれど、特にイイなと思ったのが、あくまで日本の小さな島一つに閉じた狭い達成感に過ぎず、世界を救うような大仰なことには直結しないと繰り返し語られることだ。
勿論だからと言ってそれに価値が無いというサゲではなく、そのような小さいことを繰り返していけばいつか大きなことが達成できるというとても前向きなメッセージがわかりやすくかつ情緒たっぷりに楽しめるのが、今作の最大の面白かった点だ。
その上で主人公夏生がエリートとして人の上に立つ上で自身に不足していたこと、そして海面上昇という未曾有の危機に彼が行う大プロジェクト、実に大きなサイエンスフィクションらしい展開でと、人間らしい小さな感情の変化がベストマッチに噛み合う本作の山場になるスチル絵のシーン。
主人公もヒロインのアトリも背中を向けており、背景絵が主役になっている美少女ゲーム然としていないスチル絵だが、とても寂しくてかつとても前向きな気持ちになれる素晴らしいイラストと文章だった。
・おわりに
面白かった。
一夏の物語として小さくまとめつつ、しっかりとその小さな一歩が大きな世界を動かす始めの一歩でもあると納得させられるくだりは、特に良かった。
結論から言えば、任天堂の偉い人たちにオンラインゲームの素養がない、もしくは、伝統的価値観への固執。
任天堂に限らず多くの日本のゲームメーカーは家庭用ゲーム機のソフトで成功してきた。
今でこそ大手も焦ってオンラインゲームを作り始めているが、13年くらい前まではオンラインゲームを作りたい人が就職する会社は外資を除けばソシャゲメーカーくらいしかなかった。
プレイヤー目線でみても、13年前の当時、PCでは既にオンラインゲームが成熟しつつあった一方で、コンシューマゲームは相当出遅れていた。
当時、ゲーム制作サークルの作知り合いの何人かゲームメーカーに就職していったが、彼らは皆コンシューマゲームに憧れ、それらを再生産したい願望を持っていた。
そうしたある種のエコーチェンバー化しやすい環境が、CC2松山さんのプチ炎上発言
https://note.com/wwise/n/ndf5b3d0b161d
を可能にさせるわけだ。
未だに「ゲーム=コンシューマゲーム」という業界なんだなと再認識させてくれる。
当然、そんな人達が集まっているわけだから、オンラインゲーム的なものを作ろうって機運にもなりにくい。
なので、第一の理由としては、作る人達のゲームに対する趣味嗜好が伝統的な家庭用ゲーム機的なものに偏りがあるだろうという説。
パルワールドというゲームが極めて奇抜なアイデアの組み合わせによってようやく成立するなら、まあ簡単には生み出せなかったよね、と言えるのだが、ポケモンの魅力が何かを理解していればパルワールドに近いものを生み出せる時間はいくらでもあった。
ポケモンの最大の魅力はそのペット的性質を持ったキャラクターにあり、この魅力を最大限に引き出すには、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」というゲーム体験に必然的に帰着する。
このことはみんな分かっていて、だからNINTENDO64の時代ですら、『ポケモンスナップ』『ピカチュウげんきでちゅう』など、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」体験を模索する試みがあった。
でも、2010年代に入っても何も動きがなかった。
3D技術やオンラインゲームの技術はすでに十分成熟しており、PCゲームでは家庭用ゲーム機に先駆けてオンライン対戦ゲームやよりリッチなゲーム体験ができるようになっていた。
ポケモンGOが出てきて、ようやく次の動きが来たかと思えば、これは任天堂が作ったものではなくIPだけ貸しているのだそうだ。
やり方や発想が、没落してゆくスクエニの姿と被っており、嫌な予感を感じさせた。
「今、バトロワが流行ってます。だから弊社の人気IPドラクエと組み合わせれば売れます」
「今、MOBAが流行ってます。だから弊社の人気IPポケモンと組み合わせれば売れます」
IPの切り売りが始まってしまったか、というか、それしかやることがないんだ、という残念感。
ポケモン本シリーズの方も、最新作でも未だに最大4人の協力プレイしかできないらしい。
なぜたった4人? 発想が通信ケーブルの時代から進んでおらず、基本的にゲームがオフラインに閉じている。
なぜ普通に、素直に、MMORPG的なオンラインゲームとして作らないのか。
なぜ未だにコマンドバトル形式を踏襲するのかも謎。それって全然ポケモンの本質じゃない。
ゲームボーイ時代はスペックの制約上あれしかできなかったが、3Dでグリグリアクションができる時代に何をやっているんだろう感。
こんな保守的なポケモンの最新作の出来を見て、誰がこの会社でポケモンをアップデートしたいと思うだろうか。
パルワールドの作者も任天堂にいたらしいが、きっとそんな思いで任天堂を去っていったのだろうと勝手に想像する。
もしこれが、子どもたちを野蛮なオンラインゲーム世界に染めさせない健全なブランドイメージのために、あえてそうしているんだとしたら任天堂は長期的に終わりだと思う。
ゲームの面白さの追求よりもブランドイメージの守ることを優先する会社が、ゲームの面白さを本気で追求する会社に勝てるわけがない。
知り合いの友達同士だけで遊ばせたいみたいな価値観の押し付けをとても感じるのだけれど、ゲームを本気で遊びたい人からするとマジで興ざめする。
仮にも、各家庭の教育方針は様々であるにもかかわらず、任天堂がその上限を勝手に決めてしまっているというこの不愉快さ。
ゲームはもはや子供をあやす玩具ではない。玩具という域を超えて、コミュニケーションのライフラインになっている人も多い。
20年とか40年スパンで想像力を働かせてほしいのだけれど、ゲーム上の世界についてどのようにリアリティを感じるか、何を楽しいと思うか、という価値観の長期的トレンド変化について真剣に考えてほしい。
それはある人の言葉を借りれば「コミュニケーションそれ自体が目的化する」価値観への変化。
ゲームに限らず、アニメなんかを見ても例えば「けいおん」では、友達がワイワイだらだらと過ごすだけの日常が憧憬として消費されている。
これは、コミュニケーションの基盤がリアルからオンラインへ移行し、その分リアルでの人間関係が希薄になることの埋め合わせと考えられる。
つまり、ある時期から、コンテンツ(とその周辺)にはコミュニケーション的な欲求が求められ始めた。
ゲームを楽しみたいという以前に、人々はコミュニケーション的欲求をゲームを通じて満たしたいと思うようになってきている。
パルワールドとは、そのような新しい欲望や価値観の中で生まれたオンラインゲーム体験がベースにある。
ゲームをあくまでも玩具と割り切って楽しむのか、それとも、ゲームをリアル世界の延長のライフラインの1つとして暮らすのか。
このような価値観の変化を任天堂の幹部らのおっさん達が、理屈でなく、体感として、自らの経験に基づいて理解できているのだろうか。
パルワールドのモンスター「パル」がポケモンのパクリではないか、任天堂法務部が動くのではないかと話題になり例によって「比較画像」などが作られ拡散されている。
並べて見ると誰でも確かにと思うかもしれない。
元ネタが同じでデフォルメのテイストも同じなら見た目が似るのは当たり前。
動物の毛並みをトゲトゲした形にデフォルメする、草花モチーフなので花びら状のパーツをつける、ふわふわした毛をつけて可愛らしくする、トサカで獰猛な印象にする、こうした表現はポケモンの専売特許ではない。
パルとポケモンの一部はカラーリングも一致するがこれも当たり前のこと。
植物属性ならメインカラーは緑。そうなるとアクセントカラーは必然的に補色の赤やピンク。
ペンギンは本来黒いがキャラクター化されると氷属性に設定されやすく色は青。必然的にクチバシなどは黄色。
こういった具合に配色は決まるので色は同じになる。
その他、お腹の部分だけ明るい色になっているとか脚の先だけ色が切り替わっているとか鳥の足が黄色いとか羊の顔が黒いとか、これらも全て現実の生き物の特徴であってポケモン独自のものではない。
比較画像を見ると全てのパルがポケモンに似ていて「丸パクリ」かのように感じられる。
しかしパルの一覧を見ればどのポケモンにも特に似ていないものもいる。
比較画像は多数のパルの中から似て見えるものだけを選んだり動画から似て見える瞬間を切り取って作られており、パルワールドを貶めたい人間や騒ぎにしたい人間が作った恣意的なものなので真に受けてはいけない。
パルワールドとポケモンは似ている。しかし「似ている=パクった」ではない。
専門的には著作権侵害の成立には類似性と依拠性が必要で、今回で言えば類似性はあるがそれはモチーフや作風の一致からくるものであり依拠性は確認できない。
開発側が法的に問題ないと断言しているのも納得できる。
ネットはデマに乗せられて「パルワールドはパクリ」という空気が前提になってしまっており擁護の中にすら「デザインはパクリ」と軽々しく口にする者がいるが、名誉毀損の訴訟リスクがあることは承知しておいた方がいい。
以下は私見だが、新規IPを作る時は今回のような騒ぎを避けるためだったりオリジナリティへのこだわりから既存IPにできるだけ似ないようにわざわざ手間をかける。
言わばポケモンに似せているのではなくポケモンに似ないようにすることにリソースを割かなかっただけ。
その理由は分からないが他者の権利を侵害していないならそんなゲームがあったっていい。
これと似た危機感を感じた事があるのを思い出した。
東京五輪ロゴの盗作疑惑だ。佐野研二郎デザインのT字エンブレムが海外のロゴに似てるとされた事件。
あれもデザイナーならパクリではないのは明らかだったが世論のパクリパクリの大合唱に押されて撤回されてしまった。
過去作の模倣問題が出てきた脇の甘さはあったが事実無根のパクリ認定で制作物を取り下げさせられた佐野研二郎は悔しかっただろうなと思う。
法的にもなんら問題のないものを空気で私刑にかけて人の権利を奪っていいはずがない。
パルワールドは幸い今の所とてつもない勢いで売れている。
「ヒト」と「動物」みたいなもんだと思うんだよな。
「動物」の中に「ヒト」は含まれるはずなんだけど、「動物」と「ヒト」は全く別物だと扱われることもあるみたいな。
まあ「差別にならない程度の区別」という意味で「区別」という言葉が「差別」の文脈で使われることはあると思うんだが、往々にして「これは区別であって差別ではない」と言ってる人に限って自分がやってることが「差別」以外の何物でもない自覚がないか、自覚はある癖に言い逃れしようと必死になってるだけな感じがする。
逆説的に「人間を区別しようとしたら必然的に「差別」になっちゃうんですよね」と考えられるようになることが「差別」について正しく認識するための第一歩と言うかね
Chrome→速さ重視で燃費が悪い。機能は最低限で拡張機能を使えばいいという考え方。
EdgeやVivaldiやBrave→Chromeのエンジンだけ借りてそれぞれに機能追加している。必然的にChromeより多機能。
増田は約15年ベンチャー界隈でそのうちの約10年は役員。資金調達から営業、人事までその時々でなんでもやってた。とあることがきっかけでベンチャー界隈を脱出してここ数年大企業にいる。
元々はベンチャーに違和感なんてなかったんだが、段々疲れてきたこともあったし、「資本潤沢な大手で好き勝手できる特権」みたいなのを運よくゲットできたので、転職して大手に行った。
安定収入美味しいです。
自分もベンチャーだったはずなんだけど、すごい気持ち悪い。何が気持ち悪いかという言語化が難しいんだけど、羅列させてもらうと、
でもってさ、なんでか知らんけど俺らカッケーとか思ってる感じがまたひどい。
自分の知ってるベンチャー役員は不倫、乱交、P活、オフィス不倫、コンプラ違反どころじゃなくて笑える。
大手もあるのかもしれんが、やっぱり上場企業だとそういうのって表にならないように気を付けるんだよなーと思うよ。キャバクラとか連れてかれるけど。
そんでもって、ベンチャーのそいつらがガンガンメディア出て「僕たちは未来に生きているんだ」みたいに語ってると本当シラけるし、頭悪いんだよなと思ってしまう。
某ベンチャーの役員が社員を妊娠させて婚外子とか聞いてて気持ち悪くなったことも何度もあったし、セフレ自慢や顧客の情報暴露みたいなのが本当懐かしい。
「ここがイケてないよ大手」「ベンチャー馬鹿にするな」みたいなオンパレードで、たまに「大手に情報収集された!!!ムキー!!」とかなってるんだけどぶっちゃけお前らのことなんて大手は雑草くらいにしか思ってないんだよな…。
だって所詮はベンチャーだし…、もっと言えば「それってただのサークルでは?」ってのと「零細企業の方がまだ偉い」と思ってるよ。俺でさえ思ってるよ。
目立ってなんぼの世界。目立ちたがり屋が起業することは多いけど、必然的にピエロになるしかないという事も多い。広告宣伝費も掛けられないんだから、無料メディアで如何に目立つかくらいしか目に留まらせていただけないよね。
でもなんでここまで気持ち悪いと思っているのか、という事に対して幾つか考えてみた
俺はもう大企業だけどさっていう俺も気持ち悪いんだけど、ぶっちゃけこっち側で活躍できなかったはみ出した人みたいな感じに思えてくるんだよ。
俺がそうだったからかもしれないけど。
こっちに来てからベンチャー絡みの奴と接するのが嫌になったし、たまに一緒に仕事する事もあるし全員ではないけどレベルが低いなと思ってしまう。
多分俺はベンチャーに居た時の自分も大嫌いだったんだと思う。一番がこれなんじゃないのかな。
だからこそ、脱却できて本当に良かった。特にベンチャーのカンファレンスとか2度と行きたくないし新興VCとか結局大企業が出した金で運用してるわけで、なんでそんなに偉そうにしてられるの?本当にワカラナイ…俺らにはポリシーがって言うけど、PEだったりもちゃんとポリシーがあるでしょうよ。