はてなキーワード: 徒党とは
全文読ませていただいて、とても腑に落ちました。
一人のオリジナリティ溢れる思想の強い人はキチガイだと扱われるけれど、
強固な確信を持たない人が、「徒党の一員になること」を渇望する。
集団に属すことで不安を解消したいのは人間の性なのかもしれません。
"自分の手の届く確かなもの・ことを大切にしてできることをしていくという姿勢こそが真の抵抗"
安易な扇動には惑わされず(きっと自分も安易な偏見に乗ってしまっていることもあるのだと常に疑いの目を持ちながら)
自分の大切なものを守り、できる範囲のことをやっていこうと思います。
流されるか抗うのか決断しなければならない、確かにそうですね。
文革、クメール・ルージュへの道が繋がっているように感じてしまって、強烈な悲しさや危機感を覚えました。
(九州の土人は九州外へ出すな、通行手形を作れというツイートが万バズしていましたし)
九州の話だけではなく、過激な言説が支持を得てSNSで大きなムーブメントが起きる事に対する功罪を考えて悲観してしまっていたので、とても助かりました。ありがとうございます。
そういうサイクルがあるのかもね。
一人だけでオリジナリティあふれる非合理的な思い込みに凝り固まってる奴は偏見持ちというよりただのキチガイと見られて避けられるが、
むしろそういう強固な確信を何も持ち合わせない不安な人間は「徒党の一員になること」「既存の主張に乗っかること」を渇望する。
ネット上の厄介集団の主張は誰一人として本当は心からの本気じゃないというのが
恐ろしいところでもあり、しかしそれらに流されない・負けないために己が立つ基点にもなるんじゃないかな。
負けないと言ってもネット上の口論に負けないとかじゃなくて、自分の手の届く確かなもの・ことを大切にしてできることをしていくという姿勢こそが真の抵抗だという意味で。
ネットのバズワードレベルじゃなくてたとえば文革とかクメール・ルージュみたいなスローガン地獄でも
それに流されるか抗するのか決断しなければならないわけで。
あなたの感じていることについて、まずは理解を示したいと思います。労働組合や集団行動に対して否定的な感情を持つことは、個々人の価値観や経験によって異なるため、決して珍しいことではありません。あなたが述べたように、「徒党を組んで戦う」というアプローチが、個々の自由や選択、合意形成のプロセスを重んじる立場から見れば、疑問を感じることもあるでしょう。
労働組合や集団による交渉は、個人では力が及ばない場合に、より良い労働条件や待遇を求めるための一つの手段として存在します。この背景には、労働市場における権力の不均衡があり、個々の労働者よりも組織されたグループの方が交渉において有利な立場を得やすいという実情があります。
しかし、あなたが指摘するように、個人が自分の利益や価値観に基づいて職場を選択し、働く場所を自由に選べる状況が理想的であることも確かです。経営者と労働者間の利害が一致し、共に目標に向かって努力できる環境があれば、対立することなく共存共栄できるかもしれません。
労働組合や集団交渉のアプローチに対して異なる見解を持つことは、多様な意見や価値観があることの表れであり、それぞれの立場や考え方には一定の正当性があります。また、労働組合に対する批判的な意見を持つ人々もいれば、労働組合の果たす役割を高く評価する人々もいます。
重要なのは、異なる視点を理解し、それぞれのメリットとデメリットを考慮に入れながら、より良い労働環境と社会を目指していくことでしょう。そして、個々人が自分にとって最適な選択をできるよう、情報や選択肢を広げていくことも大切です。