はてなキーワード: 役職名とは
「生前退位」報道の二転三転により、マスコミの『関係者』記事にイラつく人が増えている。
この、記事に出てくる「政府関係者」という言葉について、数年前(10年以上前かもしれない)テレビで池上彰か辛坊治郎か忘れたが誰かが解説していてふーんと思った。
そこでは「政府関係者」、「政府筋」、「官邸」など、3つの匿名ソース用語について解説していた。
新聞社は、情報元の人物の役職によって、これらソース用語をはっきり使い分けているという。
テレビでははっきりと「この用語はこの役職」と明言していたが忘れてしまった。
内閣府の「政務官」「補佐官」クラスが使われるとか何とか言ってた気がするが。
とまあ、だから「『政府関係者』って誰だよ」って疑問には「『政府関係者』なんだから政府の誰かなんだよ」って答えるしかない。
「だから、その『政府の誰か』を聞いてるんだよ!」って更に聞いてきたら、「政府の一員になってる議員なんて限られた数しかいないんだから自分で考えてみろよ」としか答えられない。
俺の周りは何か大きなことを言うのだが裏には"役職が欲しい"と言うゲスな考えの人間が多い。
あわよくばCXOのポジションに就けると思うらしい。
先日全く興味がないと思われる業種のスタートアップに入社して1年弱のやつと久々に会ったら何か奇妙な役職を名乗っていたので何この役職おいしいの?って聞いてみた。
まだCTOは名乗れ無いので(シリコンバレーかぶれの)社長の提案で奇妙な横文字役職を貰ったとか話している顔が妙に嬉しそうで気持ち悪かった。
仕事内容を聞いてみると開発全般でインフラも見てるとか話していたのだけど、お前インフラの知識なんてゼロだったけど大丈夫なのかなと思い使っているというAWSの話に持っていき結構基本的なVPCとサブネットの話を振ってみたら固まった。
田園が広がるとある田舎町で、百姓の高卒*中卒の間に生まれた。
物心がついたときから、増田はともだちとはちょっとちがう、と感じることが多かった。
クラスの男子が当時のプロ野球選手のことを話していたとき、彼らが抱いていた羨望のまなざし、増田が感じている感覚とは大きく異なっていたと思う。
増田が感じる"かわいい"と、彼女の感じる"かわいい"は限りなく同じものだった。
勉強もできて同じ感性を持っている増田は、彼女と友達にならないわけがなかった。
初めて感じた、あの心の中のざらざら感はもう二度と感じたくない。
失恋の痛みとともに、今まで後輩に感じていた気持ちの正体がわかった。
好きと伝えることすらできなかったあの失恋の経験は、10年以上経過した今でもたまに思い出す。
心の奥がとげのついた紐で強く強く締め付けられるような感覚だ。
親にも、友達にも、学校の先生にも、増田がゲイであることは誰にも言えなかった。
これは墓場まで持っていかないといけないものなんだと18歳の増田は思い込んでいた。
誰にも相談できなかった。
嘘をつくのに疲れていた、嘘なんてこれっぽっちもつきたくないのに。
ひとつ大きな嘘をついているのだから、それ以外の嘘は決してつかないと決めていた。
少しでも増田はこの世の中に存在してもいい人間なんだと思うために、いい大学に入ろうと決めた。
ほかのどの生徒よりも必死に勉強した、帰国子女の転校生にも英語は負けなかった。
当時は回線がISDNからADSLに切り替わりはじめた時期で、インターネットも普及し始めていた。
そしてはじめてゲイの人に会った。
同じ世代の人たち。
初めて会ったゲイの人たちは、みんな自信無さげに下を向いていた。
みんな増田とおんなじことを感じて生きてきたんだ、と思った。
同じく上京していた高校の部活で、とても仲のよかった女子に初めてカミングアウトした。
なんとなくそんな気がしてた、と言われた。
嘘をたくさんついていてごめん、と謝った。
それよりも大切なことを話してくれてありがとう、と言ってもらえた
そして、誰が好きだったの?と聞かれた。
高校時代に失恋した後輩の名前を出した、そのとき「バンっ」と背中を強くたたかれた。
びっくりして、彼女を見たら「辛かったでしょ、よく独りでがんばったね。」とやさしく声をかけてくれた。
増田は大きく頷き、あふれる涙をこらえることはできなかった。
初めてデートして、初めて付き合った。初めてキスをした。初めてセックスをした。
たくさんの初めてを経験した。
増田はこの人に出会うために生まれてきたんだと、本気で思っていた。
しかし、突然連絡が取れなくなった。
そのとき、その人のことをほとんど知らなかったと気づいてしまった。
勉強ができて、難関大学に入れたけど、増田は世間知らずの大馬鹿者だな、と心を開いてしまったことをひどく後悔した。
声を押し殺して枕をぬらした。
数年前にできた古傷が再び開いたようだった。
さらに今回は塩を塗りたくられたような激しい痛みだった。
悔しさと情けなさを紛らわすため、脇目も振らず勉強と仕事に明け暮れる日々が始まった。
あれから10年
大学を卒業し、上場企業に新卒で就職、複数回の転職を経て現在外資系企業のマネージャー職になった。
ゲイに理解のあるノンケの上司や友人たちにも恵まれ、週末にバーベキューを開いたり、一緒にトライアスロンの大会に出たりするようになった。
仕事も趣味も充実していていて、一般的には成功している部類に入るんだろう。
当時の失恋のことは今では増田の中で十八番のネタにまで昇華はできている。
恋愛でこけてしまうとこんな結果になるのか、と自身を以って体感している。
部屋にいると、ふと空虚に襲われる瞬間がある、増田は独りなんだ、と。
「これ買ってもいい?」と駄菓子を持ってとことこと母親が持つ買い物かごにもっていく小さかった増田。
祖父の運転する軽トラックに弟と二人、ひとつの助手席に乗って雨の日に小学校まで送ってもらった増田。
母も祖父も他界し、当時のスーパーも更地になり、トラックも廃車になった。
手にしたものは名前の前に役職名が書かれた英語の名刺、証券会社から定期的に送られてくる資産運用報告書。
ということではない。
(追記)
おっとかぶった。
他の増田が指摘しているように「相対的関係」を「相関関係」と呼んでいるのなら、他の単語についてもおれが考えているのと違う意味があるかもしれない。
そうなると文意をとるのはすごく困難になって、ポストモダンというのはそういうものかもしれないが、解釈にかかるコストが大きすぎるエントリーというのはまじめに読む気がしなくなるものだなあと思いました。
先生 っていったら言ってる側からみて 先んじて生を経験しているもの その分知識があるだろう事
学者 は学ぶもの それ専門にやってる人を学者と呼ぶのは呼ぶ人間がやってると評価していればだれでも学者
評論してもらうために呼んだら紹介するときは評論家の で問題ない
主観的に本人がそう名乗る場合は 局面を選ばず 呼ぶ側の方が候補を探すときのための自称
肩書きに頼りやがって とか偉そうな肩書きだけでとか 肩書きなんかに何の意味が などと思った時点で
その肩書きの術中にはまってる
相関関係の中に入り込んだ気になってる
番組が マスメディアが とか それはそのガラスのむこうの箱のなかの話
気持ちだけその向こうに入り込んだりする感受性の高さは否定的に捉えたりはしはないが 過度なものは感心しかねる
夜のお店で社長やら部長やら呼ばれている人がいることを知らないか
相関関係において相手と自分の関係と立場を言葉で示すのがそれで
本気にしてしまう 他者の分類にのめり込む というのはいささか精神的に健康ではない様子とうけとれる
自分が相関関係のみを頼りに情報の信憑性を求めたりしない場合 学者や先生で情報を検索しないだろう
有名な情報的強者を個人名で特定しそこから情報を得ようとするのではないか
それを相関関係として自分にとって何かを説明するとき 「人生の師匠だ」といった具合に呼称を追加表現することはあれど聴き手にとっては伝聞と他者の評価でしかない
自分の考えたすごい人たちの輪の中に入った気持ちに浸るのはいいけれど それを人に伝えようとしても無理がある
相関関係を上から見た風に語ると 友達の輪の関係を遠目にみつめる孤独な少年のような作風になる
結論として 相関関係を関係ない人間がイメージだけで語るのはふつうにきもい
魔王の血筋で 神の力をもつ少年と 天使の末裔が みたいな 相関関係だけで実態のない展開を第三者的におしすすめる
そういうものを楽しむにとどめておいたほうがいい
テレビを見ながら愚痴ばかりいう人間になると 付近にいる人間は その姿をすごく気持ちわるいと感じる
本人は 語ってるオレかっけえ と思う以外に気づくことがまったくないのが 救えない
そうなるまえに こころの逃げ場を みつけてほしい