はてなキーワード: 形式的とは
発達障害で自由意志が薄弱で他責思考な私は、このように相手の自由意志を尊重して自由意志に対する要請をしてくる相手が非常に苦手で、こういう要請を正面から受け止めるととても生きていられないと思う。
けれども、それが社会のスタンダードである以上遭遇機会も多いので、「内的には自然現象であると割り切りつつ、外に対しては意志と責任の存在を装う」ことで一時しのぎ的に対応している。つまり物を失くしたら「ごめん」と謝るし形式的な対策はするけど、心の中では徹底的に自責を避けて、例えば薬が合ってないかもな、などと考える。人間がお互いを自然現象であると合意して回るような社会ならこんな心労は無いのにと思いつつも、実際そうでないのだから今ある社会に合わせるしかないというのには同意する。というより、現状の社会がこうであることも、他者に自由意志を要請する人間が居ることもまた、今のところの自然の流れなのだと思っている。
意思と責任の物語にうまく参加できないことを認めてもらい、部分的に社会から降りて心の平穏を得るというモデルは、(私の個人的な意見だけど)そんなに魅力的じゃない。
自然現象=宿命ではない。自分の意思も他者の意思も自然現象であり、自然現象だからこそ分析して利用/回避/あるいは克服できると認める。自由意志なんて尊い幻想は捨てて、使える道具を全部使って人間をハックする。全員が人間をやめて、平等な自然現象として相互作用する。そういう社会が良いなと思う。医学化ってその流れの一部なんじゃないかな?
まあ、思い通りに行かないよね
その新商品について圧倒的に一番長く時間をかけて考察しているのは間違いなく自分だけれど、色んな人のその場の思いつきみたいなもので、どんどん仕様が変わっていく
もちろん、どんなに時間をかけて深く考察しても、一人の人間の視点からでは死角ができてしまうのはその通り
いろんな角度から参考意見を言うのはいいけど、それをどうやって商品に取り入れるか(取り入れないか)の判断は、一人の人間に任せないとツギハギだらけになってコンセプトが瓦解するに決まっているじゃんか
……という話を前提に
結局、オレが思ったのは思い通りにやりたければ偉くなるしかないってことなんだよね
しかも組織構造上の形式的な上下だけじゃなく、人間同士の力関係も含めた実質的な権力の話ね
組織でものづくりをする以上、思い通りにやるにはパワーが必要って当たり前の話
もっとも、完全なパワーなんて社長であってもそうそう持てるものじゃないから、どうあがいても組織でものづくりをする以上、100%自分の思い通りのものを作るなんていうのは多分幻想
どうしても思い通りにやりたいなら、結局ひとりでやるしかないんだろうね
オレはもう畑を変えたから関係ないけど、世の中のものづくりに関わっている人はほんと、みんなようままならない気持ちと戦っていると思うよ、ほんと
これからパーティーに所属して冒険に旅立とうとしている新米冒険者が、どうやってパーティーに所属すれば良いのかを書いてみる。
まず重要なのは、どのパーティーがどんな冒険者を求めているかをリサーチすることだ。
一番手っ取り早いのは、データベースにアクセスしてそのパーティーのページを見ることだろう。
それで、例えばヒーラーを募集しているパーティーを見つけたとする。
そんな感じでここに入りたいと思えるパーティーが見つかったら、面接だ。
面接では当然、お前はヒーラーとしてそのパーティーに所属する意思を示すことになる。
ここで新米冒険者は勘違いしがちだが、別にお前がヒーラーとして教育を受けてたり経験を積んでたりする必要はない。
もちろんあるに越したことはないが、最低限回復魔法が使えればヒーラーとしての仕事はできる。
「私は回復魔法が得意で、この力を使ってパーティーの仲間を支え、冒険に役立ちたいと思っています」
こんな感じのことを言えれば、とりあえずオッケーだ。
いやいや、別に回復魔法は得意じゃないからそんなことは言えない、と思うかもしれないが、これはあくまで形式的な表明だ。
そもそも回復魔法の得意不得意は主観的なものだから他人が測ることはできない。
もっと言えば、別に仲間の支えになりたいと思っていなくていいし、冒険に役立ちたいというのが本音である必要もない。
相手だって馬鹿じゃないんだから、お前の言っていることが形式的なものだってのは向こうも分かっている。
だが形式的な建前を保つことで、相手としてもこちらを扱いやすくなる。少なくともヒーラーとして扱って良いのだということが分かる。
「ヒーラーとして面接に来たけど別に回復魔法は得意じゃないし、人を支えたいという気持ちも正直あんまり無いです」
なんて言われたら、向こうとしても「え、じゃあなんでヒーラーの面接来たの?ヒーラーとしてポジション用意していいの?」ってなるのは当たり前だ。
大事なのは、ヒーラーとして所属させて欲しいんですよというメッセージを放つことだ。
面接なんてのは、それ以上でもそれ以下でもない。
こういう話を聞いていると、新米冒険者としては自分の強みを活かしたりしなくて良いのかと疑問に思うかもしれない。
はっきり言ってしまえば、自分の強みを考える必要なんてのは全くない。
だがそれを活かす必要はない。
もし「自分の強みは何?」と聞かれても、鉱石の知識があると言うのはやめておいた方がいいだろう。
どうしてもそれを言いたければ、その鉱石の知識がヒーラーとしてどう役立つのかまで言う必要があると考えた方がいい。
それができないなら、優れたヒーラーの特徴を考え、それに合致する強みを述べる方が無難だ。
「その場その場で戦況を判断するのが得意なので、適切なタイミングで回復魔法をかけることができます」
とかな。
当たり前だが、嘘はつくなよ。
苦手なことを得意と言ってしまうのは良くない。
しかし、苦手でも得意でもないことを得意と言ってしまうことに関しては特に問題ない。
これから得意になれば良い。
要するに、初期魔法がある程度使えるなら、回復魔法が得意で人の支えになり、パーティーの役に立ちたいと考えているヒーラーとして立候補し、アピールポイントとして戦況を読むことが得意だと言い切って面接しても構わないのだ。
後は自分がどこかのパーティーに所属できるまで面接を繰り返す。
これだけだ。
今時パーティーなんて腐るほどある。
一つ二つがダメでも、次に行けばいい。
ダメだったところはそのパーティーが求めていたタイプの冒険者とは合致しなかったってだけで、別にお前の能力が低かったとかそういうわけじゃない。
パーティーに所属しようとしている中で一番大事なのは、さっさと切り替えて次に行くメンタルと行動力だぜ。
頑張ってくれな。
「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
記事の要旨:
「私はいいけど、他のひとが傷つくかもしれないから」論法は(不当な)説得力のドーピングである。
「○○という表現はリスクがある、こういった属性の人が不快に感じるかもだから」という意見は、(不当な)説得力のドーピングではない(意味がある)。
例として、「私自身はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見える」、
したがって、「私はいいけど、表現自体はリスクがあるように見える」という指摘は、(不当な)説得力のドーピングではない。
そのため、本来適切でない「ハゲの例」を引用してしまっている。
論点:
「ほかの人が傷つくかもしれないから」という論証を行うことで、"説得力の添加"を行っており、それが問題なのだ、という点である。
しかし実は、誰かをハゲと表現することは、「私、あなた、もしくは特定の誰か、もしくは不特定の誰か」を前提するまでもなく、リスクある表現であることがわかっている。
したがって、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見えます」という主張は、
"「私はいいけど」論証による説得力の添加"が行われていないことになる。(どこかの禿げた他人を前提せずとも、ハゲなじりは失礼である。)
なんらかの他人を前提せずとも、ハゲなじりはリスクがあるのだから、
もともとの議論で強調されている「なんらかの他人を規定して"説得力を添加"することの是非」の話を無視した例示となっている。
「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、指摘することには意味がある」
実は、ハゲとなじられることに不快感を覚える人は、「実際に禿げている人」にとどまらない。
「今現実に禿げていない人」であっても、もしくは「禿げているかどうかすらわからない不特定多数の人々」を指す上でも、不快感を覚える可能性はある。(というか、高い。)
すると、「現実に、なんらかの属性(ハゲ)を持っている人が実在するかどうか」すら関係がなく、
したがって、「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、ハゲなじりの不適切性を指摘しますね。」という説明は、
その論証が"「誰かを規定する手法に基づく説得力」の添加が成されていない(ハゲなじりはその属性を持つ対象が実在していなくても成り立つ)"がゆえに、「私はいいけど」論法の擁護になっていない、と言える。
まとめると、
誰かをハゲとなじるのは、特定の誰かであろうが、不特定の誰かであろうが、
また、禿げた何者かが実在するかどうかにすら無関係に、失礼で、リスクある表現である。
これは、「○○論証により、ハゲなじりはリスクがあることが分かる。したがって○○論証は(リスクを論ずる上で)健全な論証である。」と言ってるのと変わらない。
「ディズニーランド論法」、「(私はいいけど)ディズニーランドが好きな人が不快に思うかもしれない表現は慎むべきだろ!」という論法においては、
「不特定の対象」を規定することで、"説得力の添加"を行っており、そのような論証は本来濫用されるべきではない(と元記事は主張する)。
一方、「ハゲなじり論法」、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体にはリスクがあると指摘します」という論法においては、
私はいいけど論法の問題点である"何者かを想定することに基づく説得力の添加"が実質なされておらず、私はいいけど論法の擁護になっていない。
・論理的思考が一切できない。
正義や人権や大人の振る舞いなどのことを、ロジカルに考える能力が一切ない。個人の感想と区別できないほどに、ロジカルシンキングができない。現代人なら子供でもできるが、日本人は大人でもできない。
・上記のことは、昔の賢い人々が徹底的に細かく理詰めで徹底的に論理的に組み立てている。数学のようなもの。普通の現代人はそれを理論として学んでいるわけなので、普通はロジカルシンキングができる。
・現代人にとって、上の正義、道徳(宗教観の一つ)、人権、コミュニケーション、政治、などなどは「極めてロジカルなこと」である。
・日本人は、そのような一般的教養が一切ないため、感想や思想が土人レベル。現代人とはまともに話すことすら困難。上に挙げた分野の教養レベルが土人なので、「意見を交わす」のは無理。
アニメとゲームとエロと趣味とか、そういう与太話しかできない。
・メンタリティのほぼ全て
・道徳を無駄に信仰してるが道徳がどんな位置付けにあるのかを全く理解してない
・正義が何かをわかっていない
・人権が何かをわかってない
・法律が何かをわかってない
・政治が何かをわかってない
・民主主義をわかってない
・市民社会をわかってない
・全体主義や権威主義など自らの従う規範のイデオロギーを客観視できない
・大人の振る舞いとは何かをわかってない
・コイツらの言ってる「大人の振る舞い」は、たとえば「嘘も方便」「相手に耳心地のいいことを言って気づかせずに状況を転がす」といったような、宗教観とか文化的感情だけで形式的に決まっているだけのもの。所作として綺麗と考える宗教観はあるかもしれないが合理性が一切ない
お金は要らない、餓死してもいい、貧しい生活でもいい、それでもいいから貧乏人のお金を集めてお金持ちをもっと大金持ちにしよう!という政策を貧乏人が自身の権力によって実現している。
お金持ちのお願いは、どんなものであっても(もっとお金を稼いで豪邸を建てたい、とかね)快く大金を渡してくれる、気前のいい人。
関わらなくても大金をジャブジャブくれる。
エロだらけで土人で人を人と思っておらず、論理性がなく、感情的で、慈愛のない人々で、会話は成り立たないので、あまり関わりたくはない。
医療行為は医者が独占する権限である。 その上で司法には正当行為という概念がある。
形式的には法律の条文にひっかかるような行いであっても日常生活や業務に必要な正当な理由があるものなら違法行為ではないとする考え方だ。
例えば調子悪いときに「あっ、風邪ひいたかな」という判断を自分でするのも診断という医療行為に該当するし「生姜湯でも飲んで寝よ」ってのも投薬や治療に該当する。 形式的には。
でも常識的に言ってこれを禁じたら自分で病院に行く判断をすることさえ出来ないし、違法なわけないだろ常識的に考えて……ってわけ。
取り締まれるものではないので禁じたところで出来ることがないし。
自分自身を管理するのは当然に日常で必要な正当な行いだとして、じゃあ自分以外についてはどうだろう。
仕事中に同僚がちょっとフラフラしてたら「あれっ、お前なんかおかしくない? 調子悪そうだぞ」と判断して休むことを勧めるのは違法行為か?
まあそんなわけないわな。
ところがこれが全くの他人同士をマッチングして相談するとなると正当な理由があるとは言い難くなってくる。
病気の話を全くしてはならないというわけではないけど医療行為に該当するかどうか、正当行為と言えるかどうかは個々の事情を個別に裁判で判断しないと結論は出ない。
2. ユーザーが特定のプランでの支援を申し込んだ場合、ユーザーと当該プランを作成したクリエイターとの間で、当該クリエイターが当該ユーザーに対して、支援者限定投稿コンテンツの公開や特典を提供し、その対価として当該ユーザーが支援額を支払うことを主な内容とする二者間の売買契約その他の契約が成立(以下「支援契約」といいます。)するものとします。
4. ユーザーは、当社が支援者限定投稿コンテンツの内容および特典に関し何らの責任を負わないことを確認し、了承するものとします。
1,3はまぁそりゃそうでしょうねって内容なので無視して2を読むと
リターンという役務提供ないしイラスト等の対価に対する売買契約扱いになっているのでリターンの履行がない場合は売買契約時に提供を約束した商品を提供していないことになる。
だから、リターンを放置しているのに支払いは受けている場合には、リターンの履行を求めるのに開示請求は割と通せる。
FANBOX(Pixiv)側は責任持たないからねっていうって言うのが4項
2. 支援者は、支援者限定投稿コンテンツや特典の内容を理由にいったん支払った支援金をキャンセル・返金することはできませんが、支援者限定投稿コンテンツまたは特典が当該プランどおりに提供されない場合またはこれらに形式的な瑕疵(ファイル形式に誤りがある、ダウンロードできない等)がある場合には、当社に対して本サイト上の「問い合わせフォーム」により連絡することができるものとします。
こっちも1,3はまぁそうでしょうねなんだけど
この2項を読むとリターンの履行がない場合にはFANBOX側に問い合わせて返金が受けられる可能性がある。
なので、リターンがない場合には問い合わせすることをお勧めする。
で、まぁ平気でFANBOXのリターンをガチャガチャ変更する人いるけど(1年継続特典を突然無くすとか)
一方的な売買契約の変更になるのでそれも裁判されたら苦しいことになるよ
なんかFANBOXのリターンを履行しないのに開き直って文句言ってきた奴をBANして
(事実関係)
○最高裁判事の枠や各団体(裁判所・弁護士・検察官)からの一名を推薦し、内閣はそれに従うという慣例が成立したのはここ50年ほどで、法的根拠はない。
○慣例ができるまでは内閣も最高裁も各団体も枠にとらわれず、内閣の任命権は実質的なものであった。
○現行の慣行については賛否がある。(利権ではないか/バランスが取れている)
(所感)
○そもそも最高裁判事の任命権は三権分立の趣旨からすると内閣から最高裁への牽制機能であり、それが形骸化していることは制度の趣旨に反するのではないか。
以下の記事のブコメにおいて、「最高裁判事の任命を慣例に従って日弁連の推薦の通りとしなかったのは間違っている」という前提のブコメが大半を占める。
安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASRC65HZXRC2UTIL03S.html
○このレベルのことが6年かかる。公文書改ざん、不誠実な答弁などのモラル崩壊や倫理欠如が「彼」以前のレベルに戻るまでどのくらいかかるのか
○本当に本当に酷い政権だった。「無能による社会の衰退」より更にタチの悪い「卑劣さによる社会の破壊」が続いた。まだ与党内にその残滓は残っている。
○法学的な顕著な実績もない加計学園学園関係の弁護士が最高裁の裁判官になったり、安部政権はめちゃくちゃだったよね。亡くなって本当によかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%BE%A4%E5%85%8B%E4%B9%8B 典型的お友達人事
○今でもできないはずなのだが、ペナルティがないのが問題。政治が司法に干渉できる余地が絶対ないように、干渉が犯罪化できるように法律を整備しなおすべき。
○幼稚で未熟な政権がおよそ10年続いた事を考えれば司法の失われた10年はあまりにも長かった訳だ。
○どこが元通りなんだ。何の反省も改善もない。つぎはぎを当てただけ。また別の悪が現れたらすぐ崩される。
○「人事によって政権の意に沿う方向に物事を動かすのは安倍・菅義偉政権の特徴だった」司法だけでなく、教育機関や公共放送・日銀・内閣法制局など、独立性が重視される機関で尽くやった。
だが、それは果たして正しいのだろうか。条文を見ていこう。
(日本国憲法)
第六条(略)
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
(略)
なるほど、6条2項からは、最高裁の長官の指名は内閣に権限があり、天皇の任命権は形式的なものと理解できる。
そして、79条1項から最高裁裁判官の任命権は内閣にあることが一目瞭然だが、この任命権が6条2項の天皇による任命権のように形式的なものなのか、それとも指名権まで含む実質的なものなのかは実はどこにも規定されていない。
最高裁裁判官は、現在概ね裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、学識経験者(学者や行政官など。検察官もここに入る。)5名で構成されている。
そして、退任者が出た場合、退任者と同じ出身母体(裁判官/日弁連/検察庁)が自分の枠に誰を当てはめるかを内閣に推薦する。
内閣は最高裁長官の意見を聴取した上で決定するとされているが、出身母体からの推薦は一名であり、最高裁はその推薦を尊重し、内閣はその通りに任命している。
1970年代はじめ頃までは推薦された者について内閣と最高裁で議論が交わされ、内閣が最高裁に従わないこともあった。
更に、検察庁と日弁連両方から別の者が推薦され、内閣で判断することすらあった(例えば日弁連から4名、検察庁から2名の推薦があり、内閣で1名を決定するなど)。
それ以降は、各団体は枠を意識して推薦するようになり、内閣は各団体からの推薦のとおりに任命するようになっていった。
実はこれは一切根拠がない。元々戦後5:5:5でスタートし、その後5:4:6となったり4:5:6となったり5:3:7となったり様々だ(前述の通り複数の枠からそれぞれ推薦されることもあったので、内閣の判断で枠が動くこともあった)。
しかし、概ね1970年代はじめから、ある枠の後任者は当然にその出身母体から推薦するという慣例が取られるようになった。また、推薦される者が一名に限定されたのもこのころで、内閣の任命権が形骸化されたと言って良いだろう。
そして、この枠については二通りの評価がある。なお、これらの意見は安倍内閣による任命への評価を避けるために00年代以前のものとしている。
「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由だが、この習慣は是非続けて欲しい」(最高裁長官 裁判官出身 矢口洪一)
「既得権益。秘密裡に行われ、少数の人のみによって進められる。」(朝日新聞記者 野村二郎)
以下は私見だが、宮川判事の「特殊日本的な状況」という意見が非常に興味深い。宮川判事は肯定的な意見としてこれを述べているが、「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い(実に日本的だ!)だろうから、今となっては肯定的に受けとるのは難しいのではないかと思う。
別の論点として、三権分立の制度趣旨としてこの任命権がどういうものか見ておきたい。
三権分立の説明において、最高裁から内閣への牽制機能として違法性の審査があり、内閣から最高裁への牽制機能として最高裁長官の指名と最高裁判事の任命がある。
ここからは再度私見となるが、最高裁判事の任命権が形式的なものであるならば牽制機能としては意味がない(小学校のときに習った三権分立の図が誤り!)ため、制度上は(天皇による各種任命権と違って)実質的なものととらえるべきだと考える。
また、上述の矢口長官も「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由」と述べているように、少なくとも当時の関係者は既得権益などではなく単なる慣例であり、実質的な任命権は内閣にあると考えていたようだ。
従って、最高裁判事の任命権は実質的にも内閣にあり、安倍内閣の行った慣例破りが正しいかどうかはその人選が適切であったかどうかで判断されるべきではないだろうか。
弁護士枠の判事は、まず日弁連が候補者の推薦リストをまとめ、最高裁がその中から数人を選んだ上で、最終決定権を持つ内閣が決めるのが近年の慣例だった。
現在炎上中のジョンソン人間体重計問題について、改めて流れを振り返り、なぜこのようなクソみたいなノリが発生してしまったのか原因を探る。
この時点で、太田が元々狙っていた【測定している様子が駅弁のように見える】に加え、【太田の計測がいい加減である】という笑いが芸人や視聴者の中で共通認識になる。
また、【測る対象が重すぎて持てない】という笑いも想定でき、ママタルト大鶴肥満をオチに使うという勘を働かせることができる。
【測定している様子が駅弁のように見える】ことが共通認識である以上、女性を指名することはタブーになってしまう。
ところがここで屋敷の尖りが出てしまい、敢えてタブーに触れてヒリつかせるという別角度の笑いを狙ってしまった。
ここでの太田は、【測定している様子が駅弁のように見える】ということを自覚すると面白味が薄まってしまうため、すっとぼけることを選んだ。
はるは「全然言える」と答える。
ここで小宮が、この状況を【はるは体重公表を嫌がる変なヤツ】という笑いでオトせることに気付き、はるに助け船を出す。
ところが、はるはそれに気づかずその提案を特に考え無しに拒否してしまう。
小宮の助け舟に勘付いた太田が同じ切り口で人間体重計から逃れることを提案するが、これもはるに拒否されてしまう。
はるがステージに向かって歩き出す。
屋敷のつぶやきは【はるは体重公表を嫌がる変なヤツ】という笑いの価値観を補足するものであり、当初提案した【測定している様子が駅弁のように見える】という笑いから方針を変えたことが分かる。
しかし、言い出しっぺの屋敷がスタンスを変えたことではるは梯子を外された形になってしまった。
ここになってようやく【太田の計測がいい加減である】という形だけの最低限の笑いが成立したが、はるがあっさり自分の体重も公表したため【はるは体重公表を嫌がる変なヤツ】という笑いすら成立しなかった。
ここではオーソドックスな【測る対象が重すぎて持てない】という笑いが成立している。
また、同時に【太田の計測がいい加減である】という笑いも形式的に成立した。
ガヤが発した「はるを計測しろ」という提案を受け入れてしまったこと。
ガヤの提案を【測定している様子が駅弁のように見える】ことを理由に拒否することはできないため、あらかじめ女性が指名されるリスクを考えて2人目以降も太田が指名するという流れを準備するべきであった。
指名された後に人間体重計を明確に拒否する姿勢を示さなかったこと。
また、【はるは体重公表を嫌がる変なヤツ】という助け船に気付くべきであった。
番組レギュラーとして放送の時間帯を考慮し、タブーに触れてヒリつかせるという笑いを自重するべきだった。
また、途中で【測定している様子が駅弁のように見える】というスタンスを捨てたことははるに対する不義理であった。