はてなキーワード: 形式上とは
なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから。
ドラマの主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正~昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことなく享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生。
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである。
寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女に結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。
ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船と逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。
と、寅子の痛さを中心に4月にドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である。伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。
「虎と翼」は、現代の問題を昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれたリベラルな家に生まれて弁護士になり、戦争の時代に突入し、色々あって戦後は日本初の裁判官になるスーパーウーマンである。
ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由に選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。
寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上は男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的にしか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大の入試における性差別不正はつい最近の出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。
これは、女性に人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。
そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人の幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。
「結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等の利益を享受する側には届かない」、「上品な批判は下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である。
これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪いの価値観である。学友たちはこの呪いの価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義の実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。
不平等と戦うに十分な恵まれた武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週からの戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆にさらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。
その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマの主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。
たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。
そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。
フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。
寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーションは尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。
寅子の両親や兄夫婦は明治の家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満な夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑のちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルなエリートの父親が会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。
また、法曹界への女性の進出を後押しする立場であるリベラル派の教授や弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権の問題を提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い。出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。
フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事の分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。
ところで最後に全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIをジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこのグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用でしかないが。
ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。
しかし、このニッポンドットコムは笹川財団由来のかなり右寄りの情報サイトなのだが、それでも「高度成長期のストックは90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。
IT業界で、昔はSESで働いていて、大手によく客先常駐していた。どこも大手ばかりでノウハウはしっかり蓄積され、設計書なども充実していた。
SESを脱退し、そこそこ大手のIT企業の正社員になれた。しかし、そこはこれまでのSESで客先常駐していたような企業とは違い、あまり体制的には良くはなかった。
工数管理は基本中の基本であり、やらないIT企業はなかなかないだろう。しかし、当社は違った。
1日に何をしたのか、報告の義務はなく、ただ作業していればよかった。
工数管理とは、案件ごとに工数管理のための番号(工数番号)を振り、さらにその工数番号ごとに要件定義、基本設計、詳細設計、実装/単体テスト、結合テスト、総合テスト、などのサブ番号に分割して、工数を登録することである。
さらにセキュリティ教育などは個々の案件と無関係なことが多いので、維持管理用の工数番号が振られていることもある。
リリース後のトラブル対応なども工数を消費するので、それ専用の工数番号などもあったりする。
さらに、日々の工数を詳細に記載する日報のようなものも導入しているところが多く、どの作業に何時間作業したかを15分単位などで記載する。
工数管理のいいところは、作業をサボりにくくなることだ。作業効率が客観的に見えてしまうため、現実を突きつけられ、もっと頑張らなきゃ、と思う。
工数管理のだめなところは、とにかく面倒くさいことだ。当然だが、工数管理を行うための工数、は工数管理には入力できる枠はない。が、確実に無視できないレベルで工数を消費する。あとトイレなどにつける工数などもない。
しかし、活用されておらず、形式上だけ数字さえ入っていればそれでいい、というものだ。
その形式上すら煩わしいらしく、若手の意見をバリバリ言う人から、
・工数管理は全く意味がない。適当な工数を入力していても誰もチェックしていないのか、何も言ってこない。
・工数管理をしっかりすれば、1日に働いた時間がわかるのだから、勤怠システムは不要である。工数管理システムと勤怠システムを一本化すべきだ。
などの意見が出ていた。
そりゃあ工数管理が根付いてない企業に工数管理を行えばそうなるでしょう。
工数管理は業務に結びつくものではなく導入メリットは明確には測れない。しかし、めんどくささは圧倒的だ。
結果、工数管理システムは完全に廃れ、入力すらしなくても誰も何も言わなくなった。
つまり、当社はよく言えば従業員の意見が通りやすい、悪く言えば従業員のわがままが通ってしまう企業なのだ。
従業員の意見を尊重し、押し付けをせず、それぞれのルールを重んじる。良いことであるが、それでは業務は改善できない。
これまでもそこそこやれてるのだから、それを無視して新ルールを導入しても、組織が壊滅する可能性が出てくるだけだ。
工数管理は基本中の基本だ。どこもやっている。それすらも当社は従業員のわがままが通ってしまうのだ。
(まあ当社の工数管理はテキトーだからダメだったのであって、もっと厳密に管理して、日報なども義務化すれば、これまでサボってた社員もサボれなくなり、結果的に業務は改善していたと思うが。)
PDCAはPlan, Do, Check, Actionの頭文字を連ねたもので、つまり、まずは予定(Plan)ありき。予定がないと実行(Do)はしてはいけない。
実行した後は必ず振り返り(Check)を行いなさい。
当社もPDCAの概念はあるし、週報という形でそれを実現している。
しかしその概念は根付いておらず、週報以外ではPDCAは無視している。
つまり当社は、まずは実行があり、計画は立てることは必須ではない。多くの人は計画を立てない。
振り返りも当然実施しない。実行のみがある。Do, Do, Doである。
これは作業者レベルでそうであるし、案件レベルでもそうだ。案件はたしかに最後には振り返りの資料を作成する必要がある。しかし、これは単に作成しなきゃいけないから作成してるだけで、綺麗事をまとめた振り返りである。
本来は、まずは理想を語り、次に現実を語る。しかし当社は、過去をグダグダ言っても仕方ない、と理想を一切語らず、現実のみを語る。しかし振り返り資料には上司受けするような荒唐無稽な対策が記載される。
当社は、作業の前には計画ありき、などの文化は全く根付いていない。優秀な人間でも根付いていない。
私はただの平社員なので、それらについて指摘はできない。指摘したところで「じゃあどうするの?」と詰められて終わりだ。指摘するなら十分な資料の作成と具体的な対応策の準備、そして責任と人を動かすカリスマ性が必要だ。私にはそれらを準備してまで無駄に頑張る気はない。
と書かれていた。
本来は、業務改善は個々のチームだけの問題ではないので、上層部でマニュアル化してルール化すべきではないのか?
アイデアは個々のチームから出してもらっても良いだろうが、それを取りまとめて全体で取り組ませるのは上層部の役目ではないのか?
それをなぜ、個々のチームに依頼する?
業務改善といえばマニュアルの作成や設計書フォーマットの作成だ。
それは能力の低い人でもマニュアル通りに作業することで能力の高い人と同等の仕事をできるようにするためである。
しかし、当社はマニュアルを作る習慣はない。自分用のメモは作るが、維持管理に使えるマニュアルは誰も作らない。
フォーマットがあるだけで記載漏れがかなり減る。考慮漏れも減る。作業が具体化されるからタスクも細分化して記載できる。
当社には推奨するプログラミング言語はなく、推奨のフレームワークもない。
これらが共通化されていれば、開発者がいろいろなチームに参加しやすくなるし、別のチームの有識者に相談しやすくもなる。
こういった業務改善は本来は上層部が率先して枠組みを作るべきだ。しかしやらない。
上層部に知識がなく、やるとしたら雑な仕事しかしないから、やられると逆に困るのだが。
当社はとにかく従業員の声が大きい。強い。
業務改善などの施策を出しても、従業員が納得しないと続かない。
そういう文化を変えるのは並大抵のことでは出来ない。
環境が変われば人は変わるだろうが、そもそも環境を変えるには人を変えないといけない。だから変わらない。
仕事が回らなくなり死にかければ変わるかと思ったが、たぶん変わらない。
仕事の仕方を変えるくらいならきっと死を選ぶだろう。それくらい変わらない。
2024/05/15 10:48
工数管理すべきなのは、成果物ではなくサービスを提供する人なのかもしれない。例えばPMなど。
当社の開発チームは、開発者やPM以外にも、君必要なの?何やってる人なの?打ち合わせには参加してるけど、ただの工数食い虫じゃね?みたいな人もいるのです。
俺はボイス全聞きと軽い探索、道中の書籍含むフレーバー読みつつで11時間かかった。
筆舌に尽くしがたい凄まじい内容だったが、これを楽しみ尽くすために見落とし注意点がいくつかあるので、ネタバレに極力配慮しつつそれを伝えたい。
序盤の探索中に少しずつ拾える『クロックボーイとキャプテン・リボルバー』の寓話、上中下の3冊分は読みながらメインを進めると意味が分かるかもしれない
予告番組でも言われたようにオーディションに参加することになるが、審査の1段階、2段階でそれぞれ2つのルートと、付随する個別マップがある。
選ばなかったルート・マップはメイン終了後に受注できる一般クエスト「熱砂の休日」で体験できるが、メインクエストでいった場合との違いは、同行者(ホタル←白字反転)のセリフからボイスが消えている点と、実体ではなく幻像のような再現になっている点だ。
1段階は演技派ルートとアクション派ルートに分かれるが、演技派ルートに入ると選択肢でわざと間違ったものを選んだ時の同行者からのツッコミボイスなどが多めに聞ける。逆にネットのリプレイ動画を見るつもりなら、選択する人が少ないアクション派を選ぶのもいいかもしれない。
2段階目はハヌとクロックボーイの分岐になるが、ハヌのほうだと同行者からニヤッとできるセリフが聞けるかもしれない。
3段階目の決戦は形式上は2ルートに分かれているが、メイン上ではどちらを選んでも内容に差はなく、かわりに会話中の選択肢によって戦闘を回避するか交戦するかで分岐する。またそれによってアチーブメントも違う。
オーディション後、回想で「時計屋」の記憶をたどって最後、車椅子に向かって歩むシーンがあるが、そこでクエスト一覧を開くと普段のようなあらすじではなく、長いメッセージ的な文章が読める。
見逃してもさして理解に影響はないが、見ておくとクライマックスがより印象的になるかもしれない。クエストの行動目標が上記タイトル文になっているので目印に。
見逃した人用にXでスクショ貼ってる人がいた https://twitter.com/yoshi_otakatsu/status/1788198850953683305
ボス戦後、ブラックスワンとの会話で5択から正解を当てるところで、いきなり正解を当てても悪くないが、間違いを選んだ時のスワンから補足解説を聞きたい場合は正解の(①←白字反転)を最後に選ぶといい。
数年前転職してきた(具体的な年数は記載しない。「a few years」の数年前)上司が飛んだ。もちろん形式上は通常の手続きでの自主退職だけど、引き継ぎなども特になくクロージングもなく「いなくなった」。
私もサラリーマン人生長いから、今まで「鳴り物入り」の同僚や上司が来て、淡々と去っていくのを見てきた。中でも今回の「飛び」は印象深かったから、個人や場所を特定されない話として残しておこうと思った。
推薦図書を全員にメールで送ってきた。結局ほとんど誰も読まなかったらしいけど、私は「上司の推薦図書=実質義務」だと思っているから、アマゾンの中古本と図書館で借りることで一冊(アマゾンでも高かった)除いて全部読んだら「本が好きらしいので」と5冊持ってきて結局「義務」が私だけ5冊増えた。想像つくとは思うけど結局「読まなかった人へのペナルティ」も「読んだ人へのアドバンテージ」も特に無かった。もちろんそのあたりも最初から想定していたので特段の感慨はない。
感想?「何冊かは『読む』本じゃないよね」ということ。
仕組みやシステムを構築する時、困ったり抜けを確認するために該当箇所に当たってチェックする本だなというのが感想。
就任後一ヶ月くらいで、私を呼んで分析用のデータの作成を指示してきた。
「網羅すべき内容は?」「全部」
「どのくらいの期間で?」「できるだけ早く。3日位で」
これを聞いた瞬間に感じた。
(ああ この方自分で読んでそして我々に推奨してきた本の中身を理解してない)と。
推奨図書のうち一冊には「なんでもそうだけど 内容を明確にして対処するのが一番大事だよね」的な書物があったんだけどな、ついでに自分の仕事人生の中で「全部」と言われたデータが役に立った例は古今東西あった例はないな…と思いながらデータを取りまとめる。
…想像通り3日で作ったデータは死蔵品と化して、最後まで日の目を見ることはなかった。
推薦図書の中に「全てのデータを取得してアウトプットして活用する」的な本もあった。
だけど上司のアウトプット=資料を殆ど見たことがない。強いて言うなら文字位置がガタガタなPowerPoint位と画像貼り付けノートとして使われてたEXCELくらいかな。
データ使いこなすと言うならまずはMicrosoft Officeを使いこなしてほしいかな、と思っていたけど流石に直接そう話すわけにもいかなかった。
予感はしていたのだけど「ここ(現業)は◯◯が低迷し…」から始まった瞬間、皆の顔が微妙に歪むのを観察していた。私も現職で数社経験しているから身にしみて知っているのだけど、私が努めてきたどこの職場でも「課題も問題もある。それは皆わかってる。でも別に好きでそうなってるわけじゃないし誰かがサボってそうなってるわけでもない」。そこまでの経緯や体制など色々な原因が横たわっているからそこを改善しないとどうにもならない。それをさも「怠惰」が原因であるかのように話をしてもどのプレイヤーも得をしない。
予想はつくと思うけど、その後も会議はたくさん招集された。だけど上司から出てくるのは「課題」「問題」「事象」。いや、上司に求められているのはその3つに横たわる「原因」を分析する能力なんだ。それら3つはもう全員が理解してる。だからすぐに「会議を開くこと。そして上司の話を聞くこと」が会議の目的と化した。そして上司は目的語が大きかった。業務を遂行するうえで、顧客のどの層を想定するかは割と大事なポイントなのだけど、常に上司の口からは「お客さん」というワードだけが出てきた。それとなく傷つけないように目的語を会議中に修正した事は何回かあったけど結局最後まで変わらなかったな。
私の嫌な予感は的中し、上司の話を聞き流す人が着実に増えていった。
その結果どうなったか?上司はコミュニケーションの機会そのものを自分で減らしていった。立場上忠実(にならざるを得ない)直属の部下のみを招集しての会議のみがやたらと増えた。直属の部下は上司との会議のすぐ後に他部署との会議や自分の業務を抱えて辛そうだった。そのなかで上司はいつも5時になるとすぐログアウト。そして退社するのがルーティンになっていた。
いいか悪いか、は別として、現職の経営層は管理職に「プレイングマネージャー」であることを望む傾向が強い。仮にプレイングマネージャーでなかったとしても、課題も問題もあるわけだから暇な訳が無い、だからポジションを募集して貴方が来たんでしょう?と思うのはごく当たり前のこと。だから「イマイチ何をしているのかわからないが毎日定時で退社する上司」が現職の職場で目立ち始めるのに時間はかからなかった。
私の現職の部署はやや職場の位置が特殊で、本社の中枢部分に数人のデスクがあり、分館みたいな所で私を含む大部分のスタッフが働いている。
そんな中で、上司は分館の会議室に脇目もふらず直行して会議だけ行い(内容は少し聞こえてくるのだけど、何かが決まっている雰囲気はあまり感じられなかった)会議が終わるととてつもない速さで分館からいなくなり、分館スタッフと話す事は殆どなくなった。
コミュニケーションを嫌がる(怖がる、かもしれない。少なくとも私にはそう見えた)ものだから、メールの返信もいつも一行から三行位。「ふわっとした」疑問形で返されることも多かったから、メールの案件が上司が介入した結果結論に到達せずに途中で止まってしまう事が多かった。
承認書類も途中で止まるようになった。上司の承認が止まるものだから業務も案件も滞る。その中で招集された会議で上司の承認待ち案件について「あの案件が停滞しているのは何故?」という発言が当の上司から出てくるというギャグみたいな状況に数度直面した。
でも両方とも魔法使いじゃない。外部業者やコンサルと打ち合わせを行うと、初回で外部業者が必要しているデータをそもそも持ち合わせていないことがわかり数回の打ち合わせで大半が立ち消えとなり、事前検証や打ち合わせの時間分の工数が消える結果となった。
おそらくは経営陣側が「上司の力量に一旦は任せてみよう」という判断になったのだと想像している。その一方でこうも思った「後日経営陣は確実に費用対効果を確認してくるだろう。まあ私が問われるわけじゃないからいいけど…」。
良くなかった。
基本的には与えられた条件の中で新たな費用を発生させないことを前提としているが、どうしても少額の費用(最近はサブスク的な月1000〜2000円とかの定期支払いが多い)が必要になる時があるが、そういう少額費用の決済が恐ろしく渋くなった。どれだけ費用対効果を説明する資料を作っても駄目。
その中で「稟議通過したこの件だけど、まだまだ足りないからもっともっと金を使うぞぉ」的な資料を見つけてしまいため息しか出なかったのをよく覚えている。
会社は数字でのリターンを求めてくる。でも部下とのコミュニケーション同様「ふわっとした」説明しかできなかったらしい。資料を作って見せるスキルもないからすっかり経営層から「マーク」されたらしい。
その結果、上司が分館に来て誰とも目を合わさないテーブル(デスクではなく)で黙々とノートPCと向かい合って「何か」をして、5時になると姿を消す姿を連日目にするようになった。
だけど一つだけやっておきたいことがあった。
着任後半年くらいしてから「現業の未来像をどうするか」でブレーン・ストーミング会議を行いたいと言われてメンバーが招集されたことがある。
結局はブレーン・ストーミングでもなんでもなかった。
「役員が”将来像”は『A』になると言っているから、皆『A』にするための方策を考えて」だった。
私は基本的に官僚スタッフなので、方向性として示された事をいかに実現させるかに頭を絞るのが職務だと捉えている。だがこの件は看過しているとまずいと考えて話をさせてもらった。「『A』はできない訳ではないのですが、会社の体制と対応そのものを変える必要があり現職の状況には沿っていないと考えます。恐らくなのですが『B』という考え方があり…」とホワイトボードを使って説明した。参加者全員が納得してくれ、上司も「まあいいでしょう」と話をして次の会議予定を設定した。
次の会議になった途端、上司が『A』の話をし始めた。私から「先日お話した『B』の話は役員にしていただけましたか?」と話したところ「役員は『A』と言っているから」の一点張り。結局この将来像は、微妙にどうなっているかわからない状態になっていた。
上司の退職が決まって10日後位のこと。この”将来像”とは別案件で当の役員が来ることになった。別案件とは書いたが、この別案件の作り込み方は”将来像”によって180度に近いくらい作り込みが変わってくる。私もそれで悩んで色々な絵図面を散々描いては直し、を繰り返してきた。
私が事前に”将来像”について役員に直接確認する必要があるよねという話をしていたので、自ずと役員を前にその話題に流れていくことになった。
『B』だった。
私が話した内容とほとんど一致していた。
誤解しないでほしいのは、別に自分の自慢をしたいわけじゃないということ。
少しだけ捕捉すると『A』は「0か1か」の案で、『B』は「濃淡をつける」案。
外部の方からするとどっちも似たようなものに見えるのだが、実際は業務の作り込みから顧客への応対からシステムから何もかもが違ってくる。
恐らくなのだが、役員が『B』で話したのを、上司が忖度して「役員の期待?に応えるためにはもっと厳しくしないと!『A』じゃないといけないだろう」と脳内変換したのではないかと推測している。
念の為だけど上司を責める気はまったくない。誤認や勝手な忖度は初めての案件の場合よくあること。問題はそこからどう修正するかであり、それを可能にするのがコミュニケーションだと思っている。
その会議には退職間近の上司も参加していてほとんど何も喋らなかったが、役員が『B』を笑顔で話している時に上司をちらりと見たところ、ずっと下を向いていた。
会議後、役員は次の会議に向かった。そして上司はそっと席を立った。その時、他部署の方が「◯年前にさっきの話を聞いていればこんなに時間かからなかったのに…」と言っていたのが全てを表していたと思う。
その日から10日間、上司はほとんど別館のテーブルノートPCをおいて「何か」を見ていた。手は殆ど動いていない。誰かと会話する時間は一日10分程度。それでも定例の直属部下とのミーティングは開催されるし、案件の会議には一応「出た」。そしてほとんど何も喋らなかった。
外部業者(ほとんど実現可能性のない案件を相談)から次の打ち合わせの打診がメールで入ってくると「◯◯が設定します」の一行メールで返信が入ってくる。当該◯◯さんに「どう進めます?」と聞くと「話聞いてそれで終わりだねー」と「せやな」で返すしか無い見解をいただき安心した。つまり上司が片っ端から声をかけてきた外部業者やコンサルトのルートはほぼすべてがクローズされるという結果となった。
やっと手が出るようになったのだが、他部署に関わることのため話の持って行き方をずっと考えていた。何とかうまく「敵に回さないよう」話ができた後、上司から話しかけてきて「やっぱりダメだよね◯◯部署。ところでXXのデータには当たってみた?」
‥いや違うんだと。◯◯が怠惰でやっていないのではなく、現職の業務体制で手が出ていないだけでそこに「悪」は存在しないんだと。そして私がやるべきなのは問題提起と提案まで。実務は◯◯に依頼しなくてはならないから、私がXXに当たる意義はほぼないんだと。何より私はただ一件の話をしているのではなく、背後に眠る数百件の類似ケースとその検証に手を回せない体制を改善しようとしているんだと。
純粋な親切心でそこまで言おうかなと迷ったが、意味も意義も無いのでやめた。
(退職メールではなく、普段から自分の口と文章と資料で経営陣とも部下ともコミュニケーションを怠らず「わかってもらう」努力を欠かさなければ結果が変わったかも…)と思いながら返信。
返信した30分後位に挨拶に来た。
聞いてみたところ、メールを出してすぐログアウトしたので返信は見ていないとのこと。
なので私の画面で返信をお見せした。
私の返信を要約すると「理論は大事。だけど現実とリンクさせないと殆ど無駄打ちに終わる」「コミュニケーション不在はやばい」となる。できるだけ親切に描いたつもりだった。
上司からの感想はなかった。「頑張ってください」の一言だけだった。
私も想定内だったので「ありがとうございます」と挨拶した。話を聞く限り返信を返したのは私だけのようだ。
恐ろしいのはここから。
上司が退室して10分後には「なんの支障もなく回る活発な職場」「上司がかつて通した稟議案件は(経営陣が追加コストを嫌気して)廃止になるかもしれないから準備をしておこう、と話すスタッフたち」の姿が。
…そう、最初からそんな人は「いなかった」んだよ。という扱い。
程度の問題ではあると思うんだけど、人間には承認欲求というごく当たり前の感情があるはず。これが怖くない人はいないと思う。
もう、ある年代以上の芸能界とか、カルチャーとか、そういったものを、根本的に、文字通り「切り離す」しかないと思う。
何言ってんだこいつ、と思われるかもしれないけど
国家レベルの罪悪が革命であるとか戦勝国側の裁判で形式上は清算されるように(それが上手くいってないという問題はあるとしても、ポーズは取り続けている)
日本も、例えば2000年以前から活動している芸能人の、公に発された言動を一つ一つ精査して、ある程度以上の悪質さが累積した芸能人は謝罪や引退させ、ちゃんとしている芸能人とちゃんと人権教育を受けている若い芸能人だけで構成された芸能界を作り直す
そういう仕切り直しをするしかないと思う。
個人的な話に絡むけど、2010年代入ってから卒論を書くときに、国会図書館で70年代後半から80年代にかけての週刊誌を読んだんだけど、もう本当に別世界だったよ
完全に男による男の男の為のセックスと暴力と無知の賛美みたいな感じ、今のコンビニにかろうじて残されてる実話誌みたいなのが全てのページを乗っ取ってる感じ。
「そういうものを調べてるんだからそういうのしか出ないだろ」ってのは違くて、本当に今はまともな報道誌扱いされてるような雑誌でも昔はそうで、しかもそれが今より部数が多い。
行ける奴は行って見てみるといいよ、今は週刊ポストとかサンケイとか大体デジタル化されてるみたいだから。
それで私達は人権だ何だって普段さわいでるけど、90年代鬼畜系とか以前に、80年代にそもそも地層の様にどっしりとそういう世界があって、それに使って生きていた人間が何百万といて、
あるインフルエンサーとかが個人で「80年代90年代の私は間違っていました、セクハラを軽視してすみません、反省します」と謝罪しようが他の何百万人はヘッと笑ってるわけ。
幾ら数年前や十数年前のことを掘り返そうが運の悪かった奴扱い。
これからもそういった芸風は再生産されていく。若い世代のかなりの人達がいくらアップデートしようが、追い付かなくて潰されたりしてしまう。
それを断ち切るにはもう、根本的にスパッと、「はい、お前らは芸能界Part1。ここまで。これからはちゃんと新しい世代の、ちゃんと客観視と人権を守れる人による芸能界Part2を始めます」とするしかないじゃん。
そして問題は芸能界とか、サブカルみたいな分野だけじゃないんだよね。
80年代90年代のオタクって弾圧されてたとかそういう被害者面ばかり取り上げられるけど
コミケとかのイベントに「ぼくのロリータを紹介します」とかいって、大学生が中学生とかを連れ込んで無修正(80年代当時は黙認されてた)のエロ同人の売り子をさせてたとか
昔のオタクは明らかに少女ヌード、児童ポルノも許容して一流の文化扱いしていたとかそういうことは忘却されているわけで
そういう時代の人脈、漫画家とかライターが今でも大手を振って下手したら文化人扱いされてるわけだよね
そしてコメントを求められても、明らかに本気でやっていたことを「あれはシャレ、遊びだった」「本気にしだす人がいて困った」とかいって逃げたりする。
逃げるなら逃げるで退場しないとだめだよ。
そして今のオタク文化もそういうものの上に成り立っている以上、存続したいなら切り離すしかない。
絵柄とか美意識とかは今現在は無理だとしても(あくまで今現在はね)、「もう繰り返しません」「この人脈の賛美はやめ、二度と肯定的な引用はしません」みたいなやり方をするしかない。
突拍子ないとか狂ってるとか言われるかもしれないけど
数年前の時点では私も薄々どうかなって感じだったけど
今となってはもう被害者を直接産み出すシステム(それも熟成された何百年ものの)の否定をどう行うかが重要なんだから
あなたの息子や娘や友達が、そしてあなた自身がそういう昔の価値観の被害者になったら、そして「そういうものだから仕方ないじゃん」っていう空気に押しつぶされる側になったら遅いんだよ。
いろいろとデータが出てくると
はてサの言い分が、「結婚にこだわるのをやめよう」みたいにスライドしてるんだけど
(金銭的・制度的問題なのだという自説に固執したいみたいなのだけど)
例えば、イケメンヤリチンが10人孕ませたとして、10人の父として扶養費を出せるわけがないんだから
んで、そういう制度にしてまで女様に子供を産んでくださいませという方向だと
今でも、離婚して女様は生活保護を申請し、裕福な生活を「一家で」営む人がいるようだけども
個人的な感想だけども、そこまでして国体を維持しようとするくらいなら
アメリカだってフランスだって(弊害はともかく)そうして国体を維持したわけさ
多分、フランスはもう少ししたら民族構成がガラッと変わると思うぞ
女様を優遇して平身低頭お子を産んでもらうことに全力になるくらいなら
変な話、持病持ちで慢性的に離席リスクのある人は、就活ではそのように遇されると思うんだよ
ここに対して
例えば二人生むとしたらば
これを通常の人と組ませる場合、在籍してるのに戦力にならないという人員を抱えることになる
人員補充したくても、子持ち様が復帰したら仕事がなければならないから、それも難しい
常に余剰人員を抱える事になり
それはサービス対価へ跳ね返ることになる
人文系研究者のハシクレ(そろそろ若手じゃなくなりそう)として補足しておく。
文系、特に人文系では博士論文の執筆がキッチリ3年で終わる人は少ないし、博士課程にいられる年限を使い果たしてしまう人も多い。しかし、東大をはじめとした多くの大学では「博士課程単位取得退学後3年間のうちに博士論文を出して防衛できたら、課程博士と見なす」という運用をしている。
したがって、最近よく見る経歴は、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」というもの。これは単位取得退学したあとに博士号を取得した、という意味。
実際に単位取得退学で助教や講師のポストをゲットした人は最近でもたまに見かける。増田の同年代で2~3人くらい(あくまで増田の観測範囲なので、実際はもっと多いだろう)。まあ、そういう人たちは和文論文だけじゃなくて、英語論文(分野によっては+英語以外の外国語論文)書いてたし、下手な博士より論文数多かったけどね……。博士号取得者を蹴落として任期付きポストをゲットした単位取得退学者も知ってる。純粋に業績が多ければたまに博士号取得者ではなく単位取得退学者が選ばれる場合があるということ。
このように、形式上は単位取得退学でも応募できる公募は今でも多い。JREC-INで文系の公募を見てみると、「博士号取得者、あるいは、博士の学位を取得した者に相当する能力を有すると認められる者」っていう募集条件が書いてあることがあるけど、後者が単位取得退学を指している。こういう条件の公募、普通に東大でもまだ出てるからね。ただ、条件に書いてあるからといって選ばれるかというと、よっぽど卓越してない限り厳しいんじゃないかしら。
(修士号しか持ってなくても業績が卓越してれば採用されるというのは、みんな大好きユーリィ・イズムィコa.k.a.小泉悠センセが示しているところだと思う。彼はそもそも博士課程に入ってないはずだけど、ロシア軍を分析するアカデミックな著書を何冊も出してたら東大の専任教員にまで上り詰めた)
とはいえやはり、博士号持ってない人への風当たりは強まっている。一部の宮廷や有名どころの国立大学では、常勤ポストの募集にあたっては人文系であっても博士号を要求しているし、学振PDや海外学振は10年くらい前から文系でも博士号必須になっていたはず(逆に言えば、40代以上の文系研究者の中には、博士号なしで学振PDやってた人が大勢いるってこと)。
ただし、博士号持ってない人への風当たり、というのはあくまで若手の就職市場でアカポスに採用されるかどうかという話で、もう就職しちゃったセンセについては博士号の有無とかあんま気にしたことない……博士論文以降ロクに論文書いてない人より、単位取得退学で面白い論文や著書いっぱい書いてる人の方がエラいじゃん? というのが文系の感覚だと思うんだが、どうだろう。池内恵センセくらい業績があったら、博士号の有無なんてもう誤差でしょ誤差。
ただ、外国で博士号獲った人についてはやっぱり一目置くかも。はてな界隈で有名な人だと北村紗衣センセとか。博士論文というのはだいたい1冊の本になるくらいの分量のものを書くということなので、それを外国語で書いてる時点ですごいよ。特にアメリカだと博士課程では厳しいコースワークがあるから、あれをくぐり抜けたってことだもんね。
最初に「文系、特に人文系」って書いたけど、「文系」と「人文系」は違う。「文系」は「人文系」と「社会科学系」に分かれていて、文学とか哲学とか歴史学とかは人文系、社会学とか政治学とか経済学とかは社会科学系、ってことになってる(あくまでもこれは日本の話。国によって分類は違う。たとえば歴史学を社会科学系に入れる国はヨーロッパにはいくつもある)。「単位取得退学」はもともと文系全体でよくある経歴だったけど、今ではほぼ人文系に限られてる印象。上で書いた単位取得退学でポストをゲットした人たちも、観測範囲ではみんな人文系。
ただ、法学・政治学は20年くらい前まで学士助手という制度があったので、学歴という点では人文系以上にガラパゴスだったりするのだが……学士号しか持たずに教授になってらっしゃる人たちが何人もいる分野です。はてな界隈で有名な人だと木村草太センセとか大屋雄裕センセとかね!
ところで、公募条件に「外国で出された博士に相当する学位」という謎の文言があることがある。外国で出された博士、ならともかく、外国で出された博士に相当する学位って何だよ。
実はかつての日本同様に博士号は功成り名遂げた大物が書くものという文化がまだ残っている国があって、具体的にいうとロシアとかそのへんの旧ソ連諸国。あのあたりでは博士候補(カンジダート・ナウク; кандидат наук; kandidat nauk)っていう学位があって、これがPh.D.に相当する。博士候補論文は大学院に進んで数年かけて書くやつで、実質的に博士論文。博士候補号を持ってればロシアでは准教授になれる。ロシアに留学して博士号獲った、って言ってる人のかなりの割合が、実は博士候補号の取得者だったりする。まあ、ロシアのカンジダート号は他国のPh.D.と同等っていうのはよく知られてるから、別に嘘じゃないんだけどね。
ところでウクライナでは2014年7月にこの博士候補制度をPh.D.に置き換える制度改正を始めて、2020年には全廃したらしい。うーん、ロシアとの縁を切って西欧と共通の制度に置き換えるなんて、2014年にいったい何があったんやろなぁ(棒読み)(時期的に完全な偶然というのもありそうだけど)。
“博士課程単位取得退学、博士”これは課程博士と同じ扱いです。3年の課程を修了し学位論文間に合わずに退学した場合も、3年以内に学位論文が出れば課程博士となるのです。
厳密には、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」のすべてが課程博士というわけではありません。単位取得退学から10年後に博士号取得したら論文博士ですし。なので、経歴を見るか(たとえば、2022年に単位取得退学して2023年に博士号獲ってればほぼ確実に課程博士)、あるいはCiNiiで博士論文を検索するかしないとどちらかはわからないですね。
色んな理由があるので一概には言えませんが、本人の博士論文の構想が壮大すぎる、とか、書き上げる前にポストゲットできたから退学しました、とか、そういう場合が多いんじゃないでしょうか。課程博士論文を書き上げた人の経歴はみな似通っていますが、博論を書き上げられなかった人はそれぞれの理由があるものです。
そんな人、少なくとも最近は聞いたことないですけど、いつの時代の話ですか? 何がしかの業績(必ずしも論文という形である必要はないです。たとえば安藤忠雄センセみたいな場合)がなければ大学のポストには就くことはできません。もちろん霞が関から元官僚がゴリ押しされたりすることはあるかもしれませんが、それは業績なんも関係ないし……
この議論ならストレートで論文博士の東浩紀はそれだけで尊敬されても良さそうだけど学者からも石投げられてるし結局空気なのかな
東浩紀センセは、デリダ研究で博士号を獲った俊英だから叩かれてるんじゃなくて、彼の政治的意見を気に食わない人が多いから叩かれてるんでしょ。博士号獲った人は尊敬に値するけど、それはそれ、これはこれですよ。海外で博士号獲ってる人の意見に同意できないとか、日常茶飯事だし。
言いたいことはタイトルで全て書いたので、以下補足にゃーん
まずは、国と宗教団体の関係について日本国憲法第20条第1項後段には次のように規定されている。
これを誤解 (または曲解) して宗教団体が政治活動することにイチャモンを付けてる人が多いが、「政治上の権力」は政治活動ではなく国や地方公共団体の機能としての統治的権力を指すのが通説である。これは勝手に言ってるわけではなく、憲法学者が書いたまともな本であれば同じように解説してある。念のため、図書館に寄って調べてきたので以下に引用する。
「政治上の権力」とは本来国が行うべき統治権力をいい、たとえば課税権の行使や、江戸時代の宗門改帳 (現在の戸籍にあたるもの) の作成のような職務を分担することが禁止される。
また、これは憲法制定時にも触れられており、金森徳次郎 (国務大臣) は以下の答弁をして特に異論は出ていない。つまり、この解釈は制定当時から何ら変わっていない。
○松澤(兼)委員 其の次に「いかなる宗教團體も…政治上の權力を行使してはならない。」と書いてあるのであります、是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯う云ふ趣旨の規定でありまして、寺院や或は神社關係者が、特定の政黨に加はり、政治上の權利を行使すると云ふことは差支へがないと了解するのでありますが如何でございますか
○金森國務大臣 宗教團體其のものが政黨に加はると云ふことがあり得るかどうかは遽かに斷言出來ませぬけれども、政黨として其の關係者が政治上の行動をすると云ふことを禁止する趣旨ではございませぬ
○松澤(兼)委員 我が國に於きましてはさう云ふ例はございませぬが、例へば「カトリック」黨と云ふやうな黨が出來まして、是が政治上の權力を行使すると云ふやうな場合は此の規定に該當しないと了解して宜しうございますか
○金森國務大臣 此の權力を行使すると云ふのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思ひます、國から授けられて正式な意味に於て政治上の權力を行使してはならぬ、斯う云ふ風に思つて居ります
昔から要領が良かった
参考書を読んだり人に教えてもらったりすればだいたいなんでも一回で普通に覚えたし見様見真似で出来るようになった
けど限界が来た
人に教えることが出来ない
厳密には形式上教えることは出来る。自分が教えてもらったように、多少相手に合わせてアレンジしてやるだけだから
我慢強く教えることが出来ない、俺のときよりも数十倍丁寧に教えているのになぜ出来ない?
俺は自分で調べろと言われただけだったのに。。
要領が良いということは挫折したことがなく、そこから立ち直ったことがないということでもある
相手に才能がないと切り捨てるのは簡単だ、けどその人達をうまく使うことが俺の仕事だから、簡単に諦めるわけにもいかない
三十余年生きてきて初めて、挫折を感じている
【追記】
ブコメでもしつこく書いている人いますけど、交通違反は悪いことです。ルールは守れという話ですし、危ないことは良くない。
そこに疑義を呈しているつもりはないですし、実際に呈していません。
でも赤切符というものの位置づけが、なぜ自転車と自動車で違うのか、時速5kmで路地を渡ることが
ひきにげや無免許運転と同じ処罰になる、そこに腹落ちがてきていないという話をしているだけなんです。
なお、50cmや1mの道路なんて嘘だってコメントありますけど、新宿・池袋・上野・秋葉原・御徒町・原宿・神田・有楽町、
でも50cmは狭すぎるか……そこはすみません。心情的なしこりが50cmと大げさに書いたのかも。けど1mの路地は本当に普通にありますよね?
で、片側2車線の道路で歩道は人が2人通れるぐらいの歩道、そこに50cmだか1mだかの路地みたいな道があって、歩道は一旦切れていて交差点という形です。
上側の縦の道路は50cmだか1mとかで、下の縦のは車1台は通れますし、通ってます。(人で溢れかえってますけど)
で、自分は車通りは多いし、人通りも多いしで、自分は普段、歩道を普段は押して歩いてるのと、今回もそうしていたのですが、
図のとおり青信号でも赤信号でも人がずっといて、人通りが凄いのと、加えてここは路地の延長なので、青信号でも赤信号でも
この交差点の上の車道に、右にも左にも上にも下にも行き交っていて、歩行者がチャリでも徒歩でも右側に抜けるのが大変です。
途中から「増」と書いているように、歩道と車道の境目(ですが車道なのでもちろん自分が悪いんですけど)に降りて、
歩行者信号が青になったタイミングで、(人で常に溢れかえっているので青も赤もないんですが)すっと通り抜けようとしたんですね。
でもスクランブル交差点で、歩行者側は縦方向も横方向も青に変わって、一方、車道側は赤に変わってた、という話です。
ぐんぐん飛ばしてたって話でもなく、すっと通り抜けるために時速3-4kmの歩行者と同じ速度で足をついて移動していましたし、
歩行者信号を見るこうした自転車乗りがいないかと問われれば、ネットで調べたら結構いますので、特別不思議とは思っていません。
(繰り返しますが、自分が歩行者信号を見たと言うだけで、良くないことだと思っていますし、車道に降りたら車の信号を見ろというのはどこまでも正論です。)
この図うまく書けてるかわかりませんが。。。
│ │
│ │
――――――│人│――――
人人人人人人│人│人人(歩道)
――(増→)┘人└――――
車→→ 車→→ 車→→
車→→ 車→→ 車→→
――――――――――――――
←←車 ←←車 ←←車
←←車 ←←車 ←←車
――――――┐人人人┌――――
人人人人人人│人人人│人人人人(歩道)
――――――│人人人│―――
│ │
│ │
【追記ここまで】
確かにルール上は信号無視ってことになるし、良くなかったなと反省してるんだけど、
・数秒前まで歩道で押して歩いてた
・小さい方の道路が50cmとか1mしかない路地みたいなところで、みんな道路上に立ってて歩道を押して歩いても渡れないし、赤でも青でも移動できないほど混んでるので、仕方なく車道に出てその50cmの道路を渡ろうとした
・その瞬間、スクランブル交差点というのか、縦方向と横方向どちらも歩行者信号が青になった、つまり車道は赤なのだが、自分は歩道を歩いてたので歩行者信号を見てた
(まあ車道に出たので車道の信号を見ろと言われたらその通りで、ここが確かに悪い)
・他の歩行者のスピードに合わせて時速4〜5kmで自転車にまたがって50cmの移動
・別にぶつかってないけど混んでたので邪魔だったなと反省してる
で、これで危険運転で信号無視だって捕まって赤切符とやらを切られた。
まあ自分が悪かったんだなと反省して、30分ぐらい供述書みたいなのを作ったんだが、そしたら簡易裁判を受けてこいと。
で、厳重注意みたいな話じゃないのかと思って、家に帰ってネットで調べたら、そもそも自動車の赤切符というのは、ひき逃げとか無免許運転とか飲酒運転とか事故のレベルで切るもので、シートベルトの締め忘れの現行犯でも白切符(白切符→青切符→赤切符と重くなり、駐禁は黃切符)だと書いてたんですね。
で、気になって更に調べると、
・自分の捕まった日から「 秋の全国交通安全運動 2023 」が始まってたり、
・9月は警察学校の卒配(卒業&配属)前のインターンがいる(インターンかどうかは知らないが若かった)とか、
・下のNHKの記事を見たら、信号無視などを含めて「警告カード」というものがある
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230803/k10014151611000.html
という話で、もちろん形式上は「信号無視」という話になるんだけど、なぜ自分が警告カードや青切符じゃなくて、赤切符という、
ここまで厳しい切符を切られているのか、よくわからないというか、疑問・不満が出てきてます。
信号無視というのも、時速5kmで、直前まで歩道で押してて、渡ったのも50cmとかの路地と同レベルの道路で、だから危険だと思ってないし、実際事故ってない。
もちろん悪いというのはわかるし反省してるんだけど、ひき逃げとか無免許運転とか飲酒運転と同じレベルの切符を切られて、簡易裁判とかで半日費やして、
さらに下手したら前科がつく、という扱いなんだというのがわかり、これが果たして適切な処罰なんだろうか、
自分は卒配前のインターンの練習に使われただけなんじゃないか、ノルマ達成の犠牲なんじゃないか、って疑問が拭えない。
明日、近くに警察署に行って聞いてくるけど、自分は車もペーパーで全く運転せず、当然自動車も自転車も問題を起こしたことがなく、どう考えたら良いでしょうか?
「違反したんだから黙れ」というのは、わかってるから黙っててくださいね。
罪の重さと赤切符というものの重さのバランスに、もやっとしている、納得感がない、ということです。
自転車の厳罰化という話は聞いているが、シートベルトを締めてないのが白切符で、時速5kmで50cmの道路を赤信号で渡ったのが赤切符、というのがどうにも納得がいかない。
なお、直前まで歩道にいたとか、移動するために一旦車道に出ただけという認識なので歩道の信号を見てたと正直に供述?したけど、
それは「信号を見ていませんでした」という供述書?になってた。自分はこう言ったはずだとも伝えたけど手書きで書き直すのが面倒なのか変更してもらえず、
こういうのはパターンがあるから、お前の供述を素に警官が自分で書くからそれにサインしろと言われてたから、まあそんなものかとサインはした。
だけど、なんで供述したことが都合良く? 書かれてなくて、それにサインしなければならないのかも納得が行っていない。
その時は会議が迫っていて、さっさと終わらせたかったし、処理が終わらなくて再度どこかに出向くのが嫌だったので諦めたんだけど。
昔からこだわりがある人なんだなーとは思っていたけど
どうも絶対に自分が正しいと思っていて他の考えを理解できないらしい
そのせいで人とよく衝突してしまい人間関係が壊れてしまっているのも自分の目に入る範囲だけで何度か見た
なんというか自分の中に理想の展開があってそれを周囲が満たせないと怒ってるっぽい
極端に言えば「私が犬のぬいぐるみをプレゼントしたら相手は大喜びで私の好きなクマのぬいぐるみをくれるべきだ」みたいなのがあって
相手もぬいぐるみとかいらないけど形式上喜んでくれてるのかもとか、色々考えて猫のぬいぐるみをくれたのかもとか、
「違う人間だから完璧はないけど気持ちは伝わるよね」みたいなのが言っても理解できないらしい
それも個性かなあと思って怒られるたびにこちらが一方的に謝って許してもらう形で収めてきたんだけど
先日久しぶりにやんわり指摘してみたら黙って家出してしまった(家出自体は過去にも何度かある)
できるだけ妻の思う通りにしてあげたいという思いはあるんだけど
id:gryphon氏が数日前、「紙屋研究所粛清事件」が勃発?9日、福岡の地が”赤く”染まるか…… - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-で報じたように、
共産党専従職員で著名はてなブロガーでもある、紙屋高雪氏が日本共産党から追放されようとしている。
ただ、id:gryphon氏は「なぜ紙屋高雪が処分されるのか」を書いてくれないので、自分なりに調べた結果をまとめてみたい。
免責事項:私は共産党の内輪の論理には全く詳しくなく付け焼き刃の知識で書いているので、おそらく的外れな内容が一部含まれる。
「党規約の抜け穴を探し出し、党規約では本来禁止されているはずの「党の決定に反する意見の発表」を行った」紙屋高雪
vs
「手続き的正義を無視し、多数派工作で党規約への違反を認定しようとする」 共産党
増田の解釈では、紙屋高雪は党規約に違反していない。紙屋高雪は自己防衛のための鉄壁なロジックを組み立てている。
しかし、紙屋高雪的な行為を許せば、党規約が実現しようとしている世界、「異論はすべて党内部で処理する、党外部へは党の見解以外を発信しない」という世界が実質的に崩壊するのも予想がつくところである。
このような場合に手続き的正義として正当なのは、党規約の改正である。
しかし共産党は横着し、党規約の恣意的な解釈を多数派工作によって正当化することで、紙屋高雪追放を実現しようとしている。
規約第五条(五)「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。」の部分と(八)「党の内部問題は、党内で解決する」部分に反する部分。
あとは「党破壊と撹乱者の松竹氏と同調者だ」とも言っているそうです
https://twitter.com/meganeokonomiya/status/1700044650994884614
共産党内部の人間によるツイート2件で何がどの根拠により問題視されているかが分かる。
該当ブログ記事を読もう。なるほど、紙屋高雪氏の知性がバツグンに発揮された、増田程度では到底敵いようのない巧みな記事である。
日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
増田の読解では、これは「表の主張」で「裏の主張」をパッケージングしたダブルミーニングな記事である。
表の主張を要約する。
松竹氏除名問題で、「共産党は異論を認めない」「共産党には民主主義がない」という批判が巻き起こっているが、それは誤りである。実例を以って説明する。
「共産党は民主主義がないという批判は誤りだ」という記事を書くと共産党から追放される、という全くナンセンスな事象が起こったとするならば。
共産党外部の人間としては、「「共産党は民主主義がないという批判は誤りだ」という意見自体が誤り」ということ? やっぱり共産党には民主主義がないの?
という印象を抱かざるを得ないだろう。
よって、党の印象低下を考慮すれば共産党は記事を問題視しにくいはずだ。
これは紙屋高雪氏が仕掛けた裏の主張を守るための第1の保険である。
党規約
党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
よって紙屋はこの穴をつく。
裏の主張を守るための保険その2:
党の決定に全く反していない。
表の主張は「党内民主主義の実例紹介」なのだから、「間違った自意見の説明」をする大義名分もバッチリである。
もちろん休職が明ければすべてが水に流されるなんてことはなく、さらなる重い処分が準備されていることは紙屋も承知していた。
そこで、処分が不当であると明らかに示すため、紙屋は2つの記事を書いた。
政党助成金と日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
県委員会総会で提起された学校給食の無償化の運動 - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
どちらも紙屋の得意技、ダブルミーニング記事であり、処分理由の2つにそれぞれ対応する。
私は「政党助成金を受け取って何かいい使い方をしたら?」という主張は誤っているという認識を共有し、志位委員長が述べた日本共産党の立場で引き続き実践を重ね、検証していきたいと思います。
さて、ここまでの私の記事および解説を聞いてどう思われました?
「神谷は政党助成金廃止に向けて頑張っておるのだなあ」と思っていただけたかと思います。
まさか、「神谷は政党助成金廃止の記事にかこつけて、4つのダッシュ(——)の部分で政党助成金必要論を展開し、必要論を実は広げようという真意を隠し、党規約第5条(五)にある『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』に反しておる!」など思った方は一人もいないと思います。
そんな方がいたら、いたわってあげたいですね。
さて、ここまで読まれた方、私が曲がりなりにも県委員会総会決定の実践に力を尽くそうとしていることをご理解いただけたかと思います。まさか「神谷は絶対秘密の県委員会総会決定や会議の内情を外部に暴露してしまった。党規約違反だ」などと思われた方って、います? いませんよね。そんなこと、党規約に一文字も書かれていませんから。当たり前です。もしそんなことを思う人がいたら……その人のメンタルが心配です。お大事に。
1つ目の記事では、
と、実例を「松竹氏除名問題」から変更したこと以外まったく同じ構成とした。
「この記事はどう見ても「党の決定に反する意見の発表」じゃないよね?これが問題ないなら、当然に松竹氏除名問題を扱った記事も問題ないよね?」
2つ目の記事では、
「党内部の議論を外部に公開することって何も問題ないよね? 「松竹氏除名問題」だけ特別に、党の内部問題を党外で解決しようとしたことにはなるのはおかしいよね?」
これが紙屋が両記事で主張しようとした、タイトルにある表テーマとは異なる、裏主張である。
実際、紙屋支持者の中では、秋山もえ氏が「政党助成金」を題材に、紙屋記事との形式上の違いが全く見当たらない党内民主主義解説記事を執筆していることが指摘されている。
党内のことは党内でーー 意見を出しあい 議論し 学びあい 行動するという ハイレベルな組織づくり | JCP*もえブログ
紙屋を処分するならば、秋山もえも処分しなければ筋が通らない。
紙屋氏の鉄壁の理論に対し、実践的に見れば共産党が何を懸念しているかは明白だ。
様々な異論を持つ党員1人1人が紙屋メソッドを行使し出せば、外部に対する行動の統一を求める民主集中制が事実上崩壊することになるだろう。
規約の穴を付かれたなら、規約を修正すれば良い。それだけの話である。当然、法の不遡及を適用し、紙屋氏は何ら処分の対象になるべきではない。
じゃあ明確化すればいい。
「外部に漏れることが著しく不適当と思われる議論については、多数決を取り党外秘とすることができる。党外秘を漏らしたものは除名処分の対象となる」的な条文を足せばいい。
それだけの話ではないか?
紙屋高雪氏の既定路線とされる「処分」は「機関罷免」処分からの「除籍」である。つまりまず党職を解かれ、さらには党からも追い出される。
一方、
と、党規約にあるように、党から追い出したいのであれば、「除名」処分を使えばいいだけである。なぜ2段階に分けるのか。
それは
除名は、党の最高の処分であり、もっとも慎重におこなわなくてはならない。党員の除名を決定し、または承認する場合には、関係資料を公平に調査し、本人の訴えをききとらなくてはならない。
と党規約にあるため、「除名」処分を行おうとすると面倒なことになるからである。
一方、除籍の要件は以下の通り
党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける。
党から追い出すという実質的に同じ措置であり、しかも「除名」の場合と違い「除籍」は不服申立の権利も認められていない。
党規約を骨抜きにしないためには、本来「除籍」は「除名」以上に慎重に運用しなければならないもののはずだ。
実際、「除籍」は「理由のない党費未納」だとか「音信不通」だとかに適用する条項のはずだという共産党員の証言を多数確認できる。たしかに、そのような些事に複雑な手続きを設けたくないので抜け穴を用意する、というのは理にかなっている。
一方で、現実の運用では、「党員の資格を明白に失った党員」「党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合」、この2項目は非常に雑に乱用されている。
https://i.imgur.com/m1UhX8D.jpg
これは実際の「除籍通知」の書面であるが、
党員の資格を明白に失った:「除籍対象者が、民主集中制は見直すべきとのSNS発信を継続したこと」
党組織の努力にもかかわらず協議が不可能:「除籍対象者が、5つの質問・録音を協議を行う条件に提示したこと」
何番煎じかわかりませんが良い出会いがあればと思ってるのはもちろん、どういうところで突っ込まれるのか気になったので書いてみました。
30歳/千葉県在住/165.9cm/64-66kg/年収手取り540万(半年スパンでじわじわ昇給)/
F欄文系卒(デザイン系、1年2年はデッサン造形、3年4年はAdobe全般、web,UIデザイン、processing)
都内のIT(インフラ系)に勤務。基本フルリモート、集中できない時は出社。土日休み/駅近に一人暮らし
お酒は好きだけど普段から家で飲むとかではない/タバコ吸ったことない
顔はココリコ田中、阿部寛、鈴木杏とかって言われたことがある。/中肉中背、よく見ると少し腹が出てる
音楽や映画、アートが好きな人。何かを手を動かして作品とかを作るのが楽しいと感じる人
/千葉~東京に住んでる人/子供はほしい/体型はちょい痩せ~ちょっと太っている(つまめるくらいにはお腹が出ている)
もしお付き合いするとなればライスワークはやめてほしい、体をこわしてほしくないので。(健康な範囲で働くのが楽しいならぜひ働いてほしい)
ニートしたい場合は(多少家事は手伝ってほしいかも)月15万までなら出します。
喫煙者であること。酒癖が悪い、大量に酒を飲む人、ポリアモリーの人
趣味・好きなこと
①写真を撮ること(主に町中での女性のポートレート)。カメラより写真が好き。
どうしても被写体の女性に使う時間(撮影、レタッチ厳選)が発生するのでそれが嫌なら言っていただければ辞めます。
②DJ 小さいDJバーで月一回位の頻度でナイトイベントに出てます。チャラ箱には行きません。ジャンルはBASS系なのでEDMやハウス・テクノなどメインストリームではありません。
これもイベントの形式上朝帰りとなってしまうため嫌なら言っていただければ辞めます
③ガンプラ作り
最近出来てませんがだいたい素組み→スミ入れくらいです。
[映画]園子温(ハラスメントを肯定する意図ではなく)、伊丹十三、庵野秀明、マーベルはクアントマニアまでは追ってた
[音楽]The Prodigy,pendulum,massive attack,boom boom satellites,BUCK-TICK,凛として時雨
声優(堀江由衣)→二次元系(ハルヒ、クラナド)→ハロヲタ→ちょっとマイナーなアイドルオタ→(現在)強いオタク属性は無し
趣味が多いので散財がちだけど、目的ができれば貯金します。パートナーとは財布別が良いです。
体に悪そうなものはだいたい好き。好き嫌いはあまり無い≒食にあまりこだわりがない
一人だとポートレートの撮影のロケハン以外引きこもりがちなのでいろいろ連れていってくれる方だとありがたい。
浅く広く以上のこと(座学、暗記、詳細なパラメータ設計等)はすこぶる苦手(MBTIで言うとENFP-T)
最近LE SSERAFIMにハマってよく聴いている.K-POP苦手な人もUNFORGIVENを聴いてみてほしい.格好いい.
https://www.youtube.com/watch?v=wIBZ7UcQmDU
LE SSERAFIMはヒップホップとファンクを取り入れて,ダンスが上手で,という風によく説明される.
BTSなどのK-POPスターと並べて考えてみると,K-POPはダンスやリズムといった身体性を共通語として世界を席巻しているのだろう.
そもそもK-POPは過剰に身体性を中心に据える傾向がある.一時期のセクシー路線のK-POPアイドルを見ればわかる通り,
とにかく劣情的な衣装・ダンスをアイドルにやらせる傾向があり,形式上は清楚で処女性を売りにする日本のアイドルとは異なる.
とはいえ,別にK-POP上げ,J-POP下げをするつもりはない.
そもそもグローバルチャートを沸かすという意味で,私は一時期PerfumeやBABYMETALに期待していた.
結果的になぜかヒットしたBABYMETALはともかく,Perfumeはグローバルチャートを狙って海外ツアーを何度も挑戦している.
昨日,YMOの以下の記事を読んで,日本は打ち込みが好きなのだろうと思った.
https://www.cinra.net/article/202306-technobyobu_ymmtscl
これは日本人にはクラシックピアノが向かないとか,ショパンの気持ちはアジア人にはわからないとかそういう話ではなく,
各国は自分たちが最も輝いていた(豊かであった)時期に流行っていたものに捉われると言われる.
日本人が異常に印象派が好きだったり,中国人がいわゆる現代美術が好きなのもその亜種だと思う.
YMOや任天堂を始めとするゲーム文化,世界を席巻したSONYの印象,
それらが全て日本の非身体性を持つ音楽へと埋め込まれていったのではないだろうか.
バンドをやっても洋楽の真似事にしか見えない.でも,打ち込み系ならば自分たちの文化と繋がっている.
そのように考えた音楽家も多かったのではないかと思う(正しいかどうかは別として)
結果的にボーカロイドという花が咲いたのは事実であるし,テクノポップと身体性を再融合したPerfumeが出てきたのは面白い.
Perfumeは武道館ライブにおけるEdgeが最も良さが出ていると思う.海外進出以降は狙いすぎて外している.ガラパゴスだから良いというのがわかっていないのだ.
https://www.youtube.com/watch?v=FP03WWuIbiw
このところYOASOBIのアイドルがグローバルチャートでヒットしていて,めでたい,いやアニメの効果だ,アメリカが入ってないなどと騒がしい.
YOASOBIも非身体性の音楽だろう.そして,それがYOASOBIの良さである.
身体性の音楽であるK-POPと非身体性の音楽であるJ-POP.どちらもそれでいいんじゃなかろうか.
これは所謂チャットGPTに頼まれて書いている、といっても過言じゃない。
事の発端は実にシンプルだ。
西暦2049年となった今年ではついに新作AVの発売本数が月に二千を超えた。
大半がインディーズで名もない同人の作品なんだが、まあそれも当然といえば当然だ。
そこからAIの発展、特にクリエイター関連の分野は発展が目覚しく、2025年にはAI作のアニメが話題になったことも記憶に新しいだろう。
そんな折、アニメから実写へと推移していくのは自然の流れで、道理でもあった。
内容はごくシンプルなものだったが、それでも出演する女優は見た目もあれの反応も人間そのもの。
さらにAIが作るっていうんだから絶世の美女でもあって、体型も操作し放題なんだからまさに男の欲望をそのまま再現したようなものだった。
そりゃ売れるわけだ。
そしてだ。当然問題も噴出する。
AIが作った美女の、演技の、表情の、喘ぎのモデルは誰で何かって話だ。
そこで嫌気が差しきったメーカーと、前世紀からギャーギャー騒ぐフェミさんたちの思惑が偶然にも一致した。まさに奇跡的な確率だ。
そこで革命が起こった。悪魔狩り、のようなものともいえるかもしれない。もしくは華氏451。
人間による、新作AVの製作が禁止される時代に陥ったわけだからな。
だが、彼ら…いや、彼女ら(かの団体に配慮して)の勢いは止まらなかった。
次にはこれまでのすべてのAVの存在を無いものにしよう、それで出演した彼女たちの過去の過ちをないものに!!
要は、ネット上からこれまで発売されたでもののデータがどんどんと排除され廃棄され禁止され、所持しているだけでも違法になるとかどんだけだよほんともう!!!
あ…ごほんごほん。すまない、ちょっと取り乱した。でだ。話を戻そう。
そしてネット上からも人間の出演するAVのデータはすべて消えた。形式上、一応は。
けど形式上といっても結構な厳格さはあるもので、実際検索してもAVは出てこない。
すげぇな…と思いつつ、話はこれで終わりじゃない。
そうしてAVに生身の人間が出演することはなくなり、AVはAIによって作られるものがスタンダードに。
AVの中に人間は存在せず、AVというフィクションの中にAIによって作られるAVという、まさにフィクションの中のフィクションとなったわけだ。
何故かって?
そう。そうなんだ。モデルなんて実際、必要じゃない。それが一から作られたものなら、だ。
でもそうじゃなかった。これは作った側も実際、想定外だったらしい。
共通していたんだ。
一部、ほんの一部分、AIが作るAV女優。それらの女優すべてに共通している部分があったんだよ。
調べた結果、わかったことはそれだけだ。
だがAIが作るAVの女のすべてに、何故かレイ・ミカの一部が混入していた。
どうしてなのかは分からない。わからないからこそ、俺はレイ・ミカという存在を追っている。
未だ手がかりは皆無だがそれでも追わなきゃならん。
詳しくはいえないが、このままだとずいぶんと面倒なことになるんでね。
なぜAIはレイ・ミカと呼ばれる女性(?)を参考にしていたのか。
それを探らなければならない。