はてなキーワード: 弟君とは
それより人とのコミュニケーション能力を身につけてほしい。
いろんなものに興味を持ち、自分だけの世界で生きるのをやめてほしい。
それには、社会に出るのが一番だと思う。
おねえちゃん、わかってないな
それが出来るようになるために社会に出るんじゃないよ
身内のことだし、色々認めたくないのもわかるけど、弟君は完全に社会で持て余すタイプの人間だし、実際、それ相応の扱いを受けてその年になってるわけでしょう
横柄な態度も、自信のなさの裏返しじゃん
専門家の手を借りよう
精神科通ってるなら、弟のことも相談して、そのうち弟も連れて行ってみよう
お姉ちゃん、その辺の優先順位を間違えて、先を目指さないように
あと、お姉ちゃんがいくら稼いでいるのか知らないけど、月20万くらいは稼げてないのなら、同じく危機感持った方がいいよ
稼げてるなら余計なお世話でした
どこかで感想を発散したいのでここに書く
2004年にMOON STONEから発売された『何処へ行くの、あの日』をプレイ。
霜月はるかが歌うOP曲「追憶の破片」が大好きであった自分はいつかプレイすると心に決めていた。
夕焼けが象徴的だったためにシナリオは間違いなくしんみり系だろうと期待大。
・桐季ルート
典型的なおっとりお姉ちゃんキャラで印象は良い、多少アダルトな下着に面食らう。
(この時点では他のルートをやっていないため、消える可能生の世界だと知らなかったのだが)
・一葉ルート
攻略を見た感じネタバレはなかったため参考にしてルートを確定。
北都南、明るい、ダークな一面、双子設定ときて素晴らしき日々の希実香と若槻姉妹の元なのではと。
精神科医の話と性的虐待の件でネタは想像がつくだろう、勿論すぐに種明かしが来るわけですが。
立ち絵は可愛らしい感じなのに、一枚絵では大人の女性っぽさを受けるが悪く無いと思う。
・智加子ルート
色々と残念。
まず立ち絵が他のキャラと比べて異質、一枚絵でも髪型が悪さしてプラスな印象にはならない。
共通や他のルートでも図書委員という設定が地味で目立たない、弟君がいなかったらサブキャラでも問題ないレベル。
また、endはかなりのbadなため救いようがない不遇なキャラ。
①マージは戻った過去の自分が行う可能性のある範囲で行動し未来を変え得る
②各ルートはおそらく異なる世界線、outer planetが流れる妹が自殺した世界が本来の世界という仮説
③妹の手術が失敗した回想(世界線)が中盤で挟まれる、これの意味は不明
④サンデーは異常、千尋が絵馬とパケで並んでいるため物語の鍵か
こんな感じで頭の中で整理が付く
・千尋ルート
共通ルートを済ませてからは全体シナリオの「転」に当たる部分がやってくる。
千尋の正体が判明しアレと同様の可能性の世界を消す存在とわかる、同時に千尋がいない世界が本当の現実とわかる。
立ち絵は好みではないが一枚絵で可愛さが際立つ。
序盤のネタキャラ的な一面はうーんとなるが、終盤の重要キャラとしてのギャップはありかな。
絵麻ルートでも多くは彼女と一緒におりしっかり好きと伝えられる、直前ルートが千尋なため絵馬に集中できない。
・絵麻ルート
千尋ルート後のデータで再開することで、妹が自殺した世界に千尋がいるとわかる。
今までの可能性として追ってきた世界は全て絵麻(幼少期の絵麻?)が見ている世界。
絵麻ルート終わりでは絵麻ルートを最後に可能性を全て見終わったと伝えられる。
一部不快な展開や幼なじみが離れていったりと割と暗い、最終でこの展開はどうなんだろうか。
その後
A世界…絵麻が手術で助かるが自殺し、恭介の心に無理矢理居場所を作る世界(千尋が存在している)
B世界…絵麻が手術で助からず、そこまで後ろ向きな気持でない恭介のいる世界(千尋が存在しないため本当の世界)
・トゥルー
現代と幼少期の絵麻と千尋の会話が交互に展開。
絵麻が外にいるため手術から快復、千尋はアレの摂理から外れ独立した存在になった(消えない可能性の世界or本当の世界)
その場合、現実だったはずのB世界をどう取ればいいかわからなくなる。
可能性でない本当の世界が2つあるように思え、トゥルーは単に消されないだけの可能性の世界でいいように思える。
智久は落下事故から救われてはいるが、一葉の家族は離散、桐季の妹は事故死したのだろうか。
各ヒロインについては今後恋人になる可能性が示唆されていたのでおそらくは智久生存以外は変わっていないか。
幼なじみの智久が死亡している時点で、トゥルーは生きている世界だろうとは想像していた
妹が兄への恋心を諦め、仲間との友情を取りトゥルーとい流れは自然
しかし、心情の変化は丁寧に描写していても直前にB世界が本当と受け取れる見せ方のために少しご都合過ぎかなと
妹ゲーと評されているようだがそこまで妹を人気になるような破壊力はなかったかなー(妹が全てのシナリオって事か)
暴力団、お嬢様、ガリ勉眼鏡、一葉の兄、サンデー、色々あるが詰め込みすぎて情報が増えすぎてる
シマタケ君はかなり良い印象なキャラだっただけに幼なじみグループに混ざれなかった事が可哀想、実家も地元なのに
シナリオは全て込みで高水準、普通に今どきのギャルゲーなんかより面白い
パッケージやopから受け取れる印象通りの仕上がりで期待は裏切らない
選択肢で頻繁に日常パートが変化する作りこみも熱意が感じられて非情にいいと思う
システム面も2004年の作品にしては十分かな、セーブスロットはもっと欲しかったけど
Bgmは場面ごとに適切な雰囲気の曲が当てられいた、ぐっとくるものは少ないがmissing place、outer planet、againは良い
おわり
僕と彼が付き合って、二年ぐらいしたとき、家族の話しをほとんどしない彼が突然
正直、どうでもよかったのだけれど、弟さんは極度のブラコンらしく一人暮らしの彼の家に遊びにきては
「一緒に寝ようよー」だとか「ちんちん探しっこゲームしようよー」などとベタついてくるらしい。
たしかに、それを聞くと恋人としては黙っちゃおれんなあ、と腕まくりして弟君に一言言ってやろうと思ったら、
彼が予想外のことを言い出した。
いやあ、ないね。
さすがに、実の弟とセックスしたがる人と恋人関係ではいられなかった。
ただまあ、女装男子に興味がないわけでもなかったので、写真だけ見せてもらったけど、
あーあ、今思うともったいなかったかなあ。
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大雪の中、正月に帰省すると、実家暮らしの姉と姉の幼馴染の友達がいた。
久しぶりと、愛想良くあいさつをしてくれたが、
姉の友達は、28才の看護師、最近になって良く遊びに来ては、一緒に酒を飲んだりしているらしい。
姉と姉友がキッチンで夕飯の支度をしていた。
しばらくして姉友がビール瓶とチューハイのおかわりを持って来た。
『弟が寂しがってるから姉友ちゃんも飲んでなよ』
と聞こえ、
姉友は僕の隣に座ってビールを呑みだした。
ほろ酔い気分の僕は緊張もだいぶ解けてきたのでいろいろ話かけた。
しばらくして姉友との会話にも慣れてきた僕はさらに積極的になってみた。
僕『姉友さん、彼氏作らないの?』
姉友『仕事が忙しくてね、1年くらい前には居たけど!それからはあっちの方もご無沙汰』
といきなりの下ネタトークw
僕は童心に返って、小学生の頃のように冗談半分で、姉友の太ももを触りながら
『姉友さんは、綺麗だからその気になればいつだって出来ますよ』
姉は、ビール片手にニコっとして、拒まなかった。調子に乗った僕は手を伸ばし、パンティの上から陰部をまさぐってみた。すると少し眉間にシワをよせて、 声を漏らさない様にガマンしていた!
「夕飯出来たよ!」
あわてて手を元に戻すと、姉が料理を運んできた!
姉は僕の前に座り、話ながら食べ始めた。
僕はまた手を伸ばして、姉にばれないように、ゆっくり摩って見た。
すると姉友は、触りやすくなるように足を開いてくれた。顔を見ると今度は平然としていたw
さすがに、触り続けてるとバレてしまうかもと思い、触っては休み、と繰り返していると
姉友がトイレに行きたいと言い席を立ち、しばらくして用を達して戻って来ると、僕はまた手を伸ばしたw
すると、先ほどとは違う感覚が。モジャモジャした物 が!指を少し下にやるとヌルヌルしたワレメ!
姉友はパンティを脱いでいた!
僕はドキドキしながら、姉友の表情を伺ったが 平然として姉と話してる。
その頃には、夕飯もほぼ完食、姉が後片付けしようとすると、
姉友『私も手伝うよ』
姉『いいよ!飲んでて、すぐ終わるから』
姉友は僕を見て、ニッコリ微笑み、今度はマンコが僕の側から見える様に片膝をついて指でオナニーし始めた
『弟君がエッチな事するからトイレで脱いで来ちゃた!ドキドキするね』
と僕 の耳元で囁いた。
僕は、直ぐに指を中に入れかき回した。マンコはこれでもか!とゆうくらいに濡れていた。
姉友は、自分の口を手で押さえ声を殺し、感じまくっていた。
今度は、姉の手が僕の股間に近づきファスナーを下ろし、僕の皮かむりのチンコを取りだし、やさしく剥いてフェラしてくれた。
初めての快感に身が震えるような感覚に悶えながら、姉友のお口にいっぱい放出してしまう僕。
『弟君、いっぱい出たね。気持ちよかった?』と姉友。
本当は最後までしたかったし、姉さえいなければ、そのまま普通にできてたと思う。
結婚する前にもう一回会ってやっておけばよかったと激しく後悔。
よかったらどうぞ。
「すべてのモテ男、リア充は死ね、腹を切れ、又吉イエスに地獄の火に投げ込まれて苦しめ」
と思いました。
と、とりあえず誤解のないように、恋愛に対するスタンスを明らかにしたところで、俺はそれでもやっぱり、自分が姉だったら全面的に弟君を擁護したい。
自分では一度も攻めたことのない、受け身だから悪いというのは、どうなんすかね?
たいがい、顔の造形に優れた女って、そんなスタンスじゃない?
告白してくる男を待って、なんとなく付き合ってみて、なんか違うと思ったら、適当に理由をつけて離れてを繰り返す女はザラにいる。
ざっと地球人口が50億、女性半分、男性半分だとして、自分が世界の異性のなかで一番好きな、25億分の一の相手が、相手にとっても25億分の一の相手であることなんて、あるだろうか?
人は、好意を抱かれたら、自分も相手に好意を抱くという、馬鹿な生き物だから、相思相愛なんて成り立つだけだ。
相思相愛が成り立ったとして、女性から男性への好きと、男性から女性への好きが、ちょうどバランスが取れたカップルなんかいるのか?
弟君、時折にじみ出る態度がカチンとくるだけで、夫としての、父としての務めはきっと完璧にこなしているんだろう。
好きじゃない男と結婚した女は、家事も育児も落ち度なくこなしていても、やっぱり叩かれないといけないのか?
今まで、見下した態度で女性を傷つけてきたツケ?
百歩譲って、受け止めるべきは弟君の妻の恨みまでだ。
今まで付き合った女性の恨みまで合わせてツケを払えなんて、まるで前局のドラを乗せてるようなもんじゃないか。
払うのは手役の点数だけだよ。
俺は、弟君が好きになった。
想像だけど、彼は、好意を抱かれたから、自分も好意を抱くということがないだけでなくて、それ以外のことでも、しっかりと自分の気持ちと相手の気持ちを分けて考える力がある。
巷で流行っているから、自分もそれを好きになる、とか、みんなが嫌っているから自分もそれを嫌うとか、そういうことをよしとしない。
みんながどう思っているかじゃなくて、自分がどう思うかで行動する。
見栄っ張りだけど、決して軽くない。
自分が描く理想、あるべき姿があって、常にそれをスタンダードに、行動している。
物腰は柔らかだけど、セルフイメージ、自分の哲学から外れたことは絶対にしない。
自分を誤魔化すことが出来なくて、他人からは時に傲慢に思われる。
世の中は同調と自分に嘘をつく人ばかりだから、クソみたいな慣習や、いじめがなくならないのに、俺たちは、彼みたいな人を攻撃する。
同調はしないだけで、他者を認めていないというわけじゃない。
弟君は、とても優しい。
どんなことをされても、彼は父として、夫としての役割をこなし続ける。
彼女が結婚しても、ババアになっても、弟君のことを嫌っても、墓の中に入っても、弟君は彼女を愛し続ける。
それでも、人の道に外れることはしないし、父と夫として完璧に役割をこなし続ける。
賢くなんかなれない。
空気を読んで、気持ちを誤魔化すことを覚えるだけだ。
同調圧力に屈しているだけなのに、「自分もそう思う」と、自分に嘘をつくようになるだけだ。
お願いだから、世界中が彼の敵になっても、姉のあなただけは彼の味方をしてやってほしい。
人は誰でも くじけそうになるもの
叫ばなければ やり切れない思いを
ああ 大切に捨てないで
人にやさしく してもらえないんだね
僕が言ってやる でっかい声で言ってやる
ガンバレって言ってやる
やさしさだけじゃ 人は愛せないから
ああ なぐさめてあげられない
期待はずれの 言葉を言う時に
心の中では ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
偏見なんて、やめろといわれてやめれるものでもないし、
他人ならまだしも身内なら話は別と言う事もあるから何だけど
元増田が頭に入れておくべきは
個人の嗜好なんて、誰が悪いとか関係ない
年齢と共にバイの確率は高くなる。
↓理由は弟君の2に続く
弟君が入れておくべきは(って分かってるかもしれないけど)
1:他人(自分以外という意味)の嗜好や偏見は変えられないんだから、
無理して両親にカミングアウトする必要はない
(カムアウトして相手に偏見があればそこから戦い始める必要がある
2:ゲイは長続きしない傾向にある
年齢と共に求める生活や愛情が異なってくるので別れやすい
異性間以上に継続にパワーが必要
ゲイとかバイとかヘテロとか関わらず「この相手しかない!」って視野の狭さで突っ走るのは色々面倒だよ。
今時独身なんて珍しくもないんだから、そのままでいいんじゃね?
若ければ若いほど「認めてくれ!」って気持ちも大きいとは思うけど。
弟がゲイでした、って話を”自分”が向き合う事も必要だろうけど
両親と戦うべきかスルーかを考えてあげてもいいと思う。
12も違う大人として。
5つ離れた姉がいるんだが、とんでもないブラコン。
俺のこと超大好きらしい。
昔から周囲に弟大好きと言って憚らず、俺もずいぶん恥ずかしい目に遭ってきたが、
まぁ俺もそれなりに姉のことは好きだしどうしようもねー姉ちゃんだなくらいにしか思ってなかった。
ちなみに姉は25歳、彼氏いない歴=年齢、大学出てからはフリーター。
別にブスとかではない(可愛いというほどでもないが)。
ちょっと前に20歳にして初めての彼女ができ、
家族と飯を食ってるときについぽろっと口を滑らせてしまった。
すると姉がものすごい勢いで彼女について聞いてきて、
その場はそれで収まったんだが、それから彼女に対する罵倒というか中傷が始まった。
俺は彼女にだまされてる、今ならまだ間に合うから別れろとか、
正直どれもこれも根拠のないことばかり。
あたしは俺君のことを思って、とか
俺君のことを一番わかってるのは私なのに、とか。
こんな感じで無視したり適当にあしらってきたんだが、
昨日、俺が風呂に入ってる隙に姉が俺の携帯を使って彼女になり済ましメールを送ってたことが判明。
次のデートの予定を立てていたのだが、
急に都合が悪くなった、しばらく会えないかも、みたいな返事をしていた。
怒って姉を問い詰めると、泣きだした。
「私は弟君のことが本当に好きなの」
「どうして私を裏切るの?」
「お願い、別れて」
とか言い始めた。
ものすごい嫌悪感に襲われて
「ごめん、無理」
と言って逃げ出した。
無性に彼女に会いたくなった。
結局そのまま家を出て彼女の家に泊まった。
途中着信が何回もあった。
倒れそうになった。
「帰ってきて」とか「さびしい」とか「死にたい」とか。
いかに姉が俺を好きかせつせつと説かれた。
姉ちゃんは病気なんじゃないかと思い始めた。
兄弟二人の持ってる力が仮に同じくらいだったとして。
適当にその辺流してニートしながら、作品のジャンルを妥協してまで作家を目指した弟。
結果が出るとしたらそういう風になるのは不思議ないんじゃない?
さりげなくⅠ種アピールしてるけど、お兄ちゃんも中々頑張ってるじゃない。
欲張っちゃダメだなお兄ちゃん。
既に成功してるくせに他人の成功を羨んでると幸せが遠のくよ。
書き込みを読む限りお兄ちゃんは素質に任せて書きたいものを書いてきただけで弟君を羨むほどの
小説に関する努力はしてないんじゃない?逆に弟君は自分をまげても売れる努力をした。それだけ。
だから、人を羨むのはやめなさい。羨む権利もそもそも無いんだから。
元カノは今時、ちょっと珍しいくらい奥ゆかしい子だった。
もっと崩してもいいよ、って感じで態度も言葉も丁寧で一歩下がってる。
そういうのは性格的に、無理だから、と言う。
笑い方も擬音にすると「ふふ」って感じで
ちょっと上品だなって好ましく思ってた。
けれど、元カノとデートしていたある日、急に彼女が嬉しそうに手を振って叫んだ。
突然の事で面食らった。
視線の先には同い年くらいの女の子。
なんでも、小~高校まで一緒だった腐れ縁の友達らしい。
「おい」って呼びかけも、相手の名前を呼び捨てにするのも、
俺の知ってる彼女とは全然違ってて
あっけに取られていると、「久しぶりだな」みたいな会話をしながら、
彼女が笑った。
それは擬音にすると「がはは」って感じの笑い方だった。
友達と別れると「がはは」笑いは引っ込んだ。
何時もの彼女に戻った。
俺はなんか白昼夢を見ているような気分だった。
実は彼女は俺が家に行くのを少し渋っていた。
弟は鬱気味のニートで、彼女の給料だけが頼りという家庭だと聞いた。
周りの人と比べても、全然遊んでいる感じがない彼女の理由はこれだったんだと知った。
まあ俺も多少は分かるし、話も合うかなとか思いながら
「汚い家だから…」と口ごもる彼女に、気にしないからと言って半ば押しかけた。
家は小さかったけど、別に汚くなかった。むしろ、小さい中でよく綺麗にしてるな、って感じだった。
弟君も、暗いけど、異様な感じは受けなかった。PCも普通に触らせてくれて、接続状態は良くなってお礼を言われた。
お母さんは酷く恐縮した感じだった。その日は元気そうだった。
でも、態度まで、家だと親父だった。
母親や弟に呼びかけるのはやっぱり「おい」だったし
「XXしろよ」とか母親や弟に命令口調だった。
それでいて、俺との会話は何時もの彼女なんだ。
結局彼女とは別れた。
別れた後、「増田君、彼女の家が色々問題を抱えてるの見て分かれたんだって?」と元カノの友達からすごい嫌味を言われた。
俺は「別にそうじゃない…」とかなんとか口ごもったと思う。
だって、「おい」なんて他人や肉親に呼びかける彼女を想像できる人なんて、周りに一人もいなさそうだったし。上手く説明できなかっただろう。
今だに、俺も信じられないくらいなんだから。
元増田です。
>明らかにその弟は、兄や家族を利用してやろうとしか思ってない
>きっとお前のその提案を弟は承諾しないだろう
>場合によっては、いや十中八九、お前は嫌な思いをすると思う
ですよねー。僕もなんとなくあなたの仰る通りになりそうな予感はあります。
ただ僕は友人と違って人を見捨てることも仕返しする事も出来る人間なので、友人が弟と縁を切るきっかけの儀式になるなら多少痛い思いをしても良いとは思っています。
万が一弟君が生活を立て直してくれたらこれ以上の事はないんですけどね。そしてその万が一の可能性も捨て切れないんです。我ながら欲張りですが縁切りと支援の折衷案といった感じです。
先週、僕は旧知の友人に相談を受けた「弟のことで困っていることがある」と。
彼の弟君はいわゆるダメ人間だ。仕事も続かず借金を重ねパチンコ三昧、親の金を持ち出して失踪するも悪びれもせずケロっと帰ってくるような壮絶な男だ。両親も心配症で、音信不通になるよりは、と結局弟君を許しまた繰り返しだ。
さて、そんな生活を続けていた弟君だったが、何かがきっかけで業を煮やした親によってとうとう勘当されてしまったんだそうな。たぶんまた家の金をくすねてパチンコなり何なりにしけこんでいたんだろう。
それから約ひと月後、兄の携帯に「カネがないから泊めて」のメールが。
実はこれ、今回が初めてじゃない。
弟君は親が頼れなくなると、東京で一人暮らしをしている兄にいつも助けを求めてくる。
兄の家に突然荷物を送りつけた弟君は就職先を探すでも無くあたりをフラフラ徘徊し、夜になると帰ってくる。そんな生活を諭そうとしする兄に対しては無視かふて腐れるかのどちらの反応しかとらない。そしてある日荷物をおいて突然いなくなる。そして当然のように音信不通になる。
友人はそんな弟君が嫌いらしい。いや、苦手に近いんだろう。弟の「良かったところ探し」をする友人は兄弟愛さえも感じさせる。だけどダメみたいだ。弟君の話をする彼は見たことも無いほど憔悴している。弟君が何を考えているかわからない、わかってやれない。助けてやりたいがあいつといると気分が落ちて仕事は手につかない。彼女さんにもあたってしまう。俺が嫌いな自分になってしまうと。
「だけど何かしてやりたい」と言う友人は、弟君を突き放すには情に熱すぎるんだろう。
まず僕は「弟をカウンセラーに診せろ」という提案をした。発達障害の可能性を疑っての事だ。
しかしこれは予想外の友人の抵抗にあった。実行は無理だろう。彼の田舎では精神病にたいする考え方が特殊だ。
現在の精神病に対する考え方や指針を説明したが友人の(おそらく田舎の親に対する眼差しへの)恐怖が消えることはなかった。
これに対して言いたいことは山ほどあるが本筋からそれるので省く。
とは言え友人の異常とも言える様子から見て、弟君を泊めてしまったら今度こそ共倒れしかねない。それだけは止めたい。
弟君は友人の家に来るときはいつも無一文らしい。おそらく有り金をパチンコにつぎ込んでから来るんだろう。追い出せばホームレスは確実だ。住所を失ってしまえば這い上がるハードルは上がるだろう。話から友人の親も友人と似た状況にある事が伺える。家族に頼らせる事は出来ない。
そこで僕は友人に「ドン底に落ちた時に何をするか」を弟君に体験させるプランを提案した。
当面は仕事が見つからなくてもいい。都内ならバイトで食っていける。稼げないならそれなりの生活をしろ。
僕は務めていた会社が倒産し、その後バイトをしながら自営業になった。バイトをしながら生活を立て直す事は出来る。
最低限立て直しに必要な情報を低コストで得るため、ネット接続環境とPCが利用できるシェアハウスに住まわせる事を提案した。
半月もバイトをすればひと月の生活費は十分得られるだろう。借金もまだ返せる額だ。残った時間で人生を立て直せれば万歳だ。ネットもある。似た様な境遇のシェアメイトから刺激や情報を貰えるかもしれない。
そこから落ちるならもう僕らにはどうすることも出来ない。というスタンスを貫く。
友人はこのアイディアに賛同してくれた。というより、もう憔悴で弟の事を考えられず無抵抗賛成といった感じだ。
来週、久しぶにり友人に会いに来る弟君に会う。弟君は結局は友人が家に泊めてくれると思っているだろう。
僕たちはその場で、弟君に職探しとシェアハウスの手続きを取らせるつもりだ。市役所に連れていき使えるサービスやサポートが無いかも質問させる。方向性は示すが全て本人に決めさせる。初期費用ぐらい出してやる。
そうすればいつかドン底に落ちてしまったとき、弟君の行動の指針になるかもしれない。もう病気にでもならなければ家族は頼れないのだ。
ただ不安も残る。僕は弟君を「社会不適合者」だと思っている。それを社会に適合させずとも折り合いをつけさせるのが社会の役目だとも思っている。僕たちは専門家を介すること無く自らの経験と思いつきに基づき実行している。たった一つの冴えたやり方とは思っていない。だけどベターであるとは思っている。
この冗長でクソ長い駄文を読みきった根性あるみなさんに聞きたい。
これでいいのかな?
個人差があるという事は知っています。
そして、元記事の増田の弟が強い性欲を持っているという可能性もあるわけです。
そういうことを踏まえて、もしかしたらこういう状態なのでは?
という事を言いたくて“前提”という言葉を使ったんです。断言するような意図は無いです。
文章が下手でした。すんません。
昔からなんとなく、私のことはかわいくないんだろうなと思ってたけど、やっぱりなあ。って。
弟がいるんだけども、学生の頃は一般的に言うヤンキーで万引きで捕まったり公共物破損して捕まったり。でも親的には昔から弟のほうがかわいいみたい。で、子供心に私は、どうして弟のほうが好かれるのか分からなくって、良い子になろうと勤めて、勉強もがんばって進学校に進んだし、問題も起こさず過ごしてきたわけ。でも、それは努力で解消される問題じゃなかったんだなあ。実家にかえったときに親の晩酌に付き合っててさ、「私は昔から、あんたより弟君のほうが頭いいって思ってた。努力しなかったからあんまり実にならなかったけど、本当は頭のいい子なんだよ」って母親に言われた私はどういうリアクションを取ればいいのか。
わかるなぁ。。何事もなく「いいコ」に育った子よりも、迷惑かけて苦労させられた子のほうが、思い入れが強くなるって。あるんだよね。切ないことに。すごく理不尽なんだけど。何度も山を乗り越えるって、そういうことだから。親の愛情って、絶対に平等にはなりえないよなぁ。
結局、ヤンキーになったり万引きしたりっていうのは、誰かの注目を集めたくてやっているわけで。彼の行動によって、親の注目がまんまと彼に集まるという構造。
ある意味、増田は親から見れば「安心してほっとける存在」なんだと思う。そして、弟君は「いまでも、いつまでも心配で仕方ない存在」なんだよね。子供からすれば、等しく注目してもらいたいものだけどさ。
一度時間をとってもらって、母親に対して思うところを(子供の頃まで遡って)全部伝えてみるのもいいかもしれないよ。
それにしても、増田は親想いのいい子供だねぇ。俺なんて、年に2度。母の日と誕生日に電話するぐらいだったよ。母が亡くなってもうじき5年経つけど、増田のようにマメに連絡してればよかったなぁって思うことがよくある。
というと語弊があるかもしれんが。
30にもなって、親の自分へのリアクションに傷ついて泣いたりとか、凄く子供っぽいなあ。自分でもう色々とあきらめているつもりだったので逆にショック。
自分、海外で仕事してるのであんまり実家には顔出せなくて。心配はかけたくないので週に一回くらいは近況書いてメールしたり、写メ送ったりしてるわけですよ。
で、親から返信が来るのは、大体一ヶ月から二ヶ月に一度くらいかな。パソコンに疎いとかいうことではなくて、単に面倒みたい。ヤフオクや楽天でいつも買い物してるし、毎日PCに向かってはいるんだよね。
両親とも健在でフルタイムで仕事してるから、疲れてたりとかあるだろうと思って、質問してスルーされてもあまり気にしないようにしてたんだけど。
先日帰国したときに、「この間メールで写真送ったの見てくれた?」って聞いたら「メール開けてないから分からない」(でも他の友人とかからのメールはチェックして返信してるんだよね)って言われて、読んでるけど返信が面倒くさいのかと思ってたんだけど、そうじゃなくって、私の人生自体に興味がないんだって分かって愕然とした。そのくせ、親戚の前では、「この子ね、海外で見つけたおもしろいものとか写真にとっていっつもメールしてくれるんですよ。」とか言うのな。「でも、読んでないから意味無いんですけどね」って言ってみたら、笑ってごまかされた。対外的には、海外で活躍する親思いの子供って感じで都合がいいんだろうなあ。
昔からなんとなく、私のことはかわいくないんだろうなと思ってたけど、やっぱりなあ。って。
弟がいるんだけども、学生の頃は一般的に言うヤンキーで万引きで捕まったり公共物破損して捕まったり。でも親的には昔から弟のほうがかわいいみたい。で、子供心に私は、どうして弟のほうが好かれるのか分からなくって、良い子になろうと勤めて、勉強もがんばって進学校に進んだし、問題も起こさず過ごしてきたわけ。でも、それは努力で解消される問題じゃなかったんだなあ。実家にかえったときに親の晩酌に付き合っててさ、「私は昔から、あんたより弟君のほうが頭いいって思ってた。努力しなかったからあんまり実にならなかったけど、本当は頭のいい子なんだよ」って母親に言われた私はどういうリアクションを取ればいいのか。父親も「そうそう」って言うし。多分、親が、弟のほうが本当は出来る子なんだっていつも思ってるのを子供のときからなんとなく知ってたのかも。弟は高校を中退し、私は大学を卒業した。学歴=頭の良さとは思わないけど、私なりの、「私を見てよ!」だったのだと思う。でも、親の考え方は変わらなかった。
決して悪い人たちではないし、わがままを聞いてくれて学校にも行かせてくれて感謝しています。ただね、ときどきやるせなくなるんだな。
いい歳して、こんなことで泣くなんてさ。こんな子だったから好かれなかったのかもね。
駅前のモスバーガーで私と有村くんは弟の話をしていた。近場だと、弟にばれてしまう可能性があるため、有村くんの提案で普段と少し外れた町に来ていた。私が詳細を語り、頭を下げると、有村くんは指を口びるにあて、くりくりと目を動かし、少し笑った。
「んー、別に君が悪いわけじゃないから、大丈夫だよ。気にしていないから」
私は少し安心し、もう一度頭を下げてありがとうと言う。
「いいよいいよ、そんなことしなくても」
彼はぱくりとモスバーガーを食べる。パンとパテの間からソースがこぼれる。トマトをベースにしたと思われる鮮やかな赤のソース。有村くんは唇についたソースを口で拭き、そして舌でぺろりと舐めた。そのあとは他愛もない話をした。最近、人力検索を使って大量のバカを釣った、行っているバイトの上司がむかつく、とかそういうどうでもいい話の羅列。そんな話をしている時の有村くんの眼はとてもいきいきとしていて、私は嬉しくなる。
「もうそろそろ帰らないと弟からまた文句言われるんじゃないの?」
彼の一言に、もうそんな時間だっけ、と時計を見る。まだ少し余裕があるから、大丈夫だよ、とは言うのだけれども、彼は早めに出ていたほうが、ばたばたしなくて済む、と言った。確かに、ぎりぎりになって、何かのせいで遅れたならば、また弟に、また"制裁"をされるだろう。単純に困ってしまう。私は、彼の好意に甘えて、出ることにした。彼は笑って、いいんだよといった。その笑い顔は本当に眩しかった。
でも本当に、好意、なのだろうか?
有村くんは少し早道をしようと言って、私の手を握り、裏路地へと回る。道は二人並んでやっとくらいの狭さであり、その道を挟む無機質なビルが自らの存在を主張し、圧迫感を感じる。見上げると空が細長く切り取られている。今日は曇り。
私達は歩き続けた。右に曲がったり、左に曲がったり。私はいったい何処へつれていかれるのか解らなかった。解っているけれども、このまま時空の歪みでもうひとつの世界へと軟禁されてしまうのではないかという気がした。でも、それで弟から逃げられるならば、それもいいかと少しでも思った自分は少し残酷な人間だと思った。
気のせいか、段々と雰囲気が鬱屈したものとなり、人の臭いのしない道になってきた気がする。相変わらず私を押し殺してくるビルの数々。
――そして行き止まり。
「あれ、道間違えたの?」
私は後ろから声をかける。有村くんは素早く私の後ろへと回り込み、袋小路へと押し込む。遠近法の錯覚なのだろうか。見ては解らなかったけれども、段々と道は狭くなっており、袋小路の壁へとついたころには、一人通るのが精一杯で、すれ違うことも難しいような場所になっていた。
「ううん、間違っていない」
不意に足元が崩れ、視線に入るのが道路から空に変わる。そのあと、有村くんが覗きこむ。
「手荒な事をしてごめんね。こうするしかないんだ」
こうすること?どうして?私は理由を聞こうとする。だけれども唇で塞がれる。
「ねえ、もう弟の思い通りになるのは辞めたらいいと思う」
彼は私を見下ろしながら服を一枚一枚脱ぎ始めた。
細長く薄暗い空。殺伐としたビル。そこに一厘の花のように咲く彼。その彼の白い肌は何かの御伽噺から抜け出てきたように綺麗だった。出るところは出て、引き締まったところは引き締まった、メリハリのある、成熟した男の体。もしかしたら本当に御伽噺なのかな、とも頭では思った。そうであった欲しかった。でも現実。手を伸ばし、私の首筋を軽く爪で掻く。弟との鎖の跡。
「弟に言いように扱われて苦しいんだよね、解ってる。その鎖は今のうちに切り離しておかないと、段々と君をがらんじめにして窒息させてしまう」
そんなこと、昔から解っていた。でも、私にはどうすることもできなかった。いや、なんとかすれば出来たのかもしれない。でも弟に対する疚しさもあったのだろう。彼の愛に答えることができない、自分の不甲斐なさに。
でも、それは別の帰結を作り出す。
つまり、有村くんの鎖を受け入れるということ。
それは、弟の鎖よりも幸せな鎖になるのだろうか?
「でも、君は怠け者だから、なかなか自分ではやりたがらないし、仕方ないから僕がしてあげる。これは君の幸せ"でも"あるんだよ」
彼の視線は私を貫いた。それは弟と違う"オトコ"の眼だった。
続く
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。