はてなキーワード: 庶民の味とは
「何かが変わればこの世界はよくなるんだ。何故ならこの世界には巨悪がいてそいつらがこの世界の良い物を独占しているからだ。そしてそいつらを倒そうとする人達はそんな卑劣な支配者とは違って我々を救う革命の戦士なんだ。彼らは庶民の味方なんだ」と信じこんでるよね。でも実際は今支配している側の方が長年の経験で長期的に平民のご機嫌を伺う必要を理解していて、これからそれを打ち倒そうとする側は政権取る時だけご機嫌を取っておけばいいと思ってるんだよね。だから安易に支配者を変えれば前よりも状況は悪くなる。というか、支配者に取って代わろうとする奴らは自分が世の中を掌握したいだけで市民のことなんて微塵も考えちゃいないんだよね。そこを"都合よく"忘れてるよね熱狂的な野党支持者は。
同じように関西の友人からは代官山!というだけで高給取り扱いですが、帝塚山のほうがセレブやろと言い返してあげて下さい。
買い物は恵比寿のピーコックですがそれでも高いと感じたら、明治通沿いのライフ一択。
ライフは駐車場もあるのでクルマがあればなおよし。自転車でも10分くらい。
すこし足を伸ばして運動がてら目黒不動前のオオゼキも安いです。
ドラッグストアは恵比寿西にたくさんある。ココカラファインは日用品も安い。
自転車で少し足を伸ばして、青山のオリンピックや目黒のドンキホーテが日用品は安い。
坂を降りて恵比寿西には安いお店もちょこちょこ。中華定食の舞香や吉兆などは1000円でお釣りが来る中華定食たくさん。
舞香ラーメンは食っとけ。ヤケド注意。
恵比寿西まで行けば吉野家も松屋も日高屋もある。庶民の味方だ。
アドレスに住んでる方はセレブですし周辺の戸建ての方々とは住む世界が違うので友だちになる必要もお互いあまり無いしお互いメリットもない。
無理して作らなくても別のコミュニティで友達作るほうが健全です。でも住んでる人たちはみんないい人。お金持ちだから。
先日グアムに行った時のこと。
いままでグアムといえば熱海と同じくらいの距離感だと思っていた。
商品も日本向けがほとんどだし、案内はもちろんサービスすべてが日本人に向いているようなものだった。
どの店に入ってもハングルがならび、韓国人が経営しているであろう商店が驚くほどに増えていた。
すれ違う人間も韓国人か中国人がほとんどで、たまにすれ違ってもそれが日本人であるか判断するのは以前ほど簡単ではなくなってしまった。
自分たちはメインストリート沿いの安価なホテルで済ましたが、年老いた両親には背伸びしてハイアットの宿泊をプレゼントした。
安価なホテルのビーチサイドにあるバーで辛ラーメンを見つけたときは笑って済ませられる象徴的な出来事と思えたが、なんとハイアットのバーにまで辛ラーメンが用意されていたのだ。
彼らといえばどこであろうと車座を囲んで食事を始める民族だが、まさか高級ホテルまでもがそれに迎合するだとは思いもよらなかった。
そう思って庶民の味方ABCストアに立ち寄ってみるとここでも韓国人の多さに辟易した。
しかも、食品の大半は明らかに韓国人をターゲットにしたものばかりに絞られ、さらに売っているものすべてが以前に比べて割高なのだ。
しかし、当の韓国人達は躊躇せずカゴを食品とおみやげでいっぱいにしていくではないか。
これで痛感した。
そんな価格に敏感な日本人を相手にするより、草の根一本残らず食い尽くす勢いで買い物をする人種を相手にしたほうが商売になるに決まっている。
もう自分たちの財布はまったくあてにされていないということだ。
結局ジュースを数本買うだけですごすごと店を後にすることにした。
聞くところによると、妊婦の間にグアムに連れて来て、生まれた子供にUS永住権を取らせるというビジネスまでもが流行っているらしい。
その事の真偽や是非は別としても、今の日本人にそこまでのしたたかさがあるだろうか。いや、それはおそらくNOだ。
綺麗事ではなく、これからの世の中でそんなたくましい民族に自分たちが太刀打ちできるのか、正直不安になってしまった。
悲しいかなこんな話を同僚にしたら、家族で旅行にいけるだけ贅沢だと反論されてしまった。
別に普段から節制したうえでご褒美としていった旅行なのだからそんなことを言われる筋合いはない。
その返答こそが安くなってしまった日本の象徴のようで心の底から悲しくなってしまった。
これはもう手遅れかもしれない。
俺の先の議論は極めて明晰であり煙など巻いていないし、
元増田の議論が経済学的に誤りであることを示せば俺の先の議論の目的にとっては十分で、代案をいう義理もない。
が、仮に庶民の味方をするとして再分配を行うなら、価格体系を歪めない一括固定税による再分配がベスト。
しかし一括固定税の水準の決定方法などを考えると現実的には実行不可能。
となると再分配の方法としては所得に対する課税と資産に対する課税がある。
いずれにせよ厚生損失が生じる。
だから目的の再分配水準を制約条件として、相対価格の歪みによる厚生損失を最小化するタックス・ミックスを考える、ということになる。
それが具体的にどのような税率なのかは先験的には分からない。
それをこの場でちゃっちゃと試算するような能力も必要なデータも俺は持っていないが、財務省あたりに試算させれば良い。
というか、実際、似たような試算はやっているだろう(再分配という視点を彼らがどこまで重視しているかは知らないが)。
貯蓄ができないくらい資産課税を強化してパーッと使わせればいい!というような無邪気な発想をする人にとっては俺の回答は常識的でつまらないかもしれない。
「自分と違う意見はとにかく許さない。社会全体がすべからく自分に味方すべき」という、いつからこんな偏狭な人物が恥ずかしげもなく横行する社会になったのだろう?(庶民の味方のていをしたテレビ番組がその旗を振っているのだろうか)
金銭財物が絶対的な善の価値(お金を支払われたら逆らってはいけない、つまりお金持ちは事実上絶対善)をもつ社会への一種の抵抗なのかな...と少し同情してやれなくはないけど。
あとは、考えや行動の個別の中身ではなくて、人物個体や所属で判断するクセが、この国では未だに抜けていないということだな。すなわち差別社会。
おれ40代だけど、俺の子供時代から比べても各段によくなってるな。
子供のころはスシもウナギも高級品だったのに、もう庶民の味だし。
外食の箸も置き箸だったのに、いつのまにかワリバシの使い捨てが当たり前になって清潔に。
買い物袋が当たり前だったのに、エコバッグってシャレた名前になって意識高い系の人が使うもんになってるし。
ウォシュレットもクラスで一番金持ちの女の子の家にあってクラス中の話題になってるし。
ウォークマンも学校にもってきてるやつの周りに人が集まってきてたしな。
あと携帯ゲームもゲームウオッチですごい単純なゲームだったし。
上げて言ったらきりがないな。
18世紀の江戸中期、ウナギはもともと川の中でのたくってる、生活に余裕があるやつなら絶対喰わないような下賎な食べ物でありまして、すげー安い食い物だったんだよ。
19世紀の江戸後期、マグロの赤身トロはすぐに痛む足が早い食べ物でありすぐに腐って売り物にならないわけで、やっぱり下賎な者が買いやすいすげー安い食い物だったんだよ。
20世紀の昭和中期、クジラの肉は牛豚鳥の動物肉タンパクが大量に安く手に入らない中にあって、一発銛入れればまとめてそれなりの量が確保できる、やっぱりすげー安い食い物だったんだよ。
安い食い物の評判がよくなり人気が出て、高価格の高級料理路線と低価格の庶民の味路線の二本立てで国民食になり、それを聞きつけた海外でも喰い始めて需要が急騰、原材料の価格が急騰すると貧乏国の連中が乱獲に走り、水産資源の枯渇を招きレッドリスト入りで、好きなだけ喰えなくなるって寸法。
マグロはトロの部位がすぐに痛むし、油でコッテリで粋な味じゃねえってんで、投げ売りされてたんだね。
トロに比べて赤みの方が長持ちするので、こちらの方が高かったと。
電気による冷蔵技術が確立し配送用トラックにそれが載るようになると、トロを痛めずに店頭に出すことができるようになり、昨今の油まみれで柔らかいトロが歯がガタガタのじーさんばーさんと孫のセットにベストマッチで喰いまくってくれたおかげで、価値観の逆転が起こった的な。
うなぎを腹から開いて串をさして関西の薄口の上等な醤油を塗って蒲焼にして露店売りしてた。
それを武家の総本山の江戸に持ち込んだところ、腹を開くうなぎは縁起が悪いハラキリだってんで武士に嫌われるし、上方の旨味で勝負する醤油は東方の真っ黒でしょっぱいガッツリくるものとは違って受け入れなれないわけで、結局ヒエラルキー上方の連中に相手にされる食べ物にはなり得なかった。
それが変わったのは、千葉だったかの方で東方風味ながらも上質な醤油が開発されて、上方からうなぎの伝道よろしくがんばった意識の高い露天商の連中の満足を得たのと、その醤油とみりんを混ぜたところ糞甘いタレが出来上がって江戸の連中に受けてからですね。