はてなキーワード: 庇護とは
・ヤマガミというモンスターがいる
・得意技は「無数の石つぶてを発射」、「敵めがけて発射」、「弾丸を発射」
・鹿の姿をしたモンスター
・山上は言うまでもなく、手製の銃を用いて発射した者
・山上はTwitterに長文を書いてる一方で写真はあまりあげず、数枚だけの写真の中に鹿の姿がある
・時期から、手製の銃を人のいない山中で試した時に見かけた鹿である
・鹿はフェンスに挟まって身動きできないまま死体となっており、「助けてくれる人がいたらこうならなかったのかな」と山上が自己と重ねたのかつぶやいているのが悲しいと話題になった
・山上はどちらかといえば愛国保守で安倍晋三支持だったが、安倍と統一教会がただ接待しているだけの関係でなく、安倍の祖父が共産党に対抗するために統一を日本に引き入れ子や孫も庇護していてズブズブと知り転向。その転向し銃を作り始めたのは38歳の時
むしろ、身内の子どもや地域や仕事で面倒をみている子どもでもなく、キッズモデルでも子役でもない子どもなんて、
心情的にも物理的な造形的にも可愛くもなんともない
ただ、フツーに考えて欲しいんだけど、幼い兄弟姉妹や身内の子どもの面倒をみたり、外で子どもが困って助けるの見たら助けるのは、
外見や振る舞いが可愛い(自分に都合が良い)じゃ別に無いよね?
子どもの外見や振る舞いが可愛くない(自分に都合が良くない)と庇護しない・愛さないとか、紛う方なき毒親・クソペット飼い思考だ
というか、子どもじゃなくて、おっさんでもおばさんでも困ってたらフツーに声掛けしますよね。倒れてたら救急車呼ぶし
『○○しても自分は大人たち受け入れて貰えなかった・十分に褒めて貰えなかった』って感情持っている人って
べつに、キリキリ努力したから○○ができるから外見が××だから、親含めた大人が受け入れてくれたわけじゃないんだね
子どもはそのままで守られるべき存在、人間は存在するだけで価値があるんだよ
ある人がなにか話をしたいのに、相手からその話をまともに聞いてもらえないとき、そこには聞いてもらえないなりの原因が必ずなにかあるものだ。しかしながら、その原因の所在を求めるときに明確な性差がある。概して男は責任の所在を「話し手(自分)」に、女は「聞き手(相手)」に求める。
女が生まれついて話がつまらないとか、笑いのセンスがないとか、そういうことではない。むしろこれは後天的な「必要性」の差だろう。男は「おもしろくなる」必要に迫られるが、女は必ずしもそうではない。その差が結果として「話のおもしろさ」の格差になる。
「理解のある彼くん」が登場しやすい性であることと「話がつまらなくなること」はコインの表裏である。逆に「理解のある彼女さん」が登場しない性であるからこそ、男はどんどん話が「おもしろく」なっていく。
ただ、「女だからつまらない話をしてもセーフ」というような状況は長続きしないだろう。男女平等を背景にして、女も相応に「話を聞いてもらう努力」を求められるようになる。そんなときに彼女たちをやさしく庇護する「フェミニストお父さん」は大きなリスクになる。
いやこれ事実だと思いますね。下記みたいに書いているブクマカがいるんだが
その理屈なら親の庇護のもとで20代まで気楽に勉強だけしてればいい大学生より金のない厳しい環境で育ち中卒で働いて自分の生計を立ててる人間の方が身なりも収入も良くなってないとおかしいはずだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231227082825
そうだぞ、中卒・高卒の方が給与高い、(集団生活で強制されていれば)身の回りを衛生的に保つ習慣はつき易いし、
(ストレス受容・耐性はともかく)健康習慣はつき易いと書いてるんだぞ、何を読んだんだ?あっタイトルかって思った
あと稼がないと生活が出来ないので『自分は稼いでやっていける』っていう成功体験が強制的に積めた
行きたかった高校を定期代が払えないとか私服だとお金が掛かるとかいう理解不能な理由で却下されたので、
(なお、親は極端に教育に無関心なのでノーダメ。先生は荒れている学校だと言ったはずだけど何を思ったのか・・・。
このチンピラ学校の子は全日なのに高確率でフルタイムで働いて、20万以上稼いでいる子はザラにいた
そういう状況にない人も、
- 父母がそれぞれに浮気して家から出て行っちゃって高校生でマンションで一人暮らし
- ずっと施設や祖母の家に預けられ、唐突に母親の元に呼び出されたが、もうひとりの兄弟とはあからさまに扱いが違う(もうひとりの兄弟は私立)
- 父親がアル中DVの犯罪者で母親と逃げてきた
・・・とか、みんなそんなん
で、高校在籍中に新卒以上に稼いでたわけだし、稼いでない子もただ普通に働くだけで今までの人生で一番いい状態になるし、
やっぱ、そういう人らは今も逞しくやってるよね。たぶん稼ぎも平均よりいいと思う
ただ、ヤンキーでも家がどうしようもない状態でもないのに、なぜか入ってくる子もいた
そういう子はフツーに親からお小遣い貰ってバイトもしていなかったけど、
卒業後は、なんとなく水商売やったり、なんとなくバイトや派遣やったり、そんな生活してたよね
(名前書けば入れる学校だったので、重ための学習障害やボーダーだった可能性はある)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20231201b.html
女性には一切主体性がなく男性が理性的に庇護すべき存在である的なパターナリズムと抱き合わせでしか主張できないから馬鹿なんだなと思うよここらへんの界隈の人
もうこれ答えだと思うんだ
親の躾がなんらかの理由で無かった人、たとえば親自身が極端にだらしないとか、親がネグレクトしたとか、
親的には子の個性や自主性を重んじたつもりだったが、なんかいろいろ噛み合わず子に伝わらなかった結果みたいな人は、
言っちゃ悪いけど他人のお世話が必要な人になっている可能性まぁまぁ高い
自分で金を稼がないと、メシ食えないし、電気ガス水道停まってみたいな、だから常に出来るだけ金稼ぐ方法考えてきたみたいなのでもOK
あるいは、強制集団生活で○○せざるを得ず○○の習慣が自然と付いたみたいなのでもOK
じゃあビシバシやっていけば良いのか?というとそう言う単純なことじゃないよね
たとえ、それが自分自身のためになることでも、『したくないこと』を強制させられてやらざるを得なかった人は、
『したくないこと』をしない人を許せなくなるか、見下したりするんだよな
そこそこ人よりもお金稼いでるワイくんも、ワイくんがしてきたことをせずに、金が無いとかギャーギャー言っている人を見ると、
『やるべきことやれば?』『やらなかったなりの生活送れば?』って気持ちになる
ワイくんは育ちがよくないので、親しい人にあまりお給料がよくない産業の人がいるし、親族に社会的に賃金が抑えられている福祉分野の人もいる
不条理な賃金格差をネットや本の文字の羅列ではなく、リアルの感情をともなった身近なものとして知ってるし、
なによりも通貨の弱い国のエリート・準エリートと接する機会がそこそこあるので、今の自分自身の立場は実力なんかではなく100%ガチャ運でしかないことを実感している
それでも、『やるべきことやれば?』『やらなかったなりの生活送れば?』って気持ちはゼロにならんのよな・・・
そこそこお金稼げるようになってようやく月20万程度貯金出来るようになって、明らかに自分自身の為になることだったんだけど、
『したくないこと』をし続けた結果の気持ちのバランスをとるのまぁまぁ難しいと感じているので、
お子様やお身内の教育、自分自身の育成選択は気をつけた方が良いかもしれない
共通善や能力主義の功罪については後ほど追記かトラバするとして、
いつも通りタイトルしか読まず、下記みたいに書いているブクマカがいるんだが
その理屈なら親の庇護のもとで20代まで気楽に勉強だけしてればいい大学生より金のない厳しい環境で育ち中卒で働いて自分の生計を立ててる人間の方が身なりも収入も良くなってないとおかしいはずだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231227082825
そうだぞ、厳しい環境にあった中卒・高卒の方が給与高い、(集団生活で強制されていれば)身の回りを衛生的に保つ習慣はつき易いし、
(ストレス受容・耐性はともかく)健康習慣はつき易いと書いてるんだぞ、何を読んだんだ?あっタイトルかって思った
あと稼がないと生活が出来ないので『自分は稼いでやっていける』っていう成功体験が強制的に積めた
行きたかった高校を定期代が払えないとか私服だとお金が掛かるとかいう理解不能な理由で却下されたので、
(なお、親は極端に教育に無関心なのでノーダメ。先生は荒れている学校だと言ったはずだけど何を思ったのか・・・。
このチンピラ学校の子は全日なのに高確率でフルタイムで働いて、20万以上稼いでいる子はザラにいた
そういう状況にない人も、
- 父母がそれぞれに浮気して家から出てて行っちゃって高校生でマンションで一人暮らし
- ずっと施設や祖母の家に預けられ、唐突に母親の元に呼び出されたが、もうひとりの兄弟とはあからさまに扱いが違う(もうひとりの兄弟は私立)
- 父親がアル中DVの犯罪者で母親と逃げてきた
・・・とか、みんなそんなん
で、高校在籍中に新卒以上に稼いでたわけだし、稼いでない子もただ普通に働くだけで今までの人生で一番いい状態になるし、
やっぱ、そういう人らは今も逞しくやってるよね。たぶん稼ぎも平均よりいいと思う
ただ、ヤンキーでも家がどうしようもない状態でもないのに、なぜか入ってくる子もいた
そういう子はフツーに親からお小遣い貰ってバイトもしていなかったけど、
卒業後は、なんとなく水商売やったり、なんとなくバイトや派遣やったり、そんな生活してたよね
(名前書けば入れる学校だったので、重ための学習障害やボーダーだった可能性はある)
そうやって屁理屈自意識をこじらせた視界で物事を認識していくんだね。
まあ僕はひろゆきの保護者でも庇護者でもないからいいんだけど、
たぶんひろゆきは君より賢いよ。
賢い人もポカをする。
そういう当たり前の事実に君もいつか向き合える日が来ると僕は信じて已まないよ。
肥前国の平戸には、勢力を伸ばし大名となっていた松浦隆信の庇護によって、ポルトガル人やスペイン人の宣教師たちが住んでいた。彼らは南蛮貿易を通じて日本にキリスト教を伝えるとともに、日本の銀や刀などの商品を中国やヨーロッパに運んで交易を行っていた。また彼らは日本の文化や言葉に興味を持ち、日本人と交流を深めていた。中でも、応慶という名の若い僧侶は、彼らの信仰や知識に魅了され、彼らからキリスト教や西洋の学問を学んでいた。
しかし、応慶の行動は寺院の目に留まり、不快に思われるようになった。彼は、外国人の影響を受けて、日本の伝統や仏教を軽視していると非難された。当時、一向宗に帰依していた土着の武士たちは応慶を捕らえて、尋問するように命じた。しかし、応慶は、宣教師たちの助けを借りて、平戸から逃げ出した。彼は、肥前国の各地に散らばっていた、キリスト教に改宗した武士や農民たちを集めて、反幕府の勢力を築いた。その勢力は応慶の名を取り「応慶軍」と呼ばれた。
幕府は、応慶軍の存在を知り、室町幕府将軍・足利義稙は大内弘興を総大将とする討伐軍を肥前国に派遣した。永正5年(1508年)、こうして肥前国で応慶の乱と呼ばれる戦いが始まった。松浦氏は応慶に僅かながら援助していたが、松浦氏は当時、大内氏の配下でもあったため表立って応慶への支援は行えなかった。応慶の軍は、当初は大内軍の軍勢と拮抗していたが、大内氏の軍勢は数や装備で勝っており、次第に劣勢になっていった。永正6年(1509年)、最後の決戦は、平戸城の南西に位置する川内峠で行われた(川内山合戦)。しかし、早々に大将である応慶が矢に倒れ討死することとなり、合戦は数時間で決した。
大内弘興は平戸に残る応慶軍の残党を一掃しようとしたが、平戸松浦氏と縁戚関係のあった宇久氏が仲介に入った。宇久家当主であった宇久盛定は幕府と応慶軍の和睦を提案。当時、大内氏は京において細川氏や畠山氏との権力闘争の火種が残っていたため帰京を急いでおり、宇久盛定の説得に応じて、応慶軍の残党に恩赦を与えた。こうして、応慶の乱は、和睦によって終わった。
応慶の名前は、肥前国の人々にとって、平和や幸運の象徴となった。応慶の名前を「おーけー」と発音し、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使うようになった。この言葉は、平戸の宣教師たちにも伝わり、応慶の名前に敬意を表して、その言葉を使うようになった。
その後、宣教師たちは平戸を離れたが、その言葉を忘れなかった。宣教師たちは自分たちの母国に帰って、その言葉を広めた。その言葉が日本の文化や歴史に関係することを説明し、その言葉を使うことで日本との友好を示すことができると言った。彼らは、その言葉を手紙や書物に書いたり、会話や挨拶に使ったりした。
やがて、その言葉は、ポルトガルやスペインだけでなく、他のヨーロッパの国々にも伝わった。その言葉は、様々な言語に翻訳されたり、略されたり、変化したりしたが、その本来の意味は変わらなかった。それは、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使う言葉だった。その言葉は、世界中に知られるようになった。それが、「OK」という言葉の語源である。