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はてなキーワード: 幾原邦彦とは

2023-10-14

anond:20231014014835

ウテナは実際難しいんだよなあ。劇場版ラストで二人で裸で走っていくのすごいハラハラしたわ。なんか刺さりそうで

レヴュースタァライトってTwitterとかで話題になってたの見たことある幾原邦彦関係者だったのか。見てみようと思います

2023-10-13

anond:20231013212555

ピングドラムはみた事あるよ。階段バタバタバタバタバタバターてなるとこが良いよね。というか、幾原邦彦仕事はちょいちょいつまんで見てるんだよね。全部見たのはウテナぐらいだけど、さらざんまいとかもちょっとだけ見たよ。年をおうごとにアングラ舞台っぽい演出が増えていくような感じがあってすごいなーってなる。なんかウテナの時のインタビューかなんかでセーラームーンで散々やったからもう少女アニメはいいかなーって思ってたんだけど結局やっちゃいましたみたいなこと言ってたのを読んだ事ある気がするんだけど、最近作品はもう少女アニメ文脈舞台芸術の文脈をフルに結合させててさ、なんか定期公演て感じだよね。

人狼って押井守のアレであってる?それだったら確か見たと思う。暴動の感じがすごく好きですね。あ、これはアキラとかメトロポリスでもそうなんだけど暴動いいよね。首都警の鎧もかっこいいしね。学生の頃にミリオタ友達がいて、この機銃の横からガスが光って飛び出すのがいいんだと行っていた覚えがあり、銃の良さとかあんまり考えてなかった自分はなるほどねえと思った思い出。あと藤原カムイマンガ持ってたな……お話は難しくて全然覚えてないんだけどね!!

2023-09-12

anond:20230912180936

輪るピングドラム」とか、幾原邦彦さんが自身監督した作品ちょっと苦手だけど、「青い花」のOP はすごく好きだった。

anond:20230912180605

さら

言葉遊び冗長さ(これは二者での意味合いが全く違うけど)に本質があるって点では似てるのに子供の頃から西尾維新は超苦手で幾原邦彦大好物なのもなんかよく分かんないな、いや分かるけど

原作品としては相当分かりやすい部類だったし「愛」「つながり」が以前よりも救いの多い役割を担ってる分とりあえず人に勧めるならこれになるかも。

ピンドラの『飢餓同盟』、ユリ熊嵐の『羆嵐』みたいな感じで今回は芥川辺りがベースなのかな、内容覚えてなさすぎて何も分かんなかった

結局わざわざ焼き直しって言うほどピンドラ的な部分が核ではなかったけど普通に色んな対比は取れそうだし気合がある時にそれぞれもう一周ぐらいしてみたいね

anond:20230912180605

幾原邦彦監督アニメって、先カンブリア紀からいるアニメ見てかしこぶりたい層の自意識を的確に狙い撃って来る感じがとてもとても苦手なのだけど、嫌いにはなれぬのよねえ

杉田俊介さんの映画評、大人気概見せろや!的な感じなので正直苦手なのだけれど、山田玲司幾原邦彦に「大人の俺たちが子供たちに何を残していけるかを考え続けている」と絶賛しており、杉田さんの幾原さんへの評価はどんな感じなんだろうと思った(他人他人評気にするのよくないけど)

2023-09-05

謎の美少女ものに限らず、謎のキャラクター過去が全部語られたらクライマックス、みたいな話ってつまらないよなあ。

少し前で思い出したのは、幾原邦彦カッパの奴。

登場人物は知ってることなのに、視聴者に伏せられてるだけって内容を語るのに1クールかけるようなアニメ特に何の話だったんだって気になる。

キャラクターたちがシーズン途中でやったことが結末にほとんど意味を持たないんだよ。

あんなのストーリーって言うか?

2023-03-25

anond:20230324134042

いやー明らかにウルトラマンにかこつけてそう言ってるだけでしょ。しかキモい

というか普通の人の訃報に星になったとか言わないだろ馬鹿が。

例えばウルトラマンに出てたことに触れた追悼 でも幾原邦彦みたいに「ウルトラ五つの誓い忘れません」みたいな内容ならそこまでキモくないんだよ、何故なら尊厳を守ってるから

2023-03-01

今って監督作家性って出づらいの?

冨野由悠季説明を削りに削った状況再現

庵野秀明実相寺アングルを多用した表現

湯浅政明幻覚を見てるかのように歪ませた表現

幾原邦彦演劇の書割を使った演出

今石洋之:斜め上からアオリ

この辺の作者って「ぽい」ものが何かしら出てくるけど、他の監督の「ぽい」って何かあるのかな?

有名な日本アニメ監督

〇言うまでもないレベル

宮崎駿代表作多数)

 

一般人名前を聞いて「あぁ」ってなるレベル

細田守サマーウォーズ等)

新海誠君の名は。等)

高畑勲火垂るの墓

庵野秀明キューティーハニー等)

富野由悠季ガンダム

 

一般人作品名を聞いたら「あの人ね」ってなるレベル

押井守イノセンス等)

大友克洋AKIRA

原恵一クレしん映画

 

アニメ好きだったら監督名単体で出てくるレベル

湯浅政明夜は短し歩けよ乙女

新房昭之まどマギ

水島努代表作多数)

今 敏(パプリカ) ※追記。初期段階では入ってたのに抜けてました。スイマセン。

 

アニメ好きだったら作品名で「あの人の作品いいよね」ってなるレベル

山田尚子けいおん等)

佐藤順一ARIA等)

河森正治サテライトの人) ※修正しました。完全に勘違いしてました。スイマセン。 

 

〇けっこういろんな人が知ってる感じはするレベル

出崎統明日ジョー) ※修正しました。完全に勘違いしてました。スイマセン。

幾原邦彦ウテナ

鶴巻和哉(シン・エヴァ

 

知名度はある

山本寛フラクタル

宮崎吾郎ゲド戦記) ※追記しました。

 

〇ワイは好き

大沼心バカテス

 

異論追記求。

 

追記

アニオタは好き枠はアニオタはみんなスタッフ語り好きなので入れ切れません……

 

追記2:

4回謝罪したのでワイの負けです。

対戦ありがとうございました。

なんか別でエントリされていたのでこっちに統合しました。スイマセン。

2022-07-13

このタイミングで上映される「輪るピングドラム」という運命の話

2011年に発表された幾原邦彦監督深夜アニメ輪るピングドラム」について、どうしても触れなくてはならないタイミングになってしまった。

この作品を知っていたら理解してもらえるだろうが、基本的ネタバレ厳禁アニメなので、なかなか触れにくい部分が多い作品だ。

純粋に良作アニメとしてみたいだとか、来週公開の後編までネタバレを踏みたくない人は以下読まなくていい。

今作はオウ厶(をモデルとした)信者の子どもたち。つまり二世である三兄妹が主人公であり、彼らの親は地下鉄サリン事件(らしき事件)を起こした実行犯であったのだ。(ここまでが劇場版前編の内容)

とんでもない作品だ。少女漫画風の絵に耽美要素と行き過ぎのギャグを混ぜ込み、詩的な感情描写を丁寧に描いて、ピクトグラムモブたちが背景にうつしだされ、視聴者を中盤まで騙し、後半の答え合わせから伏線を一気に回収する。

社会批判SF哲学ジャンルすら分からない。

村上春樹宮沢賢治モチーフにしてるので好きな人は見てほしい。

説明すると不思議だが、ベテラン監督がやるものからしっかりまとまっていたのだ。後にも先にもこんなアニメが無い(同監督作品を除いて)

にしてもタイミングヤバいなと思うことがよくある作品だ。

2011年7月8日放送開始

ということは制作時ど真ん中に震災経験したアニメだ。

この時期と切っても切れないのが東日本大震災ピンドラ震災の影響でキャッチコピー脚本を「書き換えた」らしい。

その後まあ円盤が謎に延期したりはあったが、深夜アニメがここまで一般化してなかったので、知る人ぞ知る系に落ち着いたと思う。(再放送のたび話題にはなっている)

追記番組放送終了2011年12月23日

2011年12月31日 平田信が出頭)

それから7年後。

2018年7月6日オウム真理教教祖松本智津夫死刑執行される。

その翌年、十周年としてピンドラ劇場版企画があがる。クラウドファンディングで一億円以上集まる。

コロナで色々ずれ込んだのか?

11周年の今年、新シーンを含んだ総集編が劇場公開されることになった。

2022年4月29日 劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車生存戦略 公開

悲しいことに公開前4月13日ロシア軍ウクライナサリンを撒いたとの報道が出る。

そして……。

2022年7月22日劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる

安倍氏暗殺犯人カルト宗教二世だ。家庭は崩壊していた。三人兄妹らしい。

アニメの三兄妹のうち一人は病気の妹を救う金のために組織と縁を切れずにいた。そしてラストテロに加担する。

タイミングは完全に偶然だと思う。でもあの事件以来ずっと考えている。ピンドラ監督オウムの「世代」が抱えた闇をその子世代に向けて作った。

きっと今回の事件監督想像できたように、いつか違う形でも運命として起きていた問題であり、救わなければならない対象を見過ごしてきた結果でもあるのではないかと。

おそらく劇場公開時期までだろうが各種配信サービス現在ピンドラアマプラなどで全話配信されている。興味を持った人は元気なときに見てみたらいいと思う。

最近、後編の公開を危惧する声があがっている。みんな見たいという声であり、上映はやめたほうがという意見はない。

今こそ向き合うべきだと思う。

タイミングが悪いという認識よりも、今公開する意味の方を大切にしてほしい。

2022-01-02

anond:20220102021630

四国民ならNGなど無視して結城友奈は勇者であるシリーズ見せとけば。

うどんの国の金色毛鞠でもいいかもしれない。というかこっちのほうがNGに引っかからいか

ufotableつながりでも幾原邦彦つながりでもなにかご当地色のある作品を引っ張り出してみては。

2021-11-28

今川泰宏イマイチ過小評価されてる感じ

幾原邦彦なんかは過大評価されてる感じがするんだよな

アートエンタメの違いだろうか

2021-03-15

anond:20210315010433

マリ庵野くんの奥さんのモヨコ氏でそれ以上でも以下でもない

カヲルくんは 生命の書に名を連ねてループを繰り返していつもシンジくんシンジくんやってる。ループしている割には騙されやす

カヲルくんはメタ的には幾原邦彦

 

単なる憶測妄想しかないけどこの視点増田面白かった

anond:20210313212107 anond:20210313213832

2021-01-21

シェルブリッド 幾原邦彦

今だに続刊が出ないものかと待ち望んでいる小説

SFロボットもので異星人による遺伝子改良で大型の宇宙船のようにつくりかえられた人間や、

通常の人間より遥かに優秀な人類種となったジーメジャー支配する世界に、

普通人間ジーマイナー少年立身を夢見て悪戦苦闘するジョブナイル小説

2巻だけ刊行されてるんだけど、ムチャクチャいいところで終わってるんだよ。

続き読みたい。

永野護によるデザインが素晴らしい。

異世界勇士 高千穂遙

日本ファンタジー小説元祖とも言われる小説

日本ファンタジー元祖にしてハイファンタジーではなくて、異世界ものというのが面白い

現代日本から召喚されたものの、役に立たない勇者だと悪口を言われたりするが、

異世界の中に遺跡として残っていた科学文明機械をあやつりだすことでリスペクトされたりする。

最後ものすごく切ない。

シュナの旅 宮崎駿

もののけ姫の原型とも言われる漫画絵本

裏表紙小麦の穂が描かれているんだけど、

その小麦の絵をトレースして美術の授業の課題として提出したら、

メチャクチャ上手く描けているなと美術教師に絶賛された。

すぐトレースとバレたが。

やっぱり宮崎駿って絵がうまいんだなあと感心したのを覚えている。

2020-12-03

鬼滅の刃を蹴ってさらざんまい放送するテレビ局ってめちゃめちゃ尖ってるよな?

ちょっと前にゴシップ誌だか痛いニュースかに

フジテレビ鬼滅の刃(一期)の製作に関わることを断っていたという記事投稿されて

はてブでも「だからフジテレビは駄目なんだ」と例の如くパプリックエネミーFNNを叩いて勢に浸る遊びが開催されていた。

でも2019年の春クールフジテレビ放送されていたアニメってワンピDB以外だと「ゲゲゲの鬼太郎」と「さらざんまい」なんだよ、覚えてるか?

無期限の長期放送に入ってるワンピDBと定期的にリブートすることが伝統と化しているゲゲゲを除けばフジに空いている枠はノイタミナしかない。

そのひと枠に天下のジャンプ連載の勧善懲悪ヒーローアクションものを蹴って幾原邦彦オリジナル企画を選ぶというこの選択かなりぶっ飛んでるし、

プロデューサーより上にある程度理念みたいなものがないとやっぱできない気がする。

ウテナもうっすらそういうテイストあるけど、ピンドラから始まる21世紀幾原邦彦作品って「規範に潰される若者」の物語なんだわさ。

長男から」とか「強くならなきゃ」とか「先輩だから」とか「欲しがるばかりの奴は」って言葉ですり潰されそうな奴らが物語の中心にいる。

マクロ視点での善悪否定登場人物個人ミクロ感情肯定していく。そして最終的にそういう奴らが互いを理解し融和していくことで救済される。

例えるならサイコロ先輩のジレンマとか獪岳の苦悩に目一杯フォーカスを当てて、

彼らを「そうだよね君らにだって少しも慈愛がないわけじゃないし、不真面目なわけでもなかったんだ」って抱擁するのが幾原作品世界観だと僕は思う

ネットにおけるフジテレビは雑に言って「体育会系のノリでコミュニケーション弱者嘲笑文化を持っている」「軽薄で流行りに乗っかるしか能がない」というイメージで取り扱われている。

が、しかノイタミナは「連ドラのようにカジュアルに楽しめるアニメを」というマイルドヤンキーに向けた方向性を打ち出しながらも、

出版社業界力学オタクカルチャーゲームマンガラノベ等)のトレンドに左右されず、独自の指針に沿って型にはまらない企画を発表し続けてきた。

からこそオリジナル企画も多く、ただの深夜のアニメ枠でしかない「ノイタミナ」がブランドとしての意味合いを帯びてきたのだ。

視聴者と変わらない普通な現代社会で生きる、エリートでなければ超人的な能力も持たない平凡な人間叙情主題にした「あの花」は、

とらドラ」でその萌芽を見せていた超平和バスターズスタイルを完成させたとともに、アニメ純粋ヒューマンドラマを展開するエポックメイキングになった。

PSYCHO-PASS」は倫理観倒錯する未来ハードボイルド調に描いたディストピアサイバーパンクの秀作として10年代象徴する一作となった。

四畳半神話体系、ピンポンつり球といったメディアミックス作品ではなかなかお目にかかれない斬新な映像表現を打ち出した(それでいてストーリー構成にもそつがない)作品もなかなか実現は難しかっただろうしノイタミナでなければあそこまで好意的に受け取られただろうか?と思う。

「冴えカノ」や「DIVE!」のような「ラブコメ」や「スポ根」モノでさえ少年誌ライトノベルテンションから一歩引いたような独特なオフビート感がある。

これもノイタミナというフレームの影響にあると思うのは考えすぎだろうか?

個人的に次期の「2.43」がハイキューとどう差別化を図ってくるかにすごく興味が湧いているし、実のところ「ノイタミナ放送されているアニメ」然とした物が見られることを僕は既に期待してしまっている。

ノイタミナはなんとなくだが、社会から弾かれた者や、秀でた物がなくうだうだする若者に優しい作品が多い気がする。無邪気なラブコメヒーロー物を避け続けた結果なのだろうけど、そこが僕にとっては安心材料になりつつあるのだ。

話を戻すとして、

まずフジ鬼滅の刃を断った背景として、近い時期にジャンプアニメ放送が集中していたことが大きかったのではないだろうか?

周知の通りワンピDB放送しつつ、更に19年冬にはネバラン(一期)を放送していたので、19年春に鬼滅ということになると流石にジャンプコンテンツに偏りすぎるのではと危惧されたということがあり得なくもない。

日和見主義ゆえ、鬼滅の奇抜な作風グロテスク描写拒否反応を示した」というような粗雑なコメントニュース記事では散見されたが、ノイタミナでは過去鬼滅の刃と同系統の「甲鉄城のカバネリ」の製作積極的に関わっていた。故にジャンプ掲載される程度にはマイルドなこの作品を渋る理由としては考え辛いのではないだろうか。

追記

キャロル&チューズデイの存在をすっかり忘れていたことに気がついた。キャロル&チューズデイは19年4月から9月までの2クール放送されていて、鬼滅と丸被りしているので、邪推するならばこの代わりに鬼滅の刃放送されていたかもしれない。

まあとどのつまりそんなことどうでもいいんだけどね。

あいう未熟者が成長して真っ当に何者かになろうとする話は気持ちいいよね。

キャロル&チューズデイはアニメの中でも一際丁寧な作品だったと思う。音楽のこだわりもそうだし、渡辺信一郎さんといえばといった感じのスペースオペラ調のロマンに溢れた雰囲気も流石だなあといった感じだった。

まあこれは観るの中断してそのままになってるからあんまりわかったようなこといいたくないけどね。

実のところ+Ultraの存在自体すっぽり忘れてたんだけど(Great PretenderとかBeastarsみてたのに)、ケモノ物やわりかしハードSF物とかそういうのが多くて、ノイタミナとはまた違った形で硬派の作品を増やしていく感じがして面白いと思う。

2020-05-18

anond:20200518002312

幾原邦彦監督作品をきれいに論評できたら、「お前ごとき」とは思わないようにしようか。

2020-02-21

吾妻ひでおって深読みしないといけないの?

今ちょうど『ネオ・アズマニア1』で吾妻ひでおを初読みしてるところなのだが……。

今のところの正直な印象は、ただのロリコンポルノを照れ隠しでナンセンス調に仕立てているだけ、といったところ。

宇宙宗教を無根拠にただのこけおどしで用いて読者を煙に巻いているところなんか創作者として無責任に見える。

もしかして幾原邦彦吾妻ひでおエピゴーネンなのでは)

こういうのって、遅くとも60年代の時点ですでに小説映画普通に見られた作風であり、吾妻ひでお特有個性ではないと思うの。

2019-08-24

アニメ監督からセーラー戦士たちを抜粋しようのコーナー!

キーシド仮面押井守

名前が同じだから

セーラームーン湯浅政明

犬の王を描くにあたって、犬界では一番アニメ監督するのが上手な押井守に教えを請わないわけがない。

そんな密接な関係にある二人はもはや、月野うさぎまもちゃん関係といっても過言ではないに決まっている。

セーラーマーキュリー高畑勲

マーキュリーは頭がいいとなれないが、東大出身で頭がいいか絶対なれる。

セーラーマーズ幾原邦彦

実際に変身しているところを見たことがあるから

セーラージュピター佐藤竜雄

木星についてはナデシコで題材にしていて詳しいから。

セーラーヴィーナス永野護

実際に変身しているところを見たことがあるから

セーラーウラヌス庵野秀明

ネプチューンのことが大好きだから

セーラーネプチューン山賀博之

ウラヌスのことが大好きだから

セーラープルート本広克行

まもちゃんのことが好きだから

セーラーサターン動画工房アニメの誰か

萌えから

以上です。

ちびうさとか、スターライツとかは、みなさんで考えてトラバブコメで教えてね。

2019-06-24

『「男」に「男」は救えるか?』の『さらざんまい』の根本的な誤読について

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2019/06/21/190301

 タイトルからはわかりにくいが、本論はアニメさらざんまい』の感想

 が、この記事の評者は根本的に本作を誤読している。

 "ここのところ、はてな匿名ダイアリーで、(シスヘテロの)男性男性関係についての、男性書き手による記事が次々と公開されて、ブックマークを集めている。"という書き出しかゲンナリさせられるが(一生、インターネットを見るだけで終わるお前の人生)、

 「主人公少年3人がその繋がりを支えに未来に進む」という結末の解釈はごく妥当ものに思える。

 しかし、その妥当性は表面的なものだ。

 本論をざっくりまとめると「男同士が女同士のように関係を築きにくく、そのため現状、男性間では人間関係が支えになりにくい。『さらざんまい』はそれを問題提起した」というものだ。

 これはセジウィックの有名な「ホモフォビアを起点としたホモソーシャル」の議論を参考にしたものだろう。そのホモソーシャルの対極は、これまた有名なアドリエンヌ・リッチの「レズビアン連続体」だ。これは女同士だと友情恋愛境界曖昧であり、このことを利用して男に頼らない女同士の絆、連帯を育もうというものだ。

 主人公3人、一稀、燕太、悠は最終回までで簡単に言って三角関係になるのだが、最終回では悠の危機に3人の繋がりが強調されて、最終的には「友情サイコー!」という感じで3人で未来に進むことを決断するので、その読みは大きく外れてはいない。まあ要するに3カプですね、3カプ。

 だが本論が合っているのはここまでだ。

 なぜなら、第7話にも、第6話に大きな危機があり、それを克服したことで3人による友情を築いたような展開があるからだ。そして、それは三角関係によって崩壊してしまう…

 『「男」に「男」は救えるか?』の記事はこのことを自覚的にか無自覚的にか、省いている。この記事の評者は曲学阿世の徒だ。

 第7話と最終回(第11話)のあいだにどうした変化が起きたのかと言えば、主人公たち3人が自立した存在になったことだ。このことは「忘れないで。欲望をつなぐものけが未来を手にできる」という台詞で何度も作中で強調されている。

 というか、作中で「つながり」という言葉は半分くらい「欲望をつなぐ」という文章で用いられているのに、『「男」に「男」は救えるか?』の記事は、やはり自覚的にか無自覚的にか、このことを省いて、「つながり」が作中で人間関係の繋がりを指しているかのように誤導している(もちろん、そういう用法で使われていることもままある。が、もっとも肝心な最終回では「欲望をつなぐ」という文章しか用いられていない)。

 この記事の評者にとって、あらゆる問題は同性間の人間関係によってしか救われてはならないらしい。だからこの評者は曲学阿世の徒だと言ったのだ。

 さて、前述の「レズビアン連続体」、女同士の絆、連帯、いわゆるシスターフッドは20世紀に被抑圧者である女性たちが戦うために必要ものだった。では、仮に現在ブラザーフッドなるものが実現した場合、それはいかなるものになるのか。現状、多くの男たちがそうした関係小馬鹿にしている。それは評者の言うとおりだ。

 ただ、私はそうした評者の言う「弱者男性」たちがネット上で連帯し、女性叩きや中韓叩きに走ったときに、ブラザーフッドなるものを揚言していた女性が急に前言を翻す気がしてならないのだ。

 女性叩きや中韓叩きに走るという仮定を不自然に思われるかもしれないが、もともとフェミニズム運動公準は「私的もの政治的もの」であり、個人的敵愾心敷衍しないシスターフッド、ブラザーフッド存在しないし、仮に存在しても、意味がない。

 また、評者は今、「生きづらさ」を描く作品商業的に大きな成功を収めており、また、それはすべて女性対象にしたものだと言う。

 現在世界的に女性の消費に占める割合は64%だ。人口の男女比が同じとして、女性の消費性向男性より20%以上も高い。実際には男性の平均所得の方が高いから、差はより大きいものとなるだろう。そして、この差はあらゆる社会的女性差別と相関している。

 仮に「生きづらさ」を描く作品商業的に成功して、それが女性限定されたものなら、それは社会的女性差別と連関したものに他ならない。

 これは差別の原因だろうか、結果だろうか。

 男性にもそうした「生きづらさ」があると言う評者の意見に従えば、性差別特別女性に「生きづらさ」をもたらしているため、結果的にそういう作品女性対象としてのみ存在していると言うことはできないだろう。つまるところ、そうした「生きづらさ」に過敏に反応し、感情論を振りかざし、問題解決ではなく共感を求める姿勢こそが、現在女性差別の一因になっているということになる。無論、これは男性にも「生きづらさ」があるにも関わらず、なぜか男性向けではそうした作品存在しないし、女性である自分からしてみれば、そうした作品存在すべきだ、という評者の意見に従えばの話だ。言うまでもなく、私はそのような意見に従うことはできない。

 そもそも、『違国日記』が「生きづらさ」を描いたものだと言うなら、それはあまりに粗雑に過ぎ、作品を読んでいるといえるか疑問に思う。

 『違国日記』は登場人物登場人物がそれぞれ分節化されており、それは感情的連帯とは一線を画している。

 また、本作でおそらく評者が「生きづらさ」を抱えていると言いたいのは槙生だろうが、槙生は独力で生計を立てており、そのために朝に影響を与えることとなる(これが会社員、もしくは無職なら朝にとっては何の影響ももたらさない。ただ無職なら悪影響だけはもたらすかもしれないが)。そうしたエコノミーを営むことは、情緒的な「生きづらさ」とは対極のことだろう。エコノミーという語はもともと節倹、家計を指していた。無論、感情資本主義全否定するのはただの犬儒主義だが……それでも私は、「生きづらさ」を云々し、消費活動SNSの利用に人生を費やしている人々には、「一生、『凪のお暇』を読んで、夜10時台のドラマを観て、SNSお気持ち投稿してろ」と言いたくなってしまうのだ。

 一生、インターネットで男女問題を論じているだけで終わるお前の人生

 そもそも評者は幾原邦彦監督がこれまでシスターフッド的な関係を描くだけで、ブラザーフッド的な関係をとり落としてきたため、その姿勢反省したという論を展開したいようだが……

 幾原邦彦監督の『少女革命ウテナ』で、主人公ウテナシスターフッド的な関係をもっているのは親友若葉だ。若葉の劇中での扱いは……観たひとなら知ってるよね?

 何にせよ、そうした感情的連帯は、副次的な支えになりこそすれ、そのものが救済になることはない。少なくとも『さらざんまい』ではそうだ。

 例えばねとらぼ社員である青柳美帆子はこんなツイートをしている。

 「男性男性の弱さに寄り添えないというのはいろいろな本で言語化されていて、「ケア役割女性に任せていた(なので訓練されていない)」「ホモフォビアが壁になる」「弱さの吐露男性性の剥奪になるのでまず弱さを言えない」というのがあり、つまりその人個人というより社会が悪いのです。しか男性が(限定された部分ではあるけど)弱さを吐露できるし、男性同士で連帯できる空間があるんですけど、それが運動コミュニティなんですよね。「男らしさ」が担保されている空間であれば弱音を吐けるし連帯できる、けど限定的なので、まあやっぱり社会が悪い。そんな2019年エンタメの中で登場人物全員に欠陥がありコミュニケーションがうまく成立してるとはいえないけど「漏洩」という強制的な弱音共有装置により男性たちがつながっていく作品が出てきてるのはすごいことだなと思っていて、今晩最終回の「さらざんまい」というアニメなんですけど…はい…」

 「さらざんまい」という現象がそうした個人間の差異強制的にとり去る装置であることは間違いないだろう。しかし、それはあくまでそういうメタ的なシステムであって、物語を進めるための小道具であり、劇中における日常的な物事ではない。

 仮に感情的連帯を結ぶことが救済なら、やがてそのことが自己目的化するだろう。ああ、でもいますよね。一生、人間関係だけやって終わりそうな人間

 さて、ではなぜこのような誤読が生まれたのか。

 一つには「インターネット感情的なことを言うと気持ちいい」からだ。

 このことはSNSに関する無数の社会実験が明らかにしている。代表的ものだと、フェイクニュースの方が真正ニュースより圧倒的に拡散の速度がはやいということの、幾つかの統計

 前述のセジウィックは有名な『クローゼット認識論』で作品センチメンタリティ属性付与することの危険を「解釈暴力」と言っている。同人界隈のこじらせた腐女子みたいな言葉だが、まともな文芸批評用語だ。

 もう一つには……これがBL作品であるということ。竹村和子は『愛について』でユニセックスセックスレスが標準となった社会では、ゲイネス記号化して商品として流通やすくなるということを分析している。『「男」に「男」は救えるか?』の記事の評者や、上述の青柳美帆子氏が「男性同士の連帯!」ということを言うときは、まるで目をキラキラさせてショーウィンドウの中のラッパを眺める少年のようだ。そこにはユニセックスセックスレスが標準となった社会で、ゲイネス商品として心地よく楽しみたいという欲望が潜んでいる。従順で飼いならされた消費者の姿。消費活動SNSの利用に人生を費やす人々の姿……

 『さらざんまい』は女性顧客層として想定し、そのマーケティング戦略はまず成功したと言ってもいいだろう。そのことは喜ばしい。

 しかし、まさにそのためのBL作品の外観のために、作品解釈が「感情的気持ちいい」ものに歪曲されて、そうした有害無益な「解釈」が、SNS論理性を欠き「共感」だけで拡散されているとすれば、それは悲しむべきものではないかと思うのだ。理性と真実ではなく、共感幻想インターネット。図らずもそれは、『「男」に「男」は救えるか?』の記事の評者の揚言する「つながり」を体現している。

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