はてなキーワード: 幼児とは
もちろん石を投げない男もいる。
俺みたいに。
しかし石を投げない男は男社会の一員とは認められずリンチされイジメられ負け犬人生。
そして何より石を投げる男は女たちに愛される。
投げない男は一生モテない。
生物としての闘争本能があるオスだけがメスから選ばれるんだから当然だ。
この人たちはみんな女性と見えるが奇跡的に文明化された女性たちだから石を投げる行動を叱る事ができたようだが
世の中の大半の女は石を投げるような「ヤンチャな男の子♥️」が大好きでめちゃくちゃ可愛がり猛烈に甘やかす。
だから男どもは大人になってもそういう幼児的かつ暴力的な行為を一生やめない。
飯を食わせて、風呂に入れて、歯を磨いて
『アンパンマン』を一緒に見てる
アンパンマンって今見てみるとジェンダーバイアスの塊でドン引きしたわ…
例えば、
・キャラクターの特徴して主役級のキャラはほとんどが男で女性のキャラは脇役が多い。
(例えば性格で言えば、男キャラは優しいキャラから〜やんちゃガサツ、知的なキャラ、不細工なキャラまで色々ある)
・また男キャラはおっさんキャラやジジイのキャラもいるが女性キャラは魔女以外は若いキャラがほとんどだった(※エイジズム丸出しw)
・あと母親と息子の関係性は結構出てくるが、なぜか母親と娘の関係性はあまり出てこない。(記載するまでもないが、子供の面倒を見ている父親キャラはほとんど登場しない)
・たまに思い出したかのように、マイノリティっぽい設定のキャラが出てくるけど、たいてい単話のみの登場でレギュラーキャラとして登場せず、設定ポルノやノルマとして消費されるだけの存在でしかなかった
昔、大阪大学の幼児アニメのジェンダーバイアスの研究でアンパンマンはジェンダーバイアスの塊だって出てたけど
まさにその通りだったわ
チビには他にベイビーバスやバウパトを見せてるけど、そこらはこういったポリコレに配慮してて鑑賞に耐えるものではあったが
勝訴した当時はへえよかったじゃんと思ったが、今では胡散臭く思えるようになった
弁護士は公金不正受給で返金命令2690万円が出たりスタッフが幼児レイプで懲役20年判決出るような団体の守り神やってるような人だし、
最近は「裁判官を変えろ、書記官を変えろ」と無茶苦茶な申し立て連発して棄却されまくりだったりやべー人だし
この事件はJKアイドルが自殺し、スマホからは事務所社長の暴言が出てきたため「社長のせいで自殺した」と遺族が訴えた件
「社長は確かにパワハラしてました」と同僚の女の子が発言したと遺族側が供述書を出すも、
後から女の子が「供述なんてしてません捏造されました」と証言し、
「むしろ家庭の問題のせいじゃ?家庭問題をよく相談されました」と言い、事務所側が勝利し、遺族側は毒親だと糾弾された
でもうさんくせえなと思うようになってから、当初の供述書こそが真実で、後から嘘を言わされたんじゃねと認知プロファイリングするようになった
社長がJKアイドルに暴言を幾つも送り命令口調ばかりだったというのは記録も残っており社長も認めた事実
親しい間柄のくだけた言い回しであって本当に悪意があったわけではないと供述し、勝訴によってそれが本当だというムードにもなったが、
何十歳も年上の、事務所で権力を持っている側のおっさんにJKが「次に寝ぼけたこと言い出したらぶん殴る」などの高圧的なこと繰り返し言われて「仲が良いから平気」と思えるだろうか
JKアイドルの親は貧乏ステップファミリーで確かに底辺くさい雰囲気はするので問題はあったのだろうけど
一方で社長は、全国的にはマイナーとはいえ道楽でローカルアイドル作れるような豪農の金持ちだ
同僚の貧乏な親より、金持ちな社長を女の子が取ってもなんら不自然ではない
また、社長からのパワハラについてはJKの恋人である男子高校生も相談されていたと証言している
JKの親は恋人との交際に否定的で、JKが通信制高校を辞めて恋人と同じ全日制に入り直したいと言った際も反対していた
(JKがいじめに遭って不登校になった過去があり毎日通うことや学力に難があったためもある)
自分の彼女が親の不満ばかり口にしており、自殺は親のせいだと確信があったら、事務所側につくんじゃ?
また、JKと同じグループメンバーの田中優香もパワハラされたとTwitterで告発して脱退している
「以前より事あるごとに『お前たちは必要ない。辞めてしまえ。代わりはいくらでもいる。』等の罵声を浴びせられながらも一生懸命頑張って参りましたが、9月25日の屋台祭りにて休憩を取ることを許されず『もうやるな辞めろ。代わりはいくらでもいる。』と、罵声を浴びせられ、耐えられなくなってしまい、活動を辞退させて頂きました。それが全てです」
休むのを高圧的に禁じられた、というのは遺族が話した内容と全く同じ
自殺から4年、社長がとっくに勝訴した後でまた他の子が似たようなパワハラを訴える環境
そんで事務所はとうとう潰れた
2度の妊婦生活と数年の幼児連れ生活をしてみて、主語はデカイが日本人の思いやりのなさに本当に辟易している。
妊娠期間中、電車に乗って優先席を見渡すも空いていることは稀で、座っている人たちは譲る気ゼロ。
これは老若男女に当てはまるし、なんなら小学校高学年くらいの子供も普通に優先席座ってスマホしてて譲らないので驚く。
中には本当に体調悪い人もいるんだろうけど、明らかに元気そうで優先席座る必要ある?という人たちばかり見かける。
個人的には妊娠期間中や具合が悪いとき以外は席が空いていようとも優先席には基本座らないので、譲れないならそもそも座るなよと思う。
しかも先日、ホームで先に並んでいた私を押しのけて優先席に駆け寄って座ったジジイがいてそんなに元気なら立ってろよと。
ちなみに一度、松葉杖の方と同じタイミングで乗ったがその方にも席を譲る人がいなくて驚愕した。
とにかく優先席であっても席は譲ってもらえない。
そしてもう一つ。
ベビーカーで出かけるときいつも遭遇するのがエレベーター乗れない問題。
デパートや駅などどこでもなのだが、エスカレーターか階段で行けるだろう人たちがエレベーターに乗ってしまうためベビーカーと車椅子の人間が乗れない。
1回見送るのは当たり前で、酷いときはエレベーター待ちが並んでしまって数回見送ることも。
頼むからエスカレーターで行ける人はそっちで行ってください…ベビーカーや車椅子はエレベーターしか乗れないんだよ。
もちろん中には「こちらどうぞ」と席を譲ってくださる人もいるし、エレベーターで車椅子やベビーカーに気づき慌てて離脱してくださる方もいます。
そのたびに本当にありがたいと思って懇切丁寧お礼を言うようにしてるんだけど、そういう人は圧倒的に少なくて譲らない人ばかりが目に付くのが現状。
ヨーロッパに在住していて帰国した友人からも「日本の席の譲らなさや子育てを全く歓迎していない風潮は異常」と聞いて、他人に積極的に関わろうとしない日本人の気質もあるんだろうけど、海外から見れば異常なんだろうなと。
これがめちゃくちゃ偉そうに読めるだろうことはわかってる。ごめん。
妊婦って初期はつわりで死ぬほど辛いし、中期は様々なマイナートラブルで体ガタガタだし、後期はお腹重すぎて背中も腰も痛くて動悸息切れもあって立ってるのしんどい。ましてや上の子連れて出かけないとならないときは(ベビーカーでも)尚更キツイ…。
だから譲ってくださってる方々には本当に頭が上がりません。ありがとうございます。とてもとても助かってます。
主語が死ぬほどデカイのは重々承知して書いてるし、譲られて当然!みたいな妊婦様になりたいわけでもなくて、別に私じゃなくても松葉杖ついてる人とか車椅子の人とか乳幼児連れとか老人とか、そういう人たちに席やエレベーターを譲ることがなんでできないのだろうと公共交通機関に乗るたびに日々考えてしまう。
もう少しそういう風潮が変わるといいな。
まず大前提として、大元が勝たなければビジネスとして成功しない。
当たり前のことだが収益より支出の方が多いようでは、経営として成り立たない。
だからパチンコ屋を経営するには必然的に支出より収益が多くなければならない。
つまりパチンコ屋が経営できているのはそれだけ多くの人間が負けているからだ。
もう一度当たり前のことを言うが、パチンコでは勝つ人間より負ける人間の方が多い。
理由は先に述べたように、負ける人間の方が多くなければ経営が成り立たないから。
ここでタイトルの主張となる。
何故なら、負ける人間の方が多いと分かっているのに自分がその負ける側に入るとは思っていないからである。
自分は勝って、儲けることが出来る。
洋画だったり洋ゲーの本編やフレーバーテキストで英語のダジャレが出てきたりするが
英語でボケられても一体なにが面白いのかよくわからないがそれは文化の違いとして納得はできる
例えばスタートレックや銃社会に幼児の頃から触れていない文化圏の人間にそれらに関する皮肉やダジャレを秒で解釈する脳の部位は育っていない。
だからそれはしょうがないのだ。ネイティブの人はクスっとしてるんだろう。
日本語版が実装されたりすると本編もフレーバーテキストも当然日本語になる。
ダジャレが出てくる場面を直訳してもそのままではダジャレが成立しなくて日本語のダジャレを無理やりする場合がある。
日本語版になったら少なくとも日本語話者には面白いと感じられるクオリティのものをやってほしいものだが
なぜかとんでもなく面白くないダジャレになっていることが多い。
最近のアイドルやVTuberたちのファンの熱狂ぶりは異常だ。これらの人気者たちは女性ファンから過剰に可愛がられ、時に「赤ちゃん」扱いされている。そんな中、一部のVTuberから「ファンに赤ちゃん扱いされるのはストレスになる」という異議申し立ての声も上がっている。
確かに、大人の男性が可愛がられすぎて赤ちゃん扱いされるのは気分が良くないだろう。
一方、この"赤ちゃん"呼称の背景には、社会全体に蔓延る"幼児化"の風潮がある。街行く一般の大人の女性ですら「女子」と呼ばれることが当たり前になっている。かつては大人として敬意を払われるべき存在が、敬称を剥奪され、無防備な未熟者のような扱いを受けているのだ。
この「女子」呼び捨ての風潮は2000年代以降に一気に加速した。「女子会」「女子力」といった言葉が爆発的なブームとなり、社会に広まっていった。女性のことを無造作に「女子」と呼ぶのが当たり前の時代になった。一方、男性への「男子」呼びはそこまで浸透していない。男女間の扱いの差は歴然としている。
このような大人への蔑視が蔓延る中で、一部のオタク男性たちはむしろ自ら幼児化することに酔いしれている。彼らは推しの声優やVTuberたちを「ママ」と呼び、自らを「赤ちゃん」と位置付けることを快感としているのだ。
この矛盾した現象は一体どこから生まれてきたのか。それは幼児期の母性愛への強い憧れにあるのかもしれない。オタクの内面には、世間知らずの無防備な子供心が残されているのだろう。自らも無防備な幼児となり、親しみを持つ対象に守られたいという心情があると思われる。
だが、この無防備さを誇りとするあまり、オタク文化が生み出した新しい価値観は逆に大人社会に波及し、大人社会の空気を自らの支配下に置こうとしている。
他者に守られたく自らを赤ちゃん化するオタクたち。そして大人を幼児扱いする資本によるマーケッティング。この両極端な文化の狭間で、私たち健全な大人は翻弄されている。本来なら大人は互いに敬意を払い、対等にコミュニケーションを取るべきなのだ。
しかし、世間は否応なしに"大人を幼児化する"流れに乗せられようとしている。大人として大人を尊重することすら難しくなりつつあるのが現状なのだ。大人同士の関係におけるこの価値観の攪乱こそが、今一番危険なのだと私は考えている。