はてなキーワード: 幸せとは
反差別アンソロの件でかなり精神的に参ってるので書き殴り日記。駄文で冗長、婉曲的です。事実誤認があったらすみません。
検索に引っ掛かりたくないのでグループ名をAとします。大体この件を知ってる人には名前も詳細もばれてると思うので。嫌だけど。
自分は三年前からAをゆるゆる追いかけてきた。もともとゲームが大好きでなんとなく見始めた動画が、いつの間にか楽しみになっていた。
ファンアートも描いた。本人たちのガワを使って自分の好きなシーンを書いて、誰かにこの動画面白かったよね、が届くのがうれしかった。実際好きな絵描きさんのところには、「あなたの絵がきっかけでAを見始めました!」とか、「あなたの投稿で(メンバー名)に興味がわいて見てます!」というようなコメントも見られた。自分の絵は稚拙で影響力もさほどないのだが、ファンアートってこういうものだ、とうれしくなり、誰かの興味を引くかも、と描くときもあった。動画を見るのが楽しい。メンバーが楽しそうにしているのを見るのが楽しい。ファンアートが楽しい。同じファンの人の呟きを見るのも楽しい。なんて楽しいコミュニティだろうか。
昔はしょっちゅう荒れるクリエイターの界隈にいた。学級会、大手絵師とその意見を絶対とするアカウントたち、いつも苦言を呈している人、本人に凸る人、本人の個人情報撒く人。クリエイター自身は好きだがファン同士でうまくやっていけなかった。ところがAの界隈はどうだ、ほどよい距離感でみんな穏やかに生きている。やさしい人がたくさんいた。楽しい人、面白い人、絵がうまい人。今まで歩いてきた界隈はそんなに多くないけど、きっとここは清流の水源に最も近い場所だと思った。
5月14日の夜。ふとTwitterのおすすめタイムラインを見て、あのツイートが目に付いた。初めは、自分の描いたファンアートを自分用にまとめて本にしたのかな、と思った。でも違った。表紙に書かれた文言を何度も読み直す。これって、Aを使って反差別を主張しているの? Aはそんな事一度たりとも言ったことがないのに? なんでAを題材に作ったの? なんで公開垢で投稿したの? 頭の中にいろいろな感情が駆け巡った。界隈のことを考えた。荒れる、と思った。私は少なくとも、このツイートを見て酷い嫌悪感を抱いた。誰か同じことを言っていないだろうかといろんなワードでパブサしたが、特にツイートは見つからない。まだこのツイートは拡散されてないし、寄稿者っぽい人が引用RTしてるだけ。いくつか本当に目を疑う文言もあるけど…このままみんながスルーしていれば、界隈で学級会…みたいにはならないかも。ーーでも、ALTにガッツリグループ名書いてない?見つかるのも時間の問題では?現に今自分のおすすめTLに流れてきてるわけだし。ていうか何だよおすすめTLって。どういうしくみだよ。泣きたくなった。どうかおおごとになりませんように、と祈って寝た。
翌朝、件のツイートに一つだけリプライが増えていた。話を広げたくない。実在人物でこういうアンソロを作って公開するのはやめた方がいい、鍵垢にしてほしい。そんな内容だったと思う。ああ、よかった、自分以外にもこれに疑問を持つ人がいてくれたんだ。ファンアートは自分の主義主張を乗せるものではないと思う。楽しさを表明するためのモノじゃないだろうか。自分は事態が良い方向になるようにと祈りを込めて、鍵垢でそのリプライに20数個目のいいねを付けて外出した。
昼、界隈はすでに火の手が上がっているように見えた。いろんな人がこの件に触れている。ああもうだめだ、と思った。このまま延焼を続け、やがてこの界隈をよく知らない人も野次馬精神の人もやってきて、好きなだけ意見という名の薪を投げて、次の日には忘れて暮らしていくのだろう。今も焼かれている村に住んでいた人たちなんてお構いなしだ。私は明日もここで暮らすつもりでいるのに。アンソロ寄稿者の多くは、Aのファンというわけではないらしい。アカウントを覗いたときAのファンアートはほとんどなかった。何もかもを呟くわけではないし今日び別垢の存在も大きいけど、本当に彼らがAのファンなのか、私は疑っていたかもしれない。彼らは自分の意見の狼煙が、より高くより遠くへ届くようにと、偶然そこにあったAのファン界隈という潤沢な森を選んで火種を落としたのではないか?--そんな根拠のない憶測までしていた。多分疲れていた。
いろんな意見が飛び交っていた。全部にダメージを受けた。自分がツイ廃であることをこの日ばかりは後悔した。
Aって反差別とか掲げてるグループなんだ→ちがうよ…一番危惧してたことが起こってるじゃん
反差別と思われたくないって何?→本人たちが表明してない思想を持っていると勘違いさせるものはそれがどんな意見であろうとよくないと思うんだよ…
nmmn界隈よくわかんないけど~→じゃあなんで来たの…ほっといてよ…
アンソロ参加者へ誹謗中傷→マジでファンのイメージ悪くなるからやめてくれ
だけど、フォローしている絵描きさんたちがぽつぽつと、しかし一言二言だけ、意見をツイートし始めた。「実在の人物はキャラクターじゃないよ」 「ファンアートはこういうことを気を付けてる」 「楽しく絵描いていこうね」私はそれに救われた。森の中でまだ焼けずに残っていた集落で、まだこの明かりはともっている。ひとつひとつにいいねを付ける。鍵垢にして閉じこもってしまった家々もあった。自分の絵を今一度顧みて消す人もいた。炎は確かに私の住む森を焼いたが、住人たちは生きていた。三年間かけて穏やかな人たちで形成してきたTLは私の心を救った。
延焼はだいぶ遠くへ行ってしまった。「Aが炎上!?原因は!?」みたいな早計な記事ができてたり、まとめサイトにまとめられてたりするが、今はたぶん、Aのことは関係ない思想とか主義とかの議論がボヤになっているぐらいだろう。私は絵を描いている。描きたいシーンがたくさんある。祝いたい記念日も、話したいこともたくさん。
本人たちももう見ているだろうな。「公開したやつより拡散したやつの方が悪い」みたいな意見もあったけど、もうどうでもよくなってしまった。本人たちがまた楽しくしてるところを見られたらそれでいい。
私は祈る。多くの人の「祈り」が宿ったツイートが森を焼いたことが、どうかあの人たちに1㎜でも伝わりますように。一連の流れを見て、「A界隈ってこういう人たちなんだ」 「Aってこういうグループなんだ」じゃなくて、「みんながみんなこういう人ってわけじゃないよね」 「界隈の人たち大変だっただろうな」と思ってくれた人が、どこかにいますように。そう思ってくれた人に幸せが訪れますように。そしてこの出来事をみんなが忘れて、でもやっちゃいけないことがあるってことだけ覚えて、明日も好きを表現していられますように。
上の増田を割と楽しく?読ませてもらった。こういうどこにも書けない長文っていいよね。こういうの読むの好き。
「自身をオタクと認識・規定している人(の中でも特に女性?)」って人生の色々な事柄を「オタクであること」と関連付けて解釈しようとしがちじゃない?
煽りたいとか、批判したいわけじゃないんだけど、元増田の内容って「クズでセックスの下手な元カレと付き合ったら、自信喪失してうつ気味になって趣味(オタク活動)が楽しめなくなった」「分かれて良い彼氏と付き合ったらまた趣味を楽しめるようになった。」「人生経験を経て、好みの幅も創作の幅も広がった」
これだけだと思うんだけど、なぜかオタクであることと結びつけるよね。なんでなんだろうっていつも思う。
こういうこと言うと「解像度低いよ」とか「雑な単純化すんじゃないよ」とか言われそうだけどさ。
でもそこで「オタクであること」に焦点あてるのって正しいのか?むしろピントずれてないか?
同じことが「フットサル趣味の女性」とか「雑貨創作趣味の女性」とか「(非オタク)小説執筆趣味の女性」に起こったら、たぶん大抵の人は「初めての恋愛に失敗してうつ気味になって趣味できなくなった」「元カレクズだった」「良い彼氏と付き合えて良かった、趣味も捗る」っていう考えに至ると思うんだよね。
元増田中に『「あれを「現実で恋愛しているからフィクションが不要になってた」という解釈だけはマジでできない…」』ってあるけど、そんなこと普通思わないでしょ。
俺はよくしらないけど、オタク女には「やっぱ恋愛してるヤツはオタク趣味やめるんだよ」みたいな意識や認識があって、そういうレッテルの否定なのかな?
なんか自縄自縛してるみたいな考え方だよね。別に恋愛楽しかったら趣味がおろそかになってもいいし、彼氏がクズでうつ気味になったら趣味にも入れ込めなくなるのは自然だし、人によっては恋愛も趣味も両立するじゃんね。
元増田のオタク趣味ってたぶんアダルトな内容やその二次創作が含まれてるんだろうから、身体的自身を喪失したらそういうの目にいれたくなくなるのは自然じゃんね。
なんでこんなことわざわざ書くのかというと、読んでてオタクであることの自意識にこだわりすぎてね?と思ったから。
自己分析するならオタク趣味とか創作の前に「恋愛を自分事としてとらえてなかった私が、初めての恋愛で失敗して、次の恋愛では成功できた。幸せだ。」ということをまず第一に据えるべきでしょ
オタクは要因解析するときに「オタクである自分」を最大因子にしがち。この場合だったら「恋愛してこなかった自分」とか「人生経験を経た自分」が最大因子でしょ。
まぁもっというと加齢も関係しそうだけど。大人になったんだよ。
あとここだけちょっとあおりっぽくなっちゃって申し訳ないんだけど個人的にどうしても気になったんだけど
そんなレッテルねーだろ笑
なんでオタク達はある一方で自分たちをすごく誇らしく語るくせに、もう一方でこういうわけのわからん被害妄想を持つのか。まぁでも意味ないと気づけてよかったね。
オレも途中で受験勉強意味ないって気付いてやめたけど、結局幸せだよー。
成功するやつは何しても成功するし、逆に失敗するやつは失敗する。
そういうことだと思ってる。
友人に聞いたけど大学行って何がよかったって、誰も答えられなかったわ。
何か価値のあるものを得たら、それを知った誰かから狙われ、落とされてしまうかもしれない。それでいいじゃないか。たとえ騙されていたとしても、騙されている間は人生で一番幸せだったりする。それなら、そんな体験をさせてくれた相手に感謝すればいい
頂き女子の思うツボじゃん
ストーカー事件からの諸々で「自分は色恋営業にはハマらない、何故なら異性が自分を好きになってくれるなんて期待していないからだ」という意見が男女問わず散見されたものの、実は期待しなさ過ぎるというのも危なかったりする
脳のやる気スイッチは「いいことが起きたからやる気が出る」「悪いことが起きたからやる気をなくす」というものだが、この良い悪いとは何で決まるのか?それは自分の予想だ。つまり、自分の予想より良いことが起きればやる気スイッチが入り、予想より低ければやる気が失われる。そしてその度合いは、予想と現実のギャップに比例する
すると何が起きるのか。異性にハナから期待していない人間は、異性からの対応をかなり低めに見積もるので、そこに普通かそれ以上の対応をしてきた異性が現れると、予想と現実のギャップに脳がハックされてしまうのだ
そしてそれは、お金を出せば会える異性よりも、偶然知り合った(と思い込んでしまう)異性に対して起きてしまう事が多い。何故なら、お金を出して会える異性に対しては「お金を払った分は接待してもらえるはず」ということで多少は期待度が高くなり、ギャップが少なくなる。一方で自然な、お金を介さない、自由意思に近い出会いをした異性には期待度が低めのままなので、そういうタイプに温かくされると、予想と現実のギャップの大きさにコロッといってしまうのだ
そうやって異性をハックしてきたのがりりちゃんであり、あるいは木嶋佳苗である。彼女らはそんじょそこらの水商売の人間よりも鋭い毒牙を隠し持ちながら、表向きは純粋な人間を演じ切った。そしてこういうタイプは、期待していない人間に特攻を持っている
冒頭に書いたストーカー事件の犯人は常軌を逸した人間だったのでちょっと例外だが、事件になっていない部分ではもっとまともな人々が密かに搾取されていると増田は推測する。ということで、そんな人々に増田から伝えたいことは一つ。それは、騙されちゃってもいいやと考えることである
何か価値のあるものを得たら、それを知った誰かから狙われ、落とされてしまうかもしれない。それでいいじゃないか。たとえ騙されていたとしても、騙されている間は人生で一番幸せだったりする。それなら、そんな体験をさせてくれた相手に感謝すればいい
なので、自分の価値に期待し過ぎないことは危険であり、他者から自分への対応に期待し過ぎないことも危険であり、そして何より自分の理性に期待し過ぎるのは危険である。もし何か目的を持った人にアピールをされたら、素直に喜び、そしてどこかで察すればいい。それが積み重なることで、本当の好意と裏のある好意が分かるようになる。人生は楽しんだもの勝ちだ
道路の脇にペンキを塗っただけの自転車専用レーンでさ、自転車で走ってる時に路上駐車があると
というプロセスを踏むのだけど、車がよく通る道路だと車が来ないタイミングが来ないんだわ
来ないってことはないけど、発進速度とか考慮するとタイミングが来るのに、運が悪いと5分とか10分とかかかる
マジでかかる
しょうがないから歩道に上がって、自転車を歩道の上に持ち上げて歩道を歩いて転がし、再び車道に降りて走行を再開する
疲れる、マジで疲れる
交通状況をみてダメそうなら歩道を走ればいいじゃんと言われるかも知らんが、それでいざ歩道を走るとその状況判断はおかしいとか何だかんだ言われるわけじゃん
思うにさ、路上駐車取締員(通称:緑のおっさん)とか眠たいことやってないで、今はみんなカメラの付いたスマホを持ってるんだからナンバープレートを写真に撮って送ってもらえばいいんだよな
通報用のアプリを作って、写真に撮ったら位置情報と一緒にすぐ警察のサーバに送信
善意の通報者には抽選で5名様にココ山岡のダイヤとグアム旅行をプレゼント
路上駐車が無くなれば自転車は自転車専用レーンが走りやすくなってハッピー
みんなが幸せになれる
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6501256
↑この記事読んだ。いつの時代も運動音痴は苦労するんだなあって思った。
優劣の付き方が激しい点は体育の悪点として挙げられがちだ。けど俺はここじゃないと思う。テストなどなど色んな所に優劣はあるし。
俺は集団で何かをしないといけない状況がダメなんだと思う。そしてそれに伴う"個人攻撃"が子供の心を壊す。クラス一丸となって物事を成し遂げることは素敵な事だと思う。けど運動会は逃げ場がないんだよな。合唱祭なら下手なりに声出したり、邪魔しないように口パクでもいい。周りが下手なやつを補える。運動会はそれが難しいんだよなー。集団行動で成長を促すんならそれに伴うケアをできる仕組みじゃないとダメじゃない?ヤフコメでは逃げ癖だとか嫌なことでも〜って書いてるけど、足が遅かったり縄跳びが下手なだけで個人攻撃される空間なんて逃げてしかるべきでしょって思う。みんなが出来ることを出来ないやつもいることは想定内なんだからそいつに批判が集まらないような仕組みを作れよ!!全体で見て成功でも、個人の心には一生物のトラウマが残ることもあるんだからな!!!
まあなんでこんな情熱的に語ってるかは分かるよね、、俺は真面目に体育に参加してたけど、全部サボった方が幸せに生きられてただろうな。
(追)運動会について書いたけど、その練習含む体育全般に言えると思う。辛いけどマラソンとかは気持ち的に楽だった。責められないし
恋愛に興味を持つためには、まず自分自身のことを理解し、何が自分を幸せにするのかを考えることが大切です。以下の方法を試してみてください:
1.新しい趣味や活動を始める:新しいことに挑戦することで、異性との出会いの機会が増えるだけでなく、自分自身の魅力も高まります。
2.自己分析を行う:自分の価値観や興味があることを深く掘り下げてみましょう。それによって、共通の興味を持つ異性との関係が築きやすくなります。
3.社交的になる:友人や知人を通じて新しい人々と出会うことで、恋愛に対する興味が自然と湧いてくるかもしれません。
4.ポジティブな考え方を持つ:恋愛に対して前向きな姿勢を持つことで、恋愛への興味や意欲が高まります。
5.自分磨きをする:外見だけでなく、内面も磨くことで自信がつき、それが恋愛への興味につながることがあります。
恋愛は人生を豊かにする素晴らしい経験の一つです。自分に合ったペースで、楽しみながら恋愛に対する興味を育てていくことが重要です。また、恋愛に興味がないと感じる場合でも、それは自分自身の価値観やライフスタイルに合っているかもしれません。自分に正直に、自分のペースで進んでいくことが大切です。
---ここまで
・基本的に恋愛の知識はネットやアニメや漫画から得たものしかない
・ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする
・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない
・恋愛や幸せに対する考え方が幼稚で独善的(自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)
全部当てはまってそう
(サビ)
でもその心は満たされない
承認欲求が終わらない
(1番)
フォロワーの数に埋もれた夢
鏡の中の自分が霞む
(プリコーラス)
いいねが増えるたびに
心の空虚が広がる
本当の自分はどこにいるのか
問いかける声が響く
(サビ)
でもその心は満たされない
承認欲求が終わらない
(2番)
真実は闇に隠される
偽りの幸せを演じて
孤独の淵に立たされる
(プリコーラス)
瞬間の栄光に酔いしれて
現実を見失う
破滅への道を歩むその時
何かが崩れ落ちる
(サビ)
でもその心は満たされない
承認欲求が終わらない
(ブリッジ)
ある日気づく、限界の壁
無音の舞台に立ち尽くす
静寂が心を包む
(サビ)
でもその心は満たされない
承認欲求が終わらない
(アウトロ)
行き過ぎた行動が招いた
キラキラの影に潜む
儚きインフルエンサーの夢
ない
あなたは春とヒコーキのぐんぴぃが「バキバキ童貞」と言われた理由をご存じですか?
あなたは「でも幸せならOKです」がどの番組で扱われたか知っていますか?
あなたは「だって童貞だもん」のバラエティ番組が何か分かりますか?
つまりはインターネットがあってもなくても無関係なテレビ番組からもおもちゃになるので、無駄でしかないのです
異世界でなくてもスマートフォンと共にある時代、誰からも盗撮されるリスクがあるという事実
例え自分が奇行じゃないと思っても映って動画にされただけでアウトのこの世の中で、おもちゃにならない方が難しいのではないか
以下の行動をすればリスクは下げられる
自分は割とカジュアルにブロックをしているのだが、相互をブロックするのは勇気がいるので増田に書き散らす
自分はうっすら不運なんです……不幸なんです……体弱くてしんどくて大変なんです……みたいなことを書きつつ、でも理解ある旦那とかわいい子供がいて兄弟仲も良いです!ソシャゲでもなんかよくわからないけど最高レア?引いてる!でもうっすら大変なんです……本当しんどいんですよね
「なんでそこまで趣味とか家族とかで幸せなのに、うっすら不幸ですムーブするの」っていう気持ちになる
元々プライベートに近いところで知り合ってるから穏健にミュートで済ませたいところだったが、自分のインターネットのコミュニティにもガンガン浸食するようになってきたのでブロックしたくなってきた。
そして、意を決してブロックしようと本人のホーム言ったら「なんかまたブロックされちゃった悲しいどうして自分を理解してもらえないの」って嘆いてて、そこに「それはひどいですよ!かわいそう!」みたいな擁護リプがついてて萎えた
初デートサイゼ論争はことごとく議論が噛み合っていない様子である
サイゼ論争を眺めるにつけ、みんな明後日の方を向きながら演説しているだけなのに距離が近いから議論ぽく見えてしまっている……といった印象を毎回抱いている
この噛み合わなさの要因は一体何なのか
議論を観察するうちに気づいたことだが、実は「初デートにサイゼ」という事象には3つの捉え方があるようなのだ
初デートサイゼを語っている人間は大きく3つのグループに分類され、それぞれ常識や経験、世界観が全く異なっているために同じ「初デートサイゼ」を語っているように見えても実は全く異なるデートの事象を取り上げている
ここでは初デートサイゼ論争を繰り広げる層を3つに分類し、それぞれの層が指す初デートサイゼの正体について深堀りしてみようと思う
それぞれの誤解が解きほぐされ「初デートサイゼ」にまつわる相互理解に少しでも繋がれることを願っている
まずは初デートサイゼに対して激烈な嫌悪感を示している層である。
概ね下記のプロファイリングに該当する層であり、初デートサイゼ論争においては否定派に回っている
・結婚願望が強い
・恋愛経験があったとしても自分の理想の恋愛経験ができた経験はなく、過去の恋愛を黒歴史だと思い込む節がある
・相対的な価値観で幸せを感じる傾向がある(自分が好きかどうかではなく周りからどう見られるかを重要視している)
・「〇〇すべき」「〇〇しないとみっともない」といった「べき思考」を内面化している
こういった層が想定する「デート」とは、マッチングアプリ等によって知り合った人間との初めての顔合わせである
婚活をしない層からすると信じられないことだろうが、彼女らの思うデートとは「相手のスペックを品定めするための場」であり、純粋に恋愛の過程を楽しむためのものではない
さながら、事前に定められた規格に対してその製品が合格できるかどうかを確認する試験のようなモノなのだ
そういった層からすれば当然のことながら「初デートでサイゼ」はナシとなる
この層における初デートサイゼとは、「相手の男性の給料は相当低い」「自分を魅力的に見せる努力を怠っている無能力者」「こちらを舐めている、足元を見ている」「こちらを楽しませようという甲斐性は一切ない」などといったことを意味する符牒となるのだ
故に初デートサイゼ肯定派を見たとき彼女らは自身の価値を毀損させられたかのごとく怒り狂うし、あるいは「初デートにサイゼ悪くないじゃん」的なことを言う女性に対しては「穴モテのクソ女!!」といった反応を寄越すのである
初デートサイゼを支持する層ではあるが、こちらもこちらでデートに対する認知は歪みまくっている
プロファイリングは下記の通り
・基本的に恋愛の知識はネットやアニメや漫画から得たものしかない
・ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする
・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない
・恋愛や幸せに対する考え方が幼稚で独善的(自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)
この層はデートを「恋愛関係に至ったあとにする行為」だと思ってる
より正確に言うなら、「好きです!付き合ってください!」などという告白によって交際がスタートし、その後初めてふたりで出かける行為を「初デート」だと思っている
しかも、基本的に女性に対して歪んだ幼児的な見方しかしておらず0か100かでモノを考えているうえ、「ありのままの自分をそのまま認めてもらえるのが良い恋愛」だという幼児的な世界観に脳みそが支配されている
「初デートがサイゼになるのは仕方ない(他にお店を知らないし怖いから)」
↓
「理解のある彼女ならこちらの事情を察して初デートサイゼに文句は言わない」
↓
「っていうか初デートで高い飯奢られようとするとか普通に性悪ビッチなのでは?」
↓
↓
「初デートサイゼは何もおかしくない!むしろ初デートサイゼに文句言ってんのは性悪のクソビッチ!」
と思っている
彼らからすれば層1の主張をする人はみんなビッチになるというわけだ
ネット上の初デートサイゼ論争は主に層1と層2が噛み合わない議論を延々と繰り返すことによって形作られている
が、実は層1も層2もノイジーマイノリティであり大半の人間が思う一般的な初デートサイゼの印象からはだいぶ外している
ではここでいう一般人とはどんな人なのかというと、
・自己肯定感もそれなりにある
といった人だ(逆に言えば層1と層2にこのような要素はない)
「趣味で知り合った間柄だと初デートサイゼも普通にあるよね、好きなバンドのライブ行ったときの食事とか簡単なものになりがちだし」
「あとから振り返って「そういえば俺達の初デートってサイゼだったねー」ってなることあるよね、友達以上恋人未満のときにノリでファミレス行ったりすることあるじゃん」
などと、個々の事情次第でそういうのもあるよね、といった反応になる
層1や層2と異なり「こうなるべき!!」といった思考には支配されていない
またそうであるが故にネットのレスバに参加することも少なく、仮に参加しても過激なことは言わないので意見は埋没しがちである
サイゼ論争を実りあるものにしたいならまずは相手の過去ツイートなどを漁って相手の人柄が何なのかを把握するべきだ
また、その姿勢を自分に向けて「なんで私は初デートサイゼにここまで感情が高ぶっているのか」を分析することも重要だろう
ここで紹介したプロファイリングも全部が全部当たるわけではなく、例えばこの間話題に乗っていた「女性をサイゼに連れて行って試すことの何が悪いんだ!」みたいなこと言っていた人は層1の異性版といえる
いずれにせよ、初デートサイゼに口角泡を飛ばしている時点で恋愛に対して歪んだ認知を持っていると言えるのでカウンセリングを受けたほうがいいかもしれない
私じゃないけど、知り合いに子供が出来た
会いにいくたびに成長していてびっくりする
そして、その子を見ていると今まで読んでたエロ漫画が読めなくなってしまった
確かにかわいい〜♡とは思うのだが、こんなこの間までオムツ履いていた子が大人ちんぽツッコまれるのはひたすらにかわいそうで
暴力シーンも以前に増して無理になった
どうしてもこれが友人の子だったらどうだろうと想ってしまい、いつもそこで読むのをやめる
幼女を酷い目にあわせようとするのだろう