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はてなキーワード: 平穏とは

2024-02-08

平穏暮らしを望むなら何でも言いなりになる相手や何でも突っかかってくる相手は駄目だ

金銭的安定を望むなら年収の低い相手借金のある相手は駄目だ

この先すっとその顔を眺めながら暮らせるレベル相手結婚しないとこの先苦痛だぞ

年収が高かったり見た目がいいのに婚活してるようなやつは何かヤバい問題を隠してるぞ気を付けろ

若い方が何だかんだ素直でいいぞ

賢く自立した相手なら毎日の会話がノーストレスだぞ

とかなんとかかんとかやいのやいの

2024-02-07

大塩平八郎檄文が令和6年と見紛うような内容

現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。

徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。

ところがどうか?

これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。

大事政策を担う役人たちは、公然賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。

そのくせ、自分たち支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。

ただでさえ、重い年貢賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。

民の恨みに呼応して、天も怒っている。

近年、地震火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。

そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである

ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。

下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。

目の前で起こっている天災天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。

多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。

なんたることか。

これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事のものではないか


いま、奉行役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。

彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。

このような役人商人たちの所業は、天道聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。

いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。

私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。  

まず、下々の庶民を苦しめてきた役人たちを討つ。

さらに驕り高ぶってきた大坂金持ちたちをも討つ。

そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこち蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。

上記のカネや米、つまり、驕れる者たちが無用に貯め込んでいるモノを分配することによって、当面の飢饉の難儀を救いたい。

闘う力のある人たちには、一緒に無法者たちの征伐に参加していただきたい。

2024-02-05

虐待されていた

今でこそ5人に話せば5人全員が驚いた顔で「それは大変でしたね」と言ってくれるような生活ぶりだったものの、

虐待されている最中にはそれを説明する言葉を持たなかったので、周りの人には信じてもらえず、

虐待内容そのものよりも、周りの人から被害妄想の強い子だ」と思われているのを察するのが辛かった

特にいい人が「困った子だなぁ」という苦笑を浮かべ、やんわりと離れていくのが悲しかった

今ではもっともな対応であり、私がまともな人だと思った人はやっぱりまともな感性を持っていると再確認する一方で、

やはりそのまともの輪に自分は入ることができなかったのが心に暗い影を落としている

子供なりの精一杯の考えと努力も、家庭環境という重く暗い渦から逃れる術にはなり得なかった

足掻けば足掻くほど沈み、努力も工夫も系譜という鎖の延長線から外れることのないことを知り、

現実と地続きに存在たかつての絶望は、それが遠い過去になった今も、時々現実些細な出来事きっかけに眼前に現れる

引きずり込まれ、呑み込まれ、全てが無価値になる絶望だけの生に塗りつぶされる

人々の日常平穏さの延長線上、たとえば薄い集合住宅のドア一枚を挟んだところに、

どれほど人の尊厳無意味にする支配暴力が巧妙に隠されているかを知っていて、

世界の明るさが奇妙に遠く、空虚に感じられる感覚

それが忘れられない。生きているすべての瞬間に、自分を無価値だと感じる瞬間への暗示がかかっている

思考努力、私の感じうる喜びの無意味

それらは誰にも届かないし、誰にも価値を認めてもらえない

から人の価値観に身を委ね、人が好きだと言ったものだけを私の判断基準に据える

するとそんな人間はつまらないのだ

私には得るものがあっても、私が見せることのできる新しい世界はどこにもない

私の本当の、暗い世界は人には見せられない

人生の根幹を隠して生きている。それは無価値無意味から

他の人が溌剌とした生を謳歌する時間を、ひたすらに生きるための忍従に費やした

何の価値も生まない、無価値な生の上に立っている

価値な生の土台の上に、空虚な明るい砂でできた城を建て、

城は私が動揺するたびに音もなく崩れる

崩れる前、どんな形をしていたかも覚えていない

人は人格というものを確かめ合うためにこの城の形を確かめものから

慌てて急ごしらえの城を建て、それらは一時的に人の目に留まり

次に会う時には全く異なる城ができている

大きさはさほど変わらず、形は既に原型を留めない

城は本来人生と共に増築されて大きく、深くなるものだけれども

私は変化し続ける奥行きのない城を建てては壊している

思い出話の中で、ふと他の人が私について話してくれることがあり、

記憶の茫漠の彼方の、私にとっては他人事のようなそのエピソードを聞くと、

私より他の人の中に私の影が残っていることを知る

私の中に私はいない

はいないし、私以外の誰もいない

ただ他人の中に私というラベルの貼られた動く映像がある

それを証明できる私がいない

私が見た他の人の映像もまた存在しない

それでも生きている

生きながら死んでいて、死んでいるのに消費している

魂を吸われて、抜け殻だけが寿命を待っている

今日もまた窓の外が明るい

2024-02-04

anond:20240120190246

発達障害自由意志が薄弱で他責思考な私は、このように相手自由意志尊重して自由意志に対する要請をしてくる相手が非常に苦手で、こういう要請を正面から受け止めるととても生きていられないと思う。

けれども、それが社会スタンダードである以上遭遇機会も多いので、「内的には自然現象であると割り切りつつ、外に対しては意志責任存在を装う」ことで一時しのぎ的に対応している。つまり物を失くしたら「ごめん」と謝るし形式的対策はするけど、心の中では徹底的に自責を避けて、例えば薬が合ってないかもな、などと考える。人間がお互いを自然現象である合意して回るような社会ならこんな心労は無いのにと思いつつも、実際そうでないのだから今ある社会に合わせるしかないというのには同意する。というより、現状の社会がこうであることも、他者自由意志要請する人間が居ることもまた、今のところの自然の流れなのだと思っている。

意思責任物語にうまく参加できないことを認めてもらい、部分的社会から降りて心の平穏を得るというモデルは、(私の個人的意見だけど)そんなに魅力的じゃない。

自然現象宿命ではない。自分意思他者意思自然現象であり、自然現象からこそ分析して利用/回避/あるいは克服できると認める。自由意志なんて尊い幻想は捨てて、使える道具を全部使って人間をハックする。全員が人間をやめて、平等自然現象として相互作用する。そういう社会が良いなと思う。医学化ってその流れの一部なんじゃないかな?

自分ゴミだと思うのはそんなに悪いことなかい

自分ゴミだと思うのはそんなに悪いことなのか。

人に言ったら困った顔をさせてしまうからまり口には出さない。

検索すると、自己肯定感がどうとか、うつ病の症状だとか、いろいろ言及されている。

答えは無理矢理まとめりゃ大体「前向きになれ」。

前向きにならなきゃいけないことなかい

しんだ方がマシだとは思えない。

しのうとも思えない。

生きてても死んでてもどっちでも変わらないと思う。

いてもいなくても社会に影響はないから、他人迷惑かけないようにひっそり息をしてる、それだけ。

CMで、使えないかゴミなら使えるようにすればゴミじゃないと言っていた。

それなら使えるようになればいいかなと頑張ってみたこともある。

結果、使えるゴミが育っただけだった。

不要衣類を切り裂いたウエスみたいなもん。

ゴミからゴミ箱の中で大人しくしてる。

汚いゴミ箱は人に迷惑からなるべく身の回りはきれいにしている。

いつか回収されるなら、それもいいかなって思う。

他人認知されたってことだし。

人に話を聞いてもらえなくても、自分ゴミだと思っていれば「まあゴミの話は聞かないよな」で終わる。

親切な人がいればゴミの扱いさえも丁寧な聖人に見えるし、自分の周りで関わってくれる人たちのことまで汚さないよう迷惑かけないよう過ごしてる。

自分ゴミを捨てるとき同族意識が募るから、物を大切にするようになった。

長く使ったものほど敬意を払って挨拶してから捨てている。

使い捨てのものはあまり使わなくなって結果ゴミは減ったから、環境にも優しくできているのかもしれない。

ゴミ人間を比べても意味がないから、他人自分比較することもなくなった。

他人感情ライフステージの変化にダメージを受けることもない。

とりあえず細々と誰の迷惑にもならないよう過ごしている。

まれれば地域活動にも参加して、仕事だけこなして帰ってくる。

かに褒められることもないけど誰かに誹られることもない(と思う)。

というより、そこまで興味を持たれていないと思う。

自分ゴミだと認めたら生きやすくなった。

それでも自分ゴミだと思うのはそんなに悪いことなかい

ゴミだと思うことで手に入れた心の平穏が崩れそうでずっと怖い。

2024-02-02

高校生自分の子供が死刑になるの辛そう

まず断っておくが、死刑反対とか、19歳への死刑反対とか、そういう話ではない。

自分の子供がまず殺人を犯すということがかなりつらい。

そして、自分の子供も喪うことも同時につらい。

世間にしてみたら冷酷な殺人者だろうが、親にしてみたら小さいころから育ててきた可愛い息子であるし、まだ独り立ちもしていないまだまだ子どもという年齢だ。

ついこの前までランドセルしょってたのにもう高校生かぁというくらいの感覚だ。

出産の痛みも、夜泣きの辛さも、学校入学卒業も鮮明に覚えている。

の子供が国から、「死ぬべきである」と告げられとあれば正気はいられないだろう。

親であれば子供を救いたいと思うかもしれない。

だが、それと同時に子供殺人であるのだ。自分の子供とおなじくほかの人が大切に思っている人を殺したのだ。

それを差し置いて自分の子供を救いたいと思うのはおこがましく思うし、なによりも殺人者にしてしまったという親としての責任も重く感じてしまうだろう。

殺人を許さな気持ち自分殺人者を生んでしまった気持ち、このような贖罪気持ちと、自分の息子を愛する気持ち矛盾しない。

同時に抱えてしま感情だが、世間はその息子を愛することを許してはくれない。

逆縁はいかなる場合でも悲しいものだ。逆縁の不幸に直面した親たちは多くの同情を誘う。だが世間自分たちの逆縁を望んでいる。

いっそ、失恋に苦しんで自殺でもしてくれたらとふと思い、そして自分の子供の死を思うなんてと自己嫌悪にも陥る。

もう子供は死んだのだと思う様にしても、まだ生きていて、そして確実な死が数年後に訪れると司法判断をした。

被害者を悼む気持ちを強くすれば、息子を愛するという人間の正常な感情を殺さなければならい

息子を愛するという正常な感情を出すと、犯罪肯定しているような罪悪感が生まれる。

勝手エンパシーを感じている僕は、この不協和公正世界仮説に基づいて「こんな殺人者を生んだ親だから毒親にちがいない。」というストーリーを作ってしまいたいが、現実はそうではないのだろうなと思う。

まず被害にあわれた方、そのご遺族にお見舞いを申し上げたい。そのうえで加害者家族の心にも平穏が訪れてほしいと思う。

2024-01-28

https://anond.hatelabo.jp/20240128021537

大変だね、お疲れ様

人に当たらないように外出したり、増田投稿お茶を濁していて偉いよ。

私もパートナーが綺麗好きで、自分家事頻度が違いすぎて合わせるのがしんどいから気持ちわかるよ~。

そこで、私が私自身を救うために、の視点で、私がやってること、私なら今後こうする、を考えた。

(1)「相手の綺麗好きを尊重している心広い寛容キャラ」として振る舞い、振舞えた自分を内心で褒める。

私は、相手家事をやってくれた時は、自分から「いつもこまめにやってくれて助かるよ~」と相手感謝気持ちを述べている。

これは、相手のためではなく、自分自身が卑屈にならないため。

最初「そんなにこまめに家事されるとこっちが困る」と思ってしまっても、裏腹に感謝言葉を述べる行動が取れると、

自分イライラを横において、相手尊重した言動を取れた)という一種の優位性?で自分の心が少し前向きになって、

相手と一緒に過ごす時間の辛さが多少軽減される。

相手家事方法を教えてきたら。

「実際に自分でやるのは大変だから、(パートナーが居て)良かったな~。

自分仕事とか自分が得意な事で(パートナーに)貢献して(パートナーを)大事にしたいな」

と返すかな。

パートナーがこまめに家事をすると、「自分はだらけている」って負い目を感じて身体が緊張してしまうよね。

「でもパートナーが悪いわけではない・・・」ってなって、増田は外出するんだよね。

私達だらけ人間が、同じように「こまめな家事をこなす」という土俵で摺合せをすると疲れてしまうから

相手のこまめさ(一種の神経質さ)に感謝できるキャラクター」という長所差し出して、相手に卑屈な気持ちを抱かないようにするかな。

(2)有料自習室等、静かに一人になれる室内スペースを確保する。

基本は(1)で自分の心を守りつつ、実際面でも一人の時間を持てる方法は確保した方がいいと思う。

それは、後ろめたいことではないし、増田が「本来は一人の時間が沢山必要だけど、苦労しながらも、大事な人と生活することも出来ている」なら、

それは、「ただ一緒に暮らす」「ただ独り身を選択する」よりも、試行錯誤している分、かっこいいことだと思うんだ。

で、手軽に一人で静かになれる空間を考えてみたんだけど、有料自習室(休憩スペースが豊富なところ)はどうだろう。

勉強キャラじゃなくても、「集中して本を読みたい」「静かにipadで絵を描く趣味を始めたい」とか相手には色々説明がつくと思う。

眠くなったら、家に帰って真っ直ぐ風呂入って速攻で寝たら、相手家事への後ろめたい気持ちに悩む時間を大きく減らせるんじゃないかな。

因みに、ブコメに多数上がってた「部屋を分ける」は、勿論たくさん部屋があれば便利だけど、この問題解決には役に立たないと思う。

多分、部屋が別でも、相手の物音や存在感、気配を感じたら「家事やってない自分」を増田は感じてしまうだろうから



(3)増田結婚生活うまくやれてて偉いよ!

自分の不機嫌がおかしいことを自覚してて、増田なりに外出という方法平穏を保ってるんだから、充分家生活うまくやれてるって言えると私は思うよ。

ブクマカ簡単に「家事のやり方を摺合せも出来ないなんて夫婦としてどうなの?」とか上目線で言ってくるけど、

増田増田なりに自分の機嫌を自分で取って相手生活出来てるんだからブクマカから言われたことを気にしすぎる必要はないと思うよ。

因みに、私は家族子供もいる生活なんだけど、意外にも、相手家事をこまめにしてる間、子供あやしたり、子供イライラしない大人キャラに徹してたら、

それだけで「仕事もやってて子供イライラしないなんて自分素敵だな!」ってなって、家事やれなくて卑屈になる問題はかなり軽減されたよ。

子供なんていてもいなくてもいいと思うから増田の好きな選択を取ればいいと思うけど、

もし、「子供に興味があるけど、今の生活で卑屈になってる自分には無理だ~」って自信失ってるとかなら、

私みたいな例もあるから、元気だしてね。

パートナーと楽しく暮らせるようになるといいね。お互い頑張ろう!

2024-01-21

anond:20240121113124

そうか

よく言われる「外から勝手に幸不幸を決めつけてはいけない」ってやつ、

もちろん「あなたって幸せそうだよね」みたいなことを決めつけで言うと相手不快になるからダメっていうことの他にも

実際その他人が本当に悩みなく幸せ暮らしていたとしても

いったん「羨ましい」という非生産的私怨をおさめて心の平穏を取り戻すためにあるのかもな

2024-01-20

anond:20240120113950

発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分欠点を、自分意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから

意志責任はセットの概念で、自分意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会ルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子エネルギーポテンシャル坂道を転がった結果でしかない。とはいえ人間意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。

しかし、能力不足だったり人格の形が社会多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志責任物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。

問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分能力範囲内では、意志責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間齟齬が生まれからだ。この増田が良い例である増田彼女ゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである

からこれから増田がしなければならないことは、彼女人間に戻すこと、つまり可能範囲ゲームに参加させること、ということになる。私は自由意志によってあなた関係したいと思っている、だからあなた意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独人生を送ることになるだろう。

追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたし別に人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。

2024-01-19

割と幸せに過ごしていたが、少し暗雲が立ち込めた。

昨日の今日なので、この状況の変化にもじきに慣れて安定する可能性はある。

原因は、未来の楽しみの実現が2つ遠のいた。あるいは叶わないしれないと感じたこと。うまく環境に馴染めなかったこと。

面白いはいすれのケースにおいても、自分自身能力や状況に変化が生じたわけではないことだ。形而下における私は何一つ失っていない。

失われたのは「希望」「自己肯定感」といった概念、つまり頭のなかだけで起こっていることだ。

つまるところ「何かいいことが起こりそう」という未来への甘い算段をテコにして幸福感を得ていたわけだ。バカほど幸せなのはこういうことだろう(自分のことです)。

間違った認識だろうと本気で信じているうちは事実のように人間の脳は扱える。

私が比較幸福を感じながら生きられているのは、単純に性分ゆえ未来への不安が少ないからだろう。

私はニーチェの言うところの牧人だ。何も志さず、平穏楽しい人生を送れればそれでいいと思っていた。

しかし、気付かないうちに、その楽しみを得るためには、何かを犠牲にして挑まねばならないところまできてしまった。

彼らにに認められ、椅子を得るためには努力や苦労が必要となる。私は無欲で無趣味ゆえ、そうまでして何かを得たいと思ったことはこれまでの人生なかったのだが、厄介なことになったものだ。

趣味が高じて私の数ある楽しみのなかで特別地位を占めた。それが団体競技だったがゆえに「他人に認められる」という容易に自己肯定感を揺らがせうるプロセスが組み込まれている。厄介だ。

どうしたものかな。

諦めるかやるかの二択だ。

今のところやる気でいる。

いつまでやるのかわからないが。

私は未来計画を立てるのは苦手だが、本当は期限があった方が努力にも身が入るものなのだろう。

まあ短期テストが予定されてるので、そこで実力が試される。それを目標にしていけばよい。残り一ヶ月と少し。三日坊主の私には丁度いい。

楽しく過ごしていたというのに。

上手くいっていると思えているとき楽しいものだな。

そして上手くいかいかもと思っているときは気分が沈む。

当たり前のことだ。

心が上を向いているか、下を向いているか現実の座標よりも幸福感に作用するものだろうか。「今」も大事であるが。

いずれにせよ、私も欲張りになったものだ。

それがいいことか、悪いことかは今の私にはわからないが。

そういえば近所のTSUTAYAはもう潰れてしまったのだな。

2024-01-17

松本人志の性加害報道過去の性被害フラッシュバックしてつらい

松本人志から直接被害を受けたわけでもないのに笑

一般人から芸能人まで含めて性被害報道など腐るほどあびてきて、そのたびに自分の性被害が思い起こされては湧き上がってくる怒りや不快感を寄せては返す波の様になだめてきたけれど、今回はそう上手くいかない。

松本人志ほどのビッグネームから何度も何処でも報道され続け、松本顔写真を見るたびにもう10年以上前にもなる過去の性被害が、いくら記憶からかき消そうとも何度でも鮮明に蘇ってくる。その度に、みぞおちのあたりが重く仕事生活に集中できない。松本の性加害が報道され始めた昨年末からずっと。

アマプラを開くとドキュメンタル広告松本人志のアップが出てきてそれもつらい。)

その夜(性被害描写注意)

10年前、年上友人男性Xに合コンを組んでもらったのが事のはじまり

Xとはたまに食事しながら趣味の話を楽しむ関係。付き合いが長く既婚者ということもあり信頼できるお兄さん的存在だった。

合コン自体はうまくいき、そのうちの1人(Xにあたる後輩)と交際することになったから報告とお礼を兼ねて食事に行った。

「それはよかった!あいつは良い奴だからよろしくね!」と喜んでくれ「お祝いだから!」という事でアルコールも入り時間が経ち、私はいつの間にか泥酔状態になっていた。自分の脚で立てず支えて貰いながら歩いたのは覚えている。


気がつくと、Xが所有する倉庫の固い床に転がされ下着を剥がされている最中だった。無茶苦茶びっくりしたし肉親や親戚にそうされているかのように生理的不快だった。必死抵抗するも力が敵わない。胸に顔を埋めるXはマリオドッスンのように重く動かすこともできず、そのうちぐったり疲れて組み敷かれなすがままになった。

事後、どうやってその現場を出たのか覚えていない。

携帯がなかった。どうやら食事した店に忘れてきたらしく、幸いそう遠く離れていないその店へ歩いて取りに戻った。

鏡を見ていなかったので分からないが酷い格好だったのだろう、男性店員さんが一瞬息をのん携帯を手渡してくれた。泥酔状態で店を出た私たちの姿も見ていたはず。何が起きたのか察知されたように感じて物凄く恥ずかしかった。逃げるようにタクシーに乗り込み帰宅した。ひどく疲れていたので、ベッドに倒れこんでそのまま眠った。

翌朝背中が痛むので鏡をみたら、長時間押しつけられていたせいか背骨にそって赤黒く床ずれのようになっていた。昨夜のこと、考えないように思い出さないようにしていると、Xからメールが届いた。昨夜のことを詫びるとともに昔からずっと私に好意を抱いていたこと、後輩にとられるのが悔しかったので出来心でやってしまった、できれば酔ってない時にもう1回やりたいという内容だった。

私は被害者じゃない

松本人志の性被害者Aさんのように私もXにお礼、いわゆる迎合メールを送った。

「びっくりしたけど気にしないでくださいヘラヘラ彼氏できたんで2回戦はまたいつかヘラヘラ」的な軽い文面だったと思う。

けどその迎合メールを送ったという事実が後々私を苦しめることになった。

これから彼氏になる男性の先輩にあたる、共通の知人も多いXの気を損ねたくなかったから重い話にしたくなかったし、妻子がいる相手から何か奪うつもりも脅迫する気もない、誘惑だってしてない、慰謝料なんて取られたらたまったもんじゃない、私は無害ですよと表明したかった。今思うと、あんな性被害を受けておいて、それでも相手に気を使うなんてどうかしている。

〝性暴力被害者は、被害に遭ったことを認めたくなかったり、社会的地位立場の差がある加害者との関係悪化を恐れたりして、加害者に順応や迎合するような行動を取ることがある。〟

松本人志の性被害者Aさんにぶつけられる「なんやこのメール性的合意があったんだろ!」これは私が10年以上、私自身にも浴びせ続けてきた言葉だった。

被害を受け入れるような迎合メールを送った自分は、頭がおかしいんじゃないか...とずっと苦しんでいたけれど、よくある行動なのだと知りようやく自分を許せた。

その後

Xとはそれ以来連絡をとらず会っていない。

合コンでできた彼氏とは3ヶ月ももたず別れてしまった。

一度だけ共通の友人にXからの性被害を打ち明けたことがある。

「えっ...知りたくなかった。Xと気まずくなるじゃん勘弁してよ。」と拒絶されたのをきっかけに共通の友人たちとも切れた。

後悔だけしている。食事に行くんじゃなかったとか、証拠をとっておいて闘えばよかったとか。もっと自分を守れたらよかった。

いまどうしているのか気になって

やめときゃいいのにXのSNSを探してのぞきに行ってみた。今回の松本人志に何か言及しているのか?性加害報道を眺め自分の行いを少しでも思い返すことはあるのだろうか?

まあー当たり前に無風よね。すっかり忘れているのだろう。仲間たちと趣味を楽しみながら平穏日常ポストが続いている。

年上のお嫁さんはお元気ですか?息子さんも大きくなられたことでしょう。あなたのようにならないといいですね。

2024-01-16

anond:20240116204111

ブチギレる人いるだろうなーと見てて思ったw

(ヤフコメ精神平穏のため非表示にしてる)

2024-01-15

エルデンリングをダラダラと遊んで150時間が経過

https://anond.hatelabo.jp/20231127194936 の続き

 

150時間が経過した。LVは110を超え、なんか適当に剣ブンブン振り回してても割とどうにかなる感じになってきた

武器は初期武器短刀で戦っていたのがフレイルや弓を兼用するようになり、あと何種類か振り回してみて、

現在は主に身長サイズの大型太刀を振り回している

 

隙がない軽量武器より隙が大きい大型武器のほうが相手をピヨらせられる分だけ有利だったり、

盾でガードするより両手持ちでスピード処理するほうがバフの効果時間とか含め有利だったり、

このゲーム方向性がどうにかわかってきた気がするが、

そうなったらそうなったで、

なんか初期選択でめんどくさいほうからスタートしちゃったのかな感がすごい

モンハンの協力プレイって面白そうだなーと思ってモンハン買ったあと一人で練習して

100時間ぐらいずっと双剣を使った後に「双剣は協力プレイだと嫌われるよ」と言われたときぐらいの遠回り感がある

モンハンは結局ソロプレイしかしていない)

 

喪失したルーンは100万か200万か全くわからなくなった

というかルーンなくしてもなんとも思わなくなってきた

これは戦闘での敗死より落下死によるところが大きい

 

というのもエルデンリング開始して10時間か20時間ぐらい経過したあたりでアナログスティックドリフト状態となり、

ドリフト、噂には聞いてたがここで食らうかーと思いつつ、その後100時間以上ずっとドリフトしっぱなしで遊んでいるためで

操作しなくても左へ左へと勝手に動いて落下して死亡

敗死して祝福(セーブポイントから復活した直後にコントローラー操作し忘れて落下死亡はしょっちゅうである(崖のすぐ近くにある祝福は多い)

 

このドリフト、ずっと状態が同じなら癖を覚えるなり買い換えるなりもするのだが、

症状は酷くなったり収まったりを繰り返し全く慣れない

ホーム画面からドリフトしまくってゲーム開始すら不可能な時もあれば一切動かず平穏を保つ時もあり、

ゲーム内だと、その場でちょっと左を向く程度で止まるときもあれば、

前進しようとしてもガクガクと震えて全く直進できずダッシュ必要な場面で歩かされて轢死するときもある

先週は狭い足場を辿って降りてく王城の地下で2時間ぐらいドリフト足場踏み外し落下死を繰り返していた

 

とまあ、そのぐらい死に続けているとルーンはほぼ頭から抜け落ちていくし、

ルーンを気にしなくなると死ぬペナルティがなくなるということで、死ぬことも気にならなくなる

ドリフトも途中は流石にコントローラー買い換えようかなと思っていたのが、しばらくすると

「むしろ150時間を経過してそろそろ飽きがきそうなゲームプレイランダム性を加味することで飽きが来なくなってるのではないか」と思えてくる

このあたり、死を歪めて生と死の境目が曖昧になり、死が溢れかえっているエルデンリング世界観プレイを通して近づき、

そして死を超えて生への脈動を感じはじめていると言えそうで、

アナログドリフトというコントローラー物理性を通してゲーム世界体感しているのだなと

 

そんな感じでダラダラ遊んでる

2024-01-12

anond:20240111113449

やめなよ

上下左右空き部屋の静かな団地で過ごしてる俺の平穏な日々を壊さないでくれよ

幸せなきんようび

家でハイボール作ってのんびりネトフリ見ながら我が子みたいにかわいがってるぬいぐるみ達とのんびり過ごす時間大好き

本当に幸せ

アラサーにもなってやばいよとたまに会う家族に言われるけどそんなこという人よりもかわいいかわいいぬいぐるみ達と平穏時間を過ごせる方が幸せ

さいこ!!!独り身ばんざい!!

2024-01-11

正月休みでも回復しなかったな

仕事の疲れを抜ききることができなかった

一週間ずっと家に引きこもっていたけど、ずっと微妙睡眠不足だったしずっと仕事のことが不安だった

仕事始まってもすぐに休日出社だったし、

結局今も頭の一部が死んでいるような感じ

もう俺は仕事辞めるまで心の平穏を得ることはできないだろうし、満足にすやす眠る日も来ないのかもしれないなぁ

早く死にたい

2024-01-10

2024年まとめ

1月1日 令和6年能登半島地震

1月2日 日本航空516便が、着陸した直後に海上保安庁航空機と衝突

1月3日 JR秋葉原駅山手線車内で切られ4人けが イラン国内の爆発

1月4日 中古車販売大手のグッドスピードウソ納車」 計5242台、136億円分

1月5日 北朝鮮韓国北方で192発の射撃

1月6日 金正恩氏が岸田首相に見舞い電

1月7日 安倍派現職の池田佳隆衆院議員逮捕

1月8日 松本人志芸能活動休止

1月9日 八代亜紀、死去

今のところは平穏といったところか

2024-01-09

テレビけしからんから何十年も見てないみたいな中高年増田が続々出てきてるけど

せっかくテレビ断ちしてるのに平穏な日々を送るどころか一番倫理観崩壊していた昭和時代テレビのことで頭がいっぱいでかわいそうだなと思う

テレビ断ちしたからこそ新しい価値観安心して見られるエンタメ記憶がなくて辛いことばかり反芻してるんだろうな

漫画イメージまいっちんぐマチコ先生で止まってる中年フェミニストみたいだ

2024-01-06

anond:20240106132630

独り身で都会に住んでると共同体感覚を失いやすいので正月お盆に会う程度の割り切った親戚付き合いならいいよなって思うけどね。

もちろん依存ズブズブのウェットな関係はやだけど。

あと仏教もいわゆる檀家制度仏教にはまるで興味がないけど仏教自体は、心に平穏を与えるためのメソッド程度な意味で役立つもんだと思ってる。

2024-01-05

手術時、全身麻酔前にリラックスするために麻酔科医が側管から入れてくれた薬ってなんてやつなの?

調べても出てこない。

まじで手術の不安とか動悸とか鼓動が一発で消し飛んで平常心になれた。

あの点滴さえあれば、彼女がいなくても結婚しなくても孤独でも平穏に暮らせる。

頼む。

誰か医療系の知識ある増田いないのか?

ただひたすらに運が良い話

幼少期の自覚は『ちょっとクジ運が良い』だった


とは言っても、

たまに買う駄菓子が1/10ほどの確率で当たったり

親が気まぐれに買うスクラッチくじに便乗して300円が当たったり

なにかの催し物で行われるガラポンで中の下あたりの賞を貰ったり

とにかく

そういった『ちょっと』の積み重ねではあるが

チビッ子だから「当たった!嬉しい!」だけが積み重なる訳で

もちろん嬉しいものである



その認識が少し変わったのは、中学になるかどうかの頃

さなクジ運は『ちょっと嬉しい運の良さ』になった


頻繁に怪我をしていたものの偶然腕のいい医者が来院していたり

無くした物が確実に探した場所出会えたり

小雨の降り注ぐ日は登下校時に雲が切れ

行事旅行は必ず晴れた


冗談半分に

神様に愛されてるなあ」なんて思っていた。



サンプルは少ないが

他者へも恩恵が分けられるようで


親戚の「あらゆる行事旅行で雨が降った」と豪語するお姉様

「せっかくの海外旅行全日程で雨予報!」と嘆いていたため

てるてる坊主を作って渡すと

ホテルにいる夜にしか雨が降らなかった!」と喜んでくれたし


「どうしてもこのコンサートに行きたい」と嘆いていたジャニオタの隣席の子

「クジ運良いからさ!」なんて笑いながら、ノートに『当選祈願』と蛍光ペンで書いてあげた

2列目の中央あたりが当選して

の子は大喜びしてうまい棒を1本くれた。


まあそういう偶然もあるよな、と驚きつつも

喜んでもらえたのでこちらも嬉しく感じていた。



そんな『運』が薄れてきたと感じたのは高校2年あたり


とはいえ

駄菓子宝くじ自分で買うこともなく

大きな怪我をする事もないため、

落とした定期入れは見つから

登下校で小雨がやまず

文化祭で雨が降る、といった程度の

そんな『ごくありふれた小さな不運』であった。


自転車通学だったし

高校3年の頃はもうビシャビシャになりながら下校した。

当然ながら日頃濡れる事もないので

それはそれで楽しかった。



そして更に認識を改める事になるのは

薄れてきた『運』を補完するような

災害回避』だった。



当然、頻繁に起こる事でもないし

事象同士の期間はずいぶん開く。


しかし『災害回避』と表現する以外の言葉が見つからないのである


転勤や出張などで転々としており

細かくは覚えていないのだが


東北での大地震四国

九州での大地震関東

関東での大地震関西

関西での大地震九州


その他、急な仕事旅行キャンセル

あらゆる地震回避してきた。

少なくともこの15年

1度も揺れに出会っていない。


生地ではほぼ台風が来ないため

その遭遇頻度はあまりからないのだが

とりあえず「台風ヤバい」にはなっていない。


数度あった豪雨の際も

周囲が水に浸かるなか

住んでいる町は無被害だった。


今回の地震も、完全なる安全圏に住んでいる。



ここまでくると逆に気が滅入るものである


毎度毎度、なにひとつ被害のない環境

同じ国内とは思えないニュースが流れてくる。


何もできないし

経験値もないし

受け止める強さもないし

共感する力もないし


ただTwitterでTLを眺め

ニュースばっかでつまんねぇな、と零し

わざと情報遮断して

プライムビデオを回し


現実

自分の視界に入る距離だけに絞って生きている。

ほんとうに、「無」なのだ



何も起こらない、ただひたすらに平穏

こんな人間もいるんだと

思ってもらうだけでいい。




余談ではあるが

うちの親族は全員平均寿命を下げる側なので

きっと運が良いか

神様に愛されているか

すぐ還っていってしまうんだな、なんて

柄にもなく思ったりしている。



今はとりあえず

から注がれる恩恵を浴びながら

何もなかったかのように

あえて無視して

普段通りに

何事にも気を揉まず

穏やかなオタクライフをTLに流し続けようと思う。

2024-01-02

報道ヘリは救助の妨げ」について

被災した方やその関係者にとって不快表現があるかもしれません。

生き埋めになった人の家族親族友人からすれば絶対救ってほしい・報道ヘリのせいで助からいかもと考えたらそれは怒りが湧くでしょう。

ただ、社会としては個人でなくトータルの死者数を減らすことが最優先です。

報道ヘリには現場の状況を伝え、支援や救助を届きやすくするだけでなく、視聴者復興に協力する気持ち喚起したり、記録映像が残ることでその後に役立てられたりと沢山の役割があります

まり、仮に騒音が何らかの影響を及ぼしていたとしても、トータルで見ればより多くの命を救っているのが報道ヘリなのです。

もちろん、できれば救助の妨げになどなりたくはないので運用は慎重に配慮されています

阪神淡路大震災で実際に報道ヘリ邪魔に〜という話がありますが、もう何十年も前のことであり、今は救急自衛隊連携を取っています

個別問題が起きることはあるでしょうが、全体としては改善しています

なにより、本当に報道ヘリ問題だらけならとうに中止要請が出て廃止されていますから現場人間たちが必要性を認めているという事なのです。

ネット安易な「マスゴミ批判に乗せられないで下さい。

彼らは目の前の出来事だけを見て、自分の頭の中だけで短絡的に考えて批判しています

現実報道ヘリは人の命を救うために飛んでいます

今回の能登半島地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りします

また被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます

平穏生活に戻れるよう支援していきたいと思います

2023-12-31

弱者男性は多くを求め過ぎ

持ってる人もいれば持ってない人もいる

それで社会は回っているんだから、配られたカード勝負する以外ないんだよ

金もなく女もいないなら得られないものに目を向けるのはやめて、今あるものに興味を持ってそれを育てて行けばいいんだよ

社会や周りの人を恨むのはやめろ

なんの生産性のない愚かな行為

わきまえろ

それがお前の心の平穏を作る

2023-12-30

anond:20231230054929

一般論を言ってるんだろうけど、俺、それも普通にわからん

他人を叩いて楽しいとか思ったことない

気持ち悪いポルノは見たくないけど、作者を叩くってより頼むから見えないところでやってくれと思うだけだし

「いやなもの」って、見たくないと思うだけで、いつまでも攻撃したいとか思わないよ

 

彼らの行動に、「これを叩くと自分に都合の良い世の中ができる」という確信があるのならまあ、意見は違えど理解はするんだけどさ

マジで他人を叩いて自分も不幸になる」だけの、まさに「スパイト行動」みたいなのも多いでしょ日本

あれはなんなのかねえ

俺は幸せになりたい

誰も叩かないでも、平穏にくらせるだけで良い

2023-12-27

anond:20231227021848

分かった、君にとってゲームとは、競技性が高くルール変更にシビアものけがゲームなんだろう。

運営ゲームの中でも原神のように1年先まで見据えているかのような舌を巻くバランス調整能力を見せるものもあり、ルールの変化が離れていた者にとっても必ずしも不利にならない世界存在しているんだが、

そもそも一人プレイコンピュータゲームの愛好家がそこまでルール変更にシビアさとリアルとの隔絶を求める理由もないので、やはりゲーマーには二種類おり、どんなゲームをするにあたってもゲームを通して他人と競いたい、張り合いたいタイプの人だったんだろう。

意地悪く言うと、ゲーム自分の強さ賢さを見せつけるためのツールとして認識しているとも言える。

そういうタイプなら日々刻々と更新されていく運営ゲームが、適応コストが高すぎてどうしても受け入れられないのは仕方ない。

でも、思考ベース他人視野に入れてしまタイプだとしても、必ずしも格ゲーばかりやっているわけではなく、オフラインRPGをやることもあるだろう?

俺も長年オンラインゲームをやっていて、よく遭遇する質問として「今から始めても楽しめるか」とか、極端なものだと「最新でない(運営型)ゲームをやる意味はない」みたいな発想にふれることは多い。

ゲームサービスとしてリアルタイムに進行していく性質特有懸念だと思う。

だが、「ゲーム本質」がどこにあると思うのか、によってその答えは変わってくるだろう。

まり他人視野にいれて、古参においつけるか、という意味なら、ほとんどの場合NOだ。

タイム・トゥ・ウィン度合いが少なくなっている最近ゲームであっても、やはり知識量などの引き出しは古参にかなわない。

けれど、競争要素がないソロ仕様運営ゲームにおいて、ゲームの主要コンテンツを楽しめるか、という意味では、

始めるのが早かろうと遅かろうと、ブランクを開けようと開けまいと、無課金だろうと微課金だろうと、十分に楽しめる作りになっている作品が今はほとんどだと俺は思う。

もちろん、強さやデータの充実に拘泥してしまえば、取り逃したモノに対する雑念を振り払うスキルなしには心の平穏を保てないかもしれないが。

本当に大切なものは、そんなデータ上の充実ではなく、プレイした我々が受け取る心の動きだと俺は思う。そう考えれば払拭やすいだろう。

その点俺なんかは自慢できる部分が古参であるくらいで、新参プレーヤー世界に没入して素晴らしい二次創作なんかを作っているのを見ると、感性の豊かさを羨ましく思う。

ルールの中で、他人と張り合う――そういう関わり方だけじゃない、世界観に浸る個人的ゲームとの付き合い方、現実とともにある多角的ゲームIPの楽しみ方を理解するようになれば、

現実とともに変わっていく運営ゲームとも肩ひじ張らずに付き合えるようになるんじゃないかと思う。

もしそういう心境になったときは、俺のレコメンドを思い出してくれ。きっとまだサービスは続いているから。

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