はてなキーワード: 平清盛とは
はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。
『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。
僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああいう教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである。
ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである。日本民族がいかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的な価値観を元に記述せざるをえなくなる。
客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。
いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。
クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。
例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています。
平清盛が後白河法皇を幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団や中央の貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇の皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏の源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。
これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝や信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団が挙兵して、ついに内乱は全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。
平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。
しかし、畿内・西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏は北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国に都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼・義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係の説明が詰め込まれています。
まず、平清盛が後白河天皇を幽閉したこと、安徳天皇を即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています。
当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています。
次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団や中央の貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王と源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています。
これはまさしく因果関係に言及しているわけです。
このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価や因果関係がしっかりと述べられているのです。
そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。
なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています。
治承・寿永の乱は、一般には源氏と平氏の戦いといわれている。しかし歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏と平氏の勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王の挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃・近江・河内の源氏、若狭・越前・加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏らである。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである。
彼らの動向をまとめあげ、武家の棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲・源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。
教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。
他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。
【参考文献】
(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)
伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏の根拠地・鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦、千葉、上総氏などの有力な東国武士と主従関係を結んで御家人とし
頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います。
三浦、千葉、上総という武士の名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏の名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦のときに唐突に登場します。)
[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政・裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元・三善康信が就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島で平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦で平氏を滅ぼした。
[]は引用者註。
この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。
鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています。
北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦いで平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国の地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原(神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇と対立したので、法皇は同年、頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経はさらに平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門の壇ノ浦で平氏一門を滅ぼした。
この教科書は歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。
上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏が都落ちに安徳天皇を伴ったことも言及なし。
というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります。
鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍に面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。
教科書の中では唯一、桐原書店だけが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。
(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍に面接して」という説明も省かれています)
["新恩給与"についての註]
土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。
これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!
所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世の土地支配の構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います。
なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています。
職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園の場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。
この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。
しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会と文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています。
地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益の意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利。
これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配の構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?
せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。
さて、桐原書店の教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています。
幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権を意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近衛大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。
Aについては南北朝時代の武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨・甲斐善光寺蔵)。
とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。
網野善彦の著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います。
他の教科書には載ってませんが、ピンポイントで東大入試に出題されました。
源氏と鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏の氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮(八幡宮の前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。
鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍の教科書だけです。
上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉と経済流通」というのも掲載されています。
東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉の都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います。
こののち、後白河法皇は義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令を希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。
頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています。
あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷の命令を無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。
それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇・朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。
両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます。
関西にある政権が東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ。
平氏は安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力を回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門の壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。
この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス。
都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。
どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています。
ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西の教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇や平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)
例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国の武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とあります。さらに西国の御家人が東国の御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書の関西中心っぽい史観は独特です。
語源の楽しみ。家にいて、そこらへんにある言葉を拾うだけでいろいろ考えた気になる。暇なときに最適な楽しみである。
たぶん、それで得られる思索は、ほんとに言語学とかやっている人には当たり前のことなのだろうけど、まあ趣味ですから、許してほしい。逆にそういう専門の人の面白い語源の本もまた好みである。
アメリカ上院はSenate。この語源はラテン語Senatus、すなわちローマの元老院。その単語をそのまんま使っているということに僕は衝撃を受けた。つづりの違いは言語の違いに過ぎないから、たぶんアメリカ人は学校の歴史の授業で、ローマの歴史を学ぶ時とアメリカ合衆国の政治機構について学ぶ時に同じ単語Senateをもとに学習しているわけである。そこに歴史の一貫する深い流れを感じ取ることが、感覚としてあるのではないか。ちなみに下院はHouse of Representativesで、一般名詞で形成されている。
ところで、どうしてこのように名付けたのだろう。
たぶん、アメリカ民主主義が、設立当時はイギリスよりもフランスを継承している意識が強かったことに由来しているのだろう。イギリスは、貴族院と庶民院(下院)であって、それぞれHouse of LordsとHouse of Commons。それに対し、フランス上院と下院は、SénatとAssemblée nationaleであり、上院には同じ単語を使用している。フランス上院のことは日本語訳でも直接的に「元老院」の訳語をあてることもあるようで、Wikipediaはそうしている。単語としては同じなんだからアメリカ上院も時には元老院と呼んでもよさそうだ。
アメリカ上院議員はSenator。オバマ大統領が大統領選を戦っているとき、「Senator Obama」とよく呼ばれていた。
このときこのひびきは通常の日本語訳では「上院議員オバマ」であるが、原語では「元老院議員オバマ」と同じものなわけであり、これはつまり歴史を好むアメリカ人にとっては「元老院議員カエサル」と同じ響きをもって伝わっているのだろう。ここがうらやましい。
明治維新が起きてすぐのころ、明治4年の制度では正院の長は太政大臣であり、三条実美が就いていた。過去の太政大臣と言えば、藤原道長であり、平清盛であり、当然のことながら、豊臣秀吉である。なんで「太政大臣」の名前を廃したのかな、と残念に思うところ。
もちろん、より有名なところ(だが現在には継承されていないもの)として、ドイツ皇帝「カイザー」、ロシア皇帝「ツァーリ」は、それそのものがローマ皇帝または副帝の称号「カエサル」を引き継いでいる。
こういうのを見ると、欧米では歴史が単語レベルで地続きであることが多いのだなと思う。しかしもちろん日本でも、大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)の権力争いの末大臣家が勝ち残ったことが、現在でも内閣の大臣の名称に残っていることなどは、語源から歴史の深みを感じるところではあるのだ。
これは詰まる所、アイドルがウンコするとか、処女じゃないとかっていうのと同じな気がしてならない。
愛する彼女がイスラム教だったら別れますというような物にも近いかも知れない。
そう考えたら誰かが好きでも宗教上の理由とかタブーを犯してたら嫌いになるって人は
そもそもその誰かの事を好きじゃなかったんだと思われる。
彼女が今まで自ら学会員である事を発表する事に抵抗があったのは、
創価タレントというのが極めて下劣な存在だという見方が根強いためでもあり、
これまで築き上げてきたイメージが損なわれる危険性も孕んでいるからだろう。
井上真央の場合、そのような状況が酷く苦しいものだったに違いない。
それを察した実母が週刊新潮の取材にあくまで身内の第三者として答えるという
訳の分からない事態になってしまったのは、井上真央のイメージ低下を恐れたためだろうし、
記事にも書かれている広告塔としての選挙や大河でヒロインを射止めた事の相乗効果を期待してのものだろうと予想される。
但し、今度の発表は井上真央にとってはいい迷惑だったのではないかと考える。
そもそもこれまで本人が発表しなかったのは、件のイメージ低下を危惧してのことだったし
それなのに実母が、勝手に週刊誌にタレ込んだのは心外だったのではないだろうか。
筆者の家族で彼女の熱心なファンがいたが、この報告を見て彼女のファンである事を辞めると言った。
友達の友達がアルカイダと言った元大臣に嫌悪感を抱いたのと同じである。
創価学会というのはステータスにはならず、寧ろ現在ではネット上における嫌悪対象の一つとしてはあまりにも有名である。
そのような中でのこの報告はかなり負のイメージに捉えられる可能性がある。
現に同じく学会員の松山ケンイチ主演の大河ドラマ「平清盛」では脚本や演出の昏さのせいもあるが、かなりの低評価だった。
筆者も正直キッズウォーの時代から彼女のファンであったが、創価学会については嫌悪感甚だしい。
筆者のようなライトユーザー(最初に書いた事を前提とすればファンですらなかった可能性もあるが)ですらそうなのだから、ヘビーなファンが多い井上真央信者は今度の件が原因で遠ざかるのではないか。
そう思えてならないし、悲しい話である。
彼らは、武士でありながら貴族のトップになった平清盛と同じだ。貴族のように政治ができなければ、武士だってトップには立てない。政治のできない武士は、貴族の奴隷にしかなれないのだ。
まとめるとこういうことだね。
以下の文章は、「武士の誕生と平清盛」http://aokihumu.blog69.fc2.com/blog-entry-30.html の第三節で
の置換したものです。
答)SEをコキ使って企業を守らせた。また、SEにアプリ開発をさせた。
以下の3件の記事を読んで、ふっと自分のヲタク(腐女子)の遍歴ってどうだっけと思ったのでチラ裏。
オタク女子中学生の「エロドリーム小説」文化 http://anond.hatelabo.jp/20130603001406
女オタクが抱える闇 http://anond.hatelabo.jp/20130605031038
ホモの嫌いなヲタク女子 http://d.hatena.ne.jp/pet-bottle/20100829/1283056881
あっちこっちに話題が飛ぶうえに、特にこれといった主張もなく長い。やまなしおちなしいみなし。
※旧タイトル「ヲタクと百合厨と腐女子と以下略」の語呂が悪かったので改題しました(6/7)
「ヲタク」と「腐女子」と「百合厨」と「ドリーマー」と「乙女ゲーマー」とを比較考察してるとかでもなく、
そのすべての属性を微妙に拗らせてしまった雑食腐女子のチラ裏です。
「三行でくれ」って書かれたので一句、「腐女子にも いろんな属性 あるんだよ」
ヲタクで腐女子なのか、腐女子でヲタクなのかいまいちわかっていない。
カテゴライズに関しては「まあ、腐女子でいいんじゃない? BL好きなのは事実だし」くらいの認識。
でもこのチラ裏書いてたら腐女子っていうよりどう考えても百合厨。
元から素質はあったんだろうけど、ヲタクに目覚めたきっかけは「劇場版 機動戦艦ナデシコ」だと思う。
とはいえ、うちの家庭はマンガとかアニメとかに厳しいどころか寛容な家庭だったし、
小学校に入ったあたりから、毎月、月刊少女マンガ雑誌を買ってもらっていたので元々ヲタクだったのかもしれない。
小学生の低学年の頃は「なかよし」を読んでいて、ちょうどその頃にセーラームーンが連載されていた。
応募者全員サービスのセラムンのネックレスとか親にねだって応募して貰ったよね。
先日、ちょうど私等世代向けのセラムンコスメが出たけど幼心にセラムンは憧れだったよね。
憧れだったとかいうわりに、好きだったキャラが蛍ちゃんなあたりに、
その十数年後に「ルリルリかわいいよルリルリ」とか言い出すロリコンの片鱗が窺えるのだけども。
ルリルリはマジ電子の妖精。
覚えている限りだと、私の小学生時代に放映してたアニメといえば、
セーラームーン、赤ずきんチャチャ、ケロケロちゃいむ、魔法少女レイアース、とかそのあたり。
弟がいたのでドラゴンボールやジャングルの王者ターちゃん、南国少年パプワくんあたりも見てました。
魔方陣グルグルとかね、クラスの男子とマンガの貸し借りしてたな~っていう懐かしさ。
GS美神とかスラムダンクとかるろうに剣心とか、アニメ関係はあげるとキリがない。
飛べ!イサミなんかも大好きでしたね。
NHKの公式youtubeで配信してくれないかなって思ってるんですが難しいのかな…
らんま1/2は再放送で見てたんだっけどうだっけ。覚えていない。
少女マンガは最終的に白泉社系に、少年マンガはWJとサンデーとスクエニに落ち着きました。
あとは作家買いで、自室の本棚の統一性が皆無です。おもしろければなんでも読みますよ。
ヲタクに関しての「原体験」の作品といっても過言ではないと思います。ほんっとにね、好きだったの。
劇場版を見たその日に、小学生女児のなけなしのお小遣いで角川から出版されてた、
「機動戦艦ナデシコ ルリの航海日誌(上/下)」を揃えたのも懐かしい思い出。
アニメ版を見ずに劇場版を見るという、今では考えられないような暴挙だったのだけど、
その後にアニメ版は母親にねだってレンタルビデオを借りてもらって全話観ました。
アキトさんの印象が劇場版と違い過ぎてびっくりしたり、「明日の『艦長』は君だ!」のノリにぽかんとしたり。
アニメ版と劇場版の空白の二年間をOVA化してくださいと願い続けて早15年、未だに願いは叶っていない。
空白の2年間の小説版(「機動戦艦ナデシコ ルリ AからBへの物語」)は読みましたが、やはりアニメで観たい。
あ、同監督の「モーレツ宇宙海賊」の第4話の電子戦のシーンが佐藤竜雄監督節炸裂で大好きでした!
モーパイの細かいテンポがナデシコのテンポで、なんかすごく嬉しくなりながらアニメ観てました。
戦うヒロイン茉莉香はかっこいいし、ツンデレなチアキちゃんもかわいいしね!
原作の「ミニスカ宇宙海賊」は途中まで読んで止まって、いま、す…
閑話休題。
ヲタクを自覚しても、生活が変わるわけでもなく、普通にマンガ読んでアニメ観てました。
スレイヤーズは観ていないんだけど、セイバーマリオネットのシリーズとバトルアスリーテス大運動会とが妙に印象に残っている。
バトルアスリーテス大運動会、ほんと視聴者置いてけぼりの超展開だったけど今見てもたぶん超展開なんだろうな。
ナデシコと同時期に放映してたエヴァンゲリオンはリアルタイムではなく、
中学生になってから友だちに借りたビデオで旧劇場版まで含めて全話観ました。
新劇場版はCG技術が進歩しててエヴァと使徒の動きがぬるぬるでテンションあがるのだけど、
ストーリーがかなりはしょられてて「シンジくん…」となるので、うん…アニメ版が好きか、な…
腐ったのは、中学生に入ってから。中学一年生。
たまたま本屋で手に取った雑誌が「COMIC BOX ジュニア」というありがちな罠でした。
このトラップに引っ掛かって腐女子に目覚めたパターンって多いと思う。知り合いにもけっこういる。
折りしも、フジリュー版の封神演義が腐の全盛期で、そっから転がり落ちるように腐女子に……
なったかと思いきやなぜか初っ端から女体化を拗らせました。未だに女体化厨です。三つ子の魂百まで。
ちょうど腐った時期とネットが普及し始めた時期が重なってしまって、
ずぶずぶとそのまま腐女子沼にはまり、未だに抜け出せずにいますが、
別にもう死ぬまで抜けださなくてもいいかなって思ってます。ヲタク(腐女子)生活、楽しいし。
ホモ嫌いのヲタク女子の方(http://d.hatena.ne.jp/pet-bottle/20100829/1283056881)が、
「ノマカプは少ないんだよ!」って憤ってらっしゃったけど、それはよくわかる。
腐ってたわりに初めて開設したサイトがWJの男女カプサイトだったのだけど、圧倒的少数派でしたね。
サーチとか「腐向け>(越えられない壁)>男女カプ」だったけど、
少ない男女カプのサイト管理人さんとわいわいやっていた記憶があるので、少数派も少数派でけっこう楽しかった。
そういえば、初めて行ったイベントも男女カプのオンリーイベントだったな。まったりしてました。
根っからの雑食性というかこだわりがないというか、
CPも固定ではないうえ男女カプも腐向けも夢小説も読むし書くしなので、
「腐女子」だとか「女ヲタク」だとか、そういうカテゴライズ関しては何も思ったことはない。腐女子だし。
そして、男女カプもいける腐女子であるうえに、けっこう重度な百合厨でもあるんですよね……。
ホイッスル!の有紀ちゃんと麻衣子ちゃんとか、NARUTOのサクラとイノの関係がすごく好き。
BLEACHの夜一さまと蜂砕ちゃんはいい百合でした、久保先生本当にありがとうございます。
WJは何気に良質な百合が転がっているので侮れない。
百合に関して語り始めると、明治大正の女学校の「エス」から語り始めるのでちょっとお口にチャックしますね。
「エス」って何?という方は、wiki先生でざっくり調べてね!吉屋信子さんの「花物語」が代表的だよ!
エス (文化) - Wikipedia http://j.mp/1b8ivVQ
あまり商業誌の百合は好きではないのですが、宮木あや子さんは好きです。
「花宵道中」の中に収録されている百合の話がとても好き。「雪紐観音」の緑と三津。
「マリアさまがみてる」は「お釈迦さまもみてる」とセットで楽しんでます。
初代?白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)こと佐藤聖さまが好きですね。祥子さまと祐巳ちゃんの姉妹は微笑ましい。
腐女子とか言いながら腐った話より百合の話の方が長いですね…好きだからしょうがない…
CPにしろ男女カプ/腐向けカプにしろ「○○じゃなきゃだめ!」というこだわりがないと気楽なもので、
その時その時の流行に手を出して楽しんで生きてます。
無節操と言われても、楽しめる範囲が広いとやっぱり楽しい。
ニコ動がγになった(07年かな?)くらいからニコ動にいるけど、
アイマスとかボカロとか東方とかも視聴する方で楽しんでる。
え、アイマスアニメでゼノなんとかさん? そんなのなかったよ?
あれはあれでオリジナルでやればおもしろかったと思うんだけど、なんでアイマスでやったんだろう。
東方はシューティングゲーム苦手すぎて挫折しました。
EASYモードすらクリアできないゲーム音痴の悲しさに泣きながら、東方二次聞いたり見たり。
東方もいい百合っぽいからゲームのストーリー把握したいんですけど、ゲーム苦手すぎて(以下略
ボカロはミクさんが発売されてランキングで見掛けるようになった頃から知ってるけど、
ここまで発展するとは思わなかったな~っていろんなメディアミックス展開を見掛けるたびに思う。
既にまったく付いていけないのでつまみ食いです。
MikuMikuDanceから派生した、MMD界隈は別のジャンルでも見ますが、ほんと凄いですね…
「女ヲタクが抱えている闇」で「エロゲ」を好きになって~とあったけど、
あと、腐女子界隈の一部もけっこうえぐいの好きだったりするから、
痴漢・搾乳・孕ませ・NTR・近親相姦・欠損・カニバ もさして抵抗がなかったり。
二次創作におけるSM好きとかやたらと多いんですけどなんでなのか。
Fate/Stay nightをプレイした時に、友だち(腐女子)から「沙耶の唄」を薦められて未だにプレイしていない。
Fate/Stay nightは素晴らしかったです。百合厨なんでセイバールートの初っ端エロシーンに
「キタワァ.*:.。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。.:*☆」ってなりました。
凛√(UBW)がのトゥルーエンドが好きでしたね。凛ちゃんが好き。
最近だと「小説家になろう」さんの男性向け18禁小説サイト、ノクターンノベルズあたりでちまちま男性向け読んでます。
個人的に、歳の差が好きなのもあって、年の離れた近親相姦ものが好きなのですが(特に兄妹もの)、
近親相姦の醍醐味は幼女の調教だと思うので、妹が女子高生設定だったらしょんぼりします。軽くキレます。
わかってねぇよ!近親相姦ものの醍醐味は幼女の調教だろ!性的知識どころか一般常識すら知らない幼気な幼女を自分色に染めてこそだろ!
と呟いたら、同好の士に「わかる、すごくよくわかる」って納得されました。
幼女が!好きです!でも、Yesロリータ、NOタッチ!現実でお触りはだめ!幼女は愛でるもの!
幼女といや「COMIC LO」だと関谷あさみさん好きです。「YOUR DOG」とか。
メガストアだと米倉けんごさん、竹村雪秀さん(字間違ってましたすいません)
男性向け成人マンガといいながら、女性の作家さんが好きなのは、作風の関係だと思います。
あとチョイスが古いのは購読してるわけじゃなくて読みたくなったらその時人気のを読んでただけだから。
たまに読みたくなるんですよね、男性向け成人マンガ。
成人マンガじゃないけど、フェチものとしてはSMの「ナナとカオル」が素晴らしいですね。
ヲタク、腐女子、百合厨、男性向け、と来て残るは乙女ゲー属性なんですが、これもまた普通にやります。
私の場合は、キャラクターに恋をする(入れ込む)というよりも主人公との男女カプ的に楽しんでます。
もちろん、「○○かわいい!」っていう贔屓なキャラはおりますが。
今だと「うたの☆プリンスさまっ♪」のアニメが毎週おもしろくて本当に腹筋が辛い。毎週超展開。
ゲームのrepeatだけプレイして残り積んでるけど、repeatもかなりの謎展開でした。わけがわからない。
twitterでHE★VENSの3人の声が、グリリバ・小野D・代永と流れていたけど真偽はいかに。
あとコナミの無料ソーシャルアプリゲームの「ときめきレストラン☆☆☆」が時間泥棒で困ります。
課金しなくても楽しめる高クオリティ無料ゲーム。お薦めです。透担。少年が好き。
こうやってひとはダメになっていく。
あ、「三国連戦記 思い出がえし」の発売(6/6)おめでとうございます。PSP版になったら買います。
ここまで手を広げてしまったので、財布的な意味で
特撮沼と2.5次元だけにははまるまいと思っていたのにテニミュには落ちました。
1stの全立が好き。兼ちゃん真田が好きで好きで。変な声が出る。
くぼべはスルメ。噛めば噛むほど味が出る。ドリライ7で雌猫ってくぼべに呼ばれたかった(´・ω・`)
年齢が近いこともあって、
「オタク女子中学生の『エロドリーム小説』文化(http://anond.hatelabo.jp/20130603001406)」は、
黒歴史がりがり掘り起こされるくらいにまんま辿ってきた道なので読んだ同年代腐女子たちと
「こwれwはw死ぬwwwwww黒歴史過ぎて辛いwwwwww」
「Pixivに名前変換機能付いたら今の子もガンガン黒歴史量産するのにねwww」
「黒歴史量産して十年後にのた打ち回ればいいのにねwwwwww」
と笑っていました。Pixivに実装されないかな、名前変換機能。
今なら黒バスになるのかな。私の頃はホイッスル!とテニプリだったけど。
寝れてないテンションでつらつらつらつら思い浮かんだことを書き殴ってみたけど、
何が言いたいのかさっぱりわかりませんね。自分でもわかりません。
脳内がぐるぐるしていたので、とりあえず吐き出したかっただけです。
「腐女子」と一括りにされる界隈も、突っ込んでみればそれぞれ属性があったり、
その属性があちこち重なってたりで、食わず嫌いせずに関わってみるとかなりおもしろいです。
気を抜くと相手の守備範囲の沼に勢いよく引きずり込まれかけますが、堕ちても楽しい、よ……
【追記】
追記なのに長いよ!
以下のメインは、チラ裏というか、私の周囲の腐女子の方々についてというか。
日常生活においては「ヲタク」であることはカミングアウトしてません。
腐女子趣味たるや言わずもがな、です。別にtwitterとかあるからまったく困らない。
有川浩さんとか小野不由美さんとか宮木あや子さんとか、一般文庫も読むので「本が好きです」くらい。
まあ、実際は十数年来のコバルト文庫・電撃文庫愛読者なんですけど、
日本人のお得意な「本音と建前」というやつです。
今なら「『空飛ぶ広報室』の作者さんですよ」で終わりますしね。
残念ながら、非リア臭は隠せてませんが非リアなのは事実なのでいいです。
恋愛する暇あったら本読むかアニメ観るか寝ていたい。まるでダメなヲタク。
ちょうどネットが普及し始めた頃にヲタク(腐女子)になったので、
これといって飢餓感を覚えることなく生きて来てます。
類は友を呼ぶらしく、気付けばヲタク友だち(腐女子仲間)も年々着実に増えますし…
そしてその影響でまた新しいジャンルに手を出してどんどん広がっていく守備範囲。
風の噂で腐女子は「逆CPで戦争を起こす」とか、「ジャンル浮気は叩かれる」とか聞きますが、
私のタイムラインはものすごくゆるいので、自ジャンル(これ腐女子特有の用語らしいですね)をホームに、
その時の盛り上がっているジャンルでけっこうみなさんわいわい楽しんでいます。
去年末あたりはFate/Zeroの影響からFate/Staynightプレイ者続出でした。
200人弱のフォロワーなのに、軽く片手以上がプレイしてました(全員女性です)
今だと黒バスと進撃とうたプリとときレスかな。
同時並行でジャンルを2,3掛け持ちとか多いです。
私のフォロワーさんは、基本属性「腐女子」なのですがその中でさらに細かくカテゴリを分けていくと、
・アニメ
・小説(ラノベ、一般文庫)
・ゲーム(戦国BASARA、テイルズ、アトラス系、乙女ゲー、音ゲー、アイマスとか)
・2.5次元(テニミュとか忍ミュとか)
・特撮好き
・MMDなんかの動画系
把握しているだけでこんな感じでしょうか。
当然、単一特化ではなく複数項のカテゴリに足突っ込んでる。ニコ動は最早嗜み。
それぞれ特化しているものものは違いますが、ゆる~く繋がってます。
ちなみにジャンル柄、ガチのミリヲタと歴史ヲタ(世界史/日本史問わず)もいます。
私は歴史もの好きだけど、詳しくないので観るだけですが「坂の上の雲」は素晴らしかった。軍艦かっこいい。
評判よくなかったですけど「平清盛」も私のタイムラインでは人気でしたね。ほら、ライバルってBLの王道ですし…
三次元は、KABファンとハロプロヲタ、モノノフがいます。ジャニ好きとかも。他は把握してない。
改めて書き出してみるとカオスだな…と思いますが、特に衝突もなくゆるゆるっとやってます。
「○○興味あるな」って呟くと、「○○いいよ!」「××からがお薦め!」と
それぞれの沼に引きずり込もうとあちこちから手が伸びてくるので誘惑を振り切るのに必死ですが。
たまに、引き摺りこまれます。そして、悔しいので別のところに引きずり込みます。
最初に挙げた増田の記事を読んでいると、他人事ながら「生き難くかろうな」と思います。
他人の萌えと自分の萌えが完全に一致するわけないとわかっていると、わりとなんでも楽しめます。
数学の集合みたいに、一致して重なった部分で盛り上がれればそれでいいというスタンスだと気が楽。
同じジャンルにいるのに逆カプの人とかよくいますし、それで揉めたこともない。
数年くらいジャンル被らないとかもざらです。
でもそういう人ともゆるくどうでもいい日常の話題で繋がってます。
ジャンルの切れ目が縁の切れ目になっていた昔と違って、
ジャンル違っても緩く繋がれているtwitterは本当にありがたいものです。
「少女漫画脳だから恋愛に興味が持てない」(あるいは神風怪盗ジャンヌの背中)
http://mogmog.hateblo.jp/entry/20120601/1338560962
この記事おもしろかったんですよね、すごくよくわかる。
いいからお前は来週末〆切の夏コミ原稿やれよ。
昨日、加来耕三さんという歴史学者の講演を聞いた。
多分増田をみるような輩でその講演を聞いたのは俺くらいだと思う。
会場は老人ばっかりだった。
「歴史に学び、未来を読む」というのがその講演の題。ちょっと壮大な感じだが、内容はというと常識的に物事を考えることが大事だ、というすごく地に足のついた話だった。
歴史にロマンを求めるのは現実を無視することだとして、NHK大河ドラマを強烈にDisっていた(龍馬伝は80%嘘で、篤姫は200%嘘だとか。残念ながら平清盛への言及はなかった)。
一番笑ったのは龍馬への言及。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は昔の講談本だかなんだかを下敷きにしていて、あくまで創作なので「龍馬」ではなく「竜馬」表記にしているのだが多くの日本人はあれを本当だと思って誤解しているという。
話をばくっと要約すると、龍馬は子供の頃勉強ができなくて大きくなっても寝小便をしていて、唯一剣術に才があったという話になっているが、頭が悪くて剣術に秀でている人間がどうして剣術指南とかにならずに日本初の株式会社を作ったり薩長同盟を仲介したりしているんだ。人間はある日突然人が変わったように優秀になったり馬鹿になったりはしない、常識で考えれば龍馬は勉強が得意なタイプの人間だったと考えるべきだ。だいたい龍馬は暗殺されるとき左手に拳銃、右手に刀を持っていたが拳銃を打ち尽くして弾切れになったあと刀を抜かずに拳銃を振り回したと伝えられている。どうして剣術の達人が刀を抜かずに拳銃を振り回すんだ。というわけで巷で伝えられている龍馬のイメージは作られたものである。
大学で教えていると(加来先生は奈良大学の先生だそうです)毎年必ず龍馬かぶれが一人くらいいるが、みんな悲しいくらいにワンパターンで、「先生、おれは今はバカですが将来はビッグになるかもしれませんよ」などと言う。今日の次に明日があるんであって、今日バカな人間は明日もバカなのだからこつこつ積み重ねなければしょうがないと説くが伝わらない。坂本龍馬が大好きと言う人間は信用してはいけない。
…ということで俺は歴史に疎いのでふんふんそうなんだという感じで聞いていたのだが坂本龍馬に関する結論だけは以前からの俺の認識と一致していた。「坂本龍馬が好きだと言う人間は信用ならない」歴史にロマンを求めて現実を見ない人間である。そう、例えば孫正義みたいな。←結局これが言いたかった。
第3回。続きになります。
前回はこちらです。
http://anond.hatelabo.jp/20110708114752
YouTube - 『さらば愛しの大統領』世界のナベアツ、柴田監督インタビュー。世界のナベアツが、NOVAうさぎのCMなどで知られる柴田大輔と2人で映画監督に挑戦!・・・
http://topics.excite.co.jp/keywords/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94/
「さらば愛しの大統領」特典満載DVDが発売 4月20日、2枚組DVD「さらば愛しの大統領」 が発売される。世界のナベアツが柴田大輔とともに共同監督を務め、ケンドーコバヤシ、 宮川大輔が主演した映画・・・
http://ameblo.jp/shigetamiwa/entry-10736653133.html
お嬢が息を切らして、何やら叫びながら帰ってきた。あの%#&*@☆△…落ち着け、まず落ち着け!!はい深呼吸~で?学校帰り近くにいる大人に時間を聞いたら凄い人だったと~!!ママ、柴田大輔って知っとうやろ!!・・・
・柴田大輔-ピープルサーチ
今年は、いつくになく越えなければならない夏である。皆さん、体調だけには十分に注意して、この夏を乗り切りましょう。柴田大輔氏の言葉より。・・・
モダンからポストモダンに変質したときのように大きな衝撃があったことは筆舌に付くしがない。いま私たちの世界は真実なのか。柴田大輔の表現には、そのような問いが隠されている映画なのである。
http://v7777777v.blog69.fc2.com/
ロックで柴田大輔V7、2回目のコラムです。戦後、日本企業の成長・急進は目を見張るものがあった。新規事業の台頭で世界に誇る企業が続々と登場した。これは、日本人お勤勉さ、そして何としても日本を復興させるのだという・・・
夏も真っ盛りですが、みなさんはいかがお過ごしですが?
今年は海に行こうと思っているんですが、なかなか「よし、行こう!」とはならず、今年も無理なのかなと、半ば諦め気味です。地域によっても変わってくるでしょうが、九州地方ではいつまで泳げるものなんでしょうか。
太陽をたくさん浴びて、今年こそは日焼けしたいと思っています。海にいけなくても、日焼けを目指して街を歩いたりと、できるだけ日に当たるように心がけるつもりです。柴田監督も海に行ったりするのかな・・・
昨年からこの日記を始めましたが、なかなかどうして更新する時間が取れずにさびしい状態となってしまいました。
あれほど更新頑張ると意気込んでいたのに自分がなさけないやら、つらいやら・・・
今年は!といいたいところですが状況があまり変わってないので約束はできそうにありません。しかし、気持ちとしては前進するつもりでいますのでどうかまだお付き合いいただけると嬉しかったりします。柴田監督は今年も突き進むはずです。私も負けずに少しでも追いつけるよう精進したいと思っています。まだまだ若輩者ですが気持ちだけは負けません!(ほんとか・・・)
健康にも気をつけて精力的に映画のことや舞台のことを考え、大輔さんの魅力を少しでも伝えることができればと思っています。
はてな日記がに慣れてないのでよく分からないのですが、追加して更新していくということでいいのでしょうか・・・
まあ、伝えたいことは架けるので良しとしておきましょう。
しかし、舞台というのは楽しめ、想像して楽しめる数少ないエンターテインメントだとつくづく感じます。
岐路に着くときにもそうだし、帰ってから思い出すことで楽しめることも多い。特に一番印象に残った場面などは何回思い出しても飽きることがありません。
また、インタビュー記事などに目を通すといろいろなことを想像してしまいひとりにやけることも多々あります。
いまは平清盛をみて楽しんでいます。江がいまいちだったのでどうだろうかと思ったのですが、僕的には最高に面白い大河だと思っています。おそらく平安時代当時の状況をできる限り再現しているところに現実感があり、見ている最中にドラマだとはあまり感じないところではないでしょうか。1話目はきちんと見れたのですが、2話目は録画になってしまいました。しかし、面白さは変わらず。早く続きを見たいとさえ思いました。3話目も録画になりそうですが、今からワクワク感が止まりません。
知っている人もいますが、なぜ見れないかというと、実はいまランニングを週に2~3回しているんですね。その1回が日曜日という、なんともタイミングが悪い日に当たってしまった言うわけです。まあ、走ることは悪くないと思うので、気持ちよく走りたいと思います。
それでは、また!
NOVAうさぎなどの記憶に残るコマーシャルメッセージを制作。リゲイン、アジアン・カンフー・ジェネレーションのプライベートビデオも手掛け多数の賞を縦走している異才。近年まれに見る映像クリエイターの一人である。1973年・神戸市に誕生する。
修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間が京都へ行ってきたよ!
東山から四条三条へ北上後、大宮や壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。
どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった
路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった
条例で高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い
都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ
あらゆる人種が居る
交差点でクラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた
首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり
それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった
そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ
車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり
都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅は普通にトイレットペーパー無かった
その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった
盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して
京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・
総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに
阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル)
とはいえ京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様
京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと
阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅が伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有
病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった
これが噂の・・・と思った
しかし観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた
昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた
新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上
都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な
恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う
なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大
仏ヲタ的には金閣銀閣は触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、
歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない
勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人はリピーターになるレベルまでは行かない気がした
本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める
道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず
そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有
殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だが、バスは平日でもかなり混雑している
観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分で適当に接続ルートを探して乗るとかなり空いていた
例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたいな
ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩やブラタモリするのがおススメ
湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離
壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る
寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいかも
高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位
カメラは撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須
しかし弥勒菩薩が居る広隆寺や平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺はスムーズに入れた
どうしても土日なら土曜日に有名所へ