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はてなキーワード: 平成生まれとは

2023-12-31

anond:20231231110656

今時の60歳位の人たちはなんならその辺の平成生まれよりよっぽどPCとかネットワークしかったりするから

この辺のステレオタイプ「おとしより像」は改めるべき。

ネットワーク歴40年で、ヒューレットパッカードのEWSでRS485の通信してたよ、ソニーNEWSSUNのEWSで修論計算して、TeXで清書した、図はMacSE30で、とかみたいな人結構いる。

2023-12-30

9歳の時に野球コーチレイプされた

いわゆる先っちょしか入らない状態だったと思う

発射もされなかった

コーチサラダ油かなにかを使ったらしく、大量に腸内に入れられたようだった

誇張して覚えているかもしれないが、帰り道に油が肛門から垂れ流しで気持ち悪かったのを覚えてる

遅刻が多いから後で残るようにと言われてコーチと二人きりになった末のことだった

尻を叩くからズボンを脱げと言われ四つん這いにされた

平成生まれだし怒鳴られることはあっても体罰は受けたことがなかった

でも知識として、お尻ペンペン存在、その際に脱ぐこともあるとも何故か知っていた

何発か手じゃなく、多分冊子を丸めもので叩かれた後で肛門をいじられた

なんだろうと思ったが不思議抵抗はせず罰の延長と思ったままレイプされた

特に口止めもされずそのまま帰された

家には、泥だらけで帰ったら裏口から入って、シューズなど汚いものを洗う専用の洗濯機に汚れた服を突っ込み

下着姿で風呂直行するという習慣があった

パンツ一丁でリビングを横断してる時も油が垂れてて気づかれないかスリリングだった

それまで気づかなかったが、肛門に傷が入っていて洗うと痛かった

でも耐え難い激痛ではなかったし、寒いので湯船に浸かった

油がキラキラ浮いてきて、すくって隠滅した

普通に学校へ行き野球クラブも行っていた

1週間経たないぐらいで親に病院に連れて行かれた

理由は言われず、その年は出てなかったと思うがたまに冬季喘息があったのでそれかなと思った

親は俺がレイプされたことを何故か察していたらしくそ検査だった

かに体をさわられていないかなど問診され、肛門も調べられた

コーチのやったことは何か良からぬことではないかというぼんやりした問題意識はあったので素直に全部話した

多分警察の人だったのか、日を分けて何人かの人に同じことを話した

親は別に泣いたり怒ったりなどせずいつもと変わらない態度だった

野球には行かなくなった

学校野球仲間も一斉に親に辞めさせられたという

何年か経つうちに自分のされたことがレイプだったとはわかった

気になってコーチ名前検索したが特に出てこなかったので事件になっていないようだ

中学生になり野球ではない部活に入ったら、かつての他校の野球仲間が先輩にいた

コーチホモで小6に手出して辞めさせられたんだぞと先輩は面白話のように話してきた

でも具体的に誰だったかは先輩も知らないし検討もつかなかった

俺のことは知られてなかったのか、俺がいないところで噂されてたのか

俺一人だけがレイプされて伝播するにつれて小6ということになったのか、何人もレイプされたのか

物理的傷はとっくになく、心理的傷も大してないが、コーチ犯行の全容は気になっている

今更親に聞くのもなあー

2023-12-29

松本人志がそういう奴なのは有名では?これもジャニー喜多川に関する「ジャニーさん若い男の子が好きだから(笑)」みたいに一般人にも娯楽ネタ的に扱われてきただけでしょ。

松本人志、「バナナマン日村どころじゃない!」過去ロリコン発言が発掘され物議に

https://dailynewsonline.jp/article/1527637/

「じつは松本20~30代の時期には、自身でも”ロリコン”を公言しているんです。特に放送作家高須光聖(54)との深夜ラジオ放送室』(TOKYO FM)では『乳さえ出たら小学生でもイケる』『中学生が大好き』など、今となっては呆れるような暴言を連発。松本は、ほかに2005年以前には『松紳』(日本テレビ系)では『平成生まれセックスしたい!』と発言したり、『ダウンタウン DX』(日本テレビ系)でも『15歳ぐらいがストライクゾーン』などと語っている。未成年が好きというレベルではバナナマン日村どころじゃないと言えるでしょう」(週刊誌記者

もちろん松本のケースは彼一流の(若い女性が好きという)”例え話”であり、まさか小・中学生に手を出したワケではないだろうが、その周辺には”状況証拠”が多過ぎるようだ。

アーティストUA(46)も松本のおっかけをしていたようで、 1998年4月13日放送の『HEY! HEY! HEY!』(フジテレビ系)に出演した際に裏話を披露している。心斎橋二丁目劇場出待ちをしていたというUAは「松本さん、ロリコンだったじゃないですか。私当時15だったんでイケるかな~、って思って」と当時を振り返り暴露浜田雅功(55)も「(松本は)ふつう14歳とかと付きおうてたからな」と同意した。これには松本も「ウソ言うな、誤解されるやろが、ホンマ告訴するで」と反論するも、「ええよ、告訴してみい。勝てるもん俺」と自信をうかがわせていた。

2023-12-20

平成生まれの弱男「俺だって氷河期世代に生まれてさえいれば、ビットコイン買って働かずに楽して暮らせたのに!」

2023-12-05

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-11-27

今に平成生まれ上司に指図される時代が来るんだなと思っていたけど、来てしまったよ。

次は21世紀生まれかな。今に令和生まれ上司に指図されるようになるんだろうな。

2023-11-21

anond:20231121093208

専業主婦金持ちと言ってる人はいつの時代の話してるのか

2023-11-04

anond:20231104213921

はい、私は平成生まれですが、令和になったときは寂しい思いもありました

しかなんやかんやお祭りみたいでもあり、今では楽しく令和生活謳歌しています

今思えば「平が成る」というのは、あまりにも平家に媚びた、公平性に欠ける元号だったとも思います

今季アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が非常に面白い

ので、もっと知れ渡ってもいいと思うんだ。

俺は平成生まれから、作中に登場するエロゲー(なんと実名で登場する!)のことはよく知らない。

というか、90年代秋葉についてもよく知らんが、それでも面白い

主人公かわいいし、一緒に働く女性陣もとても良い(「がんばれ!がんばれ!」等の台詞もすごく良かった)。

ストーリー原作がないので先が読めずに楽しめる。

それにタイムリープものからSF好きとしては見逃せない。

コミカルな表情やら演出ちょっと臭いような感じがするものの逆にそれが心地良いような…増田にいるおじさんにこそ見てほしいと思えるアニメなんだよ!!

2023-10-27

こんなアラフォーにはなりたくない、どんなアラフォー

うちの職場にはプライベートで一緒に旅行に行くほど仲のいいアラフォー独身女、アラフォー既婚子無し男、アラフォーバツイチ子無し男の3人組が職場にいる。

頻繁に3人でスポーツしたり、職場若者を引き連れて飲みに行っている。職場の他のアラフォーの人は家庭を持って子育てをしているため、青春を楽しむ子供のように見えてしまう。

仲良しなの結構なことだが困ったことに仲良しさを仕事に持ち出している。必要業務上情報共有はしないし、仕事中にチャット業務外の話をしている。さらに困ったことに上司達はそういった行動を指摘せずに見逃している。仲良し3人組は仕事ができるため、上司は何も言えないのだと思う。自分平成生まれ20代のため昭和生まれの考えや文化理解ができていないだけかもしれないが、出会った時からものすごく痛いおじさんおばさんだと思ってしまっている。

仕事でなにかあっても自分責任を負う立場ではないため、これまで通り好きにしててもいいとは思うが仲良し3人組が自分上司になるのは絶対に嫌だ。そうなる前に転職しようと思っているが、どこの職場でも拗らせてしまった大人ってみんなこんな感じになってしまうのだろうか。老後のことを考えて結婚したり子供を作ったりしないのが不思議でたまらない。

2023-10-26

平成生まれおっさんって毎日スマホの充電してなかったってマジ?

あんま使ってなかったの?

2023-10-25

anond:20231025115239

平成生まれからつい最近それを知ったんだけど、マジで意味からない。

からでも剥奪すべき。

昭和天皇が直接渡すことも会うことも拒否したことが唯一の救い。

2023-10-21

テレビってもう老人のことしか見てないのな

昭和はこんな時代でしたよね~みたいなナレーションしてて

あぁ平成生まれ以降はターゲットにしてねーんだなって

2023-10-09

子どもの頃スポーツが得意」「明るくて優しい」男性尋問にかける

※この記事趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめ蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。

しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。

私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。

小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校ありがちな強者弱者の構図にぴたりとはまっていた。

それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。

普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的ボールを当てられてしまうのは、単にその子運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。

このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギー暴力として喰らってしまたことはある。掃除時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。

上記男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だからはいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。

私は男性好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子ボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子からどれだけ遠いか必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。

(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)

大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強ストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベル中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしま子どもはきっと少なくないのだろう。

過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまたことは何度もある。だから小学校時代の」「男子女子に対する」「身体暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。

私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せ結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。

私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分無意識暴力可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。

私は今、小学校同窓会を欠席してこの文章を書いている。

2023-09-20

メシ食ってかない?

職場にすごいおっさんがいる。

ワーママがわりと多いこともあり、もともと飲み会が盛んな職場ではないが、歓迎会送別会やら、ちょっとした打ち上げなど、小規模で行うやつはそこそこある。

この数年「いやー飲み会とかパスな人なんで…サーセン!」という新人もやはりいて、別に角が立つ感じの断りかたでもなく、また気が向いたら来てねーで終わる。

そんな子たちが1、2年経つと飲む飲まないにかかわらず飲み会に来るようになるのは、その職場おっさんの力である。なんというか、このまま家に帰るのもしんどいなというタイミング絶妙に「メシ食ってかない?」と声をかけるのだ。この力をプライベートで発揮したら女の子に事欠かないと思うんだけど、普通に結婚しておとなしくしている。

俺もそうして誘われたクチで、全然大した内容の話もアドバイスもないのに、ふたりで美味いメシ食って飲むだけで、なんか救われた。マジックである

こういうのって昭和センスなのかなー。いちおう平成生まれなんだけど。

2023-08-12

みんなの共通認識にあるエヴァンゲリオンって結局どれのことなの?

平成生まれアニメは後追いで途中まで、映画は見た記憶はあるけど、どの作品だったかもわからず、記憶曖昧

ただ、あまりにも有名だしネタバレネットで目にしてなんとなく知ってる気になってた。

で、この夏休み貞本義行漫画版エヴァ最後まで読んだ。

こんな作品だったとは。

ラストに行くにつれ、涙が止まらなかった。

繊細チンピラオタクが抱えるコンプレックス欲望を、ここまで曝け出して、それを力技で正統なジュブナイルもの昇華するとは。

ちょっと、「君たちはどう生きるか?」に似てるよね。

あとシン仮面ライダーはこの長尺だから描けるテーマを2時間に取り込もうとしたんだからそら無理があるわな、とか。

でもこれって、みんなの知ってるエヴァンゲリオンで合ってるんでしょうか?

それとも、オリジナルTVアニメ版を見ないといけないんでしょうか?

映画はまた別物なんでしょうか?

漫画は貞本作品庵野作品ではないんでしょうか?

この状態で他の人とエヴァについて語っていいの?

2023-07-29

1998年まれだけど日本希望はないし終わってると思うよ

慶應と東大の学生達と話していて気づいたが平成生まれにとっての日本は「右肩上がりの希望にあふれた国」なのではないか

岩尾俊兵 @iwaoshumpei

私が講義を持つ慶應東大学生達と話していて気づいたが、私含め平成生まれにとっての日本は「右肩上がりの、希望にあふれた国」なのではないかスタート地点が低かったため、じわじわとではあるが、日本は良くなっている実感がある。実は「日本は終わった」は今の世代にはピンとこない価値観

んなわけない。ネガティブな事を口に出してると評価が下がるのが世の常なのでとりあえずポジティブなことを言ってるだけだろう。

少なくとも「日本」という括りに希望はない。

人口減と高齢化と現役世代負担増は目に見えていて、年金は返ってくるかわからないし、その全部にこれといった対策はない。

そんなマクロな話じゃなくても、小さいころ身の回りほとんどを占めていた日本製品ほとんど海外製品に置き換わり、みんな見ていたテレビは誰も見なくなって、スマホ日本なのかなんなのかよくわからないLINE以外は大体海外サービス余暇時間を消費するようになって、新しい分野を拓くのは常に中韓台を含む海外企業

サブカルは局地的に善戦してるけど、一応日本に向いてくれてるK-POPはずいぶん皆に馴染んだなぁと思う。あとトヨタか。がんばれ~。

スキルと先見のある友人は皆外資就職転職してる。スキルのない奴らも皆公務員インフラ系に就職してとりあえずの数十年を食いつなごうとしている。NISAでSP500を買う奴はいても、TOPIXを買う奴は誰もいない。

これ、希望あるか?

でも、「日本」に希望がないからって、日本に住んでるそれぞれの人間希望がないわけじゃない。日本外資で働いてiPhone使ってインスタで友人とやりとりしてブラック飲食で飯食って謎の土地持ちから借りた家で寝て、普通に幸せだし。

経済のことよくわかんないけど日本企業お金払わなくても、日本企業で働かなくても、日本企業が何か生み出せてなくても日本の国としてはしばらく滅びないんじゃないの?少なくとも、自分が生まれから日本に起きた変化ってそういうことだった気がする。でも結果として特に問題なく日本に住んでる。滅びるとしてもギリ逃げ切れる気がする。しらんけど。

2023-07-17

anond:20230717200939

平成生まれのオジサンだけど昭和のオジサンを再評価してます

俺はゆとり世代からZ世代の事は分からないけど、俺は上の世代と仲良くやっていきたい

君たちはどう生きるかを見てきた

増田話題にしてたから見てきたが、作画は本当に凄かった

これより作画が上のアニメあんのかな?

物語の方は実母を亡くした戦中の少年が謎世界冒険して、継母を連れて帰る話なんだけど

君たちはどう生きるか」というタイトルだが俺には何を伝えたいのか読み取るのが難しい

しかしたら俺に向けて作られた話ではなかったのかもしれない

平成生まれの俺もオジサンの仲間入りだ

以下は作品を読み解けなかった奴の感想

作中の「老い」は印象的だった、老人が多く出てそして老い若さを感じさせるシーンがいくつも出てくる

老い少年についていくのもやっとな老婆も謎世界に行くと若く現役の頃で頼もしい

誰しも若い頃はあるのだ

無くなったはずの実母も少女の姿で出てくる

一方少年少年のまま、継母も大人の姿のままだ

これは俺にとっては意味深だった

死者と老い先短い老人は若い頃の姿で、まだまだこれからも生き続ける者は今の姿だ

今を生きてるか過去に生きてるのか、それとも老いによって体の年齢と自意識の年齢は乖離していくという話なのか

でも石積み上げてるジジイジジイのままなんだよな……

分からん

主題ではないだろうけど作中には「戦争や争い」もあった

今の日本は新しい戦前と呼ばれてる事は宮崎駿も知ってそうだしな

少年と青鷺の関係インコペリカン

老人が言っていた争いのある世界に戻るのかという台詞

作品主題にも出来そうだが、そうではないらしい

実母と継母

何がしたいのかよく分からん

母親ヒロイン増田感想で見たが、ヒロイン不在で青鷺や老婆たちの方がよほど印象に残った

結局何の映画なのか俺にはよく分からん作品だが、老いる前になんかしてえなと思った

具体的にはアーマードコア6

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