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2023-05-05

人生努力した事がない。

何かを本気で頑張って、結果としてそれが失敗に終わったとしても、その努力をしたという経験人生において糧になると言われている。

努力した経験のある人は、新しく何かに取り組む時も「頑張り方」を知っていたり、多少嫌な事でも「耐え方」を心得ていたりする。

私は二十余年生きてきてその経験が全く無い。

学業習い事部活仕事など全てにおいて、だ。

一番最初に始めた習い事公文だった。

なんだかんだ幼稚園の頃に始めて中学の頃までやっていたが、特別頑張ってやっていたわけでは無い。最初の頃こそ好きでやっていたもののあとは完全に惰性だった。

中学に上がる頃にはもう月に1、2回、数枚の宿題を提出してはまた数枚持って帰る、みたいな取り組み方で意味なんて無いようなものだった。

公文式は学校の授業の進行に関係なくどんどん自分で先の単元を学習していけるので、中学半ばくらいまではいわゆる勉強の「貯金」があったおかげで国、数に関しては苦労することがなかった。

それもあって中学地元中高一貫校合格。(なお後で知ったが定員割れしてたので落ちる心配はほぼなかった)

そして勉強貯金が尽きてくるとガクンと成績を落とし、それとほぼ同時に学校のものが面倒臭くなりサボりがちになる。本格的に逃げ癖がつき始めたのもこの辺りじゃないかと振り返って感じた。

幸か不幸かエスカレーターだったので中3〜高校卒業までずっと出席日数をギリギリ下回るくらいで、先生方のお情けの課題をこなして進級してそのまま卒業した。

部活中学最初ラグビー部に入っていたものの、全く楽しく無いし運動音痴である事を自覚したので1年そこらで辞めて、以降高校卒業まで帰宅部だった。

小学校の頃もサッカーラグビー習い事としてやっていたがどちらも長続きしなかったし、今となっては別に強制でもない部活に、それも明らかにきつそうなラグビー部に何故入ったのか自分でも謎だ。

大半の人が人生で一番努力すると言っても過言では無い大学受験ですら私は努力しなかった。

最初の方はMARCH第一志望にしていたが、高校に半分も通っておらず成績も最底辺人間にはどだい無理な話だと気付くのに時間は掛からなかったので、滑り止めとして日東駒専の夜間を受ける事にした。

日東駒専といえば聞こえは悪く無いかもしれないが夜間は滅茶苦茶敷居が低い上に受験科目が現代文数学のみで、公文勉強貯金だけでもなんとかなるレベルだった。

MARCH受験も辞めればよかったのに言い出せず「とりあえず受けてみよう」なんて親の言葉に乗せられ、前日にホテルまで取ってもらって受験会場では殆ど時間船を漕いでいた。本当に申し訳なさで一杯だった。

そんな苦労せずに入った大学で当然学業を頑張れる訳もなく、初めての一人暮らしという名の自由に浮かれて遊び呆けるようになる。

から昼過ぎまでバイトして、サークル麻雀打ちに行くか、帰ってゲームするか。そんな日々だった。

幸いバイト人間関係も良く、仕事も楽かつ楽しいというこの上ない大当たりを引いたので続けられた。

最も、そんな当たりでも最後の方はサボりがちになったのだが。

大学1年、2年とそれぞれ取得単位は一桁。

卒業出来る見込みも限りなく低く流石に3年で挽回兆しが見られなければ大学を辞めて実家に戻れと親に言われる。当然である

結局3年になっても大して出席率は変わらず、更にバイト先が潰れる。

新しいバイトを始めるも周りが十個以上年上の人だらけだし仕事はクソつまらないしで1週間程度でバックれ。

ただでさえバイト収入だけじゃ足らずに毎月のように家族に泣きついていたのに生活できるわけもなく、とうとう消費者金融に手を出す。

累計で100万いかいくらいを借り入れ、返済は全部ガン無視

大学3年中頃、賃貸契約更新タイミング大学に行ってない事も働いてない事も多重債務者になっている事もバレ、退学し実家送還

実家に帰ってからコンビニ夜勤コンビニ夕勤、コンビニ夜勤でそれぞれ2ヶ月、半年、2年働いた。田舎すぎて働くところがコンビニくらいしかなかった。しかも後ろ2つはバックれているのでもうその店に行けない。一番近いコンビニだけはバイト先の候補から除外したのは賢明だった。

実家に戻って2年ちょっとの間で消費者金融から借りた分は債務整理という形で全額返済した。

で、今絶賛無職なのでバイト探しの合間にこれを書いている。

とりあえず携帯代と奨学金の返済が滞ってるから次のバイトはもうちょっと長続きしたらいいな。

途中から自分の屑っぷりをひたすら披露している様になったが

自分の今の能力で出来ないことはやらない

いくら楽しくても、いくら楽でも飽きが来たときに辞めてしま

という「なる様になる」の精神で生きてきたので、努力と忍耐を身に付ける術を知りたい。

歯を食いしばって耐え忍ばないと死ぬくらいの環境に身を置くのが一番早いのだろうがそれすら怖くて出来ないし、最悪死ぬ方が楽ならそっちを選ぶだろうという無敵の人状態になってしまっている。

嫌だ嫌だと言いながらなんだかんだ頑張れる人は素晴らしいしかっこいい。恐らくどこかで努力してきた下地があるんだろう。

自分にはそれが無い。

2023-04-14

年収4600万円だけど歯の8割と顔の3割の皮膚と左腕がない

高校生の時に交通事故に巻き込まれて左側の歯と顔と腕がベショベショになった

そこから入院で1年半休学してから卒業

幸い他の部位も心もそこまでの損傷はなかったので高専から専門職についた

30代半ばで前より件数は下がったけど単価が上がって年収2022年度4600-4700万円の間

右手だけで運転やすいようにカスタムしてくれた割と高級と言われるメーカーの車に乗ってる

割といい車、割といい部屋、割といい家具、割といい人間関係で安定している

仕事場の隣に家があるような状態から移動はほとんどないしコロナで飲み歩くこともなくなった

外に出ることはあるけど元から帰宅部もどきであまり好きではないが長い友達が遊びにくる事はちょいちょいある

マスクは外出時に以前も今もずっとしててコロナ以降ちょっと気分が楽になった

生活周りは生協頼りと家政婦頼りで服はお付き合いしている女性見立ててもらっている

その女性は俺との結婚やぶさかでないようだが俺が子育てとか広い人間関係が怖いので保留中

20代までは顔の皮膚の再建をするか悩んでたけど今はそこまで手術に積極的ではない

去年くらいか交通事故遺児の団体に寄附したりするようになった

最近の悩みはジムプール子供相手教室が再開してしまって趣味水泳がやりにくいこと

色々なことに慣れたけど子供特に小学生視線は割とつらい

2023-04-08

グラデーションではなく切り捨て、捨象で自分にラベルを貼りなさい

そう思うそう思わないのスケールは1~5までの整数である

小数もないし条件別に複数選択はありえない

すべての時と場合ありとあらゆる状態で当てはまる数字を選ぶだけ

その数字の枠内で生きる

自己評価は1,2,3,4,5の数字だけで評価される

切り捨てられる小数点以下の数字や気づいていないパターンでならこういう数字だったのにというのはゴミである、余計な攪乱項である考察材料ではないので破棄される

聞かれていないことは0点である

東大受験試験科目以外の点数は問われない

受験だけ考えるならスポーツでの成績が勘定に入らないなら0点で宅浪帰宅部同値である

2023-03-27

anond:20230327110346

バスケ部サッカー部野球部はたいてい結婚するから

そういう部活出身なのに結婚せずにいると同窓とつるむとき95%既婚者の空間にいる状態になって

帰宅部文化部より精神的にきつそうだな

帰宅部文化部の男は未婚であることが普通

年収が低くても中学時代バスケ部だったタイプ結婚してるよ

バスケ部サッカー部基本的結婚してる

逆に帰宅部幽霊部員だったタイプは高年収であっても結婚しない

結婚のカギは容姿協調性なのだろうと思う

2023-03-22

anond:20230322141441

コンビニレジで弱男が働けると思う?

20年前と違ってレジでやらなきゃいけないことのバリエーションが相当増えたから、発達には無理な仕事になってるよ。

介護も体力とコミュ力がないといけないから、ネットで息巻いてる体力皆無弱男にはこなせないと思うな…。

介護学業成績はいまいちだけど運動部活をやっていたタイプの人が多くない?

帰宅部不登校のようなガチインドア弱男には介護もできないと思う。

待遇がよくないから「やりたくない」のではなく、「低能すぎてできない」。

2023-02-07

相対と絶対狭間で生きていく

18歳までの俺は常に誰かと比べられながら生きてきた。「お前ってどんなことでも2番目だよな」って言われ続けた。自分で言うのもなんだけど、高校までの評価軸(主に勉強部活)においてはかなりできるやつだった。模試で全国100位以内に入ることもあったし、部活でも県の選抜に入ったりしてた。だけど、そのどちらにおいても圧倒的に俺の上を行く奴がいた。T大模試偏差値80越えは当たり前でT大にトップレベルの成績で入るやつとか、俺と同じスポーツ世代の国代表に入るやつとか。俺はそいつらと比べると大したこといから、学校の奴らは、なんか馬鹿にするような態度で俺と接してた。そんな環境で中高の6年を過ごしていたから、自分でも自分自身を人と比べて生きるようになってしまった。

この大学の4年間は、絶対的な何かを追い求めることに必死だった。中高時代にズタボロにされた(もはや形成すらされなかった説すらある)自分アイデンティティを探し続けた。このままいくと自分幸せまでも相対的に捉えてしまいそうで、そんな状態で死んでしまうのが怖かった。

結果から言えば、大学の4年間でも確信は得られなかった。だけれども、いくつかのヒントはもらえた時間だった。

まず俺の生きる目的は、自分自分を好きになることだと考えるようになった。目標じゃなくて目的自己愛のために生きると決めた。自分を好きになるために自分の弱さと向き合うし、他の人と向き合うと決めた。

とは書いたんだけど、俺は他者との関わりの中でしか幸せを感じられないことにも気付いた。自分で何かを達成してもなんとも思わないし、俺でできることなら誰でもできるよなとまで思うこともある。第一志望の大学に受かった時も、確かに嬉しいは嬉しいのだけれど幸せは感じなかった。だけど、部活のみんなで何かを達成した時や、後輩の成長を見た時、周りのみんながワイワイやっている時とかに幸せを確かに感じられた。自分幸せ他者依存してしまうことは情けないのかもしれないけれど、これが僕が4年間かけて導いた一つのことだ。

あと、これも上に書いたこととちょっと矛盾するかもしれないんだけど、弱い存在としての俺が俺なんだと少しは考えられるようになった。高校までの俺は弱い自分否定することに必死で、強くなることだけに拘っていた。この4年間で自分が弱いってことを認められるようになって、弱い部分も含めた自分を少しずつ受け入れられるようになってきた。

でもやっぱり、人と比べがちな自分は消えない。昔みたいに目に見える結果だけで人と比べるようなことは無くなった。だけど自分の弱い部分、特に自分人生自分ごととして捉え、何かのために頑張ることができない」っていうのをめちゃくちゃ比べてしまう。俺の周りは頑張れる奴らばかりだ。勉強を捨ててまで部活だけに集中する奴、自分の将来にために勉強とか就活頑張る奴、毎日研究室実験しながら部活でもエースな奴、高校時代帰宅部なのに大学体育会入る奴、挙げればキリがないぐらい頑張り屋さんがいっぱいいた。俺は彼らの足元にも及ばない。俺はそれを凄いなと思うだけで、結局大学4年間頑張りきれなかったな。そして彼らと比べてしまって、自分の小ささに辟易した。

自分のために生きると決めた以上、人と比べても何にもならないことはわかっている。だけど、人間社会的な生き物である以上、誰かと比べなきゃ生きていけないのも確かなんだとも思う。俺にとっての絶対的な何かを探すことを当面の目標にして、春から社会人生活頑張りたい。

2023-01-19

地獄個人Vtuber増田分析するよ

この増田Vtuberの切り抜き見てる程度の一般視聴者増田だよ。業界人でも自分でVやってるわけでもないよ。

そういう増田による認知メンタリズムが見たい人だけよろしくね。

地獄個人Vtuber増田はどの類型

個人Vといってもぽこぴーとかの有名Vをカウントしてもアレなので、登録者数が多少あっても知名度は高くない、ブレイクしてない個人勢。

というのが地獄個人界隈のことなんでしょうね。

オタクペ●ス逆撫で女V

友達一般女V

■顔の良い男V

バ美肉

メンヘラガビガビ画像

■ガビガビ3D男V

地獄個人Vtuber増田(以後ジゴマスと呼ぶ)が挙げてくれた個人V六大地獄類型のうち、ジゴマ自身はどこに属するのか。

いちばんマシな表現されているのは【友達一般女V】。つまりこれがジゴマスの姿です。

どうですか、恐ろしいでしょう認知サイコメトリー

最初に【オタクペ●ス逆撫で女V】を持ってきて長々と怨念を述べた後に、【友達一般女V】はマシな地獄さらっと流して

挙げてる男V類型はどれもクズ。ジゴマスは女Vですね。

過度な性アピールもしてないのにセクハラリスナーがやってくるのでブチギレてる様子が目に浮かびます

ところでペ●ス逆撫で、ってなんやねん。逆撫でされたら気持ちを害するだけだろうとはじめは思ったんですけど。

順撫で逆撫でどちらでも気持ちがよくなるので表現問題はありませんでした。偽マフティーも陰茎が苛立つと言ってました。

おっぱいデカいほどいいみたいなのが最近とくに増えてるのは、一時期あった未成年設定のASMRバン対策なんじゃないですかね。

>声はガビガビで耳が痛くなるし、サムネイルも大体終わっているので基本的客観的自分を見る事ができないんだと思う。

発声ができてないオタクマイクなどの配信環境に金かけてない+自分客観視できないバ美肉。ガワの作成お金尽きたんでしょうか。

ガビガビ画像系は、低解像度画像を拡大表示したようなものと推察します。

残念ながらというか幸いなことに増田観測範囲にはひっかかってこないので実態不明です。

アバター簡易作成アプリあたりの仕様なのかPC関係に詳しくないのか、それでも配信できてるなんて偉いですね。

ダサイクル

ダサイクル、は念のため解説すると身内での褒め合いに終始して、向上心がない閉じたサイクルのことで「それ町」で提唱された概念だった気がします。

追記ブクマで指摘があり「それ町」ではなく「ネムバカ」だったようです。紺先輩が言ってたという偽記憶を植え付けられていました。)

初戦敗退常連で定時下校の運動部楽器持ち寄って格好は作ったものの上達は目指さなバンド、幽霊部員帰宅部員の暇つぶしスペースと化した文系部室。

そういうところに向上心に溢れた新人が入ってきて衝突して、環境を一変させる。物語の始まり感ありますね。

ゴマスは地獄部に入部してブチ切れてるわけです。

アイドルにはあるけど役者にはないもの。それが向上心

そこらへんのVはお互いの配信を見に行ってるだけで何の向上心も無いんだから

まりゴマスはアイドル志向個人V。他人を蹴落としてでも自分だけはなんとしてでも売れてやるという向上心の塊。

これが認知ウエストランドです。

個人Vの目的

個人VがVをやる目的は様々です。

趣味として配信をして、友達を作りたい。

あわよくば同業Vか視聴者か、異性との出会いの場にしたい。

配信で人気を得て登録者数増やしてちやほやされたい。

エロ系で登録者数集めて手っ取り早くマネタイズしたい。

話術を磨いて数字をとって大手事務所への実績にしたい。

向上心の塊のジゴマスにとっては、コラボできるレベル個人Vとのつながりは欠かせません。

嫌いなVなら見なきゃいい、という視聴者目線の話ではなく、友達面して繋がったり

関わり合いになってアウトかセーフか見極めるためにも多少は見る必要があるのです。

しかし、数字にはこだわらないが出会いガツガツしている男性Vは邪魔ですし

滑舌悪いバ美肉介護も、スカム発言毒舌を気取るイケメンフォローも大変です。

音量低いメンヘラとのコラボも扱い困るし、巨乳人気個人Vとコラボすると視聴者吸われます

視聴者だってマイナー個人V見てる奴はなかなか一癖ありそうです。

とかく地獄は生きにくい。

認知サイコリーディング増田は、そんなジゴマスさんが大手事務所の難関倍率を突破して年齢経歴も偽り

なんとしてでもアイドルVとして売れることを応援しています

個人Vの生き方

地獄の方では地獄のようなAPEX祭りとか流行りのゲームに急いで飛びついてはなんとかクリアして操作に習熟したころには

次のゲームの流れが来たり大変なことと思います

歌が上手ければVシンガーとして歌配信中心で時折自分の好きなゲームする程度で人気集めている人も居るのですが

みんなが皆歌が得意ではない。

自分の得意なことに特化し、生配信ではなく動画中心にして、同業Vとのつながりも控え目で自分のペースでやってる人もいます

というかVtuber定義がどうのというよりアバターとして別段珍しくなくなってきましたよね、もう。

生身とVの両輪で活動している人も多い。

その立ち位置で満足できるかどうか、それはあなた次第です。

ところで、ガンプラ組み立てが女性配信者で増えてるの何なん?カラオケで親父向けの持ち歌覚えるようなもの

数多の星野ニアの中の星

この流れで具体名出すかどうか迷ったのですが、出自出自ですのでセーフだろうと。

かつてある人物Vtuberアバター発注しました、しか製作者さんがVtuberアバター一式を完成させた時

注文した人物はバックレてしまっていたのです。

怒った製作者さんは作ったものの行き場をなくしたVアバター星野ニア希望する方に無料配布しました。

条件は星野ニアを名乗ること。こうして数多の星野ニアが生まれ、先行してたまたま星野ニアというハンドル活動していた方

とのコリジョンなどもありながら、多くは早々に飽きてあるいは数字が伸びなくて辞めていきました。

そんな星野ニアの中でパズドラ特化Vの星野ニア登録者12万を超えて現在活動されています

パズドラはご存じスマホゲー黎明期からあるモンストと並ぶご長寿コンテンツ10周年を超えたくらいですかね。

界隈の登録者数の規模は、公式チャンネル公認プロが30万程度です。

2021年からの途中参入で数字を伸ばしているのはなかなかすごいと思います

製作者さん、星野ニアは今も輝いてますよ。

最近のV豆情報

・kson氏、龍が如くキャバ嬢オーディション一次選考通過

小鳥遊キアラ氏、かつて乃木坂オーディションの一次選考通過の過去

・にじJP落ちた日本人さん、英語猛勉強してにじENとしてデビュー

2023-01-10

anond:20230110195401

帰宅部の方がメンタル強いと思う

別に何言われても気にしない能力というか

圧迫面接

志望度高い企業就活体験談読んでたら

すごい圧迫面接!!!おれは体育会系出身だったから耐えられた!!!そうでない人だったら耐えられなかっただろう!!!!(内定辞退人)

みたいなの書いてあって

帰宅部だったから震えてる

2022-12-19

anond:20221219143255

https://toyokeizai.net/articles/-/319461?page=3

既婚男性がよくやっているスポーツは「野球」「ゴルフ」「サッカー」「テニス」などであるのに対して、未婚男性は「水泳」「自転車」「ランニング」などです。

ソロと既婚の違い、おわかりになるでしょうか。既婚は、誰かと一緒じゃないとできないスポーツであるに対して、ソロは1人でもできるという特徴があります

有配偶率が最も高いのは、男女とも集団スポーツ部活経験者で、逆に最も低いのが帰宅部の男女となりました。

チームプレイのある運動部出身の男が露骨に既婚率が高くて、帰宅部の既婚率が低いとかデータがあったけど、

チームスポーツって身体的な協調性必要で、非言語協調して進めるセックスが上手いんだと思う

あと帰宅部が駄目なのは意欲や体力がなくて低収入になりがちでセックスも下手なんだと思う

2022-12-16

声優になりたい」って言うやつはなれない。の典型に会った

親戚で集まった時にいとこ(高校生)が「声優になりたい」って言った

自分では声豚ではないと思ってる声オタなのでどんなことやってるのか興味はあった

・今なんかやってる?→とくに

演劇部とか放送部とか→帰宅部

声優魂って本読んだ?→何それ?

・どうやってなろうとしてる?→たぶん養成

・演技は養成所に入ってから?→それしか無いでしょ

さすがに説教じみてきたので「頑張れ」って言って終わったけど、まあ無理だろうな

叔母には「もし進学先が代アニだったらやめとけ」とだけ伝えた

2022-12-11

今思えばいじめられっ子だった私

私は女子校育ちだ。

小学校までは地域公立校に通っていて

私の地区はみんながみんなとりあえず私立受験をする風潮だった。

地元中学が荒れていて、少年院に入ったとか、髪の毛が青いやつがいたりそんなのが噂になっていたのもあったし勉強はしなくてもそこそこだったので母の勧めもあったし女子校へ通うことにした。

第一志望に落ちてしまったらあとはどこでも一緒という気持ちもあったし、なによりも自転車で通えるのが楽そうで良かったからだ。

今思い起こせば私は内部進学生から嫌われていた。

運動部に入って運動部お荷物だったのも原因かもしれない。

内部進学の子が4人、外部の子が4人。

バレー部は内部進学が5人、外部の子が2人。

バレー部はよく考えなくてもいじめをしていた。1人はやめた。

もう1人はいじめに加担することで身を守っていたのかもなあと今思えば思う。

1人敵がいると団結できるもんな。

運動部は内部進学生が強かった、

母親たちのバックアップという意味でも

それでも自分なりに雑用をし、自分なりに頑張ってきた。

そんな中、入院するぐらいの怪我をした。

下手くそバスケさらに下手くそになった。それでも辞めたら負ける気がして最後までやり切った。

なんでか中3だったと思う機嫌を損ねたかもう記憶にないが、内部生の中でも勉強は出来ないけど親は大金持ちという、攻撃的な子Aに嫌われて毎日お前の味方なんかいない、お前見てるとムカつく、他の奴らに言ってみろ殴ってやるなど色々言われて全てが嫌になったのを覚えてる。トイレに呼び出されてなんか壁に押し付けられたのを覚えている。

当時の私は細くてAは小太りだった。

このAは帰宅部だったのに運動部の中で君臨しようとする、実際には友達があまりいないタイプだったのかもしれない。

このままでは私の数少ない友達いじめられてしまうと思ったか親友と連絡を取らなくなった。

その当時流行ってたmixiとかCURURUブロックしたのだ。長文のTwitterみたいな使い方をしていた。

ジャニーズ大好きで一緒にコンサートもたくさん行った。今思えばなんで愚かだったんだろう。

わかってもらえなくても相談したらよかったのに。言ったら

親友でなかったのかもしれない。

その友人は部活高校に入るタイミングで辞めてしまった。

そのことで私はお揃いのストラップをつけるような友を失ってしまったのだと。

ジャニーズから離れてしまったのも私はこのタイミングだったかもしれない。

ただただ毎日その内部進学生Aが高校に進学出来ないように祈っていた。

実際進学できないと聞いてすごく嬉しかった。

もし高校も一緒だったら死のうとすら思った時もあった。

未だにそのAを見ると嫌な気持ちになる。

彼女高校には進学出来なかったにも関わらず大学時代部活仲間との飲み会にいる時があった。確か成人式にもいた。

私は嫌な気持ちを消せなくてそのAがいるとわかったら参加しなくなった。

部活同窓会にもなかなか行っていない。

Aがいなくなってからは私は普通に高校に進学し、大学へ行った。

高校はなにも大きな出来事はなかった気がする。

大嫌いな部活高校になったら気楽になった。

スポ根を味わえたし、私の基礎体力を作ったのでいい経験だった。

チームメイトとは普通に楽しく過ごせるようになった。

負けて悔しい、そんなことすら思えた。

Aは日本高校に受からアメリカに行ったらしい。

向こうからしたら中学までは自分ぬるま湯に浸かってだけでアメリカで開花したとのことだったが、私は未だに彼女を許せてない。

そんなAが子供を娘を産んだというのを聞いた。Facebookに欲しいものを全て手に入れたとか宝物だとか、子供にも人権があるとかこの子を守るみたいなことを書いていて正直不幸になって欲しいと思ってしまった。

最愛の夫はあなた学生時代いじめっ子だったのは知ってるのだろうか。

本人からしたらそんなことなんてあったっけ?みたいな事なんだろう。

同じように人をいじめ子供になるのか、はたまたいじめられる側になるのか、

女子校陰険だという話ではない。

嫌なことは嫌だし、何年経ってもやられた側は忘れないのにやった側はケロッと忘れてる。

しろ向こうからしたらお前が悪いんだろという案件なのかもしれない。

その時の周りはもうみんな気づいてないのかもしれない。

周りはいじめられてたっけ?と思うかもしれない。

世界狭いで今生きてる中学生の私に言いたい。

全て捨てたっていいんだよって。

部活も辞めていいし、学校だって変えたっていい。

勉強だってなんだってやればやるだけ自分の力になるんだから

何もかもが悪い方にいく気がする時は何もしなくたっていい。

そのままのあなたを好きでいてくれる人が1人でもいるなら幸せなんだよって。

それはその狭い世界はいいかも知れない。でも世界は広い。

無理に嫌いな奴と付き合わなくたっていい。

嫌いなやつといなきゃいけない理由なんてないんだから

それを認めてくれる人を探す旅なんだよって。

アンジェラアキの曲を聞いて号泣してしまった。

拝啓15歳の私へ

今負けそうで泣きそうなあなたより

15年後はあなたらしく生きれる友人を選ぶのが上手になりました。

このブログがもしバズって本人が読んだとして今更の謝罪なんて1ミリも欲しくない。ただ過去いじめていた側が、何も知らずに幸せになってほしくない。

いじめてた側は消せない罪を背負っていることを忘れさせたくない。

そんなどこにも吐き出せない想いを綴る。

そして同じような15歳に伝えたい。

いじめてくるやつがクソなんだって

2022-11-23

みんなセッ◯スのために筋トレしてたんだな….

先月初彼女が出来てから筋トレを始めている

理由セックスの悩み

素人童貞だったから強く意識したことがなかったんだが、セックスには筋肉ストレッチ重要らしい



腰の振り方は知っていたもの彼女が喜ぶような腰の微細動ができない

イサンを抜き差しする腰の振り方はできるんだけど全く気持ちよくないから辞めろと言われた



やり方を変えるのはやぶさかではないんだが、練習しようにも向こうが萎えて中断したがる

たぶんサンが中折れするからだと思う

はっきり言ってそういう微細動的な振り方が全然気持ちよくないので段々と垂れてくる。それでもなんとか向こうを気持ちよくさせようと意識すればさらに折れる

なおかつすごく疲れるので汗だくになる。向こうがこちらの汗が垂れるのを嫌がって騎乗位に移行するのだが、それはそれで機嫌悪そうにするので居心地が悪い



正常位でもう一つ厄介なのが股関節の固さ

抜き差しする腰の振り方は多少固くてもなんとかなるんだが、そういう細かい動きをしようにも股関節ロックがかかるので振動する人形みたいになる

そもそも理屈がよくわからないんだが彼女と正常位をしようとすると骨盤位置が折った自分の太ももの裏側スレスレ位置にくるので腰が振りにくい。上からいかぶさるようにすると腰が振りやすものの、全く気持ちいいところに当たらないらしい

彼女要望を聞こうとすると内股開きでケツをベッドにつけつつ腰を微細動するような軟体ボディが必要になると気づいた



ラーメンスイーツが大好きな惰眠を貪るような生活をしてきた中年腹でのセックス限界を覚えたのがこの時だった


そんなこんなで足腰を鍛えて持久力をあげつつ、風呂上がりに正常位の形で足を開いて床オナっぽいことをするストレッチを導入した

筋トレを始めて気づいたんだが、足を鍛えると勃起力も回復する。そりゃマイサンに血が昇ることで勃起するんだから筋トレして血管太くすればより血が巡りやすくなるのは当たり前の話なんだが、勃起力は加齢と共に死んでいくものだと思っていた



こっちが努力し始めたことで彼女の機嫌も良くなった。今まで下の話は避けてたけどざつだんの1テーマとして話すようになった

実は向こうも昔セックスに悩んでからストレッチを欠かさなかったらしい。騎乗位でうまく腰を触れないとか、正常位でうまく足を広げられなくて同じように股関節を重点的に鍛えたとか


そんな話を聞いてからというもの、色んなことに合点がいった


高校時代帰宅部のはずの姉が急に筋トレストレッチを始めたことがあったが、あれはきっと彼氏ができて同じ悩みを持ったんだな

てっきりダメ人間を拗らせないようにちょっとでも活動するか!と前向きになっていたものだと思っていた


他にも友人の男たちがこぞって筋トレをしていた理由もよくわかった

知り合いで筋トレをしている男たちの8割くらいは当時から彼女がいたので、モテる男は遺伝子レベルでTheオスって感じの趣味を持つものなんだなぁと勝手に納得していたんだが、みんな勃起不全とか中折れとかそういう悩みに直面して体動かすうちに趣味になっていったのかもなと思った


しかちょっとくらいは彼女作るためにまずは筋トレだ!って始める奴はいたが大体続かずに気づいたら辞めてる

やっぱ彼女がいて継続的セックスする用事がないと筋トレモチベなんて湧かんよなあとこれまた勝手に納得している。今の自分がまさにそんな気持ちだ。肉体改造が本気の趣味野郎たちはスマ



テストステロンがどうのこうのみたいな自己啓発で続くような努力じゃないよね筋トレって

セックス交際する上で一番の目的なんだからそれのためなら自分人生時間削ってでも努力するわな


とはいえ筋トレを初めてから私生活でも疲れにくくなったし、夜もぐっすり眠れる

もっと若い時に彼女を作っていれば今頃もっと健康だったんだろうけど俺みたいな非モテ彼女を作るためには筋トレ中心の健全生活が送れる力を使える必要があるわけで、鶏卵だなと思った

2022-10-26

増田って音楽やってたやついるんだな

帰宅部で速攻家かえってモンハンネット巡回しかやってない文化的趣味なし特技なしのモヤシくんばかりだと思ってた

2022-10-17

anond:20221017164357

天体望遠鏡なんてあるわけない文化資本ゼロの家に生まれて、遺伝的に発達も遅く身体も小さく小学校では徹底的にいじめられ、親も勉強は全くできないので勉強の習慣なんて無くて成績も悪く、地元中学が荒れすぎてて耐えられそうに無かったので大して勉強できなくても受かる私立中高一貫校に進学し、運動はもちろんできず帰宅部文化部陰キャとして過ごしたが、あるとき勉強してみるかという気になってやるようになったら何故かそれなりにできるようになり、旧帝理系に進学して色々あって研究者やってるわ。これ言うと妄想扱いされるんだけど。

2022-10-01

anond:20220930213101

(最下部にブコメ返しあり)

この増田はいつ頃、どういう入り方で、陸海空どの自衛隊のどの隊にいたのだろうか?

なんでみんなそれすら確認せずにこの情報を信じることができるのか?現場経験してないからなのか?

まずそれくらいの情報はないと真偽の判断ができない。

俺も自衛官だった時期がある。身バレしない程度に、俺が経験したことを具体的に書く。ちなみにめちゃくちゃ長いです。

俺は2007年8月2010年3月まで、任期制隊員として陸自関東方面隊にいた。任期制隊員についてはググって。まだこの制度あるのかな。

今はどうか知らないけど、当時は入隊してから半年教育は前期3ヶ月と後期3ヶ月に分かれていた。

前期は武山駐屯地自衛隊法とか小銃の組立解体とかの座学と、徒手空拳とか5段階ある匍匐前進の仕方とか寝撃ち膝撃ちみたいな小銃の撃ち方とかの実技演習と、定期的に実施される体力テストのための体力づくりが中心だった。

俺はちょっとした事情で、教育中はなかなか野外訓練についていけなくて悔しい思いをした。

前期の教育中、同じ班の人が「24時間拘束されてこの給料じゃ国の最低賃金下回るじゃん」みたいなことを若い奴らに喧伝して支持を集めてたけど、少なくとも教育中は長時間拘束されるなんて入隊前から分かりきってるんだからそもそも入隊しなきゃ良かっただろ、士気下げるだけだからさっさと辞めちまえばいいのに、と言う人たちもいた。

印象的だったのは、教育隊の隊長2尉だったかな?20代後半のなよなよした人で、それに対して10の班を纏める40代くらいの2曹ミッシェルガンエレファントドラマーシュワちゃんばりにおもくそ屈強にしたみたいな、子供時代想像できないタイプいかにも鬼軍曹な人で、まあその人も話してみると意外と優しかったんだけど、最初から幹部で入ってるっぽい人と現場叩き上げでこうも違うのかと思ったな。

あとは、軍事オタクよりアニオタの方が多かったとか、選ばれし者だけが習志野の空挺に行くことを許されるとか、同期に柔道全国6位とか特殊な人がまれにいたりとか、入隊前の書類実家信仰する宗教を記入する欄があったとか、ある日全隊員が会議室に集められて特定生命保険への加入を(隊友会のめちゃくちゃ安いやつじゃなかったと思う)半強制的に勧められたとか、東富士での三日三晩の訓練の後に叩き起こされてみんな絶望的な顔をしながらとある部屋に集められて「次の任務を言い渡す。これを飲め」と配られたのがキンキンに冷えたコーラ任期制未成年いるからね)でめっちゃ安心して涙が出るほど美味かったとか、普段全く笑わなくて班員のやらかしが発覚すると班の部屋に潜入しバームクーヘン毛布を全員分グチャグチャにすることで「台風」のあだ名がついた班長休日に部屋へやって来てすわ何かと身構えたらPSP取り出してはにかみ笑いでモンハンやろうぜって言われて一緒に遊んだりとか、まあ色々印象的なことはあった。

後期は普通科施設科需品科とか、隊員たちがそれぞれの職種対応した駐屯地に分かれて、ある程度専門的な教育を受けた。あんまり言うと特定されそうだから詳しくは書けないけど。

後期は大抵5年〜10年ほど自衛隊にいてだらけきった(後述する)人たちが上官になるので、前期に比べると圧倒的にヌルかった。

武山駐屯地教育隊はというと、彼らは教育専門の部隊で、年中そればっかりやってる人たちなんだよね。そのことは後期に入って初めて知った。

ただ、後期は冬だったから野外訓練が死ぬほど寒かった。キツかったのはそれくらい。

教育期間を振り返って思うのは、確かにパワハラ的なことは全くなかったとは言えないんだけど、当時のご時世とか考えると、高校部活の延長みたいなもんだった。むしろ強豪校にいた人にとっては前期もヌルかったんじゃないかな。訓練はどうしても体力のない人に合わせる形になるからね。

それに、少なくとも教育中は、この増田が言ってるようなことは全く無かったな。自衛隊法は学んだけど、「神と虫」なんて言ってるのは聞いたことがない。上は「教官」じゃなくて別の肩書だったし。前期の休日で外出する場合制服着用って言われたけど、彼女待たせてる人は当然外で着替えるし、横須賀中央とかのあたりはその辺を軍服の人が歩いてるのが日常からそんなに忌避感もなかった。

一定の耐性がついてる人は多少制限を与えられても抜け道とか自由をその中に見出してなんとかするし、何か洗脳っぽいことを言われても自分ちゃんと考える。そういう意味では増田教育の時点で抜けたのは正しい判断だったのかもね。まあそもそも、この増田がやってることこそ洗脳な気もするんだけど。

とにかく。話変わって、パワハラみが増したというか、俺にとって地獄だったのはむしろ教育が終わってからの方だった。

教育が終わって、俺は地元にまあまあ近い駐屯地に配属になった。

そこでまず知らされたのは、春以外の入隊員は季節隊員という半ば蔑称に近い形で呼ばれて、「使えない・すぐ辞める」隊員が多いというレッテルを貼られていること。「部隊エース」という言葉文脈によって、本人の与り知らぬところで蔑称になること。新入隊員は慣習的に、部隊長の半長靴磨きという業務時間外の仕事を割り当てられること。訓練での活躍なんかよりも、休憩時のお茶汲み、上長煙草を吸っていたら煙缶を持って来る、ビール瓶のラベルを見えるようにして上手く酌ができる、飲み会で要領よく挨拶回りができる、そういう「空気の読める」隊員が良しとされる風潮があったこと。

んでもって極みつけは、所属大隊隊長が、金正恩もびっくりの「お前屈んで半長靴の紐結べねえだろ」ってくらい不健康そうな出っ腹だったこと。

別にルッキズムなんて持ち合わせちゃいないし、市井の人はいくら太ってても気にしないけど、有事に人を守る自衛官としてそれはあんまりだろ。

いかにも、「俺は権力です」を体現したような身体だった。

俺はこれからこんなやつらの下で働かなきゃいけねえのかと思った。この半年学んだのは何だったんだと思った。

んで、それでも我慢してやってみようとしばらく過ごしてみると、よりその地獄みは鮮明になった。

一年のうち3分の1ほどが、草刈り車両整備・消防点検やらお偉いさんの来訪前などに頻繁に行う寮の清掃・持ち回りの風呂掃除警衛などに費やされる。

さらに、これは駐屯地によると思うけど、俺のいたところは糧食班もあって、食堂で飯作りと配膳を3ヶ月ほどの持ち回りで担当する(対象陸士)。

よって、訓練や体力づくりに精を出すのは一年の半分を満たない。当然毎日定時。通勤1分。

長靴磨きとか迷彩服アイロン掛けとか定時外にやることはあるけど、隊長の半長靴陸士の間で持ち回り、それも一番下の立場の時だけなので、自分の下が来ればそいつらに引き継いでやらなくなる。自分の半長靴イベントがあったとき磨けばいいくらいだし、迷彩服私物って言ってアイロン掛けの要らないタイプを買ったり貰ったりしてたから、やっぱりイベントで官給のやつを使うときしか掛けなかった。

ついでに、たまの訓練で遠征するとなると、7tの荷室で人員輸送されてる最中は密閉された幌の中で何人もがバカスカ煙草を吸いまくる。煙草を吸わない俺にはそれが無茶苦茶辛く、かと言って指摘すればたちまちエース(笑)扱いになる未来が見えていたので、繊維が肌に刺さるほど質の悪いカーキ色の官給毛布で顔を覆って耐えるしかなかった。さすがに今はそんなことはないと思いたいけど。

自衛隊車両運転免許を取りに行くとか、観閲式の準備対応とか、あとはさっきの糧食班とかは、普段部隊から離れてかつ自由時間が大幅に増えるので「おいしい仕事」と呼ばれていた。駐屯地の中にクラブという名の安っぽい飲み屋があって、酒を飲まない俺でも週に2日くらい連れて行かれた。

そんなわけで、大体の人は教育期間とのギャップから怠惰になる。怠惰にさせられてしまう。だから大隊長に限らず太ってる奴らは多い。

こっからは完全に自慢になる。

俺はそんな怠惰環境が嫌でしょうがなくて、体育学校に行きたいと思った。ほぼ帰宅部人生教育期間もほぼビリケツの筋力だったんだけど、幸い持久力だけは人並み以上にあったので、かなり頑張れば3000m(5000mだったかな?)走の資格に手が届きそうだった。

ちなみに、カナヅチだった俺は駐屯地内のプールでシンスプリント治療がてら練習しまくった結果遅い遠泳ならできるようになったけど、立ち泳ぎができなかったのでレンジャーはハナから諦めてた。

とにかく、2年弱走りまくっていたら、3000mの歴代中隊記録を更新して、さら大隊内で一番体力テストの成績が良くなった。2年弱の間に糧食班にいた期間の自由時間とか自衛隊内の教育とかを使っていくつか資格を取った。そんなこんなしてたら件の大隊から表彰状を貰った。この場で破り捨てたらどうなるかなと思った。

もう少しで体育学校に行けるというタイムまでこぎつけたところで、別にやりたいことができた。体育学校に行くのは良いけど、現役を引退した後も自衛隊にいるとまた空気を読むだけの怠惰生活が始まって面倒そうだとも感じたので、2任期目の途中で退官することに決めた。

半年ほど前に申告したにも関わらず、結構直前まで揉めた。まあ任期制隊員なのだからある程度は仕方ないんだけど、なんか中隊長を納得させるためか会社事業計画個人版みたいなものを作らされた記憶がある。1年後にこういうことをして、3年後には海賊王に俺はなりますみたいなやつ。

今はこんなご時世だし多少は改善されてると思いたいな。

えっと、ほんとにめちゃくちゃ長くなった。何が言いたかったんだっけ。

とにかくだ。洗脳って言葉を使うのであれば、教育期間は俺にとって洗脳でもなんでもなかった。当然咄嗟には受け入れられない出来事もたくさんあったけど、それは、「人を守る仕事」という前提と、当時の時世ということで鑑みれば納得できた。

しろ教育が終わってからの方が、耐性のない、考える力のない人は洗脳されやすいと思う。それくらいにあの場所怠惰だ。その「人生楽勝な感じ」に大半の人が流される。騙される。

そんなんじゃ人は守れないからと、一部の「強い」人たちがその人たちなりに必死こいて、あの組織を「人を守れる組織」としてなんとか保っているのが実情なんだと思う。当然この場合の強さってのは権力でも、武力でもない。精神的なタフさと、ひたすらな良心だ。

断っておくけど、「だから俺は強いんだぜ、すげえだろ?」がやりたいんじゃない。俺はむしろ弱い。あの組織怠惰に抗い続けることができなかった。さっきは自慢話にしたけど、その場その場の怠惰に流されたことも何度もあった。

居続けることで結果的に「弱い」人間になる。そんな場所になってしまっているということが、あの組織の悪いところだと俺は思うよ。

大切なのはいつでも、考え続けることだ。

別に自衛隊に限った話じゃない、普遍的な話だ。

2022-10-01 15:20 小変更

2022-10-01 15:34 小変更

2022-10-01 23:17 ブコメ返信追記

学校もそうですが世間の目が届きにくく指導者管理者裁量が大きい場所下の人間への扱いの振れ幅が大きくなり信じられないようなことも起こりますどちらの話も嘘だと断定はできないと思います

信じられないようなことが起こりうるというのはほんとそのとおり。

まあもう身バレしてもいいかなと思ってるから言うけど、当時俺が在籍してた駐屯地で、教育隊の幹部が新入隊員たちに爆薬を食わせる事件があった↓

https://ja.m.wikinews.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E3%81%AE%E4%BA%8C%E7%AD%89%E9%99%B8%E5%B0%89%E3%81%8C%E6%96%B0%E4%BA%BA%E9%9A%8A%E5%93%A1%E3%81%AB%E7%88%86%E8%96%AC%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%95%E3%81%9B%E3%80%81%E9%9A%8A%E5%93%A1%E3%81%8C%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%B8%AD%E6%AF%92%E3%81%AB

俺の言うことを信じろと主張するつもりは毛頭ないんだけど、「神と虫」の件に関しても時期によっては事件扱いになっていておかしくないので、調査のためにもう少し具体的な情報元増田には尋ねたい。

2022-10-02 08:02 ブコメ返信追記

人は自分が都合の良い用に考える。日々、警察不祥事批判しているニッポンリベラルは、なぜか「AED女性に使って良いか問題では、警察100%理性的に行動し、AED使用者逮捕するはずないと信じる人が多い。

人は自分が都合の良い様に考える。そうだね。

考えるとき自分のそういう偏りを常に意識する。

ついでに。

別に情報拡散だとか発言の際に絶対に失敗すんなって言ってるわけじゃなくて、そりゃみんなもっと慎重になるべきじゃねとは思うけど、うっわ失敗したーと感じたら無理に軌道修正しようとせずに素直に認めてアップデートすりゃいいんだよ。

それが考え続けるってことだと俺は思ってる。

ニッポンリベラルという言葉が具体的にどういう思想の人たちのことを指すのかちょっと調べた限りではよく分からんのでここでは触れない。

2022-10-02 08:19 ブコメ返信追記

真偽は判らんけど、増田元増田とでは、一回りくらい世代が違うかな~て印象は持った。

元増田の言ってる経験がたとえば2020のものか、1980年のものかで、その情報を受け取る側の印象はだいぶ違う。

俺の書いた経験だって今の自衛隊には当てはまらいかもしれない。

2022-09-01

anond:20220901173233

帰宅部だったんだが、なんとなくバスケやってる奴がかっこいいと思って

友達と二人で某スポーツ店にオリジナルジャージを特注した。

背中には架空高校名前、腕には自分名前はいってるやつ。

それを着て県予選の会場に乗り込み、わざと目立つ通路で観戦してた。

(すでに全国出場を決めて、他県の代表を視察に来たという設定)

壁によりかかりながら、人が近くを通る時を見計らって

俺「なかなか面白いチームだな・・・

友「ああ・・特にあの7番」

俺「お前と同じポジションだな。どうだ?止められそうか?」

友「さあな・・・・」

俺「おいおい・・・エースがそんな弱気でどうすんだよ」

こんな感じのやりとりを繰り返した。

このコピペ思い出した。

2022-08-26

anond:20220826235021

日陰者は日陰者で帰宅部友達コミュニティ創ったら?

不登校の子でも、はみ出し者の子でも、どこにでもコミュニティは創れるよ。

2022-08-23

N君は夜行バスに乗って

anond:20220822215327

夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラル呼称であり、実名イニシャルではない。

N君は、高校同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。

ここでド田舎高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。

そんな風にド田舎同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議存在だった。

N君は、俺を含めた同級生との休み時間放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。

特にしかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。

在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。

大学夏休み実家帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリーム差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。

特にしかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店アイスコーヒーでも飲もうということになった。高校時代校則入店禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。

「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。

少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人からこそ、却って話せたというだけかもしれない。

N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。

N君の話を聞いて、俺は驚いた。

N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったかであるストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。

しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホインターネットも無かった時代のド田舎で、子供経済的支配している親の立場ならば、情報遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネ同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。

「えっ、そんな雑誌があるの?!」

「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」

逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性恋愛感情を抱く男性存在するなんて信じられない、という表情だった。

別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バス東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である

新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」

実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直イコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴ものだったと言うほかない。

兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしまし面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。

そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。

その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。

俺の勝手空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部リベラル場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。

たか夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。

それでも。

それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たか新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。

から俺は、その後のN君が、彼にとっての夜行バスを拾うことが出来ていれば良いなと、今でも思わずはいられないのだ。

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