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2024-02-25

発達障害が起こした犯罪一覧

他にも知ってたら教えてください

神戸連続児童殺傷事件1997

 発達障害中学3年生がハンマーナイフ小学生5人を殺傷し、2人を殺害した

全日空61便ハイジャック事件1999.7.23

 28アスペルガー無職の男が全日空61便で機長を刺殺してハイジャック

豊川市主婦殺害事件2000.5.1

 アスペルガー17歳少年が「人を殺してみたい」という動機から主婦ナイフで滅多刺しに殺害、夫も負傷させた

西鉄バスジャック事件2000.5.3

 広汎性発達障害17歳少年西鉄高速バス牛刀ハイジャック人質1人を殺害、2人を負傷させた。

岡山金属バット母親殺害事件2000.6.21

 アスペルガー高校生野球部練習中に部員バットで殴打、自宅に帰宅母親を撲殺した。

山口母親殺害事件2000.7.29

 広汎性発達障害の16歳の少年口論の末に母親金属バット殺害

レッサーパンダ殺人事件2001.4.30

 29歳の軽度知的障害広汎性発達障害の男が待ちで出会った19歳の女性バカにされたと勘違いし刺殺

長崎男児誘拐殺人事件2003.7.1

 中学一年生アスペルガー少年が4歳の少年誘拐、ハサミで性器を切りつけた挙げ句突き落として殺害

佐世保小6女児同級生殺害事件2004.6.1

 小学6年生のアスペルガー少女同級生バカにされたと勘違いカッターナイフ殺害

石狩女性会社員殺害事件2004.8.9

 15歳の少年逆恨みを抱いていた同級生母親を刺殺

寝屋川教職員殺害事件2005.2.14

 寝屋川市の中学校に広汎性発達障害17歳卒業生侵入逆恨みから教師1人を殺害、2人を負傷させた。

富山県自宅放火父親殺害事件2005.5.1

 22歳の無職アスペルガー男性が自宅に放火父親を焼死させた。

タリウム使用母親殺害未遂事件2005.8~

 16歳アスペルガー高校生母親食事タリウムを混入し殺害を謀った。

町田市女子高生殺害事件2005.11.10

 アスペルガー男子高校生逆恨みから同級生女子生徒を滅多刺しにして殺害

大阪姉妹殺害事件2005.11.17

 山口母親殺害事件犯人出所後、面識のない姉妹強姦、刺殺した

宇治学習小6女児殺人事件2005.12.10

 アスペルガー23アルバイト塾講師が塾生の少女逆恨みから刺殺

渋谷区女子短大生切断遺体事件2006.12.30

 21歳のアスペルガー浪人生短大生の妹を口論の末に自宅で絞殺遺体解体して遺棄した。

香川県坂出3人殺害事件2007.11.16

 43歳無職広汎性発達障害男性金銭トラブルから義姉とその孫2人を刺殺

岡山駅突き落とし事件2008.3.25

 19歳の広汎性発達障害の男が岡山駅で男性線路に突き落とし殺害

津和野祖父母殺害事件2008.5.22

 父親に対して不満を抱いていたアスペルガー無職23男性八つ当たりから祖父母を刺殺

富田林市高校生殺害事件2009.6

 広汎性発達障害高校生女性を巡るトラブルから同級生を撲殺

豊川市一家殺害事件2010.4.17

 30歳の軽度知的障害自閉症引きこもり男性父親と姪を殺害母親、弟とその妻を負傷させ自宅に放火した。

平野区市営住宅殺人事件2011.7.25

 42歳無職男性が30年にも及ぶ引きこもり生活の末に姉を殺害

AKB48握手会襲撃事件2014.5.25

 発達障害の男がAKBメンバー2人をのこぎりで傷害した。

佐世保女子高生殺害事件2014.7.26

 15歳のアスペルガー女子高生同級生絞殺解体した。

名古屋大学女子学生殺人事件2014.12.7

 19歳の女子大学生が高齢者女性マフラー絞殺加害者高校時代同級生2人にタリウムを飲ませて殺害しようとしたり、放火未遂を図っていた。

和歌山小5男児殺害事件2015.2.5

 31アスペルガーの男が近隣の少年嫌がらせを受けていると勘違いし刺殺

名古屋小6受験殺害事件2016.8.21

 アスペルガー男性小学6年生の息子に対して教育虐待の末に刺殺

2018年東海道新幹線殺傷事件2018.6.19

 22歳無職アスペルガーの男が新幹線のぞみ号車内で鉈を振り回し、男性一人を殺害女性2人を負傷させた。

福岡IT講師殺害事件2018.6.24

 42歳無職引きこもりアスペルガーの男が荒していたネットサービス運営通報された逆恨みから面識のないブロガー男性ナイフで滅多刺しにして殺害

・元農林事務次官長男殺害事件2019.6.1

 44歳アスペルガー無職男性が元農林事務次官父親殺害された。父親は長年長男から暴力に苦しめられており、近所の子供を襲うのでは無いかとの懸念から犯行に及んだ

2023-12-31

クラスで一番の嫌われ者だった彼が地方公務員になって無双するお話 part.6/7

前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221404

最後に六つ目だ。特別警報級の問題職員を取り上げる。

本章は、マジメに仕事をしてる人にとっては厳しい描写がある。F君が4年目の頃で、福祉課では「コミュ障だけど実力者」という位置づけになっていた。いや、実はコミュ障じゃなくて、そういう演技をしてるだけなんだが、とにかく皆飲み会ではそんなことを話していた。

この頃、福祉課が所管となる新しい公共施設を作ることが決まった。立ち上げの意思決定は偉い人がやって、後は福祉課という単位で内容検討及び整理(企画運営内容、スケジュール職員体制間取り地元の関わり、国や県の補助金、外部識者を交えてのミーティングその他多数)をすることになってた。

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(Tips) 行政職員の昇進と権力その他

エピソードの前に話しておくことがある。

地方公務員場合は、民間企業に比べて権限を持つのが遅い。行政権力を持つのベテランになってからでないと危険、という考え方による。地方公務員場合物事を決裁する権限の最低役職課長である民間でいう部長ほどの位置づけになるのは50代半ばか、早くても50代になってからだ(役職に年齢要件がある。課長は満45才など)。

民間だと、できる人は40才くらいで部長になるわけだろう。遅すぎるとは思うが、でも30代の人が生活保護適用とかの決裁権を有するのは怖いような気がする。正直何とも言えない。

ところで、当時の福祉課長(ハムスターの人)も、民間業界で例えると部長クラスだ。といっても、本人は会議で下の職位の人間が言うこと(各グループリーダーやF君の企画案を含む)を代弁するだけで、本人は大したことは考えてなかったと断言できる。

ただ、見た目は貫録があった。それで、偉い人が集まる会議でドーン!! と意見を言ってくれるのはありがたかった。しかし、難しい仕事になると部下に丸投げだった。課長としての実力はなかった。

ではなぜ、ハムスター課長職というランクが充てられたかというと、平成の大合併の際に福祉課長がいた自治体が当市とくっついたのだが……市町同士の合併協定の中に「○○町の出身者は、別表に従って一定の職位に就かせる」というのがあった。ハムスター課長もその例により昇進していた。

例として、合併直後は十人以上を管理職に就かせる決まりで、合併から10年後は五人以上を管理職に就かせるみたいな感じだ。当市の共有フォルダの隅っこにあった合併時の協定書(スキャンデータ)に書いてあった。

このルールは、個人的にはアリだと思う。というのも、吸収合併されるくらいの自治体から、力がないわけだろう。でも当市の一部ではある。放置はまずい。よって、その自治体出身の人を一定数昇進させることで、まちづくりの力がダウンするのを防ぐことを狙う意味では、妥当措置だと感じる。

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話を進める。

上で述べた新しい福祉施設関係で、福祉メンバー建築系の部署がある階に行くことになった。建築部署(住宅グループ)に今後の施設設計の予定とか、議会説明用の視点とか、入札スケジュールとか、いろいろ打ち合わせる必要があったのだ。

戸籍課とか市民税課は市民でごった返してるけど、土木建築フロアはそこまで客がいない。市民というよりは業者がメインだ。

その話し合いの際、Dさんという建築専門職の人が打ち合わせに出てきた。50代前後の人で、役職なしだった。ここに来る前に聞いたところだと、建築職も事務職もできて、土木建築系のプロ資格をたくさん持っている。入庁3年目で一級建築士試験合格したらしい。これまで市内の公共施設設計をいくつも手掛けた、と本人が言ってた。

近年だと、自治体職員じゃなくて建築コンサル公共施設の基本設計・詳細設計をする(※職員は最低限の図面だけを描く)ようになっている。そんな世の中の流れが悔しいと漏らしていた。

このDさんという人だが、これまでに見たことがないタイプの人だった。悪い意味で。この打ち合わせには、俺以外に総務グループリーダーと、そしてF君が施設管理部門代表として来ていた。F君がいるグループリーダーは、訳あって病気休暇に入っていた。一応犯罪がらみだ。詳細は述べない。

というわけで、まずは協議机に座ってF君が挨拶をすると、Dさんも話を始めた。

「Fといいます今日よろしくお願いします」

「お疲れさん。あんたとは初めてだのう」

はい。初めてです」

あんた、出身はどこなん?」

都内です。23区じゃなくて西の方」

「ほー、都内か。ええとこじゃの。ワシは和歌山よ」

はいありがとうございます……」※何かを察して表情が曇る

「緊張すなよ。共通点を探しとるんだから大事じゃろ。あんた、前はどこで働いとったん?」

広告代理店です」

「ほー、うちの息子も広告業界で働いとる。どこの会社におったん?」

電通です」

電通!! やるのお。うちの子アサツーよ。ちょっとは繋がりがあるのう」

ADK面白い会社ですよね。夢があって、挑戦的で。キャラクター版権仕事とかされてるんです? 息子さんは」

「それが教えてくれんのよ。親に仕事の話を。あんたは何をしとった?」

キャラクタービジネスをしてました。日曜朝にやってるアニメとかの」

面白そうじゃの~。ところで、F君は大学はどこなんじゃ?」

早稲田です」

「ワシといっしょじゃないか! 仲間じゃの。学部は?」

「○○学部です」※法文系

「そうか。ワシは○○で○○をしとった」※理工系

建築を専門に勉強されてたんですね」

「F君は早稲田第一志望か?」

第一志望です」

「ほうか。東大の滑り止めで入ってくるヤツも多いからの。これは……意外と繋がるのう」

はい」※F君が照れ笑い

それから公共施設の話はスムーズに進んだ。Dさんは頭の回転が速かったし、知識教養もすごかった。含蓄に富んだ話をしていた。ただ、役職はなかった。いわゆるヒラだった。一応は主査級だったが、ここまでは年齢で自動昇進する。役所内だと主査はヒラ扱いである。

話はサクサクと進んだ。Dさんの上司も同席してたけど、口を挟むことは一切なかった時間が経って、打ち合わせが無事に終わって雑談をしていると、同じ建築部署(住宅グループ)の年配女性職員がDさんが座っているところに来た。

「すいません、割り込んで。○○会社さんが急ぎということで電話を」

「あ……? 何を言うとるんじゃ。ワシが今何をしとるかわかっとんか?」

「先方に説明したんですが、急ぎということで」

「何をしとるかわかっとるんかっ!! なんで打ち合わせの時にっ!!」

 ※ここで、Dさんが持ってた筆箱で協議机をガンガンやりはじめた

「なんで邪魔をするんならぁっ!! お前、自分がなにしとんかわかっとるんかーー!!!!」

「……」

Dさんの上司が、「うん。Dさん。では、後でかけ直してください」と諫めたが、「あ!? かけ直すじゃと……? 協議が終わったんだろうが、じゃあ向こうが優先に決まっとろう、すぐ出るわ……おい、お前はアホなんか?」と、Dさんが上司に食って掛かった。

ちょっと沈黙があって、Dさんが女性職員を睨みつけた。

「お前、何もわからんのじゃのう。いかんど?」

「すいません……」

「二度とすなぁよ」

「すいません」

そそくさと、席を立って俺達は帰ろうとしてたが、F君がDさんに「ちょっと。怒っても何にもならないんじゃないですか?」と言った。

「なにが、どうにもならんのじゃ!!」

「怒っても、Dさんの……」

「あ?」

「Dさんの」

あぁ!? 若造が。なんならあ、お前。ボケじゃのう。おみゃあ、○○○でも○○○○でもなかろうが。まともにせえや。ワシは仕事をまともにやっとろうが」※差別的言葉のため伏せている。

「話を聞いてください!」

F君がヒートアップしはじめて、Dさんがさらに激昂したところで、無理やり席を立って帰った。フロアを見渡すと、お客さんであろう業者の人は……ほかの部署フツーに接客対応を受けてた。取り乱した様子はない。

また別の業者は、汚いものでも見るような視線でこっちを見ている。きっと、帰りの車の中で噂をするのだろう。

市営住宅管理システムと思しきパソコン保守点検していたベンダー会社の人は、落ち着かない様子で「どうしよう……」とまごついていた。

少数いた一般市民の人は、「なにがあった?」とこっちの方を遠目で眺めていた。やはり、家に帰って噂をするのかもしれない。



それから何度も建築部署に行くことがあった。できれば行きたくなかったが。打ち合わせに行かざるを得なかった。

多くの地方自治体ではそうだと思うが、建築部署というのは花形ひとつだ。なんたって公共施設を作るわけだから。この部署で「まちづくり計画」とか「都市計画マスタープラン」とか「○○市総合計画」みたいなものの骨子が作られて、後は企画調整課みたいなところが関係課を周って肉付けして、最後に専門コンサルに投げて、その自治体行政計画(プラン)が出来上がる。

そういうわけで、偉い人が承認した都市計画ひとつである福祉施設の着工にあたっては、この部署と話し合わないわけにいかない。絶対的必要ステップだった。ただ、次の話し合いからはDさんは混ざらなかった。建築部署配慮してくれたのだろう。

以後、建築部署に寄った際にDさんのヒドイ光景を何度も見ることになった。最低でも三度は見た。上司とか、同僚とか、市民(業者含む)に対してとんでもない発言をしていた。5つだけ抜粋する。

職員同士の雑談時)

「私は出世はしなかったし、今後もしない。市が自分に一体何をしてくれたのか。私はヒラだから、ここに尽くす義理はない。それは出世した人間仕事である

(〃)

「この部署(住宅グループ内の一般住宅担当の意)は、どの職場でも相手にされない人間が配属される掃きだめである箸にも棒にもかからない連中が集まっている」※真偽不明。俺に言わせると違う。

上司の机の前で)

「ワシはやる気はないんじゃけ、もう難しい仕事とか振るな。時間無駄よ。早期退職も考えとる。定年までゆっくりさせてくれ」

(連絡や報告をして、と言う同僚に)

「何を言うとる。自分判断せえ。必要情報はぜんぶお前らにやっとる。ワシが嫌いなら話しかけるなや……」

業者一般住宅下水道?の施工変更で窓口に来た時)

「なんで変更するんな。ちゃん二次製品使えや!! 出入口にブイユー(?)だと車が通ったら潰れようが。このままだと建築確認下ろさんけえの。やり直しよ、こんなん……」「あ? 利益にならん? お前の会社利益と、棲む人の利益とどっちが大事なんじゃ。言うてみい」

こんな醜い光景を、廊下で見てる人がいた。当市に部長待遇採用された人だった。Dさんとそこまで年齢は変わらない人で、苦虫を嚙み潰したような顔で眺めてた。人事のプロらしく、以前に庁内回覧で読んだところだと、前はリクルートで働いてたらしい。それだったら多分すごいのだろうが、でも俺はこの人が嫌いだった。

というのも、Cちゃんが試用期間で切られたのって、この部長の人が関係してると思う。これまではそんなことなかったのに、なんであの年度になって、急に試用期間でクビなんてことが起こるのか? 当市は間違った方向に舵を取ってるんじゃないかと弱輩ながらに感じた。

ところで、やっぱりDさんも不思議だったよ。あの後、Dさんがキレた女性職員にも、F君にも、ほかの職員にも、ニコニコしながら話してるのを見た。「さっきはすまんのう。怒鳴ったりして、ごめんの!」とニコニコしながら言ってた。到底同じ人とは思えなかった。人間というのは、こういうものなんだろうか?

次 https://anond.hatelabo.jp/20231231221406

2023-12-30

うちのアルバイトさん、書類上の住所は市営住宅だけど、実際はそこには住んでいないみたい。

DV避難住民票を移せないとか、やむを得ない事情があるかもしれないと思ったけど、どうも前からバイト仲間には別の市に住んでると普通に話していて、現住所も非公開にしているわけでもなく。

名義貸しのような不正だったらと思うとモヤモヤする。せこい話だけど、交通費も得しているし、それがいつからなのかもわからない。上には報告したので、これ以上私がすることはないだろうけど、本当に不正だったとして、市にバレて今住んでいる人が退居なんてことになったら、あいつがちくったんじゃないかとか思われても嫌だなとか、考えてしまった。

2023-12-06

なんか市営住宅の部屋から外に向けてメガホンで謎の演説をしているキチガイおるな

くぐもっているし、出勤途中だからすぐ通り過ぎてしまうので内容までは判別できない

2023-11-24

anond:20231124140904

そもそも増田は何度も書いてるe-Statがなんであるかについては理解出来てるか?

e-Stat とまともに睨めっこすればある程度の傾向は見れる』というのは、

e-Stathttps://anond.hatelabo.jp/20231124131426# に書いた条件にピッタリ条件に一致する情報ではなくても、おそらく似たような情報なら落ちてるということを言ってます

増田が本気で社会問題考える!!!!!ごっこをやりたいなら、ちゃんe-Statと睨めっこして資料作ったらどうです?

たとえば、50代子あり夫婦世帯年収20代子あり夫婦世帯年収常識的に考えて違いますよね?

まぁその常識増田以外は疑わないので、現実では若夫婦世帯限定した区民市営住宅応募枠ほか各種サポートがあるんですけど、

単純に子あり世帯年収所得が高いとしたら子あり世帯にいっさいのサポート要らなくなっちゃますよね?

日本女性キャリアの中断は発生していても、断絶は発生していないので、フォロー不要

貧困層子ども作ってないかシングルマザー問題も起きてないし、養育費未払い問題も起きてないって話になる思うんですけど?

動物園揶揄されるDQN巣窟上級国民仕草ってことになる

貼り付けた給与所得の平均の通り、男女とも年齢が上がるごとにどの学歴でも給与所得は上がっているからです

どこでキャリアの中断ではなく断絶が起きているのか、キャリアの断絶が起きている世帯と断絶が起きていない世帯の違いは何か?を明らかにするのは、

たぶん意味のあることだと思います

 

いや子あり世帯キャリアの中断は起きても、いっさい断絶は起きてねーんだよ!という結果が出るなら、それはそれで結構なことだと思います

子なし世帯資源を集中させればいいだけですしね

anond:20231124132532

いいえ、子あり世帯収入状況の把握と比較をしたいなら最低限でも

anond:20231124131426に書いた程度の情報はないと無価値なのは単なる事実なんで

 

たとえば、50代子あり夫婦世帯年収20代子あり夫婦世帯年収常識的に考えて違いますよね?

まぁその常識増田以外は疑わないので、現実では若夫婦世帯限定した区民市営住宅応募枠ほか各種サポートがあるんですけど、

単純に子あり世帯年収所得が高いとしたら子あり世帯にいっさいのサポート要らなくなっちゃますよね?

 

それから、『e-Stat とまともに睨めっこすればある程度の傾向は見れる』というのは、

e-Statanond:20231124131426 に書いた条件にピッタリ条件に一致する情報ではなくても、おそらく似たような情報なら落ちてるということを言ってます

ワイは男女厨ちゃんのためにe-Stat と睨めっこしたくねーのでしませんけど、

増田が本気で社会問題考える!!!!!ごっこをやりたいなら、ちゃんe-Statと睨めっこして資料作ったらどうです?

 

その際、ワイは面倒(心底どうでもいい)ので、下記のように男女一緒にしたけど、それぞれ男女別にした方がいいかもしれません

 

なぜなら、貼り付けた給与所得の平均の通り、男女とも年齢が上がるごとにどの学歴でも給与所得は上がっているからです

どこでキャリアの中断ではなく断絶が起きているのか、キャリアの断絶が起きている世帯と断絶が起きていない世帯の違いは何か?を明らかにするのは、

たぶん意味のあることだと思います

 

いや子あり世帯キャリアの中断は起きても、いっさい断絶は起きてねーんだよ!という結果が出るなら、それはそれで結構なことだと思います

子なし世帯資源を集中させればいいだけですしね

 

 

そーいうの興味ないならやっぱ下記だと思います

増田自身がどうしたいか?なんで、

 

それぞれ独立して暮らした方が経済社会保障的に合理的だけど、2023年時点での日本風俗文化(パートナーシップよりも結婚は素晴らしいという文化)の文脈で祝福されたいという目的を持っているなら結婚すればいいし、

 

毒親確定のメンヘラや異常に軽薄な人以外は、健康経済力に不安があっても別に子作りしていいです。増田人生必要であるなら子ども作りましょう

2023-08-06

実家居候している。

父親は居ない。

小学生ときぐらいに母と父が喧嘩し時には殴り合い、その後離婚した。

3LDKマンションだった。

1部屋は母親の一人部屋

1部屋は子供部屋(兄2、私)兼父親の寝室(のちに別居して居なくなったが)

1部屋は衣服子供荷物部屋だった。

離婚後は母親に兄妹3人連れられ市営住宅引っ越した。中2ぐらいだった気がする。3DKの家。市営住宅なので家賃はとても安い。

1部屋は母親の一人部屋。(団地間6畳)

1部屋は兄妹3人の部屋。(団地間6畳)

1部屋は空き部屋。

母は生活保護は負けだといい毎日から晩まで仕事していた。貧しいくらしは嫌でしょ。と、そして、たまに同僚や友人と飲みどっか行っていた。晩御飯は叔母ちゃんが持ってきてくれていたが、母親エンカウントすると大変面倒くさいことが起きる爆弾付きだった。

1番上の兄が家を出ていったのは専門学校を1.2年留年した後ぐらいだったと思う。まぁ正しくは母親に追い出されたのだが。その後は、叔母ちゃんの家で暮らしている。その時、真ん中の兄は大学2年だった。私は専門学校1年。

私が21で出ていくまで、私たち兄妹は6畳の部屋以外は与えられなかった。着替えも寝室もこの6畳のみ。仕切りなどは何一つない。

引越しする時は自分荷物を全て自分の家に持っていけ。ここには何一つ置いていくなと言われた。

その後、真ん中の兄も大学卒業後家を出た。

母はとても嬉しそうだった。その後は知り合いの男をよく家に招いていた。その人とは私も小学生の時からの知り合いである。

私の初一人暮らし大家、住人、仲介業者の全てを大失敗した。ほっっんとに完璧に素晴らしいほどに失敗した。仕事に追われ、疲れて家に帰れば毎晩大家にインタホーンを押されとりあえずクレームを言わる、下の階からドンチャン騒ぎにテレビの音が聞こえるが男性が住むでいるので老人クソババア大家は注意せず、仲介業者説明してもクソババアの味方で役に立たなかった。コロナ給料は減り。耳鳴り寝不足、金不足に悩まされ。母に相談するも解決することもなかった。その後は体調とメンタルが消えてなくなっり、永眠には失敗した。

その時母親に回収され、やっと今年実家に帰ってこれた。

ちなみに初一人暮らしから内覧も一緒に見てもらっていた母親言った一言

「あそこは外観とかも微妙だったし、ヤバいだろうなと思ってた。」

現在2LDK

空き部屋だった部屋の襖をとりリビングダイニングにしたらしい。

1部屋は母親の部屋。

1部屋は真ん中の兄の部屋。

私はリビングソファベッドで寝ている。

収納のはソファベッドの下にある引き出し2つ、テレビスタンドの引き出し3つ、リビングにある引き出し1つそこに、衣服化粧品アクセサリー全て入れた。入らないのは全て売り捨てた。唯一、大切にしていた本棚だけは実家に置いてもらう事ができた。

服を置いとくことも、飲み物を出しておくことも、勤務用のバックを床に置くことも禁止必要最低限。

ある日、掃除機を掛けながら

ふと、兄の部屋を見るとペットボトルが散乱してた。自分PC自分クローゼット、母が最近買った入口の目隠し用の暖簾。押し入れには服と空箱たち。

洗濯物を洗いながら

ふと、母親の部屋見ると服が床に置きっぱだった。バックも置いてある。そして、アパレルショップの袋が1つ。母親の押し入れを開ければ沢山の服、沢山の靴。部屋に置いてあるタンスを開ければ夏服。ドレッサーには化粧品

そして、今日も母は言う。

少しは片付けろと。汚い。収納を上手く使え。

家事を手伝え。普通に綺麗にしろ。足りない、全部やれ。私は全てやってる。金も家事も。

毎日掃除できないのなら、求める基準まで出来ないのならお前は出て行け。一人暮らしでもしろ。お前は母を思いやらない。他の家族をみてみろ。

兄は自分でやるから許している。

そして、母は仕事が終わりしだい知り合いの男に会いに行くのだ。もちろん、私たちにいつも通り晩御飯はない。

兄は相変わらず、部屋からは出てこない。寝ているかPCゲームをしているのだろ。

嵐が過ぎされば何もない顔で出てくるのだ。

実家とは何なんだろうか。

幼少の頃は叔母ちゃんの家に預けられていて「叔母ちゃん家」

中学から母親の家ですごし「母の家」

ふと、「自分家」と言ったことが無いことに気づいたのはいつ頃だっただろうか。

今ではクソババア大家が居る地獄の家と実家どっちがマシなのかよくわからない。

実家とはなんなんだろうか。

母は私たち兄妹に居候と言うのだ。

私も居候気持ちで日々を過ごしている。

ちなみに、今日居候」の意味を調べたみた。

あーーー、なる。

2023-08-04

中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた

悪友5人で集まって近所のショッピングセンター野球場図書館などの施設に行き、ミニスカート若い女エスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ

リーダーのS君はボットン便所市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた

研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ

俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本付録CD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)

そういう戦利品がなくても彼の家はパラダイスだった

彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ

メンバーのうち二人は別の中学の生徒だった

小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない

ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる

その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした

関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた

S君は変わらず熱心だった

靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処から調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた

俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた

良くないことだという認識はあった

しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎落ちこぼれ中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ

その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった

S君が亡くなったのだ

S君は父親運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ

その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった

いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった

そのまま関係自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった

俺とJ君は自転車で合流したものエロ画像パンチラの話しかしたことがないかほとんど無言で市営住宅に向かった

父親とS君がいなくなった市営住宅はしんとしていた

俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると

「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった

話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、

「これ、要るでしょ」

といって段ボール箱をかかえて戻ってきた

そこにはS君のコレクション田んぼで拾ったエロ本盗撮写真データが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ手鏡、巨大なノートパソコンパンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた

パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」

と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった

5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない

もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた

遺品はJ君がほとんど引き取った

自転車にカゴが付いていたからだ

俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った

しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった

充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った

帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した

J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた

「ずっと残しとく。大人になってもずっと。増田も忘れんなよ」

その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている

家にあるケーブルでなんとか充電できないか悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた

これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学写真学科に進んだ

一方J君は地元高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西大学編入

J君もS君の遺品のノートパソコン勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる

彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした

俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない

Jは卒業すると地元の有名企業になんとかコネ就職

まもなく中学時代同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した

噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかからない

俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた

しか写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンション写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた

仕事中、高級タワマンエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた

S君ならこのポジションをどう評価するだろう?って

父親が病を得たのをきっかけに俺は地元に戻った

地方カメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規警備員をやっている

施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る

彼らもまたパンチラハンターなのだろう

「お前ら、バレバレだぞ」

いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく

そう

俺はもうジジイになってしまった

J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている

調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない

今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた

女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚たから」と照れくさそうに言っていた

J君はバツが悪そうに視線彷徨わせていた

こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった

証拠見せようか? ほら」

彼女はそう言ってあのデジカメを見せてきた

最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う

液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた

しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている

この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う

「そうだよ。確かめてみな」

目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した

昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう

しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった

ただこれだけは言っておかねばならない

パンチラハンター支配され、パンチラハンターとして人生を終える増田もいる、ということを…

2023-07-26

Twitter黒字に白のXってイメージじゃねえんだよなぁ

まだ慣れないかブックマークからどれだっけって探しちゃう

黒字に白でXは中学生のイキッた隠キャキモオタが好きそうなアイコンじゃん

俺の中では緑と広い公園のある市営住宅みたいなイメージ

イキッた隠キャキモオタ集団日向ぼっこしてるママさんやビール飲んでベンチで寝てるおじさん、趣味サークル団地の家でテレビだけ見てる人、公園スポーツやってる人、

そんな色々な人たちが点在してるイメージなんだけど黒字に白のXとすることで集まっていい属性が一気に狭められた感じになる

青色の鳥のアイコンに戻してほしいわ

2023-06-26

anond:20230626152640

いるよな

団地=貧民の集まる市営住宅



だと決めつけてるやつ。


マンション集合住宅団地なんだよ

2023-06-10

anond:20230609202111

そこは国(UR)や県(公社)、市が所得階層に合わせてそれぞれ用意しているで

もちろん市営住宅URでは住民層も雲泥の差だけど、規定しか断れないかURでも大家フィルター的にはNGになりそうなそこそこ変わった人は住んでた。

2023-02-28

ネット所得制限撤廃を訴え母子家庭を叩く専業主婦の妻へ

いい加減にしろ

なぜtwitterで暴れているのか。働いてもいないのに。

文面から妻っぽいアカウントを見つけたのでツイートを見たが本当に酷い。

私は所得制限がかかっているが、十分な収入を得ているし、教育費もしっかり貯金できている。収入面では何も問題は無い。

私は母子家庭で育ったので、母子家庭所得制限世帯環境が全く違うことはよくわかっている。

死別以外の離婚自己責任だと言っていて吐き気がした。

私の母はDV被害者だ。父から必死に逃げ、養育費も無く、必死に働いて私を育ててくれた。

DVされても自己責任なのか?悪いのは加害者だ。

ペーパー離婚なんて言うけど、本当に離婚したくなった。離れたい。

支援をフルに受けた生活、是非ともやってみてほしい。

支援受けても手取り15万行くのかな?

市営住宅もなかなか入れないよ?(私の母は毎回応募してたが結局当選しなかった)

所得制限で借りれないと喚く奨学金も結局は借金だ。子供借金背負わせてどうする。

子供の将来を考えると離婚できない。辛い。

妻は何のために怒り、なぜ他者を傷つけているのか本当にわからない。

怒りに任せて書いてしまったので文章はめちゃくちゃです。すいません。

2023-02-02

罪を犯した

俺は小学校の頃親の都合で転校したことがあって、言葉の訛りが発端になって転向後しばらくいじめられていた

悪口言われるとか無視されるとかなら別にどうということはなかったのだが、隣のクラスの多動系クズ行為エスカレートして、そいつ休み時間のたびに物差しで頭を殴りにくるという状況になっていた

最初は怒鳴り返すくらいだったが、あまりに頭にきて一度そいつの腕をカッターで切りつけてしまった

ちょっと血が出たくらいで大怪我させたわけでもないのだが、校内で問題になって「友だちと刃物でふざけていて怪我をさせた」ということで親も呼び出され、治療費も払わされた

俺は納得がいかず「相手は友だちでもないし、遊んでいたのではなくて自分の身を守るためにやったことだ」と何度も訴えたが、聞く耳は持ってもらえなかった

それ以来そいついじめはなくなった

しか担任から問題児として見られるようになってしまった

まあ学年が変わると担任も話のわかる人に変わって学校生活は安定したのだが、俺はその多動クソ野郎のことは許してなかったしいつか絶対に償いをさせてやると思っていた

それが30年前の話だ

小学校卒業してから、そのクソ野郎とは大学生の頃一度だけ顔を合わせた

正月帰省したらサティを女連れで歩いていた

あんな男に彼女が居ると思うと許せなくて、こっそり後をつけた

すると二人はクズ男の両親と合流して、女は彼女じゃなくて妹だということがわかった

ほっとしただけじゃなく、あの妹をめちゃくちゃに犯されたらあいつはどう感じるかなとか考えてしまった

次の日から俺は卒業アルバムからそいつの住所を調べて周辺をうろつくようになった

そいつの家は低所得者向けの市営住宅で、便所も汲取式のみすぼらしいものだった

庭では年老いた犬がいつも寝ていた

別になにかしようと思っていたわけじゃない

実際、そいつ一家鉢合わせたことはなかったし、正月休みが終わると俺はそのまま東京へ戻ってきた

それから実家に帰ると俺はなんだかんだと理由をつけて家を抜け出し、自転車そいつの家の周りをぶらついた

習慣になってしまってそれを10年以上続けた

俺は先日40歳になった

ちょうどその誕生日かぶる日程で父親海外に出かけることになり、見送りにいった

空港のゲートへ向かう父の背中は間違いなく老人のそれだった

時が流れたんだなと思った

自身もも子供でも若者でも青年でもない

いい歳してあんなことはもうやめようと思った

そう固く決意して実家へ戻ったが、いつも使ってたママチャリが目に入った瞬間に決意が溶けて消えた

何も考えずにまたあいつの家に向かってしまった

ただ、本当にこれで最後にしようという気はあった

いつものように何事もなく、周囲をふらついて、あいつが出てきたら殺してやるのに、妹が出てきたら犯してやるのにという呪詛を内心で唱えて、ただ帰ってくる

そのつもりだったのに、その日は奴の妹と鉢合わせしまった

鉢合わせと言うか、すれ違っただけだ

妹は小さい男の子の手を引いて自宅に向かって歩いていた

喪服姿だった

俺は数十メートル走ってから自転車を停め、徒歩で背後から妹を追った

俺のリュックにはたまたま鎖が入っていた

原付用のチェーンロック

それを取り出して右手に持った

不思議なことに興奮も緊張もなかった

何度もシミュレーションしてきたからかもしれない

俺は歩調を速めながら、幼児の速度でのんびり歩く妹との距離を少しずつ詰めた

息を潜め、チェーンを握り直す

しかし俺は妹に追いつくことはなく、彼女はあのみすぼらしい長屋に入っていった

薄そうな木製の玄関ドアを俺はしばらく見つめていた

妹が残したものか、それとも家の中からなのか、線香のにおいが漂っていた

犬はまだ生きていた

薄汚れて毛並みも悪く目も濁っており、どこからどう見ても老犬だ

まり散歩に連れて行ってもらえていないのか庭の済に放尿した跡があった

俺はチェーンを振り上げ、その一端を汚い犬の頭に振り下ろした

「あふっ」とかなんとか声を出したので、やばいと思ってもう一度、思いきり殴りつけた

急に怖くなって周囲を見回した

かに見られてはいないようだった

かになった犬がどうなっているか見るのも怖かった

俺は早足で現場を離れ自転車に飛び乗り、投げるように実家自転車を乗り捨ててタクシーで駅に向かった

新幹線東京に向かう間、ついにやってやったぞと思うとにやけ顔が抑えられなかった

遅れて来た興奮で震えるほどだった

東京に戻ってからは体調を崩して高熱を出し何日も寝て過ごした

それが良くなると同時に犬に申し訳ないことをしたという罪の意識が俺を支配した

多分俺はおかしいんだろう、おかしいかいじめられたんだと思う

俺はこれから自首する

死ぬ勇気もないか

2023-01-17

[]

最近年金免除とか市営住宅に入る条件とかばっか調べてる

もー^はやくしにてーな

2023-01-06

少子化対策

全員が結婚するわけでもないし、全員が思った通り子供授かるわけでもない

まれ子供が全員必ず成長するわけでもない

そう思うと夫婦一組につき子供3人産むのは必須になるよね

じゃあそのためにどうするか?をひとつずつ考えたい

・年齢的な制約

子供産むのも子育ても体力が必要だし、馬みたいに毎年必ず産めるものでもない

とすると子供3人産むなら、3、4年程度のインターバル必要と考えれば、初子から3人目産むまで、6年から8年はかかる

35までに産み終わり、初子授かるまで1年かかると思えば、長くて10年程度は3人産むために必要

とすると、25歳で結婚して27歳までに初子が生まれてないと厳しい

30で結婚してたらほぼ絶望的だし、昔みたいに25過ぎたら行き遅れみたいな世の中にならないと3人はなかなか産めないよね

まずは27歳くらいまでに結婚してたほうが得だ、という明確な利点があれば、ダラダラ付き合ってるカップル背中を押せるかもしれない

お金がない

お金がないか結婚できない、お金がないか子供産めない、みたいな話があるけど、実際にお金があるかどうかは問題ではない

問題になるのは、お金が無くなったらどうしよう、という不安感が強いからで、お金のことは何とかなるでしょって楽観視できないからだ

これはもう、子供が2人以上いる家庭については市営住宅無償無条件で入居でき、食事無料提供、くらいあればいいのではないか

まずは住と食を自治体保証することだろうね

・とにかく子供いたほうが得にする

子供手当っていう雀の涙のようなお金が何か月に一度か振り込まれてるけど、あれを意識して生きたことはない

あれはお得を全く実感しないよ

市のごみ袋と米を現物支給とか、電気代や光熱費、住居費等を半額引き受けてくれるくらいの方が生活の維持費が軽くなるので、なんとなく現金貰うより未来希望が持ちやすくなるのではないか

・失敗を恐れない社会にする

ゲームですら攻略法読んでから試行錯誤全くせずにいきなり最高到達点目指そうとする人が多数派になってる世の中でしょ

そういう人たちにとって不確定要素の大きすぎる子育ては厳し過ぎると思う

成功とか失敗とか気にしない社会にならなきゃこれは変わらない

なんならリセマラが効くように、赤ちゃんポスト的な、子供引き取るサービス自治体中心に整備すればいいと思う

2022-10-26

anond:20221025100900

片親手当もあるし、収入少ないなら市営住宅とか住んでやっていけるだろうし何とでもなるだろう。

子供まれたら親権とって離婚して行政頼って生きていける制度が整ってるから

理解のある彼くんじゃなくて今度は税金を頼って生きていくんだよ。

2022-10-22

電気代のかからない湯の使い方を教えて

貧乏なんで市営住宅に入ったら、お湯が電気温水器だった。

普通家電電気代以外に、温水器専用の契約必要な上、常にタンクの湯の温度一定に保つから、まったく湯を使わなくても夏で5000円かかる。

3日に一回風呂を使ったら7000円を超えた。

なので電気温水器のほうの契約は切った。

夏であれなら、冬なら何もしてなくても7000円以上、風呂に入ったらどうなるか想像するのも怖かったので。


なので今は普通のお湯は使えない状態

体を洗うときは、電気ポッドで作った熱湯をバケツに入れた水に混ぜてぬるま湯を作り、石鹸を付けたタオルを浸して体を洗い、あとは気合いで水で体をすすいでる。

もう一つの方法中華製の湯沸かしヒーターで湯船の湯を温めて、普通風呂にして入る。

ただしこのときにかかる電気量は、大体8kWhくらい。一日に使ってる家電とかの電気量が4kWhなので、風呂の日は電気代が三倍になる。

1kWhあたりだいたい40円なので、その日の電気代はほぼ500円になるので結構きつい。

湯を沸かすのにかかる時間が5時間くらいかかるのもつらい。

なにか他に良い方法があったら教えて。

2022-09-30

子育て改革

明石がイキってるけど

市営住宅下水道の長期予算を600億円から150億円に縮小

土木予算は49%まで縮小

とかさ、そういうの無視しちゃいかんよな

あとさ

他と差別化できたから人が集まったおかげで何とか出来たモノでしかないので

他の街と変わらない状況に陥ったら破綻すると思うんだよね

なんかこう、「任天堂の倒し方教えます」的な空気を感じる・・・

2022-07-23

anond:20220723005759

俺の友人は市営住宅年金もらいながら生きてるよ。

何度かトラブル起こしてたけどなんとか追い出されずにいれてるみたい。

外出はできてるから買い物もできる。

でも統合失調症で酷い時はかなりヤバい。何度も入退院繰り返してる。

どうすればいいかというのは分からないけど、

少なくとも年金生活保護があれば生活ができるから、そこは良いことかなって思う。

あとは障がい者地域生活センターとか、支援してくれる所に訪ねるといいかも。

からなければ役所に聞けば教えてくれるはず。

やっぱり誰かの助けがないと難しい部分もあるだろうし。

良い職員の人に当たれば、生活改善できるかもしれない。

2022-06-29

優雅生活保護

生活保護優雅生活だと思ってるやつって、どこでそんなデタラメ情報仕入れてんの?

パチンコに行くとか旅行に行くとか。んな余裕あるわけないだろ。

大体考えて計算してみると以下みたいな感じだろう。



家賃受給したカネの半分が飛び、残るのは五万円程度。

勘違いしてはいけないのは、家賃いくらだろうが、残るのは5万程度になるようになっているということ。

市営住宅などに引っ越し家賃が安くなったら、その分受給額も減る。

自己都合なら、当然引越し代は自己負担

共益費や町内会費は扶助はしてもらえない。

さて、そこから計算してみる。


まず光熱費で10000円がなくなる。

季節にもよるが、だいたい平均してそれくらいとする。

食費が1日1000円だとしたら30000円が消えて残り10000円。

4人家族とかだったら一人あたりの食費を抑えられるだろうけど、コメ調味料なども含めて考えると、一人だったらこれくらいになるとおもう。

就職活動などにスマホ必要から携帯代が3000円ほど。

家電や服などが損傷したときの為に数千円くらいはためておく。

それを仮に3000円だとすると、残り4000円。

共益費とか町内会費を引いたら、仮に1500円くらいとして、残り2500円。



自由に出来るカネは2500円。

ちょっと菓子を買ったり本を買ったり、就職面接交通費なんかに使ったら雀の涙ほどもたまらないとおもう。

ひょっとしたら就職面接のための交通費くらいは出してもらえるかもしれんけど。



これを優雅と思うのか。

2022-05-07

道で信長を拾ったんだけど

こいつすげーチッコイんだな。150センチくらいしかない。16歳くらいか

なんか初手で名乗りながら刀振り回してイキってきてビビったけどバイクで突進した後腹パンで一発やったわ。

いまは落ち着いてきたのでローズネットクッキー食わしてやったら笑顔になってきたわ。

食器にうるさそうだったけどミッキーのコップでガマンしてもらってる。

音楽はニジューとかよりAdoとかのほうが好きみたいだな。


追記

思いのほかトラバブクマあつまったな。信長も喜んでるわ。みんなサンキュー

あれから時空警察とか区役所相談してとりあえず市営住宅学校の手配が決まるまではうちで預かることになったんだが、

親はうちの養子になるかみたいなことを言ってる。本人もまんざらでもなさそうって感じ。

ケンカで負けたからワイの舎弟になってもいいとまで言ってるがどうもワイの妹のことが好きっぽい感じがするからなんか複雑ですわ。

そういえばTV見てたらIKKOのことを一向宗勘違いしてどんだけ~って言いながら突撃するのかって言って怯えてたわ。

あとエビフライエビフリヤって言うのは何回言ってもなおらないからもうあきらめた。


追記

実在信長の子孫の人についての記述をしてたんだけど、さきほど我が家タイムスクープハンターの人が来て注意されたから消した。

本人と遭遇したりして万が一半透明とかになられても困るからな。

でもYouTubeとか見ても特に半透明になったりしてないみたいだからたぶん信長はゆくゆくはもとの時代に戻っていくことになると思う。

向こうの時代に戻ってもあまり危ないことせず健康に過ごしてほしいわ。


追記

信長を見てて思うのはこいつメチャクチャ頭いいなってこと。微分積分のこと教えたら目の色変えて勉強しだしたからな。あとは化学も。

いったい何を考えてるのかわかんないけど、ワイにはこんなのが何の役にたつのサッパリからすごいよな。

信長過去に戻すために協力してくれてる義太夫教授って人も感心してた。

ブコメタイムパラドックスについての指摘があるけど、義太夫先生いわく現代科学ではあまりよくわかってないみたい。

過去に飛ぶのはすごく厳しいいろんな条件がいるらしいんだ。

みんなもよく知ってるかもしれないけど、時間を止めることは割と簡単みたいなんだけどなぁ。


追記

「帰したら光秀を粛正するかも」ってブコメがあるけど、歴史についてはいずれバレるだろってことで、内心怖かったけど教えたんよ。

信長のやつ、割と淡々と聞いてたんだよな。

「このあとほぼ天下統一するんやで!」って逆にこっちのほうが興奮しながら説明したんだけど「まぁ当然だぎゃー」みたいな感じ。

くぅーカッコイイやないかい。

もちろん本能寺で光秀に殺されるかもしれないってことも教えたけど、

「今の時代日本史教科書にそう書いてるんだから、どんなに気を付けても殺されるのは決まってるだろ」

みたいに淡々説明されて、アホなん?みたいな扱いされたぞ。やっぱ死生観とかだいぶ違うんやなって思った。

そのへんは義太夫先生にも色々教わったみたいやね。

『実は本当は信長は別の何物かによって殺されてて、未来に行ってそれを知ったことにより過去に戻った後はその原因を排除したけど、

今度は光秀という別の要因が出てきて結局は殺される。俺たちの歴史はそうやって変わってしまった後の歴史から光秀に殺されたこしかからない。』みたいな。

光秀がなんだか不自然な感じでいきなり謀反を起こしたように思えるのも、そのへんの歴史復元力?みたいなものの影響なのかもしれないな。

もっと詳しい話もしてたんだが、義太夫先生の話はおれも横で聞いてるんだけど正直難しすぎてあんまわかんないのでこんくらいで勘弁してくれ。

そういえば義太夫先生過去に戻る話をしたあといつも「まぁ、時計台ジゴワット必要ないわけなんですね、ハイ」みたいなこと言ってニヤってするんだよな。

何のネタかわかんないかスルーしてるわ。


追記

好きなゲームについてのブコメがあったけど、やっぱ信長の野望とかハマると思うやん?全くそんなことないんだなコレが。

あれから学校にも行きはじめて友達もできて、みんなでフォーナイト?とかばっかりやってるみたいだな。ちなシムシティしかやらん俺は秒で戦力外にされたで。

あと将棋はもともと知ってるから当然強い。藤井くんとかの棋譜も見たら喜びそうと思って見せたんだけど、チラ見した段階で「まぁ儂が楽勝だぎゃ」とか言ってんの。まぁ強がりやろな。

スマホも当然持たせてて、グループLINEとかで手下?に勉強教えてあげたりしてるみたいやな。indeedで募兵しそうになったのは止めたけどな。

2022-03-02

anond:20220302111343

本件は市営住宅らしく自治会がどんな仕組みで回っているかは分からない。

なので直接関係ない話なのだが、これがUR団地だと一応の自治会はあるけども、

非常時でもなければ住民の総意決定や周知事項の頒布くらいの活動となる。

ゴミ施設土地環境の整備は共益費から外部業者使ってやってるし、

自治会誌に各戸別の名前が載るけど名前出していない人もいるし、

こういうところならまあ不幸は起こらなかったのかもね。

2022-02-11

田舎中小企業では、ユーチューブゲーム実況配信してますっていう新卒君がアイティー担当大臣だ。

東京が辛いクソオタは地方のクソ会社無双したらいいのに。飽きたら隣のクソ会社に行けばいい。どうせ人の出入りは年中ある。

給料安いけど7000円の市営住宅だってあるし団塊ジジイ趣味で作ったおいしい野菜直売所バカみたいな捨て値で売ってる。田舎と言っても秘境村じゃないからしがらみもない。サイゼどころかフードコートで十分な、地元離れる気ない、実家住み非正規ヘッチャラな女もいっぱいいる。しばらくマスオやれば土地家貰える

2022-01-20

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

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