はてなキーワード: 差配とは
「世のため」とは人間社会のため、「人のため」とは他人のためなのですから、人間至上主義のエゴイズムがほとばしっていることにはかわりありません。さらにいえば、自分のためでは無いということによってあたかも「エゴイズムではありません」っていう大義名分を得るわけですから、むしろ危険です。
「世のため人のため」は人間中心の利己なのですから、どうやっても、地球のためとか宇宙のためとか動植物や国土風土のためだとかいう価値観には直結しえません。
道徳と称するものは、(儒教の)信仰ですから、「道徳はエゴイズムだ」というのはタブーであり、嫌悪されます。中国文化圏は儒教信仰で、日本というものも儒教国家です。そして、国家社会を維持するための方策として、儒教が教化されてきました。信仰を「間違っていますよ」と指摘されると怒るわけです、己の誇りの無さを埋めるために依拠するところですから。信仰とは、無批判に善悪が決まっていて、自然法則は抜け落ちます。日本は儒教国家ですから、儒教や道徳を批判することは国家社会の既成構造、既成状態を批判することと同じ、すなわち社会の既成状態によって助かっている人々にとって、儒教批判はタブーで、絶対にダメであるわけですね。
さて、例えば「一番じゃなきゃダメ」だというスパコンにせよ、その神戸のスパコンのケイってやつは確かに例えば気象シミュレーションに用いることで災害予測技術の向上にも活用されています。災害予測をすることで、「かけがえのない人命」が助かると、ほぼ皆思うでしょう?
人類は人間至上主義で、他の動植物や地球や宇宙のことが抜け落ちています。例えば、人命のためだとか、国家のためだとか、人類のためだとか、子孫繁栄のためだとか、そういう目的で資源も浪費するし、地球を破壊して、それでもなお増殖しようとしてきました。その異常性を省みることすら、ほぼ全ての人は、しません。
人命のためとか、産業のためとか、経済成長のためとか、国家のためだとか言っていれば、いくらでも資源を浪費してかまわないという理屈になるでしょう。そのためには、化石燃料を浪費するし、核燃料を遣ってでも電力をジャブジャブ消費可能にしなければならないということになる。防犯のためならば電灯点けっぱなしにもするし、宣伝のためならば看板の電灯も点けっぱなしにするし、自家用車は売りつけるし、誰もがモノを所有し放題で浪費していいという社会状態にした方が都合がいいわけです。
そもそもは例えば神道にせよ、原初の神道、つまり神祇信仰、いわゆる自然崇拝という時点では、地球や宇宙や自然現象に対する畏敬がありました。天皇は祭祀を行いますが、その祭祀の目的は天神地祇、つまり自然や自然現象の御機嫌を読むことです。それは、天皇以前の卑弥呼などであっても同じです。そういう超能力(ESP)であり、そういう職業です。
それに対して、神社神道へと変遷し信仰の対象が人へと換わり、そして人間の我欲を満たすことが主目的の祈願ばかりが行われるようになり、さらには国家主義のいわゆる右翼にせよ国家神道と称する儒教を信仰しているわけですけれども、そうなるともう人間社会至上のエゴイズムです。
人間ってそんなに大したタマなんか? 「かけがえのない命」っていうけど、どうせそのうち死ぬんだろ? それが当然の自然法則であるわけですから、その現実を直視してイヤイヤしないのが、本来の神道(原初神道)もそうですし、本来の仏教(人間釈尊が説いた仏教)もそうです。
儒教や国家主義だけではなく、民主主義とか共産主義とかでも凡そ、人間中心主義から脱け出られません。人間至上のエゴイズムから脱出するには、そもそもの自分自身の思想が、脳が、その域に達する必要があります。デモクラシーであろうがコミュニズムであろうが、当の人々ひとりひとりがその域に達した生物にならなければ、人間至上から抜け出した自己客観視の可能なスーパーエゴのある社会にはなりえないのです。むしろ、民主主義とかいってその域に達しない人が政治参加をして自己批判もしないでいると、エゴイズムによる政治になります。つまり衆愚政治になります。けれど言うまでもなく、独裁体制や階級政治、身分による社会であっても、社会を差配する者がエゴイストであれば、話になりません。
そうすると、今の、安倍日本にせよ、プーチンロシアにせよ、トランプアメリカにせよ、どうなのかって、いちいちここで言うまでもないと思います。
江田 では、なぜ財務省が増税したがっているかというと、端的に言えば、かつての栄華をもう一度ということだと思う。つまり、自分たちの差配するおカネを増やして権限を強めたい、天下り先も増やしたいと。
江田 しかも彼らは、自分たちの論理を官邸や他の省庁にまで押し通そうとする。私が役所にいたころも、翌年の経済成長率の予測値をめぐって、いつも財務省とケンカになるわけ。結局、経企庁が双方の中間をとって決めるんだけど、とにかく財務省は経済成長率を低め低めにしたがる。高くすると、達成するのに財政出動が必要になるからイヤなんですよ。基本的に財務省は経済成長が嫌いなんだ。
高橋 それはこういう理屈なんですよ。経済成長率を高く見積もると、税収も増える計算になるから、よその省庁からもっとよこせという要求が強まる。これを避けたいんです。財務省としては、限られたおカネを配ることで力を見せつけたい。もしも予想より税収が増えたら補正予算を組み、追加でバラまくことで恩を着せるわけです。これが基本スタンス。そのためには経済成長率が高めだと具合が悪い。そういうケチな話でしてね。
江田 年度末になると、決まって埋蔵金が出てくるのも、同じ理屈ですね。
高橋 そう。カネがない、ないと言っておいて、いよいよ出さざるを得ないとなると、恩着せがましくカネを出す。「恩着せがましく」というのがポイント。
高橋 他の役所に恩を売り、その見返りとして、特殊法人ができるとそこのポストをひとつもらう。それで財務省は、すべての省庁の特殊法人に天下りしているわけ。要するに財務省がやっていることは、国家財政の私物化ですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130318001828
↑これの続きです。
生活保護は面倒らしいから働く気があるなら働けば?あんの?じゃあ仕事を差配する人に連絡とれ、そんで仕事しろ借金返せってのを2週間くらい。桜が綺麗だったなぁ…。この頃妹妊娠。
仕事をする気があると言ったな。アレは嘘だ。マッジで⁈娘に嘘ついてどうすんの!バカ!ちなみにまた絶食しているところを見つかった。妹つわり中なのにストレスかかることすんな。がっくりしつつ生活保護の申請、債務のリストアップ、自己破産の手続き。家賃も滞納してたので、生活保護の範囲内の物件探し。ちなみに生活保護はあっさり通った。
2月 父を伴って姪っ子に会いに行く。お昼ご飯をファミレスで食べてから行ったんだけど、一人前を食べきったので、あ、死ぬのは諦めたのかな?あと孫かわいいし。
いやーお隣さんがなんかおかしいって早く気づいてくれてよかったー。真夏だから傷むとこだったよ。話に全く出てこないけど母がおりまして、父とは四半世紀前に離婚しており、葬儀の時に父の兄弟に「うちの子達は本当に大変な思いをした」って言ってたんですけど、面倒だとは思ったけど、大変だとは思わなかったんだよね。やっぱりおとーさんのこと好きだから、全く放っておくとかできなかった。逆に叔母さんからは姉妹のどっちかが父を引き取れないの?って聞かれたけど、私は12、妹は8歳までしか一緒に住んでないからねぇ~今更一緒に住むとか母でもムリ~。
年に一回か二回会う間柄の父が死んだ。寂しいけど悲しくはない。本人が望むように死ねたので、めでたいことだと思っている。
【この話はフィクションです!!】
2020年夏、石原前都知事は満悦そうに、オリンピックのリハーサルを見つめていた。
オリンピック招致成功を見届けて2015年に勇退した彼にとって、
彼は一瞬顔を強張らせ、石原後継となった猪瀬現都知事を呼び、メモを見せた。
「・・・ということだ。
「何を言い出すのですか?
もう東京都が差配できるオリンピックじゃなく、IOCの領域です。
お気持ちはわかりますが、それはできません」
「・・・」
「2020年東京オリンピック(中止)」
2013年に開催が決定。
「ご不例時にイベントを開催することは、臣下としてとても忍びない」として、
中止を決定。
IOCはこの日本のドタキャンに激怒し、次回の2024年オリンピックへの
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1.IOC委員は、こういう可能性も考えて候補地を選びましょう。
最近、自分にだけ都合のいいバカなベンチャー経営者の話を良く聞きます。
GREEで年収1,500万円の新入社員募集が話題になりましたが、このケースは入社前にアプリ開発等の実績があり、自分で行う作業の差配ができる特殊な場合です。
一方、自分にだけ都合のいいバカなベンチャー経営者は、自分で仕事を取ってくるわけでもない、基本的に与えられた作業を行うだけの人間にも「裁量労働」という話をします。
さらに、「朝○時に来い」「もう帰るのか」「休日はセミナーなので全員出社」とか平気で言っちゃいます。
深夜10時以降翌日の朝5時までと法定休日の労働は割増賃金を支払う必要があるので、本来は残業代を別に払わないといけないんですが、無知なので言えちゃうんです。
これって「裁量労働」で効率を上げるのではなく、ただ単に残業代をケチりたいだけですし、たいがい契約書を結んでいないので労基法違反なんですけどね。
アルバイトだと時給で働くため労働時間を長くなると多くの賃金を払う必要があります。
そこで、自分にだけ都合のいいバカなベンチャー経営者は、「業務委託契約」で1日あたりの支払い賃金を固定にして長時間を労働をさせようとします。
この場合も、本来は契約した会社の指揮命令を受けませんし、管理監督もされる必要がありません。
また、作業が終わったら何時に帰ってもいいはずですが、なぜか契約書に労働時間が書いてあったりします。
それなのに、仕事に失敗したり納期に遅れた場合の損害賠償だけが明記されていることが多いんですね。
私も10年近く社員を使って経営者をやっていましたが、こんな話はIT系でも最近になって聞くようになりました。
不況のせいかとも思いましたが、経営者の質が下がっているんでしょうね。
「会社を運営することは、社会に貢献することだ」という意識で会社経営をしておらず、「自分だけ良ければいい」という考えなんだと思います。
一事が万事ですので、対クライアントにもそういった姿勢が見えて、自ずとそういった企業は淘汰されると思いますが、社員を雇用する、アルバイトを雇用する、という社会的意義に思いを至らせる経営者が、もう少し増えることを期待したいですね。