はてなキーワード: 工業地帯とは
どうも元増田です
ずいぶん前に出生率について書いて、色んな疑問、例えばなんで栗東市は出生率が高いのか、といった疑問をブコメでもらって、
いつか書いてみようかなと思いつつ、ついつい忙しくてお盆になりましたとさ
というわけで、出生率が高い地域はどんなところか書いていこうと思うよ
1.door-to-doorで工業都市へ30分以内or東京・大阪・名古屋へ1時間半以内(もちろんandであればなお望ましい)
この二つだよ
もちろんこれ以外にも要素はあるだろうけど、それは例えば「周囲からの結婚圧力がある、出産圧力がある」みたいな話で、
あるかもしれないけど定量的に測りようがないし、それを答えとするのではみんな納得しないだろうしでいったん無視するよ
最初に一番重要な出生率のデータだけど、一覧性を考えて以下の日経のデータを参照するよ
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/regional-regeneration/birthrate-map/#8235
基本的に出生率の数字はこの2013~2017の数字を指すことにするよ
ちなみにここには全国平均の出生率が書いてないけど、この期間の全国平均は1.43だよ
で、さっそく栗東市の話を~としたいところだけど、まずは大都市への近さの話をするよ
一番わかりやすいのは、この2市だね
場所がわからないよって人に向けて言うと、流山市がチーバくんでいうところの鼻の下あたり、つくばみらい市はそこから北東方面の茨城県に入ったところだよ
なぜこの2市が高いかといえば、つくばエクスプレスがあるからです
つくばエクスプレスは新しいのと郊外を走ってることもあってスピードが出せるんだよ
つくばエクスプレスができたのが2005年なので、このデータの推移を見るとこの2市が右肩上がりなのがわかるでしょう
東海道新幹線に乗って車窓を見てると、北側にめちゃくちゃデカい積水化学の工場、両サイドにこれまたデカイ日清食品の工場があるんだけど、
これらがあるのが栗東市だよ
特に日清は自社工場が5か所と協力工場6か所があるんだけど、そのうち自社工場2か所(滋賀工場・関西工場)があるのが栗東市だよ。(ちなみに他の自社工場は茨城・静岡・山口)
ただ順風満帆だったわけじゃないよ
新幹線新駅を見込んで土地を買収していたのに嘉田知事誕生で直前に建設中止、その後リーマンショック
傾いた財政を立て直すために市長が選んだのは徹底した企業優遇と市民サービスのカットだよ
だからいまだに栗東市は子供医療費無料化は就学前までと全国最低レベルだよ
それでも充実した雇用先で高い出生率を保持しているのが栗東市だよ
関西方面で出生率が高いところとなると、京都府福知山市も見逃せないよ
https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/promotion/27481.html
かといって祖父母は近くに住んでいるけど、3世代同居は少ない=新しく家を作るだけの開発余力もあるってことだね
関西から離れるけど(別に関西にこだわる理由もないんだけどね)山梨県の忍野村を見るよ
日経の地図で山梨県を見れば一つだけ真っ赤な場所があるからすぐわかると思うよ
RESASっていう内閣府のデータを見てもらえればわかると思うよ
https://resas.go.jp/industry-all/#/map/19/19424/2016/2/4/1/-
これは企業付加価値の産業割合を表示したものなんだけど、ほぼすべてが製造業
なんでこうなるかというとファナックっていう産業用機械の世界的メーカーの工場があるからだよ
Googleマップなりで見てもらえればわかるけど村に対して巨大な工場群があるよ
数字で言うなら忍野村の可住地面積(ざっくりいえば平地の面積)が11.5平方キロにたいして、(正確に言えば隣町の山中湖村も含むんだけど)ファナックの工場の面積が1.8平方キロだよ
つまり村の平地の1/7くらいが1社の工場の敷地だってことだね
では栗東市・福知山市・忍野村はなんでこんなに工場があるかって言うと、十分な開発可能な土地があること
そして高速道路だよ
栗東市は名神高速の栗東ICと栗東湖南IC、福知山市は舞鶴若狭自動車道の福知山IC、忍野村は村内にはICはないけどファナックの工場の真横に東富士五湖道路の山中湖IC
実をいうと栗東市はこの手の話をするときにはよく出てくる街で、なんでかといえば田中角栄の日本列島改造論で、「高速道路で豊かになった街」として栗東市(当時は栗東町)が紹介されるからだよ
事実こうやって安定した雇用、そしてその結果として高い出生率を享受しているわけだから、そりゃ70年代、80年代に全国の首長が競って高速道路の陳情をしたもの当然なわけだよね
おおげさじゃなく、村の存亡がかかってるわけだから
道路is政治、政治is道路と言ったのは竹下登だと言われているけど、まさにそれが昭和後期の政治だったわけ
と、こう書くと、「なるほど、やっぱり少子化対策に一番重要なのは所得、そしてインフラなんだね!」ってなるかもしれないけど、そう結論付けるのはちょっと待ってほしいんだな
その結果、県内有数の工業地帯になって、圧倒的な法人税収を手に入れたんだよ
その結果として
これだけ仕事もあってお金もあって子育て予算も潤沢なら、さぞ出生率が高いと思うじゃん?
ちなみに愛知県の平均が1.55です
つまりほぼ県平均
なぜこうなるかというと、市の大半が洪水リスクから市街化調整区域に指定されているからだよ
このためによその人が入ってこれないんだね
だから愛知県内では、十分な土地があって、工業都市の豊田市、大都市の名古屋市のどちらにもアクセスできる日進市(1.85)、みよし市(1.80)、刈谷市、(1.80)、大府市(1.93)のほうが出生率が高いんだ。
ここも昔は貧しい村だったんだけど、近年はホタテ漁があたって、
たとえば2017年では、地域平均所得が港区、千代田区に続く全国3位になったよ
漁業が主軸なだけあって変動が激しいけど、平均すればだいたい全国10位前後、具体的に言えば品川区と同レベルで推移しているよ
これだけ高所得なこともあって大きなお屋敷が立ち並んで、ホタテ御殿と呼ばれているよ
全国から見れば高いといえば高いけど、隣接する稚内市(1.58)、豊富町(1.54)、頓別町(1.56)、幌延町(1.69)とくらべると、「やや高い」という水準にとどまるね
なぜこうなるかといえば簡単な話で、高所得なのはホタテ漁師だけだからだよ
よそ者が猿払村に移住していきなりホタテ漁師になれるわけじゃない
ホタテ加工工場の仕事はあるけど、賃金水準は低いよ(ま、それでも仕事がない村よりはましかもしれないけどね)
この2村からわかるのは、もちろん経済力があるに越したことはないんだけど、より出生率に重要なのはいかに「出産適齢期の移民」を入れるかってことだよ
経済はその移民を連れてくるのに一番手っ取り早い「宣伝」になるってこと
さて、上で高速道路で村が活性化する話をしたんだけど、今そういう話をしても誰も信じないよね
たとえば栗東市は高速道路を武器に日清食品の工場を誘致したわけだけど、高速道路によって日本に工場が増えたわけではなく、
だからと言ってゼロサムってわけでもないんだけど、プラスなのはあくまで効率化した分だけなんだ
だから市町村単独でプラス効果分だけ見て、全国に高速道路ができたら全国でどんどん工場ができるって言うのは間違いなんだよ
...って言うとみんな納得してくれるんだけど、それは少子化対策も同じだよ、って言うとみんな怒り出すんだ
同じロジックで同じことを言ってるだけなんだけどね
仮に令和の所得倍増計画が本当に(しかも実質で)実現して日本全国が飛島村状態になるとかいう池田勇人もびっくりな経済成長が起こったとして、
せいぜい到達できる出生率は1.55程度(つまり+0.1程度)
なぜなら全国で経済成長しちゃったら若者の取り合いが起こらないから
もちろん市長さんが自分の市の人口を増やすためにポテンシャルを生かして試行錯誤することはいいことだよ、賛成
でも、あたかも全国でそれができる、どんどん出生率が上がるかのように言うのは不誠実だね
親が一流企業部長の東大生が、「生まれや学歴なんて関係ないよ」、「誰でも普通に勉強すれば東大に合格できるよ」って言っちゃうくらいのうすら寒いものを感じるよ
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思いのほかコメントがついてびっくりしているよ
沖縄はどうなの?チェリーピッキングじゃないの?って言うコメントについては、半分そうだね
最初にも書いたけど、どうしても「地域性、地域の空気」みたいなものは強くて、上でかいた内容で出生のすべてを説明できるわけじゃないよ
ただそういう話に踏み込もうとすると、データの不足(というか「地域の空気」のデータなどない)もあるし、どうしても「男女論」的な雰囲気がまとうから避けたね
単純な男女対立みたいな話にはしたくないから書くとしたら気を使って書かないといけないから、書くとしたらまた先になっちゃうかも
データで見れる範囲で書くとしたら、ブコメでリクエストのあった奈義町を中心に書いてみようかな
ではまたいつの日か
ツイッターで頭がQな人たちがどう見ても元ゴルフ場のメガソーラー写真を挙げて発狂してるけど、同じ認識のバカがはてなにもたくさんいるようなので誤解を解いておこう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220619071300
まず前提条件として、元増田は東京都の屋根に太陽光パネルを乗せる話をしてるのであって、メガソーラーの話はしてない。ただ、全く関係ない話を持ち出して発狂するくらい山が削られるのが我慢ならないようなので、ここで誤解を解いておく。簡単に要約すると、メガソーラーのためにわざわざ山は削ってない。なおこれから話すのは数十MWクラスの本当のメガソーラーの話で、田舎の裏山で地主がやってるようなせいぜい数KWのキロソーラーの話はしてないぞ。
ググったら一番目に出てきた2020年メガソーラーランキング、トップ10をそれぞれどういう土地か見ていこう。
https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00007/00023/?ST=msb
太陽光パネル税で有名になったところ、日本一だったのか。ホームページを見ればわかるように、リゾート施設の計画跡地やゴルフクラブのコース跡地で、メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.trinasolar.com/jp/resources/success-stories/pacificoenergy
塩田跡地。山ですらない。ホームページによると「東西約2.8km、南北約1.8kmにわたって広がる総面積約500ヘクタールの錦海塩田跡地」「この広大な土地と日照に恵まれた気候を活かし、日本最大級となる太陽光発電所が2018年10月1日より操業を開始しました」
http://www.setouchimegasolar.com/project/index.html
地図と写真を見ればわかるけど、ここも海沿いでそもそも山じゃない。いわゆる遊休地。
海沿い。いわゆる遊休地。
元ゴルフ場。「本事業用地は30年以上前にゴルフ場建設計画が中止された土地であり、地元において長らく有効活用が望まれていました。」メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.kyocera.co.jp/news/2020/0405_deks.html
元ゴルフ場。同じ名前のカントリークラブの破産報告があった。メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.mmjp.or.jp/tubaki-golf/newsfail/2016/0817-cherrylake-golf.html
元ゴルフ場。「もともとゴルフ場を建設する予定だった140万平方メートルの土地を転用した。」メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1504/01/news029.html
北海道のメガソーラーはどこもそうだけど、いわゆる遊休地。メガソーラーのために山は削ってない。
臨海工業地帯。山じゃない。
以上、メガソーラーのために山を削った案件は一つもない。大体ちょっと考えればわかるだろう。山を削るのはただじゃないんだよ。一方で、ゴルフ人口の減少やそもそも人口減少で、ゴルフ場は潰れまくってる。元ゴルフ場はいい感じに整地されていて、ミスショットが飛び込みそうないい感じの調整池までついてる。ちょっと考えればわかるだろう?山の中に巨大なメガソーラーがあったとして、どういう土地がメガソーラーになってるかなんて。
実際に山を削った案件があるかもしれないから認識をアップデートしろとまでは言わんが、メガソーラーと全く関係ない話で発狂する前に少し考えろ。
「センス悪い」「古臭い」「庵野に付着したゴミ」「進撃では町山のお陰で助かったな」ぐらいに思ってるオタクいくらでもいるんだけど
フェミアカ連中が騒いでるならとりあえずフェミの方を撃退するんだよね。
在日の間でどんなに評判良くない奴でも
ネトウヨが攻めてきたらそいつを突き出したりせず在日で団結して戦うでしょ?
それと同じ。
攻めてきてる側が本当に樋口真嗣的なキショさを何とかしたいだけなら本来は全然共闘も相互理解も出来る。
でも残念ながらそうじゃないじゃん?
オタクへの嫌悪と蔑視が本丸で「無限に取り締まりしたい嫌がらせしたい」なミサフェミ&オタクヘイターと
オタクコンテンツに口出す利権を確保して仕事にしたいビジネスフェミなわけじゃん。
そうじゃない人も少しはいたとしてもさ。
「ナチは良くない」と言うお題目が本当に目的の全てならいくらでも手を取り合えるけど
・「ウクライナ人ごときが豊かに暮らしやがって」と言う差別感情
・「ウクライナの海への道や緩衝地帯や工業地帯や穀倉がほしい」と言う欲
事実はそうじゃないけど、
まあ言ってる方もわかってて言ってる欺瞞だよね。
これはシン・ゴジラを踏襲した手法で特撮愛を形にした点で共通しているが全くアプローチの異なる映画だ。
シン・ゴジラはゴジラという存在を借りて庵野樋口が好き勝手再構築した映画
シン・ウルトラマンはウルトラマンという作品を庵野樋口が再構成した映画だ。
なので観る人がどういうイメージを持って観に行ったかによって捉え方が全く変わるだろう。
ウルトラマンを元に再構築して欲しかった人にも肩透かしになっただろう。
そしてウルトラマンを今に蘇らせて欲しかった人には最高の映画になったと思う。
シン・ウルトラマンは原作となったウルトラQからウルトラマン最終話までを120分に押し込んだ映画だ。
これは本当に構成が上手い。情報量が多く展開が早いため120分があっという間で下手をすると振り落とされてしまう。
怪獣製作する上での裏事情をうまく解釈し直し生物兵器としたのは素晴らしい。
隊員の巨大化やちゃぶ台を挟んだ駆け引き(これはウルトラセブンだが)などウルトラマンの各エピソードを拾い一つの流れに組み込み、ゼットンの再解釈は思わず唸らされた。
そこか!そこでウルトマンのあのシーンを挟むのか庵野このやろう!!wwと思わず笑ってしまった。
だからこそ、ファンでなければ面白さが伝わりづらいという弱点がどうしてもあると思う。
予備知識なしに見る人はどこに収束しようとしているのかわからない。
シン・ゴジラには物語の冒頭から終幕までゴジラという明確な敵役がいたが、シン・ウルトラマンは何度も事件が起こりそのたび敵が変わるからだ。
自分はウルトラマンをしっかり観たことはないが一応メフィラス星人やゾフィー、ゼットンなどを知っていたのでなるほどこうきたかと思ったが、それすらない人にはどこが物語のクライマックスになるのかわからないだろう。
なので賛否が起こり評価はおそらく大きくバラつく。ある人には最高、ある人には今ひとつ。そういう映画だ。
シン・ゴジラはゴジラというテーマをベースに日本社会を描き出したので特撮ファン以外にも開かれた映画になったが、シン・ウルトラマンはウルトラマンに愛がある人に受け入れられるストライクゾーンの狭いものになるのではないか。
また、シン・ゴジラはシリアスに物語が進むからこそ笑いになっているところがあったが今回は全体的にコメディ的に味付けがされていてそこを良しとしない人もいるだろう。
ほとんどの人には
「シン・ゴジラのウルトラマン版を期待したのにそうでもなかったなー。」
カメラワークは広角レンズが多用され物陰から見ているかのような構図が特徴的だった。そしてカット割が多い。
禍威獣パートをは人間視点で、人間ドラマパートも小人や透明人間になって複数人で観察しているような感覚だった。
もしかしたら映画を見ている我我も外星人としてこの地球のいく末を観察する役割を与えられていたのかもしれない。
巨大化した美人キャリアウーマンはこれは新い性癖きたなと思ってしまった。普段酒に酔っ払って路上で寝ているのが仄めかされたのもとても良い。メフィラス星人と神永が公園のブランコで対話をしているシーンは「薄い本になりそうだな〜」と思った。
役名は明かされなかったが竹野内豊がおそらくシン・ゴジラの赤坂と同じ役で出ている。これはシン・ゴジラの世界とシン・ウルトラマンの世界がマルチバースであるということだろう。
そうしたのもゴジラ、ウルトラマンと大人の事情で同じところに立てない作品の両作品への庵野の愛を感じる。
じゃぁなんで斎藤工は戦車に乗ってないんだとなるが、まぁ斎藤工もマルチバースで巨大な敵と直接戦っているということで笑
ウルトラマンでは田舎や都会で戦うことはあってもミニチュアが大変な工場というのはなかなかなかったのではないか、夕暮れ近い工業地帯での巨人の肉弾戦は庵野が一番観せたかった絵だと思う。
海を目指して歩く。
工業地帯のバイパスには、大量のトラックが行き交っている。耳をつんざく騒音と煙たい排ガス。
ただでさえ乾燥でガサつく喉が刺激され、ヒリヒリとした痛みが襲う。
もう全体の半分も出ていない洗濯物を眺める。ときどきすれ違う住人の腰も曲がっている。
海を目指して歩く。
ただ、校庭では淡々とバスケットボールの授業。シュートの練習をしている者。暇して、隅っこでおしくらまんじゅうしている者たち。
わけもなく視線を送りながら歩いていたら、足元の小さな段差に転びかけた。
周りに誰もいないのを確認し、何事もなかったかのように再び歩き出す。
視界が開けだす。
あれは海か?
足に疲れはない。お昼時をまるまる潰して歩いてきたのに、振り返ればスタートした地点が見えるような、ふしぎな時間感覚がある。
白砂青松。
黒く、くすんだ、墨汁を延々と流し続けられているような、冷たい冬の海。
腕を挙げ、全身を海風にさらす。冷たい風がダウンコートをすりぬける。
ふと、この風はどこからきているのだろうか、そんな考えがよぎる。
よぎって、消えてゆく。
はるか海の向こう側にどこかの街が見えた。
この狭い内海には、なにもなかった。
https://note.com/dadasp/n/nf0deab7c28e4
純粋な住宅地には無いだろうが、工業地帯と住宅地の隣接地帯、古い商店が点在するくすんだ住宅街の商店や町工場なんかに共産党のポスターが貼ってあるのを見ないだろうか?
個人商店、自営業、町工場っていうのは30年前は自民党のガチ票田だったんよ。その票田を共産党が奪取してるって事なんよこれは。
この人はそういう変化を見てないんじゃないの?給与生活者で綺麗に計画された住宅街に住んで上辺の知の世界に生きてるだけなんじゃ?
票田かっ攫うって言っても自民党支持者が甘言だけで革新に転ぶわけがない。困窮した時に救済制度を知っていたり行政との橋渡しが出来なきゃ信頼されない。それ以前に経営に就いて理解していなきゃ話も聞いてもらえない。
その背景には90年代の金融の再編があって、不良債務を抱えるリスクを減らす為に銀行が中小零細の債務をノンバンク子会社に付け替えてる。銀行から借りてない会社なんて経済的信用が無いって事だからそのせいで取引先も減ってしまう。まともに扱われてないのだな。
なのに「革命が」とかいつまでも浮ついた事言って「地べた這いずって生きてきた人たちのほうがよっぽど偉かったよ」とか言ってる。自分が地べたはいずりゃいいでしょが。
ATMで金下すだけで今は銀行がただで両替してくれないとかも知らないんだろうな。ただで両替しないのは店舗経営者が客じゃなくなったからだ。
ずっと以前は共産党は悪しき前衛主義で頭でっかちのエリート組織だった。東側陣営の崩壊後、宮本顕治失脚後は党勢を維持できずに無くなるだろうと目されていた。都市部の給与生活者と環境問題などに軸足を動かした新左翼が生き残ると思われていた。国鉄解体でもJRに参画出来たのは転向した嘗ての超急進派の革マルで穏当な日共系はパージされるという憂き目にあった。
だが実際には党勢が風前の灯となっているのは新左翼政党となっている。何故か?
それは小泉以降の自民党が「改革的でイデア的な」な世界観の競合となっているからだ。ゼロ年代に帳簿も読めないどころか複式簿記も知らないのにやれ金融だM&Aだと言い立てて経済通の気分に酔うのが流行ったが、あれと90年代社会党の気分は似ている。競合関係なのだ。
文中で出てくるキクマコ先生はその判りやすい例で、アベノミクスで素養の無かった経済問題に触れるや「社会の全ての事象が設計的に読めるように」なり、「全ての事象の評価軸」を得てしまった。それでその中から出て来なくなったんである。キクマコ先生がこうなったのは彼がリベラルだったからに他ならない。世間知らずさがその本質主義を担保している。私だってこういう風になった事はあるが普通は18~20歳あたりで通過するものだ。
こういうのと競合しない路線を進んだので共産党はニッチを得た。
だから大家なんかには自民党と共産党交互に投票する人もいる。普通にいる。ここにもいる。
健保保険料払わず病気になった店子の面倒みて貰った先生に入れて、冠婚葬祭に来てくれた先生に入れて、とそういう感じだ。
筆者とキクマコ大先生はシラケ世代の還暦なんだろうがアリバイの自覚はあるのに自分が殻に入っている事も気づかないのだな。
外に出れば、店員も荷物を運ぶ人も工事をする人もオフィスにいる人も、全員が何かしら仕事をしている。主婦だってただグータラやってるわけではなく毎日家族に貢献しなければならないだろう。誰もがやっていることが私にはできないんだなあと無力感を覚える。大学生のときも就活中に工業地帯を散歩して働く人達を見て同じように憂鬱になったものだ。新卒でたまたま運良く就職できて、人の厚意に支えられて今まで何とか生きてこられたが、私の無能さが年々加速してついに周りの人に見限られた。本当に働くことに向いていない。この世界のほとんどの仕事に対して私はトップクラスの無能である。だからほとんどの人が簡単だという仕事すら私には困難なことで、できる人が眩しく思える。
貧乏生活をすれば無収入で10年程度生きられそうな貯金はあるが、寿命があと最大10年しかないともいえる。そして貯金額と精神の安定は直結するので、1年目より2年目の方が追い詰められた生活になる。10年間同じペースでは消費できない。健康を損なえば消費のペースが上がる。それを考慮すると寿命は実質10年もない。
セミリタイアとは稼ぐことを前倒しにした人間がやることであって、宿題をダラダラやっていた者がやるのはセミリタイアではなく困窮である。セミリタイア者は使う金額を気にせずに楽園で暮らすような人生を満喫できるが、困窮者は寿命を1日でも延ばすために余計な消費をしてはならない。就活や仕事など、やるべきことが常にあるはずだからそれ以外のことをやって楽しむことは許されない。そのやるべきことが絶対に達成できないので、楽しいこともなくだんだん苦しくなって惨めに死ぬ人生しか残っていない。
色合いもバラバラで建物の老朽化も激しい中規模の同じようなチェーン店が延々と並ぶバイパス道路を大型トラックが途切れる事なく走り、かつては農耕地や工業地帯だった土地が虫食いに切り取られて似たような建売住宅が並んでいる。
虫食いの農地には駅から30分も離れているのに相続税対策だからと建てられた同じような形のアパートも沢山ある。
決まってプロパンガスなのは都市ガスが通っていないからで、その隣には砂利の駐車場と小さな果樹園や雑木林がある。
・最寄りのコンビニ(700m)
・最寄りのスーパー(1510m)
こんな表記のその手のアパートに入居しているのは外国からの出稼ぎで来ている人が中心だ。
「何十年間家賃保証!」とかそんな言葉を信じて判をついた農家のおじいちゃん・おばあちゃんはとっくに天国へ行ってしまっている。
彼らの多くが遠い故郷を捨てて発展を続ける日本経済の未来を信じて東京から60分のこの町に一生の買い物をした。
バブルの頃に出来たニュータウンの話になると、「あそこには大学の先生や大企業の社長が住んでいる」「海外旅行に行くお金持ちが多い」そんな根も葉もない噂話が必ず流れている。
この町に6%や7%の金利で5000〜6000万の建売住宅を買ったサラリーマンたちが懐かしむ「俺たちだってそこそこイケてたんだぞ」という昔話し。
しかし彼らの子供たちの過半数はこの町で生きる事を選ばなかった。
人口減少率は4%を超え、億近くのお金を払って手に入れたボロボロの建売住宅も今となっては資産価値を持たない。
唯一の幸運は、年功序列で定年までたどりつく事が出来たという生まれた時代そのものでありその恩恵で年金で細々と食い繋ぐ事が出来る事。
もっと東京に近かったら、この町から子供達は去らなかったかもしれない。
俺の地元って工業地帯でさ、首都圏だけど団地育ちの奴とか多いようなそんな地域だったんだよ。
もうかれこれ17年ぐらい前の話だけど、中学の頃同級生にいじめっ子主犯格みたいな男とその取り巻きがに居てさ、同じ学年の同級生との交流があまり無くて、尚且つ親とのつながりが薄そうな子狙ってレイプすんだよ。母子家庭の子が多かったね。
で、レイプされてる光景をビデオカメラで映して、「お前、これバラまかれたくなかったらいうこと聞け」って脅して、主犯格が先輩の伝手で売春を斡旋すんだよ。
女の子はバラまかれるのが嫌で言うこと聞いちゃうみたいなんだよね。それが狙いで気が弱い子を狙ってたのか、脅されると皆そうなるのか、俺には未だにわからないけど、バラマキに屈しなかった子はいなかったみたい。
で、主犯格のいじめっ子ってのはあんまり自分の手を汚さないんだよな、取り巻きがレイプすんの。クズのくせに自分の逃げ道はきっちり用意しておくあたりクレバーだったんだろうな。売春でえたお金は、女の子から先輩が全部持っていって、そこから何割か主犯格が受け取ったって話を聞いた。(詳しくは知らん)
ただ、それが苦に自殺した子ってのは俺の周りではいなかったんだよな。いじめっ子といじめられっ子が同じ団地だったりとか、地獄を生きてる子も観た。
主犯格の取り巻きにも女の子がいて、レイプ現場も観てるらしいんだよね。同性として見てて辛くなかったのかね。それとも自分が同じ目に合わないように必死だったのか。
今思い出すと異常な環境だったけど、当時は俺もそういう世界が当たり前だと思ってて、そういうもんだと飲み込んで生きてたんだよな。
だから、旭川のいじめっ子って「いじめた」「自分のせいで死んだ」みたいな感覚って薄いと思うんだよね。彼らの世界で彼らは生きてただけなんだよ。それぐらい感覚がマヒしてくる。異常なんだよな。少年法なんて糞だと本当に思うよ。
今回の事件は当時に比べればマイルドになったなぁとは思ったけど、やっぱり心苦しくは感じた。が、学生時代に同じような光景みた事が無い人が多いみたいでちょっと驚いた。
そして今40才で、私は結婚して地方のド田舎に住む小学生の子2人を持つ主婦で、彼女は実家暮らしでずっと東京でwebデザイナーとして働いている独身だ。
いつものようにLINEで雑談していて、自分たちの学生時代の話になり、ふと私は
「でも、子どもたちを大学に入れさせることは無理なんだよね、本当に残念ながら、経済的な理由で」
と言った。
ここはド田舎だから家から通学できる距離に大学はないし、一人暮らしさせて仕送りして、学費を払うだけの経済力がない、というかそんなに稼がせてくれる経済基盤がない。
大学に入れさせようとすると、夫にトヨタの工場勤務や工業地帯の長距離トラックの運転手など、いわゆる「出稼ぎ」をしてもらうしかない。
「えー、今四大出ないで好きな職に就けると思えないんだけど」
と、無邪気にというか、無神経?まあ私の神経を逆撫でするような返しをした。
だって私だって子どもを私のように大学に行かせたいし、大卒の方が他より色々な面で有利なのは知っている。
だが、無理なのだ、私や夫が二馬力で働いても、大学は「出稼ぎ」を延々としてもらわないと遥か彼方だ。しかし、父親不在で私が一人で家や子育てをしきるかわからないし、父親不在で大学進学と、家族揃って大学未満の学歴、どちらが良いのかも迷っている。
それらの諸々を話しまくるのも長くなるしな、と
「東京にずっといるとわからんかも。いや、地方都市でもわからないな」
と返信すると、全く考えたりした様子もない速度で
「じゃあわかんなくていいや」
一瞬、カッと血が昇ったか、サーッと降りたか、そんな感覚に陥り、そのまま既読スルーした。
そしていきなり涙が出てきて、止まらなくなった。
全く違う場所で、全く違う価値観を養い、互いに全く接点のない人間になった。
その分岐はもう15年前に起こっていた。
結婚して、彼氏の両親と同居になるから、めちゃくちゃ田舎に引っ越すから、滅多にこっちには帰れなくなるわ、と彼女に告げた時。
と言われた。言えとは言わないが、おめでとうより先に。
そう、あの時の血が昇る降りるを同時に味わうのは、もう15年前に経験してたじゃないか。それが別れのシグナルだと気づかなかった私は、なんてバカだったんだ。
そして彼女に関する情報を一切合切消した。貰った素敵なブレスレットは迷ったが、結局捨てた。
20年前からずっと、あなたは無邪気で、40才でも無邪気で、それでいいよ。
もう、それでいてくれ。
その頃の記憶は曖昧でよく思い出せない。16年も経っているのだ。
面接はなし。登録の手続きもすべてネットで完結する。電話すらない。16年前は登録会があったように記憶している。
朝食は摂れ、時間は守れ、ピアスはダメだ。かなりの社会不適合者を想定したビデオをブラウザ上で見せられた。
バックレはしないでくれというお願いメールも就労前日に何通か来た。相当なやばみを感じる。
仕事は某アパレル大手の自社物流拠点での仕分け作業。時給1000円。Twitterでお金をばら撒くのが好きなおっさんが社長なのだが、そんなことしないで従業員の給料を上げてほしい。
千葉県内某所で待ち合わせ。そこから派遣会社のバスで京葉工業地帯にある物流拠点に向かった。道行く途中、何度も「Z○Z○」と書かれたバスとすれ違った。羽振りが良いのか手広くやっているのか、そこらへんのところはよく分からない。
物量倉庫に着くと、控室的なスペースに集められた。簡単な朝礼。昨日バックレが5人も出たから勘弁してくれとの話が出る。20人ほどで回している現場なのだが、5人は多すぎる。
サイズの合わないヘルメットを被り、サイズの合わない安全靴を履き仕事を始める。
私はベルトコンベアで運ばれてきた荷物をカゴ車に詰め込む仕事を任された(カゴ車が何であるかは重要ではない。とにかく単純労働だ)。
伝票番号がナニナニのものは弾けとか、大きな荷物は別の場所に置けとか、細かい注意事項をベテランと思しきおばちゃんから教わる。
このおばちゃん、案の定というか不安が的中したというか、まともな人ではなかった。極度のコミュ障でボソボソと独り言のようにしゃべるから何度も聞き返さないといけない。頭も酷く悪く、話の内容が意味を成していない。こちらとしては断片的な単語・情報から話の主旨を推量し、「つまりこういうことですか?」といちいち確認を取るしかなかった。おかげで仕事が終わる頃には喉がガラガラになっていた。
単純労働をしながら、私はずっとおばちゃんの属性について考えていた。どんな人がここで働いているのだろうか、と。
1日の実働は8時間。手当などないから日給で8千円にしかならない。月20日働いて16万円。そこからお上が税金や社会保険料を差っ引いて手取りは10万と少し。とても生活できる額ではない。
学生や主婦なら分かる。しかし明らかにそういう感じではない人が多数だ。瞳が濁っているというか、同じ現場を駆け回るヤマト運輸の正社員とは顔付きが異なる。うまく表現できないのだが、ポリティカル"イン"コレクトに言えば、社会階層が違う。
全身が痛い。とりわけ腰が強く痛む。こんな労働を連日続けるのは私には無理だ。ますますどういう人があの現場で働いているのか分からなくなる。
私が組んだシフトでは翌日と翌々日が休み、明けて月曜日からは別の現場で仕事だ。もうあの現場では働きたくないという思いがある一方、働き続ければ別の世界が見られるんじゃないかという期待もある。
改善するんだ!っていうサービスをやったりしてまぁ時たま社会問題を起こしている。
変えることを試みること自体はいいのだが、国家のシステム全体を問題だ!今ならどうこうできるんだ!みたいな主張は
ベンチャー単体でお前等が起こした社会問題を収集し、社会システムを維持出来るようになってから言え。
某宅配サービスのタクシーが日本でサービスが限定的なのも雇用を守るためであり雇用を守るっていうのは治安を守ることの一部である。
日本では過去に神風タクシーだのが色々あった結果として割と規制が厳しいしタクシーの運転手は比較的雇用としてはセーフティ的な位置にあるので規制自体は日本だけでなくイギリスなんかでも実施されている。
「海外では○○なのに!」っていうのもアメリカは西海岸、東海岸の発展している都市部だけの話を全体のように語っていう奴らもいるが
アメリカ中部の置き去りにされている工業地帯なんかもあってそこは旧態依然だったりしている。
最近でもコロナで東京都は未だにFAXをとかいっているが、アメリカのCDCでもFAXだったりしていることには目をつぶっている。不思議だね?アメリカではFAXは使われていないんじゃなかったのかな?
根本的にどいつもこいつも海外では~とか今ならこうできるじゃないか!とか規制でがんじがらめだとかいう奴は
まず、その海外ではが何故日本には適応出来ないのか?その国の全体が本当にそうなのか調べてから言え。
今ならこうできる?本当にそれは全てを解決出来るのかね?変えてダメなら戻せば良い?誰が責任を取るんだ?お前じゃないよな?
だったら、問題点を考えて潰せる方法を考えろ。お前が言うことにはメリットもデメリットもある。
メリットだけを言うのは詐欺師のやり方だ、お前は信用ならねぇ。
規制でがんじがらめ?日本は規制がなされるのは最終ライン、基本的に業界団体を作って自主規制を初めてダメなら初めて法的な規制が実施される。
本当かって?アメリカだとステマは既に違法行為(だから米系法人に雇われているTwitterの奴らは所属を明らかに語る)となっている。
3Dプリンターというと、すぐ銃が作れるという話をするバカがいる。なぜなら米国で銃を作ってる連中がいるからだ。が、現実的ではない。というのもこれはかなり政治的な側面があり、理解するには何でもかんでもとりあえず銃か爆発物を作って遊ぶ習性を持つ米国人についての知識も必要だ。
米国は旧英国植民地で、独立戦争によってフランスの支援で英国軍を撃退して建国し、更に南北戦争というガチの内戦を経て革命的に成立した国家だ。誰でも知っているナポレオンの生涯と重なる時期である。『ナポレオン -獅子の時代-』などの高名な歴史書で知っている人も多いと思うがこの時代には既にバリバリに銃器が存在する。つまりアメリカは、建国の神話に銃器を含むのだ。
よって、銃(特に軍用銃)というのは米国人にとって国民国家アメリカ合衆国の建国の神器に近い存在であり、主権者たる国民が銃器を所持する権利を持つのは当然のことである。天皇が三種の神器を持つ権利があって当然ないわけがないのと同じである(主上に御謀反のない限り)。当然憲法でも権利として認められているし法律でも個人の許可不要での銃器製造・所有・使用が色々と条件付きで許可されている。そして、「憲法で定められた権利を行使しよう!」という「市民なら図書館に行こうキャンペーン」くらいの気軽さで権利向上運動として銃を作る・持つ運動がある。年中やってる「1・23絶対ゆるさない緊急行動」の同類項である。その中で使われる銃は日本に訳せば「建国の神話の追体験」の要素があり必ずしも実用的な銃とは関係がない。神社に置いてある御神体の鏡の平滑度がそんなに高くないようなものである。
そんなわけで神器としての銃を作るための3Dプリンターデータというのが存在する。これらは当然、儀式的な意味の強度しかない。俺は作ったことも見たこともないし作ろうとも思わないが、破損事例については知っている。確か1発~数発で寿命を迎えるという話だ。銃器は信頼性が第一だから、スケール的には構造模型の域だ。で、「数発で寿命を迎える」という話をすると、密造したがりは「では強度を上げるのだな。実際に樹脂活用銃器がある」と謎の反論をしてくる。これには銃器の樹脂化の歴史に関する知識が必要になる。
銃器における樹脂活用の歴史は第二次世界大戦の終了直後くらいから始まる。その頃、夢の軽量新素材「プラスチック」が工業の各分野に登場し、「航空機用アルミニウム」と並んで普及し始めたのだ。それまでは機械装置の構造部品は金属、ハンドルや外装は真鍮(きわめて密度が高く重い金属である)金属が嫌なら木か革しか選択肢がなかった。当時の銃は構造部品を鋼鉄で作り重い木の覆いを付けていた。1960年代に入るとアーマライトAR-10・AR-15、のちのコルト・モデル601、米軍呼称M16ライフルが登場し、「鉄砲は鋼鉄と木で作るものだ。アルミとプラスチックなんて信用ならねえ」と散々な評価を受けた。しかしその後AR-15/M16ライフルと権利訴訟回避バージョンのAR-18は、改良を経て、現在では米四軍のM4カービン、英軍のL85(SA80)小銃、ドイツのG36小銃、日本の89式や20式小銃を含むほぼ全ての西側歩兵銃の基礎となっている。
銃身や主要部品に鋼鉄、外装にアルミニウム、銃床に樹脂を使った小銃が一般化する一方で、次なる手として主要部品のアルミ化や樹脂化が模索された。1960年代末期になると世界初のポリマーフレーム拳銃としてHK VP70が登場してまず爆死、1970年代にはシュタイヤー社(余談だが自動車メーカーのマグナ・シュタイアの類縁である)のAUG突撃銃が登場してこちらは採用、1980年代に入ると樹脂製スコップ設計者が一念発起して設計し「プラ製拳銃」として一世を風靡したグロック17が登場して一大ブームとなる。1990年代にもなればHK G36が登場し、冷間鍛造銃身基部を鋳込んだ樹脂製フレームを採用、その後端にモールドされた樹脂製マウントに樹脂製ハンドルを横から軽くネジ止めするという気の狂った設計のせいでハンドルを掴んで振り回すとそこに統合された大して見やすくもないヘンゾルト製高性能照準器の狙点がハンドルごと滑ってどんどんズレる、という問題を起こし、誰も気づかないままドイツ連邦軍に採用され大量購入され2000年代のアフガン戦争で精鋭連邦軍人に戦死者を出してアフガンの気候のせいでプラスチックの銃が根元から腐って兵が死んだとドイツ国会で炎上もするようになる。
一見すると、この半世紀で銃器は完全に樹脂化されてしまったように見える。なぜなら実際に外装はどんどん樹脂化され時代が下れば金属部分がほとんど露出することもなくなっているからだ。ここまで読んだ読者が、樹脂というのは3Dプリンターで出力できるのではなかったか? 3Dプリンターで作れるのではないか……と思っても不思議はない。
しかし、実際にはこれらの銃器では主要部品はすべて鋼鉄で作られている。新合金アルミニウムも新素材プラスチックも、鋼鉄を置き換えることはなかったのである。外装は木材からプラスチックに変わった。筐体は鋼鉄からアルミニウムやプラスチックに変わった。しかし銃身、ボルト、各部のピン、それどころかそれらを操作する把手は良くてアルミニウム、いまだに鋼鉄も珍しくない。VP70やグロック17では、銃身とスライド(上半分だ)は鋼鉄で作られ、下半分には鋼鉄パーツを金型にセットしその上から樹脂をかける方法でインナーフレームが鋳込まれている。シュタイヤーAUGでは画期的な新機軸として内部機構の一部にプラ製カバーをかけることで潤滑の必要を減らしている。共通しているのは、圧力を支える主要部品と摺動部はまず鋼鉄で作られるということだ。アルミニウムやプラスチックは確かに使われているが、その役割は形を保つ以上の機能がない比較的柔らかい部品、人間向けの外装または潤滑剤なのだ。実際にはプラスチック製の実用銃というのは未だに作られていない。
同時に、市販の家庭用3Dプリンターが金属を出力するように進化するというのもあまり現実的ではない。樹脂は150~300度で溶けるが鉄を溶かすには1500度~が求められ、今の3Dプリンターとは原理的に異なる装置が必要となるからだ。更に、銃の銃身は鍛造、切削と熱処理を経て作られるので、その設備が必要になる。出力物を鍛造切削熱処理すればよいではないか……要求される設備は3Dプリンターそのものよりも大規模であり前提が荒唐無稽になる。工業地帯に数億円を投資して製造工場を建てれば機械装置が作れる。そんな主張は議論として価値がない。そんな資源があるなら電気自動車メーカーでも立ち上げる方がまだ理にかなう。
3Dプリンターの特色は、複雑な形状を一点だけ製作できることだ。強度や製作速度ではない。容積10cm^3程度のプラスチック製品の射出成型にかかる時間は、概ね1個あたり0.3~1秒程度であろう。3Dプリンターの場合は、累積移動距離によって変わるが45分から15時間程度である。仏師の方が速い程度だ。
では、なぜプラスチック銃、そして3Dプリンターが度々取り上げられるのだろうか? 一つには、プラスチックやアルミニウムは軽量なことが理由だ。鉄の銃は重いのである! もう一つは、最初にも述べたように、「銃を製造し、所持し、使うこと」は米国民の間では建国の神話の確認と再現という神聖な意味を持つ行為とされ、そして、その神聖さを信奉している者だけがネットに英語で記事を書き、日本のコピペブログが機械翻訳で垂れ流すからだ。別に3Dプリンターだから作れるというわけではないし、適しているわけでもない。全てはここ日本において全く関係ない話なのである。
もしこれを読んだ誰かが3Dプリンターで銃を作る話やドラマ脚本をどうしても書きたいなら「3Dプリンターなら見た目は好きにできる。だが銃身が作れないはずだ。銃身をどこで入手したんだ?」という方向にでも捻ってみてはいかがだろうか、と付け加えて筆を置きたい。