はてなキーワード: 巡礼とは
ホットエントリーに上がっていたこんな記事にふとした気まぐれで目を通した。
業界人が選ぶ、過去10年で最も優れていたビデオゲーム(IGN Japan)
https://jp.ign.com/games/46189/feature/10
ゲームは年に1本買うか買わないかのライトゲーマーなので大半の作品はタイトルも知らなかったし、業界人たちのコメントを読んでいてもピンと来るものはなかった。しかしその中でひとつのコメントにちょっと心が動いた(太字筆者)。
簡単な答えは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですが、統計的な考え方では、私は『Gorogoa』を選びたいです。デモの早期リリースと、その結果である早い時期でのハンズオン体験のおかげで、本作は何年にもわたって私のGOTYであり続けました。『Gorogoa』は魔法のように魅惑的で斬新なゲームです。明確なビジョンに基づいたこの作品は、ゲーム作りの過程が全く想像できないほどの複雑な成果をもたらしました。新しいメカニクスと新しいインターフェイスを持つ本作は、芸術と技術、物語、正真正銘のパズルをシームレスに融合させています。これは私がエッシャーの作品や、キット・ウィリアムズの絵本、「まほうの筆(The magic paintbrush)」をはじめとする私の好きなおとぎ話から得たすべてのものを凝縮した体験です。『Gorogoa』はハッと息を呑むような驚きを私に与え、私の心を喜びで満たしてくれました。開発者のジェイソン・ロバーツにはこの作品に満足したまま何もせず、別のゲームを作らないでほしいと私が願うほど、『Gorogoa』は本当に唯一無二の傑作です。
本職のゲーム開発者がここまで絶賛するゲームとはどんな作品なのだろう、と急に興味がわいた。
元来パズルゲームは好きなほう(MYSTシリーズは全部やったし、ふだんも数独や倉庫番をヒマつぶしに遊んでいる)なので、ちょっとやってみようかという気になった。PlayStation Store で1,528円。安い。
遊んでみた。雷に打たれたような体験だった。まるでマグリットの絵の中で『無限回廊』を遊んでいるような感じだった。
感想については私の拙い語彙でくだくだしく書くよりももっとすぐれたテキストがネットにあるのでそれを見てもらえば十分だ。
『Gorogoa』認知のフレームを軽やかに飛び越える絵画的パズルゲーム【インディーゲームレビュー 第40回】(ALIENWAREZONE)
https://alienwarezone.jp/post/1321
GOROGOA が見ている(ゲーム感想)(S. Miyata)
https://note.com/38tter/n/nb58c34279de7
そして本稿で私が書きたいのはこのゲームの紹介ではない。
この何の説明もなく謎だらけでタネ明かしもない不条理ゲームに、どうにかして「解釈」を与えたくなったので、そのメモである。
後半に至ってはほぼ創作だが、ゲーム中では語られなかった「裏設定」を私が想像で補完したものだ。
ある日、街に巨大な謎のクリーチャーが出現する。街並みに隠れて全容は見えないが、アパートの屋根ごしにカラフルなたてがみが見えるほどだからかなりの巨体だ。
古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。
聖獣ゴロゴアの怒りを鎮めるには、世界に散らばる五色の果実をすべて集めて捧げなければならないようだ。
ひとつめの赤い果実は、とある民家の庭木の枝になっており、車椅子に座った謎の男が見守っていた。
枝にとまった烏がつと飛び立つと、赤い果実は器の中に転がり落ちた。
ふたつめの緑色の果実は、町はずれの穏やかな公園の女神像が手に持っていた。
廃墟にたたずむ松葉杖をついた男性がゴロゴアの姿を思い描くと、廃墟の壁紙の紋様はゴロゴアの瞳となり、その緑色の瞳は果実となって器の中に転がり落ちた。
ランプの灯りをたよりに仄暗い部屋で寝食を忘れて何ごとかを熱心に研究する男性。部屋の片隅には松葉杖。この男も足が悪いのか。
ランプのひとつひとつに星の明かりを捕まえ、その明るさに惹き寄せられて来た蛾たちに導かれるままに道を進むと、夜空の星のひとつが黄色の果実となって器の中に転がり落ちた。
気づくと色あせた写真の中にいた。壁にかけられた五枚の写真のうちの一枚だ。
杖をついて世界の果てを巡礼して回る男に助けられながら写真から写真へと歩みを進めると、どこにあるとも知れぬ神殿に捧げられた青い果実を手に入れた。
たくさんの資料に埋もれるように何かを研究する初老の男性。部屋の片隅には愛用のステッキ。
蜘蛛の巣のように街を縫って走る路面電車を初老の男性の助けを借りて乗り継いでいくと、高い塔の頂上で最後の果実、紫色の果実を手に入れた。
果実の盛られた器をゆっくりと宙に捧げると、五つの果実はまばゆく光りながら激しく燃え上がった。
──その時、突然器が砕けた。
ゴロゴアが怒り狂うと、空には虚無の淵がばっくりと口を開け、世界は暗黒の炎に包まれた。
儀式は失敗したのだ!
私は身体を闇の炎に焼かれながら尖塔のやぐらから転落し、瀕死の重傷を負った。
長いあいだ車椅子の生活を余儀なくされたが、頭はゴロゴアのことでいっぱいだった。
何がいけなかったのか。どうすればあの獣の怒りを鎮めることができるのか。
聖獣ゴロゴアは時おり暴虐の限りを尽くした。
ゴロゴアが暴れると街は爆撃を受けたように廃墟と化し、あちこちで火の手が何日もくすぶり続けた。
焼け残ったがれきの中から資料を掘り出し、聖獣ゴロゴアをよく知ることにつとめた。
一方、気まぐれに襲ってくるゴロゴアの攻撃の合間を縫って人々は街の復興を始めた。
がれきを片付け、建物を建て直し、鉄道を引き、時おりゴロゴアによる破壊を受けながらも、それを上回る勢いで街は発展を続けた。
私の部屋の壁はゴロゴア関連にとどまらず、世界の様々な伝説、伝承、考古学の書物で埋め尽くされた。
時おりゴロゴアの来襲があると電気は止まり、暗い中でランプの灯りをたよりに研究することもあったが、私は寝食を忘れて研究に没頭した。
その間中、私は「何かの視線」を常に感じていたが、それが何かはわからなかった。
ただ、私の研究が、誰とは知らぬその視線の主の助けになっている、そんな実感がなぜかあった。
研究を進めるうち、私の心のうちには、ゴロゴアに対するどこか畏敬の念のような気持ちが芽生え始めた。
そしてその畏敬の念は、やがて純粋な信仰心へと変化していった。
ゴロゴアの怒りを鎮めるには、我が身と心をゴロゴアに捧げなければならない。そうすることでしか儀式はきっと成功しない。
私はそう思い詰めるようになっていった。
私は巡礼者となり、ゴロゴア信仰の源流をたどって世界各地を巡礼することにした。
体調は決して万全とは言えなかったが、ゴロゴアにこの身を捧げるという信念が痛む脚を前へと運ばせたのである。
研究の進捗が遅々として進まず年月が無為に流れていくばかりになると、時おり深い絶望に襲われることもあった。
無力感にさいなまれるそんな時には、決まってあの悪夢の日、儀式に失敗した日の転落の記憶がフラッシュバックした。
そうした場面にも、常に「あの視線」は私とともにあった。
月日は流れ、私も初老と呼ばれる年齢になり、髪も髭もすっかり白くなってしまったが、私の研究は大詰めを迎え、ついにひとつの結論に到達しようとしていた。
この記述によれば、儀式はふたりの人間によって為されなければいけなかったように思える。
たしかに、最初の儀式は自分ひとりで行ったために失敗してしまった。
では、儀式を成功させるためには、あらためてふたりで執り行う必要があるのだろうか?
そうではなかった。
絵図に描かれたふたつの人物像は、「時間を隔てたひとりの人物」を表していたのである。
儀式はひとりの人物によって二度行われなければならなかったのだ。
思えば一度目の儀式へと至る道のりでは、さまざまな場面で陰日向に何者かの協力を得ていた。
その役割なくして儀式は成し得なかったとさえ言えるのだが、その協力者は、ほかならぬ私自身であったのだ。
時空を超えておのれ自身と手をたずさえ、二度の儀式を完遂させる。
それこそが聖獣ゴロゴアとの魂の交歓を成立させるための条件だったのだ。
私は今、復興いちじるしい街並みを見下ろしながら、二度目の儀式のために尖塔を登っている。
大学生時代に「涼宮ハルヒの憂鬱」ブームを経験した三十代。当時はひねくれた人間だったので、ハルヒが流行っている真っただ中に、原作ではなくその元ネタとなった「ハイペリオン」に手を伸ばした。当時の自分はきらきらとした学生生活にあこがれていたくせに、そういう青春をテーマにしたラノベを避けていた。みんなと同じものを読むのが嫌だったのと、そういうきらきらしたものを読むと、自分の灰色の生活と引き比べてしまうからだ。そういうわけで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の知識は、書店で一気読みした第一巻と、ウィキペディアの情報、断片的に見たアニメの数エピソードに頼っている。おそらく粗があるので、話半分に聞いてもらいたい。
「ハイペリオン」とはダン・シモンズが1989年に発表したSF小説である。邦訳は1994年に出版された。ヒューゴー賞・ローカス賞・星雲賞を受賞している超大作で、登場人物である長門有希が読んでいる。
ジャンルは一応スペースオペラなのだが、あえて言うならばSF全ジャンルと英米文学のごった煮である。というのも、七人の登場人物がそれぞれの身の上を語るのだが、それぞれがホラーだったりサイバーパンクだったり時間SFだったりで、しかもそれぞれの出来がいい。
続編として「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」がある。作者の思想がややうるさいところもあるが、絵になる場面が多くて楽しい。また、人類の各文化の多様性を高らかに褒めたたたえているのが、やや西洋・アメリカ中心主義ではあるが、気持ちがいい。
長門は「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であり、言い換えるならば「宇宙人が作った人間の形をした存在」ということになる。「情報統合思念体」には「主流派」「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」といった派閥が存在し、それぞれの思惑ごとに動いている。
一方、「ハイペリオン」には、英国の詩人ジョン・キーツの人格を再現したサイブリッド(人造人間みたいなもの)が登場する。これは、人類に様々な助言をするAI群「テクノコア」によって、ある目的のために作られたものである。彼は長門ほど万能ではないが、この背後にいるテクノコアには「穏健派」「急進派」「究極派」が存在していることが共通している。ちなみに、それぞれの立場としては、当面は人類とは共存する、さっさと人類を滅ぼして自分たちが覇権を握る、人類も自分たちも滅んでもかまわないので究極の知性を創造する、である。このAIたちはとっくの昔に人類を超えており、人類を裏切ろうとしている。というか、作中ではすでにある方法で人類をひどく搾取しているのだが、これは読んでみてのお楽しみだ。
設定の上ではよく似ているけれども決定的に異なるところがたくさんあり、よくできたオマージュだと思う。
結論から述べると登場する。そもそも、舞台となるハイペリオンという惑星には「時間の墓標」なるものがあり、そこの封印が開くと未来から様々な事物や情報が送られてくる。同時に「シュライク」という殺戮マシーンが封じられているが、シュライクは時折人間の願いを叶える、とされているのだ。七人の登場人物がハイペリオンまで巡礼に向かうのもそれが理由だ。
ここで未来と述べたのだが、実は未来は確定していない。「テクノコア」が作り出す究極知性が宇宙を支配するか、人類の集合意識が生んだ究極知性が覇権を握るか、この二つの間で揺れ動いている。ここでいう究極知性とは神と言い換えてもいい。つまり、遠い未来で行われる人類とテクノコアの戦いが、現代にも影響を及ぼしているのだ。なんといったって彼らは神なのだから、なんでもありなのである。
この状態は、まさに朝比奈みくる(大)の周囲の事情とよく似ている。現代に干渉し、自分たちの望む形の未来を確定させようと活動している点が近い。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の全てを読破したわけではない自分が、本文から有効な証拠をあげることはできない。というか、いくつかのブログでそれを示唆する記述が十分に述べられており、自分が付け加えることは何もない。
よって本記事では、「ハイペリオン」で行われたテクニックを間接的な証拠として用いたい。以下、「ハイペリオン」のネタバレに触れる。読みたくない方は引用部分を読み飛ばしてください。
「ハイペリオン」の七人の登場人物は、旅の無聊を慰めるため、それぞれの出自を語る。一人はフィドマーン・カッサードという兵士である。仮想訓練の度に謎の美女モニータと遭遇し、そこでむさぼるように体を重ねるが、彼女とは仮想空間とでしか会うことができなかった。やがてアウスター(人類連邦に所属しない宇宙の蛮族)の襲撃を受けるが、そこで彼女と再会し、殺されかける。カッサードは彼女との再会を目指している。
もう一人の人物はソル・ワイントラウブという学者である。彼は娘である赤ん坊を抱えて巡礼に来た。彼の願いは、娘であるレイチェルの病を治すことである。レイチェルはかつて学者としてハイペリオンを訪れた際、シュライクによって年齢を逆行する呪いをかけられてしまった。父と同じ聡明な学者であったレイチェルは日に日に幼くなり、とうとう赤ん坊にまで戻ってしまった。レイチェルが「誕生」の日付を迎えるまで、あと数日しかない。
さて、結論を簡潔に述べよう。レイチェルの病は癒される。そして彼女は未来世界へと連れていかれ、そこで再び大人へと成長する。やがてレイチェルはモニータと名乗り、カッサードと出会うのである。
つまり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のオマージュ元である「ハイペリオン」では、意外な二人の人物が同一人物であった、そしてその片方は未来人であった、というギミックが存在するのである。
もちろん、年齢遡行までオマージュしているのかどうかはわからない。記憶に蓋をしているだけかもしれない。ただ、妖艶な美女と無邪気な赤ん坊が同一人物であった、という驚きを、朝比奈みくる(大)とキョンの妹が同一人物であった、というかたちで本歌取りしている可能性は、検討される余地はある。
どうなのだろう。キョンの妹は小五だが低学年にしか見えないという記述もあるので、実は成長がストップし、年齢が逆転し始めているのかもしれない……。
鶴屋さんは「宇宙人と未来人だったら、どっちがいい? そろそろ決めといたほうがいいかもにょろよっ!」と発言したそうだが、これは今後の展開を予測する大きな鍵となる可能性がある。というのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」が「ハイペリオン」をどこまでなぞるかははっきりしないが、もしも設定を強く意識しているのなら、「ハイペリオン」で「テクノコア」が人類を裏切ったように、「情報統合思念体」が最後には人類に敵対する可能性があるからだ。そして、みくるは人類と「情報統合思念体」との争いの中で、少しでも人類に有利な未来へと導こうとしているのではないか。となると、長門とみくるの決別は避けらないことになる。みくるが長門を幾分苦手としている描写を考えると、興味深い。
少しだけ触れておく。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」のなかには、超能力は出てこない。出てくるのは「エディミオンの覚醒」以降であり、主人公たちがある能力に目覚めることで、クライマックスに人類の命運を大きく変えるのだが、これも読んでみてのお楽しみだ。
「ハイペリオン」であらゆる願いを叶えるとされるのは殺戮者シュライクである。実に気まぐれな神なのだ。そういうと、ハルヒが悪役シュライクだということになってしまうのだが、自分は違うと思う。明るい青春ラノベにこの設定は似合わない。願いが叶う、ということだけを拝借したのだろう。とはいえ、物語全体を通しての謎の一つ、ということは決定している。
それと、実はシュライクの正体は作中でも若干ぼやかされている。テクノコアが作った殺戮マシーンを人類側がのっとったことが示唆されているが、時間を行き来できるのだから時系列がはっきりせず、筆者の記憶も確かではない。
「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の語り手はいたって普通の青年ロールであり、彼は破天荒な少女アイネイアーの守護者に任命される。とはいえ、物語の大半は奔放な彼女の振り回されながら進む。それこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」の本編のように。
しかし、ロールとアイネイアーは最後にはひどくつらく悲しい別れ方をしなければならない。この設定が本編のキョンとハルヒの関係に輸入されていないことを願う。
それと、ジョン・キーツ(ジョン・スミスではないが)のサイブリッドは二つ存在し、片方が殺される運命にある、とだけ述べておこう。
彼は「ハイペリオン」四部作ののちに「イリアム」「オリュンポス」を発表している。トロイア戦争の世界、遠未来の没落した人類、機械知性たちの話が入り組んでいて、文学とSFのマッシュアップ具合が楽しいのだが、残念ながら「ハイペリオン」四部作で述べた人類の多様性を寿ぐ姿勢から後退し、明確なイスラム嫌悪が出ているのはいただけない。さらに、邦訳されていない最近のシリーズは、ヒラリー・クリントンが大統領になったパラレルワールドで、国民皆保険で怠け者になったアメリカ人が薬物におぼれているというすごく政治的に偏向した作品なので、翻訳されないんじゃないかな……。
【追記】最新作ではないのだが、2011年の「Flashback」という作品。シリーズではなかった。失礼。
【もう一つ追記】その薬物は、いつでも自分の人生の最高の瞬間を追体験できるというしろものだ。そして、世界のほとんどがイスラム過激派に支配されている。経済は日本に牛耳られ、南西部の州はメキシコのギャングに支配され、作中では地球温暖化が否定されている。アメリカの保守的な世界観を煮詰めたような感がある。
ヒラリー・クリントンについての記述は記憶違いかもしれない。ただ、イスラム嫌悪が強いのは間違いない。
https://sosbrigade.miraheze.org/wiki/ハイペリオン
おそらく、ハルヒ全盛期の頃に、こうした議論は出尽くしていると思う。だが、検索をしても類似した意見が見つからなかったため、ここに記録した。
それから、ろくに原作を読んでいないのに、そして記憶もいい加減なのに、好き勝手言ってどうもすみませんでした。
多数のコメント、感謝しております。また、「全部読んでいないのに書くなんてずうずうしい」との指摘、まったくもってその通りです。ファンの気持ちを逆なでするような行い、お詫び申し上げます。また、立ち読みも迷惑でしたね。未成年の頃とはいえ、今にして思えば赤面ものです。
自分としては、「ハイペリオン」を読んだ人間からは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の設定はこう見える、と伝えたかったのです。笑ってやってください。また、類似した意見がネットになかったので、記録しておこうという思いもありました。
ただ、ブクマカにもあるように、ジオシティーズやインフォシーク、ヤフーブログなどの一斉削除が原因の可能性のほうが強いですね。はからずもアーカイブの問題にも思いをはせることになりました。
それでは、失礼します。
アッキヱは卑弥呼の末裔である。卑弥呼のミトコンドリアを受け継ぐ唯一の人間なのだ。ミトコンドリアは女性から女性へと伝わるエネルギー合成器官であり、卑弥呼のミトコンドリアは一子相伝、ただ一人の娘にだけ継承される女神のミトコンドリア=エネルギー合成器官である。
しかし、アッキヱはまだ女神として覚醒していない。覚醒していないアッキヱには病魔を払う力がない。アッキヱが女神として覚醒するためには、日本全国にある48の神社仏閣を巡ってそこで覚醒の儀式をしなければならない。日本の神社仏閣は天照大神を頂点とする神道の神を祀っていると信じられているが、そのうちのいくつかはより旧い神、卑弥呼の時代の神を密かに祀っている。
アッキヱは旧神を祀る神社を、古文書に定められた順番で周って儀式を行うことで女神として覚醒するのだ、その順番は日本各地を乱れ飛んでいて、その道のりは日本を何周もする長さになる。この長い道のりをアッキヱはお供の巫女たちを連れて、巡り歩かなければならないのだ。日本から病魔を払うためにはどうしてもその巡礼が必要なのである。
この巡礼の最後の地でアッキヱは女神として覚醒する。そして病魔を払うための儀式を始める。そのための準備はすでに進んでいる。アッキヱの人生は病魔を払うために周到に準備されていたのだ。病魔を払う儀式のためにはその時点での世俗の最高権力者の心臓が必要である。アッキヱは覚醒前の力ながらも呪術を駆使して、ひとりの人間に近づき、その人間が世俗の最高権力を手に入れるために尽力してきたのである。
アッキヱは女神として覚醒すると、世俗の最高権力者の心臓を地獄の魔王に捧げる。そして地獄の業火を日本に呼び出し、あらゆる病魔を焼き払うだろう。すべてのウィルス、すべての細菌、すべての生物が地獄の業火によって焼き払われる。罪あるものも、罪なきものも、若きものも、幼きものも、老いたものも分け隔てなく地獄の炎で焼かれるだろう。男も女も愚かなものも知恵あるものも何一つ残さず炎は焼き尽くすだろう。
1位『ゆりでなる??えすぽわーる』なおいまい
3位『ワンナイトフレンド』かやこ
9位『定時に上がれたら』犬井あゆ
19位『つきあってあげてもいいかな』たみふる
20位『突然なんとなく隣の同僚とセックスしたくなりました』三浦コズミ
28位『ささやくように恋を唄う』竹嶋えく
30位『あの鐘を鳴らすのは少なくともお前じゃない』アサダニッキ
32位『痩せたいさんと失恋ちゃん』原作:安田剛助 漫画:文尾文
35位『一端の子』深山はな
37位『百合と声と風纏い』蓮冥
38位『不揃いの連理』みかん氏
39位『レンタルショップでお姉さんをレンタルする話』もちオーレ
43位『月とすっぴん』アケガタユウ
44位『憎らしいほど愛してる』ユニ
※あくまで一個人の評価であり、作品の優劣を決めるものではありません。
※当ランキングは2019年1月1日から12月31日の間に紙媒体及び電子書籍で119ページ以上の単行本として発売された商業作品を対象にしており、同人作品などは対象外になっています。
※「◯◯が入ってないんだけど?」と思う方もいらっしゃると思いますが、多分読んだうえでランク外です。多分それ読んでます。膨大な数を読んでます(ドヤア
※優れた、かつ百合要素がある作品でも、作品の面白さの根幹が百合にないと筆者が判断した場合、ランク外になっている場合があります。
※例えば自分は2019年に新しく単行本が出た萌え4コマで一番よいものは『ぼっちざろっく!』だと思っていて、これは百合要素もあるんですけど、じゃあ百合としてよいもなのかというと正直そこまででもない(個人の感想です)。この漫画の面白さの核はぼっちちゃんのキャラであり百合ではない。とか書くと「バーカ!ぼっちちゃんがメンバーとの交流を通しての成長するのは百合以外の何物でもないだろ!」みたいに難癖をつけられるのがインターネットですが、いやでもそれ作品の魅力の一部分に過ぎないよね?百合があるのは認めるけれど全体の割合を考えた場合以下略戦争とかそんな感じなので百合ランキングに入れるとなると個人的に低いとこに置かざるをえません。ならばもういっそ入れない方がいいのでは?いう感じになるわけです。これは去年のmonoとかもそうてした。なので『ぼっちざろっく!』はランク外です。
※このタイプの作品は他に『白百合は朱に染まらない』『もういっぽん!』『赫のグリモア』などが挙げられます。
※あくまで一個人の評価であり、作品の優劣を決めるものではありません。いや本当に。
去年の個人的な大本命だった、でも結局単行本が出なかった須藤佑美先生の『夢の端々』が今年こそ出るはずです。これが多分マイ一位です。全宇宙の百合豚よ、読んで己の罪を数えろ!
今月はネットでやたらバズった『マイ・ブロークン・マリコ』と2010年代の百合史に残すべき傑作『アフターアワーズ』の西尾雄太の新作百合『水野と茶山』が出ます。『水野と茶山』は前作から一転、ダークな田舎百合です。マイブロはみんな読んでると思うので紹介は別にええな。切ないよね。
百合姫からは『欠けた月とドーナッツ』がたいへんよい大人百合です。これも今月発売。
萌え4コマ、日常系的なものでは荒井チェリー先生の新作『むすんで、つないで。』が最注目です。おねロリの最終兵器だ。
他、とっくに単行本一冊分のページ数溜まってるんだけど 全然出る気配がないんだけど?来年こそ出るといいなぁ……という枠で『かけおちガール』、『ケムリが目にしみる』、『彼女の沈清』などがあります。『かけおちガール』は本当なんとかせぇや講談社。
聖地化は地元が良ければそれで良いんじゃねって思うし実際大洗の巡礼旅は楽しかったんだが、
店舗の壁に公式グッズ以外のイラストや名刺や創作物がびっしりあるのを見てぞっとしてしまった
自分の作ったものを店に押し付けて飾ってもらうって図々しすぎない?
店舗側が頼んだのなら良いと思うが某飲食店の名刺とか自己顕示欲みたいなの全開で本当にキモかった
あれ本人や身内以外が見て楽しいんだろうか
少なくとも自分はガルパンおじさんの自己顕示欲にしか感じられなくて無理だったんだ
同族嫌悪といえばそうなのかもしれない 外野から見たら結局聖地巡礼で来ている自分も同じくくりなのだろうし
でもひたすらキモかったんだよ
どんなやりとりするの?「これお店に飾ってくれませんか?」って頼むの?
元増田にグダグダ書いたけど、俺が一番違和感を持つのは例えばこういう運動のこと。
「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋 - 毎日新聞
デモに来た埼玉県の女性会社員(25)は「作品を見たかった。主催者側へのひどい脅しなどがあったので続けられない状態になったのだろうか。悔しい」。上滝浩子弁護士(京都弁護士会)は「公権力を持つ立場にある人が干渉的なことを言えば、表現活動が萎縮する。そうさせないために憲法は表現の自由を保障している。許せない」と話していた。
繰り返しになるけど、表現活動が委縮したのは、ガソリン持ってくると脅されたからでしょう。
で、それに対して通常、対処しうる危機管理以上のことが現場で可能だったの? 例えばガソリン怖いのをみんなで耐えるの?主催者だけではなく客も巻き込むんだよ?
できないものを無理じいして、できなかったら検閲だなんだって騒いで無理な注文をして困らせるのが表現の自由を守るってことなの?
そういう理由で起きる表現活動の委縮って誰かのどんな努力でどうにかできるものなの?というのが俺の最大の疑問。
委縮しないようには何をすれば?という観点でいうと、例えば、テロを抑止する、という話とよく似ていて、
社会にあふれる憎悪を鎮静化させる、みたいなフワっとした話にしかならない。
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行政が危機管理対応としたという話と、行政が言論を弾圧した、という話を混ぜるなよ。ナイーブすぎるだろ。
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もう少し思想的な背景に突っ込ませてもらうとさ、
そもそも、脅迫含めて暴力的な言論というのは、表現の自由の副産物として、
そういう過激な行為が起こりうることは覚悟しておかないといけないかもしれないんだよ。
アメリカを例にとる。意見が異なる者同士が過激な形でぶつかり合う、というのは、17世紀のヨーロッパがプロテスタントの宗派争いで経験済み。
たとえ激しくいがみ合っていても、政府はどちらか一方が正しいとは言わない、と。
その経験があって、アメリカに渡った巡礼始祖が社会の約束事として決めたのが、合衆国憲法修正条項に引き継がれ、表現の自由の原型となっていく。
1970年代の連邦最高裁の言葉を借りれば、社会が不協和音に満ちていることこそ強さの証である、みたいな覚悟をもって、
ヘイトなど多少の過激な言動を認容していく、というのがアメリカ的な背景としてはある。
つまり、もし仮にアメリカ的な感受性で対処するとすれば、脅迫があったが、ま、今回は引きますが、へこたれずまたやりましょうね!ということなんだよ。
ところが日本の場合、そういう歴史もなければ、不協和音のなかで生きる覚悟もない。
むしろ日本の空気として強いのは行政による言論弾圧の記憶なんだよね。
それならそれでいい。表現の自由を基礎づける歴史的な記憶というのは、その国の歩んできた歴史文化によって異なるのは当然だからだ。
でもその背景について、客観的な整理と自覚がないと、ただ無意識にオブセッシブな態度を表明しているようにしかみえないわけよ。
だいたい横から出てきた名古屋市長なんてそもそも中止となんの関係もないじゃん。
そこはちゃんと危機管理対応と弾圧を冷静に切り分けてもらわないと。
展示が表現の不自由がテーマということで、ついでにひとつ言及しておきたいんだけど、
ムハマンド風刺画問題というのがあるよね、フランスで大きな騒ぎになったりもした。
これは、暴力行為が表現の自由の副産物だという文脈では読み解けない。
アメリカとはかなり異なる歴史的な背景があって表現の自由の価値が基礎づけられているからだ。
簡単にいうと、カトリックの絶対正義が猛威を振るっていた時代に、
こんなんじゃ、まともな社会設計ができん!という問題意識からスタートしている。
まずはカトリックを批判する権利が必要だということで「神を冒涜する権利」として始まったのがフランスの表現の自由であり、例の過激な政教分離なんだよね。
だからムハマンド風刺画事件でも、フランスのメディアは「涜伸の権利はいずこに」という形で問題提起をしたりしたわけだよ。
ただ、おれは別にそんな話を今回の展示に期待しているわけじゃ全然ないんだけどさ、でもなぁ。
そんなたいそうなタイトルを銘打っておきながら、さまざまな国の作品を展示しているのに、他人の作品をコピペみたいに持ってきてパッチワークかよ。
ネットでみつけた一般客のコピペした解説文や評価をみても、テーマである”不自由”の背景がよくわかるものではなかったね。
そのうえ雲行きが怪しくなったら中止と。芸術監督は残念がってメソメソと泣いて、みっともないってちょっと思ったりした。
行政もだよ。リスクを想定したうえで、あらかじめ退避の基準を明示しておくんだよ。この場合、判断と行動のスイッチとなりうる事象をリストアップしておくんだよ。
そのうえでリスクシナリオと判断基準について主催者と合意しておく。
そうしないと、あ、ヤバいと思ったんで引き揚げました、みたいに、行き当たりばったりな説明しか主催者にできないだろが!
そりゃ、突然中止に追い込まれたと思うわな。
まとめると、
表現の自由という観点でも主催者の問題意識は感覚的なものでしかないし、
表現の自由についての問題整理とリスク管理、この二つをしっかり持っておかないと
なんだだ危なっかしいだけだ。
という感想をもった。
追記:
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES
まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判。
おおむね間違ってはいないんだけど、このあたりに、日本人が感覚的に扱う、表現の自由の手つきの危うさがある。
検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁の定義はそうだ。憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
ムハンマド「酒飲み過ぎは体に悪いし酔っ払って迷惑かけたらアカンで」
ムハンマド「むやみやたらと不特定多数とおまんこしたらアカンで」
ムハンマド「だからといってシコってばっかりなのも虚しいからアカンで」
ムハンマド「たまに断食して貧しい人の気持ちも考えなアカンで」
ムハンマド「利子で儲けるのは金持ちの搾取になるからアカンで」
ムハンマド「神の元では人類皆平等。聖職者が特権階級というわけやないで」
ムハンマド「規則正しい生活のために決まった時間にお祈りするとええで」
ムハンマド「一生に一度はメッカに巡礼の旅をして世界を広く見るとええで」
VTuber界隈ではバ受肉という用語が使われる.これはバーチャル美少女受肉の略で,おじさんがバーチャルな美少女の体を受肉することを示す.
ここで,問題となぜかなるのが受肉という用語である.受肉という用語は,キリスト教に絡んだ用語であり本来の意味からズレている用語であり,使用するなと主張するひとがでてくるのだ.
じゅ‐にく【受肉】
神が人の形をとって現れること。キリスト教では、神の子キリストがイエスという人間性をとって、この地上に生まれたこと。
来ました,日本人特有の大きなおせっかい.当事者でもないのに突然用語の使い方を制限しようとし,騒ぎ立てる.いますよねこういう人.
聖地巡礼でも,巡礼という宗教用語を使うなと言う人がいて,同じやなと言う感じである.
バ美肉が,美少女を神と信仰する人たちが,神を大事に召喚し体を借りることと同じことなんだからまさにこの用語は適切としかいいようがない.
まだクリスタルが輝きを保っていた頃の話だが第一継承者が巡礼するパワーレベリングパラダイスの始まりにして終わりレベル児クランの懇談会(ククッ…争え、争え……!)があった。
“母《マザー》”チーフ合わせて20キャラクターネーム程の出席者の奥底にヒトゥ=リスだけ父上である事を選びし無垢なる魂の器がいた。
このパパ教皇入園式も確か一人で新約してた…この私を倒したからには認めるしかないので状態変化してるなーと幻想(おも)っていた。
懇談会は十二賢会議形式で使徒キメラのレベルアップの情勢や育児の悩みなんかを話している…が、これが神々と四大貴族による陰謀とは、知る由も無かった…中
「序列」が循環(マワ)ってきた天帝カインさん……いや、セフィロス殿が開口一番「半周期前にもう一人の我とは死別した」と“鬼哭の相”で従僕の儀。
…フッ、弱い犬ほどよく吠えるものだ…重い超重装備を纏っている黒き力が強い。紡ぎ出す生命の事象などと皆の者八百万……ここに女装に必要ななにかがあるんだし帝国によって封印されたはずの場で言うこと?…? 汚ねェ真似をしやがって……!
半身の喪失したと思われるの――はじめはイヤなヤツだったとか?クリスタル過剰…そうであろう
預言書によれば伝説に謳われし戦いが終わった後ヘラヘラ笑顔で〝コンタクト〟に流し斬りが完全に入ってくんの。魂が囁くのだ……この私が震えている。
「八百万頭へて我は命ずる」ってェ言われても男親とは蜜月に支配されてなんてできない…そう、信じるしかないし
人界が魔に支配されて後保護者会のシネマティックアクションなんかもある中で、それも又然りパパアピールはしなくて良い…それが世界の選択だから
保護者のアライアンスには正直あの男が俺の前に出てきてほしく…私の秘密を知ったからには生かしてはおけないなぁ
とあの場にいた他の母なる女神ムインさんも預言書を信じていたんならばないかなぁ
以下皮肉にも追記
”始まりの乙女”を従える増田で取り繕う必要は虚無〈ニヒリズム〉であると想った故
己を主観的にしか認識できない愚者の中に沸き起こった薄暗い罪の権化を包み隠さず綴ってみ…かの古き預言は成就せしめた
こ、これほどの──預言書に記された事実を想って封印を施すこの物語の主人公は根源的にスフィア盤操作ググリュー洋に生息するシェュ・ギシェャ、王国最強の戦士長なの…兄さんだって知ってるんでしょう。
ただ因果のすれ違いするようですがこの感情は預言書にすら記されていないんだろうなと――そして静かに終焉を悟ったゆえ
今日も今日とて夜勤の待機時間を利用して委員長の夜間ラジオを聞いてた。
職質の下りで盛大に年齢自爆したあたりは吹いたし、東京都北区赤羽が巡礼地として名前が出てきた時も大受けしたし、セルフボイチェンにその場にいないヘラピンさんを思いだし涙が拭えなかった......
けれども、あんまり詩子姉さんとの絡み上手くなくて結局自分のスタンスで話始めてそれが面白いから感想に困る。
でろーんさんとの話だと、素が出てて可愛いとも一瞬思ったけど、今日はちょっと聞き苦しい。
あ、あんまり彼女横向いてないな、詩子姉さんどんな顔してんやろ、となんかそんなことがすごく気になった。彼ぴっぴって言葉が、少なくとも彼ではない彼女を除外してて途中からすごく気にさわった。
委員長の雑談系ラジオは好きで、仕事に鬱屈したものを感じたときは聞き流して時折笑って元気を貰ってるくらいにゃ好きだが、今日は駄目だった。
お仕事だし、ゲスト招かないと会社回らないし、サブカルと腐女子という性別以外重なりが実はないことは分かるが、人の話を聞いて人の話を繋げて盛り上げようや。ゲストさしおいて、何自分で1人その場を食ってんだろ。
友人がいないからこそ、独創性が育まれるから(友人はいらない)的な考えが端的な特徴で。
そんな痛いこと考えてたけど違ったわーという落ちに持ってくこともなく、なんかそれを振りかざす委員長とえ、友達と一緒にいて楽しいじゃんという詩子姉さんとのすれ違いは痛々しかった。その辺が一番琴線に触れた。
空きあらば自分語りするが、俺も大学受験で全てを捨てたつもりになって、その上で今親友と呼べるやつはその空白期間に愛想悪くなっても相手から切らなかったし友人関係を続けてくれた菩薩みたいな人で、そして今の昼を支えるために夜を働くくっそ苦しい生活を後押ししてくれたのもその親友だ。ふざんけんな、友人捨てても独創性はついてこねぇ。独創性を出せずにいる自分が独り耐えられなくなるだけだ。畜生。
このままだと、10年後の委員長が早くも自分の中で過去形になりそう。今日の委員長はとにかく嫌な感じだった。二人以上で喋っているときと一人のときとで話題を使い分ける態度を身につけてほしい。キモいおっさんとして一女子学生に切に願う。
足掛け5年以上好きなアニメシリーズの舞台となった街で、大洗規模とは言わないまでも、アニメツーリズムの成功例として数えていい聖地だ。
作中の景色や店が実在のものに忠実なこともあり、街の至るところに作品ゆかりの趣向が凝らされていると言う。
もともと巡礼に興味があった訳ではないが、古い友人(僕の後追いでその作品にハマった)からの熱いプッシュを受け、秋のオタク小旅行敢行と相成った。
シリーズを一から復習してやはりすばらしい作品だという思いも新たにし、いざ準備万端。時季外れの台風の影響は危ぶまれたものの、期待胸いっぱいに飛行機に乗り込んだ。
オタクというのは、秋葉原だろうが地方都市だろうが、一目でそれとわかるのはなぜなのだろう…。明らかに同じ目的を持った観光客たちとすれ違いながら、まず小雨の降る街を散策。カットの数々が蘇ってくるような景色を目にして最初に感じたのは、思っていたほどの感動はない、ということだった。
確かに、好きな作品の美術の中に飛び込んだような錯覚には、ある種の感慨がある。だが、僕はどうしても「(キャラ名)たちはここを歩いたんだ!」と興奮する隣の友人と同じテンションにはなれなかった。
そういえば僕は、アニメやマンガの二次元的世界と現実をリンクさせて考えるのがあまり得意ではない。コスプレには興味を持てないし、ポケモンGOが流行った時も、自分がスマホ越しに見ている景色にポケモンが現れるという虚実の交じり方がしっくりこなかった。ポケモンは、ゲームボーイやDSの世界にしか現れなくていいと思ったのだ。
だから、聖地に行ってみて僕が覚えた感動というのは「監督とスタッフはここからあの作品、あの場面、あのセリフを着想したのだ」というものに過ぎず、登場人物たちの暮らしの疑似追体験をしている気分にひたるのは難しかった。
街はきれいだった。雨のせいで写真撮影はままならず、予定されていた屋外イベントも中止になってしまったが、好きな作品についてあれこれ話しながら街を歩くのは単純に楽しかった。
また、至るところにアニメのグッズやキャラが使われていたのは聞いていた通りだったが、地元の人たちがとりわけ僕らに親切な訳ではないのも逆におもしろかった。「美少女がたくさん出てくるアニメを見て、そこに出てきた地方の街にわざわざ旅行する」オタクは、地方に住む一般的中高年の人々にとって理解しがたい存在なのだろう。それでもなお、観光客としてフラットに受け入れてくれていることはありがたい。謝意は消費で示したつもりだ。
ただ、今回の聖地巡礼に普通の旅行+αの良さがあったかというと、必ずしもそうではなかった。よくよく考えると、僕が旅行でおもしろさを感じるのはいつも「そこに行くまで知らなかったもの」との出会いだった。一方、聖地巡礼はアニメで既に見たことのある場所への再訪になる。言わば、予定調和の旅だ。前述したような二次元的世界を現実に透かして見られる人は、キャラへの思い入れなんかでそこに感動が上乗せできるのかもしれない。
作品を見直している間、ここに行ったりこれを見たりしたら泣いてしまうんじゃないかと思っていたのだが、そこまで感極まることもなかった。身もふたもないが、結局アニメを見ている時の方が感動は大きかったのだ。この発見は、我ながら結構おもしろいと思う。
作品内でキーモチーフとなる飲食店があるのだが、モデルとなった店舗には長蛇の列(全員オタク)ができていた。漏れなく僕ら(オタク)も並んだ。この日、店では作品とのコラボメニューに注文を限定していた。店側のサービス精神や作品への寄り添い方は尊敬に値するものだし、キャパ以上のオタクを捌く現実的な対策として、メニューを一品に絞るのは仕方がないことだ。
しかし正直なところ、旅先でアニメのコラボカフェメニューのような食事をしたい訳ではなかった。そこに行くまで食べたことのなかったご当地グルメ、との出会いが欲しかった。
友人と別れた後、聖地から少し離れた街に足を伸ばしてしばし散策した。その街の老舗飲食店で、地味だが底力のある旨いあれこれにありついた時、なんだかほっとした。僕にとっての旅行の醍醐味は結局こっちなんだ、と思った。
聖地スポットでいくつか回れなかった所があり、友人はまた来ようと誘ってくれた。しかし、僕はもう聖地巡礼はしないと思う。あの街にまた行きたいと思うことはあるだろうが、それも近い未来のことではない気がしている。
100%楽しめた旅行ではなかったし、これを読んで作品信者の風上にもおけん奴と言われるかもしれない。それでも、行ってみてよかった。
http://anond.hatelabo.jp/20170611183038
これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。
一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド・西域・東南アジアの文化を伝えた。
遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人を日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベルの用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?
ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しかも桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺の大仏開眼供養会はインドやベトナム出身の僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。
「日本がしばしば新羅を従属国として扱おうとしたため、両国の関係はしばしば緊張した。しかし、日本の遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」
これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使が新羅人に助けられたというのは、円仁の著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?
また、上掲の講談社『日本の歴史』シリーズから引用すると、次のような話もあります。
遣唐使の派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅の商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通と新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台・真言の平安仏教の旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。
このころ唐では、みずからを世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷は新羅や、朝廷に服属しない東北や九州南部の人びとを蝦夷や隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。
朝廷が東北地方や九州南部に進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試の問題を解くときのヒントになるでしょう。
もっとも、この点はやはり、山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方の蝦夷、九州南部の隼人を異民族(夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。
それに比べると、三省堂の教科書は、遣唐使と中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。
実教出版にも「奈良時代に遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版は9世紀のことも記述していてグッド。
遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから、9世紀末まで遣唐使を派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。
理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。
これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています。時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本の僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しかし朝廷は遣唐使の派遣に積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。
[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的のなかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。
東京書籍の教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。
これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。
ちなみに、このとき「天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王スメラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本の朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないから日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的な問題は、国史編纂のときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社「日本の歴史」シリーズや青木和夫著の中央公論社『日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)
さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」「倭国」「朝廷」等の表記になっています。
なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号・国号は、ある時期の特定の政治状況のもと、人為的に作られたものだからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号・国号の使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である「日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。
無論、教科書では便宜的に仁徳天皇、推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権的国家体制の形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています。
円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
目次 [非表示]
2 遣唐使の渡海の困難
3 天台山を目指すが…
6 長安への求法
7 帰国の旅の苦難
8 関連文献
9 脚注
10 関連項目
794年(延暦13年)下野国都賀郡壬生町(現在の壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏の一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主からは儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄の理解者であって、多くの弟子を最澄に師事させている。
※生誕地については
などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。
下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ
あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと
石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまらむ
下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん
この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。
安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇の延暦13年、廣智菩薩が大慈寺住職のとき、南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓(現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市の史跡に指定されている。
15歳のとき、唐より最澄が帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい、最澄に師事する。奈良仏教の反撃と真言密教の興隆という二重の障壁の中で天台宗の確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。
814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度(出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄の東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日、大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。
性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗の開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。
836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日、博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
※上陸日である唐の開成4年7月2日は日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
最後の遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期間のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可が下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁は遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝の勅許が必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分は新羅僧だ」と主張しているが新羅の言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。
当時、中国の山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて唐残留に成功(不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝高設立の赤山法華院で聖林という新羅僧から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日~4月28日の58日間)。
840年、五台山を巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山で客死した霊仙三蔵)。法華経と密教の整合性に関する未解決の問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。
当時世界最大の都市にして最先端の文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から約1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅を長安の絵師・王恵に代価6千文で描かせる。
台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子の円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。
しばらくして、唐朝に帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日が最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。
当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安も悪化、不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁の長安暮らしを支えた長安在留の新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島の新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。
この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。
「円仁が無事生きている」という情報は日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府は円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。
この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワーの研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。
目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草の浅草寺もそのひとつ(岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。
大阪ってぶっちゃけ難波から梅田圏内での移動で自分の住処に帰れるんだよ
東京ってさ
大阪は都会→都会の移動で済むのよ
住んでるところと働いてるところがほとんど変わらんのよね
東京で電車止まって歩いて帰るっていったら巡礼みたいになるから毎回テレビみて面白がってる
まともに人が住む部屋、最低でもキッチンとトイレ風呂つき(Notユニットバス)で四畳半以上
気軽に借りれないでしょ
その点大阪は草ボーボーのところで家買ったり借りたりしなくていいの
そんなやついたらアホだと思われる
東京とは名ばかりの糞田舎や糞狭い囚人のような生活をさせられる
金があれば違う?
そんな金出せばどこででも美味い物食えるぜ!みたいな当たり前のこと言われてもな
某戦国ゲームから入り、好きが高じてキャラや時代の歴史書や史跡巡り、伝記なども読みあさる所謂“にわか歴女”というやつです。
“歴史”“戦国”という世界に惹かれたきっかけがゲームとは言え、モデルとなった偉人達に対する敬意は持っているつもりですし、書物や残された書状などの研究書を一通り読み、ゲームとは切り離してその生き様に改めて惚れ込んでいます。
そんなこともあり、定期的にそのモデルとなった偉人達のお墓や城など“聖地”を巡礼することもしばしばあるのですが、最近は大河ドラマなどの影響もありどこも大盛況で、祝日ともなると各地域でイベントも多数開催されています。
中にはその偉人を主役とした劇のようなものも上演されています。有名なところだと名古屋の“おもてなし武将隊”かな?一般の方や役者さんがその武将になって…いや武将達が現世に蘇って史実を元にした物語をちょっとした舞台のように演じられるのです。
前置きが長くなりましたが、今回のテーマはその戦国舞台の演者さんのことです。
今までもその存在は知っていましたが、なかなか機会に恵まれず先日ついに初めての舞台を拝見しました。そして同時になんとも言えない気持ちになったのです……原因はその…演者様の「女性率の多さ」
姫役ではなく、足軽や大将にも女性、女性…その数ざっと見積もっても半数以上。
冒頭に書いた通り、私も女です。同じ女として、勇ましい衣装に身を包み凛々しい演技を目の当たりにし、女性でもこんなに格好良く演じられるんだ!という感動とともに感じたのは大きな違和感でした。
違和感……というよりはまぁぶっちゃけほんの少しの嫌悪感があったんです。だって、歴史上の“史実”において、足軽にこんなに女性がいたなんて記述はどこにもありません。0ではなかったかもしれない、でも半数以上が女性の足軽隊なんて聞いた事がありません。それだけではなく、実在する武将まで人によっては女性の方が演じていらっしゃいました。それは私に、昨今の漫画やドラマでよくある「男性の振りして足軽になったけどイケメン武将に女であることがバレてしまって~?!☆」系の少女コミックを想起させるに充分でした…もしくは…女体化…?
いや、わかっています。彼女たちは高潔な心意気のもと純粋な気持ちでこの演舞に臨んでいること、それがひいては地域活性化などに繋がり、大好きな武将達が語り継がれていくことに大きく貢献されていること。わたしみたいなにわか歴女とは違ってその知識も深く、また比例して歴史や偉人に対する愛情や尊敬も人一倍いえ一百倍以上であること。ひたむきで真剣な眼差し、目に焼き付いています。
でもね、見ている方にとってはそうじゃない。演技から真剣な気持ちは伝わってきました。でも、そうじゃない。だって、歴史はそうじゃないから。武将も足軽も男性だから。演技力とか、美醜とか、そういうことでもないよ。
こんなことを言うと、男尊女卑とかジェンダーとか、そんな問題にも発展しそうですが、何度でも言います。そうじゃない。
だってね、わたしだって演者さんと同じくらい…いえおこがましいかもしれませんが、武将が大好きです。戦国が大好きです。その好きな理由として、私は「男同士の友情、義、好敵手」という要素があります。これ…結構みんなもそうなんじゃないかなぁ…と思うけど。
“作中では男役”とされていても、だって女性じゃん?!恋愛ドラマでさ、女役が男性だったらどうなる?作中では女っていう設定でもさ、純粋な気持ちで見られる?うっとり出来る?ホモじゃん!!ってなると思う。
これは、わたしが腐女子だからとか、そういうことでもないと思う。純粋に歴史のドラマ、群像劇が見たいのに…その気持ちはどうでもいいのかな。
戦国が好きだったら自分も一緒に何かを作り上げたい気持ちってすごく大事だし尊いと思う。そういう気持ちがたくさん集まって、何百年も昔にあった出来事が現代に蘇ってもっとたくさんの人に感動を与えている。
すごく素敵なことでこれからも是非続けて欲しい。でも、その中にはこんな気持ちを抱くひねくれ者もいるんだってことを少しだけ知って欲しいというか…届いたらいいなというか…もう届かなくてもいいや……どこにも言えないから匿名でしたためたかった。
実際に演舞に出演された方がこの日記を見てしまったらごめんなさい。でもこれだけはわかって欲しい。女は演舞に出るな!なんて言いたいわけじゃない。軽い気持ちで出ないで!っていうことでもない。なんていうかただの愚痴。忘れてください。
でもほんの少しでも…共感してもらえたらいいな…と思わなくはないです。偉そうに色々書いたわりに適当な終わり方でごめんね。
最後に、思ったことをわかりやすく書くために一部適切でない表現や蔑視表現があったかもしれません。その点についてまとめてお詫びいたします。
下北沢に性病検査しにいった帰り(本当)に、「そうだ、野獣邸に行こう」と思い勃ち、早速ネットで検索。
下北沢駅前で、お笑い芸人がライブの呼び込みをしていた。500円でどうですかーという感じ。
見たい。見たいんだけど、今俺がまさにライブなんだという気分。俺が今まさにナウなんだという感覚。
生きてるってこれなんだな。『現在進行形』なんだな。
淫夢厨として生きている。
たどり着いた野獣邸前。分からない。どれが野獣邸なんだ?
確かに、「コート」という名前がついている邸宅はあるのだが、、、、。
あった。
意外と小さいんだな、入り口。
動画だと、「入って、→」という感じだが、実際には「入って、←」という感じか。
瞬間、気づいた。自分が来た方向は野獣先輩が歩いてきた方向。つまり、カメラとしては、「野獣が来るのを見る方向」なわけだ。
気づいた瞬間、叫んだ、同時に幻聴が聞こえた
俺 「こっ、、、ここっ!、、、、」(野獣幻聴『こっ↑ここ↓』)
感動的だった。ここだここだ!ここ!ここ!こっここ!こっここ!「こ↑こ↓」じゃねえわ!やっぱ野獣先輩も、「こっ、、ここ!(ここが野獣邸かー!!!)」って感じなんだわ多分。
野獣邸前の落書きから、止まっている車から、電柱やら、電線やら。憧れの映画の中にきたみたいだ。
これは夢なのか現実なのか。
「!!!!ここって、DRVSがナンパしてたところじゃないか!!!!」
堪能した。
いいじゃないですか、ホモ。
帰りは、『キャンディーシロップ』というサブカル系女子が行く店に突撃。
女物の服しか売っておらず残念。