はてなキーワード: 島本とは
「女をあてがえ」論者は藁人形じゃなくて実際にいるよ。以下に具体例を出してやる。
■赤木智弘
弱者男性論の元祖ともいえる赤木智弘は、2006年に「私は男女平等の実践として「私を養ってくれるお嫁さん」を募集します」「応募がなければないで、「男女平等なんて言ったって、本当に平等にしようなんて誰も考えていないじゃないか」ということを実証したことになります」と言っていた。
http://journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html
■島本
白饅頭が「「女をあてがえ」論者マジでいるのだろうか」「フェミニズムが女性を自由にしたせいでオレらが結婚できなくなった」と主張している人って本当にいるの?」と問いかけたときに、「僕です」と名乗り出た 島本 @pannacottaso_v2 というTwitterアカウントがいる。「『アンチフェミは女をあてがえと言ってる』というの、全くそのとおりだしそれの何が悪いのかさっぱり僕にはわからない」「『女を充てがう方法』として税制を使えと言うてるわけです、我々は。それを『直接じゃないから充てがえと言うてるわけではない(徴税というペナルティを被れば拒否する権利はある)』みたいなのはただのレトリックだと自分は思う」と主張している。ちなみに彼は2回「僕です」と白饅頭にリプライしたが、返事をもらえなかった。
https://togetter.com/li/1121535
■黒屋ぶるー
「非モテに女をあてがえ」と主張している 黒屋ぶるー @kuroya_blue というTwitterアカウントがいる。彼は「「非モテに女を宛がう」で僕自身が想定してるのは男の年収改善(それが女の年収低下を意味することは否定しない)と独身者への社会的圧力の強化、マッチングの強化で結婚しやすくしようというもの」「人口維持を目的とするなら「非モテに宛がわれる女性にあるメリット」はズバリ人口維持でしょ」と主張している。
https://togetter.com/li/1408490
「弱者男性差別をなくそう」というTwitterアカウント @tufozi2 がある。「共学が諸悪の根源」「自由恋愛が諸悪の根源」「やはり自由恋愛は廃止してお見合い制度を見直すべきであろう」「それが女性の幸せにもつながる」と主張している。
すもも @sumomodane が「そもそも「男に女をあてがえ」って言っている人、いるんですか?」と問いかけたときに「私とかがそうですね。」と答えた黒猫使いの鈴木
@kuronekomasters というTwitterアカウントがいる。「基本的には、戦争や絶滅を望まないなら、あてがえ論をベストと考えます」「妥協点として30くらいまでに自由恋愛で結婚できないなら国や自治体が選択肢を提示、離婚は可能だが繰り返す」と提案している。
https://twitter.com/kuronekomasters
■すもも
上で出てきたすもも本人は自分が弱者男性だと思っていないし、自分が「男に女をあてがえ」論者ではないと自認しているが、一方で氏は「女性の上昇婚志向の高さは男性のモテと関係している。男性にとって女性の上昇婚志向が高まることは結婚しにくさにつながる」「女性が高望みをやめることは社会的メリットにもなる。①日本の少子化対策になる、②男性の幸福度を高められる、③日本の男女平等度を高められる」「現在未婚者において経済的な理由で結婚できない人が多いため女性が高望みをやめればマッチング機会が増えるだろう」「日本男性は幸福度が低い。それは未婚男性の幸福度が低いことが寄与している。日本では家族以外の共同体の希薄なので未婚男性は孤立しやすい。女性が高望みをやめマッチングが増えれば男性の幸福度が高まるだろう」とも言っている。つまり、女性が高望みをやめて強者男性以外も選ぶようになれば、今は結婚できない日本男性も結婚できるようになり、家族共同体を持ち、孤立が解消され、幸福になる、と主張している。自分には、これは弱者男性外部から見た「あてがえ」論の変形に見える。
https://note.com/sumomodane/n/nda55d2cf494e
少なからぬアカウントが、マッチングのシステムを変えたり(自由恋愛→お見合い)女性側の価値観そのものを変える(上方婚志向→下方婚の許容)ことで、弱者男性や非モテ男性(上に挙げた人達のほとんどはこの2つをはっきり区別していない)が女性とマッチングされる機会が増える、増やせ、と言っている。また彼らの一部は、自分の主張が「あてがえ論」だと明言している。
ここで挙げたのは一部の例で、はてな他で非モテについての議論が盛り上がっていた時代には、こういう論調は(かなり極端な側には属していたが)そう珍しいものでもなかった。増田で過去検索してみれば同じような意見が出てくるだろう。今回炎上をめぐって「『女をあてがえ』論者は存在しない」とか「藁人形だ」という意見を目にするが、事実はそうではないし、白饅頭やすももがそう言いだした時にも実際に「女をあてがえ」論者が名乗り出てきている。
おれは性的承認の問題を抜きにして弱者男性の話をしたい人達がいるのは理解できるけど、彼らが「性的承認の問題を重要視し、その問題の解消のために制度的な解決を求めている弱者男性達」をいないことにするのはよくないと思う。弱者男性界隈が弱者男性内部の多様な声を抑圧してたらマジで救いがなくなる。まずは「女をあてがえ」論者が存在すること自体は認めて、彼らを弱者男性論の中でどう位置づけるのか、真面目に考える必要がある。少なくともこのエントリを読んでまだ「『女をあてがえ』論者は藁人形だ」という人間がいたら、そいつは事実より先入観や願望を優先して、弱者男性内部の多様な意見を封殺するやつだ。言うならせめて「弱者男性みんなが『女をあてがえ』論者ではない」とか「チェリーピッキングだ」ぐらいにしとけ。わかったな。
おまけ:米国のインセル界隈では「女をあてがえ」という主張は割と普通にある。保守派論客のRoss Douthatは、インセルの問題提起を受けてニューヨークタイムズのコラムで堂々と「セックスへのアクセスが困難な人々にセックスを再分配しろ」と言っていた。これも弱者男性の外部から見た「あてがえ」論だろう。
https://www.nytimes.com/2018/05/02/opinion/incels-sex-robots-redistribution.html
いい映画でした。面白かったしゲストキャラもよかった。全体としては満足です。
でも切島鋭児郎を(そんなつもりはまるでなかったのだが)思ったより愛してしまっていたので言わねばならないことがある。
***
まず、爆豪勝己のことは好きです。まあだいたい少年漫画のライバルキャラって人気ですよね。人気投票でもよく1位取るしね。で、人気あるからグッズもいっぱい出るしアニメ雑誌には謎衣装の謎描き下ろしイラストがいっぱい載るしなんかやたらカワイイ感じのアニメオリジナルエピソードを作られたりするんですよ。知らんけど。
とにかく、今回の映画はスタッフ一丸となって爆豪激推し、ダブル主人公の勢いで緑谷と一緒に大活躍。かっこよかったし熱かったっすね。コンビで(というかCPで)推してる人は呼吸が大変だったんじゃないでしょうか。生きてる?
でもね。
悲しいんですよ。
爆豪すごい!爆豪やっぱつえー!かっけー!という場面作りのために切島が犠牲になったことが。
スタッフも需要わかってるから事務所シーンでやたら2人一緒に映したりとか、最初の襲撃のときに同じチームで動かしたりとかしてましたけど、かえってそのせいで残念なことになってしまった。切爆庇い合ってた❤️とか言ってる場合じゃないぞ!
だいたいね、なんですかあの敵の個性は?包帯的なもので包んだ物体を自在に操れるんでしょ?包帯的なものでしょ?まあ普通の包帯よりゃ強いかもしれないけどしょせん布よ?
はい、切島の個性はなんですか?硬化!硬いの!銃弾程度なら軽く跳ね返す硬さよ。かつ鋭いの。実際断ち切ってたじゃないですか包帯を。それなのに巻かれただけで手も足も出ねえって何?国内トップの雄英高校ヒーロー科に入ってくる男はそんなにアホか?違うと思うよ。硬化させろよ!そこで硬化して脱出を図るくらいの頭脳はあると思うよ。ある程度弾性がある?転がれ!地面を!擦り切れ!
(以下蛇足)
というかね、考えてみてください。「切島鋭児郎」なんですよ。この漫画の名付けの法則から言って彼の個性の本質は硬さよりもむしろ「鋭さ」にあるはずなんですよ。
切島自身がまだそれに気付いていない設定なのか、それとも対人戦闘では硬化より断然グロいことになってしまうからそれは少年漫画の主人公側キャラとしてマズいと作者が能力の方向性を変えた(=硬化に重きを置いた)のか、それはわからない。
でも目蓋の傷のエピソードやアームカバー導入があることから、人を容易に傷つける、場合によっては簡単に命を奪える個性だというのは時折描写されている。
(蛇足おわり)
そうやって何かしらできることはあっただろうに切島と上鳴は文字通り手も足も出ず、結局誰よりもピンチの爆豪が自力で解決。
爆豪すごいね!さすが入試&体育祭1位!とか言ってる場合か!入試2位もいるんだよそこに!インターンでクラスの誰より先に名が売れた、そして本物の現場で死に目を見た男もいるじゃんよ!
という、本当なら何かしら使えたはずの人間を、爆豪アゲのためにほったらかして木偶の坊に見せてしまった、これはちょっとスタッフのミスだったと思う。細かいところあんま考えてません、というのが透けて見えちゃった。他のシーン、他のキャラでもチラホラあったけども。
しかしよりによって切島、かつて自分の弱さ無力さを思い知った経験のある切島が、よりによって彼の最大の強みを思い出させてくれた存在である爆豪(こうやって書くとすげーな)の目前で何もさせてもらえず、爆豪の優秀さに頼りきりにされてしまったのは無念でしかない。切島がまた落ち込んじゃうよ…ああ見えてネガティブなんだから…
このシーンだけに限らず、切島はこの映画において全体的にあまり活躍していない。
(上鳴もミイラ戦では特に何もしてなかったけど、彼は使い勝手のいい個性で日常でも非常事態でもできることをしている描写がきちんとあった。ほんとあいつ鍛えればめちゃめちゃ強いというか、使えるヒーローになると思うよ)
迷子探しにお前が何の役に立つかと爆豪に突っ込まれていたように、日常の困りごとでは肉体労働くらいしかしてないし、ミイラ戦ではあの有様だったし、個性「硬化」をいかんなく発揮したのがキメラとの最終戦のみだった。
あそこはまあ、あら文化祭のカキ氷コンビねってホンワカしたっちゃしたけども、「神野を思い出すな」ってなんで言わせた?そんなカジュアルに語っていい思い出か?無理を承知、掟破りを承知で危険に飛び込んでいって苦い結果の多く残る神野戦のことをそんなふうに?
まあ「俺たちまた無謀な賭けに出てるな」とかそんな自嘲込みかもしれないしあんまり突っ込まないでおくけど。「切島」「神野」と来たらホップステップで爆豪を連想させるスタッフからの(余計っちゃ余計な)目配せもあるだろうし。
いやそのビーム(?)耐えられるなら相手にそこまで変身させちゃう前にもうちょいなんかできたのではと思わなくもないが、ここは「このメンバーなら確かにこれが最適解」と思える作戦だったからいいと思います。
私のツッコミはそれ以前に遡る。
そこ、障子だろ。
障子、そこにいるべきだろ。
えっここに来て急に障子の話する?する。
思い出そう対キメラ初戦。うろ覚えで申し訳ないけど障子に向けられたキメラのセリフ。その外見は相当イジメられたろう、という。
私もそう思う。障子は何かしら外見に関して苦い体験がある(キャラブックの記述で示唆されている)。キメラもそう考えたから、異形型個性持ちとして自分と障子は似たような過去があると直感したから言ったんだろう。
てな具合に敵と共感するところのありそうなキャラがいたら普通再戦させねえ!?させるでしょ!!似たところのある2人がなぜ片や社会に仇なす存在になり片やヒーローを志しているのか?お前は俺と同じ思いをしたはずだ、というキメラの問いかけが宙に浮いちゃってるんだよ。再戦で障子が答えを返すのがセオリーでしょ!
いやもちろん今後原作で描かれる可能性が高いしアニメスタッフが勝手に触っていい領分ではない。
でも「たとえそうだとしてもお前のようにはならない、俺はヒーローになる」くらいのことは言わせていいんじゃない?障子めっちゃかっこよくない?してよ!かっこよくしてよ!
いや障子はメチャメチャかっこよかった。身を挺してまほろちゃんとかつまくんをメチャメチャ守ってた。ほんとにかっこよかった。それは間違いない。
そこ、切島じゃね?
切島、そこにいるべきじゃね?
切島、お前の個性…「硬化」じゃね?
はいここに来て話が切島に戻った。
1Aメンバーは色々と周到に準備を整えて襲撃に備えた。しかし万が一それでも敵わなかった場合、最後の最後、文字通り盾となって幼いきょうだいを守らなければいけない状況になった場合、クラス内で適任者は誰か?
答えは切島だ。彼に基本的に物理攻撃は効かない。他方、機動力や索敵能力には欠ける。守らなければいけない誰かがいる場合、動かず護衛役に徹するのが、最も合理的かつ個性を生かすオペレーションではないだろうか。
いや分かってます、障子が残ったのはキメラとの初戦によるダメージが大きかったから、切島が前線に出たのはダメージが少なかったから。
分かってるけど入れ替えた方がもっと2人ともかっこよく見せられたのでは??と思わずにいられないんすよねえ…
たとえば初戦のキメラあんなに頑張らせんでもよかった。いや徹底的に絶望感与えた方がいいのはわかるけど、彼の強さを見せるほどに対比でミイラがメチャメチャ弱く見えるんですよねえ…何しろほとんど爆豪一人で片付けたようなもんだし…
もうちょっとミイラ戦に尺使って、爆豪が捕まってる間に切島上鳴をはじめ他のメンバーに活躍させとけば、最初の方で触れた爆豪アゲ他サゲ問題は解決、爆豪も体力温存できて、かつ自分は捕まってクラスメイトに助けられた苛立ちで敵の親玉ナインさんに向かわせる原動力にもなる。
そしてキメラ戦をもう少し抑えめにしていたら、障子も再対面が叶ってさっき触れた激アツ展開になってたかもしれない。
(最終形態にどう立ち向かうかが新たな問題として浮上はするが…轟焦凍頑張ってくれ)
あと、キャラというか個性の生かし方問題でもうひとつ、葉隠ちゃんがマジで何もしてねえんだよ今回!切島以上に何も!なんかなかったのかよ!
避難所守るのも当然大事ですけど彼女の個性は全く防衛向きではないから万一あそこで何かあっても役に立てない、なら見えないことを利用して前線で罠張っとくとかさせた方がよかったんじゃないか…スタッフさんよぉ…
さて、ここまでおおむね「切島を使いこなして欲しかった」というモンスターペアレントかな?みたいなことを言ってきたわけだけど、わかってんだよ本当は。
切島を使いこなすのってすごく難しいんだよ。
防御力も攻撃力も高いけど、言ってみればただそれだけ。正面戦闘に持ち込めなければ個性の使いどころはそれこそ誰かの盾になるくらいしかない。機動力、情報収集力には欠けるし、緑谷や八百万のような頭脳派でもない。
思い返してみれば前回の映画でも、爆豪関係で目立ちまくった一方、戦闘シーンに入るとこれといった活躍がなかった。魅せ方の豊富な爆豪や轟と比べると単純なことしかできない切島に尺使ってらんないよね、忙しいもんね。わかる。
あの神野でも、塀をブチ破った以外に個性そのものは役に立ってない。そんなふうに切島の「硬化」はなかなか応用が効かない。言ってしまえば不器用。
そしてそれを一番よく分かっているのは切島本人。
か…かわいそう…プロとしてやってくには今のままじゃダメだってすごいよく分かってて…それに追い討ちをかけるかのような今回の「バクゴーやっぱスゲー」係扱い…
作者もわかってると思うよ、あのメチャメチャかっこいいインターン中の切島回を経た上でなお、クラス対抗戦でやっぱり接近戦させてもらえないと詰むぞ〜ってわざわざ描いてるあたり…何か巻き返す手はあるのか、そもそも主人公でもなんでもない切島にそこまでページ割いてらんないだろうし、何か…何か希望をくれ プロヒーロー烈怒頼雄斗としてやっていくための希望を…
そう、やっぱりこれに尽きるんだよ、切島の個性の真の強みは爆豪の指摘通り、倒れない、負けない、ってとこなんですよね。たとえ勝てなくても負けはしない、ということが可能なんですよ彼の個性は…不器用でも華がなくてもいい、他に何もできなくてもいい、絶対倒れないヒーローに…なってくれるといいっすね…がんばって…
【まとめ 】
・障子と切島チェンジ!
・切島の使い方難しい
・切島がんばれ
以上です。
経営者って大抵は、商売で稼いだお金は会社に残して、自分の役員報酬はギリギリまで少なくしたりすんのよ。んで額面上は「わたし年収200万です」って事にして税金を大きく下げてる。
つまり頭の中では「会社の金は俺の金。俺の為に使う」って思っててもおかしくないんよ。(サラリーマンから出世した社長はともかく、創業者はそうだと思う)
もちろん社員目線からしたら「血縁関係なく優秀な人が継いでくれよ!」って思いが当然だと思うけど、
「会社は俺の財産」という意識を持ってる人が、その財産を我が子に継承したくなる気持ちも分かる。
今日これ↓がバズってるのを見て、
短編描いてほしい作家っているよなーと思って。
妹の姉 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821
個人的には葦原大介だけど、
復帰してワートリ描いてくれているだけでありがてえので10年後とかに描いてくれればいいや。
ジャンプ作家だと久保帯人は本人の好みとは別に、商業的リスクを度外視すれば短編量産系の方が資質にあってそうな気がする。
読みたい。
太田モアレにも描いて欲しい。というか未収録短編電書でバラ売りしてくれ。
椎名高志は絶チル終わったら何編か描いてくれると勝手に信じている。
サンデー系だと田辺イエロウはもっと短編が読みたい。バードメン超面白いけど。
海街終わったから吉田秋生は描いてくれるだろうか。
オチが無いが、きりが無いのでやめる。ブクマカの希望も教えてくれ。
あ、水上悟志は勝手に短編量産してどれも平均点以上でかつ必ず本にまとめてくれる短編漫画界の神なので、
特に要求することはありません。
追記。そこそこブクマ集まってて嬉しい。
こういうの投げると情報が集まってきて大変ありがたい。
短編が商売になる方法を誰か考えてくれないものかな。
短編の多くが「就職活動」なのはちょっとさみしいんだわ。
お話の終わりって、長編だと10冊、下手すると50冊とか読んで一回だけど、短編集なら5回とか読める。大長編もいいけどさ、話の終わりのところの余韻みたいなのがさ、好きなんだよね。
あげくに短編一つ一つを解説したりされるとそれはもう大変喜びます。
あと、「ごん、お前こんな引き出しもあったのか」みたいなのすっげえワクワクするし。
あと、その短い話のために世界が開陳されキャラクターが説明されて風呂敷がたたまれていくおさまりの良さとか、逆に一気に駆け抜ける感じとかさ
(ブコメでも出てた藤田和日郎はスプリンター型のような気がする。だから、うしとらがド傑作なのは認めた上で、「邪眼は月輪に飛ぶ」が一番好きだ)。
高橋留美子は2年弱前にサンデーにのったやつ(千年の無心)が異常に読みやすくてびっくりしたなあ。なんであんなに読みやすいの留美子。上司の犬の話とかも好きよ。
うん、島本先生のワンダービットはマジ最高ですよね。アオイホノオ後の島本先生がSF短編描いたらどうなるかは結構興味ある。
ってそうじゃなくて一人上げ忘れてたのを追記しにきたんすよ。中島諭宇樹。トルネードジャンクションもいいけどクオンタム・ツインがなんてことないSFラブコメなんだけどキャラが初々しいくて好きでな。ソウラ終わったら読切描いて欲しい。あと、ソウラの最終巻が出るタイミングに合わせて短編集を……その……出していただけないものでしょうか。天上都市もガロンもホライズン エクスプレスも読めてないんすよお願いよ集英社さん。
boichiの「HOTEL」は気になってはいたのでこの機会に読んでみますわ。
えっニュース見ない人なのか
死体が見つかってかなりの騒ぎになっていたが…
ニュース見てなきゃそりゃ「何も騒ぎになってない」と思うだろうね
民泊施設に人の頭部 不明の27歳女性か 2018年2月25日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018022502000109.html
世田谷区の民泊で男性変死体 アジア系外国人か 2018.3.10
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180310/soc1803100010-n1.html
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
かと言ってオタクというわけでもない、彼らからすればいわゆる普通の人間だ。
なりそこねてしまったのだ。
中学生くらいの頃は人に負けないこだわりがあった。
別にそれを人にひけらかすつもりもないし、そもそも一人で楽しむのが好きだったのだ。
それなのに、ただ何が面白いかを自分なりに説明しているだけなのに、頼んでもないのに勝ち負けに持ち込もうとする奴が必ずいた。
オタク特有の、自分のほうがオタクだというプライドを押し付けてくるのだ。
自分にしてみればそんなことはどうでもよかった。好きなものを好きでいれば、自分なりの解釈で自分なりに楽しんでいればよかったのだ。
それなのにそいつは違かった。自分の解釈のほうが優れていると無理矢理押し付けてきたり、とにかく自分が好きなものに対する知識や愛情が人に負けるのを嫌うのだ。
自分はそれが心の底から嫌だった。それが原因で嫌いになってしまう作品も沢山あった。
それからはできるだけこっそり楽しむようになり、作品に対しての交流も減っていったことで自然とその世界からは足が遠のいてしまった。
そいつは40を過ぎたいまでもオタクをしている。その世界ではそれなりに名前をも通っているらしい。ただ、たまにあって話をするが、相変わらず自分の知識や愛情に異様なまでのプライドを持っていて、ちょっとでもコンテンツの話題を出すだけで湯水のように自己顕示欲を垂れ流していた。
嗚呼そうか。こういう根拠もないのに自分が優れていると勘違いできて、誰かれ構わず競争心をむき出しにできる人間にオタクとしての素養があるのか。
そう考えると自分は人との競争が嫌いで、何事も競争となるようなものは避けて生きてきた。
おかげで周囲は平和だが、大して面白いこともない至って普通の人生を過ごしている。
庵野と島本のやりとりを、すごいと思いながらどこかで小馬鹿にしている自分がいた。
テレビの中では闘争心をむき出しにしてトップアスリートたちが記録を競い合っている。
今からでも彼らのように競争心をむき出しにして何かに熱くなることはできるのだろうか。
それがあまりにくだらないことだと思ってしまう時点で、自分には無理なのだろう。
なりたくない人間にならなかったのだから良しとするべきか、今の自分が本当になりたかった人間になれていないことを省みるべきか。
考えるにはもう遅い年齢になってしまったのかもしれない。
「このオレに課された試練・・・必ず乗り越えてみせる!!」
「まだだ、まだ次がある・・・やってやるぜ!!」
フィギュアの羽生選手もぶつかって怪我した時にこれを実践していたと分析している。
ある意味「精神のパンチドランカー」的な側面もあるので理性が飛んで暴走してしまう可能性もあるが、おびえて鬱になったり、腐ったりして行動に移せなくなるよりかは全然マシだ。
心身にダメージを負った時の対応として汎用性が高いので、割とオススメ出来る方法だと思う。
ただこれにはある程度本人の特性が必要で、中2力を発揮させるだけの丁度いい世間知らずさと妄想癖、そして何より自分と対話するクセをつけられる孤独さが必要。