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はてなキーワード: 山中とは

2023-03-28

anond:20230327132843

若者でも大谷翔平とか藤井聡太とか凄いし、研究業界でもそのうちみんなを引っ張ってくれる凄い子が出てくると思うけどなあ。

ノーベル賞山中教授の再来みたいな。

2023-03-25

anond:20230324194601

機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-

どこ行く?で言われると、脳内で「秩父山中」って答えるくらいに好き。

話題のRRRも4回みてるから10回以上見ることになりそう

2023-03-19

anond:20230315183353

タイトルを見て、もしかしたら何かしらみんなの死角に入りがちな指摘が含まれているのかな? どうせよくある言葉遊びの難癖でしかいかな?

と思って開いたらやっぱりよくある言葉遊びの難癖だった。

最近、多くの人と同じようにチャットボット自然言語処理AI技術が近い将来においてなにものであり得るかということを考えている。

まずは乳母である永遠にアホをあやしてくれる。

そして「肩の上のオウム」だ。ディスコミュニケーションを糊塗してくれる。

そして今思ったのが、秘書オウムの延長線上の「執事である

時間使って読むほどの価値がない文章コンテンツを主人の目に触れる前に握り潰してくれるフィルター。あるいは主人の気に入りそうなものだけ選んで持ってくるキュレーター

たぶんAI的には朝飯前っていうかごく基本的な利用法と言えるだろう。ありがちすぎるものや突飛すぎるものを弾くとか、タイトルで気を持たせないよう内容に即してリネームするとか、面白さの期待値の目安で星をつけておいてくれるとかいうのは。


ネット上のコミュニティというか人の輪は焼き畑移動を繰り返してきた。

賑わいがないと面白いことは起きない。でも賑わいはいずれ「バカほど退出しない」原則に基づいて腐海と化す。

もうクズモブの群れを泳いで面白ものを探さなくてもよくなるのかもしれない。

また、ふつうの人びとのリアクションを得るためには大量のクズモブに群がられることに耐えなければならないという変な苦行もいらなくなるだろう。

インターネットリアルで誰にも相手にされないクソリプマン下駄を履かせてきた。そのボーナス期間が終わる。

■便利な道具は環境自体作用する。しかも個々の環境に。山中の老親と都会の息子を別世界の住人に。

単語に反応する人間レベルが誰の目にも歴然となる

2023-03-12

横浜お土産とは

横浜出身で、今は都内に住んでいる

首都圏在住の、横浜出身・在住ではない知人に、「横浜お土産といえば」と問われ、真っ先に思い浮かんだのが鳩サブレー。でも鳩サブレー鎌倉横浜ではない。

次に思い浮かんだのは、横浜駅の予備校に通ってた時にたまに買ってたステラおばさんのクッキーだけど、調べてみたら本社白金横浜というわけではなかった。

もうちょっと考えると、大船軒の鯖の押し寿司とか、崎陽軒シュウマイとか、華正樓や重慶飯店の月餅くらいを思い浮かんだんだけど、押し寿司シュウマイは、日々の往来で通りかかって買う分にはいいけど、なんかお土産として不適切な気がする。

軽い話なんだけど、横浜駅周辺で買える条件で、そこまで足を伸ばしたならお勧めしたい、自分で買って帰っておうちで食べて美味しくて嬉しいというものはあるだろうか?

# 崎陽軒のをシュウマイと書いてることにご批判多数。ごめんなさい😰 横浜市でも山中鄙びたとこの出とはいえ、どの駅にも売店あるんで無意識的には認識してたと思うんですが、ぼんやり過ごしていたようです。すみません

2023-03-05

anond:20230305121748

長野やら岐阜やらの山中でもう喰ってるし商品化もしてるじゃんとっくに

虫なんてルーツのよくわかんねえもんは無理して喰わなくていいんだよ

2023-03-04

メモ

# 名前メーカー

加藤恵子 田中希 渡邉真史 河野正敏 吉村良夫 長嶺正樹 金子由紀 山中麻衣子 坂本真由 角田麻衣 関聡美 田代知子 杉本真由子 山崎一美 秋山美沙 谷口緑 江原陽子 三木加奈

 小林友香理 増田ゆり 渡部礼子 原宏明 石川明宏 竹内昌彦 吉岡章 長岡桃子 武藤真紀子 東千絵 江藤千恵 中村令奈 山崎由紀恵 滝口順子 小平智美 永田真季 大友啓子 伴野裕

子 那須幸恵 樋口麗奈 新島真司 佐伯広斗 掛川亜梨沙 張替昌子 滝沢浩二 田中昭光 三宅善一 君嶋俊 浅野ひな 鈴木幸蔵 清水慶太 佐々木希 新垣結衣 大久保順子 黒岩健人  萩原奈々 吉田誠 小林剛 池田修 太田宏 山本隆弘 石川肇 佐藤幹也 高野浩司 石原武志 石原直哉 吉川順一 山下克典 佐藤匡史 山崎賢人 藤井浩史 山内耕一 川瀬正人 高田康太 水野克典 塚原直之 西尾竜太郎 森翔一郎 内藤浩哉 向中野亮 飯島竜兵 広須賀綾人 浦岡悠 庄司公久 戸取雄一郎 我修院達也 広瀬すず

2023-03-02

[]2023年2月増田

記事文字数文字数平均文字数中央値
01270525039092.645
022610273905104.946
032842303751106.947
042349279887119.248
052571262702102.246
062354256439108.945
072603271757104.447
082492277912111.547
092586263396101.941.5
102045249228121.943
111687183137108.645
121830210688115.142.5
132208250714113.550
14217021685499.946
152701270255100.146
162446251938103.047
172215235240106.242
182286232182101.645
192077242560116.847
202110250964118.947
21305530203298.944
222315256948111.046
232083234747112.747
242246246309109.745
252008225695112.444
262327270726116.350
272463305195123.948
281967201694102.545
1月653517077245108.346

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2023-02-28

anond:20230228131918

宇垣ちゃん、何一つ地獄みとらんやん

2歳からピアノを習い、ピアノ発表会や小学校時代音楽会にてピアノ演奏2004年4月神戸市立歌敷山中学校入学中学時代学業成績はオール5。文化祭での吹奏楽部の発表や合唱コンクールでのピアノ伴奏、更には生徒会長多忙中学生活を過ごした。

2010年4月兵庫県立長田高等学校卒業後、同志社大学政策学部に進学[9]。同志社大在学中は国際政治学について学び[10]、ゼミでは民族紛争研究をしておりセルビア(旧:ユーゴスラビア)にゼミ旅行として赴いた経験がある[11]。*元来は文書執筆が得意だったこともあり、テレビ局報道政治部記者の職を志望していたが、大学セミナー記者向けのゼミが見つけられなかった。

同じく発信する仕事であるアナウンサー職向けのセミナーを受講し、

宇垣にとって雲の上の存在であったアナウンサーを目指すこととなる。

2011年にはミスキャンパス同志社に出場してグランプリを獲得し[12]、京料理屋でアルバイトをしていた時期もあり、お酒について学んでいる。

2023-02-11

anond:20230211122101

夜中にカップルAG山中ポータル活動後、数時間ログが途切れたあと同じ場所で動き出したのを見た時が一番盛り上がったか

当時はコミュニティも活発で楽しかったなぁ。

こうやってingressが注目を浴びる事があると嬉しくなるね

ちなみにingress結婚しました。いい大人出会いがないと嘆いている貴方婚活代わりにingressお勧めします。不審者同士惹かれ合うものがあるかもしれないので。なおストーキングにあっても責任は負いかます

Ingressおかしくなって和歌山県山中正気を取り戻した話

なああんた、あんたはゲーム脳って信じるか?

ゲーム脳なんてインチキだ、って答えるだろうなあんたは。オレも信じちゃいない。それでもゲーム人間が狂っちまうことはある。あのときオレは復讐者になっていた。警告がてら、ちょっと思い出話に付き合ってくれ。

何年か前にIngressってゲーム流行っただろ。青組と緑組にわかれて陣取りゲームやる、ポケゴーの元になったゲームだ。ポケゴーのジムポケストップIngressではポータルって呼ぶが、占拠したポータル同士を直線で繋ぎ合わせて三角形をつくると自分の色の陣地にできて、ヘッドフォンからは「素晴らしい成果です」とお褒めの言葉が流れてくる。シンプルに見えて奥の深いゲームだったからオレはやる気になって青色三角をつくりはじめた。

Ingressは誰かがポータル占拠したり三角を作ったりするたびに行動ログ流れるから、オレの成果はすべてのエージェントプレイヤー)に筒抜けになっている。はじめのうちは会社帰りに大きめの青い三角きれいな三角をつくって帰宅し、風呂からあがってビールを飲みながらパソコンの画面で自分の成果を確かめドヤ顔していた。遊べば遊ぶほど成果が可視化されて他のエージェントにそれを誇示できるゲーム。それがオレが遊びはじめた頃のIngressだった。

エージェントレベルA8になる頃には夜遅くまで近所をうろつきまわるようになった。他の娯楽はどうでもよくなってIngressだけ遊び続けた。ビールのかわりにプロテインを飲んで寝て、早朝からIngressをやった。ヘッドフォンからは絶え間なく「素晴らしい成果です」というお褒めの言葉が流れてきた。実際、最盛期の成果はほんとうに素晴らしくて自宅から会社までの約5kmが青色三角数珠つなぎになっていた。パソコン画面から眺めるとオレの成果は神龍のようなかたちに見えて、たくさんの青色三角が龍のうろこのように輝いていた。緑組のエージェントが襲ってきてポータル占拠するたびに青色のうろこが剥がれ落ちたが、そのたびオレは現地に向かってポータルを再占拠青色のうろこを保守した。

ここまでは良かった。オレがおかしくなっていったのはここからだ。

そうやって半年ほど遊ぶうちに緑組のエージェントが2~3人で襲ってくるようになった。車に乗り合わせて襲ってきたり北側南側から同時攻撃されて包囲されることもあった(Ingress三角の内側では三角が作れないルールなので包囲されたらほとんど行動不能になる。だから当時は日本列島を丸ごと三角で包んで日本じゅうのエージェントを行動不能にするようなスーパープレイもあった)。緑組のエージェントなかには、ニートなのか夜勤なのか昼間のうちにオレの自宅や会社のまわりを緑色三角で包囲してしまうやつがいた。オレはだんだんイライラしてきて夜中までIngressをやるようになった。物資が足りなくなったら隣町のファーム武器などが補給やす状態ポータルが集まっている場所)に出かけて補給した。それでもオレの通勤圏内は少しずつ緑組優勢に変わっていった。たまに隣町の青組メンバー遠征に来てくれたが焼石に水だった。頭がどうにかなりそうだった。

いや、その頃には頭がどうにかなっていた。青色三角創造するIngressが終わって緑色三角復讐するIngressが始まった。緑色三角を壊すたび全身に快感が走って、強い酒を飲んでいるみたいに胃が熱くなった。緑組のカップルが街全体を包み込む巨大三角を作ろうと暗躍しているのを邪魔しきった時には笑いがこらえきれなくなって、真夜中の公園のベンチでオレは笑い転げた。警察がいたら職務質問されていたと思う。

それと当時のIngressにはガーディアンポータルという仕様があった。同じポータルを守り続けていると、日数におうじて銅→銀→金→プラチナオニキスの「ガーポメダル」が貰える。自宅や会社のまわりは緑組のエージェントがうようよしているのでオレは20㎞離れた山間部のポータルをいくつか占拠し、ガーポメダルが手に入るのを待っていた。ところがプラチナメダルがもらえる直前の日、山間部のオレのポータルが全部焼かれてしまった。行動ログによれば、襲撃犯のひとりは例のニート野郎でもうひとりは山間部に近い地域活動している知らないエージェントだった。生まれから今までであんなに怒り狂ったことはなかった。オレは復讐を誓い襲撃犯たちのガーディアンポータル探しに夢中になった。

それから色々あって奴らのガーディアンポータルをついに突き止めた。ニート野郎占拠するポータルいちばん息が長かったのは5㎞ほど向こうの神社鳥居だったのですぐに遠征して焼き払った。もうひとりの知らないエージェントの最長ポータル和歌山県山中登山道入口から5㎞ほど登った場所にあるお地蔵様で、これを一年近く守り続けている様子だった。ある土曜の早朝、オレは復讐するために和歌山県に出発した。新幹線特急を乗り継いで近くの駅でレンタカーを借り、登山道に着く頃には霧雨が降りはじめたが頭に血がのぼっていたのでずんずん進んだ。今思えば危険判断だったが当時は彼奴のガーディアンポータルを焼き尽くすことしか考えられなくなっていた。目標のお地蔵様に辿りついてバースターを撃ちまくるとガーディアンポータルはあっけなく占拠できた。ずぶ濡れになったままオレはゲラゲラ笑った。帰りの新幹線で寒気に襲われて高熱を出した。熱にうなされながら、あのお地蔵様をちゃんとお詣りしなかったから罰が当たったんだとか、とりとめのないことを考えていた。それからゲームのために和歌山県山中まで出かけてずぶぬれになり、高熱にうなされながら帰る自分はどうかしていると思った。それで気持ちが醒めてきてオレのIngressは終わった。

あんたにはこの話、バカみたいに思えるかもしれないな。だがあの頃の復讐心を思い出すとオレは今でも身体がざわつくしN社のゲームはもうやりたくない。AR拡張するのは喜びや驚きだけじゃない。憎しみや復讐だって拡張する。当時のオレはそれがわかっていなかったし、あんたの顔をみるに、あんたもわかってない様子だな。N社のゲームそれからARには気をつけろ。あんたはあのときのオレみたいになっちゃ駄目だ。

 

2023-01-29

anond:20230129135755

山中センセイごと買える財力も見識もありまへん…

2023-01-14

女が男に成りすまして買春の話すんな

https://anond.hatelabo.jp/20230114170134

マジレスするとJKとかだとバックがいないからその気になったらなんでも出来るからだよ。

例えばスキン無しで挿入して中出しなんて風俗だったら最高級店でしか出来ないことを

あのさあ

風俗利用してもいない人がシッタカで書くのやめなよ

そういうの何の意味があるの?

   

お前も元増田も女のなりすましに見えるんだよね

  

   

元増田も笑える

だって風俗嬢の一番若いのと5歳、下手したら2歳しか変わらないわけじゃん。 

そこで素人をわざわざ選ぶの?

上手に化粧やスキンケアしてるプロの20歳と、素人レベルしかやってない15歳だったら、多分プロの20歳が勝つぜ?

そんなわけねーだろw

 

俺は若い女に性的興味が全然もてないのでJK買春なんかまったく興味ないけどな、

肌とか肉付きとか体型とかそういう肉体的な話をするなら15歳と20歳全然違うわ

精神面でももちろん全然違うのはわかるよな?

    

肉の付き方にしたって十代特有のものはあるし

15歳なんて言うと骨格すら大人とはちょっと違う

そういうのが好きだって奴にしたら成人では満たせないものがあるのは当たり前じゃん

肌なんかそれはもう単純な優劣があるし 

スキンケアした20歳が15歳に勝るって言うのは

「そう思いたい女」が書いてるように見えちゃう

 

そんなことにそこまでこだわらない男というのはごまんといるけど

真面目に比べるならそりゃ15歳が勝つわいな

そこを20歳が勝つと言い張りたい動機

「書いてる奴がそれなりに歳いった女」以外俺には思いつけねえ  

     

スキンケアで肌年齢がひっくり返せるというのは妄想

そんな妄想してるぐらいならIPS細胞山中教授お布施した方がなんぼか前向きだろう 

    

 

それで風俗の話に戻るけど

NSソープなんか今は2万円を切る店がザラにある

さすがにそんな格安でNS店と言うのはまえは平均年齢がそれなりだったが

最近は本当に若い子が増えている

   

そんで俺はマジで若い女に性的興味が持てないので

年上の女がいる店に行ってるんだけど

人格的にも肉体的にもそれなりの歳の女の方が性欲を催すんだよな

   

からAVとか見る時でもそういう女優を探すんだが

全然若いのに「熟女キャラを演じてるだけとか、逆に行き過ぎて還暦過ぎだろとか

俺にとってちょうどいい所と言うのがなかなかない

  

俺みたいなのですら自分のちょうどいいストライクボールを得るに四苦八苦してるんだから

世間的には若い女が好きって男の方が多くてその中で十代じゃなきゃダメってのも不思議でも何でもないわ

  

俺が俺にとってのストライク範囲の女の体や精神が好きなように

十代が好きな奴は十代の女の体や精神じゃないとダメなんだろ

そういうこだわりは強い奴はかなり強いしそんなのざらにいる

  

その程度の男の性欲のことすら分かってねえから

やっぱ元のやつも女だろこれ

 

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-01

anond:20230101122107

なんかおススメしたいものあるかなと考えて、思いついたのがなんだかちょっと怖い下記のふたつの記事だった

万人におススメできるものではないけど、どうせならこんなところでしか人におススメできないものを書いとく

 

 

エロ本小屋

http://teamkokudo.org/haikyo/miwaku/ero/ero.htm

廃墟好きが山中で見つけたボロボロ小屋エロ本が敷き詰められているのを見つけた話

容赦のない冷たい短文と写真の生々しさがエロ本小屋管理人実像を読者に想像させていく

もはやネット古典だし、そこそこ有名だから読んだことがある人は多いか

昔読んだ時は怖いし、人間の異常性って面白いなって感想だったけど、今読んだら観察する側と観察される側の間の線を強く意識させられた

観察する側を批判したくなるけど、エロ本小屋記事顛末を楽しんで読んでいる自分は観察者を無下に批判できるような立場ではないよなとも思う

 

 

■鶏皮飼育日記

https://note.com/nyun/n/n06b43d893294

水槽に鶏皮を入れて300日くらい観察し投稿し続けた日記

本当にただそれだけの内容で、水槽に鶏皮を入れたところで目立った変化が起こるわけでもなく、ただ淡々と日々が過ぎていく

読んだところでたいして面白いわけでもないが、やたらめったら長く、意図不明さが不気味で、わかりやす日常と地続きの異常を感じられると思う

日本のどっかのアパートの一室でこんなことをやっている人がいると想像するとなんだかそわそわした気持ちになる

リアルタイムで読んでいたときは、誰が何の目的で?と考えたり、試行回数の多い朝顔飼育日記よりは意味不明でも誰もやっていない飼育日記の方が存在意義があるのか?と考えたりするのが面白かった

現在はどういう目的だったか本人の手で解説する記事も書かれている

2022-12-28

横浜市カジノ構想が頓挫した本当の理由

一言でいえば「浜のドン」こと藤木幸夫氏のサッカー嫌いの結果である

旧来から藤木氏はサッカーいであった

この解説記事が詳しいが、昔から藤木氏はサッカーを親の恨みがあるレベルで嫌っている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/oshimakazuto/20210824-00254809

記事によると1年半前にこんな発言少年野球大会開会式で発している。

戦争の終わったあと、日本はなんのスポーツを選んだと思いますか?野球を選んだんです。よその国は何を選んだのか?サッカーです。サッカーヨーロッパの国が、侵略の道具に使ったスポーツです。足が痛くても腰が痛くても手が痛くても『監督痛いです』と言ったら引退野球監督選手が対等な立場で話し合える」

「私はサッカー(のW杯決勝)を横浜でやったとき市長に『サッカーW杯をやるような無様な横浜は嫌いだ』といいました」

戦後すぐにサッカーでなく野球をやったか日本はこうなっている。サッカーをやったら今、私は懲役に行っているでしょう」

カジノ構想の中心であった外資系企業サッカーチームのスポンサーになってしまった

メルコという外資系リゾート会社があり、カジノ構想はこの企業を中心に進められていた。

そのメルコが、2019年からJリーグ横浜F・マリノス背中スポンサーについた。

カジノワールドワイドな娯楽なので、サッカーチームのスポンサーになる事を通じて知名度を上げていくのは普通の行動だ。

その地域の有力者に強烈なサッカーアンチがいなければ。

メルコはそこまでリサーチすることが出来ていなかった。

この時、野球DeNAスポンサードすると言う選択をしていれば、状況は大きく違っていた。「違っていたであろう」ではなく、「違っていた」。

藤木氏が激怒し、横浜市長選を通じてカジノ構想撲滅に全力

サッカーチームを通じてカジノ構想を進めると言う行為を藤木氏が指をくわえて見てるわけもなく。

とにかくカジノ構想が潰れてメルコが居なくなれば、という狙いで山中氏を立てて支援した。

その結果、横浜市長選は山中氏が勝ち、カジノ構想は消滅メルコ撤退マリノスから撤退)。

その後

山中氏は選挙で出した公約を何一つ果たしていないなど市政で何の結果も出していないが、藤木氏とすればカジノ構想が無くなればあとは野となれ山となれなのでそれで充分なのである。それは横浜市民は市長選の前から知っていたはずなのにバカじゃねーの?としか言えない。

またマリノスについては藤木氏からにらまれ立場になってしまったため、他のスポンサーも減少している。実際、2019年と比べてスポンサーの数は2割減り、ユニフォーム背中スポンサーについていた神奈川県企業も今年限りで撤退が決まっている。スポンサードしているが、それを公表すると藤木氏からまれしまうため非公表にしている企業の話も聞く。マリノスはこの4年で2回優勝したが、良い成績を挙げれば挙げる程藤木氏の機嫌を損ねてスポンサーが集まりづらくなるという悪循環が起きている。

神奈川県内で藤木氏の顔色を窺わないと生きていけない企業にとってマリノスは「触れてはいけない存在」になってしまったのだ。

2022-11-05

[]ベンチスタート濃厚だった山本が2試合ぶりスタメン!!最終戦に勝てば5年連続J1

明治安田生命J1オレオレFC大分>◇5日◇第38 節◇オレス

 J1残留を目指すオレオレFCスタメンが発表され、MF山本が2試合ぶりのスタメン入りを果たした。

 前節のサンフレッチェ広島戦はコンディション不良で欠場。4日に全体練習に合流し、阿野燿大監督はベンチスタート示唆していたが、先発に復帰した。また、広島戦はベンチスタートだったDFシャルソンスタメン入りし、今季限りで現役を引退するMF加藤もベンチ入りを果たした。

 18位の京都サンガFCとは勝ち点差2。得失点差は2と開いており、実質的オレオレFCは勝つか、引き分ければ無条件。負けても京都磐田に勝たない限り残留が決まる。5月29日川崎フロンターレから遠ざかる本拠地白星大分戦初勝利で最終戦を飾る。

 オレオレFCスタメンは以下の通り

大分戦 先発メンバー

GK 21 村上
DF 2 栗林
DF 3 リシャルソン
DF 4 本田
DF 5 松岡
MF 6 宮城
MF 7 秋葉
MF 8 山中
MF 25 鈴木潤
FW 9 吉田
FW 10 山本

(控え)
GK 43 野田
DF 17 伊藤
DF 33 石上
MF 20 小野寺
MF 41 加藤
FW 18 ジュシエ
FW 19 佐藤

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

―――――――――――――――――――――――――――――

 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-10-13

[]遂に…遂に、勝った!!オレオレが柏を3発圧勝20試合ぶり白星!!阿野体制勝利、敗れた清水京都抜いて残留圏再浮上!!

明治安田生命J1:柏0-3オレオレFC>◇第36節◇12日◇三協F柏

 オレオレFC柏レイソルに3―0で圧勝5月29日川崎フロンターレ戦以来、約5ヶ月ぶり、リーグ戦20試合ぶりの白星を掴んだ。前半27分にDFシャルソンの技ありミドルシュートで先制すると、後半12分にはエースFW吉田の3年連続二桁ゴールで追加点。同34分にはFKからDF松岡ヘディングで合わせ、3点目を奪った。守備でも村上を中心に完封。同勝ち点清水京都が共に敗れたため、わずか1節で降格圏脱出し、暫定16位に浮上した。次節は29日、アウェイサンフレッチェ広島と対戦する。

 【写真】柏に勝利し、サポーター歓喜を味わうロイブルイレブン

     ◇    ◇    ◇

 長かった、遂に掴んだ…。試合終了のホイッスルが鳴ると、ロイブルイレブン歓喜雄叫びをあげ、阿野燿大監督は渾身のガッツポーズ。ベンチも駆けつけたサポーター歓喜に包まれ、中には涙する選手サポーターもいた。5月29日川崎戦に勝ってから、長く続いた暗闇のトンネル…。昨年は1点リードしながら、残り15分で5失点して大逆転負けを喫した三協F柏でリーグ戦20試合ぶりの白星イレブン試合後、サポーターと喜びを分かち合った。

 負ければ、残留崖っぷちとなる一戦。前半は柏にボールを持たれ、危ないピンチも作ったが、そんな重圧を払拭したのは左ウィングバックで先発したDFシャルソンだった。前半27分、山本パスオフサイドぎりぎりで飛び出したリシャルソンは角度のないところからGKも見送るだけの技ありシュートをゴール右隅に決めた。ここ最近はベンチスタートだったブラジル人DFは「大事試合、チームのために決められて嬉しい」と笑顔を見せた。

 9月3日ジュビロ磐田戦以来の先制点で肩の荷が下りイレブン本来の力を取り戻すと、後半12分には山本スルーパスに反応した吉田GKとの1対1を冷静に流し込み追加点。「練習からやっていた形。山本と目が合ったし、準備はしていた。それがいい形でいいコースにいった」と振り返った。最後は同34分に山中FKDF松岡が頭で合わせ、ダメ押し点を奪った。守っても、村上を中心に声を掛け合い、チャンスを作らせず、ベンチも声を出して、盛り上げた。3試合ぶりの無失点だが、完封勝利川崎戦以来となった。

 19試合勝利中は攻守が噛み合わず10月1日京都戦に敗れ、相田満博前監督を解任。バラバラになってもおかしくなかったチームを作戦担当から2日に就任した阿野燿大監督が「とにかく前に、積極的に、ポジティブに、楽しむ」をテーマに、選手をまとめあげた。初勝利を挙げた指揮官は涙を見せ「選手たちが粘りに粘って、あきらめない姿勢を出してくれたんで。そこが『オレらのサッカー』で大切にしてきた部分やし、続けてやってくれた結果だと思います」と、どん底からはい上がってきたイレブンをたたえた。

 降格濃厚と言われていたが、この勝利残留に一歩前進した。次節は29日にアウェイ広島戦。清水京都らの結果次第ではあるが、次節にも5年連続のJ1残留が決まる可能性が出てきた。山本は「あと2試合、勝って、3連勝で終えたい。今まで悔しい思いをさせたサポーター歓喜を届けたいし、僕らも同じ熱量で戦います」と、ラストスパートへ必勝を期した。

 

○…オレオレ残留条件

 18位京都は19日に福岡戦、22日に鳥栖戦、19位清水は22日に最下位磐田と対戦。オレオレはこの期間、試合がなく、京都勝ち点2以下、清水磐田引き分け以下になった場合、29日にも残留が決まる可能性がある。オレオレ勝利し、京都C大阪に、清水鹿島引き分け以下に終わった場合のみ、2試合を残して残留が決まる。それ以外の場合は最終戦に持ち越し。

○…20試合ぶり白星献上の柏は9試合勝利ネルシーニョ監督「全てにおいて下回った」

 柏がオレオレホーム大敗し、これでリーグ戦9試合勝利となった。試合開始からボール支配し、チャンスも作ったが、前半27分に失点。後半12分に失点すると、気落ちしたのか、その後はチャンスすらなかった。放ったシュートは僅か6本。ネルシーニョ監督は「残念であり、妥当な結果。全てにおいて下回った」と完敗を認めた。試合後、サポーターからは容赦ないブーイングが浴びせられた。

2022-10-10

みそ五郎巨人伝説中国妖怪の話

 anond:20221001090653の続きのようなもの

 南島原市西有家町では「みそ五郎」という名前キャラクターを見かけた。これは、町民・市民ゼロから生み出した存在ではなく、この地に伝わる民話に登場する人物である

 1980年代の旧・西有家町時代から地元の有志の人々が地域興しシンボルとして用い始めたとのことである。したがって、近年の日本各地における「ゆるキャラ」の乱立・流行とは無関係であるが、その流行が少しは追い風になったのかもしれない。今では、役場に像が設置されたり、地域特産品パッケージイラストがあしらわれるなど、みそ五郎は各方面活躍している様子である

 以前、日本テレビの番組TOKIOのザ!鉄腕!DASH!!』で、ソーラー発電パネルを搭載したカスタム軽自動車に乗り込み、日本全国の海岸線沿い道路を走破するという企画に挑戦していたことがある。その中で、TOKIO西有家町を通過した際には、番組VTRでも全国に紹介されたそうである。その番組を見た記憶が有るという人も、存在するかもしれない。

 みそ五郎は、山に住む巨人である

 味噌大好物とされる。里の者から味噌をもらえば、御返しに、巨体と怪力を活かして力仕事などを手伝ってくれたという。

 また、高岩山(たかいわさん)に腰掛け有明海で顔を洗ったとか、対岸の肥後(熊本)・天草まで一足で跳躍して有明海を越えて渡ったという巨体ぶりも語られる。

 住処とされた高岩山には、今でも、みそ五郎足跡を残していると言われる岩石が存在する。

 みそ五郎は、妖怪呼ばわりされている訳では無いが、水木しげる等の著した様々な妖怪関連書籍で紹介される山中妖怪マオトコや、日本各地に存在するダイダラボッチを筆頭とした巨人伝説との共通点類似点を持つ。

 ヤマオトコも、みそ五郎ダイダラボッチほどではないが巨人であり、酒が大好物とされ、人間から酒をもらえば返礼に杣人(そまびと)らの力仕事などを手伝ってくれるという、温和な妖怪である味噌と酒という違いはあるが、みそ五郎もヤマオトコも、共に発酵食品を好むとされる点が興味深い。

 海を一息に越えるとか一跨ぎにするとか、山に腰掛けて海で顔や手足を洗うというのは、これは巨人伝説においては、巨大さを表現するための常套手段である竹原春泉斎の挿絵で名高い『絵本百物語(桃山人夜話)』に登場する、讃岐の手洗い鬼が瀬戸内海を跨いで手を洗った話など、様々な類話が知られている。

 このように見ると、みそ五郎孤立した存在ではなく、日本各地で広く見られる、山中の温和な妖怪や、巨人妖怪系譜に連なることが分かる。

 みそ五郎に何らかの独自性を感じるとすれば、まずは彼の好物である味噌なのであろうが、むしろ私は、呼び名である「みそ五郎」そのものに興味をそそられた。

 何故「みそ『五郎』」なのだろうか? そう考えたのである。単に「味噌が好物の(大)男」というのであれば、別に「みそ太郎」でも「みそ彦」でも「みそ兵衛」でも構わないはずではないか

 みそ五郎が、有明海を飛び越えて肥後天草に向かったのに倣い、私も同じ九州の他県へと(想像の中で)跳躍してみることにする。そうすると直ぐに、南九州宮崎県鹿児島県に伝わる巨人大人五郎(おおひとやごろう)」の伝説を見出す。奇しくも「五郎」の名を持つことに、注目してもよいであろう。

 大人五郎伝説は、怪力で里人を助けてくれたり、山に腰掛けて海で顔を洗うといった、みそ五郎その他の巨人妖怪類似するものである。みそ五郎と異なる点としては、好物が明確でない点、特に山を根城としているとは明言されていない点、軽い悪さやイタズラをして里人を困らせるといったトリックスター的なエピソードを持つ点などが挙げられる。

 有明海を挟んで「五郎」の名を共有する巨人存在するのは、海を経由したにせよ陸地を経由したにせよ、島原半島南九州との間に、人的及び文化的交流があったことの名残であろう。

 他に「五郎」の名前関係する九州伝説民話といえば、これは巨人妖怪ではないものの、大分県に伝わる「炭焼小五郎(すみやきこごろう)」が思い浮かぶ。これは、豊後山中で炭焼の仕事をして暮らす善人の小五郎が、顔にアザの有る姫と結ばれ、最終的に金山の所有者となり、姫の顔のアザも消え、幸せな長者夫婦となるという筋書きである

 金に限らず、山で採掘された金属精錬プロセスには熔鉱炉が付き物であり、それには炭が不可欠である。炭焼小五郎伝説は、山での金属生産従事した、山の民の存在を我々現代人に伝えるものである

 みそ五郎、ヤマオトコも、炭焼小五郎のように山を生活仕事の場としていた山の民の姿を反映しているのであろう。味噌・酒など彼らの好物である発酵食品をもらった返礼に、力仕事を手伝うという物語は、山の民と下界の農耕民との交易を反映したものなのだろう。

 九州以外の地域も広く探せば、日本各地で更に「五郎」の名を持つ巨人妖怪伝説上の人物発見できる可能性はある。しかし、何故「五郎」なのかについての手掛かりは、今のところ無さそうである

 そこで、少し外に目を向けてみようと思う。中国書物聊斎志異』『獪園』『劇説』などに名の見える怪異に「五通(ごつう)」というものがある。

 これは、蘇州方面に横行したとされる、五人一組の好色財神である。夜毎、人間女性のもとへ通っては犯すという。言うことを聞けば人間に財貨を与えるが、逆らえば害をなすともいう。体格偉大とされ、別名として「五郎(ごろう)」とも呼ばれる。(参考:実吉達郎中国妖怪人物事典講談社)

 体格が大きく、名前が「五郎」という点に、我が国巨人妖怪五郎」との関係想像せずにはいられない。女性に手を出すところや、人間に害を与えもすれば福を齎しもするという両面性は、大人五郎人助けも悪戯もするトリックスター性に通じるところがある。

 今のところ、中国の「五通」が我が国の「五郎」の起源となった、或いは、影響を与えたという確証は無い。無いのだが、可能性は有ると思っている。有った方が面白いからであるとはいえ、もう少し調べるべきであろう。

 地方地域おこしを担う伝説上の妖怪人物が、もしかしたら、大陸との縁が有るのかもしれないという、そんな話であった。

2022-10-03

[]直接対決に敗れ、遂に18試合勝利で昇格プレーオフ圏転落…。チグハグ攻撃で2試合連続得点 相田監督申し訳無い」。前半だけで交代の鈴木潤は涙

明治安田生命J1オレオレFC0-1京都>◇第34節◇1日◇オレス

 オレオレFCは1日、ホーム京都サンガFCに敗れ、リーグ戦泥沼の18試合勝利残留争いの直接対決で痛恨の黒星を喫し、遂にプレーオフ圏内の18位に転落した。必勝を期した試合は前半23分に先制点を献上し、逆転出来ないまま2試合連続得点試合を終えた。自動降格圏の19位G大阪との勝ち点差も1に縮まりホーム3連戦最後となる次節は8日、鹿島アントラーズ戦。いよいよJ1残留黄色信号が灯った。

 【写真京都に敗れ、肩を落とすオレオレFCイレブン

 歓喜すらないまま、時間けが過ぎた。試合前の段階で17位と19位という、残留争いの直接対決ホームで必勝が求められた大一番は、最悪の結果に終わった。前半23分に先制された後、ロイブルイレブンは反撃に出るが、京都ハイプレスに苦しみ、最後まで決定的な場面は少なく、シュートは僅か4本のみ。今季最多の1万4950人を超える観衆の前で、2試合連続得点に終わり、勝利を見せることすらできず、18試合勝利となった。

 「これだけサポートしてくださったにも関わらず、このような結果で、大変申し訳ない思いです」。相田満監督試合後、悔しさをかみしめた。台風15号被災した静岡市出身MF鈴木潤は7試合ぶりに先発出場したが、気合いが空回りしたのか、攻守でミスを連発。前半23分の決勝点鈴木潤パスミスが起点となってしまった。「(鈴木潤は)空回りしたかな。だけど起用したのは私」と相田監督かばったが、結局、前半だけでピッチを退き、試合後は悔し涙を流した。

 だが、ハイプレス圧力をかけた京都に対し、オレオレ中途半端さが否めなかった。前半から吉田孤立。後半から長身FW佐藤を投入しても彼らを起点とした攻撃は皆無。終盤にかけてリシャルソンらを投入しても、攻撃の形はなく、終盤にパワープレーでようやく圧力をかけたが、ゴールネットを揺らせない。

 「(リーグ)前半戦にいい流れでなんか勝っていて、自分たちのサッカー確立できなかった」と山中言い訳の利かない敗戦で、言葉に力がない。京都チョウ・キジェ監督が「やってきたことが日々進歩している。どこが相手でも効くようになってきた」と手応えを語るのとは対照的だ。

 痛恨の敗戦。後半戦はJ1で唯一白星がなく、過去18試合以上未勝利残留したクラブはない。後半戦、残留争いの直接対決札幌清水福岡湘南G大阪磐田京都神戸と対して1勝も挙げられないまま(4分4敗)、現実的には厳しい状況になった。

 試合後、監督選手ゴール裏挨拶に向かうと、サポーターから大ブーイングを浴びた。客席から怒号が飛び交い、MF山本FW吉田サポーターと話し込む場面もあり、指揮官がなだめる様子が見られた。吉田は「申し訳無い気持ちです」とガックリ肩を落とすも「まだ4試合ある。このままガッカリして終わりたくない」と奮起を誓った。泣いても笑っても残り4試合。次節はホーム鹿島と対する。難敵相手だが、なりふり構わず残留をつかみにいく。

2022-10-01

山中メソッドって最強だよな

何か被害に合ったら、当事者ではなく関係するひとの中で最も影響が大きくなるやつを攻撃すれば、自分利益を最大化出来る

まり、今回はたまたま権力持ってた老人だけど、実際に殺して騒ぎになるのって女子供から

何か被害を受けたら、その関係の子供を狙えばもっと甚大な影響与えられるって、示したわけじゃん

もちろん、同じく周りの権力ある老人でもいいんだけどさ

やっぱり子供のほうがセンセーショナル

こんなメソッド示して結果だしたら、絶対模倣犯現れるだろう

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