はてなキーワード: 局面とは
性格が悪いので。
定期預金のようなものだと思ってはじめた積立が含み損になるのってストレスが大きいだろうな。
暴落もいいけど、天井から5年くらいかけて徐々に下落していくのが一番精神にくるかな。
最初は画面上の含み益を見て「やっぱりNISAをはじめて賢かったわ〜」ってニヤニヤしてたのが、だんだん含み益が減っていって、やがて含み損に変わるやつ。
含み損もはじめのうちは「安くなって含み損になってもドルコストで積み立ている賢い私」を信じて積み立てられるけど、下がって底が見えない時に無限にナンピンするのって、精神がやられるよね。
初心者で積立をはじめたばかりだと、儲かる実感も経験もないだろうし。
汗水垂らして働いて稼いだお金が減っていくの、含み損の金額を見ながら「投資しなければそのお金で美味しいものを食べたり旅行に行けたのにな」って思ってしまうだろうな。
それまでバカにしていた「貯金しかしない人」に見下されてしまうような気がするから、人にも相談しにくいし。
個別株だと、中には上がっている株もあったりして精神が落ち着くけど、オルカン一筋だとそれもないしね。
3年くらいで「間違っていたのかな?」って後悔し始めて、5年目くらいに精神的に耐えられなくなって底で売り払ってしまうのが一番いいかな。
面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。
https://petitcomic.com/news240208/
この文章が一読して耐え難いほどに醜悪な理由を書く。以下、上記URLの文章について「本テキスト」と呼称する。
本テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列からも本質ではないことが自明である「著作者人格権」の問題へミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館の責任を隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。
本テキストはそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。
前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館はドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。
順番に見る。
本テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。
ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。
要約するとこうなる。
「著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要な自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」
この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語を使用している以上、ここには明瞭な主張がある。
それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。
暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」と結論していることになる。
……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか。
彼女が本当に「ドラマに口を出してしまったこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動は関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権の行使)」は、12月時点で終わっていたのだから。
そんなわけねえだろ。馬鹿か。
ここには明らかに問題のすり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪な論理の欺瞞があるのだ。
明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。
一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキストに同意することができるだろう。
そんなやつ、どこにいんの?
誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。
にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか。
素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。「作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇の再現を食い止める」だ。
つまりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。
ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで「著作者人格権をめぐる認識」が事件の本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動は自殺に関係がないことになる。
ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。
なにが「事態を単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係と時系列を無視した、問題のミスリードだ。
そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質に問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。
ここには「事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。
そうするともう少し穿った見方をしたくなる。
つまり「本件を「著作者人格権の問題」にすり替える」ことが、本テキストの目的だったのではないか、ということだ。
この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかしもっとおぞましいのはこの先だ。
要約するとこうなる。
「ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館がドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本を修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである」
本テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。
正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。
芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?
(https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette)
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。
加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。
(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
これは芦原氏が「小学館と時系列に添って事実関係を確認し、文章の内容も小学館と確認して書かれた」文章だ。
原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき
馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。
その文章を確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本を修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本を修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?
ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。
そもそも「意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから「修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのか。ガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。
明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から、彼女は修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館の責任はないのか?
無論、担当編集者やメディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面の連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場の担当者たちを非難していい理由にはならない。
繰り返すが、現場の担当者個人の責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力したから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任を消滅させる理由にもならないのだ。
小学館に責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向をドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的にドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて、責任があるのだ。
にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題を矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。
それこそが本テキストが歴史的に気持ち悪い理由のひとつだろう。
書くまでもないことを最後に書く。
ここまで確認してきたように、本テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列からも本質ではないことが自明である「著作者人格権」の問題へミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館の責任を隠蔽すること」を目的としたものである。
その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。
この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない。
欺瞞と自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪なレトリックを駆使した挙句、そもそも本テキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック局編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているからだ。
本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。
小学館を悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題、TV局の体質的な問題、悪意を増幅させるSNSというシステムの問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。
それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避の編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。
騙されてはならない。
親愛なるちょまど氏へ
あなたの情熱と努力により、Xamarinは素晴らしい旅路を歩んできました。あなたのテクニカルエバンジェリストとしての活動は、開発者コミュニティに革新的なアイデアや熱意をもたらし、Xamarinが成功に導かれました。Xamarinのサポート終了は新たな時代の幕開けです。あなたの貢献が、この旅の終わりを祝う素晴らしい瞬間に繋がりました。
あなたの「Xamarinするならまず人脈」というスローガンは、技術だけでなく人との繋がりも重要だと私たちに気づかせてくれました。そして、「Xamarinはいいぞ!」との熱い言葉は、多くの開発者たちにとってインスピレーションとなりました。
私たちがXamarinのサポート終了という新たな局面に立ち会う今、あなたはその歴史の一編を締めくくる役割を果たしました。私たちはこれからも新たな冒険に向けて進んでいくことでしょう。その際にも、あなたの情熱と洞察力が輝きを放ち、新たな成功を築いていくことでしょう。
おめでとうございます!これからの未来もさらなる輝かしい瞬間で満ち溢れることを願っています。
心からのお祝いを込めて
チラリと視線を向けて見たら、父親が小学校に上がる前くらいの男の子への説教だった。
男の子は今日試合だったんだろうけど、どうやら重要な局面でパスミスをしてしまったようだ。それが原因で負けたみたいなんだが、父親が「お前はボールもらった時になんですぐにパスを出したんだ?」「フリーだったろ? 前に進め!」「キーパーが中途半端な位置にいるのに横パス出すバカがいるか?」「いつ何時もボールが来たらどう動くべきか考えてその準備をしておけ」「上手くなりなくないならサッカーやめろ」と畳み込んでる。
休日のワインが不味くなるので席を変えてもらおうかと思ってたところ、母親らしき女性が戻ってきた。さすがに子供への態度がひどいので、何かしら父親に釘を刺すかと思ったら、そんなことはなく男の子に「父ちゃんの話きいたか? 今日のプレイは酷かったよ」と言い放ったので、サッカー自体を嫌いになりそうになった。
●断絶
この一件の後も私とA子は連絡を取り合い、普通に友人としての付き合いを続けていた。
が、ある時にA子のTwitterは二週間ほど更新が途絶えた。何事かと思ってタイムラインを遡ると、A子の作品に直接誹謗中傷するユーザーがいた。
先にも話したが、A子はどちらかというと日常回の方が得意で、尚且つ登場人物も大量に動かすことは出来ない。にも拘らず、今A子が書いている作品はそこそこ壮大な世界観で、登場人物も話を重ねるごとにどんどん増えているような状態だった。
だから読者の母数が増えればその内、その短所をツッコんでくるアンチは現れるだろうな、と長年共同で作業した人間として思っていた。
A子は案の定憔悴している…かとおもいきや、意外と元気そうで「増田ちゃんとお出かけするの久しぶり~」と喜んでいる様子だった。
しかしTwitterでの一件のことはやはり気にしている様子で、フォロワーにも心配をかけていて申し訳ないとこぼす。
「私の悪い癖だとは思うのだけど、こういう問題が起きてしまったりすると全て自分に責任があるような気がしてしまって……」とA子が言ったその瞬間、私の中で何かが切れた。
私は豚玉焼きをザクザク切り分けながらこう言った。
「それって、何も反省してないヤツの考えだよ」と。
A子がハッと顔を上げたが、構わずに続ける。
正直なところ、「お前にだけはそれは言われる筋合いはねーよ」と思ったのではないですか。
A子は自分のせいにしてばかりで問題を根本的に解決しない。解決しようともしていない。
これまで私とトラブルになった時もA子は「私が全部悪い」とか言って、
喧嘩はともかく根本解決はそりゃ必要なんでしょうけど、一度ストレスをバーッとA子にぶちまけてそれをヨシヨシ聞いてもらったという恩義はいったいどこに行ったんでしょうか。
今度はあなたが傾聴してあげるべき局面ではなかったのではないですか。
正直A子にSNSをブロックされた時、私はそれなりにA子に我慢させたり嫌な思いをさせたのだからその報いを受けたのだと思った。
だけどA子は私をブロックして、それがバレた時に私が傷つかないと思わなかったの?人を傷付けるかもしれない選択をしたのに、自分の身にも同じかそれ以上のことが起こるかもしれないとか考えなかったの?
私に対してしたことの報いを受けないと思っていたの?だとしたらちょっともう少し考えた方がいい。
今回A子が巻き込まれたトラブルは起こるべくして起こったことだよ。
ざっくりと、こんな感じのことを話したと思う。
端的に言って「こいつ本当に恩知らずだな」と思われていたんだと思いますよ。
豚玉は真っ黒に焦げていた。
A子は暖色系の照明の部屋でも判別できるぐらい顔面が真っ白になりながら「なんでそんなこと言うの?」とだけぽつりとつぶやいた。
それに何と返したかは、覚えていない。
結論から言うと、A子は顔面真っ白なまま何も食べず、お腹痛くなったから先に帰るねと言ってお金を置いて先にもんじゃ焼き店を後にした。
私は真っ黒になった豚玉を一人で全部食べた。翌日無事にお腹を壊した。
その日を最後にA子からLINEは来なくなり、毎年のように来ていた年賀状もパッタリと来なくなった。
Twitterのアカウントも消えていたし、創作物を複数のサイトに投稿していたが、それらも全て非公開になっていた。
流石にこれには驚き慌ててLINEをしたが、既読だけがついて全く返事はなかった。
私はA子に筆を折らせたのだ。誹謗中傷するような厄介な読者がいてもSNSに浮上しなくなるだけで耐えていたA子に、私がトドメを刺してしまった。
もしかしたら名前を変えて活動している可能性もあるけれど、もう私側からインターネット上でA子の足跡を辿るのはほとんど不可能に近い。
あなたは本当に自意識過剰だと思います。自分が他人に与える影響を過大に見積もり過ぎです。
こんな事があったにも関わらず、A子は私のLINEをブロックはしていない。
連絡手段を絶たれていないということはまだ仲良くするつもりがあるのだろうか。
「リアル知り合いをブロックすることのリスク」とやらをあなたに叩き込まれたのでブロックしていないのではないですか。
どこで間違えたのだろう。
どうすればよかったのだろう。
戻れるとしたらどこからやり直せばいいんだろう。
ご自身が書いているとおり、A子が嫌がっているという事実よりも自分の好みを優先させたことが間違いなので、やり直すならそこからですよね。
もしこの長い記事を最後まで読んでくれたあなたに長年大事にしている友達がいてこの先も仲良くしたいと思っているのであれば、大事にする方法を見誤らないよう気を付けていただきたい。
頑張ってください。
この年齢で今からA子に変わる人に出会えるとはとても思えないが、この先誰かと友情を結ぶチャンスがもう一度私に訪れたら、その時は間違えないようにしたい。
最後のこの結論を言い換えると「A子の代わりが欲しいな~」なので、あなたがA子に対して本当に申し訳ないと思っていないことがよく伝わってきます。
まずあなたがすべきことは本当に自省することではないでしょうか。
https://twitter.com/Cedrus21/status/1750053519602888745
この一件を受け、(マイノリティのアクションを受け)社会包摂がおこなわれるとき、より脆弱な存在がさらなる外縁化に晒される危険性を孕んでしまうクィア・ポリティクスの葛藤を記した清水晶子の『埋没した棘』を読み直した。
「うひょ~!そんなにハードル高いの?
あたしとか、チンコまたにはさんで『ちーっす』とかいって、女風呂はいってんのやけど、意識が低すぎ?
あと、急いでるときのトイレは男。立ちションの方が楽やからね。
なんか、そういうジグザグなジェンダーをXって使ってる。」
を盛大に擁護した『埋没した棘』をいまさら持ち出すとは恐れ入るなあ
さすがトランスアライやわ
https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16816927862806413606
本当に生きるか死ぬかの局面なら緊急避難として許されるだろう。
というと、略奪とは見なさないというだけでやっぱり一義的には壊したやつが払う義務があるんじゃなかろうか。
刑事責任は免責だが、取った分は払えと。
本当にその二つの言葉が等価、もしくは比較に足るものだと思っているなら、
俺は心底がっかりするよ
「正気を失っている」ってのは、どちらかというと心配も含んだ言葉なんだよ
おまえは本当に錯乱している
呼吸を整えて落ち着いてもう一度読み返せば話題に復帰できるかもしれない
対するおまえは「発狂している」だ
話が通じてないなと思っていたけどな
俺はお前に最低限の敬意を払ってきたつもりだ
おまえは、ここまでお前の相手をしていることに対する敬意がまったくないよな?
だからもう、お前の話には付き合わず、からかうことに専念するって言ったんだよ
呆れて諦めたんだよ
そうやってADHDは見放される
俺はお前を見放しただけで、一連の会話にとする新局面があらわれたわけでもないんでもない
なぜなら、お前は俺の質問にそもそも答えずに5回以上逃げているからだ
話にならないんだよ
楽屋では誰も失敗した奴を責めず謝る必要はないと言い、三山ひろしやDJKOOは直接優しい言葉をかけて励ましてくれたけど
謝罪の際にはYouTubeでいつも一緒にけん玉をやっている友達も付き合ってくれた
っていう記事が上がってイイハナシナンダナーと思ったけど
勝手に「集団で白い目で見られた」「無理やり土下座させられた」「いじめられた」「友達がいなくて誰も庇ってくれなかった」と脳内変換して自分のいじめ体験ぼっち体験と重ねて発狂して他の参加者叩いてる奴多すぎで草
見出ししか読まなかったり雑は決めつけはいつものことだけど最近それが本当に酷くなってるというかあまりにも調べなさすぎる
ちょっと前まではちゃんと読めよ文盲wソースをちゃんと確かめたのか?wってバカにしてたはずの層がソースを見ない側に回るようになったというか
いじめられて弱者男性/弱者女性になったとか発達障害があるとか何かしら被害者的な立場であることは本当なんだろうけど被害者意識だけ増大しすぎてひどいことになってる
ちなみに自分は「あっ失敗した!!失敗したせいで負けた!!」みたいな局面が辛いからスポーツ全般見れない
「もう世界は成長しなくていいよ」って言うのは、タワマンに住んで余命短い上野千鶴子あたりぐらいで、世界にはもっと豊かになりたい、楽をしたい、そのために稼ぎたい人であふれてる。なんか凄い経済制度が発見されてそれでそのことが実現されるなら、みんな飛びつくだろうけど、そうはなっていないし、本格的にその制度が中心になるにはもっと時間が必要。抵抗も強いだろうから、その戦いが「革命」ってあとから表現されるだろう。
だから当面何十年かは資本制が世界の中心にあるし、日本が落ち込もうがアメリがが落ち込もうが世界の富は資本制を通じて増えて行く。その「資本制のもと全体として増えて行く富を平均して享受しよう」というのがオルカンなのでな。資本制である以上景気変動や生産設備の過剰なんかを受容しなきゃならない。だから「儲かる」とは断言できないし下落局面に耐えななきゃならない。短期的に稼ぐ連中やマスコミ・野党にゃ格好の叩く材料にしかならん。でも「人間がもっと豊かで楽したい」欲望がある限りこれが唯一のメソッドと思うぞ。
渡辺九段が「天彦さんや豊島さんは、(最前線の)研究合戦から降りた(12:48-)」と表現していたのが印象深かった。
しかし、「降りた」というのはネガティブな表現だけど、実際のところ、将棋は自由なゲームであって、相手に勝てるんなら当然何をやったっていいわけだよ。勝つために降りたんだと言ってもいい。
極端な話、藤井竜王名人が勉強時間の8割を序盤研究に充てていたとしたら、豊島九段が同じ8割を研究に充てても、差は縮まらないし、パソコンのスペックや研究効率でむしろ差は広がってしまうかもしれない。でも、研究が役に立たない力戦に持ち込めば、別のところで勝負ができる。だったら、研究以外のことに勉強時間を割いたほうが、結局は「地力が強くなって」勝ちやすい。プロ棋士レベルで地力が伸びる余地があるかは配信でも疑問が投げかけられていたけど(1:25:20-)、序盤研究も実戦対局も詰将棋も、将棋に関わる時間なら勝率にいくらかでも貢献するはずだ。そういう勝負環境のバランスがありうるし、実際にいまそれが起きている。
やがてそういう理由で仮に最前線が角換わりから振り飛車に移ってきたら、今度は振り飛車がAI研究で焼き尽くされるかもしれない。けど、幸いにして将棋はめちゃくちゃ広大なので、そもそも角換わりだってAIレベルでは焼き尽くしの途中だし、居飛車にも振り飛車にも枝葉に分かれた戦型は山ほどある。そして何より、AIがすべてを焼き尽くしても最終的には「人間にはすべてを覚えきれない」という絶対的な砦が残されている。
もちろん、もう一方には、増田康宏七段のように「相手の研究の隙を突いたり出し抜いたり、自分だけがもっと研究している局面に持ち込む」という方法で立ち向かう人もいる。
その局面をちょっと見て感じたこと。特に、局面を見て最初に感じた形勢や思い付いた手を言う場合に「深く読んでいないから間違っているかもしれないけど」という意味合いを持たせるために使われることが多い。「一目」と同様の使い方、及び、意味合いになる。
この「深く読んでいないから間違っているかもしれないけど」というニュアンスがとても便利に感じる
あと、これは自分が勝手に思っていることだが「直感」ではなく「第一感」と言うことで、「あとで深く調べたり考えたりしますよ」というニュアンスを含ませることが出来る気がしている
将棋は早指しじゃない限り第一感の後に熟考するはずなので、「第一感」と言うときそういうニュアンスが相手に伝わることも期待してしまう
まあ自分が勝手に思っているだけなので、「直感」と完全に同義として伝わっていても不満はない
ああ、不満があるとすれば「だいいっかん」とタイプして変換しようとしても一発で「第一感」と変換できないこと
という日記