はてなキーワード: 少年野球とは
野球を見るのは面白いと思うんだけど、このスポーツってやってる人も面白いんだろうか? わりと真面目に気になっている。
たぶん面白いから、少年野球も高校野球もおとなの草野球も盛んなんだろうけど、見てる分には楽しさがイメージしにくい。
サッカーとかバスケとかテニスとかバレーボールとか、点が入ったら気持ちいいだろうし、うまくディフェンスが防ぐのも気持ちいいだろうな。
野球だって、ホームランを打ったり三振を取ったりしたら気持ちいいだろう。盗塁が決まったりスライディングでセーフになったりしたら面白いのかもしれない。
でも、野球って、自分が仕事をしてない時間がけっこう長い。ピッチャーとキャッチャー以外は、ほとんどの時間は待機だ。打順が回ってきても犠牲フライとか送りバントとかの役回りかもしれない。ピッチャーが三振とりまくって外野の守備は暇かもしれない。そういうのって楽しいのかなあと、素朴に気になる。
「自分が活躍できなくても、チームが勝ったらすごく嬉しい」みたいな感覚もあると思うんだけど、それにしても、こんなに子供から大人まで競技人口がたくさんいる状況には合ってない感じがするんだよなあ。
昔は少年野球でもやじを飛ばさせてたけど、今でもやってるの?
104年振りと言うけれど、ベーブ・ルースの頃とは時代が違いすぎる。
役割が分類化され高度化してきた近代ベースボールで、二刀流はまさに驚異。しかも、どちらもトップレベルの実力を持つ選手は、先にも後にも大谷以外に現れないもしれない。
だとしたら、勝数とかホームラン数といった表面的な成績よりも、長く二刀流を続けられること、むしろ、優勝争いを続けなければならないといったチームの事情で二刀流を続けられなくなることの方を心配すべきだと思う。
投げて、打って、走って•••少年野球なら当たり前の野球の本来の楽しみを思い出させてくれた大谷には、出来るだけ長く二刀流を続けて欲しい。
長嶋ではないが、記録より記憶に残る選手、それが大谷の魅力だ。https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/16590707917744.ddff.09743
散歩していると学校のグラウンドで小学生くらいの少年野球チームが練習をしていたんだけど、指導者らしきオッサンがいきなり激昂して女子メンバーの横腹を蹴飛ばして、張り倒していた。
関係者と思しきおばちゃんが『やめてください』前に出て、怒鳴り散らすオッサンの間に別の指導者のオッサンが割り込んで止めたりとかなり混沌の様相。
張り倒された女子は泥だらけであちこちすりむいて手当をされていた。
おばちゃんに『令和なのにいまだにあんな指導しているか?』ときいたら、『あの子のお父さんなんで・・・』と言って濁していた。
いやいや、そうじゃないだろと。
副業: ソフトウェアエンジニアでUSテック企業でフルリモート週10~20時間(休日含むので平日は毎日1~2時間くらい)
副業の方は確定申告に備えて個人事業として開業届を出して起業。
起業はいつかできたらいいなと思ってたが、仕事が先に来て起業が後に来るとは思っていなかった。
仕事が無いのに起業して、起業してから具体的に何をするか考えるって、それってネットの起業熱にあてられてる気がする。
でも実際有名ベンチャー立ち上げた人とか「仕事もないのに起業したから最初の数年は本当に苦しかった」って書いてる人ちょくちょく見るけど、
本当のところはどうなんだと思う。
起業して食っていけそうだと思ったからサラリーマン辞めて起業してるんだよね?
実際は小さめかもしれないけどちょくちょく知り合いや昔の客から仕事貰ってたんだよね?つまり先に仕事があったんだよね?
だから起業して何やるか全くアイデア無いのにとりあえず起業だけしてる人って結局何もできずに終わってる気がするんだけどどうだろう
・コンサルやエンジニア企業ではない民間の一般事業会社。ソフトウェア開発でメシ食ってる会社ではない。
・正業はジョブ型じゃなく年功序列型のメンバーシップ型な会社。
→ジョブ型にしてポジション別採用すりゃいいのにといつも思っているが、総合職採用を継続している。総合職採用とメンバーシップ型は一体の関係なんだろうね。
ジョブ型に移行するなら年功序列終身雇用のメンバーシップ型は必然的にストップすることになるが、今現在40代以上の人が突然ジョブ型に転換しろといってできるわけがなく、
おそらく少なくともあと10年20年はメンバーシップ型でやっていく模様。とはいえ中途採用者数が新卒採用を上回る年が増えつつある。。
これって実質新卒一括採用が終わり始めてるってことだよね。そもそも新卒の学生数が減りすぎてて新卒を採用する方が中途採用よりも厳しいのが現実だろうけど。
・ちなみに副業始める前に人事に副業していいか確認した。確認したが、競業してる会社の副業じゃない限り会社から副業をするなとは言えないらしい。
→そりゃそうだよね。世の中土日に少年野球のコーチとか審判やって謝礼貰ってるパパとか結構な数いるとは思うけど、
会社が「謝礼貰って少年野球のコーチやるのは副業禁止規定に反する!」なんて言えるわけもないし。
→とはいえ公務員だと謝礼を伴う少年野球コーチや審判、ピアノ指導、ダンス指導、Youtuber、全部一律ダメなんだよね?そりゃ東大卒の官僚志望者数が激減するわけだ。
正直官僚志望の学生が減ってるのは公務員の厳しすぎる副業禁止規定がかなりでかいと思う。人生の機会損失があまりにも大きすぎる。。
・副業でジョブ型でリスク取りに行って、正業でメンバーシップ型でリスクを相殺してセーフティーネットを確保する、このやり方だと生活が安定しかつ多額の報酬も狙えてかつリスクも低い働き方を実現できる。
→犠牲になるのは遊ぶ時間だが、好きでやってる仕事で天職だと思ってるので、遊び時間や飲み会の時間を削っても個人的には人生の損失を一切感じない。ここらへんの価値観は人によるだろうね。
副業やって収入増やすより俺は飲み会で会社の人たちとワイワイやりたいんだ、という価値観の人が無理に好きなことする時間削って副業する必要は一切無いと思う。
・副業の方はやってること自体はゴリゴリのソフトウェア開発なんだけど、向こうの会社のタイトル的にはITコンサル的な扱いになってて助言や技術サポートをしていることになってる。
→なので勤務時間は決まってはいないけど、USタイムゾーンに合わせるために朝4時に起きて正業の勤務開始前にリモート会議出たり逆に深夜2時まで起きてチャットで対応したり柔軟に対応してる
・現時点で副業は直接雇用関係ではなく外部コンサル扱いなため副業側に健康保険や厚生年金は一切かからない。実収入に対する社会保険負担率が激減していることを実感している。
・個人事業主として技術コンサル報酬を売上として記録しているが、サービス消費地がアメリカであるため日本の消費税が一切かからない。
→つまり自動車の輸出みたいな形になっている。まてよ、だとしたら仕事のために買ったパソコンや検証用のスマホ、タブレットの消費税は還付されるのかこれ?
・フルリモート副業でUSの会社で働く経験してみて思うが、ここ数年の海外フルリモートワーク関係のシリコンバレーベンチャーの進化が凄まじい。
→海外リモートエンジニアへの報酬の振込サービスとか、経費処理サービス、電子契約管理のサービス(電子印鑑・電子署名)とか、ストックオプションの管理サービスとか、多分2,3年後には
・あり得ないほど高騰してるアメリカ人ソフトウェアエンジニアの報酬に比べ、日本人エンジニアは向こうからしたらあり得ないくらい採用コストが低い。
・例えば30代のそこそこスキルある中堅エンジニアが年収600万円で働いてると言ったらアメリカ人は絶句する。
・英語に抵抗が無い日本人ソフトウェアエンジニアをアメリカ企業がリモート勤務で採用するケースは今後数年爆発的に増えると思う。
・USテック企業とはいっても、エンジニアだけを採用しているわけではなく、広報(コーポレートコミュニケーションと良く言う)、営業、HR、総務、コーポレートコントローラーのジョブも募集していることが多い。
→なので、プログラミング能力が無くても英語さえできればUSテック企業で日本人からしたら大金と思える給料のジョブを得ることは可能。
・自民党はWeb3で国を興す!と言っているが、それをさらに発展させてIT技術を海外輸出しやすい国にする政策を推進してほしい。
ドルは稼げるしソフトウェアエンジニアは経費がほぼ掛からないので所得税もがっぽり取れるし(泣)、日本人ITエンジニアは別に海外エンジニアと比較して
英語以外の面で特段劣っているとは思わないので、自分のように海外フルリモート副業する人が増えれば税収も増えるし外貨も獲得できて国にとってもプラスしかないはず。
・上でも書いたけどソフトウェアエンジニアは仕入れが無いんだぜ?つまり円安になって円建ての仕入れ価格が上がっても関係なく売上(≒ほぼ利益)が円安分だけそのまんま増えていく。
→なので行き過ぎた円安を防ぐビルトインスタビライザーとして機能するのでは?
ここでイキって増田に書いちゃうあたり、ここが最高潮で、これがあと何年持つかわからないスタイルの人だなと予測してしまうクセがついてる……頑張って欲しいんですよ一応
これはとても良いコメント。実は本人も全く同じことを考えていた。
(以下、後から読み返したら恥ずかしくなることが確実なので時間がたったら削除する予定)
本業で年収1000万円を超えた時は特に自慢したいと思うことは無かったが、ソフトウェアエンジニア界隈ではそこまでレアでもない副業をちょっとかじっただけで気持ちがとても浮ついている。
本来なら匿名日記を書く時間で勉強をしたいのに、あたかも自分は「達成した人間なんだ」という浮ついた気持ちに支配されてしまい下らない匿名日記を一生懸命書くことに人生を消費してしまっている。
これはつまり、今以上の良い立場、状態を目指す情熱に欠けた状態、つまりここまでが自分の器なんだなということなのかもしれないと思い始めている。
それまでもいくつかの競争や達成を経験してきたが、それでもまだやることがある、自分はより良い人生を目指せるはずだと寡黙に思い続けて今まで頑張ってきたはずだった。
しかしここから先の道は正直自分の器以上の立場・待遇を得るための試練になるだろうと思っている。
ここから先が自分にとって人生における人的資本の等価交換ではなく「本質的な利益」を得るための闘いになるものと覚悟している。
一人の人間に与えられた寿命、若さ、頭脳、容姿、身体能力、体力、気力、家族、地域、環境、運など、あらゆる人的資本を効率的に「等価交換」していった結果、それが時間とともに金銭的財産だったり親友の多さなどの人的財産だったり学術的な発見等の知的財産だったりと何らかの外から得た資産に結果的に交換されていく。つまり大富豪になったり芸能人になったり成功したセレブリティというのは、効率的な等価交換を繰り返していった挙句の一つの結果に過ぎないと考えている。
例えば、親の遺産10億円を手に入れた人間は、親の死と10億円を等価交換している。つまり、ここに本質的な利益は存在しない。利益はゼロだ。世襲の政治家が親の地盤を引き継いで2世政治家として地元から出馬し議席を親と交換することも、本質的な利益はゼロだ。東大理三に元々合格できる頭脳の人間が理三に合格した、これも等価交換に近く利益を得ているとはいいがたい。
しかし、例えば本来10億円という金額の財産を得るはずのない人間がその財産を得た場合はどうだ。理三に合格するはずのない人間が合格した場合は?等価交換によっては得られない立場・状態を得ること、これこそが「本質的な利益」ではないだろうか。
だとすれば今の自分もようやく「本質的な利益」を追求できる立場まで来たと言えるのではないか。ここからが自分の人生における真の利益を得られるかどうかの分水嶺かもしれない。
目でとらえられないから
少年野球とかで「ボールをよく見ろ」って指導してるけど、間違いらしいね。
https://anond.hatelabo.jp/20220522134825
小学校で特にルールの説明もなにもなく、チーム組んで野球やりなさいという体育教師からの指示。
野球に興味のない当時の俺にとって「ボール投げて、バットでボール打って、打てたら塁に進んで、一周したら点とれる」くらいの知識しかないので(今でも大して変わらない)、
打ったボールが野手にキャッチされるとアウトになるなんて知らず(知ってる人からすれば「常識」なんだろうけど、野球自体に興味ない小学生なんだから知らねえよ!)
先に運よくヒットを打って塁にいた俺は次のバッターが打ったのを見て走り、野手にダイレクトキャッチされたので戻らないといけない(んだよね?今でもよくわからん)ところ、そのまま次の塁まで走り、なぜか野手が1塁にボール投げたあと2塁に投げてこないのでそのまま次の塁に走り続け(それができるのは知ってた)、ベースまで走り得意げにランニングホームランを果たしたのだった。
仲間からの称賛を期待して皆のいるところを見た俺に向けられてたのは、怒りと呆れの混じった表情と「○○、何やってんだ!」という罵声であった。
その後、相手も小学生なので「なんでアウトになったのに1塁に戻らず進んでるんだよ!~~~なんだよ!」とよくわからない説明を早口で言われ、何かいけないことをやってしまったのはわかったが何がだめなのかは理解できないままで、その後も「何か野球には俺の知らないルールがいろいろあるようだ」とビクビク戸惑って、塁に出ないようにあえて空振りして終わらせたのだった。
なんで体育の球技、座学の説明なしでいきなりやらせるんだろうね。
みな俺と同じレベルの幼稚園児なみの知識なら「打って、走って」だけで楽しめただろうけど、俺みたいな興味無し子供と、少年野球やってて知識はプロ同等にある子供が一緒にやって成り立つわけねーじゃん。
あれから高校に至るまで、根本的な球技センスのなさ(運痴)もありずーっと体育の授業の集団競技が嫌で嫌で苦しんできた。体を動かすの自体は嫌いでなかったのでマラソンや短距離走なら「今日の体育は当たりだ」と嬉しかったが、中高では体育全体が嫌いになってきた。
高校卒業して大学に入って一番うれしかったのが「もう体育の授業がない!」だったし、就職するとき一番心配だったのが「職場対抗○○大会がないか心配だなぁ」だったくらいだ。
学校の体育の授業がなければこれほど運動嫌いにならず、今もっと体を動かしてただろうなぁと思う。
体育嫌いのきっかけになった小学校の野球の一件は40歳になった今でも人生10本指に入る嫌な思い出として残ってて、ホームベースの俺に向けられた友達たちの怒りと呆れの混じった表情はいまでも焼き付いてる。
今の体育の授業は改善されてるんだろうか?
度々ニュースで取り上げられるけど男女関係なく当の野球ファンが女子野球をそこまで評価してないのが辛いな
女子野球はトップでも少年野球レベルなのが本当ならばプロ観戦料を支払うことへ野球ファンが躊躇してしまうのは理解できてしまうね
ずっと野球人生を歩んできていて今は指導者だ。
近年の日本ではちょくちょく女子野球が注目されるけれども男子野球並みの人気を獲得しているのか?と言われれば決してそうではないと万人が認めるところだろう。
日本は野球という競技人気は高いが、なぜ男子野球と比較して女子野球の盛り上がりに欠けるか?という疑問へ寄せる回答の1つとして「日本は野球という競技人気は高いから」だと言える。
つまり競技人口やファン人口が多く野球嗜好人の目が肥えているのだ。
野球嗜好人の目が肥えているからこそ男子野球と比較して「女子野球は遅い」という評価を下してしまう。
投球スピードにしても、スイングスピードにしても、走塁スピードにしても、守備(フィールディング)スピードにしても女子野球は遅いと言わざる得ない。
目の肥えた野球嗜好人が女子野球を観戦していて届くと思ったプレイが全く届かない。女子野球はそういうプレイが本当に散見するのだ。
それは観戦者が男であれ女であれ野球趣味が濃ければ濃いほど女子野球の遅さは気分を盛り下げてしまうだろう。
野球という競技の性質上、サッカーやバレーボールのように全選手が常に動き回るということもなく様々なシチュエーションでただただ遅い野球を観戦し続けるのは正直キツイ。
女子野球のトップレベルのパフォーマンスがどれくらいなのかしっているだろうか?
平均して高校男子硬式野球地方大会予選1回戦2回戦レベルだ。中学男子軟式野球全国大会(中体連)レベルと置き換えても良い。
野球のトップレベルのパフォーマンスを観に行っているのに見せられるのは少年野球パフォーマンスなんだ。
実はこのパフォーマンスの低さをどうにかするという試みは既にある。
野球という競技のフィールドやルールを縮小化する、つまりはソフトボールだ。
ソフトボールで女子が注目されたのは男も女もみんな解ってたのだと思う。野球という競技は女子にとって広すぎることを。
それでも野球をやりたいんだという女子は居るだろう、野球人生を歩みたいんだという女子は絶対に居るはずだ。
その想いを汚すヤツが居るなら俺は「ごちゃごちゃうるせぇ下手くそ!野球でケリつけようぜ!」とやるくらいには賛同したい。
しかしそれが女子野球の経済的独立を果たすのとは別問題だ。
女子野球が遅くてパフォーマンス低く、野球を観戦しようという目が肥えた野球嗜好人を満足させにくいという事実は否定できない。
女子野球はどうにかして野球嗜好人を満足させられる女子野球ならではを発見しなくてはならない。
そうしなければ女子野球は決して女子野球選手の夢を叶えられないだろう。
悔しいが今のままではそうなのだ。
お寺の境内で花見。子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある。山桜は葉が出始めで、花はまだたった。
去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。
お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。
境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。
ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。
両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。
ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街に引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。
あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉が路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者が下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社に押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初で最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わず、しかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭りは廃止になった。
運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元の少年野球チームやサッカーチームが練習試合をしにやって来るからだ。
広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場と野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。
ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場がしっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。
コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンドを団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球やサッカーチームの侵入を禁止します。練習やウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。
桜の木の下を通ると、ヒヨドリが金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。
公園の事務所とラウンジから死角となる場所の桜の木の下で、お爺さん達のグループが酒盛りをしていた。
毎年花見に来るスポット。子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。
昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームやデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りがいるかどうかは知らない。
家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。
満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅を手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島桜なのだ。つまり、挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。
たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園の植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。
プロ野球というかスポーツ全般を自分は見ないんだけれども、子供のころの思い出がそのまま大人になっても引きづっている。それは2つの経験からきている。1つ目が少年野球。2つ目がプロ野球の番組延長だ。
1つ目の少年野球だが、自分の地元では小学生は少年野球に入るのは当然みたいな空気があった。運動神経がよくない自分はなんとなく入りたくないなと思いながら、見学にいった。すると少年野球の監督(地元のおじさんだが)が怒鳴りながら指導をしているのを見た。休みの日に怒鳴られながら野球をするなんて絶対に嫌だと思い、結局入らなかった(入ってたらミスしまくりで怒られていただろう)。ところが小学校では入っている人のほうが圧倒的に多いので「何で少年野球入んないんだよ」みたいなフォローを定期的に同級生や上の学年の人から受ける。そのたびに適当なことをいって入らない。これが続いて野球というもの自体が嫌いになってしまった。ちなみに自分が小学生のときはミニ四駆ブーム(爆走兄弟レッツ&ゴー!! )が来ていて、少年野球に入っていない数少ないやつらで遊んだのは最高に楽しかったのを覚えている。
もう1つあって、それはプロ野球が延長になって見たかった番組が潰されることだ。具体的に覚えているのはドラゴンボールが見れなかったときだ(それぐらいショックだったのだろう)。録画すればいいじゃんと今の人は思うかもしれない。しかし、当時は今みたいに録画追跡機能もなく時間をぴったり決めてビデオテープで録画をしていた。だからビデオテープを再生したら中途半端に野球中継が入っていることになる。もうその番組を見ることはほぼ不可能だ。運がよくても途中までが録画されていて、中途半端なところでビデオが終わる。
他の人はどうなのかよくわからないけれども、小学生のころにミニ四駆ブームだった世代で似たような経験を持っている人はいるのではないだろうか。