はてなキーワード: 小間使いとは
「紙コップ、どこにあるん」
まだ絶食期間中で、手術当日に看護師から持ちこんだ食べ物を持って帰るように言われた。
それと一緒に紙コップを持って帰ってきていた。
「はよう持ってこいや」
鋭くイラついた声。
痛みが引かず、慣れない環境。
「体を拭くシートを持ってきて」
面会時、言われた物を渡す。
「水もってこいって言わんかったか?」
メールにそんなことは書いてなかったけど。
「昨日言っただろうが」
言ったっけ?
「はぁ……(ため息)、財布は?」
それも言ってないよね。
「お前、ホンマに使えんな」
あ?
ちょっとこれには腹が立った。
そのあとも水買ってこい、テレビカード買ってこい、と用事を済ませる。
他に持って帰る物はないかと尋ねると「ない」と返されたのでそのまま帰る。
ふだん会話らしい会話もあまりしない。
話したいこともないので帰宅する。
「洗濯物を取りに来てくれる?」
1時間後。
「洗剤持ってきて」
1時間後。
完全に小間使いにされている。
何かあったときのためにと、忙しい職場でありながら融通つけてもらって、長期間の有休を習得させてもらっている。
上司は心配してくれているし、同僚は「しっかりお父さんを看てあげてね」と優しい言葉をかけてくれた。
父に対して良い思い出はない。
中学生の頃は突然怒鳴られることにいつもおびえ、目をあわせることもできず、話しかけられまいと気配を消していた。
高校生になると、知らぬ間に私室を片付けられ、整理されて、子どもにプライバシーはないのだと実感した。
昔に比べていきなり怒り出すことは少なくなった。
そうそう怒鳴ることもない。
おかげで今では目を見て話せるし、主張できるようになってきた。
「明日面会するときに持っていくから。必要な物をリストアップしておいてください」
もしも容態が急変して、なにかが起きたときのために、いつでも連絡を取れるように。
「お前、ホンマに使えんな」
もういいや。
絶食が終わるまで面会には行きません。
そうメールした。
返事はない。
「あんたのお父さんがね、ガンガン怒って電話をかけてきたんよ」
それで?
「そんなに言ったらいけんよ、って返したら突然切られてね」
「それでね、ちょっとあなたとも話をしたいなって。お父さんのことどう思ってるのか、気持ちを聞きたいのよ」
「もう、そういう強情なところ。あなたもお父さんに似てるわよ」
そうだね。
でも怒鳴ることはしないけどね。
母が死んで、誰も怒りを受け止める者がいなくなったから、母方の祖母に文句を言いにわざわざ電話したのだろう。
父はどこまで甘え続けるのだろうか。
私はもう付き合いきれない。
生前の母もそうやってきた。
ボドゲ勢ってまともに人と付き合える奴少なくね?って話ね。先に結論書くけど
一時期ボドゲにハマってたのよ。自分で買うのもあったけど基本はボドゲカフェね。当たり前だが主に挨拶するんだよ、経営者じゃないよ。ヘビーユーザーの客ね。ニートとかじゃなくて大して働かなくても普通以上に稼げちゃってる人だった
で、類友でそこは意識高い奴らが日頃の疲れ(そんなのあるのか?)を癒やす意識高いボドゲカフェだったので合間の会話は意識高いし普通の人の自分は修造並みに煽られるか悪意のない憐憫の情を持たれるかのどっちかだった。よく聞くと努力よりスタート地点が違ってたみたいだけど当人たちは気づいてないのね。平成のマリー・アントワネットか
居心地悪くなって別のボドゲカフェに移動。最近はホント増えたよね。そっちにも主は居る。そっちは意識は高くないけどプライドが高いやべぇ奴。ついに見つけた自分のオアシスを決して手放したくなくて必至。そしてゲーム以外の意思疎通が心配なくらい不得意。こちらは主とその盛り上げ役という最初とは逆ベクトルの地獄だったし、新人は道化や小間使いになるしかなかった
その後もいくつか回るんだけど、上記のどっちかしかなかった。もちろん都心には初回の客にも優しく接し、ヘビーは数人居るけど基本は週1~2くらいのライトな客ばかりの店もあるんだろうけど、都心から離れた場所の自分には難しかった。通勤で都心にも出ないし
まぁ、何が言いたいかって言うと夢見てボドゲに手を出すとろくなこと無いから、まずは内輪で遊ぼうぜ。友達居ないならカフェとか行けばいいけど、吟味は重要。それくらいヤバい奴多いよ
父が嫌いだ。
私が用事があって風呂を洗えず、温かいお湯が浴槽にはっていないとキレ散らかす父が嫌いだ。
私が苦手なものをうっかり食べてしまい、いかにも不味そうな顔をしているとそういう顔するなら何も食べるなとキレ散らかす父が嫌いだ。
22にもなる娘の部屋にノックもせず入ってくる父が嫌いだ。
少しでも口答えしたりすると学費のことや食費のことなどお金をチラつかせてくるのが嫌いだ。
車を運転している時に前の車が遅いとすぐにイラついて、追い抜かしてめちゃくちゃスピードを出す父が嫌いだ。
渋滞にはまったりすると声を荒らげて数十分文句を言い続ける父が嫌いだ。
就活のことを何も知らないのに色々口出ししてくる父が嫌いだ。
すぐに「お前がそんなことできるはずない」と否定してくる父が嫌いだ。
私が一人暮らししたいと言うとお前は無理絶対できない俺がいるから生きていけてるのにと人格否定までしてくる父が嫌いだ。
イラつくポイントがどこにあるのかわからない全身地雷原な父が嫌いだ。
くちゃくちゃ音を出してご飯を食べる父が嫌いだ。
私の部屋に入って臭い、片付けろ、とか文句を言うくせに自分の部屋はタバコの匂いが染み付いてめちゃくちゃ臭いし服がその辺に散乱していてゴミ屋敷みたいになってる父が嫌いだ。
そのくせ自分の部屋は片付いてる、俺はいつも清潔、お前も見習えと言ってくる父が嫌いだ。
私の部屋に入ってきてお構い無しにオナラして帰っていく父が嫌いだ。
酒を毎日大量に飲む父が嫌いだ。
ビールを常に冷やしてないとキレ散らかす父が嫌いだ。
ご飯を食べ出すと一切席から立たなくなって、私を小間使いみたいに扱う父が嫌いだ。
階段や狭い廊下に自分の荷物をおもむろに置いておくくせに、私や母がちょっとものを置いておくと邪魔だとキレ散らかす父が嫌いだ。
動物の扱いが雑な父が嫌いだ。
自分は靴を脱ぎ散らかしてある癖に、私が靴を片付けないでおくと文句を言う父が嫌いだ。
俺は周りより優れていると絶対的に思っている父が嫌いだ。
テレビのアナウンサーやタレントに「こんな年寄りの女を使うな、ブスは見たくない」とすぐ言い出す父が嫌いだ。
レストランやら食堂やらで普通の声量で「ここの料理はまずい」とか「店員の態度が悪い」とか言い出して、やめてほしいと言うと「聞こえないように言ってるんだからいいだろ」と怒鳴る父が嫌いだ。
デリカシーのない父が嫌いだ。
お前は就活を9月からはじめていれば成功した、と謎の理論を展開する父が嫌いだ。
私が入社予定の企業を事細かに調べてはネットの評判やら悪評やらをいちいちにやにやしながら報告しにくる父が嫌いだ。
自分の頼んだ宅配を家族が受け取っていないとキレ散らかす父が嫌いだ。
私が朝寝ぼけて父の言葉に上手く反応できないとキレ散らかして一日口をきかない父が嫌いだ。
窓を開けているのに大声で怒鳴ったり笑ったりする父が嫌いだ。
昨日の夕飯の残りを絶対に食べない父が嫌いだ。
そんなもん捨てちまえ、とすぐに言う父が嫌いだ。
毎週の土日に必ず家族全員で出かけることを強制し、断ると不機嫌になる父が嫌いだ。
勝手に予定を決めて、勝手に旅行の日取りを決めて全部準備を済ましてから報告してくる父が嫌いだ。
私を褒めてくれるときの父が好きだ。
奨学金借りなくていい、俺が全部出すから大学行けと言ってくれた父が好きだ。
機嫌のいい時の父が好きだ。
俺とお前は家族だからそっくりだなあと言っている時のにこやかな父が好きだ。
料理を作るのが面倒だろうから、と夕食のおかずをよく買ってくる父が好きだ。
私を、家族を大切にしてくれる父が好きだ。
これもうわかんねえな
父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。
私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。
例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。
父親は典型的なクレーマーでもあった。理髪店で自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要は断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。
そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。
小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まりで旅行など、温泉に一度行ったきりだ。
今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。
「子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。
私には兄がいる。私とは違い、高校も大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年の危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。
そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く、高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。
そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。
私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。
社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。
その頃父との関係は冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶だからであり、家ではとても口が悪く我儘だった。
父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。
家を出てからはほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。
その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから。
今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。
退職後から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。
それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。
担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。
モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。
私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。
寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。
母からの電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。
父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。
それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯やタブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。
今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。
葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。
きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。
生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。
今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。
とある物事が進む過程において、嘘付きが潜んでいないか、誤魔化しがないか、何かが捻れてしまっていないかを探す役目を負っている。
一応それ以外にも細々とした仕事を任されてはいるが、本来の役割は、嘘を暴くこと、嘘を暴こうとするものが目を光らせていることを知らせることにある。
では、私は本当に嘘を暴いているのか。
嘘を暴いてなどいない。
埋めてばかりいる。
誤魔化しのやり方が杜撰であることを指摘することはあっても、その誤魔化しを告発することはない。
時としては、素直に進めれば面倒な手続きを踏むか大きな嘘を付くことになることを伝え、小さな嘘で誤魔化すことを進め、どう嘘をつけばいいか手本を見せることさえある。
むしろ、それが上手にできるかどうかこそが腕の見せ所だと上司から教え込まれた程だ。
ここには嘘ばかりが満ちる。
私がこの場所にいるのは、私のずっと上にいる人達が、システムのエラーを修正する手間を惜しみ、自分たちで煩雑にした手続きを自分たちの決めたとおりに進めることさえできなくなったことの尻拭いのためだ。
歴史の闇に葬れない形になりかけた嘘を、歴史の闇に葬れる形へと組み替える、嘘が世に出ぬための小間使いだ。
私がしている仕事は、嘘を見張っているのではなく、嘘を見守っているのだ。
そして、嘘を誰かに見晴らせていたという言い訳を作るためにあるのだ。
そしてある日、どこからかやってきた誰かに埋め続けてきた嘘が暴かれた時「私はずっと見て見ぬ振りをしていました。私が悪いのです」と首を差し出し
年収330万の客先常駐をやめて、年収520万の社内SEになりました!
新卒で他業界に進んでいたが2年経ってIT業界に未経験で転職。
転職時は30代前半。
※年齢など、ややぼかして書いてます。
年収は
25歳:450万
27歳:300万
と推移。
客先常駐は給与低いのにスキルはかなりのものを求められて、もううんざり。
お客様的には60〜70万出してるから当たり前なのかもしれないけども。
ミスは決して許されない。
ミスしたら原因探求をしてなるべく他部署の責任へと転化させる。
あと自社がクソ嫌いになる。
自分の単価の6〜7割は自社によりピンハネされ、自社のお偉いさんは定時退社が原則のゆるいお仕事。
特に社長は重役出勤で10時ごろに出社し、事務員を小間使いのように使って悠々自適の生活をする。
社長は何の価値も我々に提供せず、自室(会社の中に社長専用部屋がある)でゴロゴロするだけ。ゴロゴロしてるだけなのに一番高い給与をもらう。その高い給与は我々常駐員の単価からピンハネしたお金である。
社内開発を全くしないのも腹がたつ。
社内開発の案件がたまに来るとなんとかして断ろうとする。社内開発は失敗のリスクがあるが、客先常駐なら失敗のリスクがないからだと思う。
成長を怠り客先常駐の甘い蜜に引っかかったクソ会社だね。今後何の進展もないか、もしくは衰退していく会社の典型です。
周りがみんな優しい!!
でも一番大きいのは
工数つけるの本当に苦手で、特に時間がかかりすぎたタスクがあると現実逃避で工数を変えてしまいがち。
でも今の会社は工数をつけなくてもいい( ´ ▽ ` )楽園か、ここは!!
あとは社長がすごく忙しそうにしている。
おそらく親会社での仕事をいろいろこなしてるのかな?と思うんだけど、よく出張があるしとても大変そう。
重役出勤どころか私よりも早く出社(私は定時出社)し、私より遅く帰る。
客先常駐は部品ごとに担当者が変わるので、作業を分担できるように構造的なプログラムを組むのが普通だ。
再利用がしやすい部品という概念を持つことで、読みやすいプログラム、柔軟性に富んだプログラムが出来上がる。
特に1部品1機能という概念が大切で、1部品に複数の機能を持たせるのは柔軟性に欠けたものとなってしまう。
この発想を客先常駐の中で得たため、転職先での私のプログラミング力はかなり上位にあるようだ。
ただ単に運が良かっただけである。
私は退社してから6ヶ月ほど遊び呆けていた。前職がクソすぎて休息が欲しかったためである。
7ヶ月目に転職活動を再開したが、再開して4日目に現職の企業の求人があったのである。聞けば数年振りの求人らしい。
6ヶ月休息を取っていなければ現職の求人とは出会えなかったであろう。
それだけでなく、この企業よりも先に最終選考まで行った企業がある。
最終選考の感触は悪くなく、教育係(世話役?)の方とも顔合わせがあったほどなのだが、一向に選考結果が届かない。
3日後、最終選考の結果が届き、残念ながら不採用。理由は給与の希望に添えないため、と書かれていた。
もし、ここで合格していたらそこに進んでいて、現職には入っていなかったかもしれない。(実はこの時かなりの金欠でなるべく早く内定が欲しかったのである。)
他にも身バレ防止で詳しくは書かないが、数々の偶然が重なり、現職と出会えた。
一つでも歯車が合わなければ現職には出会えなかったし、無理やり歯車を合わせたりもした。
そして、現職に採用となったことに運が決め手だと思った理由が次である。
しかし、私が選考を通過した理由はこのプログラミング力ではないらしい。
むしろ、入社して分かったことだが、現職の方々はプログラミング能力には期待していなかったらしい。
私が選考を通った理由はおそらく、人柄と大学/大学院の学部が会社のニーズに沿っていたためだと思われる。
やはり会社によって採用のポイントは異なるのだろう。技術力を評価する会社もあれば、人柄を評価する会社もある。
これは事実に基づく、とある二人の少年の冒険と、死を描いた物語だ。
少年の一人は貧困街の出で、出世を夢見つつ小間使いに明け暮れ……
叔母さんの話に飽きていた俺は、食い気味にツッコんで話を中断させた。
「まだ序盤だよ。どこにツッコミどころが……」
「登場人物が二人とも死んじゃってたら、誰がその話を知っているんだよ。少なくとも物語と大した接点がない叔母さんが、詳細に知っているのは明らかにおかしい」
「そもそも『事実に基づく』って言い回しが既にダメなんだよ。基づいていても脚色しちゃったら、それは事実から遠のいたものだろ」
叔母さんは溜め息を吐くと、俺たちに諭すように答えた。
「じゃあ何か? 実際にあった不幸話をそのまま切り取ればいいと?」
「そうだよ」
「私の話したことは脚色まみれで、言ってることのほとんどは嘘だらけかもしれない。けど、それなりには面白かっただろ。少なくとも事実をそのまま切り取るよりは」
「面白いとか、そういう話じゃないだろ」
「いや、そんなもんなんだよ。『事実は小説より奇なり』なんていうが、大抵は事実のほうが退屈で陰鬱だし、小説のほうが面白いんだ」
叔母さんは頑なだった。
そこまでムキにならなくてもと思ったが、俺たちは叔母さんの感情に押される。
俺たちは納得する素振りを見せざるを得なかった。
「陳腐ながらに学べるところもあっただろう?」
「……まあ」
「弟のほうは、私の話を聞くまでモチーフすら知らなかっただろ?」
「うん……」
「ほら、私の脚色まみれの話で、モチーフに関心を持つ“きっかけ”にもなったじゃない」
正直、叔母さんの主張は詭弁でしかなかったが、主張そのものは分からなくもなかった。
「私の話は伝えることには成功しただろ。事実どおりだとか、史実どおりだとか、原作どおりであってほしいなら、それこそ参考資料や原作を読めばいい」
たぶん、叔母さんからすれば、俺たちに興味を持たせようとしたかっただけなのだろう。
そして事実も、その脚色も、あらゆるものを、ただそれだけの具と割り切ったのだ。
「人を楽しませるために作られたものは、いつだってどこかは過剰で、どこかは足りないものなんだよ。フィクションってのは人を騙すものだ。ならば積極的に、騙されることを楽しもうじゃないか」
まあ、叔母さんの言うことも一理はあるのだろう。
だが、俺たちが聞かされていたのは叔母さんによる“本当にあった話”だ。
それが欺瞞や自慢にまみれていたことを攻めているのに、作り話としての意義を語って正当化するのは筋違いだ。
そもそも俺たちは叔母さんの話を渋々聞いていただけだから、こんな強弁をとられたら呆れるしかない。
その後も俺たちは、叔母さんの虚実入り混じる話を数え切れないほど聞かされた。
『私がゲームをクリアできるまで話を続ける』とは言っていたが、本当にクリアできるまで話を続けるとは思わなかった。
「はあ~、やっとクリアだ」
それはこっちのセリフだ、と俺たちは思った。
話を聞いていただけだったが、俺たちの徒労感は叔母さんよりも遥かに酷い。
「これ、裏エンディングとかないよね?」
「いや、仮にあったとしても、自分で買って、自分の家でやってください……」
俺たちは叔母さんをゲームから引き剥がすと、部屋から追い出した。
「この部屋に鍵を取り付けることを考えたほうがいいかもな……」
俺たちは次回に向けての叔母対策を考えながら、大晦日を過ごすのであった。
先輩に連れられていった程度の小間使いからの視点だけど、絶対に使われないモデルケースは次の2パターンです。
・CMに出ている芸能人や音楽についてよく覚えているのに、ブランド名や商品名までは記憶に残ってない
実はこの2パターンは全く珍しくなく、特に前者については本当によくあるパターンと言っても良いくらいです。
実際に放送されるのはブランド名や商品名までをしっかり把握している人たちか、あるいは上記2パターンに関する部分は切って使うかです。
もちろん、重宝されるのはしっかり認知している人たちです。
商品のコアターゲットなのに確たる記憶は芸能人のみで、あとは「美味しそうに飲んでますよね!」しか応えられない人たちを見ていると、街録ペーペーながらそれで良いのかCM作りって思っちゃいました。
もう気づいてると思うけど、企業というのはやったもん勝ちである
個人もある程度同じだが、さすがに個人は悪評が立つとそこから非常に面倒くさいことになる
1.「まとも派」として声を上げ、行動すること
周囲の困っている人は感謝してくれることだろう
2.便乗すること
赤信号、みんなで渡れば怖くないだ
逃げ足の速さがモノを言う
3.逸脱行為によるバブルが弾けた時に美味しいポジションに居ること
要は関わらないようにして真面目にやるだけだが
炎上したらどうなるかを考えて行動する
犯罪グループの最下層や、ヤクザの最下層など、彼らのようにはなってはいけない
何のいいこともない
ちなみに私は、逸脱してるやつらに正攻法で勝つのがたまらなく好きだ
逸脱してるのにその程度?と見下すときなんかゾクゾクする
キョロ充は知ってるがチョロ充ってなんだ。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/Aomq4Afshe— feita@P (@feita0) 2016, 3月 9
青二才先生がなかなかの熱量で荒ぶっておられる。けど、それが若さであり、ほぼ挫折するだろうけどそこから何か掴んでくれたらいいんじゃないかな?とか最近は菩薩の心で放置することにしてる。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう …” https://t.co/fYaTYDUyP1— 青コリ (@aocorydoras) 2016, 3月 8
チョロ充ってキョロ充を言い間違えたのか、青二才の人の独自ワードかどっち何やろ? ブコメではキョロ充って使ってたからタイポだと思うんだけど、なんか気になってしまった (๑′ᴗ‵๑) / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう -…” https://t.co/Q3jDGECcHF— ろっぱ@自称ローカル有名人 (@roppay) 2016, 3月 9
Twitterのリンク踏んで読んだら、何を言ってるのかはさっぱりわからなかったがこれぞはてなって雰囲気だけはしっかり感じた。しかしほんとに何の話をしているのかすらわからんな…… / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - …” https://t.co/abcSSi6k2e— 敷居 (@sikii_j) 2016, 3月 9
おそ松さんの話かと思ったら違った。 / 他26コメント https://t.co/xr4aGezMxQ “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/NxbgK1JizO— cosmosquare (@cosmosquare77) 2016, 3月 9
なんのこっちゃわからんけど、青二才さんは、そろそろ三才のステージに進むべきだと思う。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/OFYWVTKaaE #はてな #性— ナカノ実験室2(旧勇気のセルフブク魔人) (@Web_bato_kannon) 2016, 3月 9
チョロ充がなんなのか説明されてるのかと思ったけどなかったので最後まで読んで損した気分。というかひょっとして釣られたのか…。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/obInjXkYUR— さっこ@くたびれた人妻 (@sakko_o) 2016, 3月 9
ブーイングの嵐。
少なくとも青二才は僕らが知っている意味でのキョロ充を批判するはずはない。青二才自信がキョロ充だからね。
不特定多数の人間のまなざしが気になってすぐ周りのウケを狙ったりノリに合わせようとしてしまうキョロ充と青二才が言うちょろ充は絶対に別の何かだ。
青二才って自分のこと全く見えてないくせに他人のウケとか視線とかそういうことばっかり気にしてる典型的なキョロ充。
ブログでも、ああ、こいつ学生時代キョロ充で一生懸命周りのウケ取ろうと頑張ったけど発達障害で滑りまくってスクールカースト下位にならざるを得なかった負け犬なんだろうなってオーラがひしひしと伝わってくるくらいキョロ充。
自分で考えた面白いことと周りが面白いと思うことのズレが全然分かってないだけで孤高のブロガーでもなんでもなくて、常に読者の視線に媚びまくってる感じがプンプン臭ってくるくらいキョロ充。
大学卒業してもう4年も経つのにいつまでたっても学校時代のルサンチマンとリア充への嫉妬を撒き散らしまくってて、もう誰も自分のことなんか見てないのに未だに学校時代の視線からのがられないでがんじがらめになってるのがバレバレなくらいキョロ充。
キョロ充オブキョロ充。それが青二才。青二才といえばキョロ充っていうくらい青二才とキョロ充は結びついている概念。
固有名詞としての青二才でなくとも、そもそもそうやって自立できていないから他人の目線が気になってしょうがないのが一般名詞としての青二才の特徴。
青二才という言葉を辞書で調べたら6番めくらいのところにキョロ充って入れてもいいくらい両者は不可分。
実際は26歳になったのに今でも自ら青二才って名乗っているということは青二才は間違いなくキョロ充である自覚がある。間違いない。
そんな青二才がさ。
つまりだよ。
チョロ充という言葉は、キョロ充と違って有名人の周りをチョロチョロ小間使いのように動き回る腰巾着ぶりを小馬鹿にするような青二才独自の造語に決まってるんですよわかります奥さん?
ほら俺大正解。
キョロ充であってます。リア充の周りをちょろちょろしてる人でチョロ充だと思ってました。(なんかすいません) https://t.co/AOcQwbQzm2— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016, 3月 8
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本人はキョロ充と間違えたって言ってるけどこれは立派な造語だよ。
生まれてこなきゃよかった、と思う。
自分は愛されているものと思っていて、父も、お前を愛しているといってくれていた。
けれど、思えば、妹に花を持たせるために遠慮をしろだとか、たった1人のかけがえのない妹の頼みは絶対に聞いてやれだとか、
父はわたしのことを事あるごとに愛してると言うし、もし虐められることがあれば何をしてでも守ると言ってくれた。
けれど、小中高全て、何かしらの嫌がらせを受けたとき、父は何もしてくれなかった。
頼りにならないことだけが分かった。父に自分のことを話すのをやめた。
高校の部活動で同級生と仲違いして無視をされていることを知った父は、お酒を飲みながら、半笑いで「いじめられてんの?」と言った。
学校に行こうとするとお腹が痛くなるぐらい辛かったけれど、父親に面白おかしく消費される方が気分が悪かったから、わたしは笑って「わかんないやー」と言った。馬鹿だなわたし
父は気分屋で、機嫌がいいと母やわたしへ愛の言葉をこぼす。
そうじゃないときは、怒鳴り散らす。わたしは父の顔を伺うのが癖になっている。
成績にも厳しく、100点以外はゴミだ。中学生の頃、同級生の誘いを全て断って取った100点のテストも、へえ、とだけ言って床に投げていた。
どうしたら、かわいがってもらえるんだろう。何をしても、グズ、鈍臭いと怒鳴られる。
去年の今頃は金になるからと、シルバニアファミリーのコレクションを全て売られてしまった。
泣きながらやめてとお願いしたけれどお腹を蹴られた上に、結局売られた。そのお金で焼肉食べに行ったんだって笑 ウケる
生まれてこなきゃよかった。生まれてこなかったらこんな風に、かわいがられたいとか思わないで済むし、自分の大事なもの売られたり、痛い思いしなくて済む。
機嫌を伺う癖がついて、何があっても笑っていられるんだけど、そうしたら何考えてるかわからないって父に気味悪がられる。
昨日は、お前は人間以下の家畜だから、飯はこれから残飯だ、と仕事から帰ってきた父が叫んでいた。
生まれてきたくなかった。そうしたら、ちちだって不愉快な思いしなくて済んだじゃん。
不幸の原因作ってごめんね、でも死ぬ勇気もないんだ、ごめんね、眠っているときに心臓止まらないかな。
唯一父に怒ってくれて、わたしをかわいがってくれたおばあちゃんは、鬱になって自殺しちゃったし、
わたしは、そんな大好きなおばあちゃんの存在意義にもなれない、死ぬのを思いとどまらせる存在にもなれない、生まれて来る価値がなかった駄目な人間です,
おばあちゃん、会いたいよ わたしを置いてどこ行っちゃったんだよ
生まれてこなきゃよかったよね、生まれてこなかったら何にもなかったけど、楽しいことよりも生きていくことに対する希望が見えないので、生まれてこなきゃよかったです
読んでくれた人ありがとうございました。
私には父方に伯母と叔母がいる。
母方には伯母がいたが、もうなくなってしまった。
今回出身地に父方の祖母に会いに帰ると、
祖母と一緒に暮らしている叔母はもちろん、最近二人目の孫が生まれた伯母もいた。
私はこの二人がどうも苦手だ。
なにか人生に必要な格言を残したりとか言うパワフルな人格ではないが、
出すぎたところもなく素直な性格をしていると思う。
母と祖母の確執なんていうものは見たことが無かった。特段仲がいいというわけではないが、嫁姑としては最高レベルの関係性だ。
ただこの祖母の娘二人はとんでもない。
まず伯母は、私の父とは若干年が離れている。
彼女は長男である父親に愛情を取られたというコンプレックスがあるようだが、自分も結婚し、娘二人を生んでいる。
思い通りにならないと気がすまない点と、壊滅的な要領の悪さだ。
まず思い通りにならないと気がすまない、というのは、若干彼女のコンプレックスに関係がある。
自分が一番に愛されるべきであると思っているので(驚くべきことに、彼女より30歳ほど若く、遠く東京からわざわざ里帰りしている私がいるにも関わらずだ)
すべて彼女の予定に合わせようとする。
もう老齢で脚の弱い祖母が歩くのしんどくなっても、彼女には関係がない。
祖母に手を貸すこともせず(それは小間使いの私の仕事なのだ)、彼女自身のスケジュールが押している、とわめくのだ。
私にはクソほどの興味も感じられない行事のために、私は連れまわされ、蚊に刺され、荷物もちをさせられるのだ。
そして彼女は行事に参加しているお友達への差し入れを渡せなかったからということで「お土産に」と私に下げ渡すのだ。
失礼ではあるが、祖母を立ててお礼を言って受け取ったが、そこからそのお土産に関する自慢話を聞かされたのは本当にうんざりした。
二点目の要領の悪さ、というのは一点目を読んでいただければわかると思うが、まず計画性が無いところに端を発する。
一日に何を終わらせ、どういう段取りでやるか、という方向性がなく、ひたすら自分のやりたいことを優先させてしまう。
やりたいこと自体も要領よくできるわけではないから、どんどん計画が後ろ倒しになってゆく。
結果やりたかったこともやらなければならなかったことも明日へ先送りになる。
そういう人なので、こちらの都合などは完全に後回しにされてしまう。
ただ、彼女の面倒くささは巧妙に隠されていた。ほかならぬ父の手によってである。
彼女は一家の末っ子であり、常に甘やかされて育ったのであろう。
50をとうに過ぎているにも関わらず、同僚の子供(小学生)をからかって遊び、それを嬉々として報告してくるような人格をしている。
そしてなんと驚きのバツ2.5である。0.5は内縁関係だった分だ。
にも関わらず私に速く結婚しろ、女は男がいてナンボ、男に愛されてこそ幸福、という人生観を押し付けてくる。
父によって彼女の面倒くささが隠されていたのは、父も彼女と同じような性格をしているからだ。
ただ、最後の0.5の男がとんでもない異常者であり、寝ている父に馬乗りになって殴りかかってきたというすごい出来事で(父は撃退に成功して、警察沙汰になった)
父の目が半分開き、彼女が異常だということに気がついたことから、自分自身もおかしいのではないかと思い始めた。
確かに父も異常な部分があるが、それ以来私がいやだといったらちゃんとやめるようになった。
そんな男とはもちろん付き合いたくないし、そんな男でも好かれていたほうがいいというのは私は間違いだと思う。
今回帰省したときに、祖母がなにか食べたいものはあるかと聞いたので、お刺身が食べたいと答えた。
ただそれは叔母によって却下されてしまった。その前日、祖母が私のために買っておいてくれたお刺身を食べたからだった。
家にあるもので食べよう、と私がフォローしてその場は収まった。
「ほら、こんなおいしいものを食べさせてもらって!贅沢娘!本当にわがままな子なんだから、もう!」
と満足そうに言うのだ。
そしてこの叔母のもっとも厄介なところは、みんなに愛されている幻想を抱いているところにある。
散々私に嫌なことをいい、力でねじ伏せて、いじめてきたにも関わらず、私にも好かれていると思っている。
ばかだなぁ。祖母のことが好きで祖母を立てているからいい顔しているだけにきまっているのに。
老い先短い祖母に、これ以上叔母のことで悲しんでほしくないだけだ。
結局、身内のところに里帰りしたのにどっと疲れてしまった。
私は祖母を介護するのはかまわないが、50過ぎのおばさん二人の介護までしたのだ。
疲れて当然である。
帰りがけ、祖母は私にお小遣いをくれた。一万円だ。
こっちにも返事をする。
6年で済むわけないだろう。snsとかに書いたら爆発炎上して女性陣から消し炭になるまで叩かれるぞ。
少なく見積もって12年だ。それ以降も教育にはかなり心を砕かなければならないし、教育費と養育費を稼がなければならないから、収益性の低い仕事は(やりたくても)できなくなると思う。
子育てで「使命は果たした」と感じることはあまりないような気がしている。
そもそも「使命を果たしたい」とは思っていない。子供の頃はそう思ったりもしたが、どう考えても凡人の自分に使命などというものは無い。
いかに自分が満足するかだとは思っているが、それは「使命を果たす」ことによって得られるものではないと感じている。
「お父さんありがとう」は、まあ割とどうでもいいなと思う。
それはどうなんだろうな。仕事がなくなることが無いように努力するつもりではいる。
健康を保つ努力はしている。高校生の頃より今の方が肉体的に充実していると思う。
妻とは全てあけっぴろげに何度も話し合っている(これは当然だと思うけど)。
親は癌なので悲しいことではあるがおそらくそれほど長くはない。実家の家族については確かに問題が多いが、子供を作ると経済的な理由などで問題の解決は困難になると思う。
そうならないように努力はしている。あと現在の少子高齢化傾向と経済成長具合から考えると、俺が老人になる頃には安楽死制度が導入されていると思う。
人生の黄昏時を安心して過ごすために今を犠牲にするという考え方はちょっと理解しがたい。
俺の想定の範囲内の脅しや説得でこれを変えるのはたぶん難しい。
だから俺の想像を超えてくれるような人か、認知心理学的に科学的なアプローチで作用してくれるか、そういうタイプの人を探している。
https://twitter.com/tetsurokitahara/status/552279103731433472
これまで講義などで用意された、細切れになった問題の〆切に合わせてしか手を動かしたことがないので、ゼミ前に何とかすればよいという生活習慣が染みついており、結果としてゼミ2日前くらいからしか取りかかっていないのだろう。「夜型」「徹夜型」の学生にはだいたいそんな感じの者が多く、土壇場で体調を崩す、現実逃避にネットやゲームなどにはまった結果心を病む、などトラブルを抱えやすい。
この手の学生は問題を細分化して中長期的にスケジュールを組んだり、問題点を自覚して細かく軌道修正しようということが出来ないので、教員がこと細かくマイルストーンを示してやる必要が出て来る。きめ細かな教員の指示は学生にとってはありがたいだろうが、学生の自覚が乏しいと、単なる教員の小間使いとして卒業することになる。仮に進学したとして、大学院生時代に意識改革が足りていないと、就職活動時に苦労し、結果として俗に言う「そこそこ真面目なクズ」が出来上がるというわけだ。