はてなキーワード: 小豆とは
だいたい、その後くらいだったと思う
掃除は雑になったし、料理は簡単なものがメインになった。以前出してくれた魚の煮付けはなくなり、"シンプル"な豚肉か鶏肉を炒めたものに。私はソレにポン酢をかけて食べた。ポン酢が好きになった。だいたいの味付けはポン酢になった。ミツカンさん、ありがとう。
震災直後、私は粉末状にした昆布を毎朝飲まされた。粉状になった昆布というのは、スゴク飲みにくい。水には溶けないし、口に含むとむせかえる。それを無理矢理流しこむ。昆布巻だと美味しいのに、単体だとあんまりおいしくない、飲み込むのを胃が拒否する。
「放射線物質は日々、原発から溢れて出ている。セシウムはプールに溶けているのよ!」母の口癖だった。夕飯の度に言われた。食事の時間が嫌いになった。今でも嫌いだ。
水着を持てないので、担任に「プールの授業は出られない」と伝えたが理解はされなかった。
母親は教員室に直談判しにいった。「私は目の病気になった」のでプールに入れない事になった。同級生が必要以上に自分の事を見ている気がして恥ずかしかった。しかも、私の学校は神奈川にある。その事実が余計に虚しくさせた。担任とも関わりたくなくなった。
「「666」はアイツらの合図。いつも裏にはユダ◯がいる。震災発生時間を足すと6になる。政治家はわかっていた!でも裏ではアイツらが糸をひいている。ハープは本当にある!」
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現在、家の半分は腐った食品で埋まっている。床下には2011年までの賞味期限の米があり、ダイニングの壁側には2014年までの天然水が12箱、リビングの半分はよくわかない豆やツナ缶、乾燥小豆や大豆で埋まっている。どれが食べれるのかわかない。ちなみに2016年賞味期限のツナ缶を食べてみたが、サクラクレパスのような味でとてもじゃないが食えたもんじゃなかった。
今回また震災が起きた。輪島の朝一通りは、まだマトモだった母と行った思い出の場所。なんとなくテレビを見ていられなかった。
こんな形で話のネタにするには不謹慎だと思うし本当に申し訳ないと思っている。早い復興を願っています。
今回の震災で「水が買えなくなる」らしい。母は一日中スマホに張りついて、YouTubeを見ている。口を開くと「今回の地震はぜったいおかしい」とばかり言っている。
最近は父親も父親で「政治家がクソなんだよ!」とばかり言っている。
YouTubeでもXでも、私からは陰謀論としか思えない発言をする人達がいっぱいいる。無責任に不安を煽るばかりの奴らがいる。私は、/アイツら全員し◯ばいいのに。/とか思いつつも「本人達は本当にそう思っている」という事実を考えると何を思えばいいのかわからない。母親も「アイツら」の一人かもしれない。
母をこんな風にしたやつらが憎い。
無責任に発言を繰り返し、承認欲求を満たしているブロガーやYouTuberが憎い。陰謀論を叫びちらして、みんなの意見にするXユーザーが憎い。キモい。
でも母をこんなにしたのは、おそらく「私」だろう。大人になって何となく分かる。子供を守るために始めた「陰謀論」が、よくない方向に向かってしまった。だから僕がもっと勉強が出来て安心できる息子だったらこんなにエスカレートしなかった。母は、666と電卓を叩いたり「ユ◯ヤ死◯!」とか叫ばなかったと思う。
僕がもっと秀才で、震災の話題を部活動とか学校の優秀な自分の話題に変えたりしたら母は不安にならなかった。そしたら陰謀論にはハマらなかったかもしれない。
今回の震災で非常用品がまた増えた。2lの水も何箱買って来たのかわからない。大量のカロリーメイトは7月までの賞味期限。生活スペースはもうない。
実家を出れば良いだろうとか、思われてそうだ。
これはただの子供部屋おじさんの戯言だ。おじさんと言えば今度はおじさんに怒られそうだ。
ただまぁ、なんていうか、大量の水を眺めながら、「母は昔はもう少し家族思いの良い人だったな」と思うし。
Xの陰謀論アカウントを眺めながら、「ウチみたいな家庭」がその分あるんだろうなと思い、ぼんやりとやらせない気持ちになった。
何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。
傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯の白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。
山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類、資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。
男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年の女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装の男性。で、何故か自分はその男性の向かい側で古書を見ていて、その古書は神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職の男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分と教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性の教員だけが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分と男性教職員に出してくれる。
そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆?あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかには存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。
夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれた年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれた書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。
艶々の黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。