はてなキーワード: 小沢健二とは
物足りん。
何を持ってベストとするかによるが、Hi-standard、小沢健二、PE'Z、モーニング娘、金爆、電気グルーヴ、amazarashi、YOASOBI、さだまさし、星野源…他にも色々あるけど、このあたりも入ってこないと。
これに尽きるでしょう。近年ヴェイパーウェイブの流れで価値を見出されたネオシティポップムーブメントにおいて、ポップミュージックとヒップホップシーンを繋ぐ橋渡しとして多くのミュージシャンからリスペクトされていた小沢健二。2016年にはBEAMSの40周年ムービーには彼の代表曲である「今夜はブギーバック」が使われているなど、まさに再評価され始めているベストなタイミングに完璧な復活を果たしたことが大きい。
今現在サブスクから台頭し最前線で活躍しているKing Gnuも元々はネオシティポップの末端でTempalayらと共にネオサイケ的な文脈から登場したわけだし、髭男もあいみょんもR&Bの要素が入った楽曲でその名を知られたことを考えると、まさに10年代後半の大きなトレンドと言っても過言ではないでしょう。
とはいえステイチューンイン東京フライデイナーイしてから5年近く経ってきて、なんだかもうそろそろネオシティポップお腹いっぱいになってるあなたに教えたいのが、やっと本題のオルタナシーンである。というのも今のオルタナシーンって実は四つ打ち革命の次に台頭する予定だったんですよ()。
なんで予定だったかっていうと今の国産オルタナシーンの気流を作ったYkiki Beatの名曲「Forever」がリリースされたのが2014年のことなんですよね。この曲確かSONYのイヤホンのCMにも起用されたりしてめちゃくちゃ注目された記憶があるし、事実ブリティッシュアクセントの発音とシューゲイザーチックな音楽性はモノホンが来たなって感じはあったわけで。まぁ結局のところこのシーンを引っ張るはずだったYkiki Beatがあっさり解散してしまったこととかもあって、上記のネオシティポップに食われる形で明確に見えない感じのムーブメントになってしまうわけです。
実際ネオシティポップ自体がそれぞれのアーティストに共通するのは"エモい"と"チルい"ということだけなので、Never Young BeachとSirupみたいな明らかにルーツが違いますやんって人たちもネオシティポップにされてしまう現状はあります。
上記の記事は2016年に書かれたもので、ここでは地方都市をテーマにUS/UKのインディーシーンからの影響を受けたバンドたちによる新たな盛り上がりが見られているということが書かれており、間違いなく10年代中盤でインディーシーンで地殻変動が起こりつつあることが窺えます。
余談ではあるが、本家オルタナティブロックも大学のカレッジラジオというある意味若者文化がそのまま反映されたコミュニティの中から発展し、地方都市のライブハウスで活躍していたバンドたちがそこから頭角が現してきたという歴史がある。USだとジョージア州アセンズのR.E.M.、ミネソタ州セントポールのHusker Du、UKだとマンチェスターのThe Smithsといったバンドが挙げられるだろう。
このカレッジラジオがサブスクのプレイリストに置き換わったのが今の日本のオルタナティブロックシーンなわけで、つまり誰かがまとめたプレイリスト一つで強大なシーンを作り上げることも理論上は可能なのかもしれません。
そしてそんな四つ打ち革命に終止符を打ったのが2016年頃に巻き起こったネオシティポップムーブメントである。ceroが2014年にリリースした傑作「obscure ride」あたりからその機運が高まりつつあったが、Lucky Tapes、ミツメといった若手から、くるり、サニーデイサービスといったベテランまで一気にシティポップの傑作をリリース。時代は"エモい"と"チルい"で入り混じったカオスへと突入します。
このネオシティポップムーブメント躍進のきっかけは主にこの3つの要因だと思ってて、まず一つはSuchmosの「Stay Tune」のヒット、これは間違いないですね。次にSpotifyの日本上陸。サブスクリプションサービスの中でも格段に洗練されたデザインと使い勝手の良さから、トレンドにうるさい人々からはまぁ注目されたわけで、そういう人たちがおしゃれな音楽は何だろうってなった時に、都会的で洗練されたシティポップに目が行くわけであって、アディダスのトラックトップを羽織り上海蟹を食べれば誰でもおしゃれなムーブメントになったわけだ(語弊)。
どちらもなっがい前髪で前が見えねぇマッシュヘアが特徴のバンドではあるし、「ないものねだり」のMVを見ると街のきったない中華料理店の炒飯が食べたくなるのはなぜでしょうか?こだまでしょうか?前者がもたらした四つ打ち革命は当時のシーンに多くのフォロワーを生み出し一躍時のサウンドに。後者はサブカルライクなユーモア性とジャズやヒップホップなどを織り交ぜた洗練された音楽性で、おしゃれな音楽=売れるというサブスク時代の先取りを果たすこととなった。
これらの邦ロックカルチャーの隆盛は、いわゆるAKB、ジャニーズ、EXILEの三種の神器によって形骸化しつつあったJ-POPシーンに、フェス文化の浸透と共に台頭していった。Mステで2014年くらいにあったKANA-BOONとゲスの極み乙女の対バンとかあそこらへんがピークかな。(たしかKANA-BOONが「シルエット」で、ゲスの極み乙女が「デジタルモグラ」を演奏したんだよな。懐かし...)
松任谷由美氏に対する某大学講師の発言が炎上した件で、自分が思ったのは「自分の好きな作家やアーティストにはなるべく政治的な発言をして欲しくないなあ」というものだった
当然アーティストも一個人なので、政治的や宗教的な発言等をする権利はあるし、自分がそれを咎めることなど出来ない
なので自分として出来ることは「えー、出来ることであれば政治的なお考えは内心だけに留めて頂いて極力外部に発信しないで頂けませんでしょうかね」とただただ願うことだけである
そう考えていて、これって自分がこれまで散々馬鹿にしてきた“自分の推しメンバーが恋愛をしないことを願うAKBオタ”や“好きな声優が処女であることを願う声優オタ”と大差ないじゃんということに気付いてしまった
当然全く同じというわけではない 自分は小沢健二が好きなのだが、小沢健二が政治的な発言をしたとしても声優オタのようにCDを叩き割ったりはしない
オザケンが「黒人射殺の件に抗議してライブを更に1年延期します」と発言したり、黒人被害者の名前が書いてあるマスクをつけてライブで登場したとしても、残念だなあと思いながらもCDは聴き続けるだろう
現に自分は景山民夫氏の作品が好きで、氏が幸福の科学に入信したあとも「トラブル・バスター」を何度も読み返したりしている
多分自分の中で「アーティスト個人の信条・政治的スタンスとアーティストの作品は別物」という整理がそれなりに出来ているので、引き続き作品を楽しむことが出来ているのだと思う
ただ、やはり政治的な発言や新興宗教に入信などということがあれば「うへえ」と思ってしまうのは事実だ
なので自分は今日も好きな作家さんの本を読んだり、好きなアーティストの曲を聴きながら「自分の好きな人たちが何も変な発言をしませんように」と願うばかりなのである
夏にそこの細道を通る時、網戸越しに部屋の中が見えて、
ランニングシャツにトランクスのおじさんが横になって野球見てた。
夜は色んな音がずっと聞こえて、落ち着きそう。
今は見上げると、雑居ビルからメイドの女の子のテンション高い歌声が聞こえるところに住んでる。
ビルのへやの中でちかちか点滅する光を眺めてて、
小さく手を動かして「来て着て」としてた。ほいほい行けばよかった。
夏の焼けそうな日差しの午後か、寒いくらい冷房を効が効いてるとき、
女の子が気だるくしてるときのどうでもよさから見えてる乳首が見たい。
見えてるの気付いてもどうでもよさからそのままにしてるならすごく良い。
裸電球をつけたけど また消して