はてなキーワード: 小椋佳とは
これって両方言えて、「日本語話者に引っ張られた英語の歌」と「英語の歌っぽい発音の日本語の歌」は完全に同質なんだよな
そこを英語の歌だからって特別に気にするのは、俺としては奇異に感じるぞ
要は言語学で言うところの音韻論の話で、ネイティブスピーカーが正しいと感じる発音をより再現できている歌が、その言語の歌として完成度が高いわけ
つまるところ、音節ごとに音符をはめて、言語の区切りに休符があり、イントネーションに音階が沿うのが、”正しい”歌なわけ
若い子からしたらしょうもないかもしれないけど、小椋佳とか、すごく日本語的に正しい歌を作ってくれる
yoasobiのアイドルの英語版は確かに英語の歌として正しくないかもな
もちろん、正しいか正しくないかで、歌の価値や芸術の価値は決まらないぞ
宇多田ヒカルなんか、「な・なかいめのべ・るでじゅわきー」という日本語の区切り方をする
宇多田ヒカルのデビューは98年とか99年ごろなわけだけど、日本語の使い方に当時高校生だった俺は驚いたよね
ミスチルもそんな歌は当時よく作ってたけどさ、シーソーゲームとかね
今でこそそんなのは当たり前になっているけども当時は新鮮だった
miwaなんかはイントネーションぶっ壊しの達人で、「か↑きごおりー↓」で俺は大爆笑した
いくらその後いい歌作ってもその後「か↑き氷ー」の人って呼んでる
で、絢香だな
音節って要は音、声のまとまりなわけだけど、日本語と英語はずいぶん違う
日本語は基本的に全ての文字に母音がつくので、文字ごとに音がある
日本語以外だと子音がたくさんあるので、いろんな音が重なって1音節になる
例えばアイスクリームだと、日本語だと「ア・イ・ス・ク・リー・ム」だけど、英語だと「ice・cream」で2音だ
絢香は本来たくさん母音がある音を、子音っぽく発音して、ひとつの音符に複数の音節を乗せるスペシャリストだ
だから絢香は歌がうまいのは異論をはさむ必要はないのだけど、「日本語の歌」を「日本語表現」を損なわずに歌うのは決してうまくない、というか、そういう方向に向かっていない
絢香がやってるのは日本語を使った英語の歌い方なんだもん仕方ないよ
で、増田が言ってるのはyoasobiのアイドルのことでしょ?
そもそも日本語版の歌が「絢香歌い」になっている作りなので、アイドルの原語版をそもそも日本語の歌だと捉えられない
同じyoasobiでも「夜にかける」がしっかり日本語を歌っているのに対して、アイドルはそういう方向にそもそも向かっていないのは最初からわかると思う
1音に言葉詰めすぎでしょってなる
だからネイティブ日本語話者でも絶対に聞き取れないし、歌詞を読まないと何を表現した歌かすらわからない
まあ、もちろんyoasobiは音が面白ければそれだけで唯一無二のいい音楽になるという、音楽の面白みというか音遊びを突き詰めたような人たちなので、日本語表現がどうこうのせいで価値が損なわれることは全くないのだけど
しかし、そのような性質の歌を、今度は英語に直しただけで、歌に異論が出てくるのは違わないか?
え?英語がどうこうの前に、そもそもアイドルは「日本語の歌として正しい」のか?と
もちろん正しいか正しくないかで芸術としての価値は決まらないし、正しさからの逸脱が面白みになるケースも多いのよ
でも、正しくない日本語の歌をスルーして、異言語版にだけ文句が出てくるところを見ると、えー、うそー、そこ?そこなの?と思わざるを得ない
まあ、好みの話にしちゃうならもはやどうでもいいんだけどさ
これまでは小椋佳、真梨邑ケイ、Crystal Kay だったのになあ。
どんな形でもいいから、フレディの声が聴きたいんだよ。ボヘミアン・ラプソディでガチ泣きしたよ。
嫌だ、冒涜だ、って言ってる人達は何が嫌なんだろうなって思って、思いつく限りの理由をあげてみた。
同じように亡くなってる方の合成音声って、知ってる限り、植木等さんと三波春夫さんとhideさん、後は淀川長治さんがいたはず。
多分今回のパターンと近いのは三波さんかな。
hideさんの「子 ギャル」の時も騒がれたような気がするけど、生前の声との合わせ技だったからまだ良かったの?
三波さんのは娘さんがGOサイン出した上、合成音声は3DCGも含めて無料配布だったはずだよ?
もしかしたら、ここなのかな?
hideさん以外のふたりは、植木ロイドとかハルオロイド・ミナミとか、機械ですよ、別物ですよ感を出してる。
淀川さんはポリゴンみたいなCGで「蘇る」って煽りだったから、hideさんはそのまま「hideさんの新曲です!」ってリリースしたからか、今回みたいに騒がれてたね。
三波さんは音声データが無料配布されてるから、新曲を出す人は出すし、カバー曲を歌わせる人は歌わせるよね。それも嫌なの?
…まあ、新曲が出るなら、生きてる本人に歌って貰いたかったのは分かる。
ちゃんと三十年の歳を重ねた本人だったら、どう歌ったんだろうね。
亡くなった人に「私も歳をとりました」って歌わせるセンスは、個人的には凄いと思うし、本人に歌って欲しかったなあって気持ちにさせるのはさすがだと思う。
本人亡くなってるからなあ。
息子さんがGOと言ったら仕方ないのでは。
声を仕事にしている人は、これからは遺言書に「声を合成しないで」と書かないと駄目なのかもしれない。
物真似の人はいいのかな?
ふざけた、もしくは似てない物真似をした時と、今回のパターンと、拒否反応は同じになるのかな?
本人と変わらないような歌わせ方したら、今以上の拒否反応が起きると思うんだけどな。不気味の谷現象だっけ?
初音ミクが出た時に、そのまま歌わせたら不自然だ、上手く歌わせたら気持ち悪い、って嫌悪感バリバリの反応が凄かったの覚えてるよ。
ここなのかな?
淀川さんでよく叩かれてたのはここだった気がする。
本人が亡くなった後の映画を褒めさせた、とかで。
本人が言わないことを言わせるのは嫌悪感が出るのかも。
声だけの出演だったら許された?
三波さんと淀川さんはロボです感を前面に出してたよね。
ひばりさんに良く似た物真似の人を連れてきていたら、話はまた変わったんだろうか。
ここかな?
声を切り刻んで合成して、勝手に歌わせて喋らせた。
着るはずのない服を着せて、体を人形のように動かした。
ここまでしか思いつかなかった。
以上。
この設定があったの知らなかった。
これが悪いんじゃないの?
「生きている元気なひばりさんを、そのまま連れてくる」レベルになってたのでは。
その不可能なレベルをどこまで再現したのか、って見て、「機械」「偽物」だと感じてショックだったのかもしれない。
でも歌声担当さんとCG担当さんは、だいぶ頑張ったと思うんだ…不自然にならないようにって。
この発想、全くなかった。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつか。
小椋佳さんとか。
阿久悠さんの遺品の中から、ひばりさん用の歌詞が出てきた!とかだったら。
(阿久さんってひばりさんの歌詞書いたことなかったんですね…)
そもそもボーカロイド技術が嫌い、とか、 CGが嫌い、とか、そういう人も居たりするのかな…
やっぱりこれなのかな。
森進一さんの「おふくろさん騒動」を見て、そう思っただけなんだけど。
作詞家の川内康範さんが怒った理由は「台詞を無許可で足したから」だった。
…歌の中の語り部分を、歌詞だと思う人の方が少ないんだろうか。
現段階では以上。