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はてなキーワード: 小さな命とは

2023-10-17

21トリソミーの我が子を諦めた

顕微受精を繰り返してようやく授かった、待望の第一子だった。

心拍確認の日はまだ嬉しさより驚きが勝ったが、着実に育つ姿を毎週エコーで見せてもらううちにじわじわと母になった実感が湧いてきた。

自分ではない小さな命24時間片時も離れずそばにいてくれることがとにかく幸せで、自己肯定感の低さや寂寥感が一気にほどけていくような、かけがえのない、優しい数週間だった。

なのに、NIPTで陽性、羊水検査も陽性。

その可能性が無いわけではないと理解していたからこそ、それなりの覚悟をもって検査を受けたはずなのに、いざ陽性と言われてみると全く結論に辿り着けない。

数分おきに正反対のことを考えては、どちらの選択も罪深く感じられて、またゼロから考え直すのを延々と繰り返す。

泣くことに疲れ果て、考えることにも疲れ果て、かと言って熟睡もできず、次の日も朝から疲れた脳で堂々巡りを繰り返す。

簡単に諦められたわけがない、大切な大切な我が子の命に関わる決断だ。

でも、あんなふうにして出した結論が本当に正解だったのか、今でもずっと悩んでいる。

今更悩んだところであの子が戻ってくるわけではないと分かっていても。

親の私たちもっと楽観的な性分だったら、もっと人の優しさを信じられる性格だったら、もっとこの国の将来を信じることができていたら、今頃あの子はここで息をしていたかもしれない。

だけどそうなれなかったから、この先死ぬまで何十年もずっと毎日の子のことを思って寂しさに耐えながら生きていくしかない。

2023-09-08

anond:20230907114306

男には自分を変えるチャンスが何回かあって、1度目は結婚。2度目は出産

愛する人小さな命を目の当たりにすれば、どんなボンクラでもクズでも胸にこみあげる熱いものがあるでしょう。

結婚出産は、そういう大きな転機であり、チャンスなわけ。

ただまあ、チャンスはあくまでチャンス。

それで必ず心を入れ替えられるわけでも、成熟できる保証があるわけでもない。

きわめて大きなチャンスではあるから、まあ、赤保留くらいはあるだろうか?

チャンスを活かして成長を手にするやつはゴロゴロいる。

でも普通にチャンスを逃すやつもいる。

逆に、そういうライフイベント経験せずとも、緑保留から圧倒的成長を手にするやつもいる。

その辺は運の要素も強いと思う。

もちろん、人生確変引くまで粘り続けるやつもいる。

俺はそういう人は苦手だなぁと思う。

2023-01-04

木村沙織さんが第1子の妊娠公表小さな命を授かり9カ月目に突入しました」」

こういう発表ってつまりあんなことやこんなことをやって最後にどぷぷぷってことだよね

このやり場のない憤りをどこにもっていったらいいんだ

2022-05-30

三森すずこ 公式ブログ - 皆様へ - Powered by LINE

48コメント 2022-05-30 12:01 LINE BLOG

この度、第一子を授かり、8月出産予定であることをご報告いたします。ずっと待ち望んでいた小さな命。どんどん大きくなっていくお腹に、感動と心配とを繰り返しながら過ごす毎日です。無事に生まれて来てくれるそ...


大阪おかんアニメ無双してた声優さん

結婚してたのね

2022-05-19

anond:20220227205714

はっきり言います偽善です

貴方が来ている服や洗剤諸々に使われている合成染料などは動物で毒性を調べています。大量の動物が死にます(1実験に最低50匹程度使う)

貴方風邪をひいた時に使う医薬品には大量の動物を使って安全性を調べています(1医薬品あたり1000匹近い)。

貴方が食べている食品添加物動物で毒性を調べています

毎日生きているだけで大量の動物の死の上に人間は生きています。一部動物愛護団体は動物実験を無しにしようとか言っていますが、現場にいる人間からすればお笑い種です。なら医薬品なんか使わなきゃいい。

1つ1つの命は確かに大切です。だからこそ、頂くんですよ。

頂かなければ捨てられるから

安易摂取しないというのは廃棄に手を貸しているに過ぎません。

さらにもう少しいいましょうか。

植物細胞の死にまで気を使って下さるなら、木造住宅はその植物細胞を切断したまま栄養も与えずに放置し、空気中のわずかな水分で細胞維持させ続けている拷問と受け取ってよいでしょう。

小さな命というなら菌もそうですね。手を洗えば大量の表皮ブドウ球菌が死にます

抗生物質を使えばもっと死にます

乳酸菌飲料。大体100万菌体以上が一度の摂取で死にます

人間自分感覚ものを見すぎです。

それは自分で命を奪った経験が少なかったり、死の現場に立ち会わないからです。

申し遅れましたが、私は医療大学院博士2年の学生です。当然ですが動物実験学部時代から散々やってきましたし、ある医薬品の開発の土台になる実験をやってました。現在も菌及び動物を使った実験を続けていますし、学部は出てるので臨床現場にも携わっています

はっきり言いますが、相談者さんのような考え方は命の本質を見ようとしない人間の甘えと自己憐憫自己満足カクテルです。

日々の生活で命を奪わないなんてことはできない。人間生活は身近にあるだけでも1日数百数千という命の上に存在しているのです。

我々にできることは、できる限り無駄にしないこと。

ベジタリアンなんかは勘違いの頂点で、動物を殺さないという主義なら良い。

でも、ベジタリアン栄養失調になって運ばれてきた使う医薬品は大量の動物の死の上に築かれたものなんですよ。彼らが栄養失調になるから用意しとかなきゃいけないなんて国もあるくらい。

本当に命を大事にしたいと思うなら勉強してください。

生命というものをしっかり学んでください。

また生えてくるからOKという考え方は、最低ですね。

再生医療ができるようになったら、人間のうでや動物の体も再生できるからOKとか言い始めるんでしょうか。

本当にご都合主義な浅い考えだと思います

2021-09-11

ごはんってたまにウンコ匂いがしない?

逆なのかな?

ウンコがたまにご飯匂いがするんだろうか。

この仮説は多分正しくて、統計のやり方によってはこれ一本でこの話は終わるだろう。

ハンバーガーを食べ過ぎた次の日のウンコは消化しきれなかった動物性脂肪科学的な調味物質が組み合わさった独特のマクドナルド臭がウンコから漂ってくるものだ。

それと同じように、日本人日常的にご飯摂取することで、日本人ウンコからご飯匂いが立ち上りやすいだけなのだ結論づけることは出来る。

が、ハンバーガーウンコを出した直後にハンバーガーを食べても「ウンコと同じ匂いじゃね?」と感じることはあっても「この匂いウンコ匂いだ」と感じることはない。

日本人の脳に「ウンコ」として刷り込まれ学習された匂いと、ある種のご飯が醸し出すベチャベチャとして湿っぽくもどこかすえて炊きあがったような匂い、その両者の一致はあまりにも親しすぎるのだ。

そもそも人間が感じ取れる匂いの種類ってどれぐらいあるんだろう。

純粋物質だけだと何通りだ?

ただ間違いなく言えるのはご飯はたまにウンコ匂いがするってことだ。

まあそれでもご飯けがウンコ臭いというのは珍しい。

匂いのやたら強い割り箸だったり、金属臭のキツイスプーンと組み合わされることでウンコとして完成する感じはある。

まりご飯ウンコ臭いときご飯担当しているのは「水気」「香ばしさ」「食品臭」などのいわば「負のシズル感」とも言える部分であり、それに食器が放つ「非食品臭」が混ざることでウンコ誕生するのだろうか?

そもそもウンコを作る工程ご飯を作る工程自体が似ている。

水分と温度を伴った空間の中で物質状態を変化させ、それらを強烈な蒸気と共に完成させる。

その結果として作り出される高温で高エネルギー物質は雑菌たちにとって格好の繁殖地となり、毎秒毎秒生命活動を繰り返すことで雑菌は排泄物としてゲオスミン臭などを残していく。

ウンコ匂いの半分は腸内細菌排泄物匂いである

人間ウンコとは人体に住まう小さな命の作り出したウンコ集合体でもあるのだ。

そしてご飯もまた、その表面上に置いて無数の細菌達が毎秒毎秒刻一刻とその数を増やしながらウンコを繰り返している。

いわば全ての食品は雑菌のウンコまみれであり、人糞との違いはそのウンコの濃度の違いでしかないとも言える。

人間の体は多くの感覚対数的に感じ取る。

音を表現するデシベル対数刻みなのは人体が感じ取る感覚対数刻みだからであるからだが、それは視覚嗅覚でも同じである

それはある匂い物質のある濃度に対して人間が感じる匂いを1とするとき、100分の1の匂い物質に対して人間が感じる臭さは100分の1よりも大きいということだ。

ご飯割り箸の表面に集った微生物たちの微生物ウンコ密度人間ウンコの何万分の1まで下がれば人体はその匂いを感じ取らずに済むのだろうか?

その答は「食品匂いウンコから遠ざかればそっちにかき消されることが出来る」と結論付けられるのではないだろうか?

つまる所、ある種のご飯からウンコ匂いがするのはやはり「そのご飯ウンコ匂いがするので、全ての食品必然的に纏ってしまウンコっぽい匂い自分匂いでかき消すことが出来ない」ということなのではないだろうか?

まり、やはり「ご飯は時折うんこっぽい」というのは是なのだ

ご飯はたまにうんこ匂い

白米至上主義日本国民としては非常に悲しい結論だが、この現実から逃げていては日本食に発展の未来はないだろう。

受け入れよう。

ご飯ウンコ匂いがする時があると

2021-08-19

マジでその辺にいるただの普通の成人の命は何とも思わないくせに

相手赤ん坊になると途端に赤ちゃんがかわいそうなどと大袈裟に騒げるのか意味が分からない

小さな命が!」ってだから何。

その赤ん坊ジジイババアの幼虫だぞ…

私は勿論その辺に生きているただの人間全てに当たり前に人権があると思っているから早産して死んだ赤ん坊には同情するし、

加害者である妊婦とその相手の男を憎悪するが。

2021-04-24

ヒシアケボノかい典型的四天王の地属性

二つ名はゴリアテ・ザ・グレート

武器は鎖鉄球

優しい目をしてる

小動物が好き

小さな命を守るために身を張る

でも魔王命令には忠実

根がいいやつすぎて嫌われて仲間に殺される

2m40!!! 310kg!!!

芸能人通り魔

インターネットが一部のマニアオタク、引き籠りの物と言われていた西暦2000年から20年余りが過ぎた2021年現在
インターネット一般人も使う様になった事で起こっている事象の一つとして「芸能人通り魔」という事象が有ると私は思う。
増田では、「芸能人通り魔」という事象について思う所を語ろうと思う。

オードリーオールナイトニッポン

ニッポン放送深夜番組オードリーオールナイトニッポン番組公式Twitterから下記の様な注意文が掲載された。

番組からのお願い】
オードリーの2人が番組内で名前を伏せた上で紹介したお店を特定されたり、番組を聴いたという形でお店に伺うのは避けて頂ければと思います
違ったお店がSNS上にあげられてお店にご迷惑をかけているケースもありますので、ご協力のほどお願い致します。
https://twitter.com/annkw5tyb/status/1385829945042030593より)

これは、漫才コンビオードリーが、「オードリーオールナイトニッポン」というラジオ番組の中で、最近行った面白かったお店等を店名を伏せて紹介した所
リスナーの中に、その店を特定したり、「番組を聞いて来ました」と言ってお店に行く人が現れたという話だ。

そういった事態に対し番組上記の注意文を掲載した所、この注意文のツイートに対し「これはバッドトゥース(≒良くないリスナー)ですね」という
リプライ引用リツイートが付く状態になっている。
たかも「これはバッドトゥースですね」と言っている、自分達はそんな事はしない良いリスナーだとでも言いたいのだろうが
公式掲載した注意文にコメントで乗っかって「これはバッドトゥースですね」等と言っている人達もバッドトゥースではないのだろうか?

流れを整理してみよう

元凶オードリー番組内で店名等を伏せて店を紹介
②一時被害:店名を特定したり、店に実際に行く人が出て来る(被害者:店)
公式が、一時被害についての注意文を出す
二次被害:注意文を読んだ、自称「良いリスナー」達が公式や、店を特定した人・店に実際に行った人を「良くないリスナー」として攻撃被害者:公式、店を特定した人・店に実際に行った人)

②と④で被害者が変化し、しか被害者の数が拡大していっている。
一般人インターネットを使う様になって怖いのがこれだ。
自分(達)の行動に非はない」と思う人ほど、何かに乗せられる。
そして、自分を乗せた人を理由安易に誰かを叩く。
こういう「自分(達)の行動に非はない」と思う人を乗せるのは2021年現在、大抵、有名人芸能人の類だ。
有名人芸能人ラジオ番組の中や、SNS・・・例えばTwitter上で何か発言をし、
それに乗せられた「自分(達)の行動に非はない」と思う人達が、何かを叩く。
こういうのは、「芸能人有名人)の通り魔」というのではないか最近思う。

保健所、猫騒動

から7年ほど前だったと思う、ある有名な女性芸能人が、ヘアサロンで髪を切ってもらっている合間にTwitterを見ていて
Twitterで見かけたツイートに対して反射的にリプライを送った結果、元のツイートの主が「全くと言って良いほど非が無いのに」炎上した事がある。
ツイートの主はその芸能人Twitterフォローしていたわけでもなく、その芸能人も、元のツイートの主をフォローしていた訳では無い。
その芸能人は、ある単語Twitter上で検索していて偶々そのツイートを見かけ、反射的にリプライを送った。

時系列

2014年8月14日 8:59 ある芸能人(以下、芸能人Aと呼称)がヘアサロンで髪を切ってもらっている合間に、Twitterを見ていて
「この2匹を保健所に連れて行きました 飼い主さん見つからなかったの とても悲しいです」という一市民Bのツィートを見かけ「緊急」「里親募集」などのタグをつけてリプライ
②8:59 同時に、芸能人Aは一市民Bのツイート引用し「保健所に連れて行くなっ」とツィート
③一市民Bのツイートに、芸能人Aのツイートを見た人達からリプライ引用リツイート批判が大量に飛ぶ
10:15 ヘアサロンで髪を切り終えた芸能人Aは、そこで騒動に気付き「言葉遣いが悪かったです申し訳ない。が、保健所に連れて行くとガスで殺処分されるんです」とツィート
10:30 芸能人Aは「悲しい。人間のさじ加減で小さな命がたくさん失われていく。全ての命が助かる日が来ることを願いながら、
少しでも多くの命が優しい里親さんに巡り会えますように。小さな力ですが寄付保護活動は続けますが、なるべく情報拡散協力お願いします」とツィート
しかし、一市民Bのツイートに対する批判非難リプライ引用リツイートは収まる気配を見せず、一市民BはTwitterアカウントを削除

こうした事例が近年、Twitter等では頻繁に起こる様になっている印象がある。
その大半は芸能人有名人仕事の休憩中や移動中、ヘアサロン等で髪を切っている合間等のちょっとした時間
Twitterをサッと検索して、目に留まったツイートを、パッと深く考えずにリプライ引用リツイートする事で起こっている。

上記オードリーの件もそうだが、芸能人有名人の行動が、インターネットが広く使われる様になった現在通り魔的結果をもたらす事」
が多くなっている感がある。
芸能人有名人側だけが一方的に悪いとは言えないし、逆に、インターネットに追い詰められて自殺したと言われているプロレスラー等もいるので
芸能人有名人ではない人も考えなければならないとも思うが。

通り魔を減らそう

芸能人有名人一般人のどの立場でも、こういった通り魔的な出来事を少しでも減らしていく事に注力していかないと、
インターネットに追い詰められて自殺したと言われているプロレスラーと同じ様な出来事は、また近い内に起きるのではないだろうか?
そうなった時に怖いのは、直接的に追い詰めた人ではない。
オードリーオールナイトニッポン」のリスナーの例に見る、直接的には追い詰めていないが間接的に流れに乗っていたに関わらず、
自分達は善良な人間で、流れに乗ったのも、その流れが正しいからだ」と考える人達ではないだろうか?

最期に、「オードリーオールナイトニッポン」に関して、3年ほど前に思う事を書いていた人の増田を見付けたので紹介しておく。
『グッドトゥース』『バッドトゥース』

2019-12-29

子供インフルエンザにかかった

もうすぐ3歳になる子供がインフルエンザにかかった。近所の小児科が軒並みワクチン切れで、予防接種を諦めてしまったのは痛恨の極みだ。

昨日の昼まで元気に家の中を走り回って、クリスマスプレゼントプラレールを眺めて遊んでいたのに、夜になったら39度近い熱が出た。

まだ自分の半分にも満たない小さな手が、父親の手を求めて延びてくる。普段からおぼつかない言葉が、より一層意味不明に断片的に漏れ出てくる。

の子が生まれから、突然何かが起きて小さな命を失ってしまうんじゃないか想像しない日は無かった。

七つまでは神のうち

どうか早く、また元気に走り回る姿を見せて欲しい。

2018-10-03

anond:20181003151312

ぜひお墓を建ててください。こんだけのネコチャンがここで死にましたよってことを示す墓標です。中身は空でもよいでしょう。

初めは丁寧に組んだ十字架、次第に手抜きになってきて角材や廃材、やがては太めの棒っこ、ついには不自然に草の禿げた土饅頭…という変遷があるとリアルでよいですね。

極めつけに一際大きな土饅頭を作っておきましょうね。あたか体重60キログラムはあろうかという大動物を埋めたとでも、いうのだろうか…。

それを投棄者が見て引き返すかどうかはかなり怪しいですが、小さな命運命をはっきりと認識する事になるでしょう。

2017-11-12

保育園乳児預けるな

少し前に

保育園落ちた日本死ね

なんて言ってた人がいますけど

郊外保育士してる私からしたら

かに政治家には不満はあるけど

あなたも1回考え直せと言いたい。

20代の1人の女の独り言です。

活躍できねーじゃねーか。

活躍しなくていいです。

だってお母さんでしょ?

小さな命ひとつ生みだしたのに

どうして欲張るの?

どうしてひとりだった時のように

働けると思ってるの?

お母さんにもなりたい。

でも仕事でこれまで通り成果も出したい。

欲張りだとは思いませんか。

働くなとは言わないけど

これまで通りは無理です。

子ども子どもなのは今だけ

お母さんはあなただけ。

あなた人生も一度きりかもしれない

でも子ども人生だって一度きり

あなたと親子になるのだって一度きり

子ども保育園で寂しそうにする姿を

目の当たりにする私達としては

そこまでして手に入れなくてはいけない

栄光なのかな?名誉なのかな?と

疑問に思います

わが子が初めて歩く瞬間よりも

仕事が大切なのでしょうか?

屁理屈に思われるだろうけど

世の中には色んな事情

子どもが産みたくても産めない人もいます

その人たちにはあなた幸せ

感じることはできません。

じゃあその人たちに少し譲っても

いいんじゃないかな。

私が働く保育園都内ではないことも

あってか、本当に仕事をしなくては

食べていけないような家庭は

園内の半分いるかいないかだと思います

平均より少しいい生活がしたい

自分キャリアのため

自分活躍のため

そんなお母さんが多いです。

もちろんわたしプライドを持って

仕事しているので

保育園での生活が悪い訳では

ないと自信を持って言えます

ただ、保育士努力すればするほど

母親、家庭の力には及ばないと

痛感するのです。

それでも、

休みの日にもリフレッシュ休暇を

取り続ける母親たち。

週に5日みっちり働いて

平日休みの1日くらい

リフレッシュ休暇取りたいと

思う気持ちは分かります

毎週毎週リフレッシュして、

じゃああなたの子どもはい

リフレッシュするのでしょうか

私の職場はそれほど悪い環境では

ありませんが、

保護者への対応が1番大変で

気を遣い、疲れます

辞めたくなります

人に死ねだなんていう前に

自分自身を振り返るべきなのでは。

保育士としては失格かもしれませんが

乳児保育に反対です。

それで保育士仕事が減るとしても

それくらいでちょうどいいのでは

ないでしょうか?

2017-06-14

ロリコンとか痴漢強姦願望が全くなくなった

小学生の頃から世代の異性に興奮して、対象はそのままに自分けが歳を取っていった。中高生になって回りが恋愛を始める頃でも、同世代以上の女性には興味もわかなかった。自分が人とは違うかもしれないと感じ始めた頃から、周囲が女優アイドルの話で盛り上がる中、怪しまれないように好きでもない誰もが好きそうなアイドル名前を出してはその場をしのいでいた。社会に出てからも、表向きはどこにでもいるような流行りの女性が好みだと吹聴しては、周囲には絶対に気づかれないように振る舞い続けた。

自分理想とする相手とはまともな恋愛セックスまでのプロセス通用するわけがない。だから行為に至るためには痴漢強姦という選択肢しかなかった。もちろん実際にそんなことをしてしまったことなんかない。そうならないために、漫画やそれ風のAVなどで処理をしてきた。

そんな自分にも、子供がほしいという願望はあった。それは間違っても性処理のためというわけではなく、純粋自分の子孫を残したいという願望だ。適齢期を過ぎかけたころ、見かねたから提案された見合いに乗っかってすんなりと結婚し、さらに何事もなく子供まで授かることが出来た。見合い相手のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ、子供を生んで育ててくれそうだという理由だけで結婚した。性的にも全く興味は沸かなかったのだが、お互い未経験同士だったこともあり気持ちが一向に高まろうとしないことを緊張という言葉で置き換えることができたのは幸いだった。

妊娠後、数回目の通院で生まれてくるのが女の子であろうことがわかった。このときは正直不安になった。この子が程よい年齢に至った時、自分からの愛が親からのものであり続けられるのだろうか。自分の子自分の子として見続けることができるのだろうか。出産が近づくにつれてその不安は強くなる一方だった。そうしていよいよ出産の日。陣痛より前に破水してしまったことで慌ただしいままに病院に行き、そのまま大騒ぎのうちに産声を聞くことになった。あまりの忙しさと、陣痛促進剤によってあれよあれよと野生を露わにし始める妻を前に、つまらない不安を思い返す余裕などなくなってしまっていた。

看護師の大げさに芝居がかった「おめでとうございます。」という言葉とともに、赤黒い顔に拭いきれない鮮血が着いたまま精一杯に泣き叫ぶ赤子が手渡される。両の手でその重さを実感した途端に、全く意図していなかったにも関わらず目から涙が溢れた。自分の命をかけてでもこの小さな命を守らなければならない。そして、自らの命を危険晒してまでこの生命を産み落としてくれた妻に対して、いままで持ち得たことのないような気持ちが沸き上がってきたことがわかった。

その日を境に、自分を苦しめ続けてきた児童性愛願望はさっぱりとなくなってしまった。むしろ自らの娘がそうなってしまうことを想像しようものなら胃袋ごと口から嘔吐してしまいそうな焦燥感に駆られるようになってしまった。自らの子供を愛するという気持ちは自らの娘を性の対象として見てしまうかもしれない不安をいとも簡単に一蹴してしまものだということがわかった。それから数年経ち、娘は小学校に通うようになった。娘の周りには、かつて自分欲求を刺激してやまなかった年頃の女子たちで溢れている。しかしそれを目の当たりにしても、かつてのような邪な衝動は一切湧いてくることはなかった。むしろ自らの娘を見るのと同様に、彼女らが安全に、健全に育つことを願うようになってしまった。

自らの性的嗜好を棚に上げるつもりはない。しかし、自分性的対象は気付いたときにはすでに決まっていたものコントロールできるものではなかったのだ。今だに過去自分を憎む気持ちとどうしようもなかったと同情する気持ちとが葛藤を続ける日々を送っている。世の中の同じような境遇人間自分と同じことが当てはまるかはわからないが、少なくとも児童性愛に対して嫌悪感が芽生え始めていることは確かだ。かと言って自分普通に女性を愛せるようになったかと言われるとそうではない。いうなれば、児童性愛がなくなると同時に性の対象のものがなくなってしまったのだ。自らの遺伝子を受け入れ命をかけてまで産み落としてくれた妻には今でも変わらぬ感謝と、一緒に生活をしてくれる家族としての深い愛情がある。しかしそれ以外の感情が一切湧き上がってこない。そのことを妻はこれからも受け入れ続けてくれるのだろうか。

2016-10-17

「優しいね」っていう言葉無意味さ凄い

人は誰しも生まれながらに親切心や利他心を持っている。「蜘蛛の糸」のカンダタのような極悪人ですら、ふとしたときに温かい感情を起こして小さな命を慈しんだりするのだ。そういう意味ではまったく優しくない人なんていなくて、程度の差はあれ誰もが「優しい」のだと思う。

「優しいね」という発言がなされる場面では、たまたま発言者が親切にされるなどの経験を通じてその人の「優しい」側面を見ているだけだといえる。これは他人がお弁当を食べているのを見かけて「ご飯食べるんだね」と言うのと同じである。ご飯は誰だって食べる。そのときたまたまその人の「ご飯を食べる」という側面が見えているだけだ。

このように考えれば、「優しいね」という言葉情報としていか意味を持たないかがわかるだろう。「変わってるね」についても同様のことがいえる(誰だって多少はふつう人間と違う特異な面を持っているのだから!)。こういううすぼんやりした言葉無自覚にホイホイ使わないよう気をつけたいものだ。

2016-10-06

息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。

息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。詳しく話を聞いてみると、男児らがよってたかって虫をいじっていて、最後に息子が触って死んでしまったらしい。でも半ば息子が殺した扱いになっていて、幼稚園先生からは「もっと命の大切さを教えてあげてください」とか妻が指導されたそうな。

いのちのたいせつさ」…? そんなことは常日頃から口を酸っぱくして教えているし、息子は毎週『ダーウィンが来た!』を見ているし、人並み以上には小さな命に親しんでいるし、人並み程度には小さな命の死を悲しむ情緒は持っている。しかし、虫の命が大切、一寸の虫にも五分の魂、というのはどうやって教えたものか、これは難しい。人は、自分から類が遠くなればなるほど、その生き物に対して親近感を覚えなくなるからだ。例えば、人が人を殺すのは絶対的禁忌だ。場合によっては死罪になる。犬や猫などの哺乳類を殺すのも明らかにヤバい鳥類も無理だ。しか爬虫類になると、殺す場面を見ても「残酷な…」と目をひそめる程度で終わってしまうかもしれない。これが魚類になると、むしろ「3枚におろすと美味しそうだ」に見えてしまう。サンマなどは、泳いでいる状態でも塩焼きの図が頭に浮かんでしまう。そして、昆虫だ。

冒頭の話があったその日、家にゴキブリが出現した。妻の悲鳴で駆け付けた僕は、妻子を退避させて、ゴキジェットとビニール袋を片手に退治に乗り出した。この家で唯一のテラフォマーズたる僕は、家族を守らなくてはならない。ここは寝室なので、ゴキジェットを撒き散らすわけにもいかないので、ティッシュビニール袋で素手で捕獲しかる後に殲滅だ。

さて、捕獲したところではたと気づいた。昼間「虫といえども命を奪ってはいけない」と教えた父が、その舌の根も乾かぬうちに夜に殺生を行なうのか?

ビニール袋ごしにゴキブリを掴んだまま、しばし逡巡していると、息子が退避部屋から出てきた。「おとーさん!どう?」

廊下ゴキブリをつまんで佇む父。ゴキブリを初めて間近で見た息子は、目を丸くして、「カッコイイ…」と感嘆の声を漏らした。

ゴキブリを手で捕まえる父がカッコイイと思ったのか、ゴキブリの黒光りするフォルムをカッコイイと思ったのか、どちらかは分からない。しかし、一瞬油断して手が緩んだすきを突いて、ゴキブリはファサササ…と飛んで逃げた。

僕はそれを追いかけて捕まえ、外に出てから殺した。

じょうじ…

2016-04-14

なにが猫だよ

http://mainichi.jp/articles/20160414/k00/00m/040/058000c

JR広島駅電車の上に「猫がいる」 遅れも「怒れない」 - 毎日新聞

怒るわ。

そもそもなんで野良猫放置されてんだよ。田舎地域猫として飼うならまだしも都市部野良猫を放っておく必要はないだろ。

勝手に癒されてる奴は可愛いところだけ見てるから良いだろうが、どこかで毛や糞尿の被害にあってる人だっているかもしれないんだぞ。

だいたい猫を捨てたり放し飼いしてる奴がいるか野良猫になるんであって、そんなのは処分するしかないだろ。

別の記事でもトラックが猫を避けて民家に突っ込んで良かった良かったってなんだよ。

物は壊れましたが小さな命が助かりましたってか?仏かよ。道徳時間かよ。

頭の沸いたようなブコメばっかりしやがって。

2015-06-26

アレルギーと猫のハナ

私が小学生から高校生の間、黒猫を飼っていた。名前はハナ。近所の神社に捨てられていた3匹の子猫のうちの1匹だった。従兄弟可愛いからと連れて帰って来たものの、彼はマンション暮らしペットを飼えなかった。そのため、我が家と祖父母の家のある敷地で飼うことになったのだ。成り行きでなぜかうちで飼われるようになったハナだったけれど、わりと私の家族や祖父母は歓迎した。

ハナは気性の荒い猫だった。撫でれば嫌な顔をするし、気に入らないことがあるとすぐに引っ掻いた。それでも私は猫が好きだったので、小学校高学年くらいまでわりとたくさん構った方だと思う。黒い毛のしたに、灰色の柔らかい毛が生えていた。ハナのお腹の下の柔らかい部分が特に好きで、幾度となく触ろうとしては蹴られたり引っ掻かれたりしていた。私はハナを手なづけようと必死だったし、ハナは適当にあしらってくれていた。

話は変わるけど私が小学生の頃、悩み事があった。ひじの裏やひざの裏、首元や耳の後ろ等、皮膚の柔らかい部分に赤い湿疹ができていたことだ。なぜできるか分からないそれが好きじゃなくて、いつも肌を隠すことばかり考えていた。

でも、転機が訪れた。その発疹が、中学生になり、家に居ることが少なくなるとピタッと止んだ。私は猫アレルギーだった。中学生になって、部活がすごく忙しくて、家に帰るとベッドに直行していた。当然ハナと接する機会が減ったので、私のアレルギーは止んだという訳である。それが分かったその日から、ハナは大分肩身の狭い思いをしたと思う。とにかく、家に入れてあげなくなったし、私もハナを抱かなくなった。もちろん、ハナを触りたい気持ちもあったけれど、あの湿疹と決別できたことが私にとって何よりも重要だった。

最初ハナは若干戸惑っていた。いつも構ってくれる人間が「ちょっと、こないで!湿疹が出るじゃない!」「あっちにいって!ハナちゃん触ると痒くなっちゃうの」と言い始めたから当然のことだ。でも、ハナもクールもので、あっという間にで慣れてくれた。私を見ても「あ、いるな」くらいの間隔の距離を保ってくれた。私を見ると、ハナは少し尻尾を振った。

そのうちハナもおばあちゃんになり、祖父母の家から出なくなった。ますます、私はハナを構わなくなって、そのうちハナのことを考える時間ほとんどなくなった。ハナはいつの間にか年老いていて、静かに天に旅立った。12年生きてくれた。でも、そのうち、6年間はほとんど接していない。最後に触ったのは、多分高校生1年生の冬。祖父母の家のこたつに足を突っ込んだらハナがこたつの中にいたのだ。私はびっくりしたけれど、これぐらいでは湿疹が出ることはないだろうと思って放っておいた。その時、ハナはこたつの中でそっと私の足に寄りそった。本当に、遠慮がちにそっと。

ハナが死んだ時、大学受験の真っ最中だった。私は、ハナが死んだことすら1週間気付かず、母の「ハナちゃんがいなくてさみしいね」という一言でようやく知った。悲しみはなくて、淡々としていた。もう6年も適度な距離感があったペットに、私は特に心を動かされたりはしないと思っていた。でも、やっぱりふとした瞬間にハナが恋しかった。庭先のツバキの下や、祖父母の家の縁の下、陽のあたる畳の上、こたつの中に、ハナがいないのは違和感があった。あるいは、庭先で何かを追い掛けて軽やかに駆け回るハナがいないことに、喪失感を覚えた。だんだん、ハナがいない違和感は消えたけれど、誰も猫を飼おうと言い始めはしなかった。猫アレルギーの私が就職して一人暮らしを始めてもなお、猫を飼い始めようという話はない。ハナであれば、あの気性の荒い、でも本当は優しい猫でなければ、私たち家族は嫌なのだ、結局。

命は切ない。一瞬で、消え去ってしまう。

ハナが死んであっという間に5年経った。早いものだなぁと思う。私はもうハナの目の色や、耳の形を覚えていない。写真も、あまり残っていない。

でも、時々思う。あの、遠慮がちにそっと身体を寄せた、暖かいからだを。あの時、ぎゅっと抱けばよかった。アレルギーなんて気にせずに、なりふり構わず、あの瞬間を生きていた小さな命をぎゅっと抱き締めたらよかった。

**

アレルギーの件:皮膚のアレルギー症状…発赤(ほっせき)・かゆみ で、私はこれに該当するアレルギーだと思います皮膚科血液検査しました。

いぬうさぎチンチラ等の毛もNGで、未だに治っていません。恋人の飼っている犬にも触れず、つらい思いをしています。なおせるものならなおしたい。

2015-06-25

Fate SN UBW 20メモ でもにっしょん

昔、ある出会いがあった。

おそらくは、一秒すらなかった光景。

されど。

その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。



その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と

その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー

やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ



本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな

わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは



HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………

アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ出会いの強さがしんみりと来たぜ

……だからこそ、歯痒いものを感じる

セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!



この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。

守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。

本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。



問おう、貴方が私のマスター

カットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて

本編アーチャーの過去編だったよね。

セイバーの表情もとても良かった。



そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。

何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲーム製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。

でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲーム製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。

つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。



新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。



一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…

原作やったのがだいぶ昔でアーチャー言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。

あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな



挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな

偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった



ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。



理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う

衛宮士郎幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと

だから誰を救うのかも定まらない

それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い

自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う

じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど



今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。

数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。



エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。

自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。

「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。



士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった

今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった

これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど

今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた

今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?

そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい

ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした 



Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備

もう一つ便利機能があるがこれは別の話

アーサー王物語にて、策略でアーサー王決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき

鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった

と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある

もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も



上手く言葉に出来ないけれど、ダイバーのようだった。

忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。

Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。

でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fate真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。

次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!



ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね

個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。

服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。



凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」

20話視聴後の感想はまさにこの心境だった

衛宮士郎というキャラクター創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん



違うアーチャーも言ってただろ

「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる

普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由存在する

でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう

でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ

間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている



総てを見通す魔術師は、選定の剣に手を掛ける少女に忠告した。

「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」

地獄を見てきた男は、荒野を目指す少年忠告した。

「おい、そこから先は地獄だぞ」

剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ



元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。

切嗣への憧れから始まってるから「所以が」借物だってだけ。

これ、普通物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど

そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」

までぶっとぶのがUBW。

「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通キャラにとっては深刻なんだけど

衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから

話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。

「笑いたかっただけ」は作中である意味投げっぱなしだから

そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。

それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。

原作にそんな描写どこにもないんだけど。



士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、

それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を

士郎が元々持っていないと始まらない。

それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。

アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。

「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉

鵜呑みにしたって始まらない。

それよりは

>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。

> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」

> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。

の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。



UBWの荒野は、アーチャーが辿り着いたものの象徴だから

 どうやら相手は、自分の記憶を流し込まれているらしい

→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう

っていう意味じゃないか? UBW展開は。

「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。

あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから

多分answerが凄いことになる。

UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。

まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が

演出上の最強のカードになろうとは。



某動画サイトでのコメントアーチャーセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。

あそこのシーンのセイバーアーチャー言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。



ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。

SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから

そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。

虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。



士郎って、熱血少年ぽいパーツそろったデザインだし、

たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、

パッケージイラスト起用でも戦闘系だしで、

「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど

基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから

実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。

しろ「静」が本質って気もする。

その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?

今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で

「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。

自分はこれが見たかったんだよね。



とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。

士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。

> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、

> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。

> ……あの日の前に戻れて。

> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。

一度心が死んだってフレーズが印象的なんで、

マジで大火災が0才状態と思われてたりするけど。

士郎って割と元々ああよ。



衛宮士郎アーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い

アーチャー自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する

士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする

幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする

自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな



今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉

あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。

余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と

いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。

だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーレトリックに過ぎない。

「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも

助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。

ここら辺、原作やってても勘違いちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。

なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。



価値観っていうと語弊があるのかもしれないが

とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは

押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。

災害中の描写から、衛宮士郎連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。

っていうか、原作描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが

今回アニメ描写って気もする。



んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。

だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと

極論すると、士郎以外の誰であっても

上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。

実際問題、それは非常に考えづらくないか?

なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら

やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と

涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、

そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。

「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」

を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。



VSって原作時からして情報量凄い上、

大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ

「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。

よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。

読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で

「借物」が「心がない」と誤解されたり

「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、

ある意味衛宮士郎の誤解の発祥源でもあったわけだが

今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。

始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい



思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。

嗚呼、あの当時原作プレイした俺は幸福だった。



今回は素晴らしかった。

なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ

人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ

士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる



一応補足しとくけど、兄貴ディルでは置かれた状況が全く違うから

兄貴ディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ

そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに

仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし

もし兄貴ディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか

それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディル兄貴同様、立派なケルト英雄だと思うけどなぁ



士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。

でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロ人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロ人助けをしたかったんだろうな。

そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。

なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。

大河になってアーチャー馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっき抱きしめたい



俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった

士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね

だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも

分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは

本人に自覚が無くても無意識にそう感じていたのかな?と思った

だからあのゲリラ少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって

指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分家族が食べていく為だったりするし



>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

>原作ではこう

>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。

>>いけないのか。自分気持ちではないから、それは偽物なのか。

それ、別に矛盾しなくない? 

士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」

っていう願いを持ってた。

でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて

意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)

そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、

「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、

士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では

抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。



SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・

会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)

これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう

後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?

虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に

ナタリアとの別れによる正義への絶望故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな



横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。

・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写

・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。

「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」

スマホからだと書きにくいな…



俺は

「たしかに、始まりは憧れだった」

「けど、根底にあったものは願なんだよ」

「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」

って解釈した

根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた



コメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。



車の傍の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

トンネルの中の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

荒野の木の周りの死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

世界との契約

暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。

という事?



そうじゃなくて、

地獄を見た。

地獄を見た。

地獄を見た。

――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。

ってこと。



いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。

実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー

そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。

セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。

だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。




セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。

彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。

士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャー気持ちセイバーは理解できるだろうしね。



挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチック気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、

Dustは赤く燃えるStardustから零れる欠片=士朗

Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー

Judasエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想

として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。



士郎自身は無自覚だけど、彼の行動がひたすらトライアンドエラーを繰り返して道を探すやり方だからじゃないかな?

普通の人は Permalink | 記事への反応(2) | 14:43

2015-06-16

心臓移植のために寄付を!小さな命支援の手を!

国内外災害があったりした場合は、自分比較寄付をする方かもしれないけど、

この「小さな子供先天的に云々」のために寄付する、というのにはなぜか抵抗がある。

もちろんかわいそうだとは思うけど、「この子一人を救うための金額で、いったい

何万人の子きれいな水が飲めたり学校に行けたりするんだろうか」と思って

しまうんだよなぁ。

2012-05-29

産婦人科視点から生活保護を語る

せっかくなので産婦人科視点から生活保護を語ります

産婦人科看護師として働いている嫁からの伝聞なので、所々違うかも知れませんが、話の筋はあってるはずです。

特定を防ぐため若干の脚色を加えます。そしてなぜかラノベ風。

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病院の玄関前に高級車がとまる。

からは化粧をバッチリきめ、長い爪にネイルをたくさん盛り、デコりまくったケータイでなにやら話しながら降りてくる女性

運転手は男性女性を降ろすとどこかへ行ってしまった。

玄関を抜けそのまま受付へと来る女性

ブランド物のバッグと財布から出されたもの

生活保護の受給証明である

「なんか~、できちゃったみたいでぇ~、育てらんないし、堕ろしたいんだけどぉ?」

唖然とする受付担当モードを切り替え、事務処理だけに徹する。

診察室に呼ばれても、女性の態度は変わることが無く、幾度となく新しい命を取り上げてきた産科医も、イライラを隠しきれない様子。

それほどまでに自覚がなく、堕ろすことに対する罪悪感など無いように思える。

「では、来週のこの日に処置をします。自己都合ですので25万円の前払いです。払えない場合は堕ろせませんのでご理解ください。」

「はぁい。」

つの間にか現れた高級車に乗り、女性は帰っていった。

生活保護を受けていて、25万円なんて大金あるわけ無い。しっかり産んで育てて、少し態度を改めたら?)と、医師の隣で話を聞いていた嫁は思ったそうだ。

ところが、そうはならなかった。

市役所生活保護担当から電話、これから来訪するらしい。

「やっぱりか。」

何の用件なのか、先生は分かっているらしい。

訪れた担当者は、菓子折を手にもっていた。

「大変申し訳ないのですが、堕ろす事由を、自己都合ではなく、流産処置という形に変えてはいただけないでしょうか。」

(はあ!?

何を言っているんだ、明らかに自己都合だ。流産などでは決して無い。どう考えたって医師も断るに決まっている。

・・・分かりました。」

(えぇ!?どうなってるの?)

後で調べて合点がいった。自己都合だろうと、流産処置だろうと、彼女負担は0なのだ

ただ、流産処置の場合は、保険適用となるので、お金の出所が変わってくるし、金額も抑えられる。

から市役所担当はわざわざ菓子折をもって、直々にお願いをしに来たのだ。

いずれにしたって、税金なのに。

そして、彼女のカルテを見てもう一つ分かったこと。

「え・・・

同じ記載が、これで5回目なのだ。ここ2年で5回も処置をしている。

彼女自己負担額は0。罪の意識などあるわけ無い。

ブランド品のバッグ、財布はカレシからプレゼントだろう。

巧妙に生活保護を受けつつ、貢がせている訳だ。

そして、いくら小さな命を宿そうとも、彼女は堕ろすわけである

税金で。

きっと、また数ヶ月後に彼女はやってくるだろう。

そう思うと、何のための生活保護なのか、分からなくなってくる。

----------------

極端な例ですが、これ、どうにかして止められないのでしょうか。

何が悲しくて人の快楽の後始末を税金でしなくてはならないのでしょう。

困っている人に確実に届くよう、運用方法を見直して欲しいな、と感じました。

2011-06-14

許容すること

3歳男児餓死。15キロ程あるはずの体重が5キロ母親から聴取…千葉

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110608-00000009-mai-soci

こうゆうネグレクト虐待ニュースがあると

”産んだなら最後まで責任もって育てるべき!”

ってゆう意見が多いと思うんだよねぇ・・・・

や、実際にそれは正論やし、それが理想なんだろうけど

親には親の事情もあると思うのさ。

(てか、あって欲しいとゆうか・・・)

出産に関しては望まなくても産まないといけなくなったケースって

色々思いつくよね。

金銭的な問題や、精神的な問題・・・・旦那さんの虐待ってのも。

誰もが選択できる環境で生きている訳じゃないし、

そもそも産んでしまってるんやから、そこを責めたってなんにもならないでしょ。

問題は育てられなかった場合

日本って国は倫理観が強いというか、型にはめたがるというか・・・

「こうでなくてはいけない!」ってルール結構多くって

それに外れた人達を排除する(いわゆる村八分)傾向にあるような気がします。

産んだら責任もって育てろ・・・そりゃそうだ。それが正しい。

でも、それができない人が育てようとするから

こうゆう事件が起こっちゃうんやないかなぁ・・・

育てられない理由が、金銭的にせよ、若さにせよ、性格にせよ、

「できない」ものは「できない」んでしょ?

そこを無理しようとするから歪みが起きちゃう。

人には得手不得手、向き不向きがかならずあって

どうがんばってもできない事ってのが十人十色にあると思うんですよね・・・・

この人達には「子育て」ができなかった。

要はそれだけの事。

でも、それは周りの人には受け入れられない。

「できない」って言ってしまった時点でどんな目にあうか・・・・

田舎なら尚更)

で、進むも戻るもできなくなった結果がネグレクト。って事かもしれませんよね。

努力は必要です。でも努力した結果「できない」と思った時は

素直に諦める勇気も必要なんじゃないのかな?

子育てができない!ってのが努力した結果なら

それはそれで仕方ないでしょ。

でも、自分ダメでも子供にはチャンスを与えてあげないと。

親が居なければ可哀そうかもしれない。

捨てられた傷は一生消えないかもしれない。

でも、自分が恥を忍んで手放し、誰かに託せば

少なくとも子供は生きられる。

非行に走るかもしれないし、

対人関係を築けずに引きこもりになるかもしれない。

でも生きてる。

生きてさえいれば、どうにでもなる。

産んだら育てなければいけない。そんな事ない。


私は子供を育てています

でも産んだ責任として育てている訳じゃない。

私は子供を育てたいと思っているから育てている。

この子達と一緒に生きていきたい。

成長をこの目で見ていたいと心の底から願っているから。

そうでないなら育てなくていい。

無責任だがやめてしまえばいい。

ただし、勘違いしてはいけない。

子供の命や人生まで奪ってはいけない。

子育てをやめるのは勝手だが、児童福祉施設でも他人の玄関の前でも

とにかく、子供を他の大人に託す。

それが、子供を産んだ事の責任であり、親として最低限の義務でしょう。

そして、子育てができなかった親を受け入れる。

そんな社会を作れれば、不幸な子供達が少しでも減るのではないでしょうか。

努力していきたいですよね。

育てられない親の為でなく、

生まれてきた小さな命の為に。

2010-03-03

 「捨てるなら保健所にもっていった方がいいですよ・・・猫にとっても」

 「殺すなんて残酷じゃない!」

残酷という言葉を口にしながら女は飼っていた猫をあっさりと捨てた。肌寒い初秋の山の中に。

産まれてからずっと人間に飼われていた猫が野生に放り出されて生きていけるわけないのに。

 「だって引っ越すんだもの。しょうがないじゃない?」

女の目の端には涙が浮かんでいた。

山中に唐突に捨てられた猫はかつての飼い主を見ている。

いや、猫にとっては今もなお飼い主のままなんだろうが。

女は手を小さく振りながら鼻をすすった。「バイバイ・・・」

謝罪に何の意味があるというのか。謝るぐらいなら最期まで面倒をみるか、保健所に連れていけばいいのに。

きっと、その両方が嫌になったのだろう。それが本音に違いない。

女は車に戻った。背後で猫が鳴いた。

 「早く乗りなよ」 女は俺にそう促したが、俺は「いやいいです。歩いて帰ります」と言った。

 女は怪訝そうな顔をしていたが、結局車を走らせて去った。

 女は引っ越すから猫を捨てると言っていた。引越し先がペット禁止の建物なのかと言えば、そうじゃない。

 何故なら女の運転する車の後部座席には室内用の小型の犬が乗っているからだ。

 つまりそういう事なのだ。欲しくなったら気軽に何も考えずに購入し、飽きたら捨てる。愛玩動物とはよく言ったものだ。

 無知なる愛誤の認識なんて所詮その程度。残酷だから保健所に連れて行かないとか、片腹痛い

 これから冬を迎える山の中に捨てられた猫がどんなに残酷な末路を迎えるかあの女は少しでも想像できるのだろうか?

 女は知らないだろう。野良猫の最期の惨めさなど。そんな野良猫を捕らえては楽しく虐待する人間が居る事など。

哀れな猫を抱き上げる。腕の中が小さな命が発する体温で暖かくなった。

人間に慣れきった猫は媚びるように鳴いた。

捨てる神あれば、拾う神あり。

そうある意味、命を自在に弄ぶ神に等しいのかもしれない。猫にとって人間は。

生かすのも、殺すのも。飼うのも、虐げるのも。

家路を辿りながら、頭の中で猫をどんな風にしてやろうかと考える。

せめて寒さとは縁遠い、暖かさの中で死なせてやろうと思った。

2010-01-04

20代前半、学生妊娠しました。

妊娠してしまったことは、正直に言うと凄く後悔しています。

快楽を追求するあまり、安易に中出しをしてしまった事、

私が危険日(厳密に言えば、性交渉がある限り毎日が危険日になる訳ですが…)を

深く考えていなかったこと、時間が無いという理由でアフターピルも飲まなかったこと。

結果、望まない子を妊娠するという結果に至ってしまった事。

年齢や未収入であるという問題、将来のキャリアへの影響を考慮し、中絶を選択しました。

自らの見通しの甘さ、お腹の子にも申し訳なさ、一般的な倫理観にも反する「堕胎」への罪悪感…

正直、後悔の連続です。


そして、私の中絶への意志を悟ってからでしょうか。

数日前から腹痛が続いています。

まだ胎児とも呼べない(医学的には胎芽と呼ぶそうです)ほどの小さな命が、懸命に「生きたい」と言っているかのように聞こえます。


お腹にいるのは、最愛の彼との子です。

この小さな命を…あなたは何も悪くないのに、大人たちの独善的な判断でお空に返してしまうこと。

明後日までの命のあなた。

生まれてくるはずだったあなた。

本当にごめんなさい。

頭の悪いお母さんでごめんね。

今度生まれるときは、皆に望まれて、祝福されて、幸せになってください。


そして最後に。

彼氏彼女のいる…特に、現時点では妊娠を望まない貴方。

性交渉は仕方ありません、でも避妊は確実に行ってください。

望まない子を妊娠する、そして堕ろす。

相当精神的に圧し掛かってきます。一生後悔します。

それが全てです。

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091208071006

予想以上のブクマがついてしまった。それにホットエントリにまた関連エントリが入ってるし。ちらっと見たけど、基本グダグダになってるのでこのまま収束して、別の話題でまたどつきあいをし始めるだけではないかな。というわけでブコメの返答の続き。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091208071006

Arturo_Ui おいおい, ぬるい! 「なんか、ひどいですよね」<それは君が「はてサ」を呼び捨てできる理由にはならん//「もうあからさまにバカ扱い」<単に論理展開に隙が多いから。「俺の作品は取り締まるな」という主張と見なせば平仄は合うんだが。

あはははは。他のレスでも僕がNaokiTakahashiさんを持ち上げてるみたいに見られてるけど、ちょっと違う。某所ではその一派とか言って敵視されてるのがね、そこまで言うかと呆れてます。呼び捨てにしてるのは、単にはてサが嫌いだからに過ぎません。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049

kowyoshi (略)読解力あまりない自分だが、エントリーから「はてサ憎い」という怨念しか伝わらない

はてサ憎いことはないですよ。そんな怨念を抱くような個人的経験もないし。ただはてサが嫌いなだけですね。ってか、サヨクの人ってなぜかすぐそういうこと言い出しません? 嫌悪憎悪の区別がつかなくて、俺に反論する奴は全部けしからん、みたいな。被害者意識が強いというか自意識過剰というか。妙にエスカレートする理由は、そこにもある気がしますよ。

kei_mi シンプル世界観を適用して細部を切り捨てちゃうのはもったいない

それは許して。

fromdusktildawn この件に関しては説得力のあるブコメに☆をつけるというより自説への応援ブコメや自説を危うくしかねないブコメを貶めるブコメなら少々論理が怪しくても☆を付けまくる一部集団がいたな。数希を応援する信夫的。

たぶん、そこがはてなの問題というかきついところというか。たいてい中身は問題にはならない。この件だけじゃないと思いますよ。

NATSU2007 婆さんの繰言を本気にして「ほら女だってこう言ってる。だから自衛しない方が悪い」と鬼の首盗ったように吠える奴がいる以上、老害の言説を利用されないように叩き潰すも1つの道。

こういう意見が出てくると思った。これだけの短文でも突っ込みどころが色いろあるんだけど(ぱっと見て三つくらい)、はてサでもネトウヨでもいいですが、ネットである言説を「叩き潰」そうとするから碌な事にならんのだ、とは言っておきたい。無茶なこと言って自己正当化するのはやめた方がいいです。

NATROM はてな 「片方が小さな命題をチョロッと言うと」。曾野綾子の主張は小さな命題ではないと思う。

分かって書いてるんだろうけど、漫才のところから言われてもな。ようは、バランスの問題、程度の問題。

tatsunop 呆けた婆さんの戯言でも、トンデモスルーせずに突っ込む人は必要。極論をベースに論点を構築するとぐだぐだになって徒労が大きいというのは同意できるけど。

なにがなんでも必要かどうか分かりませんが、相手の仕方も程度の問題だと思います。

cheapcode 何を今さら。こういうのに積極的にからんでうだうだくねくねするのがはてサ醍醐味だろが。俺様意見を一方的に主張してはてブ界隈で注目されたいだけで、そもそも誰も”議論”なんかしてないんだよ。

あははは。ごもっとも。

parallel-world 『題は「用心するということ」』/水伝「良い言葉を使いましょう」、ゲーム脳ゲームばかりしてはいけない」が、本来のお題なのだと信者は言ってるよね。ニセ社会学やニセ犯罪学は勘弁してくれ。

曽根綾子のエッセーのダボラぶりは僕は擁護してませんよ。その手の信者と並べられるとちょっと困る。それに曾野綾子社会学犯罪学の見かけを借りて論じてるわけでもないので、ニセ社会学・ニセ犯罪学というにも当たらない。それ以下。

uheh 無駄じゃないと思うけどなぁ。自分の場合、いままでジェンダー食わず嫌いだったけど、この件でちゃんと本読んでみようと思ったよ。

これは良かったですよね。いや、皮肉じゃなくて。

gouk 確かに戦後すぐってのは生活のためにそういう格好してああいうところうろうろしてた人がいたんだよ。しかしそれを、今の犯罪に当てはめるのは無意味。しかし真に受ける存在がいるから彼女らがピリピリする

まあ、真に受けるアホは軽くいなして鼻で笑っておけばいいと思うんですよ。しつこいけれども、程度の問題といわざるをえない。

chousuke7 「はてサ」は、彼ら独自の文法と文体で話している。

彼ら独自の「文脈」もありますよね。

hygienic 徒労と言いながらちゃんと整理するとはwww(略)

ああ、受けた受けた。本論よりも、そこが受けるととっても嬉しい。これが一番気に入ったブコメだ。ありがとう。

2009-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20091207105341

あのネタには絡まない方がいい。整理するだけ徒労。

まず前提は、曾野綾子政治的に右派で、保守的なばーさんだということ。保守的作家保守系産経新聞に書いたテキストを、良く言えばやや極端に、悪く言えば意図的に誤読するところから議論が始まってるわけ。

http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091129

曾野綾子の議論で問題になりそうなのはこういう部分。題は「用心するということ」。

 基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界常識を学ぶことができなくてはならない。

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

これをどう読むかだけども、フェミはこれをセカンドレイプの線で読んだ。つまり、自分で刺激的な服を着ておいて不用心な女がレイプされるのは女も悪い、と曽野は言っている、と。

やや極端な読み方だというのは、前提や但し書きを重ねている点。「もちろん決定的に悪いのは犯人」「もちろん襲った米兵が悪い」「『男女同責任だ』と言えるケースがあると認める」と、限定を重ねている。

また、この文章の趣旨が、題名で分かるように「女たるものそれなりに用心せよ」と女が言っている、つまりババアがネーチャン共の服装を見て説教しようとしているわけで、逆に言うとただそれだけのものでしかない。それに、産経の読者にはそういう意見を好ましく思う人もいるだろうから、それほど突飛な文章とは言いにくい。むしろ、曾野綾子なら、産経なら、そういうことを言うよねえというもの。

もっとも、曽野も放言が過ぎていて、「午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない」のはそうかもしれないが、レイプされて殺されることとは無関係だし、「ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、(略)」というくだりは曾野綾子の周辺のお上品な連中にはそう見えるというにすぎないなど、突っ込みどころがありすぎることも事実

さらに話がややこしくなったのは、単にフェミのネタにしやすい文章だというだけでなくて、曾野綾子政治保守産経保守系だということで、左派(ここでははてサ)の格好の目の敵になった。現に、着火して煽ったのがはてサシートンだ。つまり、思想的思惑込みでポジション取りをしてるので、議論がかみ合わなくなる。

それに、はてサに反論してる一人がNaokiTakahashiさんで、NaokiTakahashiさんは以前からはてサと議論してて対立してるので、それで余計に議論がもつれた。

議論の対立は基本的にこういう事。フェミ・はてサ曾野綾子の言ってることは時代錯誤セカンドレイプということになる。それ以外は曾野綾子の放言は認めても、単に用心しろといってるだけで、そんな議論することかと言っている。

そこで「自衛厨」にむけてはてサ・フェミが言い出したのは、「曾野綾子の『用心』を正当化するなら、男は刺されてもいい・予防拘禁されてもいいじゃないか」という「レトリック」。もちろん、何もしてないのに刺されたり、捕まったりしてはいけないので、それは違う。したがって、曾野綾子の「用心」は正当化できない、と結論付ける。Aが正しいとしたらBということになるが、Bは間違っているのでAではない、つまり一種の背理法だね。「男は獣」云々もその流れ。

理屈だけたどるとはてサ・フェミの方が正しいのだけど、よくよく考えたら、もともとの文章が突っ込みどころが多いとはいえ単にババア説教でしかないので、それに対して「なら男を刺してもいいのか」「予防拘禁だ」という極論から背理法に持ち込むのは、明らかにバランスを失している。

たとえば、法律として女性の服装を規定しろとか義務化しろとか曽野が言ってるなら、この背理法もまだ意味を持つんだけども。

すぐ例が思い浮かばないが、こういうレトリック漫才で使うと思う。片方が小さな命題をチョロッと言うと、それに対してもう片方が話を大きくふくらませて言って背理法に持って行き、だからオマエの言ってることは変だという。「誰もそんなことまで言うてへんやないか」とツッコんで客席は爆笑。中田カウスボタンっぽいネタなんだけど、うーん、適切な例がすぐに思い出せない。でもありがちだと思うね。

ただ、左翼はもともとこういう背理法を使った踏み絵をよく踏ませた。古臭い例で、改憲→即戦争→だから護憲!みたいな。はてサはそのやり方を真似てる。たぶん、戦後学生運動で、相手を洗脳しながら議論に勝つやり方の劣化バージョンが未だに生き残ってるんじゃないかな。根拠なく言ってしまうけど。

長くなった。そういうことで、あのネタは議論として無意味になっている。いつものように、自分たちが論理的に正しいとはてサが信じ込んでいるので、こうなるとまともに議論が成立しない。議論に付き合う人はやればいいけど、ただヲチするために整理したいんだったら、無駄なのでやめておいた方がいい。どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから。

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