はてなキーワード: 専業主婦とは
専業主婦の妻が3食完璧な料理を作り稼ぐ夫にペコペコしてるのを毎日見てることを考えたら
女性は家庭に収まり男に付き従っているのが常識って考えのやつばかりになることぐらい想像に易いのに
リベラル派の学生たちは男子だけが自由に討論し、女子生徒にだけ飯作らせて味がどうとかメニューがどうとか文句言ってたらしいで。草
5割ってどこ統計だよ…
まさかご近所の女子高生にちょっと頼むみたいなのも入れてる統計か?
多分釣りなんだろうだけど、何が間違っているかマジレスしてみる。
自分が欲しい条件をそのまま相手に伝えても得られるわけでない。
例えば男女を逆にしても、子供が欲しいが仕事が忙しい年収2000万円の男がお見合いをして
を条件として出したら、かなり怖い感じがする。
これは、子供を産めなかったり、家事や育児が行き届かないと、離婚されそうな雰囲気があるから。そしてその場合は無職で歳を重ねた状態で放り出されるから。
もちろん、結果として専業主婦になって子育て・育児に専念する女性はいるけど、夫婦として一生添い遂げる信頼があるのが前提。
「運よく子供が生まれたら、お金は私が稼ぐので、あなたに育休取得と時短勤務をお願いしたい」というと絶対に誰もうんって言わない
これは相手に半ばキャリアを捨てるように要求しているので、うんと言われないのは、あなたが信頼されていないから。
まずは、あなたが結婚相手として信頼される(キャリアを捨てて年収が増える見込みが無くなっても離婚しない・モラハラしないと思われる)必要があるだろう。
「夫に育休取得と時短勤務を取得させる」のは手段であってゴールではない。
そして、育休取得も時短勤務も夫のキャリアとのトレードオフがあるので、代替手段が取れるのであればそれも検討すべき。
では、ゴールは何なのか?
それは、あなたが「仕事が好きで仕事を続けたい、キャリアを積みたい」であるだろう。
そして、その実現のためには
など、さまざまな方法がある。
もちろん、夫の育休取得や時短勤務も選択肢の一つだけど、それを条件として突きつけるのではなく、まずは「仕事が好きで仕事を続けたい、キャリアを積みたい」ことを伝えてわかってもらった上で「妻のキャリアアップをサポートしたい」と思って育休や時短を選択してくれるような人を選ぶべきではないかな。
相手の年収が自分より低ければ育休や時短を要求できるという考えは間違っている。
もちろん、夫婦で話し合った結果として「年収が少ない方が育休や時短を取得した方が得だ」という考えはあると思う。
信頼がなければ、仕事やキャリアは離婚へのリスクヘッジになるので、元増田の要求は「キャリアを捨てる選択」の押し付け合いにしかならない。そして、結婚前の段階で不利な条件の押し付け合いをしてくるような人と結婚したい人はいない。
元増田を読むと
相手が38歳以下 → 低年収からしか相手にされない → 育休取得と時短勤務を押し付ける
というロジックになっているのだけど、相手の年収が高ければ(大黒柱になってくれるのであれば)、育休取得も時短勤務も要求しないように見える。
であれば「38歳以下」という条件を緩和して(そのかわり「おじさんくさくない見た目」とかの条件がつくかもしれないけど)、年収が高い人をターゲットにした方が良さそうな気がする。
元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。
早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。
優越の欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験や就職活動を乗り切れていないようにも思う。
エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。
勝つことが全く意味がないとも思わず、人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベートの人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。
しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。
身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性受けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。
彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分が彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。
友達の前で私の容姿を馬鹿にしていた。おそらく友達に可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼は発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ。
この人のそばにはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。
訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生のときにいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。
それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。
なんで元彼と付き合ったのか。
行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性のストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツにありがちな関係性幻想に染まりすぎだった。
最初に露骨に口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。
(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)
「俺に欲情して強引に露骨に口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。
買って済む話ではないことはわかる。ホストに貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの。
私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面の偏見、安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰。
元彼の両親は偉い父親と専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。
元彼は父親に強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親の価値観をインストールして母親を馬鹿にしているようにも見えた。
「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係を美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女の彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。
専業主婦になるために自営辞めたって事?
先日兄が逮捕された。
いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。
ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイクはいれつつ身の上話を聞いてほしい。
私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。
理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。
現実は他の子は家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。
それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。
そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。
余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである。
話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通は起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。
そんな状態で起業するものだから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。
そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。
よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。
この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学の制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。
高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかったからだ。
この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。
そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。
兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。
この頃の私は我が家は普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種の男性と普通の生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。
公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。
だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。
だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死に携帯で参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。
そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこからか調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通に入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったから人生終わったと思った。
そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。
学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。
それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ちで奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。
とにかく大学はバイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。
父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。
就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。
さて同僚の方達はいい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。
まず親の職業は公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。
それはそう。
それはそうなんだが。
我が家は車がなかった。
厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。
だから4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。
せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古のアウディを買った。
わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったからである。
ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。
父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤の治療が始まり、家でのサポートが必要になったため母は派遣をやめた。
いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。
そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社の金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社のお金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。
毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだから、お金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。
SNSで結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休は彼氏と家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。
私はどこで道を間違えたのだろうか。
それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?
私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通に暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。
それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。
小さい子供を見ていると、いつも余裕がない。
おもちゃを見れば自分のものだと主張し、ご飯の時間も隙あらば遊ぼうとするし、いつもなにかせかせかとしている。
大人もそうだ。
満員電車では席の取り合いをするし、大きなターミナル駅では人にぶつからないように歩くよりも、相手をどかす歩き方をする方がいいと言わんばかりだ。
余裕がないのは悪いことではないと思う。
おれは母親から「エレベーターのドアを閉めるのはかっこ悪い」と言われたことがある。
理由を聞くと「閉める」を押して縮まる時間なんてたかが知れてるから、余裕がなくてかっこ悪いということだった。
それを聞いておれは母親が余裕のない人へマウントを取っているのだと解釈した。
おれはそんな経験を通して、エレベーターの「閉める」を押せない人生もまた余裕がないと思うようになった。
それからは、必要な場面ではボタンを押すし、必要ない場面では押さないことにした。
今おれは「閉める」ボタンを押したいほど焦ってるな。とか
都内で家賃高めの区の私立幼稚園に通い始めて知ったのは、裕福で多子のご家庭も結構いるということ。
父が高収入、母が美人上品かしこの専業主婦の家庭が7割、残り2割が父も母も優秀な夫婦(この場合母の顔は中上)の組み合わせ、1割があんまりな夫婦
で皆この少子化に3,4人当たり前。皆様は実際は大変だろうけど、優雅な顔で卒なく園、子供全員の習い事複数、ママ友付き合いをこなされてる。
話してみると多くの皆さん賢くて優しくて勤勉なのよ。
でもお手本のように素晴らしい親御さんの下でも多子の子大体顔死んでるのね。
2人くらいまではうまくハンドリングすれば、子供全員幸せそうなんだけど。多子の子ってもちろんいつでも顔死んでるわけじゃないけど、顔死んでることが多い。
※追記:確かに顔死んでるとか目が笑ってないとかはあまりに主観的だったかも。優しい大人への喰いつき具合とか。
そして3人4人になると親ももう子供の話す事平気で無視したりするようになるね。
別にそれでも立派に育つと思うし、今でさえ優秀な子供達だと思う。
でも親が子供を一人の人間として尊重し関心を持ち関われるリソースを鑑みても、少なくとも親から愛されてる実感は少なくなるだろうなと思う。
まあ別に親以外で充足できればいいだろうけど
労働人口不足でこれはない
待遇が良い会社は減ってないのに、待遇が良い会社の社員はどこいった?
根本はキャリアを築くと1日8時間以上の拘束が夫婦に降りかかること
つまり専業主婦が当たり前だった時代の働き方を変えようとしない権力者(男)のせい
なんで新入社員時点で嫁がいる前提なんだよwwww
たとえば機械系を専攻して世界一の自動車技術を開発したい人にとって、世界一魅力的な街は東京じゃなくて豊田市なんだよ
だから就活時点で第一志望にとおったら自分はこの先ずっと豊田市に住むことがわかってるんだよ
そんで、もともとの話は機械系専攻の女性の大学生がどういう道を選ぶかって話じゃん
男だろうが女だろうが、技術職が仕事で一番しあわせを実感できるのは、自分の技術を世界のトップレベルで生かせることで
自分の技術を生かせるかどうかで、就職先も住む場所も職場環境も決めるべきなんだよ
そういう職場であれば、もとの増田に書かれている悩みなんて、経験済み・解決済みの先輩女性社員も多い
結婚・出産するんでも、そういう技術者の街で技術職同士結婚して育休とって復職する事例がまわりにゴロゴロいるので参考になる
男尊女卑だとか差別だとかじゃなくて、客観的にみてそーなんじゃないの?って話。
少子化が進むのは女性の社会進出が増えたのが最大の原因なんじゃないの?
いや、それが悪いってわけじゃなく原因がそれじゃね?って話。別に女性が働くことに異議はない。
そこで女性が働き出すとその分男性の働き口が減るわけですよ。そりゃそーだ。
待遇が良い会社から埋まっていくので、働き口が減った男性は待遇の悪い会社で働くことになる。
そうなると年収も少なく結婚すら選択肢から外される可能性が増える。
もし結婚したとしても旦那の給料が低いから奥さんも働く。共働きで昔の男性1人分の年収を稼ぐわけ。すげー非効率。
そんなスパイラルなんじゃないの?
女性が専業主婦ならその分男性が働いて稼げるわけだし、逆に男性が主夫になって奥さんが働くでもいいけど、一般的にはまだまだ男性は働くものだと考えられてるだろうし。
とにかく、今日日の3分の1の男性がそうである様に、一生独身でも構わないから、女性の社会進出のため、ジェンダー指標の改善に協力してほしい。
これをせめて、99位以上になるまで奮闘したい。
今のままでは国際社会に顔負けできない。
よく男性と女性の性差で議論になるとき「性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見に出会うことがある.同感である.
確かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.
東京 vs 地方の話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化や環境の議論をしているように思う.
そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.
異常値であると記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ,地方においても親が異常者であればこういう子育てが可能であるという例である.
先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京の国立大学卒である.二人とも博士号を有している.
仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.
私は仕事で住んだ地方都市よりもさらに人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元で暮らしていた.
まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.
子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台,美術館,博物館なんでもOKだったし,
公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.
連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域の情報や歴史を調べ,
車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.
中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家が設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.
半年に1度程度の頻度で東京や大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館,キッザニア,鉄博,USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)
にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博,地下鉄博物館,京王レールランドなどにも行った記憶がある.
体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏での子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.
それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.
上の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初は駄々を捏ねていたが,
1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.
私自身ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.
一方で,ゲームは面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)
そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.
習い事や勉強について.未就学期の習い事は上の子は水泳,ピアノ,造形教室,ダンス教室,下の子は水泳,造形教室だった.
通っていたお絵かき教室が県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,
我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生と中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元の新聞に載った.
公文は個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.
自宅で先取り学習は絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)
小学校(公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.
そのため,自宅では,首都圏の中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元の進学塾にも通っていた.
大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏と地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.
(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)
中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏の学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.
上の子は開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子は中学は地元の公立中学に進学した.下の子は後述.
上の子が開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.
が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来の目的に戻ろうということになった.
ただし合格は本人の自信になったようだ.
それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.
上の子は高校受験で開成に,下の子はちょうど引越しタイミングと受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.
子供達二人とも首都圏に引越してから,学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.
この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺の主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功例であるとは言わないが,
少なくとも人口数十万レベルの地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.
もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートやゲームセンターで休めて楽だけど,
妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.
ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしていたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,
過剰に,それこそ首都圏での子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う
その意味では,首都圏がどんなに文化や環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供を放置していた家庭よりは地方の我が家の方が多くの体験をしていただろうし,
かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味で狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う
よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.
「東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎の専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」
というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?
妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.
次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.
もしかして博士号のような生産性の高い人物が子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?
世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.
それに,君,働いたことある?会社の仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?
目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.
それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産を形成したら
うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦で20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.
3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか?
上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味で生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?
我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする