はてなキーワード: 寛解とは
私は普段反出生主義と安楽死合法化を推進するゴリゴリの過激思想をやっているのだが、それを見た人からしばしば「厨二病じゃん、思春期のうちに卒業しておきなよ」と言われる。
残念ながら、私が患っているのは厨二病ではなく自閉症と二次障害(双極性障害だったり統合失調症だったり診断名は何転かしている)というマジの精神疾患だ。
自閉症の特性ゆえの視野狭窄で小学生の頃から思想は尖り続ける一方だった。多感な思春期に二次障害を併発してからは、主に躁状態のときに思い浮かんだ攻撃的な思想が寛解期や抑うつ期にも正しく思えるようになり、いっそう反社会性の増す思想になってきた。
自分の中でもこんなヤバい主張は精神疾患から来るものだという客観性はまだあるものの、一方で先天性の発達障害を自分の人格と切り離して考えることも難しい。
「この思想は反社会的で悪であり、それを考えさせたのは脳の異常だが、異常者にも思想の自由はあり、これは私という人間が人権を行使して主張したい思想だ」という面倒なロジックで自我を保っている。
私のような過激な精神異常者が「厨二病」というマイルドな言葉でいなされるのは大いに平和的だが、完治のない精神疾患に気軽に「卒業」を要求されても困る。健常者は思春期以後丸くなっていく人も多いだろうが、私のように障害が原因で就職で詰むなどして孤立や貧困に向き合うと、加齢と共により過激な思想に傾倒せざるをえないのだ。
こんな異常者を人として生かし続けるというのなら、病人の戯言と受け流さずに私という個人の思想も聞くのが政治と福祉ではないのか。
大学生のとき、ADHDの二次障害で躁鬱と診断された。きっともっと前から躁鬱だったんだけど、いよいよヤバくなって病院に行った。
19歳〜21歳までが特にひどくて
・洗濯とか洗い物とかもできない
・1週間風呂入れない
・光熱費支払い忘れて止められる
・通院も無理すぎて薬をもらいに行けない
・過食して気絶して寝る
・消えたくて泣きまくって、目の周りの皮膚が剥けまくる
と散々な大学生活だった…
本当に散々だったんだけど、仕事を始めて経済的に安定したことや、仕事が性に合ってて充実してること、会社近くにメンクリがあってほぼ強制的に通院できることとかが重なって、躁鬱が寛解してきている。
・ゴミを出す
・週一で洗濯する
・使っちゃいけないお金は使わない
その次は
・自炊と洗い物をする
・土日に掃除機をかける
・ドカ食い気絶をやめる、人並みの食事量にする
そして最近は
・家計簿をつける
・土日のどちらかに作り置きをする
とかなり生活レベルを向上させることができるようになってきた!!!!!!!
19歳から本当にメンタルも生活も地獄だったんだけど、20代後半になってようやく人並みのメンタルと生活を得られて、人生始まってきた感じがする
いつ前の状態に戻るか怖いけど、このままちゃんとした生活を送り続けていきたいなと思う
生きていてよかった、と思えるようになってきて本当に嬉しい
20:30 就寝
4:40 起床
4:50 ランニング
6:30 出勤
8:00 始業
12:00~13:00 昼休み(10:00頃から強烈な眠気に襲われるので数分で食事を済ませデスクで昼寝)
17:00 終業退勤
18:30 帰宅、晩飯の準備、風呂(勉強したいが眠すぎて手がつかない)
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8時間寝るようにしてるし体も動かしてるのに日中たまらなく眠くなって困ってるんだがいい解決方法あった同志いませんかね……。
ちなみにストレス感じるとすげえ眠くなる。
【追記】
・ランニング後朝食は食べてる
・ランニングしてから仕事への集中力が高まったのと、もともと社交不安障害でロラゼパム服用していたが、ランニングしだしてから社交不安が寛解し薬が不要になった。それ以降ランニングが習慣になってる為、ランニングを止める予定はなし。
ホメオパシーの作用機構や効果効能の有無についてや死亡事故の説明は、専門家諸氏がされているのでここでは触れない。
筆者は元々ホメオパシーについては詳しく知らないのもあって中立か比較的好意的だったと思うが、施術者の異常さが目につくので筆を取った。
友人がホメオパシーをやっている。もう5回以上断っているのだが、「相談に乗ってほしい」と言って呼びつけては、自分の患者になるよう数時間かけて何度も説得をしてくる。
友人が言うには、全ての医療や民間療法は筆者の持病を治すことができず、世界でホメオパシーが唯一根治可能らしい。病院に近づくことも良くないそうだ。
医学的な客観性を許さないこと、医師ではないのに(代替)医療行為を行おうとしていること、完治できないと言われている病気(寛解はある)について根治可能と断言すること。
友人の言動に引っ掛かったところはこの3点だ。
筆者は小康状態ではあるが、毎年一度は救急病院に運ばれている。そして発作が起きるたびに後遺症があるため、なるべく再発は避けたい。そして発作を放置すると最悪死ぬ。
端的にいえば命を預けろと言われているのだが、友人は副業でホメオパシーをやっている程度で、普段はサラリーマン。何か起きたらすぐに駆けつけてくれるわけでもないし、医師ではないので緊急時の正確な診断も対処もできない。
自分のような不治の病を診たこともない。聞いた話だと高所恐怖症を治した程度だ。
高所恐怖症で死ぬ人はいないだろう。そういった生死に関わらない話なら勝手にやってくれと思うが、今回ばかりははっきり言って無責任で最悪な態度だと思う。
ホメオパシーは万病を根治させ、人生の諸問題をも解決に導くそうだが、友人は長年人間関係で悩んでいながら自身の悩みを解決することもできないし、それが長じて鬱状態になり自身の死を何度も仄めかしてくる。先日はコロナに感染したが発熱と後遺症で苦しんでいるらしい。
先般「コロナに感染しても、ホメオパシーを使えば発症はしない」と断言してたのを思うと、大きな矛盾を抱えているように思う。
これらを踏まえて筆者は通報した。今後友人と会うこともないだろう。
5年くらい前にパワハラで鬱発症してしばらく休職してた。復職していまは元気になったけど、ふとした時の落ち込みがすごい。
クリニックも細々通い続けて少量の薬を続けているおかげか、大体の時間は本当に普通に過ごしてる。
躁鬱でもない。
仕事や私生活になにか不安や原因があるのか?というとそうでもない。まあ普通に仕事はしたくないしプレッシャーもあるけど耐えられる範囲で、人も給料もいい。家族仲も良くて恋人もいる。特別コンプレックスもない。アラサーでちょっと焦燥感があるくらい。
でも本当に突然、希死念慮がやってくる。
2ヶ月か3ヶ月に1回くらい。
些細な原因があるときもあれば、何もないのにもう生きなくていいなーと思う時がある。いまがそれ。
あーあ、もういいやってなっちゃう。
精神疾患がない人は希死念慮ってないの?これが当たり前になってしまった。鬱って寛解するのかな。
こんな時はとにかく薬を飲んで寝るのがいい。
むかし1日30km歩いてたけど、10kmって普通の速度で歩いて2時間かかるでしょ。
外出できる時点で、そして2時間歩けるって時点でもうかなり良くなってると思う。
自分は躁状態のときは1日30〜40km歩いてしまって、うつ状態のときは家から一歩も外出できなくなる。
だから歩数が異常なほど増え始めたら躁の兆候、歩数が減り始めたらうつの兆候、というように歩数を気分変動の客観的な目安にしてるよ。
ように指導される。
躁状態になりかけのときはこの逆。運動しすぎない、なるべく睡眠時間を取るようにと指導される。
→ 増えたか減った
→ 考えが頭に浮かんでしまう?
→ 楽しめない? 重要なネームが書けていない状況ではそりゃエンタメは楽しめなくなるのでは?
散歩や外出はできる。
月一通院だったが、再発したので薬の調節のために2週に一回の通院になった……という補足があれば理解できるのだが。
この人にとって漫画を描くというのはどういう意味を持つんだろう。
社会との繋がり? 食い扶持? 自己肯定感を高めるためのもの?
赤の他人からすると、もう描かなきゃいいのにとか、あの内容を載せるくらいなら最終回の掲載を伸ばしてもらうほうが良かったんじゃないかとか、寛解してから単行本で最終回だけ差し替えるつもりなのかなとか考えてしまうけど。
なんでも攻撃と捉えるの良くないぞ
内容の合ってる間違っているはともかく、下記だって別に攻撃でやってることじゃないでしょ
内容の合ってる間違っているはともかく、気になったからトラバしただけで
治らないとされているのは統合失調症・双極症・神経発達症
26歳の男です。妻も同じ年で大学の頃の知り合いです。
タイトルの通りで、夫婦仲とセックスレスについて忌憚ない意見を聞きたい。
結婚して1年半くらい、ある程度付き合ってから結婚しました、いわゆる順風満帆な夫婦だったと思う。
空気が変わったのは結婚してしばらくして妻が鬱になったあたりからかな。仕事で鬱になったんだけど、鬱になってから俺としてはすごく気を使って生活してたよ。発言一つ一つには気を付けて、色々勉強して、支えてきたと思ってる。
最近は大分回復してきて、仕事にも復帰して、鬱も寛解?したって先生に言われた。
鬱になる前からなのかもうわかんないけど、とにかく妻に愛されてない気がするんだよね。
好きの言葉もないし、キスもないし、タイトル通りセックスもない。
でも、俺側にも問題があると思うんだよね。
妻に気を使うあまり、発言にすごく慎重なんだよね、それに気疲れしてる。でもたまに失言するとすごく妻を落ち込ませてしまうし、怒られるし、そのたびに自分が否定される気がして苦しいんよな。
セックスレスは多分鬱の薬の副作用によるものなんだよね。そんなことはわかってる。妻も申し訳無さそうに、したい時はするよって言うけど、したくない相手とするのは本当に悲しいんだよね。家庭内でレイプしてるみたいで。
でも妻に、上のことを言えば、二人の関係はクリティカルな打撃を受けると思うんだよね。
俺は我慢して、輝かしい未来に希望を持つべきなのかな。それとも結婚てこんな感じ?
なんかめちゃくちゃ悲しいわ。
○追記
タイトルの通り、ヤリモクやクズ面白い男たちを観察した備忘録。
当方女。29歳でバツイチになり30歳まで3か月ほどあったため、その間だけ遊ぼうと思ってチャットアプリに登録した。
男を釣るため、自分の顔をAIに読ませてほんのり面影の残っている美女を作成。男性陣が好みそうな焼肉、お寿司、ラーメンの写真をプロフに載せた。
私は地方在住だが、母数を多くするため居住地を東京都在住に変更した。基本ヤリモクとは会う気はなかった。
その中でアプローチをかけてきたヤリモクたちやクズを紹介する。
①ストレートきんたま男
このタイプは性欲を何も隠さない。きんたまが喋っている。ある意味話は通じないので楽。
「やろう!」「今夜空いてる?ドライブ行こうよ」のほか、チャットしてすぐの下ネタや謎のSEX自慢が始まることが多い。
・手当たり次第にチャットを送ってる(と思われる)消防士がいて、自分の体力とペニスの大きさ硬さの自慢しかしてなかった。20代後半なんだからもう少し自慢できる事柄を増やしてほしいなと思った。
・「くんにちは!」などのキショい挨拶や、名前とアイコンを女性ににしてセクハラ質問を投げるおじさんがいる。
・「セックスで女をメスにするのが好きなドSなんだけど興味ある?」という男がいたので、「それじゃ合わないね、私も男を雌犬にするの好きなんだ」と返すと
「そっちにも興味ある」とすぐに鞍替えしていた。ドSどこいった。
・年上のお姉さんに責められたい願望があるやつ多い。
②ホスト/女風
ホストは年齢に合っていないブランド品をつけているので概ねわかる。ノリが軽く話しやすいが、営業掛けられるのは怠かったのでスルー。
女風のキャストは比較的礼儀正しいしさわやかな印象の人が多い。初動では女風とは言わず「アロママッサージやリンパマッサージが体験無料です!」と売り込みをかけてくる。
正直マッサージはしてほしいが、お金払って同性のプロにお願いして適切なマッサージを受けたい人間なので身元の分からないのはスルー。
たまに元AV男優っていうのも混じっている。
③35歳以上/既婚者
何故か男性の年齢が35を超えてくると名前でわかるようになってくる。
35歳過ぎてチャットアプリやってる人は大体既婚者か変質者である。
絵文字ではなく顔文字を入れてくるがそれはせいぜい15年くらい前の文化で、文面が古いことに気づいていない。
本当かどうかはさておき、彼女募集中という設定の男。大半はこの層。(というか③→①とか流れの人が大半。)
一方的に趣味の写真を送ってきたり、女の理想を語ってくるなどモテないだろうな…と感じる人や
会話をしているうちに、だんだん化けの皮が剥がれてしまってヤリモクっぽさが滲んでしまう人が多い。
クズ度の高い人は「付き合いたい」「可愛い」「好き」「結婚しよう」とか会ってもないのに言いがち。
クズ度が比較的低くても、話を広げようとしなかったり最終的につまらないと感じてしまう人が多い。
きんたまストレート男たちよりは多少マシな気がするけど…似たり寄ったりか。
たまに真剣度の高いマッチングアプリだと本当にいい人がいたりするけどかなり少数だと思った方が良い。
⑤誠実系クズ
厄介度No.1。ぱっと見まともに見えて楽しい時間を過ごせるが、人間として一番信用できないタイプ。
言動に余裕があり普通にコミュ力があるので、魅力的に見えやすい。連絡がこまめ。
通話をしてみると、共感が多く聞き手に回ってくれるので心を開きやすいが、そう見えるだけで大して何も聞いていない。
ちょいちょいヤレそうな女かのジャブを打ってくる。
通話終わりに「楽しすぎて、会いたくなっちゃうね」等の言葉で女性側の感情を高め、会おうと誘導するパターンが散見される。
だいたい2年くらい付き合っている彼女に飽きてセフレ探しをしている男が多い。
女性慣れしていて、会話で女性側を気持ちよくさせる技術は持っているので、見極めに少し時間がかかる。
ホスト等は商売で甘い言葉をささやくが、この手のタイプはナチュラルに人を騙すことに抵抗がないなのである意味人として一番危険かもしれない。
彼らと話していると、個人的に「クズに遊ばれるよりクズの本命になってしまう方が悲惨だな」と感じる。
女性の扱いが上手い分本命とも上手くいくのだけど、結局自分のことしか考えておらず彼女すら平気で裏切ってくるからだ。
クズは一時的に寛解するかもしれないが完治はしない精神疾患だと個人的に思っている。
まだほかにいろいろな人がいるとは思うが、私がチャットや通話した人たちはこんな感じだった。
読んでくれてありがとう。
その人には私からアプローチをし、私から食事に誘った。女慣れしていなくて受け身の人だったが、今はとても大切にしてもらって再婚も決まった。
言いたいことは薄っすら分かるんだけど、ADHDとLDは精神科(精神医学)の正式な診断名で、アダルトチルドレンは正式な診断名ではなく定義も曖昧なので、両者は分けて語ったほうが良かったと思う。
ASD、SLD(限局性学習症/LDとも言う)、ADHDと診断されると社会的なサポートを受けられる。
学習面での支援、障害者手帳や障害年金、症状に応じた薬物療法など。
診断名に甘えて努力を放棄するならそれは一種の呪いと言えるが、だからといって診断されることが無意味であるかのように断じるのはあまりに単純かつ乱暴すぎる。
↓こういうことを言っている人は見たことないが、最近流行りの自称HSPが「HSPだから云々」と言っているのは見たことがある。あとは「毒親持ちだから云々」、毒親に関連してICD-11で登場した新病名「複雑性PTSD(CPTSD)」を持ち出す人も増えている印象。
発達障害は生まれつきのもので生涯治らない(ただしADHDについては寛解という概念がある)ということになっているので、基本的には生涯に渡って精神科に通院することになる。
統合失調症と双極性障害も同様で生涯に渡って通院と服薬が必要。むしろ自己判断で通院と服薬を止めると大変なことになる。
私は何年も精神科にはまる人はしょーもないと思ってる。
影響が大きい人のみが発達障害と診断される仕組みになっている。
影響が小さい人はそもそも診断されない。
また、ASDとSLDに対しては薬物療法はない(ASDに伴う症状に対して抗精神病薬を使用することはある)。
ADHDには治療薬が存在するが、かといって薬物療法は必須ではない。
製薬会社の影響力はゼロではないが、過剰に敵視しすぎて適切な治療を受けられなくなるのであれば、それこそが呪いだと思う。
生まれもっての性格や特性が人生に関係あるのは本当でもその影響ってそんなに大きい?
大企業の社長や大物政治家ならまだしも99%の普通の人には呪いにしかならないんだよ。
木材が二箱届いた。昨日別れた人と一緒に寝るための、ダブルベッドになるものだ。なるはずのものだった。
別れた原因のうちの一つはこのベッドだ。26と38でどう?と彼は言った。きっかり半分こにするためのあと6000円を、彼は払いたがらなかったのだ。
彼が敬愛する歌手のコンサートのチケットは1万円した。その歌手の歌のタイトルを私はひとつしか知らなかった。コンサートというもの自体がほとんど初めてで楽しめるかどうかから不安だったが、行った。
隣にいる彼が一曲一曲が始まるたびに目を輝かせてちいさく歓声をあげるのが可愛かった。
楽しかった。
時間を共有できることがとても嬉しかった。同じ音に触れて、鼓膜が揺れているのだと思った。一緒の時代に生きることが出来てよかったとしみじみ思った。最後は腕を振って歌った。私が唯一タイトルまで知っていた歌だった。
ついぞ果たされることは無かったが。
木材たちはてんでそっけなくAだの⑧だの上面だのといったシールが貼ってあり、頼みの綱である組み立て方の説明書には「2人以上で組み立ててください」とあった。意地でも一人でやってやろうと思った。
私はもともと片付けが病的に苦手で、一人暮らしをしていた部屋もひどい有様だった。母が定期的に死んでないか確認に来る以外、ほとんど人を呼んだことは無かった。
告白をされた時、自分の部屋が直ぐに脳裏に浮かび、とても悩んだ。障害なのだ。小学校の時に診断を受けて、小児うつの疑いも指摘され、20歳の時には二次障害でがっつりと鬱になり入院し、そこから丸々一年休学した。
その時に四年付き合って一緒に住んでいた人とも散々な別れ方をして、そこからは恋人が出来ても長く続くことは無かった。
もう誰かと時間を共にするのが怖かった。二年ほどぽっかりと恋人のいない時間を過ごしていた矢先の、告白だった。
私は悩んで相手に洗いざらい打ち明けた。障害のこと、病気のこと、寛解はしているが自分に自信が無いこと。
彼は真剣な顔で聞いたあと、それは病気でなくても同じことだよと言った。
僕も片付けが苦手だし、でもできない所を補い合うことはできる。それは病気であってもなくても同じことだと。
嬉しかった。信じてみようと思った。全てかけてみようと。
間に合わなかった。モザイクをかけたくなるようなダンボール箱が最後数箱出来た。自分の部屋にも入り切らず、共用の寝室の片隅に置かせてもらった。
「ずっと片付かないのは嫌だけど、頑張ってくれたらいいよ」「一月を目処に頑張ろう」と言ってもらった。
それからの日々は怒涛だった。仕事、洗濯、食事の支度、お風呂、睡眠のローテーション。自分一人ならどれか欠かしても仕方がないけれど、人と住むからと気を張っていた。
食器洗いに追加して、お米を炊く当番を彼にお願いしたら喧嘩になった。
なにもかも上手くいかないと思った。たった今せっかく組み立てたヘッドボードも、電源コードを穴から出すのを忘れていて全てやり直しになった。どうにでもなれと思った。
それでも彼とたまに出かけるのは本当に楽しかった。水族館に行った。美術館に行った。海に行った。月に一度くらいだったが、本当に楽しみだった。たくさんの写真を撮った。
でもそれ以上の数の喧嘩をした。約束した人数以上を彼が部屋に招いたこと。前日にいきなり一人泊めたいと言ったこと。私の片付けが終わらないこと。私が調味料を片さないこと──その時、彼も皿や鍋を仕舞わないことを指摘したら、湯煎して2日放置されていたお鍋のパックを壁に向かって投げつけた────。
私も感情的な方だが、大きな音を立てたりものに当たったりするのは許せなかった。
「殴りたくなった」と言われたのもショックだった。かつて別の人に殴られた事や殴られかけた事が複数回ある。
付き合うまで彼は温厚な人間だと思っていた。
私には人に殴らせる才能があるのだろうと思った。そうだとしか思えなかった。
そして、やっとのことで取り付けたベッドの横木が、1本まったくの上下逆だった。左半分を一からやり直す羽目になった。
一緒に住むにあたって私は、洗濯機も冷蔵庫も電子レンジも全て譲ってしまった。
彼の持っていたそれらの方が性能が高かったから、そうせざるを得なかった。
「捨てろなんて言ってないよ。ただ置いておきたいなら自分の部屋に入れてね」と彼は言った。
ベッドの話に戻る。彼のシングルベッドで暫くは一緒に寝ていた。しかしさすがに狭く、ベッドのマットレス部を敷布団の2つ折りと合体させるような形で床に敷き、寝た。どちらも、彼の持ち込みの寝具なので、私は敷布団側で寝ていた。何ヶ月もすると身体のあちこちが痛み出した。肩を軽く押しただけで崩れ落ちるような肩こりを起こした。いよいよベッドを買おうと言ったが、彼は頷かなかった。「あなたがシングルをもうひとつ買えば?」
私はシングルベッドふたつがこの寝室に並んでいる姿を想像して頭を抱えた。ほぼクイーンサイズではないか。
何故そんなに自分のシングルベッドを手放したくないのか聞けば、「まだ使えるから」という。
私の家電だって、まだ全部使えた。それでも2人の生活と天秤にかけて手放したのだ。
この人は一つも、私たちの生活のために諦めてくれない。一つも。そして冒頭の発言に繋がる。
それから、こう続いた。
新しくダブルベッドを買ったとして俺はシングルベッドを手放さない。
あなたが買うならすぐに買うんでも、何にしてもいいが、半分ずつ出し合うなら、今はどれを買うか話し合っている時間が無い。
…ダブルベッド買ってあなたひとりで寝るの?俺が金を払わないから?…なら俺が横にシングルベッドを並べて寝る。
もう身体が痛くなければなんだっていいと思った。ダブルベッド丸々私が払って買って、向こうがなあなあで使い始めて、もういっそそれでもいいと思った。
買った。
でも直ぐに許せなくなってしまった。
詳細は省くが、いよいよ私には価値がないのだと思った。礼を言ったり、詫びを伝えたり、たった1行のLINEを打つ価値も私には無いのだと思った。
交際が始まる前にほんの数通ではあるが文通をしていた。読み返す度、私は、彼の言葉が好きだったのだと思い出せた。一緒に住みはじめてから私が手紙を書いても、返事は来なかった。
もう終わっていたんだなと、ふと思った。
ダブルベッドは、最後の釘を締められないままドカンと寝室に居座っている。
同時に注文したマットレスが届くのは少し先になりそうだ。
来月には向こうの忙しさも落ち着いて、引っ越しだの手続きだのを話し合うことになるんだろうと思う。板のまま箱のまま持っておいた方が本当は、引っ越し代も安く済んだに違いない。
手取りは私の方が安かったが、食費も家賃もきちんと半分出してきた。光熱費は在宅のほうが消費する為傾斜をつけたが、そこだけだ。
フェアにやってきた。別れて空っぽになるのはきっと私だけだ。馬鹿みたいだ。だからシングルベッドを取っておいたのだろう。
彼は賢いと思う。
本当の意味では、彼を嫌いになれなかった。
この文章を書いている今ですら、まだ揺れている所がある。
友達に縁切りのお守りを貰っても、いくらやめろと言われても、ずっと別れられなかった。でもここに書いていない一件で、もう諦めなければならないと、ようやく思えた。
終わりにしようと思う。きちんと自分を取り戻さないといけない。
マットレスが届いたら。
まっさらのダブルベッドに1人で寝ながら、新しい生活をどうしていくか、考えようと思う。まだすのこしかないベッドに横たわってみる。
ポケットの中で、余った釘がじゃらじゃらと鳴った。
30代〜と若い精神障害者でも訪問看護を利用してる人たちがたくさんいるのが謎。
うつ病とか双極性障害とか統合失調症とか、寛解していて体の持病も無く、家事もこなせて外出もできてる人でも利用してる。
認知機能に異常がなく持病もない若い人の血圧を定期的にはかる意味あるの?
実は私も双極性障害の持病があり、手帳2級を持っているのだが、訪問看護の利用を勧められている。
……来てもらって何すんの?
私は40歳で、血圧は上が102で下が70。体の持病はあるが寛解してるし通院もできているので問題ない。
ちなみに統合失調症で年金・手帳ともに2級の姉は30代の頃から訪問看護を利用している。
話を聞いてると、どうも「話し相手」として機能しているようだ。ただの話相手としてしか機能していないのなら看護師である必然性がないし、そこに税金を使うのもなんか違う気がするんだけど、これは自分の認識が間違ってるだけなのだろうか。