はてなキーワード: 家人とは
宇多田ヒカルの光のPVは、彼女が食器を洗う風景を収めたもので、食器を洗う時に聴くと気分が上がる。
あれは曲のサビの間のみ水を出せるという縛りプレイなので、最初無駄に水出しっぱなしとか、洗い方が雑とか、つまらない事を言うつもりは無い。それを知ってから見ると、水を出せない時間を少し持て余し気味なところが可愛い。
でも、スポンジに直接洗剤を垂らして泡立てているのが、ずっと気になっていた。
深めの食器に水と洗剤を入れて洗剤液を作り、スポンジに洗剤液を吸わせて泡立て、それで食器を洗う。これが正しい洗い方だと、家庭科の授業で習った覚えがある。
ひろゆき風に言うと彼女というか奥さんというか家内というか妻は、宇多田ヒカル式にスポンジに洗剤を直接垂らして泡立てて洗う。実家の母もそうだった。
それを見る度に違うんだよなと思うが、別にその洗い方でも汚れは問題なく落ちているので口には出さず、自分が食器を洗う時だけは家庭科の教科書にあった洗い方を実践している。
家族以外が食器を洗う姿を見る機会はあまり無いので長年気付かなかったが、もしかすると現在の正しい洗い方は、宇多田ヒカル式なのではないかと思う機会があった。
最近、家の洗剤がJOYの逆さボトルになった。というか、自分で買い替えた。
食器用洗剤に対する不満として、少し気を抜くとボトルの底がカビて、げんなりする。というのがある。少し神経質なきらいがあるので、定期的に底を確認して洗うのだが、それを家人に見られるのは避けたい。せせこましく家事の粗探しをしていると誤解されても面倒だし、細かい奴だと思われるのも格好が悪い。これなら接地面が少ないので、底が汚れにくくて良いなと思ったのだ。
話を食器の洗い方に戻そう。この逆さボトルのCMやパッケージデザインでは、スポンジに直接洗剤を垂らす様子が強調されているのだ。
JOYを逆さにした結果、自分が逆さにひっくり返った気分だ。うまいことを言えてないのは分かっているが、本当にそれくらい驚いた。多分こちらがスタンダードなんだ。
同時に、宇多田ヒカルと家族に対して、申し訳ない気持ちになった。今までずっと食器の洗い方が変だと思っていてごめん。
唯一の救いは、今までそれを指摘してこなかったことだ。否、指摘していたら言い返されたろうから、そこから自分の間違いに早く気付けたのかもしれない。
なお、逆さボトルを導入してから日が浅い為、本当にカビに強いかは判明していないが、スポンジに直接洗剤を垂らす派の家人には好評である。非推奨の使い方ではあろうが、洗剤液を作る際にも特段支障はない。
食洗機を買えという意見が散見されるが、食洗機は既に導入済みだ。だが、鍋や炊飯器のかま、食洗機とあまり相性の良くない調理器具類等は手で洗う。なので、厳密に言うと食器洗いではないのかもしれない。でも、なんて呼ぼう?
それから、洗剤液を作る際の食器について。個人的には、丁度良い大きさの空瓶を1つ確保しておくのを勧める。まず空瓶に洗剤液を作り、食器洗いの最後にその瓶を洗って乾かしておくと、常に清潔な容器に同濃度の洗剤液ができて良い。
全く罹らないわけでもないから恐い。
それにワクチン接種してない小学生が遠方に移動して罹るかもしれないのも恐い。
ウチの実家は日帰りとはいえ外食必須、東京ではないが感染者がまだ出てる。
黙食を頑張るしかないのかな。
もちろん「感染者数が落ち着いたら」という前提条件ではあったけれど。
せめて春になって暖かくなった頃にしたい。
何なら年末年始待たずに土日に日帰りで行こうと言われてしまった。
事あるごとにウチの方は気にしなくていい、と言っているが
ありがたい事にそれは良くないよ、と言われている。
いつもありがたいんだけど、まだ行きたくない。
持ち込むような事になるのは嫌だ。
アチラのご近所の目がどうなのかも気になる。
我が家では小学生が1番他人と接触しているから、病を持ち込むなら小学校から来そうだと思っている。
ジイジやバアバに会わせたい気持ちもあるが、
家人に思いとどまってもらいたいが
無理そうで困っている。
もう感染者数は増えないし大丈夫、なんてことは誰にもわからない。
収束してるといいな、とは思うけれど
油断して後悔したくない。
「帰省はまだやめましょう」って
誰か偉い人が言ってほしい。
なるべく早く、今月中にでも。
それでも帰省しようって言いそうなんだけれど。
そういえば感染者数は減ったし一緒に食べようって言いそうだ、ウチの実家。
どうしたものか。
親と口論をした。不安症が治まらなくてどうしようないので増田に書き散らす。
父親は以前からうさんくさい健康系の情報を仕入れてくる人で、ニセ科学に傾倒していると言ってもいい。
多くのサプリメントを購入しては家の棚に納める、知人が大病になったら健康法を記した処方箋のようなものを作成して渡す、そんな人。
某空間除菌系の商品とそれを販売する会社を激賞するわ、この会社の消毒スプレーの原材料を仕入れて大小のボトルに入れ、消毒液を自作する始末。
なお完璧にマネるわけではなく、一つの原材料のみである。アルコールは入っていない。
さらに近所にもそれらを勧めている。
母親をはじめ他の家人はそんな父親の言葉を特に精査することなく、鵜呑みにしてる。
そんな状況で、家族の一人が新型コロナ陽性者の濃厚接触者になった。
職場の一人が抗原検査で陽性反応を示したという。今って抗原検査で陽性診断になったら自宅待機になるんだね。
まだ発症しておらず、あくまで濃厚接触者ではあるものの、当然、この家庭ではピリピリである。
そして父親から、あるサプリメントを飲めと手渡された。新型コロナに効くという。
名前は出さないが検索してみると、ある大学と企業が共同研究云々、ウイルスを100%阻害云々、実験見るとうさんくささMAXだった。
少し時間が経ったのち、そのうさんくささを指摘したらなかなかの剣幕で責められた。
「実験で証明された」とか「厚労省に認可を申請してる」とか。認可されてないのかよ。
口論はあちらこちらに飛び、前述した自作の消毒液についても正しいんだと主張しはじめる。
「アルコールより効き目がある」「じゃあこれの悪いところを言ってみろ」とか。なお全てに感嘆符がつく勢いである。
(実はコロナ禍が始まったときにもこの消毒液について口論していて、このとき父親はこちらからの主張に気後れしていたのだが、一切忘れたようである)
また、母親からは家出したいと思わせるには十分の言葉が出てきた。
「家族が団結して事に臨まなきゃいけないのに、飲まないなら出ていって」
文脈からすると、家族の安全を脅かすのならば出ていけ、そういうことだった。
自分は家族の一員ではないと言われた気がした。(ある意味すっきりしたが)
サプリメントや自作の消毒液を家族と近所に勧めないでくれと言ったとき「俺は強制していない」と反論した父親は、この母親の言葉にダンマリだった。
個人の意思を尊重する姿勢を見せつつ、家族の総意と違えるならば排除する。
そのあともやり取りは続いた。
父親と母親はワクチンを打っていない。家族の安全を主張しておいて、なぜワクチンを打っていないんだと言うと
「それは個人の自由」らしい。父親は「(既存のワクチンで)人がいっぱい死んでいる」と強調した。
ああ、反ワクチン。そりゃそうか。この人たちはそうだよな、と独りごちたり。
自分は家族とうまく話ができない。家族を前にすると考えがなかなか言語化されず、口に出すのに一苦労する。
相手の言い分のおかしな部分に気付きながら、それをはっきりと指摘できず、あまりにもどかしかった。
精神的に疲弊し打ちのめされ、「もういいや…」と自暴自棄になって仲違いのまま引き上げてしまった。
一人暮らしするだけでは物足りない。
失踪すれば7年で死亡扱いになる。絶縁できる。
楽になりたい。
私は誰にも感染させたくないし、自分も感染したくないので必要な買い物(スーパーくらい)だけに留めて、仕事もリモートでするようにしている。
一方、家人は感染したくないと言っているものの夜11時過ぎまで飲みに行っていたり、リモートで働ける環境にも関わらず「家で仕事したくない」と言って通勤をしている。
家人の主義主張について私が強制したくないので強くは言えないけれど、そろそろつらい。
リスクの捉え方が
なのかなと思う。
でもでも、後者のような考え方で結局感染が拡大している側面もある(全てではない)だろうし、結果医療従事者の方にも負担かけるし、経済的な回復も遅くなるし、いいことないじゃんと思ってしまう。
少なくとも救いは「結婚」ではないことは明らかだと思う。
「女あてがえ論」ってのはもしかすると、結婚ではなくて「奴隷」として女をあてがえという意味で言ってるのかもしれないけど、それだと女性側の人権を毀損することになるので、「女あてがえ」=「結婚」と思って考える。
でそう思って考えた時、結婚生活っておそらく「弱者男性」と呼ばれるような人にとっては、きつすぎるんじゃないかなと思う。
結婚生活ってはっきり言って小さな会社を経営するようなもんだし、お互いの価値観のすり合わせと妥協とか、家計の運営とかそういうものを家人で分担しながらやりくりして、さらには子供が生まれたりなんなりの新たなライフステージにおける価値観の変化とかにも合わせていかないとならないので、結婚によって幸せになるためには凄まじいレベルのコミュニケーション能力が必要になる。
ここで要求されるのって「異性と付き合う」とかいうレベルではとてもすまないコミュニケーション能力なので、コミュ強で且つ自身の価値観を妥協できるような懐の広さがないとかなり辛い生活になっていくんじゃないかな。で、そういうものがあったらおそらく「弱者男性」というようなカテゴリに入ることもないと思うので、結局救済にはならないと思う。
自分が個人的に考える救済は「承認」なんじゃないかなと思う。一定の経済的な支援は必要かと思うけど、それよりも何よりもおそらく社会に阻害されているという感覚自体が、こうした「弱者男性」と呼ばれる人を不幸にしている気がするので、なんらか承認欲求が満たされるような居場所が出来れば良いのではないかと思う。
具体的に書くのは非常に難しいのだけど、一番最初のステップとしては、安心して所属できるコミュニティをたくさん作っていくというのが対策になるんじゃないかなと思う。まあ、もうすでにそういう活動はあるのだと思うけど、結局そういった場所をどんどん増やしていくしかないのではないかなと。
2. 罰則
著作権侵害は犯罪であり、被害者である著作権者が告訴することで侵害者を処罰することができます(親告罪。一部を除く)。著作権、出版権、著作隣接権の侵害は、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金、著作者人格権、実演家人格権の侵害などは、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金などが定めれれています。
また、法人などが著作権等(著作者人格権を除く)を侵害した場合は、3億円以下の罰金となります。
さらに、私的使用目的であっても、無断でアップロードされていることを知っていて、かつダウンロードする著作物等が有償で提供・提示されていることを知っていた場合、そのサイトから自動公衆送信でデジタル録音・録画を行うと、2年以下の懲役若しくは200万円以下の罰金が科せられます。
第119条
著作権、出版権又は著作隣接権を侵害した者(第30条第1項(第102条第1項において準用する場合を含む。)に定める私的使用の目的をもつて自ら著作物若しくは実演等の複製を行つた者、第113条第3項の規定により著作権若しくは著作隣接権(同条第4項の規定により著作隣接権とみなされる権利を含む。第120条の2第3号において同じ。)を侵害する行為とみなされる行為を行つた者、第113条第5項の規定により著作権若しくは著作隣接権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者又は次項第3号若しくは第4号に掲げる者を除く。)は、10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
2
次の各号のいずれかに該当する者は、5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
1.著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者(第113条第3項の規定により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者を除く。)
2.営利を目的として、第30条第1項第1号に規定する自動複製機器を著作権、出版権又は著作隣接権の侵害となる著作物又は実演等の複製に使用させた者
家人にねだられて、ひざオオサンショウウオ特大を通販で買ったら得意満面でベッドに持ち込んでしがみついてお休みになられていたのだけど、寝てる間は猫の寝息のボリューム上げた感じで鼻息が荒かったよ。と次の朝に言ったらとても嫌な顔をされた。
ちなみにこれまでにないくらいぐっすり眠れたらしいが、私としてはひざオオサンショウウオ特大に抱きついている家人と、逆側のわきのしたに潜り込んでくる猫にはさまれて身動きがとれなくてつらいだけだった。
なお、ひざオオサンショウウオ特大そのものはとてもいいものですし、わきのしたに潜り込んでくるねこもそれはそれはとてもいいものです。
(追記:みんなー、このエントリで言及したかったのはねこの寝息の良さについてだからね!ひざオオサンショウウオも良いものだけどもさ!)
自室に監視カメラがあって、家族に行動を見張られているような気がしてしまう。
自分がベッドに入って寝るタイミングで家人が自室から出てきたり(私とその家人は仲が良くない)、ちょっと人には見られたくないようなタイミングで家人が音楽を聴くことをやめたりとか、ひとつひとつはしょうもないのだけれど、積み重なると気味が悪いようなことがある。まあ、一度そういう妄想をはじめてしまったから、そういう変にタイミングが合った時に反応してしまうだけだろうなと頭では分かっているつもりだけれど、妄想が拭えない。それ以来、自室で裸で体重計に乗れないし、着替えをするときは学校の更衣室の女子みたいな着替え方をしてしまう。
別に、と前置きをするとかえってアレかもしれないけれど、糖質とか双極とかそういうわけではないと思う。頭にアルミホイルは巻かないし、ソ連のスパイとはなんの関係もないし、他人に見張られているとは思わないから。いや、まあ、酔っ払いは「俺は酔ってない」と言うけれど。
コミュ障だったり頭が悪かったり鬱々とした思考をしてしまう自分のことを「だめなにんげん」だとは思うけれど、別にそれは性格だったり逃げ癖の結果であって、脳の機能的な病気ではないと思う。いや、まあ、医師でもないしMRIも見てないのに「思う」って「それあなたの感想ですよね?」って感じだね。
話は逸れるが、全くの別件「仕事辛いよ〜(要約)」という悩みで心療内科に一度行ったら「皆そうだから皆我慢して頑張って働いてるんだから」という近所のおばちゃんが言うようなことを言われて終わったことをふと思い出した。
閑話休題。
いや、言うてもそんなのお前の妄想だからと思ってあまり気にしていないつもりなのだけれど、これ病院行ったら治るのかな?「お前は病気だ」と言われて自分のだめさに名前がついてカテゴライズされて安心したい気持ちと、病名なんてついたらいよいよやばいぞという気持ちと、別に病気でもなんでもなくて健康なただのだめにんげんだという事実に改めて直面することも怖い。あと、ネットで自称ADHDとかいるじゃん?そういう人たちを生温かい目で見ているから、自分もどこかその人たちのようだと思っているのが嫌だったりもする。
ただの妄想なんだから、盗聴器とか監視カメラとか発見してくれる業者に頼んで、カメラがないことを証明してもらえばいいじゃん、とは何度か考えたんだけどお金かかるしな〜と先延ばしにしている。
読み返しながら脈絡がなく早口っぽいこの文章が何より病気っぽさを表していて気持ち悪い。いや、ただ文章が下手なだけなんですけどれど。
自室で服を閉まってる時、ふと下をみたら楕円形の茶色い物体が……
それが何かに気づいて絶叫。
今日に限って家には誰もいない。半泣きでどうするか考えた挙句、ダイソンの掃除機で吸い取ることにした。
ダイソンの掃除機は吸引力が変わらないただ1つの掃除機じゃなかったんかよ!?あいつが大きいせいか全然吸い取ってくれない。吸い取られてるか確認する度に絶叫。
やっとの事で吸い込んで、さあこのごみどうするか……
放置して、帰ってきた家人に処理を頼む手もあったが、あいつの死骸は残しとくと益々寄ってくるとか何とか聞いたことがある。
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。