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2024-04-25

anond:20240425134334

https://kotobank.jp/word/%E5%8F%96%E6%80%A5-2068290

精選版 日本国語大辞典

とり‐いそ・ぐ【取急】

〘他ガ五(四)〙 (「とり」は接頭語) たいへんに急いでする。〔文明本節用集(室町中)〕

浮世草子好色一代男(1682)五「ほどなく祝儀を取急(イソ)ぎ」

とり‐いそぎ【取急】

〘副〙 たいへんに急いでいるさまを表わす語。主に手紙などで用いられる。

社会百面相(1902)〈内田魯庵虚業家尺牘数則「先は当用まで取急ぎ草々」

2024-04-06

anond:20240406101716

室町とかで戻ってきたりこなかったり

まあバチカンに近いか

あんなんで残った例は世界的にほぼ無い

バチカンはもちろんイギリス宗教トップだし皇室神道トップだしでなんとか生き残った感じ

中国なんかぺんぺん草も残らないからな

2024-01-30

セクシー田中さん一件、中世ヘルジャップそのままだな!

中世期に於いて、「指し腹」という慣習があった。

これは、何らかの係争於いて、一方当事者がそれを理由切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観垣間見られる。


この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争神明裁判などにもみられるように一種投機行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能無意味なのである

逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復原則ちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。


可笑しいのは、このような投機状態に陥ったなら乾坤一擲私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしま中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしま場合があるというから惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である


さてこれは名前現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。

さて指し腹は近世江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹家人使用した脇差文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。

2024-01-11

anond:20240111161500

室町だったか平均寿命20歳ぐらいってあった気がする

疫病とか飢饉とか戦とかあるからねえ

2023-12-23

anond:20231223004259

いただきます昭和説が強いけど、ごちそうさまは室町の文献にはすでにあって意味が変化しながら江戸時代の後半に大体いまの用法に近い形になったって聞いたな

2023-11-30

◯ンデ◯◯ク

ぼんてんこく【梵天国】〔「ぼんでんこく」とも〕


御伽草子室町期の成立。梵天王の姫と結婚した主人公中納言が,帝の難題を退け,また羅刹国に連れ去られた妻を助け出す物語。のちに古浄瑠璃説経節などとしても広く行われた。


②〔江戸初期の浄瑠璃興行で,一日の興行の終わりに必ずを語る習慣があったこから物事の終わり。「たとひこの身は梵天国になるとも/松の葉」


③〔から転じて〕主人などから追放されること。「やきもちのやの字もあると,忽ち梵天国さ/滑稽本浮世床」


2023-05-07

日本橋丸の内の道はめっちゃ広い

TVタックルで「人に負担強いるよりもまず道どうにかしろよ」って話が大いに賛同を集めた(実際その通りな)んだけど、実は「道はどうにかなってる」例として挙げられそうなのがあったのを思い出した

日本橋室町国道17号線東京駅周辺。

元々道広いだろ!って言われればそうなんだけどもその元々の広さに加えて、歩道をしっかり確保してるのがポイント高い。人が集まるからそうしたんだろ?って思うけども歩行者の往来はあれくらい(最低限)必要だということが歩くとよくわかる

室町百貨店が並んでることもあってガードレールがないんだけど、あれがないだけで原付以下二輪車車道通行がすごく楽。

道路のもの意見を出したかはしらないけど、あの地域企業スポンサーとなって無料巡回バスを走らせており、自分の店なりビルなりに至る道までちゃんと考えてる気がする。

中央省庁人間があの辺ばっかりで飯食ってるなら「あとは個々人の法令順守とケガ予防だな」と考えるのもありえる

けれども庁舎周辺とか国会議事堂近くの道路はそんなにいい設計じゃないんだよなあ

2023-02-14

anond:20230214141445

「ちょうふく」は室町時代から、「じゅうふく」は明治時代ごろから使われていた。

まり室町まれか、明治まれかで、常識が異なるってことやね。

2023-01-22

ピッコマで連載中の「どろろ Re:Verse」辛口感想

最近2019年版のどろろにハマった。Amazonプライムにて面白そうだと思い視聴した結果、見事深みにハマってしまった。

特に百鬼丸性格や見た目などが好みどストライクだったので、それだけでアニメを一気見してしまうほどだった。

その後、原作電子で購入し全て読み、流石は手塚作品だと大いに感銘を受けた。

こちらの百鬼丸どろろも素晴らしい。

百鬼丸キャラアニメの方では大幅に変えられていたけど、原作の気の良いお兄ちゃんと言った感じのキャラも捨てがたい。

当時の事情ゆえ、打ち切り的な中途半端な終わり方をしてしまったのは名残惜しいけれども、体を奪われてしまうので、取り返す為の冒険と戦いの物語や初めは少年だと思ったけど、実は少女だと発覚するヒロインなどの要素は噂通り時代の先を行っており、今でも十分に楽しめる。

そして、それらを見終わった後、タイトルにある「どろろ Re:Verse」の存在を知り、そちらも課金して最新話である15話まで一気読みした感想をここに書き記す。

単刀直入感想一言で表すと「なんだこれは」である

脚本家はなんでも手塚作品ファンとの事だが、今の所、大本である原作どろろに対するリスペクトがまるで感じられない。

そもそもこの漫画は新アニメ版の続編という位置付けで作られている事が早い段階で分かるのだが、まだその新アニメどろろファンとして描いてるなら分かるが、マジで原作の方のリスペクトは皆無である

というかぶっちゃけ新アニメ版の内容すらも愚弄している。

しかし、どろろというタイトルを冠していなければ、ヒロインであるロロの出生の秘密百鬼丸の体に隠された幾つもの謎に迫るストーリー作画の綺麗さ及びクオリティの高さなどで個人的にはそこそこ面白いと感じた。

ただし、あくまで別物として完全に割り切る事が出来ればの話なので、無理な人とっては徹底的に受け付けない漫画である事は断言出来る。

さて、ここからは具体的にこの作品が続編物としてどのような問題があるのか挙げようと思う。

ただ、筆者はどろろシリーズに関してはにわかもにわかなので、作品知識に関して間違っている箇所や誤解している箇所があるかもしれない。

なので、今回はそこら辺のツッコミはやや浅めにするものどろろファンというよりも他の手塚作品ファンとしておかしい部分の指摘にのみ留めておこうと思う。

ちなみに筆者はブラックジャック火の鳥を8割程読了済み、ブラックジャックのみアニメをチラホラ見てて海のトリトンILなどを齧った事がある程度の知識である

感想は「どろろRV」(長いのでこう略称する)読了前提だが、今の所全部読むには課金しなきゃいけないので出来る限り話の説明を入れつつ、書いていく。

というわけで早速書いていくのだが、問題は大まかに三つ+αに分けられる。

百鬼丸、おまえどうしちまったんだよ

・敵や脇のキャラが魅力0なうえにマジムカつく

・何故世界観変えたし

・その他

以上の三つである。一つずつ解説していく。

百鬼丸、おまえどうしちまったんだよ

まず、この漫画を読んで真っ先に鼻につくのがこの点。

前述した通り、どろろRVは新アニメ版の続編であり、百鬼丸本人は続投という形でW主人公の片割れとしてメインを張っている。

必然的に出番は多いし、活躍もするのだが今作では生い立ちの設定から性格まで違和感の塊になってしまっている。

今作の百鬼丸は何故か不死身になっており、前作の最終回から400年以上経っている。そして、400年後の現代でも生きている精神年齢おじいちゃんキャラになっている。

これは作中でもはっきり明言されており、作者も意図してそういうキャラにしているようだ。

しかし、実際の百鬼丸というのは到底400年以上生きた老戦士特有の渋さや落ち着き、思慮の深さといった物が見えてこない。

所謂彼は、粗悪ななろう小説ラノベ小説に出てくるやれやれ主人公に成り果てており、どう甘く見ても外見通りの20代半ばの若造のようなメンタリティである

そのうえ若い女性かつほぼ初対面であるメインヒロインロロラブホに連れ込んだのは、ある程度の理由付け(自分ロロが真っ当な人間では無い為ちゃんとした宿泊施設には受け入れて貰えないなど)があったので、目を瞑るとしてもなんでシャワー後、裸でホイホイ出てくるんだ。

体目当てじゃないのは分かってるけどいい年した女を匿う為にラブホは百歩譲って仕方なかったにしても、もう少し場所を考えて行動しろよ、気持ち悪い。デリカシーが無くて、何ともムカつく。

前作の百鬼丸にもデリカシーは無かったが、それは特殊な生い立ち故に仕方が無かった。

しかし、今作はその生い立ちの言い訳は効かず、作中の描写で400年以上生きていて社会生活の中に身を投じているにもかかわらず、この体たらく

あんたより何百年も年下のブラックジャックの方がよっぽど大人びててかっこよかったよ。

正直、コールドカプセルの中で400年以上眠ってて10年だけ現代で生きてましたとか記憶を引き継いで転生しましたとか言われた方がずっとしっくり来る。

ツッコミはまだ続く。百鬼丸目的というのは実はまたしても体を喪失してしまったので、取り戻す為だと言う。

なにやってんの?本当に、なんでまた体無くしてんの?

正直、ここは別の理由付けにした方が良かった。

一度奪われたものを取り返したはずなのに、また無くすってなんやねん。

あの腕の仕込み刀をやりたいが為にそうするしか無かったのだろうけども、ぶっちゃけ400年以上生きる不死身体にしたんならサイボーグとかミュータントにして腕が変形するとかにしても良かったのでは。

それで別目的にすりゃいいのでは。

どうしても体無くした設定にしたいなら相当理由付けをしっかりしてなきゃ到底納得出来ず、また身体を無くした400年以上生きてる癖に大間抜けのうつけ者という印象は拭えない。

でもこの作品脚本レベル的にあんまり期待出来る理由付けにならなさそうだな…

・敵や脇のキャラが魅力0でマジムカつく

百鬼丸ロロを狙う敵キャラは目鬼というセクシー系の女キャラなのだが、謎にレズビアン設定でロロの事を何かしらの陰謀で狙うのはともかくとして、性的な意味でも狙ってきてるのが何ともきもい

ここで誤解しないで欲しいのだが、そういう同性愛的な設定がキモいと言っているわけではなく、別件で萌えという形で好意的感情は持てる事は明記しておく。

そうではなく、目鬼の場合ロロだけでなくほかの女の子にも手を出し、会って早々ロロの髪の毛を舐める等、単純にセクハラ的な行動が気持ち悪い。

これで目鬼が男であっても同様の感想を抱くだろう。セクハラは同性間でも成立するのだから

そのうえ平気で犬は蹴り上げるなど、とにかく言動不愉快まりない。

そして、これは目鬼に限らず、どの敵キャラや脇キャラにも言える事だが、敵キャラ愛嬌があるように描きたいが為に挿入されるギャグコミカル描写が尽く滑ってて超寒い

やっぱ手塚先生ギャグセンスって偉大なんだとしみじみと感じた。

悪役だからムカつくのは当然なのだが、前作のどろろは敵キャラであっても同情の余地があったり、共感することの出来る深みのあるキャラとして丁寧に描かれていたので尚更、違和感が強い。

キャラはどいつもこいつもイキリ散らしてて、癪に障る言動しかしない。

というかロロ以外の百鬼丸も含めて全員がイキってる。

お前ら全員中学生メンタルかよ

・何故世界観変えたし

これに関しては当初は肯定派だった。

現代に受け入れて貰う為に世界観の設定や見た目のデザイン刷新などは必要だと思っている。

どろろキャラデザや設定を大幅に変更したもののそれなりに受け入れて貰えたので、必要処置だったと思う。

どろろRVもそのように擁護する予定だったが、上記のような惨憺たる内容を見て考えを変えた。

はっきりいって脚本家は、室町末期の日本初め現代以外の日本描写できないから、世界観変更という形で逃げたのだろうなと感じる。

なぜなら、400歳以上にも関わらず、お子ちゃまメンタリティのイキリ百鬼丸ウザイだけの脇キャラと言ったダークマター誕生している時点で室町末期の舞台設定を調べて、丁寧に描くなんて高等な事が出来るように思えないからだ。

前作の主な敵キャラは侍もしくは鬼神妖怪だったが、今作は妖怪は続投なものヤクザやゴロツキ、ホームレスといったもの代用されているが、まあ陳腐

時代物で戦の惨さをメインテーマに扱っていた作品がそこらへん全部ぶん投げて、手垢まみれでベタベタヤクザがどうのゴロツキがどうのだのやり始めたら個性喪失という他無い。

・その他

かいものだと、前作で言うどろろ枠のロロの女バレが早すぎるのだ。

どろろ原作だと終盤、新アニメだと中盤に実は少女だと発覚するがこの漫画は一話の時点で女バレする。

いやいや、少年かと思ったら少女だったはどろろアイデンティティなのにそりゃねーだろ。

男(という体裁の女)の相棒書けないからこういう雑な処理したのかな…

ここまで散々作品disり倒したけど前述の通り、褒められるべき点も多数存在する。

まずは作画ベテランの人を呼んであり、戦闘シーンは中々に迫力がある。

絵柄が女性向けとか00年代エロゲとか言われているが、慣れてしまえば問題無い。

作画の崩れも殆どなく、私も一応絵を描く身なので構図やデッサンなどは参考になる。

作画担当クオリティ見ると内容が割に合ってないほどだ。

またシナリオも新どろろの続編であることと百鬼丸が新どろろ人物と同一である点を無視すればそこそこ面白い。

主人公ヒロインロロベタな設定ながらも今のところ応援できる良いキャラだし、見た目に関しても作画含めて可愛い

どういう出生になったのか謎も多いキャラなので、テンポの早い展開も含めて、少しづつ解き明かされていく流れは中々に爽快感がある。

百鬼丸も気になる点はあるものの割とかっこいい面もあり、これはこれで魅力的だとは感じられるので、嫌いになりきれない節がある。

ただ、これが新どろろ百鬼丸だとは到底思えないので、勝手に別人だと言うことにして読むのが必須

何故、体をなくしたのか?何故不死身なのか?などの謎の要素は作者としても、シナリオの引きとして使うぐらいには何かしら考えがあるようなので、そこら辺が解き明かされるのは楽しみに出来る。

でもやっぱあんま期待しない方がいいな…

以上である

総評を述べるならば「どろろの続編としては擁護不可能だが、オリジナルとして見ればそこそこ面白い」である

正直ここから先は読もうか読まないか迷っているのだが、取り敢えず購入したコインの話数分だけでも読んでみようと思う。

どうせピッコマで他の漫画を読む予定は無いので、丁度いい。

出来ることなら他の人にも読んで色々と感想を聞かせて欲しいからこのような記事を書いたのだが、これを書く前に他の人の感想を探したらどこにも見当たらないのだ。

あったとしてもTwitterなどで数行程度のものか未見の人が見た目だけの感想を述べてるのみ。

まだ無料分が7話しかないのを加味してもYahooニュースや5chなどでも取り上げられたにも関わらず、絶望的な感想の少なさでどうしようも無かったのだ。

結果、私はこうして自分の思いの丈を長文でぶちまけるしか道は無かったのだ。

そもそもこの作品が連載されているピッコマはなろう系作品が人気の漫画アプリであり、脚本家の別作品所謂なろう特有異世界転生チーレム系が主である

そんな人なので、どろろをなろう風味にして続編書けば、人気出るだろうという甘い考えでこれを書いたんだろうなというのが透けて見える。

正直、どろろ好きな人ってなろう系好きな人あんま被らないと思うんだよな…

少なくとも自分はなろう系全く興味無いし…

余談

ピッコマでは一話終わる毎にいいね数が書いてあるのだが、どろろRVは話数を重ねる毎に凄い勢いでいいね数が減っており、大丈夫だろうか。

有料の部分だけで見ても最初は1147いいねだったが最新話は31いいねと2桁も違う結果になっている。

私は普段ピッコマは読まないのでいいね数の平均や基準は分からないし、流石に徐々に増えていくとは思うが、かなり心配になってくる。

まあ、でもそりゃそうだよな…

だって完全に原作レ○プだからなぁ

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誤字とか修正

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2022-11-06

なんちゃって時代ものが描けねぇ

日本舞台の、時代ものっぽいオリジナル長編漫画を描きたくてずっとずっと構想を練っているんだけど、史実フィクションとの折り合いに悩みまくって描けなくて困ってる。

架空の藩で、架空人物けが出てくる権力争いものにしたいんだけど、時代ものという縛りがあるので、一応は時代劇っぽいものにしないといけない。でも時代もの言葉遣いやら髪型服装身分役職とかの縛りがでるし、それだけの知識も正直俺にはない。


現代ものなら、日本のどっかの学校って多少ぼやかせるところが、時代ものだとどっかの国のどっかの時代っていうのが誤魔化せない。

鎌倉室町江戸幕末時代ファッション文化全然違う。


日本昔ばなしも一見キトー和風ファンタジーに見えるが、あれ各地の伝承元ネタから地名とか寺とか人物とかちゃんと実在するんよ…墓もあるしな…。


江戸時代以降は徳川さんが仕切ってるからいちいち徳川気にしないといけなくて超やりづらい…あとどんなイケメンハゲにしないといかんのがツラい…どこまで嘘をついていいのかの加減に悩む。半端に歴史を知ってるが故にうまい嘘がつけない。


故に巷には、史実ベースにした実在人物キャラクターを絡ませる漫画が多いんだなぁと実感した。1からは全部はキツイ


まあフツー、史実ベースじゃない和風ファンタジーをやる場合は、バトルものにするか、妖怪との交流ものにするかの大体二択。ファンタジーから政治とか史実とか描かなくて済むからね。どっかで嘘つかんと。


で、俺が描きたいものはどちらでもないから参考にできる作品がなくて本当に困っている…単に知識不足で知らないだけかもしれんが。ギャグ時空なら何でもアリでいけるけども、残念ながらシリアスな感じになるからそれも難しいんだ…せ、世知辛ぇ…


あと、みんなドラクエみたいな西洋ファンタジーものには一切突っ込まないのに、和風ものになると途端に「この時代にこれはおかしい」みたいなガチな歴オタのツッコミいれてくるのなんでなん…?やめてくれ…俺にその言葉は強すぎる


時代もの知識がないと描けないし、背景にも気を遣うから作画カロリーが高いと聞いたことあるけど、本当にそれ

自分無知と無力さがツラい…

描きたいものと描けるものが一致しなくて悲しい

本来ならさっさと諦めたいところだが、描きたい話が設定上、どうしても時代ものじゃないと描けない話なので、知識がなくとも足掻かなければいけない。形にしたいから頑張りたい。


江戸時代っぽい雰囲気架空の国が舞台の、あやかしやらバトルが出てこない作品あったら参考にしたいので誰か教えて。

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

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 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-10-06

anond:20221006132348

鎌倉時代は「鎌倉一極集中というか地方の話なんかがほとんど出てこない

室町は逆に全国あちこち同時多発的に争いが起きてるのでとっ散らかってるように感じるのだろう

2022-08-08

anond:20220808122706

流行はかなりある

室町末期になるとファッショナブル若者の間では茶筅髷むき出しが流行ったし

そのままノー烏帽子が定着して江戸時代にも一部の日常的には使われなかった

明治時代カンカン帽が流行ったのは、ちょんまげから近代スタイルへの移行期に月代部分の毛が伸びかけでみっともないのを隠すためだったそうな

2022-08-04

江戸幕府統治政策って怖すぎだよな

室町期に発達した農村自治制度を体制強化のための監視システムとして流用するとか悪魔の発想だよな

2022-07-11

鎌倉殿と何も知らない夫婦さら追記あり

旦那鎌倉殿の13人を見ている。

すごく面白い大河ドラマ

ていうか、大河ドラマ自体みるの初めてで、面白すぎでびっくりしてる。毎回こんなのなの?

鎌倉ストーリー歴史クラスタはよく知ってるのかもしれないけど、

鎌倉時代=ご恩と奉公

しかからないし、なんならそれが何かも知らない夫婦にとって、ネタバレなしのリアルタイム鎌倉ストーリーはめちゃくちゃ面白い

大泉洋頼朝なのに、ドラマの途中で死んでしまったりする。

頼朝鎌倉時代にずっと生きてないの?頼朝死んだら次の時代にならんの?ってびっくりして調べたら鎌倉時代、200年以上あってびびる。

それは鎌倉時代の途中で頼朝死んでもしゃーない。

そして旦那は「頼朝死んだから、次は戦国時代やな(キリッ)」って言ってたけど、調べたら次は室町時代だった。

室町一休さん時代っていうのはわかってたけど、アニメ将軍様が、平安貴族みたいな格好してるからもっと平安に近い時代かと思ってたら違った。

何にも歴史を知らない夫婦だけど、ワイワイ言いながら、ドラマ見てびっくりして、スマホで色々調べて、週末の夜を過ごすのが楽しい

(ちなみに今週は鎌倉殿選挙でお休みでした)

追記

源平合戦知らないの?

→この戦い知ってる!扇を弓矢で射るやつだ!って思ったけど、射らなかった。

国語スピンオフやってる。

スピンオフから、射らなかったのかぁ。

鎌倉時代200年以上って何で調べたの?

Wikipediaです!って、もう一回みかえしたら150年しかなかった。引き算(●´・ω・)

那須与一は何で知ったの?

→多分国語教科書那須与一って名前は覚えてなくて「よひょうが、ひょうと射るやつ!」って知ってる感じで旦那に言ったけど、射なかったし、よひょうでもなかった。

「射らなかった」じゃなくて、「射なかった」

感謝日本史だけじゃなくて、引き算も漢字もできない!

2022-04-10

いい天気だし、今から鎌倉あたりまで出かけて幕府でも開くか。

室町でもいい。

2022-03-21

日本仏教なんてろくなもんじゃない

[B! 宗教] 財政難の京都市で「寺社から税金取るべき」の声 戸惑う宗教界、市の見解は(京都新聞) - Yahoo!ニュース

京都のお寺と一般のお寺(檀家寺)は違うからなあ。「高級車に乗る坊主」は京都特有で、普通の寺は半分以上は赤字、住職の副業で補ってるのが多い。ちなみに税務署は檀家が多い寺にはよく来て、過去帳まで漁るよ。 - wwakainkyo のブックマーク / はてなブックマーク

別に京都特有でもない。田舎でもちょっとした人口密集地なら普通に高級車や外車に乗っている。

お布施に税金取り出したら宗教みんな拝金主義に走っちゃうよ。一休さんが若い頃に嘆いていた室町初期の仏教にしたいのか?? 応仁の乱で全部忘れたのか?? - shikiarai のブックマーク / はてなブックマーク

仏教拝金主義だったのは室町以後も同じ。むしろ檀家制度の後の方がひどい。

仏教僧の戒律に肉食妻帯禁止があったと思うんですが…坊主は戒律くらい守ってから、色々主張しようぜ。 - scluge のブックマーク / はてなブックマーク

戒律重視は上座部仏教日本仏教は全て大乗仏教であり、解釈改憲の如き屁理屈破戒推し進めてきた長い歴史がある。日本坊主に「戒律を守れ」と言うと長い弁明がスラスラと出てくるか、もしくは「あなた仏教理解が足りない」で一蹴される。

宗教に対してなんの心得も尊崇もない破戒僧にすらなれない煩悩畜生風情から金儲けして高級車乗りまわしてたら言われるだろ。しかし最近の坊主は気の利いた説法もできないほど頭悪いのか - tettekete37564 のブックマーク / はてなブックマーク

仏教史を勉強すると最終的に「日本仏教仏教ではない」という辛い事実に突き当たる。誠実に勉強した坊主ほど御高説を垂れることができなくなるジレンマ

高級車乗ってる僧侶は副業で稼いでる人がメインかと。/トヨタは豊田市で中学生を海外短期留学させてるくらい納税してるらしいけど任天堂は何か貢献してるのかな? - keren71 のブックマーク / はてなブックマーク

京都場合観光収入かもしれないが、だいたいは葬式香典と毎年徴収している墓地使用料

仏教史は過去から現在に至るまで腐敗の宝庫なので、そろそろ次の「ネットDE真実」のネタになりそうな気がしている。

2022-02-17

同性婚が認められるようになると、さら自由人権レベルが上がってより良い時代がやってきそうに思うけど、日本同性愛が盛んだったのって室町から波乱がやってくるのではと勝手不安に思ったりしてる。

2022-02-05

オタク「舐められたら、殺す」

https://anond.hatelabo.jp/20220204190811

違う違う違う。

おこってる人たちはみんな自分が支払った元を取るために必死努力してるんだ

そういう怒りをみて、作品見てもいないのに知ったような口デ便乗する輩は糞だが、見た人たちがこういう反応するのはごくごく正当な防衛反応だよ。

黙ってたら自己肯定感下がるし。


現代オタク

舐められたら殺す

という室町武士精神を持って

自らの身を守っているのだ

叩かれたくないならオタク相手にするべきじゃなかった。

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