はてなキーワード: 客観とは
自分のモラトリアムにセカイ全てを巻き込み、セカイの全てを自分がモラトリアムを卒業するための踏み台にする物語。
自己陶酔、自己憐憫、自己解決、自己完結で突き進むどこまでも俺俺僕僕私私自分自分な物語。
ポップカルチャーとの適当な距離感も取れないまま大きくなった精神年齢中高生の中高年向け雑誌たるアフタヌーンで煩悩の数だけ連載されただけのことはある。
「まだるっこしく小難しく語られ物語世界全てを巻き込み人類の善悪を裁く長大なSF」だが、とどの詰まりは「僕が僕という人間を理解し、等身大の気持ちで世界と向き合った結果、あんなに空回りしてBIGなことを求めていた気持ちの内側が、愛情に飢えた赤ん坊みたいなものでしなかったことを認めるまでの物語」でしかないという。
セカイ系はセカイと愛する誰かを天秤にかけるが、その天秤にかける誰かさえ存在せずただひたすら「いつも苦しくて辛い僕の気持ちを理解してくれないセカイに対して思い知らせてやるぞ」と意気込んでは何もかもを滅茶苦茶に壊し続けるだけという。
挙げ句世界中からそんな自分を見透かされ、いいように役を与えられた役をそのままやりきって、気づいたら全員に置いてけぼりにされてたことに唐突に気づく。
どうしようもないほどに独り善がりで、悲しいぐらいに幼い主人公の物語だ。
世界全てと自分を天秤にかけてアッサリ自分の価値が勝ってしまうほどの強烈な自己愛のせいで、実際の世界を正しく認識できず自分の認識するセカイの像に振り回されるがままに堂々巡る。
世界を正しく捉えることが出来てないから自分の立ち位置も分からず、世界や誰かを鏡とすることで自分を客観視することもずっと出来ないから自分が何を望んでいたのかも最期の最期になるまで理解できない。
終わりのないモラトリアム、周りがとっくに卒業したハシカにずっとずっと悩まされ熱にうなされながら自分の心に映ったセカイの姿に振り回されるままに世界を彷徨い世界を敵に回し世界に利用されてセカイが壊れる。
世界を相手取ってるはずなのにどこまでも完全な独り相撲、だけどそれに皆が付き合ってくれているからさも自然と噛み合わさせていただいていたことに後から気づいて赤面する気も失せていく。
強すぎる自己愛は世界を滅ぼすが、滅ぼされた世界は滅びたいから滅びただけで結局ガキ一人がどうこうしようが世界の行く末なんて何一つ変わっちゃいない。
しんどいな。
世界全部と引き換えにしなきゃ治る機会さえないようなモラトリアム。
フォスは卒業したけど、読者のオタク共に世界と引き換えにモラトリアムを卒業する機会なんてやってこない。
だから読者のオタクはずっとずっと変わらずにモラトリアムのままで生きて、モラトリアムの中で死ぬんだ。
この話はこれでおしまいなんだ。
どうやら新しく界隈に来た推しは、ソイツにいろいろ指導されたらしい
しかし、ソイツの言っていることはと短期的な数字だけを元にいう、典型的毒親タイプ。
「客観視」の名の元に本人ではないといいはり批判をさせるくせに、自分が「してやったこと」はバリバリに自慢する。
(しかもおそらくそれらがなくても推しの界隈への認知や積極性に影響はなかったように見受けられる)
挙げ句、本人は自分の界隈で推しの倍程度しか伸ばせていないのにご高説を垂れているようだ
聞いてといった後の内容の中に納得できる要素が一切なかった。
お陰で推しをみてもそいつがちらつくようになってしまって楽しめない。
自分がその推しを降りればすむ話なうえ、ソイツに何をしたところでダメージが入らないのが非常に腹立たしい。
あげく、こちらの界隈の名前をいれてくるために検索にも出てくる。
「相手の界隈が不快になるかも」という考えはないのか?人に説教しておいて?
でも「ありがとうございます」ってコメントしてたし今後も付き合い続けるんだろうな
世の中ってクソだ
判決は紛争解決のための便宜的評価。法廷側も事実を決めようとか決められるなんて表明していない。
客観的事実が決定可能なら公権力から独立して評価・判決を下す事が可能なんだから、行政と司法が衝突する場合に超憲法的措置という態度を取れないはずだけど、実際には衝突する可能性があれば判断を保留する。(行政の自由裁量権の尊重)
司法判断を行うにもコストがかかるから訴訟手続きを長引かせたり遅滞させないために当事者同士の解決が推奨されるし、刑事事件でも強行的判断を行うから冤罪が発生するわけで。(飯塚事件)
どうやら新しく界隈に来た推しは、ソイツにいろいろ指導されたらしい
しかし、ソイツの言っていることはと短期的な数字だけを元にいう、典型的毒親タイプ。
「客観視」の名の元に本人ではないといいはり批判をさせるくせに、自分が「してやったこと」はバリバリに自慢する。
(しかもおそらくそれらがなくても推しの界隈への認知や積極性に影響はなかったように見受けられる)
挙げ句、本人は自分の界隈で推しの倍程度しか伸ばせていないのにご高説を垂れているようだ
聞いてといった後の内容の中に納得できる要素が一切なかった。
お陰で推しをみてもそいつがちらつくようになってしまって楽しめない。
自分がその推しを降りればすむ話なうえ、ソイツに何をしたところでダメージが入らないのが非常に腹立たしい。
あげく、こちらの界隈の名前をいれてくるために検索にも出てくる。
「相手の界隈が不快になるかも」という考えはないのか?人に説教しておいて?
でも「ありがとうございます」ってコメントしてたし今後も付き合い続けるんだろうな
世の中ってクソだ
趣味でゲーム配信を初めて1年経った。続けてみて本当にわかったのだが、人気が出る仕組みというかウケ方がわからない。
趣味でやっているのだから、別にウケなくてもと思うんだけれど、そこはゲーム動画なんてのをインターネットで
公開するような曲がった自己顕示欲があるわけなので、そこらへんを無視することは難しい。
自分に魅力がないのは重々承知なので、せめてゲームの面白さが伝わればいいなと思っているんだけれど、
何が自分に足らないのかなどが客観視できてなくてわからない……。
人気の出るVTuberとかってこういうことができて、それを改善していったりできないことを笑いに変えたりしているわけでしょ。
やってわかる苦労もあるなとつくづく思ってしまった
でもそれって子どものためにもならない無駄な活動にしかならないですよ。
本来なら、与党とは別の観点から養育費の徴収とかより良い共同親権にするための議論もできただろうに、それが実現出来なかったのは反対派の落ち度でしょ。
当方、趣味でゲーム配信をしているものなんだけれど、人気が出る仕組みというかウケ方がわからない。
趣味でやっているのだから、別にウケなくてもと思うんだけれど、そこはゲーム動画なんてのをインターネットで
公開するような曲がった自己顕示欲があるわけなので、そこらへんを無視することは難しい。
自分に魅力がないのは重々承知なので、せめてゲームの面白さが伝わればいいなと思っているんだけれど、
何が自分に足らないのかなどが客観視できてなくてわからない……。
人気の出るVTuberとかってこういうことができて、それを改善していったりできないことを笑いに変えたりしているわけでしょ。
やってわかる苦労もあるなとつくづく思ってしまった。
客観視できてて偉い!
非モテ弱者男性界隈は「女は暴力的な男を好きになる、自分は暴力的ではないうえに顔も悪いのでモテない」といった認識でモノを語るけど、全くの的外れだよ。
正直、女性と付き合ったことのない中年非モテ弱者男性で性格がまともなやつを見たことがない。
大学生くらいの非モテならまだ人間的にいい奴もいるけど、20代後半以上で女性と付き合った経験のない奴は総じて性格がドクズ。
最近、職場にいるチー牛非モテ陰キャの尻拭いでめちゃくちゃ大変な目に遭ったので、腹いせにチー牛弱者男性の性格面での欠点を羅列していこうと思う。
職場でもネットのオフ会でもなんでもいいけど、非モテ弱者男性って基本的な挨拶ができないやつが多い。
「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様です」って言えないか、言えたとしても自発的にそういう挨拶をしようとしない。
なるべく挨拶しなくて良い環境に身を置こうとするし、仕方なく挨拶しなくちゃいけない場面では小声で「ッシャス」としか言わない。
普通「初めまして、〇〇です」って挨拶と軽い自己紹介をすると思うんだけど、そんな簡単なこともできない。
いい歳して恥ずかしがり屋の5歳児みたいな振る舞いをする。
非モテ弱者男性は「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えない。
感謝したり謝罪したりすることは負けを認めることだと思ってるフシがあると思う。
例えば職場でちょっとした手違いや認識の齟齬が生じたとき、まずは「どうもすみません」の一言があるのが普通だと思うんだけど、非モテ弱者男性は決まって理屈っぽい言い訳を並べ始める。
いかに自分が悪くないか、いかに予見可能性がなかったかを説明して責任がないことをアピールしようとする。
プライドが高すぎて「ごめんなさい」「ありがとう」が言えず、その結果として人から感謝されたり謝罪されたり優しく接してもらえることもない。非モテチー牛弱者男性はそんな悪循環にハマってる人が多い。
非モテは令和になっても「ただイケ(ただしイケメンに限る)」なんて死語を使う。
ただ、スキンケアを怠り肌が汚くて、眉毛も整えないから全体の印象としてアホ面になっていて、歯磨きが下手くそなのかなんか歯も黄ばんで汚いし、髪の毛に至ってはろくに櫛で梳かさず、髪型ももみあげが異様に伸びた気色悪い髪型をしていて、表情もなんか暗くてのっぺりしていて不気味な印象になっているってだけ。
町中にいるカップルの男の方をよく観察してみて欲しい。
坊主頭にして眉毛も全剃りすれば、普通に自分と同程度の顔面レベルをしているってことに気づくはず。
ブサイクなのを雰囲気で誤魔化しているやつは多いし、低身長なのに彼女を連れているやつも普通に見かける。
要は非モテ弱者男性は身だしなみを整える努力を怠っているくせに自分のその怠慢を必死に正当化しようとしているんだよね。
いま彼女を連れている人だって中学時代に変にハズしたファッションをしてバカにされたり、高校時代に無駄に髪の毛を伸ばして周りから変な目で見られたりして、きちんと恥をかきながら「周りからどう見られるか、どう見られたいか」を学習して今の外見にたどり着いているのに、非モテ弱者男性はそういう努力を見て見ぬふりをする。
彼女ができる男には天賦の才能があって、自分にはそれがないってことにしようとする。
他責思考がやばすぎる。
自分の非を一切認められない。
自分がモテないのは女のせいだと本気で信仰していて気持ち悪い。
その場合、普通は「自分と同じように虐められて社会に馴染めない人はいるのかな?」「そういう人はどうやって周りのみんなと馴染んでいるのかな」って思って色々解決策を検索するだろ。
実際、そういう人の互助会やそういう人の社会復帰を専門とした医療機関なんて山ほどあるし、解決事例も腐るほどある。
でもチー牛非モテ弱者男性はTwitterで女叩きをして傷を舐め合うだけなんだよな。
「今どきの女性は!!!」って鼻息荒く議論して自分の社会性の問題からは全力で逃げ回る。
大して女との接点もないくせに女のことをわかったような顔して語ってるのは本当に滑稽でしかない。
チー牛弱者男性は自分で自分のTweetを見返してみっともないとか思わないの?
「自分はたまたま周りの環境のせいで評価されていないだけであって、自分にふさわしい場所にいることさえできれば他の誰よりも偉くなれるんだ」って本気で思ってそう。
自分が不幸なのは自分に社会性がないからなのにそのことを認めたがらない。自分は周りよりも優れているって本気で信仰しているんだよね。
要は人と人との関わりを舐め腐ってるんだろうな。
社会に生きる以上、誰かを助けて誰かに助けられるってことは普通のことなのに、そのギブアンドテイクが全くできないし自分の弱さも受け入れられない。
そりゃ周りから嫌われるに決まってるよ。
ここまで書いて思ったんだけど、チー牛弱者男性って5歳児の子供なんだよな。
・ひとりで身だしなみを整えることができない
・非力なくせに生意気
・社会性がない
頼むからチー牛弱者男性はもう一度幼稚園からやり直してほしい。
挨拶のマナーをしっかり学んで、友達作って傷ついたり傷つけられたりしながら人とのコミュニケーションを学んで、ごめんなさいとありがとうを言えるようになって、それから社会に出てきて欲しい。
伏字だから検索引っかからないしいいでしょ?って感じなのかな。いや全然誰のこと言ってるのか丸わかりなんだけど。本気で界隈外にはわからないと思ってやってるんだとしたらアホすぎる。し、バレてもいいと思ってるならなぜ伏字にするのか。なんなら普通に写真とか使ってるよね?(伏字の意味無)
発言内容も本当に酷い。書いてる内容は誹謗中傷どストレート。百歩譲って鍵垢で身内だけでやるとかヲチスレに行ってくれればいいのに、(それもアカン)こんなのXに垂れ流しにしたって誰も幸せにならないだろ。表に出ていい存在じゃない。伏字界隈のポスト、界隈外にもすげー流れてくるのよ。なんなら公式とかオタクの発信より先に伏字界隈のポストでそのメンバーを知ったって人もいるくらい。そんなに多くに人の目に触れてるわけだから、本人に届くリスクも訴訟リスクもそれなりだと思うのですが……
やっぱり客観視できない感じの人が多いのかな。自分の発言がどれだけの人に届いているのか、本人にも届いてるかも…とかそういうのが実感としてないのかもしれない。発言内容だって、自分では正当な批判だと思っているのかもな。そうじゃなきゃあんな堂々としていられるか?
伏字界隈は害でしかないとは思うけど、なんか可哀想にも思えてくる。嫌いなメンバーがいるグループでも必死に追いかけ回すほどアイドルが好きなくせに、自分自身はアイドルになるほどのポテンシャルなくて、それなのになんであいつが…みたいなのがちょっと透けて見えるというか。多感な年頃なんだろうな。(これでいい大人だったらマジで引く)顔面コンプレックスとか同族嫌悪みたいなのも感じて本当に哀れに思う。私も中学生の頃はインキャブスだったから、こういうところが癪に障るんだなっていうポイントはわかっちゃうんだよね。
フォロワーが増えて、マロがたくさんくると自分も人気者になった気がして気持ちいいのかな。そうだとしたらまあ鍵垢じゃなくてわざわざ公開垢でやってることも辻褄が合う気はする。
しかし、誹謗中傷で承認欲求満たすのは不健全すぎるということにはやく気がついてほしい。まあ彼らは客観視出来ないようだから無理かもしれない。一回開示請求でもされてみたら反省するのかな〜
これはマジ。「俺ネトウヨだけど…」みたいな文章を何度も見たが、そんな理路整然と話せて自分を客観視できる人間はネトウヨにはならない。本物は「右でも左でもない普通の日本人だけど…」という。
単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。
その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である。
たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジムに所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。
対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏で団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイドな生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。
でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。
持つ者はいいよな~?
それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから。
畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガンと綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。
金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。
じゃあどうする?
そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――
とても悲しい事だが、持たざる者が努力をすると、自律神経が乱れ、情緒が不安定になり、ノルアドレナリン(闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキーな毎日に突入しやすい。
怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。
そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。
しかしながら、試行錯誤――破壊と再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実を直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。
そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。
一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップのワードだろう。
ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生がでろでろに腐ってゆく。
だからこそ、ファイトクラブの名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしく、フルスイングで開き直って、「人生は自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫び、ハイリスクな一歩を踏み出すしかない。
というのも、代表的な弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。
そんな絶望の境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様の復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギーが必要になってくる。
寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負の世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。
そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。
であるから、ハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。
いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。
その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。
その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。
そして、精神的コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。
やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズに人生を渡り歩ける訳じゃない。
人類社会に立ち向かって、一所懸命に努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。
とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能で民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。
すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。
そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である。
27件取得
◆ 更新日:2024/03/23(土)11時59分21秒 記事数:27 消 ◆
|ゼーリエ様が寂しくないようあなたを殺してでも歴史に名を残す!!
|なんだ…じゃあまあ…いいか…
|
|このくだりよくわからなかった(;´Д`)
|
|「悪名でも自分の名を高めれば自分が死んだ後も師ゼーリエを孤独にしない」?
|
|見返してみたけど(;´Д`)
|
| →ゼーリエが基本的に弟子のことを忘れてしまう、結局フランメのことしか覚えていないのだとしたら
| ゼーリエがこれまで何のために生きてきたのかという「生きた証」を「フランメ」にしか帰することができない
| 「あーあ結局おれってフランメの師匠でしかねえんだなー」的な(;´Д`)それが孤独ってことなんでは
| ほんとは孤独というよりは無力感というか無意味感みたいなことなのかもね
|
| →レルネンがフリーレンを殺せば「魔王を倒したフリーレンを殺したレルネンの師匠である」を加えることができる
| ゼーリエに「そういえばフリーレン殺しちゃったレルネンとかいうふざけたやつがいたな(悪名)」として覚えてもらえる
| 「あーあ結局おれってフランメの師匠で、あとレルネンなんぞの師匠でもあったんだなー」的な(;´Д`)多少ましじゃね?的な?
|
|・でも、フリーレンは「ゼーリエはおまえだとかおまえ以外の弟子のことも覚えてるぞ、前提破綻してっぞおまえ」って言ってる
|
|
|なんかでもこれだと結局レルネンさんはワンオブゼム的な感じだよね(;´Д`)
||みんな覚えてるならそれでいいんどよ(;´Д`)
|| どよどよ(;´Д`)
| 結局ゼーリエが覚えてるかどうかだけの観点だとそれで良いんだよね(;´Д`)
| 最初に思ったのはゼーリエがこれから先の遠い将来において周囲の弟子やら何やらから
| 「フランメの師匠なのですね!」としか言われないのは文字通り孤独なんじゃないかだったんだけど
| つまり自分に多く含まれている様々な要素や側面をばさっと捨象されて
| 一部分だけでしか見られない的な意味での孤独ってことなのだが
| でもこの理解だと「ゼーリエが覚えてるんだから良いんじゃね」ってところにつながらないんだよね
| 遠い将来の周囲の人々がどう記憶しているかはあんまり関係がない感じだし
|
| こいつやべえって思わせる偉業みたいなことをフランメ的にやったら良いのに
| 戦うことしかできない魔法使いだからそういうアプローチは無理なんだろうなぁ(;´Д`)
|ゼーリエは歴史に名が残ることを別に望んでないよってことじゃない?
|ゼーリエはずっと生きてるんだからゼーリエ自身が歴史に名が残るとかは論点ではないんでない(;´Д`)
||人間が暗殺企てても殺せるわけがないと思うんだ(;´Д`)
| |ゼーリエはともかくフリーレンならワンチャンいけんじゃねって思ったんじゃね(;´Д`)
| |レルネンが生まれたときにはもう魔王いなくなっちゃってたんだろうし
| |「おれよりつええやつに会いに行くそれでゼーリエさまに覚えてもらう」
| |って思い立ったとき相手として成立するのがフリーレンだけだったんだよ
| |だって強いかどうかにしか才能を磨いてこなかったんだから
| |
| |でもこれなんか変だな(;´Д`)
| |なんで魔王いなくなってる時代の魔法使いなのに戦う魔法使いとして成長しちゃったんだろう
| ├■2024/03/23(土)11時39分02秒 ■ ◆
| ||フリーレンは戦う魔法使いというか戦いもできる魔法使いだな
| ||ゼーリエは戦う魔法使いが好きなので弟子は自然とそうなるがフランメとフリーレンは違ったのだろう
| |└■2024/03/23(土)11時42分51秒 ■ ◆
| | |そうするとレルネン的にはゼーリエに忠実であればあるほどゼーリエから忘れられちゃう!
| | |だってもう魔王いないんだもの!やばい!俺なんかしないと!ってなったのかな(;´Д`)
| | |で、フリーレンから「おまえそうじゃねえよ、前提ちげえよ」って指摘されたと
| | |
| | |でもこの理解だとレルネンの思いは「俺のことゼーリエに覚えてほしい」になっちゃいそうだよね
| | |一応建前としては「ゼーリエを孤独にしたくない」ってことなのでレルネン自身の利益というか欲望ではないっぽいし
| | └■2024/03/23(土)11時48分47秒 ■ ◆
| | 好き
| | 嫌い
| | 覚えている
| | この3つはそれぞれ独立している
| └■2024/03/23(土)11時42分05秒 ■ ◆
| |ゼーリエが武闘派なのと魔王はいなくなっても残党がうようよしてるからだよ(;´Д`)
| └■2024/03/23(土)11時43分48秒 ■ ◆
| |残党狩りいっぱいしても魔王ほどのインパクトないから覚えてもらえない!的なことなのかなぁ(;´Д`)
| └■2024/03/23(土)11時46分12秒 ■ ◆
| まぁせめて七崩賢くらい知られてないと無いだろうな(;´Д`)
|いや、みんなに忘れられたらゼーリエがかわいそうだから、ゼーリエの名を
|残して覚えていてもらおう、ゼーリエが強い弟子を育てているのもそれが目的だしねってことでしょ?
|でも別にゼーリエはそんなこと望んでないよ、活躍しなかった弟子も愛しているみたいだし、
|別に名前を残すことにこだわってないっぽいよってことなんじゃない?
||ぼくは「みんな=遠い将来の人々」に忘れられるかも的なことはこのくだりに関係ないと思ったんだよね(;´Д`)
||「そのみんな」に関してはレルネンもフリーレンも「ゼーリエにとってどうでも良いこと」と認識しているんではないか
||そうでないと「ゼーリエ自身が覚えてるんだからいいんじゃね」という結論につながらないというか
| |「活躍しなかった弟子も覚えてる」ってところがキーなんでしょ
| |ゼーリエが強い弟子を育ててゼーリエの名を残してほしかったのなら、活躍せずに
| |ゼーリエの名前を歴史に刻めなかった弟子のことは嫌ったり忘れそうなものなのに忘れてないよ、
| |だからゼーリエは別に歴史に名を残すことにこだわってないよ、ってことじゃないの
| ├■2024/03/23(土)11時45分06秒 ■ ◆
| ||うーん(;´Д`)ゼーリエ自身の名を歴史に残すことを
| ||レルネンが「孤独にならないように」と言ったわけではないと思うんだよなぁ
| |└■2024/03/23(土)11時48分30秒 ■ ◆
| | |直前に「あの方が生きた証がまた一つ消えたことになります」って言ってんじゃん
| | |ゼーリエが生きた証を残したいんでしょ
| | ├■2024/03/23(土)11時50分16秒 ■ ◆
| | ||ヒンメルみたいに銅像建てまくったらどうだろう
| | |└■2024/03/23(土)11時55分53秒 ■ ◆
| | | あー、だから戦いしか知らない魔法使い云々ってことか
| | | ヒンメルもそういえば孤独にならないようにとか言ってたな
| | └■2024/03/23(土)11時55分18秒 ■ ◆
| | ゼーリエが生きた証をゼーリエ自身の主観に刻みたいんだよ(;´Д`)
| | ゼーリエが遠い将来においてその主観の中で孤独にならないように
| | なので客観的な意味での名声とか歴史に名を刻むとかの意味とは違うんじゃないのって感じがするの
| └■2024/03/23(土)11時57分39秒 ■ ◆
| |ゼーリエの眼鏡にかなった魔法使いになれないのが確定したというかゼーリエがそういうのをレルネンに対してほぼ諦めたことに焦ったんでしょ(;´Д`)
| |だからそれに一番近いフリーレンを屠ることで少しでも師の理想の体現者に近づこうと
| |弟子としてもう一度振り向いてもらおうとしての行動だよいじらしいですね
| └■2024/03/23(土)11時59分21秒 ■ ◆
| そういうのが本音としてあるんだとしたら
| なーにかっこつけて「ゼーリエ様孤独にしたくなーい」とか言ってんだよってなっちゃうね(;´Д`)
|全然違うよ
|ゼーリエはもう未来永劫語り継がれるほどに名をなしてる
|レルネンが言っているのはゼーリエは超常の寿命を生きるので
|歴史に名も残せなかった弟子達と過ごした記憶なんていずれ忘れてしまうだろう
|思い出せないのはかわいそうってことだよ(;´Д`)
俺もそっちの理解だな(;´Д`)
遠い将来においてフランメしか残っていないから孤独だということ
誰も明言しようとしないからここに書き散らしとくけど。
https://www.youtube.com/watch?v=F38EuG2dAyM
そもそもこの曲、タイトルが「イガク=医学」で歌い出しが「ドクター・キドリ=医者気取り」なんだからそれ以外にどう読み解けって話なんだけどな。
たぶんヘビロテしてる奴らはみんな気付いてる。気づいた上で誰も言ってないんだろう。そりゃこんなセンシティブな話その辺でできるわけねえもんな。分かる分かる。
勿論それ以外とのダブルミーニングもあるんだろうが、それは一旦置いといて。
ここらで一回「医療デマ、ひいては陰謀論全般を風刺する歌」として「イガク」の歌詞を解釈してみようと思う。
勘違いしないでほしいのは、これって別に他の解釈を否定したいわけじゃない。
というかむしろ、全然違う解釈を聞きたいんだよな。だから「こっちの解釈のほうがいい」とかあったらどんどん言及してほしい。
以下、本編。
ドクター・キドリです 愛・爆破ッテロ
先にも書いたが「ドクター・キドリ」とは「医者気取り」つまりデマ屋のこと。
「愛・爆破ッテロ」は「あいばくはってろ→あいはくばってろ→愛は配ってろ」じゃねえかな。
ここで言う「愛」は寄り添いとか共感とかそういう類のこと。嘆きに寄り添い優しい言葉をかけるのは詐欺師の常套手段だ。
簡単になれば 埋まった マター マター
「簡単になる」のは単純化するから。わざと間違った方向に単純化させてだまくらかすのもデマ屋の手法。
「マター」は事例の「matter」であり再びの「また」だと考えると
「今回の事例もまた、単純化すれば埋もれていった」となる。
たぶん、「ドクター・キドリ」の理論に疑問を持った奴がいたんだろう。
それを「ドクター・キドリ」が単純化の詐術でだまくらかして、デマの山の中に埋もれさせた。
そういう流れがなんとなく見えてくる。
ドクター・キドリです 愛想良いかも
朦朧 オオトも 埋めた メタ メタ
前半は流石に分からん。
何処にも無いから寝ていたら
壊れて泣いてるユメを診たんだよ
次期には
嘘に診えてクルゥ
ここ、映像では一見「リズムを取ってる」ように見えるけど、個人的には違うんじゃないかと思う。
「次期には嘘に診えてクルゥ」つまり「じきに嘘に見えてくる/狂う」で物を投げている=物に当たってること、それと異常な速度でスタンピングしているのを見るに、あれは苛立ちのメタファーなんじゃないだろうか。
そうすれば前半の意味も読み解ける。
「ユメ」とは睡眠時の夢じゃなくて将来の夢。
『未来の展望か今のやりたいことかできる仕事か……とにかく何か大事なものが今はもう「何処にも無いから寝ていた」ら、「将来の夢が壊れてしまったので泣いている子供の頃の自分」が見えた』。
「じきに(現実が)嘘に見えてくる/狂う」──つまり、「デマや陰謀論にハマる人間」の、典型的なパーソナリティーである。
カオが→鈍器になっちゃうヨ
「顔」とはシンボルであり旗印のこと。顔役や作品の顔なんて表現はよく聞くと思う。或いは誰かのプロフィールアイコンのことかもしれない。
SNSで「鈍器」と言えば叩き棒のこと。「ポリコレ棒」のような、「他人を批判・非難するのに便利な思想や理論」を指す。
作品や事件、他人の思想を振りかざして誰かを非難しようとするやつ、割とよくいるよな。
偽が→権利を取ったんだ
ニセ科学や医療デマが市町村の政治やマンションの自治会ルールに入り込む、なんてのは最近よく聞く話だ。
無くなってほしい煩悩が
ドウヤラ生き延びてしまった
生き延びてしまったんだ!!
「自分の受けている評価が不当に低い」「もっとお金をかければもっと良い治療が受けられるはずだ」といった「煩悩」を社会から排除しきれず(=生き延びてしまった)、結果それらが陰謀論や医療デマの温床になった。
足が→タガメになっちゃうヨ
なるわけないやろがい……!
と、普通なら思ってしまうようなことを上手く騙して信じさせてしまうのが詐欺師の恐ろしいところ。
嘘が→動機になったんだ
デマや陰謀論(=「嘘」)を信じた人は自身の行動指針を変える。
疑ってほしい本能を
ドウヤラ本心だと思った
本心だと思ったんだ!!
直感(本能)的には正しくないように見えることでも科学的には実は正しかったりする。疑うべきだった直感的な視点をデマや陰謀論が肯定してしまった。
クチョォ
韓国語で「そうでしょ?」の意味、という説を見かけたのでそれを採用。
「彼は夢破れて希望もなくして現実を全部嘘だと思いたくなった。だから「ドクター・キドリ」になって今日もデマを吐いている。でしょ?」
というのが前半の歌詞なんだろう。
ドクター・キドリです 全部辞めろよ
良くも悪くも客観的というか「ドクター・キドリ」に近い視点だった前半から、ここからは視点が交代しているように見える。
アティチュードが
感動物に届く猛毒
アティチュード=態度。
感動物(を現実にも求めるような騙されやすい人種)には、詐欺師の人の良さそうな態度はまさしく「猛毒」だろう。
ここで「猛毒」なんて強い言葉が出てくるところも、視点の変化を感じるところだ。
損得の得の方ダケ
回った 割った 割った
メリットとデメリット、利点と欠点の前者のみを(触れ)回った、までは読み解けた。
「割った」は割れ厨(正規料金を払わないフリーライダー)のことなのか孤立者(立場が「割れ」て無くなった人)のことなのかそれ以外なのか、いまいち判断がつかない。
カオが→鈍器になっちゃうヨ
偽が→権利を取ったんだ
無くなってほしい煩悩が
ドウヤラ生き延びてしまった
生き延びてしまったんだ!!
繰り返し部分
音が→機能になってしまう
音楽が芸術ではなく、主張のための道具になってしまう、という意味だと思う。
嘆かわしいことだけど、創作者が身を崩して陰謀論に染まるのは定期的に発生する悲劇の1つだ。
人が→偽りに集まる
ここからの一節は他にもまして直接的だ。
塞がってしまえよ耳
ドウヤラ届いて居ない診たい
届いて居ない診たいネ゛
「『耳を塞げ=あいつらの言うことを信じるんじゃない』という家族や友人の言葉も、どうやら届いていないようだ」
クチョォ
「そうでしょ?」
人マニアの考察記事で「(この曲は)とても論理的に歌詞が作られている」と言っている方がいたが、確かにこうして読み込んでみると納得感がある。
……ところで、氏はこの次にどのようなアングラ題材を持ってくるのだろうか。正直、既に怖いのだが。