はてなキーワード: 定職とは
朝の8時から1時間から2時間と夜の5時から1時間か二時間だけ仕事がある。
あとはずっと待機。
休みは不定期。ただし俺の立場が一番低いのでシフトを決める権限とかはない。両親の都合に合わせることになる。
昼間からウロウロしてると近所の目が気になるのであまり出てもいけない
バイトをしようにもそんな微妙な時間帯のバイトなんかど田舎の近所にはない。
バイト紹介サイトを検索するとポイントサイトとかアンケートばかり出てくる。
なので結局家にいるわけだけど、両親は健在なので俺の居場所はリビングにはない
というか一階にはない
そして外出のたびにたいして仲が良くない両親に行き先を確認される
というか顔を合わすだけで嫌な顔される。
流石に通販は嫌味をいわれる程度だが、請求書などは普通に開封される。
そして使いすぎだ無駄だと怒り始める。なので請求書はすべてWEBにした
給料は月6万だか。
税金と年金は両親が払っている。これはありがたいと思うがこの金額でそこまで払えとか言われても無理である。
これで少しは金を入れろ。貯金しろ。というが無茶苦茶なこと言うなよ
しかしやることがほんとにない。
それこそパソコンでユウチューブをみるかギャンブルをやる程度である。
両親はバイトしろ!働け!というが数分後には同じ口で「明日の夕方行ってくれるか」「今度の日曜予定が変わったから行ってくれるか」とか言い出す。
こんな生活から抜け出したい、と思うが現実的にカネがないのだ。
手元にカネがないのに抜け出せるわけがない
そういったわけでで24時間全方位から小さな針でチクチクチクチクと刺され続けるような生活をしている。
大変つらい。死にたい。
【追記】
ど田舎から片田舎のハロワ(車で片道1時間)に行き仕事を探すのは当然やった。
というか2.3年通った。
やったわけだが、バイトすらないど田舎より多少マシくらいな募集しかないのである。
ご近所さんが実家から通うんだろうな、レベルの待遇の仕事が大半なのである。
いやまぁそりゃ田舎の中小企業って普通そんなもんなわけだけど、俺にとってはそういう企業に片道1時間かけて通うか家賃払って一人暮らしするかの二択である。
そこに住んでる人たちは1時間か30分くらい走らせてもっと都市部に行くのだろう
がこちらは低賃金のバイトと祖母の年金からもらった小遣いでガソリン代やら昼飯代やらを出してるニートのカスであった。
片道1時間でも時間と財布的に辛いのにそんなの行けるわけがない。というかハロワに通うガソリン代すらなかったことがある。
「お前いつも募集出してんな」「最低賃金って知ってる?ギリギリ大丈夫?」「ネットでブラックの典型扱いされるやつやん」という募集を避けて避けてその中でも資格や条件が一致した募集に応募しても落ちる落ちる。
明らかに採用する気がない面接に、二三ヶ月放置してくせに隣の県の本社に呼び出すカスみたいな会社、普通に落ちた会社と落ちまくり、なんかもう人生とか就活が嫌になり足が遠のくことになった。
そういうわけで実家の家業手伝えという話になっていくのである。
今考えるとあそこで親に土下座して100万でも借りて都会で就活でもしたほうが親もこんなカス家に置いとかなくて良かったわけでみんなハッピーだったんじゃなかろうか
まぁ今更だな。。
知り合ってから結婚して今まで一度も手を出されないし、女sage系のまとめばっかり読んでるし
私のことは、自分を既婚者にしてくれる存在としか認識してないんだろうな
私のどこが良かったのって聞いたら、自分と結婚してくれただけでいいんだって
それって私の個性とか価値観や生き方はそんな重要じゃないってことでしょ
自分と結婚してくれたら、猫派だろうが犬派だろうが、コーヒー派だろうが紅茶派だろうが、どんな服を好もうがどうでもいいってことでしょ
婚姻届にはんこを押せる生き物なら何でも良かったんだよ
だって愛してるとか好きとか、居てくれてよかったとか、ずっと一緒にいてほしいとか、一度も言われたことない
私を思ってのことじゃない
十分な生活費は渡されるけど、それは自分が安定職かつお金を稼ぐ力と余裕があるからで、金銭面さえ不自由させなかったらそれでいいと思ってるのが手に取るようにわかってしまう
本当に愛されてないんだと思う
好かれてないんだと思う
どうでもいいんだと思う
興味がないんだと思う
私だってそんないい女じゃないけどさ
今、でかい病気が見つかるかもしれない段階だけど、見つかったとしても私の体調がどうとかより、酒を飲めないストレスを感じる人なんだろうな
いっそ手の施しようがない病気が見つかって欲しい
悲しんでほしいとかでなくて、ただいなくなりたいだけ
私が死んでも、私の物は何のためらいもなく捨ててしまう人だろうから
(追記)
男性は後悔していないとは言っていたが「自分の子供がいたら、と色んな場面で想像してしまう」と言っている時点でそれは後悔じゃないのかと思う。
理由としては大きく3つある。
私はアトピー、ワキガ、天パ持ちだ。完全に詰んでいる。顔は可愛くないし身長も並、運動神経も頭の良さだって平均くらい。こんな遺伝子を子供に継がせる方が可哀想だ。
自分のことは昔から好きじゃなかった。ようやく最近好きになれたが自分の特性を好きになれたわけではなく、自分自身が好きになれたというだけだ。自分のワキガは全く好きではない。
そんな遺伝子を継いだ子供を可愛いと思えるわけがない。20数年ずっと共にしてようやく好きになれたものを自分の股からひょいと生まれた別の生命を簡単に好きになれるわけがない。
物心ついた時から父親は別居と同居を繰り返し、学校行事は大抵母だけだった。
ことあるごとに母と父が喧嘩をしては母が苦しんでいるのを見るたびに、早く離婚をすればいいのに私たち子供がいるから出来ないんだと胸が苦しくなった。
母は子供がいなかったら、父と早くに離婚できていれば、もっと違ういい人生を送れていただろうと思う。母は本当に良い人なのでそういう想像をしてしまう。
そして自分が子育てをして幸せな家庭を築くという想像ができない。
三つ目は私ですら将来が不安な日本に、大事な子供を産むなんてさらさら出来ないからだ。
私が生まれた時は年収300万の人の手取りは290万だったそうだ。ところが今は253万。
50万弱が税金やら何やらで持っていかれ、物価は当時よりも何倍も高くなっている。
マクドナルドはどんどん高くなり、カントリーマアムはどんどん小さくなる。
今後経済が良くなる見通しもなく、私が今払っている年金も定年後受け取れるかわからない。
私でも将来が真っ暗で希望もないのにそんな世の中に新たに子供を産めない。可哀想だから。
子供を産む気がないと言うと「結婚したら価値観変わるって〜」や「産んでみたら本当に違うから!」や「老後はどうするの?」など言われるがそんなことを言われても持たない理由が多過ぎて一切産む気になれない。
結婚したところで私が10年以上考えていることなのでおそらく揺らがないだろう。産んでみたら、というもしもの話で産めるほど子育ては甘くない。老後の世話を期待して子供を産むというほど失礼なことはない。
そもそも大金をかけ、子供を育てたところで真っ当に育つと言う保証もなければ、自分の老後の世話をしてくれるという保証もない。
それならば、子育てにかかったであろう費用を自分の老後に回す方が確実だ。
確かに今後の自分の人生に子供がいないことで大きな楽しみはないかもしれない。しかし、子育てによるものの大きな心配を抱えなくていいというのも事実だ。
子供が無事五体満足で生まれてくるか、発達の遅れはないか、ちゃんと幼稚園で馴染めるか、学校で友達はできるか、いじめをするような子じゃないか、ちゃんと学校に通えるか、犯罪を犯さないか、定職に就けるのか…心配し出したらキリがない。そして、どこかでも踏み外せばそれは”親の責任”になる。
いつだか、俳優の高畑裕太が性犯罪を犯した時も母親が謝罪していたっけ。もうあの時彼は22歳だったのに。
自分が股から産み出したというだけの別生命の不祥事を、22歳になろうが尻拭いをしなければならない。それが親ってものらしい。
自分で言うのもあれだが、インターネット上ではまぁそれなりの知名度がある。といっても登録者数万人程度の、知る人ぞ知る程度の小さな人気だ。
そんな私だが、リアルは本当に最悪な生き方をしている。定職にも就かず、フリーランスとしての仕事も現在は放棄している、引きこもりニートである。実家暮らしで免許もないときた。
いわゆる、増田たちの大好きな弱者男性というやつだ。こういうとき女だったらある程度は救われたのだろうか。
学生時代の友人と最後に会ったのは何年前だったか。最後に焼肉食べに行ったきりだ。みんなはそれ以降もご飯に行っているのだろうが、多分私だけハブられている。インターネットにどっぷり過ぎて、話が合わないと判断されたのかな。それに、友人たちはみんなはちゃんと現実を見て生きていた。私と違って。
他の友人はみなインターネットの友人だ…こういうとき友達って言っていいのかわからないんだよな。
ワークマンに行って靴でも買おうかと思ったが、風が強く、今にも雨が降りそうだったから、外に出る気力もなく、家でダラダラしていた。別に天気が良くても、日差しが強いから、とか言って毎回、何もしないで終わるけどさ。昼は、少し前に買ってあった、残り一束の素麺を食べた。ケチって、揖保乃糸よりずっと安いのを買ったら、全く美味しくなく、なかなか消費できなかった。しかし、思っていたよりも味は悪くなかった。素麺というより、冷やす水の温度に問題があるのかもしれない。
部屋が薄暗くなってきたので、重い腰を上げ、スーパーに行き、割引されたお惣菜でも買いに行った。イカの唐揚げ、チキン南蛮、カットキャベツを買った。
買ってきたお惣菜を食べながら、アマプラで水のないプールを観る。なぜそんなマイナー映画を選んだのかというと、以前、ペンパルだった、私より一つ下のウクライナ人のお気に入り映画監督の一人が、若松康二だったからである。不思議
観て思ったのは、なんとなく下衆い和製タクシードライバーっぽ…くないか笑。内田裕也って何処となく屈折した、危険な雰囲気を醸し出した人だったんだ。z世代の私は、スニッカーズのcmに出ている、派手な格好をしたおじいというイメージしかなかったなあ。
それに、映画という缶詰に、その国の時代々々の街並みや風俗といった空気感が外に漏れることなく、新鮮なまま閉じこもっているのも魅力の一つ。80年代だと、自分の両親が高校生から大学生(今の私と同じくらい)の時代だから余計に見入ってしまう。父親が、学生のころに通っていた吉野家ってこんな感じだったんだぁ、使っている丼ぶりは変わっていないのかも。駅員さんが切符を切っていたのかぁ。街に手書きの看板が多いなぁ、とかとか。
話が少しずれてしまったけど、前半は、家族がいて定職もついている、何も問題がなさそうなおじさんが内にこもりつもったやりきれなさ、不満、怒り、倦怠感を青を基調とした冷たい画面で表していのかな。後半から、生きる喜びでも掴んだのか、どこか夢の世界にでも入っているような薄ぼんやりとしたピンクを基調とした画面か多くなる。犯罪だけど。それでも、最後までプールに水が満たされることがなかった。
主人公がバスに轢かれて事故に合うことで異世界に転移するという、
ただ、いくつか異なる点がある。
そのひとつは「ビートルズ」が存在しなかった世界線ということだ。
幼馴染の女性マネージャーに告げたその夜に事故にあいビートルズが居ない世界へと転移する。
主人公はビートルズのいない世界で、ビートルズの楽曲を自身の作であると偽り発表して世界的な名声を得ていくことになるが……果たして?
というのが序盤のあらすじである。
事故にあって(トラックではなくてバスだが)世界線を移動する、
というのはやはり日本のアニメの影響があるんだろうか?とか思いながら見ていたんだけど、
ふと思った。
果たして、ビートルズがいない世界でも、音楽の世界は現代の音楽シーンと同じものとなるのだろうか?
映画にはエド・シーランが本人役で出ていて、本人の歌を本人がそのまま歌っている。
つまりビートルズがいないことの影響を受けていないことを読み取ることが出来なくもない。
でも、これって多分無理じゃないか?
進化ツリーみたいなものが割りとハッキリとしてる世界じゃない?
(わかりやすくいうとバッハとかモーツァルトがいないとしたら?ということ)
その中で「ビートルズ」の不在が果たして全く音楽シーンに影響を与えないことなんてあるのか?
ということが映画よりも気になり出し始めたところで、はたと気づいた。
これはあれだ、キリスト教原理主義みたいな考え方で回避すべき疑問なのだ。
映画の中でも、一言二言だがだがこの転移が神の奇跡であることを示唆するセリフがさりげなく入れられている。
つまり、これは神が世界を創造した時に人間が聖書の中の記述と食い違うような考古学的発見をするような世界を創造されたということだ。
ダーウィンの進化論が導き出されるような世界をなぜか(なぜなんだろう?)神様は天地創造の時にお作りになった。
と同じことで、神様はビートルズがいないにも関わらずビートルズがいたのと全く変わりなく音楽が発展した世界を創造されたのだ。
別の世界線に。
そういうことで納得した。
色々とビートルズの小ネタたくさん詰め込まれている映画なのだろうが筆者はあいにく詳しくなくてほとんどわからなかった。
それにしても、もしも君たちが同じ立場だったらどうする?
とても有名で君には馴染み深い作品が存在しない世界線に飛ばされたら?
君が売れない小説家をしていて、村上春樹がいない世界線に飛ばされたら?
君が漫画家をしていて、ハンターハンターが存在しない世界線に飛ばされたら?
どうするんだろう。