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はてなキーワード: 定義とは

2024-05-14

MBTIが記述する世界多様性について

MBTIなる性格診断ツール流行りだして以来から、長らく疑問だったことが最近自分の中で肚落ちした気がするので述べていこうと思う。

というのも、なにか当たり前のように「MBTI何?」のような質問が飛んでくることが多くて、そのたびにMBTIの名前を借りただけの16診断を何をもってそこまで信頼しているのだろう、とか、なんで当たり前のようにやっている前提なんだ、とか、我ながらひねくれたような気持ちを抱いていたんだけど、そういう人々の一部が、どうしてそんなことを聞くのかが少しわかったような気がしたんだよな(もちろん、流行っているか話題の一つとして提供しているだけの人がいるということは理解したうえで、今後の話を聞いていただけるとありがたい。俺はENTPらしい)

それは、他人自分との違いに対する理解ものすごくざっくりとしている人がおおい、ということ。これは別に俺が他人をすごく理解できるというわけではなく、むしろ俺はなぜそうなるんだ?と他人との不理解を繰り返して来た側なのだが、その根幹には「そりゃ自分とは違う遺伝子を持ってて違う環境で育っているのだから価値観能力も違うよな」という、ものすごく当たり前の事実があったからで。

しかしどうやら、ここ最近この常識と思っていたところが常識ではないのではないかと思い始めた。親ガチャ、という単語流行っていた時にも思っていたのだが、俺がその単語に対して抱いていた「親が違うのであればそこで生まれ子供自分じゃないんだから、お前はその親のもとでしかまれることができないのでは?」というような疑問を突き詰めて考えていってたどり着いた結論が、世間の「自分」の定義ものすごく緩いということだった。なんとなく生まれ変わりみたいな思想がもともとある日本からこそ、「自我」や「魂」のような不変のものが、ただ今はこの器にいるだけ、のような認識をしている人が多いように感じた。つまり自分とは「魂」っていう思考になるんだよな。

そして、それは他者への無理解へとつながってるんじゃないだろうか?例えば、容姿に優れていない人は、容姿が優れている人なりの悩みを一蹴することがあるように。自分なら容姿が優れていたらそんなことで悩まないというような論は、ただお前がブスなう想像力がないだけだと思うが、「自分があの器に入っていれば」という理想論的なものがこの無理解的な感情論につながっているように思うんだよな。

つまるところ、本人が自覚的か否かにかかわらず、「俺か、俺以外か」という、ローランド的な分類で人を見ている人がこの世にはある一定存在するのだと思う。他者NPCのようなものに見えるのであればそりゃ無責任無理解発言も飛び出すよな(勉強できる奴が勉強めっちゃやっても結果出ないやつに対して努力不足に感じるのも自身から視点しかいからであって)

で、こういう人種にとって、きっとMBTIってものすごい発明だったんじゃないだろうか。いままで自分か、それ以外かっていう二パターンもっというなら自分と波長が合う人(理解できる人)と理解できない人がいる世界を、少なくとも16種類に分けて見せたんだから。この人はこういう種類の人なんだ、じゃあたしかに私とはこういうところが違うんだろうな、っていう他人に対する不理解理解するための、大きな手助けになったんじゃないかと思う。だから最初に、この人はどの種類の人なんだろう、を聞こうとするんじゃないだろうか。その人の世界にいる人間は、ポケモンみたいに16種類のタイプけがされているのだから、確かに俺も新しいポケモンが出てきたら何タイプか、考えてしまうし。

ただそれが少し、危うくなっている人も時々見かける。そもそも言葉とか分類っていうのは、実態とは必ずずれる。実態もっとふわふわした気体のようなもので、言葉とか分類とかはがっちりとした固体のようなものだ。あてはめようとすれば必ずはみ出るところがあって、だから俺たちはいろんな表現を尽くして、なるべく実態に近似するように人を評価していく。しかし、MBTIに記述された世界に生きている人にとっては、実態よりも分類が優先されているような気がする。本当は70億の人がいれば70億通りの違いがあるはずなのに。

ガキの頃は嫌いになればそいつのすべてが嫌いだったような単純的な評価しかできなかった俺も、ある程度年を重ねてそれが他人の一面でしかなく、たとえば仲間には情に厚いところがあり、それが翻って俺に対する攻撃性になっていたんだなとか、他人の顔色に敏感なこの人はこういう家庭環境が根幹になっているのだろうかとか、少しだけ世界解像度が上がったように感じている。

偏見申し訳ないんだけれど、たぶんMBTIを信じている人とかはこういう文章を読まなそうだから別にそういう人たちに届いてほしいわけではないけれど、意外と色眼鏡を外してみたら、人は多様で面白いよ、という話をしたかった。最近DeathNoteリュークみたいになっている。リゼロの人の人生追体験できる本、ああいうのすごく面白いよなあ。

オチがなくて申し訳ないんだけれど、何となくの雑感なので許してほしい。以上。

オキニ隠しという糞文化について

元増田の言うことわかるわー。クソ客ホント嫌だよね。

俺は単なるいち客の身分だが元増田の言うことはとてもよくわかる。

爆サイ書き込みだったり嬢から直接聞いた話でも基本的に一致する。

さて、爆サイやその他風俗系の掲示板住民だった経験の無い民には「オキニ隠し」というものサッパリわからんだろうから補足しておく。

オキニ隠しの前提

良嬢の定義も人によるだろうが、「見た目、接客テクニック」の3要素が全て平均以上かつ何か2要素が「明らかに良い」なら良嬢と呼んで差し支えないだろう。

そしてテクニックはやはり経験と訓練によるところが大きいのだが、見た目と接客は才能(向き・不向き)によるところが大きい。

特に接客な。もちろん演技はあるわけだが、そもそも風俗客に対し最低限以上それなりに愛想よく接せられるかどうかというのは、素の性格によるところがかなり大きい。

ソープの高級店とかになると話は変わるので、その辺は例外とする。

何を言いたいかというと、「良い風俗嬢」かどうかには才能がかなり関わっているということだ。

まり、極論すればデビュー当日のド素人新人であっても良嬢であったりもするわけだ。

そしてデビューから日が浅い嬢であればまだそんなに定期客もいないため予約も取り易く、風俗醍醐味の一つが「まだそんなに人気の出ていない良嬢と巡り合うこと」だったりもする。

※余談として、元増田書き込みにもあるが、風俗歴の浅い嬢に対して「普通これくらいはやるよ」とか「他の子もやってるよ」などと嘘を吹き込んで本番や生をやろうとするクソ客は実在しまくる。本当にクソである

話を戻そう。

当たり前だが良嬢だったら人気が出る。特に接客の良い子はやはり本当に人気が出る。そして人気が出れば予約を取り辛くなるため、客側には「自分が予約を取るために人気が出ないようにネット世論操作する」インセンティブ存在する。

これが「オキニ隠し」の前提である

で、オキニ隠しって実際なにやんの?

掲示板に下げる書き込みをする」。これだけ。

実際には良嬢であったとしても、主に接客をクソミソに書いて評判を下げようとする(余談だが見た目をディスる書き込みは同僚の別の嬢によるものが多いとされる)。

それって意味あんの?

ぶっちゃけあんま無い。掲示板に常駐してるような奴なら「なんとなくレベルで嘘ついてない書き込みかどうか」を見分けられるようになるので、所謂情弱しか騙せない。

あと、元増田が書いてるように嬢がうっかり見ちゃったりしてすげえ傷ついてたりする。

最後

個人的には、一人でその嬢を買い支えてやれるレベルの超絶太客でない限りはオキニ隠しなんてやる権利ねーと思っている。

anond:20240513030013

弱男の定義ってなんなのよ

とりあえず弱男って俺の観測範囲ではここでしか見ないんだけど、使われ方としては、

恋愛弱者金銭社会的弱者として使われてる気がするんだけど、どっちかというと前者の意味合いが強いように思われる

例えば社会的に上手く行ってなくても恋愛では強者として振舞える、いわゆる「ヒモ」的な男を弱男とは呼ばない気がする

でもなんとなくだけど、彼女がいる男でも、自分社会的地位というか、仕事で上手くいってないとかいう奴も弱男を自称してる感じもある

個人的には、恋愛社会的両方兼ね備えてこそ弱男という気がするんだが、なんか弱男を自称する男自身がそれを認めないというか

自分を弱男にカテゴライズする事がアイデンティティーになってる感すらある

そもそも、弱男って「じゃくお」それとも「じゃくだん」、どっち?

2024-05-13

anond:20240105191053

なんかたいして意味もない感想感情垂れ流してるだけの連中ばっかりだな。

かにガチャっていう、とある文脈での用いられ方と現実的構造とは区別されるべきだとは思うが、

ガチャっていう概念がここまでスッと大衆に浸透したのは潜在的に生まれ変わりや

スピリチュアル精神性が前提となっているのではないか問題定義してくれた点など

各々に種々のアイデア・気付きをもたらしてくれたことについては有益である

少なくともぎゃあぎゃあ言ってる短絡ノイジーマイノリティの連中に巻き込まれたくないので

学びを得たもののタブをそっ閉じしてる連中が大部分なんじゃないかなと。

anond:20240105191053

なんかたいして意味もない感想感情垂れ流してるだけの連中ばっかりだな。

かにガチャっていう、とある文脈での用いられ方と現実的構造とは区別されるべきだとは思うが、

ガチャっていう概念がここまでスッと大衆に浸透したのは潜在的に生まれ変わりや

スピリチュアル精神性が前提となっているのではないか問題定義してくれた点など

各々に種々のアイデア・気付きをもたらしてくれたことについては有益である

少なくともぎゃあぎゃあ言ってる短絡ノイジーマイノリティの連中に巻き込まれたくないので

学びを得たもののタブをそっ閉じしてる連中が大部分なんじゃないかなと。

どうしたら男女恋愛に発展するのか

私が小学6年生のころには、この国の女性軽視はおかしいと思っていた。

そうした中で生活しているうちにうっすら芽生えた男性嫌悪は未だ拭えないでいる。

私のその夏の自由研究はなぜ女性天皇はいけないのか、というものだった。

クレイジーだと思ったからだ。

調べてみると、これは女性軽視とはまた別の問題があることがわかったが、これは私の不信感を払拭しなかった。

若い(もしくは若くない)女性が、弱者男性(この言葉がどういう定義なのか、私にはよくわからないのだけど)をチー牛と煽る(?)のはこの女性軽視の社会の中で育った私たちがうっすら持っている皮膜のような男性嫌悪からくる部分も少しあるのではないかと思う(実際、弱者男性(?)はほとんど女性軽視的な思考を持っているように見える)

弱者男性という言葉はあっても弱者女性という言葉はあまり聞かない。

女性はつけるまでもなく弱者だと社会が思っているからだ。

女性を軽視した社会の中で、社会優遇されている(ように感じる)男性恋愛をするのはとても難しいと感じる。

この国で子供を産み、育てることもそうだが、ほぼ敵のように感じる人間とどうしたら恋愛などというものに発展するのか、興味がある。

朗報英国保健相、トランス思想にとどめを刺す

https://freespeechunion.org/sex-is-biological-fact-nhs-declares-in-landmark-pushback-against-gender-ideology/

ビクトリアアトキンス保健相は、「性」は生物学的なものではなく、流動的なものであり、ジェンダーと同様に社会的な構築物であるという信念の遵守を求めるトランス活動家のようなジェンダーイデオロギーの支持者に対する画期的な反撃として、NHSの憲法を大幅に変更することを発表した。

NHS憲法は、医療サービス原則価値観患者職員の法的権利を定めたもので、2015年に最終更新された。少なくとも10年ごとに国務長官によって更新されなければならない。重要なことは、すべてのNHS機関、NHSサービス提供する民間および第三セクタープロバイダーは、決定を下す際にこれを考慮することが法律義務付けられていることである

 

新憲章にはこう記されている: "私たちは性を生物学的な性と定義する"

 

この政府の考え方の転換は新憲法に反映されており、NHS信託はもはや、「胸式育児」や「卵巣を持つ人々」といった表現を使って女性を指すことによって、「トランスインクルージョン」を追求することはできないと明言している。

anond:20240513155644

「頑張らなくていいよね、まともじゃなくてもいいよね、人とずれていてもいいよね、なんていうディストピア

人によっていろいろなディストピア定義があるものだね。

「頑張らないやつは死ね、まともじゃないやつは死ね、人とずれているやつは死ね」という社会ディストピアだと考えるほうが一般的だろう。

anond:20240105191053

言葉定義については確かにそう思うが、それよりも

5chとか、増田とか、30過ぎた人間匿名便所の落書きとして冗談で書いてる分にはいいんだが、

その言葉自体が、若者の間で〇〇だから仕方ない、という免罪符になっていることが恐ろしい

ADHDでも、HSPでも、これまでだって一定はいて、その人達なりに折り合いを付けてうまく付き合って生きてきた人がいる中で

それを免罪符に、頑張らなくていいよね、まともじゃなくてもいいよね、人とずれていてもいいよね、

なんていうディストピアが生まれつつあることに恐怖を感じる

ハードは変えられないにしろ、親ガチャかいって騒いでいる奴らの妬み、僻みの対象となっていることなんてソフトでどうとでもなるだろ

ただ、一点現代若者がかわいそうなのは、それを教えてくれるのが両親しかいなくなってしまたこと。

核家族化が進み、祖父母兄弟姉妹、従兄妹との付き合いも薄くなり、

地域社会義務教育も、ホワイト化した中で通り一遍でうわべだけの責任感のない教育に留まる。

そうなると、両親がまともでないのなら、自分自分をきつく律して、自学自習し続けるしか無い。

けれど、それに気づく頃、二十代の中頃には、肉体的、知能的には人間の成長は止まる。

もちろん、そこから色々な出会い精神的にアップデートされることはあるものの、それこそ運でしかない。

若者たちよ、頼むから勉強してくれ。

お前を救えるのはお前だけだ。

結局「オタク」の方の定義を先に決めちゃう実例出されそうで怖いんだろうな

そうだよねえ、例を挙げられても「それはオタクじゃない」って逃げられるようにしておきたいよねえ

 

結局、ヤバいヤツだけを「オタク」に分類しているから、そいつにとっての「オタク」は全員ヤバいという当たり前の話であった

anond:20240513143932

配信者とかでヤバくなくて配偶者いる人ちょこちょこいると思うよ

でも配信者って時点でどうしても企画とかやらなきゃいけないし、それでヤバいとか決めつけられるならヤバい定義から逃れるのは無理かなー

anond:20240513143932

結局は、いまここに白いカラスを連れて来い、って話よ

具体的に

  • どのような条件を満たせば「ヤバくない」のか
  • どのような条件を満たせば「男オタク」と認められるのか

お前の脳内の「男オタク認定条件に「ヤバいこと」が入っているなら、

お前にとっての「男オタク」が全員ヤバいのは当たり前だから

 

オタク趣味があってもヤバくない奴は「オタクから除外してたら、そりゃあ「オタク」は全員ヤバいってことになるだろ?

ヤバくない奴は除外してんだから

 

から、まず「オタク」の定義を決めようか

加害性

男の加害性=厳罰に処すべき犯罪

女の加害性=男が笑って許すべき戯れ

って定義してきたのが人間社会だよね

江戸っ子は3代続けて江戸まれ定義

んで真の東京人は何人おるんや

2024-05-12

anond:20240511100235

追記について、まずは差別定義を見てみようか。

Wikipedia定義は「特定集団所属する個人や、性別など特定属性を有する個人集団に対して、『その所属属性理由に』異なる扱いをする行為であるとある

また、国連は「差別には複数形態存在するが、その全ては何らかの除外行為拒否行為である」と言っている。

「鏡面対称の女性への好意」という逆の命題は「除外行為」や「拒否行為」ではないので差別に含まれない(対称ではないのだよ)。

よく考えたらわかると思うんだけど、好意まで差別とか言い出したら、「このお店は好きだからよく利用する」とかも差別になるぞ?

「このアイドルが好きだからスパチャする」というのはその人でないといけないわけで、「所属」や「属性」で判断してるわけではないので差別に当たらない。

所属属性(「男だから」「女だから」「黒人から」)とか、差別される側からしてどうしようもない理由で「男(女)だから」とまとめて除外とか拒絶されるというのが差別だ。

あと、「男女不平等に女だけ厳しくする理由が何かありますか?」はについての答は「そんなものはない」になる。

ただし、差別が何かを理解していなくて、あなた自分(女)だけに厳しいと勝手勘違いしてるだけ。

本当に人間って無関係黒人で考えたらすぐに差別とわかるのに、自分のことになると正しく判断できなくなるよね。

女性の方が給料が安い傾向があるとか、歴史的な経緯の女性差別の話なら「今でもある」が答になるけど、今回とは別の話)

現代キュビスム、カクカク芸術運動

今X(Twitter)で現代キュビスムとの呼び声も高い、カクカク芸術運動というものが密かに流行りつつある。

これは再定義された現代キュビスムであり、X内で #カクカク芸術運動 と調べると様々なカクカク芸術運動を見ることが出来る。

この新たなキュビスム概念、カクカク芸術運動は今後ますます広がっていくだろう。

いつかカクカク芸術運動画家たちで展覧会を開いて欲しいものだ。

anond:20240512140111

この「何者」理論ってよく聞くけど未だによくわかってない

何を持って「何者」と定義しているんだろう

有名になりたいのかな?って思ったけどそれなら「何者かになりたい」じゃなくて「有名人になりたい」だよな

何者ってなんなのか

誰か教えてくれ

anond:20240512051320

こういうエントリ全般に言えることだが「ヒットの定義」をちゃんと明確にしてくれよ

アニメ化してようやく累計百万部クラス」は俺の中では全然ヒットには入らないんだが?

「テイカー」は常に、与えるより多くを受け取ろうとし、自分利益を優先する人のことを指す。 「ギバー」はギブ・アンド・テイクの関係相手利益になるようにもっていき、受け取る以上に与えようとする人のことだ。

 

最近用語でよく聞くテイカ

ただこの説明だとこの逆としてギバーという存在があるようだ

ただ受け取る以上に与えようとする存在って本当に存在するんか?こういうことができる人物像がちょっと理解できない

具体例がまったく思いつかない

例えば自然現象なら例に出せるけど(太陽は何も受け取らないけど人類に多大な利益を与えてくれる、とか)下心なく受け取る以上に与える存在って具体的におるもんかね

女はテイカ気質ってよく見るけどじゃあ男はギバーかというとそうではない

投資した分の見返りがないなら同じだけのつらさ恨みをどこかに吐き出してる

反証的にギバーだっているよ!と言うために架空存在定義してるだけのように思う

母親愛情だって結局は老後の世話の保険だったりかわいい姿を見せてくれるから世話してたりするだけだしな

俺が猫を飼ってるのも猫からすると俺はギバーに見えてるけどかわいい姿でかわいく懐いてくれる生活を得るため飼ってるだけだし、餌代や病院お金もそういうバランスの中で考えてるわけで見返り以上の与えは渡してるつもりはない

バーなんて本当に存在するんかね

2024-05-11

嘘松アカウントの変化

とある嘘松アカウントを、1年ぐらい追っている。

聡明で慎重なはてなーの皆さんは「なんでぇ嘘だってぇ分かるんですかぁ?」「証拠はぁあるんですかぁ?」と言うかもしれない。

しか証拠と言えるものは何もない。ただ自分が嘘っぽいと感じているだけである

証拠はないけど、あのアカウントの言うことを真に受けてる人間は、いただき女子に2秒で全財産いただかれてしまう大マヌケだと思う)

ほとんど毎日のように嘘話を語っているこの嘘松アカウントだが、最近ちょっとした変化が生じてきた。

まず、「派生嘘松」が増えた。

プロ嘘松ァーといえども創造力は無限ではないらしく、一から嘘話を作り上げるのがだんだん難しくなってきたようだ。

そこで近頃は、いちどバズった嘘松ベースに様々な続編・外伝派生させる、いまどきのアニメみたいな手法を取り入れてきた。特に特定の悪役を設定して、アイツがまたこんなことをしでかした!というような転がし方を好んでいる。

だが、これはこれで、それもアイツだあれもアイツだと、一人の人間が八面六臂の大活躍をしてることになってしまい、さすがにそんな何もかも一人が原因になってることある?と、リアリティの低下を招いてしまっている。嘘松野郎としても頭が痛いところだろう。

二つ目は、夢の話。

これまでの嘘松アカは、あくまで実際にあったこととして話を語ってきた。というかそれこそが嘘松定義だろう。

しかし、実話としてしまうことで逆に、現実情報と照らし合わせて、それはおかしいんじゃないの?というツッコミも入ることになる。自分が追っているアカ嘘松使いの中でもそこまで博学ではない個体なので、ボロもわりとボロボロと出てしまう(そのたびにツイ消しで逃げてきた)

そこで最近レパートリーに加えられたのが、「こんな夢を見た」という、末は夏目か黒澤かという形式だ。

しかに、夢の話ならどんな荒唐無稽なことを言っても矛盾を指摘される心配はない。実際のところ、内容を見るに本物の夢ほどの不条理さはなく、明らかにウケを狙った作為を感じるためやっぱりこれも嘘ではあるのだが、さすがに夢の中身で嘘をついたからといって咎めるのは無理だろう。

ツッコミに対する牽制としてはなかなか上手いことを考えるものだが、俺は敢えて言いたい。

そんな小手先技術で守りに入ってもいいのか?

お前の嘘松道はそんな器の小さいものだったのか?

「実話」でバズってこその嘘松じゃないか、と。

俺はあいつが、ヘタに実話として大大大バズしてしまい、メディアインタビューなどが殺到してのっぴきならないところに追い詰められる姿こそが見たいのだから

ヤンデレって女性向けでも使われている言葉ですがもとは男性向け発祥言葉ですか?

(ヤンデレ定義を満たすシチュ自体ヤンデレという言葉が成立する以前から女性向けでもあったでしょうけど)

ちなみに萌え推しもそんな感じですか?こういうオタクスラングはもともと男性向け発祥女性けが後追いしてるだけなのがほとんどですか?

(すくなくともだいしゅきホールド起源男性向け確定でしょうし)

anond:20240511100235

英語で言えばフォビアというのはどちらも意味するから

怖がるべきでないものを怖がるのは差別というのはグローバルな定義でもある

本当にそれで良いのかとは思うけどな

ホモ怖がっちゃいけんのか?

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