はてなキーワード: 定期試験とは
ここ数日増田に趣味の一環としての翻訳の話を書いているうちに、いいニュースが飛び込んできた。
昨年現地で公開され、昨年の現地映画売上No.1になった「ฉลาดเกมส์โกง」こと「Bad Genius」が「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」という邦題で9月から映画館公開されることが発表されたのだ。しかも日本語版を作っているのがDVD販売に実績のあるマクザムなので、おそらくDVD販売もされるだろう。それなりに話題になる割にはさっぱり日本語版DVDが発売されないこの国の日本語版映画ラインナップへの小さな積み重ねだ。
もちろん現地DVDは公開の半年後くらいに発売されたので自分も発売とほぼ同時に早速海外通販で個人輸入し、2ヶ月ほどかけて翻訳した。そのときの留意点を元に、9月に公開される映画の字幕チェックポイントを挙げておこうと思う。なお、以下の内容に予告編の内容を超える致命的なネタバレはいれていないつもりだ。
日本だと6・3・3制と言われて中等教育は中学と高校の2つに別れているのだけれど、向こうの中等教育は6年制だ。中高一貫教育をやっている学校も多く1年生から6年生までが同じ学び舎にいることもしばしばある。もちろん進学率が上がったとは言え義務教育は中学3年までなのは日本と一緒なので全てが中高一貫教育校ばかりではないけれど、高校の学年が中学からの通しで数えられるのは同じだ。「バッド・ジーニアス」は高校3年間(+入学時の中学3年のエピソードが少し)の話なので、場面紹介字幕には「4年生」「5年生」等出るし本人自身がそう話す場面もある。それを日本語でどう表現するかはとても興味深い。
主人公は高1に進級する際に転入試験を受ける。成績的には合格なのだが本人が入学を渋るという不思議なシーンが登場する。入学を渋るのは決して裕福ではない家庭の事情を心配してのことなのだが、ここに通学手段と昼食内容の見積もりが登場する。映画館で読みきれない内容なのでこれはぜひDVDを入手してゆっくり眺めてもいいシーンだが字幕でフォローするか迷うセリフとして「バイクタクシー」と「カレーがけご飯2色がけ」が出る。どちらも主人公の几帳面さというか細かさを表現するセリフで、前者は最寄り駅から自宅まで歩いて通うことはないという現地事情も含まれているし、後者は現地で屋台メシを食べたことがあるならピンとくる定番メニューでもある。おそらく商業字幕ではどちらも簡略化もしくは省略されると思う。
日本だと大体のところは5段階評価だろうか。最高が5、最低が1。評定平均はこれを平均する。向こうでは5段階かどうかはわからないが最高点は4だ。だから評定平均4.0は日本語で言うところのオール5にあたる。学校の成績が主な話題になる映画のため評定平均の話は頻発する。自分の野良字幕では4.0(最高得点)とカッコ書きしたが、商業字幕ではおそらくオール5、のような表現になるのではと思う。そこで気になるのは最高点ではなく中途半端な生徒の中途半端な点数だ。1点下駄を履かせて表現するのか、そのままの点数にするのか。ここは個人的に注目したい。
サスペンス色あふれるサウンドトラックの中に1曲、フォークギターで伴奏されたナツメロっぽい曲が流れる。特に字幕でも歌詞を紹介されなかったしここの歌詞まで字幕化はされないのだろうけど、本家映画制作会社が歌詞を全てTweetしているのを読んだら、架空の学校校歌だったらしい。個人的に訳してみたい。
http://twitter.com/gdh559/status/865161419796299776
ครู(クルー)は「先生」、พี่(ピー)はこの間も書いたが「先輩」、ลิน(リン)は主人公の名だ。後置修飾なので直訳すれば「リン先輩先生」となるのだが字面で見てもバランスが悪い。自分の字幕では「リン大先生」と訳したが、もっといい意訳があるような気がする。この言葉、主人公が連呼されて気分がよくなる言葉なのだ。男性だったら「リン老師」とでもするんだけど女子高校生に老師は似合わなそうだし。
日本の試験の選択肢がア、イ、ウ、エになるように、向こうの国のマークシートはก ข ค งが使われる。予告編を見ればわかるが、この部分はしれっとA B C Dに読み替えられているし、自分もここはそうしたのだけれど、これカタカナ書きすると、コー、コー、コー、ンゴーなのだ。現地のアルファベット最初から4つ分とはいえ、これを採用した当時の教育関係者の勇気に感動した。ちなみに他の映画でもよく試験のシーンは出てくるのだけど、学校の普通の定期試験でもマークシートは当たり前らしい。だからカンニングしやすいとも言えるのだろうけど。
緊張で昼食のラーメンを吐いてしまった男の子が「サーモン食べ放題に行こうか」と誘われて「僕は外食は嫌いだ」と返すシーンがある。カップラーメンでもなければラーメンは外食のような気がするが、もしかしたら家の近所で食べるものに関しては外食に分類されないのかもしれない。自分の誤訳の可能性も含めてここは自分でも見てどう訳するのか興味がある。
金持ちの息子パットが誘った「家」は、PATTON HOTEL。貧乏な優等生バンクが帰宅したのは「น้องแบงค์(ノーン・バンク)ランドリー」ノーンは「後輩」を意味する敬称だというのは以前書いたとおり。もちろんこれは舞台となった国の貧富の差を如実に現したシーンなのだけど、特に前者が「息子の名前をつけた」ということを字幕で示せるかどうか。示さなくても話の筋は通るし、アルファベットで書かれているから無視してもいいんだけど。
映画の中ではほとんどชื่อเล่น(チューレン)で会話がなされる。チューレンとはニックネームのことで、今回の場合主人公の本名はリンラダー、チューレンはリン、と名前の一部を使ったチューレンなので訳してもそれほど違和感はないのだが、劇中で1人チョイ役なのに名前が2通り出てくる人が出てくる。違っていても話の筋はわかるからと言っているとおりに訳すのか、話がわかりやすいよう同じ訳語に統一するのか、興味深い。
途中でうさぎのコニーのスタンプが露出することからも分かる通り、オンラインコミュニケーションの手段はLINEである。集団不正を募るのに既存のLINEグループに話を持ちかけるのだが、こういう場面で「LINE」という言葉が出てくるのかどうか非常に興味深い。もともとのセリフでもLINEとは言っていないので無理にLINEと言う必要はないのだ。そのまま「受験友達は30人いるよ」で問題ないしね。ただ、LINEはLINEでもおま国動画アプリ「LINE TV」はスポンサードか何かでスタッフロールに出現する。通信手段がLINEなのはそのせいかもしれない。
日本で言うセンター試験。アルファベットだからと言って、これをそのままGAT/PATと書かれてもほとんどの人はわからない。何か別の言葉に意訳する必要があるのだけど、そのまま「センター試験」になるだろうか、「大学入試共通テスト」のような一般的な名称になるだろうか。
別に字幕とは関係ないのだけれど、4902778999042というJANコード(いわゆるバーコード)が出てくるシーンがある。この番号を調べると上記の鉛筆がヒットする。直前にペプシコーラの缶がプロダクトプレイスメントされているのだけど、たぶん三菱鉛筆はプロダクトプレイスメントではないと思う。ついでに言うとペプシは撤退したのでペプシコーラもプロダクトプレイスメントではない可能性が高い。
โรงพิมพ์(ローンピム、印刷所)ซื่อตรง(スートロン、正直)พานิช(パーニット、人名)。つまり「パーニットの正直印刷所」という施設が出てくる。何に使われる施設かと言うと、カンニングアイテムの印刷に使われる施設なのだ。あまりの皮肉にTwitterでも少し話題になった。โรงพิมพ์ซื่อตรงพานิชで検索してみるとそれがわかるかもしれない。別にその皮肉がわからなくてもストーリー把握に問題はないため字幕では無視されるかもしれない。
謎の電話番号(0840126470)から電話がかかってくるのだが、この電話番号が誰の電話番号であるかは事前に写り込んでいるシーンがある。そこに電話番号を書いている理由を訳さないと、携帯電話番号の形式も違うわけで何の数字だかわからないのだけど、そこまで訳すだろうか。それとも前後のシーンから誰が電話しているかはわかるだろうと訳さないだろうか。
携帯電話の電波の規格。日本ではLTE(4G)の前は3G、その前はPDCとかcdmaOneとかだった。彼の国ではEDGEだった。そんなに日本で有名な話ではないので、トラブルで3G電波が入らなくなるシーンをそのまま「エッジ」と訳しても伝わらないだろう。ここはどう訳すだろうか。
主人公がシドニーから帰ってきた空港はLCC専用空港だったりする。劇中で航空機が出てくるシーンはないのだが、なぜか自分の頭にはエアアジアが思い浮かんだ。調べてみると当該の空港からシドニーに行くにはエアアジアが一番安いらしい。とは言え直行便はエアアジアを含めて1つもない。別にどうでもいいのだが細かいところが気になってしまうのは良くない性格だ。勘弁していただきたい。
https://anond.hatelabo.jp/20180307150402
諦めるのが早すぎる。高い目標の下方修正はいつでもできるが、京大をまた目指しはじめても低い目標を上方修正するのはきついぞ。
年間1-2人だけ京大に行く公立高校に通い、高校1年の4-12月に個別指導の英語だけを週2時間/高校3年の9月-本番まで河合塾の京大数学と京大英語コースを受講、最後の冬休みは河合塾の京大演習コースも受けた。それ以外は独学。結果京大法学部に現役合格した。学校に特進コースはなかったし、クラスは文系と理系の二分のみ。部活には休まず通い(運動系だったが大会は存在していなかった)、高校3年の夏休みとか1日2時間くらいしか勉強してなかった(結果死んだので河合塾行き)。その際のノウハウを共有するから参考にしろ。
学校の定期試験は無視しろ。残り2年間で京大の学力に到達することだけを考えろ。定期試験で点数がとれようととれまいと京大の受験には関係ないし、学校はお前の受験結果に責任を持たない。また、センターはともかく二次試験は完璧を目指すな。京大に入りたいなら合格ラインに達してさえいればいい、たしかせいぜい6割くらいだ。
今の段階で京大受験に必要なセンター科目・二次試験科目を絞れ。そして今後2年間の勉強計画を立てろ。ただし総合的な勉強量は考えておこう。センターで日本史・二次試験で世界史を受験する方針を高校2年で立てた結果2年以降の世界史を完全独学でやり(2-3年は日本史の授業だった)、地獄を見た。普通なら世界史・地理か日本史・地理を選ぶ。このあたりは独学の悪い所で、適宜誰かに相談して方針が変じゃないかどうかを確かめるのは大事。
京大に受かるためには数学に限らずそれ以外の勉強が不可欠。京大を目指していたなら過去問くらいは開いたことがあるだろうが、京大の二次試験は異質だ。ほぼほぼ全ての回答が記述式。これで面食らう人間が多いが、実際のところあれはセンター試験を選択肢なしで解くだけな問題も多い。センター試験の数学がたまに突飛な回答をするのを思い出せ。センター試験レベルの知識が習得できれば、京大の問題は実のところ解けてしまう(勿論一定以上の応用力は必要だが)。とにかく基礎を固めろ。突飛な英単語やドマイナーな歴史知識は不要。
基礎的な勉強は学校で買わされた教科書・文法書・参考書を利用すればいいが、京大レベルだと不足する。今すぐ2ちゃんねる(今では5ちゃんねる)の大学受験板に飛び、各科目の総合スレを開け。そこには10年以上前から構築された知のノウハウがつめこまれている。具体的には各スレのテンプレにある参考書一覧のことだ。俺が受験生だった10年前と比べると今のインターネットはクソまとめアフィリエイトサイトで溢れてしまってるが、あそこに書かれている参考書一覧は今でも変わらず良書だけを選んでいる。各科目、高校3年の夏くらいまでにそこに書かれた京大レベルの参考書を数冊、2周~3周解いている状態を考えろ。それを目指して、どの参考書をいつまでに解いていればいいかを逆算してみてくれ。ギチギチに詰め込む必要はない、むしろゆったり考えろ。あくまで、手持ちの範囲・出来る範囲でスケジュールを組め。
勉強量だが、俺の場合は高校2年の段階から大体1日2-3時間を毎日やっていた。朝起きて1時間、部活が終わって帰宅し、風呂に入って寝る前に1-2時間。試験前はもう少し勉強量を増やした記憶がある。これを基本毎日やること。どこまでやるかじゃなく何分やるかを意識しろ。だが飽きたときはやらなくていい。俺は何度か小説にはまって(ラノベだと戯言とか禁書とかイリヤ、文学方面だと村上春樹や夏目漱石)、後で書いてる散歩だけしかやらない時期が何度もあった。毎日2時間くらいネットサーフィンしていた気もする。ただ高校3年の秋以降は4-5時間に跳ね上がったかもしれない。流石に焦った。
忘れずにやってほしいのが、毎日の各科目ごとの勉強量をメモしておくこと。今すぐ新しいノートを開き、1行目に京大の受験に必要な科目を全て列挙しろ。現代文、古文、数学1、数学A、数学2、数学C、日本史、世界史、生物、英語、英単語etc...そして2行目から、毎日どの科目を自主的に何分勉強したか書いていけ。これをやっておくだけでもモチベーション維持が随分違う。「あの科目しばらくやってないな」というのも一目でわかるから万遍なく勉強ができる。
個人的におすすめなのが、朝か夜に必ず1時間散歩して単語帳or一問一答を声に出して解くことだ。運動しながら勉強をすることで脳が活性化して記憶に定着するとかいう理屈があるらしいが真偽は不明。ただ、散歩することで運動にもなるし、つまらない暗記ものをやるときに家で寝てしまわないという利点がある。勉強の気分転換にもなる。ただ夜にやるときは安全と、女性の場合は治安等に気をつけてくれ、責任は持てない。俺は一度だけ国道沿いの深さ1.5mの側溝に落ちた。
勉強の基本は繰り返しだ。 ただし、漫然と繰り返すな。問題文の頭に○や×、△などで解けたかどうかをチェックしておけ。2周目以降、一度でも正解した問題は飛ばせ。でも解いてからしばらく時間(1ヶ月~半年)が経ったら念のためもう一度解け。たとえば1周目に間違えて2周目に正解したら「×○」、1周目に正解して2周目・3周目は解かなかったが4周目にケアレスミスで間違えたら「○ - - △」みたいな感じに書いていけ。
とにかく「その問題で何回間違えたのか」が視覚的にわかるようにしろ。そうやってチェックをつけていると、「参考書を開いたら、どの問題がミスりやすく、どの問題が得意なのか」、要は復習時の要チェックポイントが一発でわかる。こうしておくと、最終的には数学1A全ての復習が1時間で終わるようになる。
おそらく学校でチャート式を買わされてるだろう。買ってないなら買え。一年間でとにかくそれで勉強を繰り返せ。
勉強方法の基本は写経だ。例文に書いてるやり方でひたすら問題を解く。まずは例題の回答方法を一字一句写経しろ。そして同じ解法で一字一句同じ書き方で解け。数学が苦手なやつによくありがちだが、解答で途中の解法をすっ飛ばすのはNGだ。理由は以下の3つだ。①理屈を何度も書いて覚える必要があること②採点者にとって「すっ飛ばしている部分を回答者が理解しているかどうか」がわからないので×にせざるを得ないこと③京大数学の記述問題は「計算を間違えていても、理屈があっていれば部分点をくれる」ということがままあること。
京大数学を解いたことがあるなら2完とか3完とかいった言葉を聞いたことがあるだろう。あれは全5問のうち3問は全部解答できたという意味であり、つまりは多くの受験者が5問のうち2-3問しか完答できていない(完答できなくても点数は獲得している)ということだ。数学は論理でできている。故に京大数学が重要視しているのは解法の論理を理解しているかどうかという点だ。
だから、とりあえずわからない問題は悩む前に解答例を見てやはり写経しろ。お前の頭で考えるな、答え(=解法の論理)は先達が既に考えてくれる。言っちゃ悪いが高校数学レベルの問題なんてチャートに書いてることがすべてだ、俺は黄色チャートで乗り切った。
もしどうしてもわからない単元がある場合は、このサイトのpdfに載ってる当該単元に関わる章を全部読め。当該サイトは、「1+1がどうして2になるのか」という説明からはじまった高校数学に関する説明を全部やりきる『高校数学+α』というすごい本の全文をpdfとして配布している。最初から通読しようとするのはきついので無理しなくていいが、わからないことがあればこの本を読めば絶対にわかる。
英語は現段階であれば文法書を何周もしておくこと。細かいことは言わん。何周もしろ。あと、英単語帳は今から3ヶ月で一旦全部暗記しろ。高校3年にもなって英単語帳を一からやるのは馬鹿らしすぎるしリソースの無駄遣いだ。1日1時間やれば3ヶ月でどうにかなる。
英単語をはじめて覚えるときに絶対忘れちゃいけないのは「1日でも時間を空けるな」ってことだ。毎日やれ。英単語帳はどれでもいい、どうせ全部覚えるんだから変わらん。覚え方だが、とにかく音読しろ。「accept」という単語があるなら「アクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取る……」と5回〜10回音読して次の単語に行け。黙読は絶対にやるな、音読して単語の意味を音としてインプット・アウトプットすることに意味がある。ページ単位で考えずに時間で考えろ、10分で一度音読できる範囲まで音読しろ。次の10分で同じ範囲をもう一度最初からやりなおせ。次の20分では新しい範囲で同じことをやれ。最後の20分で全部おさらいしろ。1セット1時間を目処にするといいだろう。これで1日100単語はインプットできるはずだ。勿論翌日には半分以上忘れるしすぐに思い出せない。それが当たり前なので気にするな。大事なのは復習だ。翌日は一度読んだところを20分かけて再度音読しろ。絶対だ。1日後というのが重要で、詳細は忘却曲線でググれ。残りの40分は新しい範囲に時間を費やせ。これを毎日やれば3ヶ月で1冊丸暗記できる。忘れたら忘れたで構わん、再度読み直せ。1週間スパンくらいで全体を再度復習するといいとは思うが、その日に覚えたことを翌日復習するというのを徹底するなら復習頻度は気分でよしなにやれ。
京大英語の恐ろしいところは、主要な問題が英文和訳と日本語英訳だけというところだ。文法の基礎(センターで満点を狙える程度)をがっつり固めるのは当たり前として、それ以外に和訳英訳の練習が必要だ。和訳で絶対におさえておくべきなのが伊藤和夫『英文解釈教室』。今からでいいので買って少しずつ、それこそ3日に1問・1問解くのに1時間かけてもいいから触れておくのがいい。解けなくても、やるときは1時間やれ。解説は精読しろ。
それ以外では、学校での課題・夏休みでの宿題で長文演習問題が出てきたら、全文を和訳するといい。「受験に関係ない宿題をこなす」が「京大英語の演習をおこなう」に変化する。
英訳は逐語訳ではなく意訳の力が求められるのでかなり難しい。そこでサンプルとしておすすめしたいのが『英文対照 天声人語』。天声人語自体の良し悪しは知らん。俺も普段読んでるわけじゃない。ただ、日本語の意を汲み取って逐語訳ではない英訳を集めてるサンプルケース集としては有用だ。
しかしながら、英訳も和訳も独学には限界がある。なのでここは他人を利用しろ。赤本の過去問でもなんでもいいから、演習を解いたものを大人にチェックしてもらえ。一番いいのは京大英語講座に行くことだが地域的な問題で行けない場合もあろう。英語教師にチェック依頼するとかがベターだ。
現代文は知らん、息抜きに小説たくさん読むとかするといい気がする……とぶん投げるのもよくないのだが、いかんせんこの分野は扱いが難しい。なので俺が楽しかった参考書だけ紹介する。
石原千秋の『大学受験のための小説講義』『教養としての大学受験国語』はすごい。大学に入ってから知ったが、石原千秋は文学理論を日本文学に当てはめることほぼほぼ初めて行った研究者で(大学時代の知り合いに教えてもらった知識なので間違ってたらすまん)、現代における漱石研究の第一人者。この人のテクスト読解はすごく楽しい。趣味になるが『謎とき 村上春樹』も最高。
評論系だと『MD現代文・小論文』が主要なトピックスを抑えててよい。大澤真幸が「自由の牢獄」について言及していたので俺はミヒャエル・エンデを知った。ただ(内容ではなく出版年月が)少し古いので一度書店で立ち読みしてみるのがいいかも。
古文・漢文は、基本文法・基本単語をマスターするのが前提として、あとは慣れの部分が大きい。漢文には正直そんなに力入れなかったので割愛するが、古文は小学館の古典文学全集シリーズのうち、平安時代あたりのものを1冊でいいので(たとえば源氏物語の1巻だけとか、当該シリーズ26巻の『和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』とか)読み切る。当該全集は各ページ三段組み=原文・訳文・注釈が同時にチェックできるので、原文を読む上で圧倒的に優れている。文法を暗記しようとか、知識をあまさず覚えようとかしなくていい。でも注釈は全部読め。どの原文がどの訳文と対応しているのかを常に確認しろ。そうすることで時代的な知識を知る事ができるし、何より「古典作品を読んだ」という自信がつく。
日本史・世界史だけは例外的で、高校の授業を一字一句もらさず板書すること。どの事件にどんな背景があって、それがどういった結果につながっていったのか、そういった歴史の流れを理解するのは、教科書・参考書で独学するよりも先生の話を聞いた方が圧倒的に楽。豆知識が記憶の定着に役立つ(先生によるかもしれないが)。複雑な範囲(日本史の近代とか)は自作フローチャートを作れ。骨子の流れを覚えたら参考書で補強。本気で独学すると山川出版『詳説 世界史研究』で死ぬ。575ページあった。
それでもなお世界史を独学すると言うなら、世界史は参考書として『タテから見る世界史』『ヨコから見る世界史』を押さえておくとベター。物事を俯瞰して押さえるのが大事。あと論述対策しておくこと。
生物は正直センターレベルだと独学することがない気がするので、やっぱりセンターで80-90を狙って勉強するのがいい。
政治経済は、申し訳ないが大学時代で知識がアップデートされすぎたのでどう勉強したのか覚えていない。すまん。
後半飽きてしまった部分があるので雑な投げ方していたところもあって申し訳ないが、最後に1つだけ。
俺が挫折を味わったのは京大に入ってからだった。六法の講義が何一つわからないのに周りの人間はすらすらと解いていく。60点で可をとるのが関の山だったのに、その横では「80点に届かないから問題解かなかった(ロースクールの受験には学部成績が影響するのでそういうことが往々にしてある)」という会話がなされている。俺は2回生のときに法曹を目指すのを諦めた。
でも、それと同時にもっと楽しい事・面白いことを沢山知る事ができた。政治学からは価値判断と切り離した広い視点を持つことを学んだし、小野教授の政治思想史からは人類史に通底する観念とその変遷の奥深さを知った。プログラミングにはできないことも多いがそれ以上にできることが多いという、応用力の幅広さに助けられた。京都では、自転車を走らせればすぐ史跡や寺社仏閣に行ける生活が待ってるし『四畳半神話大系』が最高に楽しめるようになる。そんな環境で、自分と同じ興味を持った人間と同じ話ができるというのが何よりすばらしかった。大学時代に比べたら、高校時代の記憶なんてほとんどないし、社会人になってから大学以上に楽しい環境にいたこともない(今の環境がだめという話ではないが)。
京大に限ったことではないと思うが、大学は、色んな学問を研究する色んな人間がひしめきあった結果、知的興奮の機会に満ち溢れている場になっている。もし京大に行けなかったとしても、早稲田や慶応等のある程度一流と言われている大学であれば、絶対にそんな魅力を味わうことができるはずだ。
そしてなにより、今度どうやっていくかに関わらず、勉強を楽しんでほしい。英語の長文演習問題はするする読めるようになるとめっちゃくちゃ面白いし、小説や海外ニュースも読めるようになる。源氏物語は第1帖「桐壺」を全部読むだけでもうるっとくる。高校数学を一種の論理パズルと考えたとき、京大数学の演習問題が異常に楽しいというのはやったことがあるならわかってもらえるはずだ。
健闘を祈る。世界は広い。
中年新卒の出直しって色んな人に希望与えるんだなーと分かったので、夫の話もしたい。
言っとくが看護師ではない。
看護学校も受けたのだが、コミュ力が無さすぎて、圏内の専門学校は全落ちした。
笑うしか無かったけど、なんとか別のコメディカルの学校に滑り込めた。
私はブラック企業の正社員と副業をゴリゴリやって、でも世帯年収は300万切ってた。
地方都市で家も車もない。
とにかくランニングコストが低ーい一家だったので、なんとかやっていけた。
学費は夫の親に頼み込んで、最後のチャンスって事で出してもらった。
これがほんとに助かった。
奨学金を借りるか借りないかギリギリの選択だったけど、いま多少身軽に生きて行けるのは、この時の借金が無かったから。
夫、四十路でのこの生活。
寿命を縮めたかもしれないけど、本当によく頑張ったなあと思う。
夫婦仲もずっと良かったので、ネズミが出るような借家暮らしだったけど、あんまり悲壮な思い出も無い。
私も生まれてからずっと貧乏暮らしだったので慣れてるんだな、こういう生活。
ただ、うちの夫の圧倒的アドバンテージとしては、勉強がめちゃできる。
大学中退すること20年でも尚、ステータスを学力に全振りしてる。
コメディカルの中でもかなりお勉強寄りの資格なので、定期試験、卒業試験、国家試験をトントンと進めた。
同級生に中年学生は多かったみたいだけど、そもそも国試前の卒業試験が通らない人もチラホラいた模様。
それまでの4年間を考えるとこれは本当にキツい。
就職も学校が斡旋してくれるので、2社くらい?の面接で決まった。
人手不足で、職業人生のこり20年切ってる中年でもいけるんだな。と感心した。
やっぱりコミュ力が無い中年ってのはそれなりに大変で、2年目くらいまでは上司の当たりがキツい的な事は言ってた。
何も言わずに黙々と邁進するこういうところ、本当に尊敬してる。
ストレス溜めてるかなーと思いつつ、いたわる日々。
ただまあ、夢も希望も無い事言うと、夜学にかよって国家資格取って数年勤めても、まだ基本給は月20万切ってる。
泣けちゃう。
でも中古マンションのローンは組めた。
実家か嫁か。
3年か4年食わせてくれる人がいれば、こういう道もある。
なぜ結婚した…って言われたが、リアル友人にも言われた事ある。
金はこっちが稼げるじゃん。(ちょっとだけど。)
母も定年まで勤め上げたし、一生二馬力で働くのが前提だから、夫に期待するのは優しさだけで済んでるんだろと思う。
でもこれ維持するには二人とも健康でいなきゃねー。
なぜ書こうと思ったか?
というのも、「CBT 勉強法」などの検索ワードで出てくる諸々のサイトの内容では問題があると思ったからです。
現時点で出てくるサイトのほとんど、「CBTの個人的勉強法」と銘打っているものたちですが、
実際は自分の成績がなかなか良かったことをドヤりたい連中が書いてることが、底辺勢から見させてもらえば丸わかりなんですね。
「数か月前から○○をやりました」「直前まで試験があって不十分なまま試験へ」「結果は80数%、多少不満が残る」
などなどなど。効率よくやってまあまあ上手くいったわ~。
ドヤってます。そして参考になりません。
そもそも成績がいい人はCBTに落ちないので。
落ちる訳のない人が落ちる訳のない勉強をして普通に受かった。それだけの話。
1、2年生の時の教養科目や3、4年生の専門科目で落第して留年するよりも危険です。
なぜならば、CBTは留年して再度勉強しても落ちる可能性が高いからです。
理由は単純でして、まず1年間やることがありません。堕落しようと思えばどこまででも堕落できてしまいます。
加えて当人は「なぜ落ちたのか」がわからないままに時間だけが過ぎていくことになります。
大学内の科の単位でしたら、一度留年した時点で、大学や教員側もサポートしてくれます。
先生方は悪人ではありませんから、自力では受かることが出来なかった子は拾おうとしてくれます。
ただし、助けを求めれば、ですけども。
先生方との面談でも、結局のところ、「勉強頑張って」というメッセージを送られるだけです。
ただCBTに落ちる連中(自分含む)はどう勉強すればいいのかわからないというのが実際でして。
なぜこの記事を読んでいるんでしょうか?
その成績であるのに不安で不安でしょうがないのでしたらむしろ病院へ行きましょう。
2、現時点でクラス内成績上位50%内にいる人
おそらくいろんな人からQB(もしくはこあかり)をやろうと言われてると思います。
3、現時点でクラス内成績下位50%内にいる人
特に、今までサークル内の情報、過去問等で定期試験をパスしてきた人は討ち取られる可能性がやや高いです。
まず落ちます。
友人や先輩からの「まあ何とかなるよ」という言葉は無視しましょう。
1、2の人
3の人
友人や先輩方に言われる通りです。
QBをやりましょう。そしてわからなかったことは病気が見えるや自分に合った参考書を用いて調べる。
4の人
スマホを手元に置いた状態で勉強できる人種は成績下位10%にいません。
自分はスマホを家に置いた状態で図書館や大学学習室へ行って勉強していました。
そしてQBをやりましょう。
クラス成績下位10%にいる人は、現時点で持っている知識の量が他とは比べ物にならないくらい少ないです。
アホみたいな問題ですけども、おそらく自信を持って言える人はこのランクにはいないでしょう。
一度QBのVol1,2,3をやってみればわかると思いますが、8割方分かりません。(社会分野や公衆衛生は常識問題なので例外です)
ここまで記事を読んでくださった1,2に該当する方は「自分もそうだったぞ」と思われるかもしれませんが、少し意味が違います。
1,2の方は「答えがわからない」んです。4の人は「何を言ってるのかわからない」んです。
1,2の人であれば、出題された疾患に関する参考書を開けば、「ああ忘れてた。覚えとこ」となるんです。
4の人は違います。「へーこんな疾患あるんだ」となるんです。
疾患そのものは知ってるからです。今まで知らなかった知識を埋めるか忘れてた知識を埋めることで充足できるからです。
参考書を開いて疾患そのものを最初から学ぶところからやらないと知識としてまず定着しません。
何もわからねえ!となっていろんな参考書や問題集に手を出すと最悪で、全然点数が上がらないままに本番を迎えることになります。
QBのみをやりましょう。そしてQBの問題はほぼ完ぺきにするようにしましょう。
オススメの勉強法は出題された各疾患をノートにまとめることです。というかやってください。
やらないと点数が上がらないです。
他のサイトでよく言われている、「QBの一周」というのは、少し表現に不足があります。
「QBの問題を参考書を用いてまとめつつ一周」です。問題をざっと読んで当たった外れたしてるだけでは勉強になりません。
故にQBオンラインもほぼ役に立ちません。少なくとも4のクラスの人には。
どうしてもそれだけでは心配ならば、QBの問題集の最初にある、CBTの出題範囲となるコアカリキュラムを見てください。
そこに載っている疾患や指定された内容をさらにノートにまとめましょう。
それをやれば、QBの内容でほぼ必修疾患は網羅されているということに気付くと思います。
加えて、ここが非常に重要なのですが、QBVol1の基礎医学の分野、真面目にやりましょう。
方々のサイトが、「点数に繋がりづらいのでほどほどに」などと書いてありますが違います。
基礎医学分野の点数が上がりづらいとみなが口々に言うのは、難問の中に、膨大な知識量を要求される問題が混じっているからです。
そもそも知識がまるでない4の人には、得点を稼げる猶予があります。
ノートに一通りまとめれば点が取れるようになる問題が残っているはずです。
基礎医学分野を7割から8割9割まで取れるように勉強するのは非常に大変です。
5割を7割にすることはそれほど無茶な学習をしなくても可能です。
更に、CBTは臨床分野が重要とは言われていますが、一部の臨床分野は基礎医学の知識があって初めて理解が出来ます。
そんなわけで基礎分野はきっちりやりましょう。ここが結果を左右します。本当に。
一度真面目に見ることが大事です。
各科を大まかにまとめるのが目的の講義ですので、詳細な部分は説明されません。
しかし、必須となる疾患の大まかな病態を理解するのには非常に役に立ちます。
身振り手振りを用いて疾患を説明してもらうのはかなり理解に役立ちます。
しかし、「この疾患はこんな感じ~」というのがわかっても、「○○と○○を覚えろ」と指定された言葉に意味はありません。
しかし、全くイメージの湧かない疾患を大まかにとはいえ一発で理解できるのは非常に有用です。
一回見ましょう。それで充分です。
4の人向け結論
1、スマホをたたき割る。
半ば冗談、半ば本気で言ってます。隙あらばスマホを触る生活から離れましょう。
無論人によっては誘惑のものはスマホでない場合もあるでしょう。とにかくそれから離れましょう。そうしてようやくスタートです。
2、講義を見る
また、すでに試験が直前に迫っている場合は絶対に飛ばしましょう。直接点数に繋がる勉強ではないので。
付け焼刃でもいいから点数がほしい。そういう状況の際はやらない方がいいです。
3、QBを用いて勉強。わからない疾患や用語はノートにまとめる
これが全てです。1,2はこれのための下準備です。
以上です。たったこれだけです。QBを参考書を用いて詳細を調べながら勉強すること。これに尽きます。
3のクラスの人も同様です。
QBを用いるんですから当然使いましょう。ページ指定までしてくれています。危機感を感じているなら今すぐ買いそろえましょう。
とんでもない名著です。様々な基礎医学分野の事項が必要十分に書かれています。
標準なんちゃらのように詳しく書かれ過ぎてて意味が分からなくなっていることもありません。
CBT試験用として容量が絶妙なんですね。これ一冊で基礎はほぼカバーできます。
国家試験合格率を上げようという大学全体の流れからして、これからは各大学で合格ボーダーのインフレがどんどん進んでいくでしょう。
ただ、勝手に保障しますが、上記した勉強法で75%は取れます。(80%と言いたいところですが、多分勉強法の相性もあると思うのでちょっと謙遜)
一年次や二年の前期もやばいやばいと言いながら試験に臨み、ギリギリのところで単位を取得してきたが、今回は特にやばい。
かつての私はコツコツ勉強するタイプであった。課題が出ればその日のうちにこなし、授業で出された演習問題はこまめに解くようにしていた。私はもともと地頭がよくない。大学受験も問題暗記で乗り切っていた。根本的なところは何も理解していない。講義を聞いただけでは微塵も理解できない。しかし、その後には必ず時間をとって、たとえ自分の頭で考えてもわからない内容でも、復習に努めた。
しかし、次第に周囲の影響を受けるようになり、期末の時期に過去問だけ解けばいいや、と思うようになった。実際、それで乗り切れてしまった。
そして来たる二年後期、なぜかこれまで全く興味のなかった読書にどっぷりとハマった。どうせ授業を聞いてもわからないという考えから、授業中もひたすら読書に耽っていた。自分の専攻する内容とは何ら関係のないものばかりだ。
私がいま思うのは、日頃からの復習をしておくべきだったということだ。二年前期まではそれなりに頑張っていた。考えてもわからないとはいえど、この過程を経ることによって、期末の勉強がスムーズに進んでいたのは明らかだった。しかし、今期は日頃の復習を全くしていない。授業の内容はますます高度になっていき、ノートや過去問を見ても何のことだかさっぱりわからない。
友達もいないのに周囲の影響なんていうのは自分でも滑稽に思えるが、とにかく私は周りに流されてしまった。単位なんてのは過去問を解くだけで取れるもの、と考えるようになってしまった。しかし私には過去問を解くだけで単位を取る能力はなかった。これまで単位を取得できたのは、わずかながらの日々の復習とこれまでの積み重ねによるものだったのだろう。現時点でその積み重ねは途絶えてしまった。宙ぶらりん状態である。
結局、私に合っていたのは日頃からの復習を怠らない勉強法だったのだ。周りの彼らは直前に一夜漬けで過去問を解いてエナジードリンクを飲んで臨めば単位が取れてしまうのかもしれない。しかし、私は試験前に一夜漬けなどしたことがないし、毎日7時間以上の睡眠を取らなければ次の日には全く頭が働かない体質だ。直前に詰め込むのは苦手であったし、コツコツ身につけていくのがこれまでのやり方であったはずだ。しかし、周りができるなら自分にも、という安易な考えからこの習慣を壊してしまった。自分のことは誰よりもわかっていたはずなのに。
自分に合った勉強法は無意識のうちに身についていたのだ。しかし私はそれに気づかず、自ら手放してしまった。自分のことは自分にしかわからない。周囲との違いを認識し、自分のやり方というものを発見しておくべきだったのだろう。
テスト勉強は得意だった。部活が試験休みに入ったら定期試験の範囲を試験までの日数で割って勉強計画を立て、1週間計画通りに勉強した。家庭科だって保健体育だってきちんと勉強した。定期試験の成績は良かった。たまに行われる試験範囲の無い実力テストは定期試験より順位が落ちた。いわゆる「大して勉強しなくても頭良いやつ」に負けた。
別に詰め込み教育のせいでこうなった訳ではないと思う。親に勉強しろと言われたことはない。生まれつきの性格がやりたいことをやるよりやるべきことをこなすことに向いていたのだろう。日本の学校が自主性を重んじる教育方針だったら落ちこぼれていたかも。司馬遼太郎の小説で無能な官僚として描かれるタイプ。坂本竜馬とは正反対。
理想、目標が提示され、それが納得できるものであれば、そこへ辿り着く方法は自由に選ばせてほしい。今の職場はそんな自分には向いている。別に仕事自体は楽しくはない。大量の事務をこなすのは結構楽しいんだけど。ストレス無く働ければそれで十分だ。
でも自分の子供には自分のやりたいことを見つけてほしいと思ってる。ストレスは無いけどすごく楽しいわけでもないんだ。自分に似ていたら無理かもしれないけど、希望としては。
学生さんを見ていて思うことは、やはり大学生活が楽しいものとなるか
なんだ、簡単じゃないと思う方もいると思いますが、この積極性があるか
ないかを大きく左右するのはマスクの良し悪しにかかっているのではないでしょうか。
マスクがある程度よいと、自分に自信ができるため自然と積極性も身についてくる
ものです。ところがそうでない人は、どこで何をしても誰も評価してくれないので、
ますます消極的になりついにはひきこもりにまで発展する人も多いようです。
皆さんの小中高時代を思い出してください。
登校拒否やいじめられっこというのは大抵肥満児やマスクが悪いおとなしい子が
登校拒否というのは例がありません。特に我が早稲田大学の場合、
学生の数が著しく多いため、マスクが悪い人は相当な苦労を要しているようです。
さらに本学の定期試験は、過去問が大量に出回る為それを手にいれるか否かが
重要なポイントになっています。これは大学側が仕向けていることであり、
早稲田大の定期試験は社会に出てから要求されるこれらの能力を試す
留年する人は、いわゆるチャライ人ではなくおとなしい学生が多いのはこの為です。
就職でうまく行く人も、授業に毎日出ているまじめな人ではなく、
サークル恋愛アルバイトをこなす活発でおしゃれな学生が多いようです。
これは就職課でも言われていることです。
http://school.2ch.net/campus/kako/1022/10227/1022759061.html
相次ぐ法科大学院の募集停止という記事が新聞に掲載されたのを見て、筆を執りました。
では、法科大学院制度は崩壊大学院…もとい制度として失敗だったのか?
結論から言うと、個人的には失敗だった(但し改善すれば救いはある)と思います。
…等とそれっぽい書き出しですが、人によってはただの愚痴じゃないかと思われるかもしれませんので、チラシの裏の落書き程度に思って頂ければ幸いです。
但し、チラシの裏と言いながら、ちょっとしたレポート並に長いので注意してください。もはや日記ではないのだ。
後で時間泥棒と言われたくないので、先に分量だけお伝えすると、400字詰め原稿用紙で7枚ぐらいです。
それでも読んでやるよという心の広い方はどうぞ。
ちなみに、読まなくても何の支障もない書き手のスペックはこんな感じです。
・合格率の低さから初年度で司法試験に受からなかった場合の不安を感じ、今年の3月から2018年卒として就活を開始。
一言でまとめると、こんな感じです。
年度にもよりますが、法科大学院全体で見ると基本的に三割から四割です。
合格率が高かったのは制度開始の初年度以降数年で、ここ最近は大体三割程度です。
(詳しくは法務省等が公開している受験者データを見てください。
ちなみに直近の平成28年度試験では受験者数(途中欠席者含む)6899名に対して最終合格者は1583名でした。)
なぜ法科大学院生の合格率が低いのかについては、よく言われる予備試験の方が本試験より難しいから
予備試験合格者の合格率の方が高いのは当たり前、という意見以外にも現役生なりに思うところは多々あるのですが
(一つ考えている事として、法科大学院のカリキュラムと司法試験で要求されている事が噛み合っているのかという
問題点があるのですが、今回は指摘するだけにとどめて、あたうならば誰か別の人が検討してくれるのを待ちたいと思います。)
自分が法科大学院は崩壊大学院か?などと言うつまらないダジャレを入れながらも問題提起したかった事は、断じて合格率の低さではありません。
真に憂慮すべきは、合格率が低いとどうなるか、という問題です。
仮に、5年で5回、全てのチャンスを使い切ったとします。
(現在法科大学院を修了した場合の司法本試験への受験資格は5年で5回までです。)
大学からストレートで法科大学院に入学、修了した人を想定した場合、その時点での年齢は30歳前後。
司法試験を志す途中で何か資格を取るか、国家公務員試験や地方公務員試験に合格しない限り、最悪の場合、厳しい言い方ですが
社会人経験も仕事に役立つ資格もない、ただ司法浪人生の肩書きだけが残るのです。
この時点で就活をしようとしても、非常に厳しいと言わざるを得ません。
中途採用は基本的に職歴のある事が前提なので、大学からストレートで挑戦した法科大学院修了生には無理な話です。
(よくこう言った場合の法科大学院生のキャリアとして、パラリーガルという選択肢が挙げられます。
しかし一般企業の正社員と同じような待遇で雇ってくれる事務所がどれだけあるのか、大変疑問です。)
では、司法試験はキリの良い所で諦めて、進路変更した場合はどうでしょう。
大体は結果発表までの4ヶ月の間で事務所や一般企業の法務などへ就職活動を行うのが一般的です。
しかし、事務所や一般企業の法務もそう受け皿が多い訳ではありません。
特に、法律の勉強をしていても、実務においては全くの未経験者である法科大学院修了生が
万が一、不合格で資格が取れなかった場合の事を考えると、法務職に就けない人の数もそれなりの数出る事になります。
そうなった場合は一般企業への総合職や一般職での就職活動をする事を考えるのですが、問題はそこにあります。
普通の新卒・第二新卒の採用は、司法試験受験生が就活を始める6月あたりから、既に内定が出始めているからです。
つまり、司法試験を受験した修了生は、どうしても世間一般の就職活動に乗り遅れる形になります。
自分は、以上の理由から、在学中に一度就職活動をするという選択肢を取り、今年の3月から実行しました。
しかし、今の法科大学院は在学中の就職活動など想定していません。
面接や筆記試験を理由とする欠席は考慮されないので、下手をすれば単位を落とします。
(就活で一番大変だったのは、このスケジュール調整だったかもしれません)
そして就活をする中で、自分は必ず『来年の5月に司法試験を受験する予定です。しかし、合格してもそのまま勤め続けます』と言いました。
大変ありがたい事に、『働きながら受けるのは大変だと思うけど、頑張ってね』と励ましのお言葉を賜りました。
不採用の理由の全部が全部、司法試験の受験だとは思っていません。
ですが最終面接まで進んだものの、やはり司法試験の受験は諦めないと伝えた所、不採用になった事もあります。
また、はっきりと『受験するなら、合格した場合修習に行ってすぐに辞めてしまう可能性があるので採用できない』と断られた所もありました。
黙っておけばよかったのに、と思われる方もいるかもしれません。
しかし、こういう事で嘘を吐くのはなんとなく自分が今まで学んできた事を裏切る気がして嫌でした。
まあこういう頑固さも就活的にはマイナスポイントだったかもしれませんね、ガハハ!
どんなに努力して勉強しても、その努力が実らない可能性もあります。
その時どうするか、それを考えた上での就活でした。
今年は幸い売り手市場、自分のようなどっちつかずのクソ優柔不断ダメ人間でも何とか一つは内定を頂きました。
しかし、今後どうなるかはわかりません。
だからこそ、法科大学院、ひいてはそこに通う学生は、合格率が低いという現実をまず直視する事。
そして仮に司法試験を諦めた時、どうキャリア形成していくのか、在学中から真剣に向き合う事も必要だと思います。(大きなお世話かもしれませんが)
例えば、法科大学院のカリキュラムの中で、資格を取れるようにするか、一部の資格を単位認定に代替する。
或いは、法科大学院修了の資格に、もっと意味を持たせる、など。
(個人的にはパラリーガルの資格の一つとして法科大学院卒の資格を採用してほしいところではありますが…
法律を専門的に学んだ人は、長い目で見れば減少するかもしれません。
だからこそ、今後法曹資格が取れなかった法科大学院生でも、それまで学んだ知識を無駄にせず、活かす方向で活躍の機会や場所が増えればいいなと思います。
以上、多分に私情や愚痴混じりのチラシの裏をここまでお読み頂きありがとうございました。
最後に、ここまで読んだ中にもしロー生がいたら、この一言を贈ります。
とりあえず目先の定期試験、頑張ろうぜ!
まず俺の経歴から。06年にセンター試験地歴を世界史B選択で受けて100点。二次試験は東大文系で日本史世界史選択、現役合格。
俺の高校の世界史担当はほんとに評判悪くて、それこそ山川の教科書読みながら配布したプリントを埋めてくだけ。面白くないから誰も聞いてないし、内職の時間になっていた。だから世界史が好きな俺と友人は自分で勉強すべく色々と教材を探した。実況中継とかナビゲーターとか片っ端から参考書買っては読んだ。参考書読むだけなら楽しいし別にいいんだけど、定期試験は点をとらないといけない。だから試験前は必死で用語を覚えた。結果的に世界史の点数は3年間ずっと一番だった。
結局ほぼ独学みたいなものだったけど、世界史は一番の得意科目だったし、授業聞かなくてよかったと今でも思ってる。ちなみに俺とその友人以外はどうなったかというと裏話があって、3年次に世界史の教師が変わって、壊滅的な状況だったのを見かねてウルとかウルクとかほんとに最初からやり直すことになった。みんなの頑張りとその先生の教え方がうまかったのもあって、最終的には学年としても世界史の出来はそんなに悪くならずには済んだ。むしろよかったんじゃないだろうか。
以上、俺の経験から言わせてもらうと、世界史は今からやってもなんとか間に合うし、それが独学でも何の問題もない。学校の授業なんか当てにせずに予備校行ってるやつもいるだろうし、学校の授業でとってないからやってはいけないなんて法律はない。そもそも地歴二科目必須の東大文系なんかだと、学校で片方しかやってくれないところは自分でやるしかないから独学せざるをえない学生もたくさんいる。
独学とは書いたけど、予備校を利用できるなら利用すればいいし、昔と違って今はスマホで授業を受けられる予備校もあるみたいだし、方法はいくらでもある。日本史はとりあえず赤点をとらないようにだけすればいい。
もし世界史を自分でやる気になったなら、まずはほとんどの大学入試世界史のタネ本になっていると言われている、山川の教科書・詳説世界史Bを手に入れるといい。大きな本屋なら売ってるし、教科書を扱ってる書店なら取り寄せもしてもらえる。
教科書を手に入れたらあとはその400ページだかをひたすら覚えていく、やることはそれだけだ。教科書だけだと分かりにくいと感じるなら、おすすめは東進の荒巻先生の「世界史の見取り図上中下」だ。たった3冊だし、通読するだけなら土日が2回もあれば十分だろう。詳説世界史Bには専用の問題集もたくさん出ているから、一問一答などを用いながら兎にも角にも潰していってほしい。まだ夏休みもあるし時間は十分にある。やる気があるなら今すぐ始めたほうがいい。
今まで曲がりなりにもやってきた日本史を捨てて世界史を一から始めるのは勇気もいるだろうと思う。でも日本史に少しでも苦手意識を持ってるなら世界史をやったほうがいい。日本史と世界史ならセンター試験で高得点がとりやすいのも圧倒的に世界史だ。日本史は年によってかなりムラがあっておすすめできない。もう6月だし、と思うかもしれないけど、時間さえ投入すれば今からでも世界史センター8割には確実にもっていける。
ちなみに高校までの勉強なんて大学の前説程度にしかならないって書いてる人もいるけど、世界史に関してはそんなことなくて、これほど広範囲の歴史を学ぶ機会は高校世界史くらいしかないからやる価値は十分にある。大学はもっと専門的だから、狭く深くは学べるけど、こんなに広く浅くやる機会はもうない。
以下の文章は、次年度いっぱい、つまり2018年3月で辞めようとしている方に向けて書いたものです。心身ともに変調を来して、すぐにでも辞めたいと言っている方を引き留めたものではありません。
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http://anond.hatelabo.jp/20170207224412
わかる。わかる。私も罵詈雑言を浴びせられていた。画鋲を投げられた。割れたガラスも撒かれた。
でもまだ教員を続けている。
それは少しずつうまくやるコツを身につけてきたから。
年を重ねるだけで楽になることがたくさんあるから大丈夫。これから毎年楽になる。
以下にコツのようなものをあげていく。
□学習に関すること
これは教員の年齢やキャラクターによって説得力が違うので、自分に合った言葉を真摯に探そう。響く子がいないと適切な言葉選びとは言えないが響かなくてもそういうものかと思わせることができるから、心の底から思っている信念のようなものをしつこく言おう。
・教えるポイントをしぼる
社会人として必須事項、親になった時に必要な事柄、将来の教養、入試基礎事項など教える目的を細分化し、そのクラスや生徒に合わせて優先事項から教えていく。
多くの範囲から抜粋する形式のテストはやめる。勉強したものは全部出るテストにしたほうが取り組む意欲が芽生え、正答率が高くなり、次の学習のモチベーションが湧く。一度良い点数を取ると落としたくないと生徒は思うもの。
1つ上と合わせて、「傍線部の漢字が全部出て15点!」などとと言うとなお良し。
難易度を工夫して問題数を減らす。とにかく採点のしやすさを重視して作問しよう。採点しやすいテストでも学力的に問題なかった。テストはたった1日のことだから、日々の授業の工夫のほうが重要だった。
□生徒との関係について
クラス全体として良好な関係を作ることはあきらめ、1人ひとりと良い関係を作ることに努めよう。
具体的にはまず変化に気付くこと。髪形、持ち物、顔色、傷、など目についたことを口に出そう。ほめなくても良い。「髪切った」、「いつもと違う」、「手の傷どうしたの?」で充分。
次に生徒の手に渡るもの、目につくものは大切に扱おう。回収した小テストの類いも折り目がつかないように、汚れがつかないように。その行動が、自分は大切にされているという気持ちにつながる。
最後に、生徒に対して日常的に感謝や謝罪を口にすることも大事。対等な立場にいることを実感させる。
・生徒との約束事は必ず守る
例え無くしたプリントをもう一度渡すといった約束だったとしても大事にする。「渡すの遅くなってごめんね」など。
あなたとの約束が大事=あなたが大事というメッセージにつながる。さらに大人として約束を守る姿勢を見せることにつながる。
・年齢は言わない
想定より老けていたら若作りと言われて、想定より若かったらなめられる。
子どもは変わるが、親は変えられないので注ぐエネルギーはそこそこ、を念頭に入れて粛々と対応する。
実際には親対応は教員の責務ではないので、時間があればその辺を法律的に説明している弁護士さんの話を探してみよう。
私たちは生徒と向き合っていれば良いのだ。生徒に影響を与える大きな存在であるから保護者の相手をしているだけ。
最後に。
教員を人間と思っていないのかと腹が立つし、毎日気持ちが削られていく様で苦しい。
ただ長く教員を続けていくと、子どもたちが、日々親や大人たちから同じように罵られ、脅かされていることに気付いた。
結局昔も今も変わらず、子どもはいたいけで、純情で、よりよくありたいと願っているものだとわかった。
だから、教員が人生を賭けて情熱を傾けるに相応しい職業だと確信をもって言える。私は教員で良かった。泣きながら続けてきて良かったよ。すばらしいものをたくさん見たよ。
どうかあなたの疲れが癒え、子どもとの良好な関係が少しずつ生まれますように。
あなたを見ている子が必ずいるよ。
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2/9追記
この文章を書いたのは、端的に言えば元増田先生に辞めて欲しくないからです。
教員にとって、生徒にあるべき大人像を見せることも仕事の一つだと認識しています。
特に女性は、働くことにより経済的に自立して、それが精神的な自立につながっているところを見せる、という大事な責務があると思っています。
教育困難校に通う生徒たちは特に同質的な狭い世界で生きがちです。
物量が求められる受験なんかでは使い物にならないネタ枠みたいなものだったよね
検索システム、タグ付けなどの充実で、ガチでやろうと思えばカンニングできてしまう気がしてしまう
例えば、今小型カメラっていうのはピンホールレベルでフルHD〜4Kみたいなのが出てきてる
アレじゃボディチェックされなきゃ気づかれないし、文字も視認可能だと思う
受信機も頑張って作れば、例えば骨伝導スピーカーを口内に仕込むとかで出来てしまいそう
何らかの方法によってトイレ内でスマホが使えたらもう勝ったも同然だろう(さすがにチェック厳しいか?)
そう言えば最近裏口入学とか、試験漏洩とかいうニュースを聞かなくなった気がする
ひょっとして、悪い奴らがすり抜けてるのではないだろうか?
まあ俺はどうでもいいんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20161122110427
確か、中学生の頃だったか。定期試験で「コンパスで正三角形を書け」なんて問題が出た。試験の持ち物の中に、コンパスとはあったが、そんなことすっかり忘れていたため手許にコンパスはない。そこで試験用紙を少し切り取り、そこに長さを図って鉛筆を突き刺し、即席のコンパスを作った。コンパスとは等距離の線を描くための道具だ。これでも問題なかろう。そして実に美しい正三角形を描画することが出来た。
しかし、答案用紙にはバツの印がつけられていた。図形に関する答案はすべて不正解になっていた。その理由を教師に問うと、「君は当日コンパスを忘れていた。問題にはコンパスを用いるようにと書いてある」と言われた。
納得いかなかった。機能としてはほぼ同等、途中で幅が変わる可能性の低さについてはそれ以上であるはずの自家製コンパスが否定されたこともだが、幾何学的な正しさよりも忘れ物をしたことを罰しようとしてきたことが癪に障ったのかもしれない。
その後、そもそもコンパスとは何かを厳密に定義していない、等距離であることは担保して作図した、これがコンパスではないとする理由を示せと繰り返し何度も毎日授業後に主張した。その結果、バツになった答案はすべて正解になった。
このことに味をしめ(?)他の科目でも似たようなことを始めた。家に帰ったあとは、ネットで授業内容のあらを探すことに大きく時間を割くようになった。鎌倉幕府成立は本当に1192年なのか?とかそんな話だ。教師から反撃されたときに備え、反対意見にも目を通した。使えそうな材料が揃えばこっちのもんだ。安全圏からネチネチ攻撃できる。
そんなこんなをしている中で、痛快に思われたのかクラス内でのカーストは何段階か上がった。おまけにあれこれ調べていた成果で学がついたのか成績は学年上位に入った。ついでに、試験では習ったことを書いて、あとでいちゃもんをつける程度の処世術は手に入れた。あと「実は知ってる?あの話って…」というネタは食いつきが良いのか、交友関係にも不自由することはなくなった。
おもえばあの時、何かを理屈に穴はないのか?に目を光らせることを学んだことは、その後の進学、就職に大いに役だった気がする。
勉強法や、ノートの取り方の記事があるたび、すごく違和感がある。
・授業は話をよく聞く
この2つに尽きるかと。
巷で言われるような、ノートを取るのって、効果的ではないと思う。
ノートを取りながら、話を理解するのは困難で、手を止めて聞いたほうが理解できるし、記憶もできる。
忘れたらどうするんだというけれど、重要なところは教科書を読めばちゃんと書いてある。
そして、教科書が好きだ。
箇条書きや、単語の羅列なんかより、やはり文章になっていたほうが読んでいて気持ちいい。
簡素で、どこか美しいと感じた。
物理とか数学とか、理系科目に顕著だったけど、教科書は短く要点が詰まってるのに、チャート式とかだと冗長で、文章に味わいもない。
理数系って授業要らないんじゃないかな。
大学以降、必要な数学物理の知識は独習でなんとかなったし、高校の授業も、数式をみればわかる内容を、わざわざ黒板に写し直してあれこれ喋る理由がわからなかった。
定期試験は一夜漬けで充分だし、センター試験くらいなら、それで8割くらいは取れると思う。
私の高校は進学校だったから、教科書が全部終わったけど、教科書終わらない高校もあるそうで。
それでも、教科書ちゃんと読んでれば、6割くらいは取れると思うんだけど。
何度か話に上がる現代文、あれは確かになんのための授業かわからなかった。
解ける人は授業を受けても受けなくても解けるし、解けない人はどんな授業を受けても解けないんじゃないかなと思う。
解ける人だったので楽だったけど。
例えば、うまいものを食べた時、定期試験の過去問をあげた時、バイトのシフトを変わった時
「ヤバい!マジ神だわ~」
みたいなこと言って、無用な神格化をすることで最大限の感謝を示してくる奴があまり好きじゃない。
でも、俺の周りではこの表現を使う人が日々増殖しているように思う。
こんなことを思っていた事すらすっかり忘れていたある日、何でもない洋画の「Ohh! MY GoooD」というセリフに戦慄した。
ついに、お互いの想いが一致していたことが分かり、歓喜していた中で発せられたセリフで、
字幕を見ると、「夢じゃないのね」とか、確かこんな訳だったと思う。
でも、俺はそうじゃないと思った。
「ヤバい……マジ…、神、だわ…」
学校がからもらったプリントは机の上に平積みにで、たまりまくって机から溢れて床に落ちてても知らんぷり。たまにしか必要のない美術の教科書などは学校から定期試験前に持ってくるように言われるのですが、どこにあるか分からず前日に大慌てで探したことがしばしば。
定期試験勉強中は現実逃避から掃除がしたくなり(苦笑)、ちょっとやって試験が終わってから続きをやろうと思うものの、試験が終わったらプレッシャーからの解放で掃除せずにそのまま。
毎年春、学年が上がってそれまでの勉強道具が必要なくなったときにあまり確認せずに一気に捨ててました。そのせいで日記など当時の自分を知る貴重なデータが残っておらず、今になればとても悲しい状況です。。。
20代になって初めて一人暮らしをし、掃除に対する意識が変わりました。
最初の頃は、部屋にそれほどものがなく掃除する必要もなかったわけですが、今まで家族と住んでいた時間から急に一人暮らしになると、それまで家族がいたせいで食事の時間を合わせたり風呂の順番待ちなどに時間が取られることがなくなり、かなり時間に余裕ができたため、「暇つぶし」として掃除をするようになりました。
リビングは、週1で床や家具をコロコロしたり、掃除機をかけるようになりました。エアコンは3か月ごとにフィルターを掃除機にかけ、半年ごとにエアコンの中身を専用のスプレーで洗浄するようになりました。
また、実家にいた当時は全く意識になかったトイレや風呂場といった水回りを掃除することを覚えました。水回りって放っておくと一気に汚くなります。それをいかに抑えるか、掃除の回数や掃除方法だけでなく、普段の水回りの運用も考えていかなければなりません。
私がそのとき思いつき、現在もしている水回り対処法は次のような感じです。
<風呂場>
<トイレ>
どちらも定期的に行うように習慣付けられるまでは時間がかかりましたが、習慣になればこっちのものです。掃除している人からすれば当たり前のことでしょうが、定期実行が掃除の1つの要です。
その後、とある中小企業で事務系のバイトをしました。毎日朝礼があって選ばれた人が自分の好きなテーマでプレゼンするのですが、その会社の社長は儒教的な考え方の持ち主でいろいろと教わりました。
その中でも次の言葉が印象的でした。
人は精神状態が落ちていくと身の回りのことに力を注ぐことができません。掃除ができなくなっていくのは自分の精神がダメになっていくということだそうです。逆に考えれば、普段から掃除をしている人は精神の衛生状態がよく、向上心をつけることができるということでした。(その会社ではそれを実践するために、毎朝朝礼の前に掃除時間が設けられていました)
私はこの言葉に感銘を受け、掃除は怠ってはならないと決心しました。
まとめると次のようになります。
<掃除の基本>
私は世界的ホメオパスの学校を卒業し、プロのホメオパスとなりました。ドヤァ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/homeo.club/improvement-reaction-matome/
このように言われると、とてもすごいことのように思えるので、実際はどうなのか
少し調べてみました。
因みに、こうおっしゃった方は、日本のホメオパシーは間違っている、
そもそもホメオパシーが正しいのか、誤っているのか、
私は興味が無いのでそこら辺はなとろむ先生に聞いてください。
世界的ホメオパスの学校のカリキュラムがどうなっているのかを調査しました。
3学年あります。
1年目
受講時間:約75時間(但し、このうちの半分以上がビデオ受講)
1回3時間の講義を受けたとして、たった25日間でカリキュラムが
2年目、3年目
受講時間:約113時間(2年間の合計) + レポート + 最終試験 (半分以上がビデオ受講))
えっ、たったこれだけ?
因みに最終試験は、合格するまで何度でも受けることができるそうです。
対して、正規の医療従事者達はそれなりに難しい養成機関の入学試験に合格して、
難解な講義を受け定期試験や卒業試験をパスしたあと、国家試験に合格して
免許を取得するわけですね。
相当な努力と才能と適正と、そして教育と訓練を受けるための金銭的投資を
行なわなければなれない。その代わり、一定の職能は担保されると
言っていいでしょう。
責任ある職業に就くために必要な努力と投資を行なう、当たり前のことですよね。
大体、医師がブログで私は世界的な権威のある大学の医学部を卒業しました。
イオンド大学(笑)名誉博士号なんて書いてあったら、その先生はむしろ避けるべきです。
それだけではありません。
医師にしろ、看護師にしろ、理学療法士にしろ、他の職種にしろ、
激務の中、貴重な休みをさいて、何チャラ講習会やら、何とか学会の
集まりだのに自腹切って出かけていって、常に勉強している人が多いです。
以前、電車に乗っていたら、後ろの席から「お前もっとフライドポテト!」「うん、そうだよな…」という会話が聞こえてきた。
俺が驚いて振り向くと、彼らは高校生くらいの男の子たちだった。俺の予想に反してフライドポテトは食べていなかった。
コレが若者言葉か…と感慨に耽っていると、彼らはさらに「そういえばお前、照り焼きチキンできた?」「いや、ヤバい」と会話を畳み掛けた。
照り焼きチキンバーガーでも食っているのか!?と思って遠慮もなく振り向いたが、やはり彼らは何も食べていなかった。
『照り焼きチキンできた?』とは一体どういう意味なのか。文字通り、照り焼きチキンバーガー作りでもやったのか。そして『もっとフライドポテト!』とは?文字通り、フライドポテトをもっと量産しろということなのか。
失礼ながら耳をダンボにした。
高校の物理の先生で、定期試験で難しい試験を出すことで有名な先生がいた。
めちゃくちゃ難しいといっても、中堅~地方帝大の入試問題あたりを出してたんだと記憶しているが、うちの高校のレベルだと、教科書をなぞっただけの俺たちは平均点が10~20点だった。
0点すら何人もいた。
60点以下は追試。
当然、全員追試になる。
解き終えて提出するまで、何時になろうが返してくれない。
解き終わった順に、持っていき、その場で採点。翌日も地獄に付き合わされるかの審判を待つ。
成績は、試験の点数ではなくて、何回目の追試で受かったかで決まるような感じだった。
ノートを取る生徒に
「ノートなんか取るな!俺の話をきけー!」
という具合。
自転車の乗り方を覚えるように、カラダで受験レベルの問題を叩き込まれた。
こんな授業をすべての科目でやれば、生徒の成績は上がると思う。
ちゃんとわかるまで解説をするスキルまで揃っていたあの先生だからこそでだと思うし、ほかの教師では定期試験後1か月近くずっと夜22時まで付き合い続けるパワーもないだろう。
不思議と慕われていた。
そんなわけで、地方の中堅高校にも関わらず、我が校の物理選択者の成績は非常によかった。
彼こそ、予備校のカリスマ教師にも負けない、スーパー教師だったと思う。
ところで、俺の古くからの親友は、その定期試験で常に80点以上を叩き出していた。
成績一位は当然彼で初回試験の点数は80~90点、二位でさえ40点代、追試免除は彼一人という快挙を毎回成し遂げていた。
「才能」
にあふれていた。
風変りな生徒だったとは思う。
ノートを持ってない。
教科書に書いてあることをノートに書き写す必要はないじゃんというし、例題を解くときには計算が必要なときは要らないプリントの後ろを使って、解き終えたら捨てる。
「俺、手を動かしながら聞くっていう器用なこと出来ないもん」
と言ってノートはとらない。
一番に驚愕の偏差値を叩き出していたのは物理だったが、東大模試、東工大模試などを受けると、数学でも同じように驚愕の偏差値を出していた。
(といっても、全国一位ではなかったので、模試の全国一位というのはいったいどんな化け物なのかと思う)
どうしてそんな偏差値だせるんだ?
と聞くと
「迷わずに一気に反射神経だけで解き続けると、時間内に完答できるよ。"とことんぷよぷよ"みたいな感じで」
というこれまた微妙にズレた答えが返ってきたのが懐かしい。
進学先でもやはり博士課程後期まで勧められていたが、普通に就職した。
あれをみたら、誰でも
「お前は才能がある!その才能を学術分野で活かせ!」
と言いたくなるのだと思う。
でも、彼にとって、難しい問題の解決は、ぷよぷよやテトリスをするように、ただただ作業でしかないのだ。
今でも、どんな仕事をしているのかと聞くと、楽しい話を聞かせてくれる。
無理ゲーともいえる無茶な仕事だと思うんだが、専門外の俺にもわかるたとえ話で説明できるということは、その問題も彼にとっては、テトリスやぷよぷよくらいに簡単なことなんだろう。
某新聞で約束を守らなかった息子のゲーム機をバキバキに壊したお母さんの記事が掲載されたと聞いてふと思ったことを、備忘録兼ゲームを欲しがる子供達の親御さんが呼んでくれるといいなあという軽い気持ちで少し書いていきたいと思います。導入の記事の話はあくまで導入なので口述ではあまり触れません。まだ20年も生きていない小娘の戯言ではありますが、ついこの前まで子供だった(いや未だかもしれない)小娘の一意見として読んでもらえると幸いです。
最初に、私はゲームを持っていない子供でした。理由は両親が買ってくれなかったから、さらに言えば両親共ゲーム世代でなかった為ゲームに馴染みがなく、それが曲がってゲームに対して「有害」という絶対的観念を持っていたからです。有害というのも色んな意味を含んでます。「目が悪くなる」「ゲームばっかりする」「勉強がおろそかになる」こう言う理由で、私はゲームを買い与えてもらえませんでした。
結果私はどうなったか?
まず、ゲームを持っている友達と遊べない事が何度もありました。私が小学生の頃はニンテンドーDSの全盛期で、DSを持ってる子は集まると大概通信対戦で遊ぶのが通例だったのです。当然、ゲームを持っていない私はその輪の中に入れません。二台持ちをしている子などから貸してもらって参加する事もありましたが、ポケモンやどうぶつの森といった人数分のソフトがいるゲームの通信には参加できませんでした。みんなが楽しく遊んでいるのをただただ覗き込む退屈さと疎外感は今思い出しても落ち込みます。
次に、話題がゲームの話になるとあまり参加できなくなりました。ポケモンのレベルがここまで上がった、どうぶつの森でこんな住人が引っ越してきたという話になると、私は会話に全く乗れませんでした。そしてこれは現在も続いています。というより現在の方が多いです。小学校の頃にあのゲームに熱中したというような話に全く乗れないのです。その世代の大概の人なら盛り上がれる話題に参加できないのは辛いというより居心地がない感じがします。
そして最後に、反動で大きくなってからすごくゲームに浪費するようになしました。時々ゲーマーというゲームオタクの部類の人が「小さい時ゲームを買ってもらえなかった反動が今めっちゃ来てる」と言っているのを見かけますがこれは本当です。ゲーマーと名乗るほどではありませんがゲームをやらせてもらえなかった鬱憤とゲームへの憧れもあってか、1年でゲーム機を2台、ソフトを10本購入し、一時はクリア時間の目安が50時間程のゲームを学校がある平日5日間でクリアする生活を送ってました。定期試験前も密かにゲームに費やし、とんでもない成績を取った事もありました。反動がやや落ち着いた今振り返ると馬鹿だなあとも思います。ただ、もっと早くに「ゲームをやり過ぎたらまずい」という事を学んでおきたかったなあとも思います。
私は別にゲームを子供に買い与える事を推奨しているわけではありません。ただ「適度にやらせておかないと思った以上に困る事がある」という事だけ書き留めておきたい、願わくば誰かに読んでほしいと思い、この文章を書きました。困る事、は前述の私の話でわかってもらえたかと思います。残念ながら子供は理屈で覚えません。いい事も悪い事も、身をもって学習します。私は英語の点数を89点から28点に落とすまで試験前のゲーム三昧をやめられませんでした。ゲームを禁止したって勉強しない子はしないし、本を読まない子は読みません。禁止すれば後々社交面でも学業面でも支障が出ます。締めどころがわからなくなったのでとりあえずここまで。閲覧ありがとうございました。
就活がつらい。「就活がつらい」などという学生にはありきたりすぎて反吐が出そうな悩みをここに書き連ねるのは些か憚られるのだが、
つらいものはつらい。
そこそこ良い大学に入ったはいいものの、自分は計画的に物事をこなすのが苦手らしく、
定期試験を見据えて計画的に単位をとることが自分にはどうしても困難だった。
周囲への劣等感に押し潰された結果の休学と留年を経てようやく単位の取り方(要領)が分かってきた、気がする。
周回プレイすることでよりスムーズにゲームをクリアできるようになる、みたいなものだ。
無理だ。
周囲に馴染めない。
慣行に馴染めない。
システムに馴染めない。
空白期間の(それなりに正当っぽい)言い訳を考えなければならないということに堪えられない。
心にもない薄っぺらな志望動機を披露することに堪えられない。薄っぺらいことを自覚しているから尚更堪えられない。
無理だ。
つらい。
つらい。
今すぐゆゆ式の2期が観たい。