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2024-02-16

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

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ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

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天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

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英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

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ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

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ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

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「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

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次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

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②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

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Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

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星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

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Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

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トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

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マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

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自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

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キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2024-02-13

anond:20240213101743

すぐに思いつくのは、イスラム教国。イスラム法適用している国では自殺違法で罰せられるね。

自殺した人間火葬になる。火葬にされることはイスラム教で死者に対する罰として強烈なやつ。犯罪者扱いなので有形無形の遺族に対する罰もあるね。

ちなみに宗教的にはキリスト教ユダヤ教でも自殺禁止

余談

自殺者数は宗教的自殺禁止とされている国で少ないと言われているんだが、これは、宗教戒律自殺を思いとどまらせている、と言うわけではなく、宗教的タブーから自殺であっても事故として処理されているのではないかと言う指摘もある。

また、安楽死合法としたいというのも、こういった宗教的タブーが関わっているから。自殺は駄目だと言われていたが安楽死OKとなったことで、潜在的自殺願望者が一気に自殺に走ったのではと言う話もある。何しろ安楽死合法化した一部の国では日本自殺率なんて目じゃないくら安楽死が行われているとかかなりキツい状況。

2024-02-07

anond:20240207191119

一応ちゃんと聞いてみる俺。

大きな古時計」(英: My Grandfather's Clock)は、1876年ヘンリー・クレイ・ワークによって作詞作曲されたアメリカの歌です。この歌は、作者がイギリスヨークシャーにあるジョージホテルで見た大きな床置き時計に触発されて作られたと言われています。歌の内容は、祖父時計とその所有者との長い関係を描いており、祖父が亡くなった時に時計も止まったというストーリーが語られます

この歌の歌詞テーマには、明確なキリスト教の影響を指摘する要素は含まれていないようです。むしろ人生の経過、愛、喪失といった普遍的テーマを扱っています。ただし、19世紀においては、日常生活の多くの側面がキリスト教の教えや価値観に影響を受けていたため、広い意味文化的背景としての宗教的影響は否定できないかもしれません。

しかし、この歌が作られた背景や歌詞の内容から直接的にキリスト教の教えや象徴を反映しているわけではなく、むしろ個人人生時間の流れ、そして人と物の関係に焦点を当てた作品と考えられます

2024-02-03

宗教的ロジック

神を信じる宗教家はいくつかのロジックがある

1. 悪いことが起きるなら、それは試練

2. 悪いことが起きるなら、それは行いに対する天罰

しかしこのロジックにはかなり穴がある

というのも、悪いことをしていない人が自然災害で死んだら、それはどう説明がつくのかということだ

死を試練として課すこともありえないし、悪いことをしていないか天罰ということもありえない

科学を超えて、人間自身自由意志によって悪いことが起きるから、神のせいではない、という主張も考えることができる

また世の中に苦しみと自由意志存在するのは人間の善性に価値があるからだという話もある

あるいは、そもそも神は人智を超えた存在であり、我々から理解できないという話も

どの話を信じるかは人それぞれかもしれないが、一つだけ重要プラグマティズム存在する

それは神を信じることが倫理的行動を強化するということである

自分の行動を見ている存在がいることを信じれば、悪いことをできないというわけだ

ヒソカのようなサイコであれば平気で人の道を踏み外すだろうが、子供の頃から神の存在を教えることは悪いことではないと俺は思う

ただし神ではないものを神だといって偶像崇拝し始めると、邪念が生まれるので良くない

2024-01-31

anond:20240131120706

宗教的イコン信者にとって都合のいい存在)が作り上げられるプロセスを生で見ることができてよかった

2024-01-30

セクシー田中さんの作者は宗教的イコンになるだろう

原作厨聖母マリアとして、ドラマ映画で改変がなされた際に「また聖母悲劇を繰り返したいのか?」と製作陣を脅す武器になるだろう

契約が云々カンヌンという話も薄れ、ただ原作を改変することは悪であるという教典が広まるだろう

すでに「攻撃たかったわけじゃない」という言葉本心ではなくただ原作を改変されたことに心を病んだことが原因という解釈が広まっている

これから原作厨聖母マリアの遺志を継ぎ、原作改変者を攻撃して回るだろう

2024-01-29

anond:20240129173115

元増田です

(もらった返信に最初に返信してた奴は別人です)

優生思想タブー視されるのはエセ科学から」というのを初めて目にしたんだけど、本にはそう書いてあるのか?

本を読まずに語るな、というのはそうなんだろうが(思いつきの浅い主張を並べられるのが増田の良いところだと俺は思っているけど)、

ざっと自分で調べて見た感覚として、優生学批判倫理的(+宗教的)な側面から為されることが多くて、「前提部分がエセ科学である」って主張は初めて目にした。

いずれにしても本も読まずに論を広げるのが浅すぎるのはご指摘の通りだから、そこは勉強してみる。

参考

https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/28518/files/anncsp_50_161.pdf

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Shiryo/310yuusei_houkokusho_3-1.pdf/$File/310yuusei_houkokusho_3-1.pdf

2024-01-28

anond:20240128122413

確信犯の正しい意味は、自分政治的宗教的な信念や道徳に基づいて、正しいと信じていて、やっている本人は悪いことと思ってやってはいないものです。

”法に照らし合わせると犯罪ではある”と確信しつつもその犯罪行為は、世の中を改革するために結果的には正義である

誤用ではなくて正用では。

2024-01-19

anond:20240119093908

仕事を頼むにはそれなりの信頼関係必要なので、ちょっと話をする程度の交流会は仕事に繋がらない。

意味があるのはがっつり労力を取られるタイプ交流会で、その参加時間余暇ではなく本体業務としての営業活動と見れるマインド必要

あと、時間を取る系の交流会は何かしら理念を共有することが多く、理念の中身によってはかなり宗教的だったり政治的だったりする。

最近は、宗教的でも政治的でもない理念で拡大してるやつもある。

創価学会についての三世幽霊信者からの雑な印象

自分20代創価学会三世信者活動はしていない。

60代の両親は創価集会出会い結婚

一族簡単歴史は以下:

九州から集団就職で都会に出てきた母方の祖母創価学会の会員となり、母方の祖父、彼らの2人の子供も会員となる。

父親は元々別の宗教の家に生まれたが、大学入学上京した際に勧誘され会員に。

父は地元に帰ってから活動を続け、そこで出会った母と結婚。姉と俺が生まれる。

そこまで極端な教育を受けた覚えは無いが、子供の頃(3歳ぐらい?)からの毎朝15分ぐらいの唱題という名のお経上げと地域学会イベントへの強制参加はあった。

ただそのような創価公式イベントにおいても、また両親の口からも、創価についての体系的な教え、つまり世界はどのようなものである創価学会は考えており、毎朝唱えている意味不明漢字ばかりのお経には何が書かれており、我々がそれを唱えるという行為はどのような意味を持ち、またそのような営みを支える背景にはどのような宗教歴史があるのか、といったことは全く教えられなかった。ここら辺は俺がまだ子供だったから教えられなかったという可能性もあるが、理屈っぽく素直で無かった俺には自分のしている行為意味不明さが子供ながらに大変苦痛であったのを覚えている。

で、だいたい俺と同じ創価体験を受けた姉は両親の言うことを良く聞くとても良い子だったので熱心な信者となり、創価大学までいった。俺は中学ぐらいから唱題をあげるのを拒否するようになり、たまにある地域イベントなどにはなんとなく参加したが創価との関わりはそれぐらいで大学のに進んでからはそれも辞めた。

両親と姉は当然今も熱心な信者で、家庭内で俺だけ完全に無宗教といった感じだが、家族中は大変良好である。両親とも創価大学学会幹部といったガチガチの家庭でない限り、まあだいたいそんなものではないだろうか。周りの3世を見てもそう思う。

俺が創価学会に関して思うのは、よく言われることだが創価学会本質的な役目は戦後日本解体された地域互助組織の都会における再構築であったということである。両親や姉、周りにいた学会員の方々を見て、とても善人が多いとは思うが、特に宗教的な人間が多いとも思わない。教え自体日蓮宗ベースだろうが、キリスト教ベースだろうが、浄土真宗ベースだろうが彼らにとっては本質的には変わらないのでないだろうか。本質池田大作というカリスマ信仰に基づく強固な人間関係組織の構築である

創価学会の教えのとても特徴的な点だと思うことは、極端とも思える現世利益主義である創価学会の教え(あるいは日蓮宗の教え?)では、宗教成功世俗成功は同一であり、このことは学会イベントでも何度もよく聞いた。難解な宗教教義を多くの人間理解させることは難しいが、世俗利益のことは誰もがよく理解しているため、創価学会はこんなに会員がいるんだろうな〜と大人になって気付いた。

あ、あと体系的教義説明がないとは言ったが、ある程度の大人になると教学試験などを通してそこら辺は勉強することになるし、家庭によっては親が教えることもあるかもしれない。だけどその場合でも日蓮宗歴史よりは創価学会歴史に重きが置かれていることは間違いない。

2024-01-18

anond:20240118133229

20代で元が良いならちょっと美容に力を入れればわりと簡単に戻せる。

アラフォーで見た目改善した俺が保証する。

男は女性と比べて日頃からスキンケアなど美容放置状態なので

しっかりとしたアプローチケアすることで驚くほど見違える。

以下、具体的な対策を書く。

デブ

食事制限(と運動)。

ベストは両面アプローチすることだし、運動した方が筋肉量が増えるので体重維持はしやすいが、

運動しても量食ってると結局一緒だし、運動は続けるのが難しかったりするので純粋に食べる量を減らすのが一番楽でいい。

何を食べるかでももちろん変わるが、一番簡単効果が出たのは一食抜くこと。

1日3食は、現代日本オフィスワーカーには多すぎるのだ。

最初は空腹でしんどいが、ナッツなどをテーブルにおいてつまみながら紛らわせれば一食抜くのは意外と簡単に習慣化できる。

ハゲAGA

医者さんに通って

フィナステリド or ディタステリド(抜け毛防止薬)

ミノキシジル(毛生え薬)

という2種類の薬を処方してもらい、飲むor塗るだけ。

毛は抜け出すと一気に進行するから復活に半年以上は掛かるけど

上記の薬は医学的に発毛効果実証されているエビデンスがあるので気長にやることで少なくとも進行は止まる。

これ以外の育毛剤は、ぶっちゃけそこら辺のサプリと変わらないのでやる価値なし。

がん治療でいえば、標準治療外の民間療法なので宗教的に髪を生贄にしたい人だけがやっていると思って良い。

お肌

これについては女性の方が(しか美人ならなおさら)詳しいだろうから

いまさらオッサンが言う必要もないと思うが、

化粧水乳液美容

風呂上がりに必ず習慣化する。

男はこれをやってる人は少ないから、やり始めるだけで地肌環境が見違える。

ただ、女性と違って男は美容意識が低いので、この3重塗りの時間が面倒くさくてやらなくなってくる。

そう言う場合は、オールインワンジェルがいい。

できればナインアミドとか有効成分がきちんと入ったやつ。

さすがに1種類のジェル塗るだけなら簡単なので習慣化しやすい。

あとは、最初食事制限の補完も兼ねて、

マルチビタミン上記AGA治療薬と一緒に毎日飲む習慣をつけさせる。

特に男性女性と違って亜鉛が不足しがちなので、亜鉛がしっかり含まれている物を選ぶ。

亜鉛は髪の毛を作る材料にもなるので、これが不足してるとAGA治療にも影響が出る。

あとは、男性は化粧をする人もほぼいないので、

下地ファンデをやれとまでは言わないが、BBクリームを塗らせる+眉毛を整えて描かせるだけで圧倒的に見違える。


上記が、ズボラメンズが垢抜ける簡単ステップ

俺は元が悪かった+面倒くさがりで続かないことも多くて長い年月無駄にしてしまったが、面倒臭さと効果を両立できるここにやっと辿り着いた。

ぜひ、彼氏に少しずつやらせてみてほしい。

増田の彼への愛情が復活することを祈っている。

2024-01-09

anond:20240108203742

宗教的背景がなくとも「普段うんちするところで」という背徳感はある

前立腺の有無、前立腺を突く突かないに関わらず粘膜いじったら気持ちよくなるようになっている

2024-01-08

anond:20240108003632

アナルセックスのものは、キリスト教含む啓典宗教での宗教禁忌指定されていることからくるタブーへの挑戦という意味合いが濃厚なので、そういった文化的背景を共有していない日本人がヤッても特段キモチいいというわけではないと思う。

あいつらは情報を食ってる」と同じように「我々は情報セックスしている」のである

2024-01-06

婚活したいんだが障害者結婚できる可能性ってあるの?

当方35歳。

ASDADHD診断済み、うつの既往歴もある障害者

年収は350万(うち200万は不労所得)。

家や車は自分名義ローン無しであるが、学歴は全くなく、今の職は最低賃金パート

自炊家事はできるが、得意というわけでもない。

70代の母親と同居してる(いずれ施設で面倒を見てもらう予定)。

オタク趣味だけどかなりライトな方だと思う。推し活とかはしてない。

煙草や酒はやらない。宗教的なこだわりもない。

子供は作りたくない。セックスレス全然OK



こういう条件で「婚活やるぞ!」となった場合結婚できる可能性って何%くらいあると思う?

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

2023-12-24

anond:20231223224002

統一教会とき大人気だった【子ども宗教に触れさすな理論】なぜか、まっっっっっっっっったく聞かなくなったが。

子ども宗教に染めるのがもう加害。

それ言ってた人気コメントの連中はどこに消えた?

まさしくクリスマス、お宮参りを初めとして、あらゆる宗教的習慣にクビまでどっぷり浸かってるのが普通だっていうことに、後で冷静になって気付いて恥ずかしくなって逃げたのかな。

そして、そんな普通な人たちに違を唱えられるほどキモが座ってなかった、と。

2023-12-22

anond:20231222100747

信者を装ったアンチのほうがヤバいのは当然(要出典

信者を装ったアンチが居る(要出典

って感じだから宗教的過ぎるわけよ。

anond:20231222095527

しろこういう信者を装ったアンチの方が

明らかな誹謗中傷名誉毀損する奴が多い。

投稿連続性すら不透明増田でその断言は余りにも宗教的過ぎるわ笑

2023-12-19

anond:20231219001730

宗教的な云々以前に、「赤の他人であっても誰かが大切にしてるもの」を「必要もないのに」蹴るのがよくわからない、常識じゃなくそういう良識がない人ゾッとする

anond:20231219050154

エビデンス必要ではないが、世の理を知る入り口の一つとして活用すればいいのかなと思う。

でも、確かに宗教的理念エビデンスありきになると偽善になるのは分かるな。

墓は蹴ってはいけない

これって、とりあえず、唾をかける(夜の営み系以外)、暴力、土足苦手な日本においての土足など汚い部分充てる、など

自分にやられて嫌なこと、痛い汚い怖い悲しいことは他人生き物はもちろんものに対してもやめましょうね

という段階での蹴ってはいけない認識

普通の人はここで蹴らないになる


で、次の段階でがくんと検討を行う人数が減るのだが

感情以外の要因で蹴っちゃあだめか否かとなる

空き缶は誰の所有物でもないし、そもそも価値なので蹴ってもよし(夜道での騒音などに配慮できれば)

フランス公園めっちゃ落ちてるリンゴ

サッカーボールは蹴る用途なのでよし

蹴るじゃないが、ちょっと(下)足で支え(操作す)るの行儀遵守と効率判定

 面倒なので冷蔵庫の下段は足で閉じるは土足でなければありと思う人も(食堂厨房冷蔵庫とかも。靴じゃなければ、膝太ももセーフとか)

検討対象野ざらしで鳥の糞ガードもろくに行われていない墓

石製で頑丈な墓

下手したら年に数回しか掃除掃除というなの草むしり申し訳程度のゴミ拾い)しない墓

感情抜きにしたら蹴っても(足で触れても)いい部類の存在だと思う

宗教的に到底受け入れられない人が多いと思うし、増田基本的にはそうやけど


浄土真宗若い僧侶さんからお話

一昨年ぐらいに、法事があっていつもはそこの現当主さんみたいな僧侶さんが来るんだけど、葬儀が入ったとかで、跡取りの若めの方が来られた(多分まだ30代)

凄く勧誘好きで、親戚のおばさんたちもお話し好きだから法事が終わった後も色々語りあってた

その中で、(ご亭主の)宗派が違うから知らないのか、何度聞いても忘れるのか、古くなった経本どうするかって相談があって

増田が盛大に誤解してるかもしれないが、誤解を恐れずに言うと、大原則として別に経本も仏像も墓も位牌もいらんってのが浄土真宗らしい(経本ごとき古くなったら普通に捨てれば?)

そんなもんに宿るとかないか

物は物 あちらはあちら

ただ、それじゃあ檀家さん(門徒さん)の気持ちが収まらいから(と、寺の存在意義なくなる)、他宗派ぽい感じの様式を残してるのだろうなというのをうまく説明してはった

南無阿弥陀仏

2023-12-17

anond:20231216235258

しろ腐女子トランス肯定しているあたおかが多い印象。かなりあたまが弱くて自分が何言ってるかわかっていない子が多い

深刻な厨二病 (なお成人してるしワンチャンアラサー以上なんなら中年)

2023-03-21 うわァァァァァァTwitterで見た自分が何言ってるかわかってなさそうな腐女子発言増田でも見ることになるとは

実際には純然たる身体の性が女性でもパス度低いとアウトなんだろうし(anond:20230321083352)

以下、再放送

 

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ツイフェミと同じくツイトランスと書くべきなんだろうが1番驚いたトランス擁護はこれ

トランス援護してるつもりの人: 見た目でトランス女性排除を許したら、見た目が女性っぽくない子宮を持つ女性が真っ先に排除される

年がら年中、男女とセックスについて語ってる(というか怒ってる)界隈とは線を引いてるので

これが流れてくるのは例によって例のごとく腐女子からなんですけど

腐女子ってみんなIQ検査した方が良くないかマジで自分が何を言ってるか理解できていなさそう

 

ただ本質はついてると思っていて、

やっぱトランスって「社会的な性」を肯定した上での考えだからそもそも出発点が差別的(宗教的)でジェンダー固定化に繋がるよね

加えて自分が醜形障害なだけなのに社会全体に見た目の意識強要する

 

ハリポタの作者や、『トランスジェンダー女子競技参加は"インチキ"』 発言したマルチナ・ナブラチロワがなんで叩かれてるのかマジで理解できませんわ

表じゃおそろしいので口にせんけどな

2023-12-10

学歴という宗教

確かスプリガンかなんかの漫画

日本人は強いて言うなら学歴という宗教信仰している」

とか言ってたのが未だに頭に残ってる

読んだ当初は「社会のはみ出し者がなんか言ってる」ぐらいにしか思って無かったけど

要するに宗教に漬かってる人は外部からそれを指摘されても信用しない、というのと同じだった

学歴宗教と似ているところは、信じていれば幸せ人生を送れるという教えにある点だと思う

学校の授業をマジメに受けて良い点数を取ることが「幸せ人生である、というのが教義であって

それを盲進した学生が授業の成績は良いのに就活で失敗するんだろうな

人生幸福基準なんてものはたくさんあって、勉強社会貢献というのは一つの軸に過ぎないのに

それこそが正しい幸福だというのはまさしく宗教的だな、と思う

2023-12-09

anond:20231209162138

宗教的議論にはならんね

そもそも最適化実施」っていって、本当に最適ならそれを選ぶだけだし

宗教的議論になるのは品質要件に対するトレードオフ存在するケースであって、CS系分野で定式化される程度の数学問題では時間空間トレードオフぐらいしかない

機械学習なら精度と空間効率トレードオフになるかもしれないが、それも宗教になるようなものではない

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