はてなキーワード: 宗教画とは
ラテン語は絶対にやっとけ。ラテン語できる大学も限られてるし。やっとけばヨーロッパ系の言語が楽しくなる。イタリア旅行に行った時にあっちこっちに書いてある教会の銘文だの碑文だのも読めるぞ。クラシックの宗教曲とかも楽しく聴けるし、美術館で宗教画にちょこっと書き込まれた文字とかも読める。他人と会話はできないが文化の解像度が上がって楽しい。
イタリア語もラテン語のついでにできる。もっと言えばフランス語もわりとついでにできる。ただ難点はむちゃくちゃ混ざる。
ちなみにイタリアでラテン語喋ってもそこそこ通じたけど、フランスでラテン語は通じなかった。あとラテン語には現代的な語彙がない。一応あるにはあるけど運用しないから覚えない。
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
コロナだけのせいではないと思うが、地震でもめっちゃびびるような母なので、毎日じんわり継続的に続くストレスが要因の一つだと思う。
あと、認知症で寝たきりになった祖母(101)が胃ろうを断った後も点滴だけで2年目の延命に突入したというのも関係があると思う。(担当医師の経験上、点滴での生存は平均1年と言っていた)
見舞いに行けない、もう会えないまま一人で亡くなるだろうという精神的苦痛のせいもあるだろうが、この件に関してはそれだけではない。
祖母のボケて行った過程と、母のそれが似ている事に私は気付いていた。
母は今年68になる。
その発端を詳しくは覚えていないが、あれは私が退職して夜中起きている事が多くなった頃の事だったと思うので、3~4年前の事だと思う。寝言が半端じゃなくなった。
スマホで録音して聞かせ笑い話にしていたが、多分原因は子供が無職で家にいるストレスだとよく言っていたので、その通りだなとも思っていた。
祖母の場合は同居している従姉妹がお金を盗んだと言い始め、夜間譫妄が酷くなって毎晩階下から大声で呼びつけられ寝ていられなくなった伯父夫婦が施設入居を手配した。
母もいつかそうなるだろうと私は予感していた。65になったくらいから耳が遠くなってきた事もあり、若干話が噛み合わない事も増えた。
鼻が利かなくなってきていて(本人曰く鼻炎のせい)料理の味付けもやや安定しない事もあり、寝言が酷い点とも一致するので、もしかするとレビー小体型認知症の初期では?と自覚を促し認知症に詳しそうな病院も調べたが、老体に鞭打ちながらも家事を問題なくこなし、現役パートで働いている自負もありまだ通院する気にはなれないらしい。
なのでいつの日にか、どんな風に決定的に認知症の症状が現れるのか、私はよく身構えて想像していた。
家に帰る道が分からなくなるのか
財布を失くしまくるのか等々
しかしまさかこんなに時代に即したボケ方をかましてくるとは想像できなかった。
結論から言うと高知東生さんが嵌まりかけたやつにどっぷり嵌まっている。
母がスマホに変えたのは3年前くらいだと思う。ユーチューブとかSNSの何が面白いのかさっぱり分からんと言い、2年と半年の間は換気扇の下でメビウスをふかしながらのナンプレ専用機と化していたのだが、このコロナで暇&テレビ番組クソ化からの愛の不時着からのヒョンビンをYouTubeで検索からの嫌韓動画おすすめ表示からの米大統領選陰謀論フィーバーというコンボが華麗に決まってしまった。
最近また最高に面白いユーチューバーをリコメンド動画から見つけたらしく、その教えに従って近い将来中国から物が入って来なくなるのに備え、この週末は食糧備蓄のための買い出しに行くそうだ。
私や父などはまだ覚醒(まま)していないので、何を言っても信じられないだろうが、バイデン大統領はフェイスマスクを被った偽物。就任演説はイタリアで1日早く放送されていたので録画映像。ファッキンヒラリーの身長が昔と全然違うぜフーアーユー?
なんとか法というのを作って税金改革をしようとしたためケネディ大統領は消された。しかし暗殺されたはずの息子?が実は◯×州で保護され生きており、不正選挙に立ち向かうトランプ大統領を影で応援していた。
などなど。
大紀元エポック社?とか百田尚樹さん界隈のユーチューバーを毎日最高にエキサイティングだと言って聞いている。スマホの画面は小さいのでほぼ見てはいない。コメントにいいねの数が3桁ついた事があるらしい。
こんなにすごい事が起きてるのに日本のマスゴミは一切放送しない。麻耶ちゃんもバイデンをディスる様な事を言っただけですぐ下ろされた。テレビ局も新聞社も中国人が牛耳っているので嘘ばかり流している。CIAもFBIもくそオブくそ。ダークステイトに買収されている奴らは共産主義が嫌ではないのか。中国が佐渡島に学校を作ったらしい。◯◯大学もいつの間にか中国資本が入っていてやばい。中国人に北海道の土地が買い漁られている。
真実を知らない人達は可哀想。この大統領選挙は歴史的大事件であり絶対に映画化すると思う。小さな事からコツコツと!トラさんがんばれ!(まま)
つらい。
起き抜けにNHKしか見てないから不正選挙の事を何も知らないと笑われた父はぶちギレて1ヶ月くらい口を聞かなかった。
母は家族も信じてくれなくて辛い。的な事も言っていたが、陰謀論者が信じてもらえない理由の一つに。周りを無知だと見下している精神性があると思う。
他者より一歩も二歩も先見の明がある自分像というものが無料の動画で永久に提供され続けている。
今思うと母は自分の『人をみる目』という第六感にかなりの自信を持っていた。
多目的事件の数年前から某グルメ王の目の奥が嘘臭くて嫌いと言い続けていた。
特殊詐欺被害者でいう『自分は絶対に騙されないと思っている一番騙しやすいタイプ』の傾向があった。
それに小出恵介は好きだと言っていた。
私はターミネーター2のジョンコナーになった様な気分の日々を過ごしている。
母はテレビをほぼ見なくなったので、話題が大統領もしくは中共(界隈で言う中国共産党のことらしい)しかない。夕飯の献立の話を話していても、そういえば……で、絶対に大統領の話になった。
例え数年後日本が共産化している未来を知っているとしても、家庭でその悲惨な未来の話ばかり繰り返し聞かされる家族はたまったものではない。未成年だったら確実にグレている。
そういえば私が高校生の時、家のポストにイカした宗教画のぶっ飛んだ教えの冊子がポスティングされていたので、そういうの(ムーとか)が好きな友達に見せようと思って学校に持っていったら大変喜ばれたが、その場に居た一人が不自然に席を立った。別の友達の目配せで察したが、どうやら両親がその宗教の信者だった様だ。
その友人は当時から成績優秀で今では先生と呼ばれ、wikipediaで近況を確認できるまでになっている。
私も一時同じ様な人生を望んだが、手に入らなかった。スタート地点は同じだった気もするが、なにせ家で集中して取り組む時間が少なすぎた……と、突然回想するに至ったのは、母がこうなってから、まあ家での学習が捗る。驚くほど集中できるのだ。何か、怒りとか悲しみみたいなものが私を没頭させてくれる。
思えば私は不思議なことに、十年以上かかるにしろ望んだものは運よくその切れ端くらいはなんとか手に入れてきたのだった。
『その友人の様な人生』は手に入らなかったが、もしかするとこれからそうなるのかも知れない。母のこの認知症もある意味想像し、望んだものだったのだろうか。
だとしたら引き寄せの法則という本がおすすめなのでぜひ読んでみて欲しい。
望んで手に入らないものはないのだ。
私がハイヤーセルフから得た知識を公開してるライフミッションについてのYouTube動画のリンクも張りたいが、そういう場所ではないので割愛する。
他のジャンルに男女差がないって言うのが間違い。
男のファンが多いバンドと女のファンが多いバンドはやっぱりある。シェークスピアの恋愛劇はやっぱり女受けする。
宗教画とかタビンチに男女差が無いことも気にしてるけど、それは当時代は全ての芸術が男のものだったからだね。男向けジャンルに女が参入した現在があるに過ぎない。
男と女で嗜好の違いは確実にあって、男の子はやっぱり剣のおもちゃが好きだし、女の子はおままごとをするんだよ。それはジェンダーではなくて、セックスなんだ。ジェンダーフリーを信じてしまった母親が息子の嗜好を妨げる悲劇も、過去にはまあまあ報告された。そんなことはあってはならない。
だから市場の側が年齢やジャンルと同様に、男女に分けた需要分析を行うのは、全く理にかなった行動だ。
私は今日、エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテルの朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブルと椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。
その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間にあんな場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。
「なんだ、私の見間違い......」
私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。
私は、この間、こんな夢を見た。
雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色と不明の言語でデザインされたのぼりを飾った。その違和感に宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。
いつの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。
そのような夢であった。
私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分の不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。
サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔で曲芸を披露する。観客たちはそれを見て拍手する。
小さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。
劇の不快について。
学校の体育館で、いつものステージが劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに、物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。
しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画やアニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。
演劇には特有の陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。
小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド。
一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。
そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量で音楽となにかセリフが聞こえる。
また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか。大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。
その画は西洋の宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅か魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。
どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。
中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。
あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品の存在さえもはやわからなくなってしまった。
どの界隈特に腐女子なんて解釈地雷、女体化地雷、逆カプ地雷だの色んな地雷があると思う。
その中の絵師が地雷と言うのを増田は略して「地雷絵師」と呼んでいる。
嫌いなんだけど裏垢を別垢でこっそりフォローして見てる。ストーカーしてる。(ここでは嫌なら見るなとかの話はしないので)
「じゃあ好きじゃん」って思われそうだけど
逆に嫌いな所は死ぬほどある
ここから地雷絵師がなぜ地雷絵師になったのか踏まえながら増田の界隈の現状を説明しましょう
増田はしがない絵描き、地雷絵師はフォロワー4000人越えの界隈の顔
じゃあ何故増田が地雷絵師が嫌いかと言うととにかく人柄が嫌いなのだ
良く絵師が「絵下手くそ…死にたい…」みたいな事をいいフォロワーに匿名コンテンツでよしよしされてるのを見る
まぁ絵師という生き物はメンタルが弱くてチョロい生き物だ。フォロワーから好きだの素敵だのの言葉は貰いたくなる。全然いいと思う
え、また垢消し?また絵全消し?そして復活からのフォロワーによしよしされてる
ア ホ ら し
なんだこの茶番………
でもここまでならまだまだ増田も許せてた。どこの絵師でもよく見る光景だし
増田と地雷絵師はいわゆるnmmn界隈にいる(もうジャンルバレそうだけど)
nmmnルールとはBL.GL.NLはご法度、過度の捏造も禁止、そんな二次創作の規制がかなり厳しい界隈だ
もちろん学パロなんて二次界隈では良くあることだがnmmn界隈は違う
「学パロとかは作品のイメージを壊しかねないのでやめておいた方がいいと思う」
これはまぁ同感だ。学パロならずパロものは鍵垢でするべきだと思う。
どうなると思う?
学パロに盛り上がっていたフォロワーは手のひらクルクル!!一気に学パロ絵を載せた絵師を叩き出した!!
ここまで読めば「地雷絵師なんも悪くないじゃん?囲いが悪い」ってなるよね。増田も思ってた。
nmmn界隈の腐向け絵が投稿されてるサイトである日地雷絵師の腐垢を見つけてしまった。
地雷絵師はまさかの逆カプ。地雷絵師の絵柄が好きだった増田は酷い嫉妬と悲しみを抱いた。
まぁ逆カプでも絵が好きならば見れるタイプの腐女子"だったので"地雷絵師の腐ログを見たのだ
そこで気づいてしまう
「あれ?この絵、Twitterで見たぞ?」
地雷絵師はよく作業途中の絵をTwitterに載せては消していた
増田は激怒した。度々地雷絵師がnmmn界隈のCP問題を口にする度にこの人はちゃんとルールが守れて偉いなと思っていたのに蓋を開ければ腐向けイラストの1部を"匂わせて"いたのだ
逆カプの1部をトリミングした絵を増田含めフォロワーはイイネを押し
腐向けイラストの1部をトリミングした絵を載せる地雷絵師は大声で「nmmnのCP絵は鍵垢でしろ」と叫んでいる
え、腐向けイラストの1部をトリミングして載せてるのに????
地雷絵師は腐女子だ。nmmn界隈で腐女子なんていくらでもいる。そんな奴らがフィルター越しに作品を見て解釈を立てるのも分かる。
だけどフォロワー4000人越え、界隈の顔の影響力のある地雷絵師がそのフィルター越しの作品の解釈を呟くとあら不思議!!!!その解釈が界隈の解釈となってしまうのだ~!!!!
増田の可愛い可愛い推し(受け)は地雷絵師に取ってかっこいい攻めのフィルターをかけられた解釈によりかっこいいキャラになり
増田のかっこいい推し(攻め)は地雷絵師に取って可愛い受けのフィルターをかけられた解釈により可愛いキャラになっていく
お陰で地雷絵師の絵に影響を受けた絵師たちは可愛い推しをかっこよく書き、かっこいい推しを可愛く書き
地雷絵師好みの増田に取って地雷の解釈が広まっていきその解釈は腐女子やノーマルの純粋なファン達の解釈へとなっていく
もはや界隈はこの地雷絵師に解釈を握られてると言っても過言!!!!
今後の展開の考察は地雷絵師がツイートしたようなものばかりになり面白みがないし、地雷絵師の好きなちょっとしたシーンが謎の腐向けフィルター越しのエモ解釈という額縁に入れられ宗教画のように祀られる
まぁこんなことが起こると増田含め地雷絵師とは反対のCPや解釈の人は垢を消し、鍵のかかった裏垢で地雷絵師の目に止まらない地雷絵師が目に入らないようにヒソヒソと二次創作と考察や解釈を呟くのだ……
たった1人の影響力のある地雷絵師に解釈を握られ、その解釈は腐女子フィルターがかけられた解釈であり、nmmn界隈のルールを大声で叫ぶ地雷絵師は腐向けイラストをトリミングし匂わせる
地雷絵師のお陰で逆カプが地雷になりました~~~!!!!クソッ!!!!
地雷絵師は嫌いでも逆カプは嫌いにならないでくださいなんて無理です!!!!
そして地雷絵師のような人に界隈の解釈を握られてもそれに洗脳されないでくれ!!!!
周りが解釈違いだと生きづらいし界隈自体が嫌いになる。増田だって作品は好きだけど界隈が嫌いだ
そしてnmmnのルールを大声で叫びながら腐向けイラストを匂わせるような絵師にならないでくれ
紀元前40年頃のポンペイの壁画には遠近法が使われていたようだ。
また壁画にトロンプ・ルイユ的効果を与えるための平行投影法(正確な線遠近法ではない)の利用も第二様式を特徴付けている。イオニア式の柱や舞台のような建築の構造物を描くことにより画面に表される空間は壁面の後方に押しやられた。これらの壁画はローマの家々の窓がなく狭い部屋を少しでも広く見せる効果があったと思われる。
またそれ以前でも古代ギリシャの舞台美術などに遠近法は使われていたらしい。
もっとも初期の遠近法は、紀元前5世紀頃の古代ギリシャで舞台美術に使われたものだった。舞台の上に奥行きを与えるために、平面パネルを置いてその上に奥行きのある絵を描いたという。
つまり、「本物の風景のように錯覚させる」ための写実的な絵には、古代から遠近法が使われていた。
逆に言えば、中世で主流だった宗教画や人物画は、それほど写実的に風景を描く必要がないために、遠近法が用いられなかったということだろう。
どこにも吐き出せる場所がないのでここに書く。
※前提として、私はハイローシリーズのファンではない。初めて触れただけのにわかである。多々間違ってる部分があったとしても、お手柔らかにお願いしたい…
さて。私は根っからの隠キャである。学生時代はカースト下位で、休み時間には教室の隅でオタク仲間とお絵描きしていたタイプの人間だ。
E○ILEみたいな眩しい音楽を聴いていたのはどちらかと言えばカースト上位のグループだった。休み時間はファッション誌片手に化粧を直しながら、カレシと携帯で連絡を取り合うような。そういう我々とは違う人種の為のカルチャーなのだと思い込んでいた。
社会人になってからもやはり偏見は拭えず、たまにテレビやSNS等で宣伝を見掛ける事はあっても、きっと自分には一生関係のないジャンルだろうなとスルーしていた。音楽も映画も、である。
…その筈だった。
https://high-low.jp/sp/movies/theworst/
…まぁ、お察しである。
めちゃくちゃに高そうなどこかのブランド物を纏った顔のいいヤンチャ男達に混ざって、
・黒髪
・真ん中分け
・眼鏡
・学ラン(白シャツin)
という、オタク大好き要素全部載せ特盛り!!な男がいるのである。
一目見た瞬間に早くも気の狂った私は、昼休憩中の職場一体に響いたであろう奇声をおにぎりでどうにか相殺し、劇場を探した。あった。幸いにも定時で上がれば余裕で行ける。すぐさまチケットを買った。こういう時の瞬発力だけはチーター並みにある。いや、盛った。
・轟洋介の破壊力
もう、これに尽きる。
こういうの大好き。完敗。オタクが大好きな要素全部載せお子様ランチどころかフレンチのフルコースだった。
見たまま一匹狼で最強の轟が自分には唯一無かった物を得ていく過程に、謎の母性を発揮しそうになった。そして眼帯は凶器。眼科から出て来た時のちょっぴり嬉しそうな顔を見ながら、内心こちらは少しだけ残念でした。すみません。そして何度も大事な場面で空気を読まずに疑問を素直に口にしちゃう可愛さ。皆スルーしないで!!逆に張り切って説明している時の彼は実に生き生きとしていて、見た目を裏切らないなと思いました。
(ここまで一息で喋るオタク
小田島は… なんだろうな?!
彼の出番は正直言ってそこまで多い訳じゃない。それなのに、映る度に目玉を持っていかれる。心臓も持って行かれる。
二次元から出て来たとかそんなレベルじゃない。100%作画神回。金髪ポンパドールにまんまるなサングラス、「およよ〜?」「やーっておしまい」が許される男子高校生ってなんだ。その見た目で熱い。仲間が倒れてれば「救急車ァ!」の叫びを上げ、本気の抗争ともなればオシャレな私服から伝統の制服を羽織ったスタイルになり、同学校の先輩の喧嘩口上を積極的に引き継ぐ熱い男。頭もキレる参謀役。前述の彼とは違って充分すぎるくらいに空気も読める。同校で共に四天王に君臨する幼馴染もいる。
何より狡いのは、この2人をまとめて視野に収めるチャンスが何度もある。何故。目玉が足りない!!!
念の為言っておくと、私自身は腐にはあまり興味がない。それでもこの2人が並んだ図の良さに3回は死んだ。新手の宗教画か?
そしてこの2人にボコボコに殴られた上に、視野の外から渾身のストレートを決めて来た男がいた。
なんで誰も教えてくれなかったの!!!
(あとで知ったのですがシリーズ通して普通に人気キャラなんですね。ノーガードで行った私が悪い。)
番長。轟が何とか越えようとしている最大のライバルであり、校内じゃ比類なきレベルの化け物のような戦闘力の男。…なのに、ぽわぽわの柴犬みたいな男… えっ?
と思えば、轟の中に昔の自分を見出してどうにか導こうとしてみせたり、彼らのプライドを潰さない形で裏から手を回して確実にサポートしてみせたり。
いい先輩!!!!
そして鳳仙の頭もいい上司のお手本のような素晴らしい男でした。彼に関しては何喋ってもネタバレになりそうなので割愛。とにかく顔がいい。熱い。そして腰が細い。
そんな四方八方から殴られながら5回鑑賞して、ようやく少しだけ冷静に見直せたのでここに加筆。
・初見に優しい
ジャム男(おじさんじゃないよ)という案内役のようなキャラが事細かに注釈を入れてくれる。シリーズを観てなくても1回目から楽しめた。あとから履修すると更に深く噛み締められるので二度楽しい。結局2回行く。
・E○ILEもファンもこわくない
怖くない(当たり前
・好感の持てる構図
高校生vs高校生、大人vs大人に上手くまとめていくのが良かった。これが決闘の流儀というやつなんだろうか。よくある主人公の戦闘力スーパーインフレ展開にはならない。それぞれのキャラに見せ場を作って、きちんと威厳を持たせたまま終わる。皆が収まるべきところへ収まる。そこは陽キャの作った映画だなと思った。勿論、いい意味である。私の普段観るアニメや漫画はすぐ人が死ぬ。皆死ぬ。それはそれでいい。
※ハイローシリーズにも悲劇はあると聞いて後日観たら本当に地獄だったので、ザワが例外的なレベルでハッピー映画だったようです。それはそれでいい!!
さぁ。公開している内に劇場で!!
回し者ではないけれど、あの格ゲー張りのアクションとカメラ回し、各キャラに合わせた爆音の音楽、そして顔のいい男たち。その全部を映画館で浴びるこの快感を、別の誰かにも味わって欲しい。
30数年の偏見をぶち壊してくれたザワに感謝しながら、次回は生まれて初めての応援上映にチャレンジする。チケットは買ってしまった。もう戻れない。楽しい。
ホラー映画の胸糞エロ入り系を見るとわりとそういう体裁になってる事が多い
ちょっと前に観たのは、
キショオヤジが虐待&監禁して犯しちゃう(ついでに息子も少女を犯しちゃう)みたいなのがあったけど
最後は親獣女も登場して男共は女二人に股間を重視してひきさかれてぶっころされとったわ
正直オヤジがめちゃくちゃ気色悪いので観たのを後悔したけど
AV女優がレイプされてリベンジぶっ殺しまくりみたいなのもなんかよく見るよーな気がする
あたかもセクシーな女性を描きたいがために宗教画や神話のモチーフを利用していたかのようにな
正直あんまりひどいのは好かんけど物語のための装置としてなら見れなくもないと私も思う
とはいえ、「エロのためのエロ」っていうのが存在してももちろんいいと思うんだけどね